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鬼和尚の仏教講読会 別館2

1避難民のマジレスさん:2020/09/21(月) 19:36:15 ID:WJISoscI0
前々スレ:https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
前スレ:https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/l50

現在:狂雲集(一休宗純)講読会・開催中であります。

983鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/12/01(水) 23:21:14 ID:1d4drIFg0
認識の主体であり、それ自体は認識されない真我は人には理解することが出来ないのじゃ。
認識できないものを理解することはありえないからのう。
ただそれであるだけなのじゃ。
真我を信仰して辿りつくがよいのじゃ。

984鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/12/01(水) 23:25:03 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 異類中行なのじゃ。

 異類である馬牛も中行の途にあるのじゃ。
 洞曹、蕃仰もまた正しい工夫で導くのじゃ。
 愚昧な学者は間違って了解するのじゃ。
 それらの者を看来たれば正に畜生の徒なのじゃ。

985避難民のマジレスさん:2021/12/02(木) 12:13:41 ID:O3o.7mag0
29.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part5-a⑥
神の対象化の中止

Q:真我は臍の中心にあると言われていますが…

 周りがあるところにセンターがあるにすぎない、違うかね? センターが臍なら何が周りかね?

Q:肉体。

 真我は条件づけされない。真我は臍の中心にあるということは条件づけされない「それ」を条件づ
けしていることになる。センターはない。しかし、あなたが肉体であるという概念を持ち続けるのな
ら、臍に中心を置くという概念を持ち続けることができる。肉体の中心という概念は意識を集中する
ための対象として使われたのだ。
 しかし、これらの中心からどんな利益をもたらしたのか見たことがない。センターと周りがあると
いう考えを捨てるとおそらくうまくいくだろう。周りがないとき、センターとは何か? 集中すべき
ものはなく、集中する人もいない。違うかね?
 中心を固定しないこと。これはマインドのトリックにすぎない。思考がどこかに着陸するのを許さ
ないこと。思考をどこにも定住させないこと。その時マインドはどこに行くのかね? これらの中心
に時間を掛けないこと。
 多くの人が40年、50年とこれらの「中心」に時間をかけてその結果は束縛を強めるだけだと私
は見ている。
  (´・(ェ)・`)
 (つづく)

題點頭石訝虎丘祖師 点頭石に題して くきゅう祖師をいぶかる
不信道石點頭 いふことを信ぜず、石てんとうすと、
若點頭非石流 もしてんとうせば石のたぐいにあらず。
石有霊是妖怪 石霊あらばこれ妖怪
吾祖師老虎丘 わが祖師のろうくきゅう

くま訳
ワシは、石がうなずくなどということは信じないのだ。
もし、石がうなずいたら、それは、もはや、石のたぐいではない。
石に霊があるのなら、それは妖怪である。
けど、わしの祖師が、うなずくと、言うておるのであるよ。

*頑石点頭:意味説得力や影響力が大きいことのたとえ。僧の道生が石を集めて説法すると、その説法を
理解して石はうなずいたという故事から。
*虎丘庵:一休さんが森女と住んだ庵。 二畳の水屋と、六畳、三畳の小部屋だけの、とても簡素なた
たずまいの建物。扁額「虎丘」は一休さん直筆だそうである。
*虎丘紹隆(くきゅう しょうりゅう1077 -1136年)は、北宋時代の僧で臨済宗楊岐派に属する。その法系は
虎丘派として知られる。圜悟克勤の法を嗣ぐ。
(´・(ェ)・`)b

986鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/12/02(木) 23:12:22 ID:1d4drIFg0
体のとこかに真我があるというのは幻想なのじゃ。
本当に有れば誰もが簡単に見つけられるからのう。
自ら主体を感得しなければならないのじゃ。
体の一部に集中するのは真我の探求には役立たないのじゃ。
集中力を養う止の瞑想にはなるがのう。

987鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/12/02(木) 23:15:26 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 点頭石の虎丘祖師を訝る題なのじゃ。
 
