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鬼和尚に聞いてみるスレ part24

619避難民のマジレスさん:2024/12/01(日) 16:38:11 ID:VKm4qbtA0
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今度あなたが怒ったり、嫉妬したり、欲張ったり、暴力的であったり-何であろうと-するとき、自分自身を見守ってください。その状態には、「あなた」はいません。その存在の状態だけがあるのです。瞬間、一瞬後、あなたはそれを用語づけ、名づけ、それを嫉妬、怒り、貪欲と呼ぶのです。それであなたは即時に、観察者と観察されるもの、経験者と経験されるものを造り出したのです。経験者と経験されるものがあるとき、そのとき経験者は経験を修正しよう、変えよう、それにまつわるものごとを覚えていよう、などとするのです。ゆえに自分自身と経験されるものの間の分割を維持するのです。あなたはその感情に名づけないなら-それは、あなたが結果を求めていない、非難していない、たんに静かに感情に気づいている、という意味です-そのとき、感情の、経験のその状態には、観察者がなく、観察されるものがないということが、わかるでしょう。なぜなら、観察者と観察されるものは共通の現象であって、そのため経験することだけがあるからです。

294:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/29(火) 20:46:00 ID:1d4drIFg0
気付くことは簡単に実験できるというのじゃ。
怒ったりすればそこに怒りと名づけるものがおこり、観察者と観察されるものが作り出されるというのじゃ。
それに名づけることがなければ、観察者も観察も無いとわかるのじゃ。
それが気づきであり、内省とは違うものなのじや。

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 この『名付けること』『名付けるものがおこる』というのは、鬼和尚の言うところの分別する阿頼耶識の働きのことですか?
 クリシュナムルティはそれを見よと言っているのですか?


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