[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
838
:
避難民のマジレスさん
:2022/05/11(水) 12:54:52 ID:AuK7e.NA0
ラマナ・マハルシとの対話 324
1937年1月10日
回想録
(1) スカンダアシュラマムにいた時、シュリ・バガヴァンは、10フィートほど離れたところに小さくて長い白色のヒキガエルを見かけた。
シュリ・バガヴァンはそれを見つめ、それはシュリ・バガヴァンを見つめた。
突然、それは大ジャンプをし、正確にシュリ・バガヴァンの片方の目の上に止まった。
シュリ・バガヴァンはすぐに目を閉じたので、怪我はなかった。
(2) かつて、羽をきらびやかな扇のように広げて気取って歩く2羽の孔雀がいた。
一匹のコブラもその遊びに参加し、その頸部を掲げ、それらの中を動き回っていたものだった。
(3) シュリ・バガヴァン曰く、孔雀は緑のトカゲを見つけるとすぐに、まっすぐそのトカゲのところに行き、おとなしくトカゲの前に首を下ろすと、トカゲはそれを噛み切り孔雀を殺してしまう。
(4) ある時、ランガスワミ・アイエンガール氏が丘に出かけた。
近くに一頭の豹がいた。彼は石を投げた。
豹は彼の方を向いた。
彼は命からがら逃げ出した。
シュリ・バガヴァンは途中で彼に会い、どうしたのかと尋ねた。
アイエンガール氏は走りながら「ヒョウ」とだけ言った。
シュリ・バガヴァンがその獣がいるところへ行くと、獣はすぐに立ち去った。
以上のことが起こったのは、ペストが蔓延していた頃だった。
豹はよく寺院の脇を自由に歩き回っており、時には2頭、3頭でいることもあったものだった。
(5)
シュリ・バガヴァンは言った。
「蛙はよくヨーギに例えられます。
長い間静かにしていて、首の下の皮がリズミカルに動くのが唯一の生命の兆しなのです」。
「また、カエルは、生気が停止した状態で並外れて長い間とどまることができます。
それらは舌を飲み込むと言われています。
舌を飲み込むのはヨーギの修行でもあります。
生気が停止されるのです。
ヨーギは死にませんが、生命活動を再開する前に、他の人に舌を引き抜かれなければなりません。
蛙が飲み込まれた舌を出して活動を再開するのは驚くべきことです」。
1937年1月11日
(6) ラグーヴィーラン ── マラヤーラム語のやさしい散文で書かれた『ラーマーヤナ』 ── を読んでいると、ハヌマーンが身体的にランカに渡る前に、精神的にどのようにその島に到達したかに関する一節があった。
シュリ・バガヴァンは、精神的なアプローチは身体的な行為よりも早く目的を達成する、という点を強調した。
(7) シュリ・バガヴァンは次のような面白い逸話を話した。
マラヤーリの偉大な聖者であり著述家であるエルータチャンが、寺院に入るとき、身に魚を数匹隠し持っていた。
ある敵対者がそれを寺院の参拝者たちに報告した。
その男は調べられ、王のもとに連れて行かれた。
王は彼に「なぜ、魚を寺院に持ち込んだのか?」と尋ねた。
彼は答えた。
「それは私の罪ではありません。
私は服の中に隠しておいたのです。
他の者たちが神殿の中で魚を曝したのです。
過失は曝した者にあります。
体内の排泄物は不潔とされませんが、排泄されると不潔とされます。
これも同じです」。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板