 石が点頭するなど信じられないのじゃ。
 もし点頭するならば石ではないのじゃ。
 石に霊があるならばこれは妖怪なのじゃ。
 わが祖師の老虎丘につげるのじゃ。

988避難民のマジレスさん:2021/12/03(金) 00:14:09 ID:9YAFpTOY0
30.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part5-a⑦
神の対象化の中止

Q:私の神、真我を悟りたいのですが、私とそれの間には蔽いがあるように思います。

 その蔽いとはこれだ。あなたはある欲望を持っている。より優れた意識に到達したいという欲望を
持っている。これがあなたと「それ」の間の蔽いだ。
 あなたは絶対的に欲望なし、思考なしでいなければならない。欲望は思考だ。欲望があるとき、マ
インドがある。欲望の対象がある。しかし神は対象ではない。神は主体だ。神は見ることも、到達す
ることも、触れることもできない。神は見ている人だ! 神は対象物ではないのだから探そうとしない
ことだ。
 すべての対象物には始まりと終わりがあるが、広大な意識にはそれがない。ほんの瞬間どんな欲望
も持たないでいなさい。そして、どこにより優れた意識がありどこにより劣った意識があるのか言っ
てごらん。
 さて、どこに蔽いがあるのかね? 「これ」や「あれ」を望むことで蔽いをつくっている。欲望が
ないとき、神が彼自身でやって来てあなたのハートの中に座る。
 しかし、ハートの中の椅子が欲望のごみでいっぱいなら、神は一体どこに座るのかね? 神には完
全に清められた席が必要だ。そうすると、神は招待しなくてもやって来てその席を永久に所有するこ
とになる。その時あなたが何をしようとも、それは神が行っていることになる。そうするとあなたに
必要なものは何もない。
 すべての名前と形態を取り除かねばならない。そうすると蔽いはなくなる。蔽いが取れると唯一
残っているのは他の人の蔽いを取り除くための慈愛だけだ。この仕事は蔽いを取り除いた人に割当て
られる。しかしエゴのある人がどうして他の人のエゴを取り除くことができるかね? 今蔽いを取り
除きなさい。
 人間として生まれて、自由への欲望を持っている。自由を熱望しない人間は尻尾のない動物だ。本
当の人間はこの人間の一生で蔽いを取り除いた人だ。疑わないこと。それをやり遂げるのだ。

Q:真理を理解するのを妨げている壁があるようです。この壁は私の人生で学んだすべてのもので作
られているように思われます。

 この壁は観念でそれを壊したら内側も外側もなくなる。思考によってこの観念を取り除くことはで
きないので考えようとしないことだ。この観念は唯一想像に過ぎないので存在したことはない。
 ロープはいつもロープで蛇になることはない。間違った想像力でロープを蛇と呼んだのだ。これは
あなたがあなた自身の創造物の責任者だということを教えている。ロープは蛇を作らない。あなたが
蛇を作り出したのだ。あなたを非常に困らせたこの蛇という観念は何か見つけだしなさい。
 ただ静かにしてそれを見つめなさい。そうすると消えてなくなる。あなたを不幸に陥れるその観念
を見つめなさい。ただ見つめなさい。何の努力も必要ない。あなたを困らせる観念が起こるのをただ
見つめなさい。
 あなたが存在しなかった蛇という観念を創り出したのだ。観念はまったく存在しないのと同じだ。
あなたはいつも平和、愛、幸福、至福の中にいる。これがあなた生来の本質だ。
 これ以外はすべて実在しない観念だ。あなたの両親、牧師、社会が投げ与えた観念や意図や考え方
をすべて取り除きなさい。大量のこれらのごみがあなたに常に投げ捨てられた。
 このごみだめの中であなた自身を見失った。さて、もう一度同じ質問をしてごらん。

Q:できません。質問のすべてがなくなりました。

 すばらしい!!今あなたの中ですべてが変わったのがあなたの顔つきから分かる。
 すばらしい!! これがあなたの本質だ。そこにいなさい。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

