したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

オショーのSadhana Pathを読んで実践する

633避難民のマジレスさん:2022/10/13(木) 23:56:34 ID:jg5jrlt60
1.1.『註解』の語義解釈 p348-349 176左/229

  [師シャンカラは]、次のスートラを紹介するために、前のスートラとの繋がりを[次 のように]述べている。[ブラフマンが]世界の原因であることを示すことによって云々と。この神聖なる神は、ただ単に世界の母胎であるから全知なのではなく、聖典 の母胎でもあるから[全知]なのだ、と理解すべきなのである。[そして]、聖典の母胎であることが全知であることを確立する根拠となるということを、[師シャンカラは次 のように]明らかにしている。リグ・ヴェーダ等の偉大な聖典の云々と。リグ・ヴェー ダ等は、弟子たちに、四カーストと四住期それぞれに関して、日々義務として行わなけ ればならない祭式・臨時に行われる祭式・望ましい果報を欲して行う祭式469の諸々の 手順一[それらは]受胎式から葬式470までにわたり、夜明けに始めて日暮れには終了すべきである一を教示しており、また、ブラフマンという真理について教示しているから、聖典なのであり、従って、その内容が広範であるから、偉大なのである。
  またこれ(リグ・ヴェーダ等)は、ただ単にその内容が広範であるから偉大なのではなく、多くの補助学471や副補助学472に支えられているという理由によってもまた[偉大なのである。このことを師シャンカラは]、多くの学問分野に支えられと述べている。すなわち、プラーナ・論理学・祭事学等が十種の学問分野であり、[リグ・ヴェーダ等は]それら[の学問分野]によって、それぞれの方法で支えられているのである。従っ て、すべての学識ある人が認めているというこの理由によって、[リグ・ヴェーダ等が]正しい認識根拠ではないのではないかという疑問も解消されるのである。実に、フラーナの作者である偉大な聖者たちは学識のある人たちであり、かれらはそれぞれの方法で、ヴェーダを説明しまたその趣旨を熱心に実行したのであるが、そのかれらがヴェー ダ[の妥当性]を認めているのである。
  もし[ヴェーダがものごとを教示しなかったり、不明瞭に教示したりするので]あれば、正しい認識根拠ではないということになるが、これ(ヴェーダ)が[ものごとを]教示しなかったり不明瞭に教示したりすることはない。だから[師シャンカラは]、灯火 のようにあらゆる事柄を照らしと言っているのである。すなわち[ヴェーダは]、あらゆる種類の事柄をあらゆる方法で教示するので、教示しないということも不明瞭に教示 するということもないのだ、という意味である。だからこそ全知者に近い、すなわち全知者に似ているのである。すなわち、全知者の知識はすべてにわたっており、[ヴェーダという]聖典の教えもすべてにわたっているというのが、似ている点なのである。

脚注
469「日々義務として行わなければならない祭式」とは、朝夕の礼讃等のことで、それを怠ると災禍がふりかかってくるとされる。「臨時に行われる祭式」とは、男子の出生等に関連した誕生祭等のことである。そして、「望ましい果報を欲して行う祭式」とは、天界等に生まれることを望んで行われるジュヨーティシュトーマ祭等のことである。
470ヒンドゥー教徒の通過儀礼は、伝承により様々な違いがあるが、通常十六種あるとされ、それらは受胎式を以って始まり葬式を以って終わ るとされている。
471 ヴェーダ補助学六種については脚注464参照のこと。
472プラーナ、論理学、祭事学、律法論の四種を言う。
(´・(ェ)・`)
(つづく)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板