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オショーのSadhana Pathを読んで実践する
766
:
避難民のマジレスさん
:2022/12/09(金) 07:44:00 ID:WCE8/RIU0
『プルシャ』ジャンカラの言及 1/4
>>471
内的アートマン とその認識とが]区別されるのは、比喩的用法(upacāra)なのである。[それは]ちょうど、[プルシャは精神性そのものなのに]プルシャの精神性[と言われる]ようなも のである。
>>489
[「天界を望む者はジュヨーティシュトーマ祭を執行すべきである」とい う、祭式を執行する]資格について[述べている]聖典は、天界を望む者が天 界と関係していなければ成り立たないということを暗に意味しているだけであって、 これ(天界を望む者)が輪廻の主体ではないということを[も暗に意味しているわけ では]ない。というのは、それ(輪廻の主体ではないという性質)は、[祭式を執行す る]資格と合わないからである172。また、ウパニシャッドの説くプルシャ(=アートマン)は、行為の主体でも経験の主体で(古をい✖️)もない[ので、祭式を執行する]資格と矛盾するからである。
>>491
ウパニシャッドの説くプルシャについての理解が、[祭式を執行する]資格と矛盾するというのは確かにその通りである。しかし、 それ(ウパニシャッドの説くプルシャについての理解)以前には、祭式[の執行を命ずる]諸儀軌は、自らに適した日常的活動を行うのであって、[それらが]未だ生じて いないブラフマンに関する知識によって妨げられることはありえないのである。
>>692
[反対主張]身体のない状態こそがダルマの結果ではないのか。
[答論]そうではない。[身体のない状態は]、それ(アートマン)にとって本来の状態だからである。というのは、「賢者はアートマンを、身体の中にあって身体のないもの、変化するものの中にあって変化しないもの、偉大にして遍在するものと知って、悲しむことがない」580「アートマンは生気を備えず、思考器官をもたず、清らかである」581「実にこのプルシャは無執着である」582等の天啓聖典句があるからである。以上のような理由で、解脱と呼ば れる身体のない状態は、執行すべき祭式の果報とは異なり、永遠であると確定したのである。
>>751
[反対主張]ヴェーダには、活動を促したり停止させたりする儀軌およびそれら[の儀軌]に従属するものとは別に、単独で事物について述べている箇所は存在しないのである697。
[答論]そうではない。ウパニシャッドに説かれているプルシャは、自ら以外のものに従属することはないからである。何故なら、ウパニシャッドで理解されるこのプルシャは、輪廻することのないブラフマンであって、「生みだされるべきもの」等の四種のもの698とは本質的に異なり、独立した箇所で取り扱われるものであって、自ら以外のものに従属することはないからである。 そしてまた、これ(プルシャ)は、存在しないとか理解されないとかいうことはできない。何故なら、(1)「まさにこのアートマンは『そうではない。そうではない』[と説かれ云々]」699とあるように、[天啓聖典中に]アートマンという語が用いられているからであり、また、(2)アートマンは、[その存在を] 否定するその者のアートマンなので、否定することはできないからである。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
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