989避難民のマジレスさん:2021/12/03(金) 00:16:56 ID:9YAFpTOY0
1/3
洛下昔有紅欄・古洞両所。曰地獄。  洛下に昔、紅欄(らん)・古洞の両所有り、地獄とも曰ひ、
曰加世。又安衆坊之口有西洞院。 加世(せ)とも曰ふ。又安衆坊の口(ほとり)に、西洞院(にしのと
ういん)有り、
諺所謂小路也。歌酒之客、過此処者。 諺(ことわざ)に所謂(いはゆる)小路なり。歌酒の客、此処に過     
                  (よぎ)る者、
皆爲風流之清事也。今街坊之間。  皆風流の清事を為す。今街坊の間、
十家四五娼楼也。淫風之盛幾乎亡国。 十家に四五は娼楼なり。淫風の盛んなること、亡国に幾(ちか)
                  し。
吁関睢之詩、可想乎哉。不足嗟嘆。  吁(ああ)、関睢(かんしょ)の詩を、思ふべきかな。嗟嘆(さたん)
                  するに足らず、
故述二偈一詩。歌之云。 故に二偈一詩を述べ、以て之(これ)を詠歌すと云う。

頌曰。 頌に曰く、
同居牛馬犬兼鶏 同居(す)牛馬犬兼(と)鶏(と)
白晝婚姻十字街 白昼(の)婚姻十字街
人道悉是畜生道 人(は)道(いう)悉是(ことごとくこれ)畜生道
月落長安半夜西 月落(つ)長安半夜(の)西

くま訳
牛、馬、犬、鶏、と変わるところが無い。
白昼堂々と男女が交わる歓楽街
畜生道に落ちたというべき。
暗い世情を照らす月も無い。

*李白の子夜呉歌 参照。
(´・(ェ)・`)b

990鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/12/03(金) 23:39:30 ID:1d4drIFg0
悟りへの障害は自ら作り出しているものじゃ。
恐れとか欲とかに囚われていれば障害になるのじゃ。
それを取り除けるのも自分しかいないのじゃ。
全ての観念を捨て去れば障害もまたなくなるのじゃ。

991鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/12/03(金) 23:50:29 ID:1d4drIFg0
それ゛てよいのじゃ。


洛下には昔、紅欄(らん)・古洞というところがあったのじゃ。
地獄とか、加世とかよばれた歓楽街なのじゃ。
安衆坊のほとりに西洞院があり、歓楽街であり酔客が通うところなのじゃ。
10の店のうち、四五軒は売春宿なのじゃ。
淫風盛んにして亡国に近いのじゃ。
関雎の詩を思えば、嘆くに足りないのじゃ。
故に二喝一詩を述べ、これを詠歌するというのじゃ。

頌に曰く。

 牛馬犬兼ねて鶏が同居するのじゃ。
 白昼の婚姻十字街なのじゃ。
 人はこれをことごとく畜生道というのじゃ。
 月落ちる長安の西半夜なのじゃ。

992避難民のマジレスさん:2021/12/03(金) 23:56:10 ID:ZGP2KMxI0
31.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part6-a①
獲得することで失う啓示

 何かを所有したり、獲得したときに
「失う」という恐れと観念が起こってくる。
真我だけは失うことはできない。
もし平和を獲得したならマインドは再び戻ってくる。
 来させなさい。
 そしてどこからそれが起こってくるのか、ただ見ていなさい。
 マインドが走るのを許しなさい。
しかし、それを今に導きなさい。
過去の墓場に導かないことだ。
過去に執着することは悪い交際を維持しているようなものだ。
瞑想するとすべての過去のパターンは消えてゆく。
そのコツは瞑想したい人を100%警戒していることだ。
家が人であふれているとき、泥棒は入って来ないのだから。
期待しないこと、探さないこと。
そうすると「それ」を見つけることができる。
 しかし「現れるもの」を再び見つけるなら、間違ったものを見つけたことになる。
そして、確実にそれをなくすだろう。
現われるものは消えるためにのみ現われるのだから。
現われてくる思考や経験を抑圧しようとしないことだ。
 ただ注意深くありなさい、そしてそれらをやって来させなさい。
真我探究は蛇が現われるのを奮起させる。
 警戒!警戒!

