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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
42
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/04(土) 20:20:45 ID:X/mJjzWc0
くまめも1-5-2
経験の瞬間に、あなたは経験(怒り)から離れた経験者としての自分自身に気づいていない。あなたは経験(怒り)の状態にある。
しかしあなたがそれから出てきた瞬間、経験の後のほんの一瞬、経験者と経験、行動者と行動-目的すなわち怒りを取り除いたり抑圧することを視野に持った者がある。
行動は観念によりもたらされるのか、行動が初めに来て、それから行動が葛藤を造り出すから、そのまわりに観念を築くのか。
観念が初めに来るなら、そのとき行動はたんに観念に順応するだけ。ゆえにそれはもはや行動ではなくて、観念に応じた模倣、強制。これを悟ることはとても重要。なぜなら、社会はほとんど知的なまたは言葉の水準の上に構築されているので、観念が初めに来て行動は付いてくるから。行動はそのとき観念の小間使い。たんなる観念の構築は、行動にとって有害。観念はさらなる観念を産み育てるし、敵対がある。
観念ははたして行動を生み出すか。それとも観念はたんに思考を型どり、ゆえに行動を制限するだけか。行動が観念により強制されるとき、行動は決して人を解放できない。観念が行動を形作るなら、そのとき行動は決して私たちの悲惨への解決をもたらせない。なぜなら、観念が行動に移される前に、私たちはそれがどのように生じるのかを、初めに発見しなければならないから。観念作用の、観念の築き上げの究明が最も重要。
観念を議論せずに、たんにどのように行動すべきかを見出すことは意味がない。
(´・(ェ)・`)
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