Q:どうして人々は「それ」を失くすのですか?

 それを得ることによってだ。手に入れたものは何であろうとあなたの真我ではない。何かを失くし
たのなら、それはあなたの本当の真我ではなかったということだ。それが失くなったということはよ
いことだ。
 真我はあなた自身だ。決して失うことはない。真理はあなたであるところのものだ。失うことので
きるすべてのものは真理の邪魔になる。思考や疑い、対象のように消えて行くものはすべて真理を隠
してしまう。
 人々が「手に入れた」と言う時、彼らが手に入れたものは誤解だ。間もなく、もちろん彼らはそれ
を失くしたと言うに決まってる 。それを失くすかもしれないと考えている人がそれを理解していると
したら、どんな理解も誤解にすぎない。
 本質は決して失われない。あなた「自身」を失うことはできない。それはただ「在る」ということ、
往ったり来たりするものではない。それは何かを達成するとか獲得するとかという問題ではない。
 あなたがあるように、あなた「自身」を知ることだ。以前はあなたは誰であるか知らなかった。永
遠でないものと一緒にいたかった。「失くす」という考えはマインドからやって来る。
 だから、何も達成しないこと。全人生であなたに押しつけられたすべての考えをただ取り除きなさ
い。ほんの1秒間でこの考えを取り除きなさい。
 あなた「自身」を真理にむき出しにしたら、真理はそれ自身であなたに姿を現す。そして、あなた
の本質を知ることになる。これが単なる「在ること」だ。
  (´・(ェ)・`)
 (つづく)

2/3
佛交露柱一同途 仏露柱(ろしゅ)に交じって一に途を同じうす
邪法此時難得扶 邪法此の時扶(たす)くること得難し
榮衒徒似作家漢 榮衒の徒作家の漢に似たり
佛法胸襟一點無 仏法胸襟に一点も無し

くま訳
仏は、露柱に交ってその場に居るのだ。
しかし、邪法では、何も助けることはできない。
名利を追うだけの者が、禪の師匠の真似をしているのだ。
奴等の心には仏法など微塵も無いのだ。
(´・(ェ)・`)b

993鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/12/05(日) 00:31:45 ID:1d4drIFg0
何かを得れば、それは観念となり真我を見失うというのじゃ。
そして不安が起こるのじゃ。
心の平和でさえ囚われれば障害になるのじゃ。
全てを来て去るがままにしていれば消えて行くのじゃ。

994鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/12/05(日) 00:33:41 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 仏は柱と同じ一つなのじゃ。
 邪法はこれを理解する助けにならないのじゃ。
 榮衒の徒は作家にも似ているのじゃ。
 しかし胸襟には仏法は一点もないのじゃ。

995避難民のマジレスさん:2021/12/05(日) 07:59:49 ID:9l8lNueg0
32.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part6-a②
獲得することで失う啓示

Q:真我と接触していると、もっとも美しい空間にいられる。それなのになぜ私はこれから抜けだす
ことを選んで、新しい映画を上映するための新しい劇場を創るのでしょうか?

 あなたが美しさの中に一人でいようと決めたときは海に波がないときだ。波のない充満性・完全性
を楽しんでいる。そして海が遊ぼうと決めたとき、この遊びの考えが波の形態をとって現れる。
 あなたが言っている映画はこの波だ。海は「波は海で波が海の上で踊っているにすぎない」という
ことを知っている。海は波によって困らされることもないし、むしろ喜んで楽しんでいる。
 そうすると、あなたの質問は、波のない海と、波のある海との違いは何かということになる。この
質問自体が波で、観念で、海ではない。それは波側の観念だ。この分裂についての質問は波にのみ属
する。
 海は決してこの質問をしないだろう。この観念は海から離れているという波の考えにすぎない。あ
なたは存在でありながら、存在から離れていると考えているにすぎない。
 波としては高さや長さや幅や動きを持っていると考えるが、これらはすべて観念だ。分裂は観念に
すぎない。この分裂を終わりにしたい波が海を探し始める。波が海を探している!?

Q:しかし、どのようにして海が波になろうと決めることができるのですか?

 それは完璧さだ。海は完璧だ。それが遊ぶと決める、その決定が波だ。これが意識だ。これが意識
だ。それがなにを考えようとも、それは意識のままだ。
 意識以外には何もありえない。違いと分裂のゲームは、ゲームがなかったのと同じことだ。何の変
化もない。波があろうがなかろうが海は海だ。意識は意識だ。形態をとって現れようが、現れまいが、
無は無だ。
 無の観点あるいは意識の観点、覚醒の観点からすれば、全く何の違いもない。何の変化もない。あ
なたが「それ」だと知ったなら、違いは消えてしまう。あなたは起こっていることから分離して存在
するものではない。
「それ」は決して無くなることはない!
 形態をとって現れるすべては初めから終わりまであなたの内なる波だ、あなたの真我の内で起こる。
あなたの真我から離れてあるのではない。「分裂」という観念にすぎない障害を拒絶しなさい。これ
やあれでなく総体でありなさい。
 あなたが決心したら、それはすぐに起こるだろう。あなたが決心しなくても、すべては同じであな
ただけが存在する。あなたの質問は「もし私が全体のこれであるなら、なぜ全体のあれがあるの
か?」と同じことだ。(笑っている) ただ、質問に触らないことだ!
  (´・(ェ)・`)
 (つづく)

詩曰  3/3
淫風家國喪亡愁 淫風家国喪亡の愁(うれい)
君看雎鶏在彼洲 君看(み)よ雎鳩(しょきう)彼(か)の洲に在り。
随列宮娥主恩夕 例に随って宮娥主恩の夕
玉盃夜夜幾春秋 玉盃夜々幾春秋ぞ

くま訳
昨今の風俗の乱れはひどい。亡国の憂いを禁じえない。
雌雄別々に暮す鶚(みさご)をみならえ。
宮城の夕暮れ、君主の寵愛を受ける女性が、ちゃんど順番を待っている。
夜毎の美酒に、どれだけの夜々を過ごしてきたことか。
(´・(ェ)・`)b

996鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/12/05(日) 22:50:12 ID:1d4drIFg0
真我に接触したならば私はもう無いはずなのじゃ。
私があればそれは観念遊戯をしているだけなのじゃ。
真我と別のものになることはできないのじゃ。
それは海のようなものであるからのう。
波というものが存在するのではなく、ただ海の表面の乱れが波とよばれるだけなのじゃ。
そのように真我の海から独立した自己があるのではなく、心身ともに全ては真我の一部なのじゃ。

997鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/12/05(日) 22:53:20 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 詩に曰くなのじゃ。

 淫風の国家は亡くなる愁いも在るのじゃ。
 君は見るがよいのじゃ、雎鳩はかの州にあるのじゃ。
 列に随って宮娥は主恩の夕べなのじゃ。
 毎夜玉盃を重ねること幾春秋なのじゃ。

998避難民のマジレスさん:2021/12/05(日) 23:41:12 ID:yJrIMcOY0
33.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part6-a③
獲得することで失う啓示

Q:もし「これ」や「それ」を取り除いたら、何もない空間に居ることになります。

 この何もないことを誰が騒がすのかね。この何もないことに入っていくと、何になるのかね?

Q:どのようにして海に留まることができますか?

 「どのようにして」と言う概念を使わないことによってだ。「どのようにして」は波にすぎない。

Q:「どのようにして」がなくなると海に留まるだけです。

 人々を困らせるのが「どのようにして」だ。そしてあなたが考え出すいかなる答えにもあなたは即
座に同一化する。あなたはあなたの考えるものになるのでどんな質問も取り除いたほうが良い。
 あなたは自由だと考えるとあなたは自由だ。あなたが苦しんでいると考えるとあなたは苦しむ。こ
れが意識の美しさだ。考えるとそれになる。どんな考えであろうとあなたが考えるようにそれは現わ
れる。しかもそれは「意識」のままだ。
 「意識」であるがゆえに外側からどんな材質も得る必要がない。それが「意識」というもので、す
べてが「意識」のうちにある。「意識」は完璧で、すべてを含んでいるのでそれが望むものは即座に
存在を顕す。そう、あなたが自由を望むなら即座に自由になることができる。
 この「自由」という思考は「束縛」という観念を取り除くために在る。自由であるためには「自
由」という観念をもてあそぶだけでよい。そうすると二つの観念、自由と束縛が終わりになる。あな
たはあなたのあるがままで何も変わらない。
 「自由」を使って「私はこの肉体、この心」という観念を取り除きなさい。そのときすべてが踊り
だす。これが自由というものだ。自由を味わったその人が踊るのだ。

Q:又、私は「それ」を失って6ヶ月たちます。私はどのようにして「それ」を取り戻すのかわかり
ません。

 しかし、なぜ又なのか? 又それを手に入れるならそれは一時的な何かで、又それを失くしてしま
うだろう。お腹が空いたので又食べるというようなものではない。
 一滴のネクターを味わったら一生涯、食物はもう必要ない。これが「それ」の一瞥だ。一億分の1
秒で十分だ。取り戻したいならそれを掴んでいようと望まないことだ。第一それは掴むことはできな
いのだから。
 それを保持しようと望まないことだ。もう一度それを取り戻したいと望まないことだ。単にそれと
一緒にいなさい。それは逃げ出すことができないのだから、逃げ出すと考えないことだ。
 それが消え去ることはない。それにハートを開いていたら、消えてしまうのはあなただ。あなたが
失われるのだ。蛾が炎に飛んで行くと何が起こるかね。消えてしまう。だから、あなたのハートのこ
の炎に触りなさい。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

山居 二首 1/2
婬坊十載興難窮 婬坊じゅっさいきょうきわめ難し
強住空山幽谷中 強ひてくうざんゆうこくの中に住む
好境雲遮三万里 こうきょうくもさえぎる三万里
長松逆耳屋頭風 ちょうしょう耳にさからふおくとうの風

くま訳
遊里に十年通ったが、楽しくって窮めつくせない。
こりゃいかんと、強いて、山奥に住んでみた。
山奥なら、遠くまで見渡せる眺めのよいところでも、雲が眺めをさえぎってくれるだろう。
と、思ったがあまかった。高い松の木の枝を吹き抜ける風の音が、(有里の風の音と同じなのだ。)
気になっててしょうがないぞ。
(´・(ェ)・`)b

999鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/12/07(火) 00:19:03 ID:1d4drIFg0
悟っていない人は何もするなといわれれば、どのようにしてというのじゃ。
そのどのようにして、という問いがなくなればあるがままでいられるのじゃ。
何の問いもなくただいるだけでよいのじゃ。
全ての観念が消えて行くのに任せるのじゃ。
そのようにして主体が意識に現われてくるのじゃ。

1000鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/12/07(火) 00:26:48 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 山居なのじゃ。

 婬坊十年でも興楽は極められないほどなのじゃ。
 それでも強いて空山、幽谷中に住むのじゃ。
 雲が三万里も視界をさえぎるよいところなのじゃ。
 長松の頭を吹き抜ける風は耳に逆らうがのう。

1001避難民のマジレスさん:2021/12/07(火) 07:06:22 ID:VDH662kQ0
(´・(ェ)・`)b つづきは↓に
鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/l50


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