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鬼和尚の仏教購読会 別館
477
:
避難民のマジレスさん
:2019/04/18(木) 23:22:48 ID:LC3de7YgO
>>474
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十二話 六月に白い雪が舞う(つづき)
より抜粋
この詩句は神秘に満ちている。
それが意味するのは、深遠なるタオにおいて 最も重要なのは「無為の為」とい
う詩句である、ということだ。
わが家に帰り着いてはじめて「無為の為」
という言葉の究極の意味がわかるよ
うになる。
だが、あなたはまさにその始めから、その方角に向かって進んでゆかなければ
ならない。
そうしてはじめて、いつの日か究極なるものが起こる。
無為の為とは何だろう?
活発に動きまわるのはとても簡単だし、
何もしないでいるのもとても簡単だ。
夜も昼も活動的で、絶えず動きまわり、落ち着きのない人々がいる。
西洋ではそれが起こっている。
人々は過剰なほど活動的になってしまっている。
彼らはほんの一瞬も落ち着いて坐ることができない。
坐り心地のいい、すてきな椅子に坐っているときでさえ、そわそわしながら姿
勢を変えてばかりいる。
彼らは落ち着くことができない。
人生そのものが騒々しい。
彼らはいつも忙しくしているための何かを必要としている。
彼らは忙しく動きまわり、自分自身を狂気に駆り立ててゆく。
東洋の人々はひじょうに消極的で、怠惰になってしまった。
彼らは怠惰のあまり死に瀕している。
彼らは怠惰のせいで貧しい。
彼らは自分たちが貧しいのは世の中のせい、他人のせいだと言わんばかりに、
世界全体を非難しつつ゛けている。
彼らが貧しいのは、彼らが怠け者、完璧な怠け者だからだ。
彼らが貧しいのは、行為が完全に消え失せてしまったからだ
――その彼らがどうして生産的になれるだろう?
どうして豊かになれるだろう?
彼らは搾取されてきたから貧しいのではない。
インドの裕福な人々の有り金をすべて分配したとしても、貧困はなくならない
だろう。
裕福な人々がみな貧乏になることは確かだが、貧乏人が金持ちになることはな
い。
貧困はずっと奥深いところに、無為ゆえにある。
そして一方の極を選ぶのはとても簡単だ。
為すことは男性的であり、無為は女性的だ。
呂祖は「人は無為の為を学ばなければならない」と言う。
人はこの複雑なゲームを学ばなければならない。
人は行為しなければならないが、やり手になってはいけない。
人はあたかも神の道具として働いているかのように行為しなければならない。
人は行為しながら、しかも無我の状態にとどまらなければならない。
行動し、対応しながら、しかも落ち着きを失ってはいけない。
行為を為し終え、適切な対応をすませたら、休息を取ればいい。
働かなければならないときには働き、遊ぶときには遊べばいい。
働き、遊んだら、休息を取り、浜辺で寝ころべばいい。
浜辺で太陽の光を浴びながら寝そべっているときには、
仕事のことは考えないこと――
会社のことを考えてはいけないし、
書類のことを思い浮かべてはいけない。
世間のことはすっかり忘れてしまいなさい。
太陽の光を浴びて、そのなかに身を横たえなさい。
それを楽しむのだ。
これはあなたが無為の為を身につけてはじめて可能になる。
そして会社では何であれやらなければいけないことをやりなさい。
工場でやらなければならないことをすべてやりつつも、
行為しているときでさえ、目撃者でありつつ゛けること。
奥深くでは、ゆったりとくつろいで、完全に
中心が定まり、周辺は車輪のように動いているが、
中心は台風の目のようになっている。
中心では何も動いていない。
これが完全な人間だ。
彼の魂はくつろいでいる。
彼の中心は完全に穏やかだ。
彼の周辺は活動し、世間の千とひとつのことを行なっている。
これが私のサニヤシンの概念だ。
だから私は
「世間を捨ててはいけない、世間にとどまりなさい」と言う。
世間のなかで行為し、やらねばならないことはすべてやりながら、しかも泰然
とし、超然とし、触れられずに、池のなかの蓮のようでありなさい。
無 為 は人が形象(物質性)に巻き込まれるのを防いでくれる。。
みずからの内奥の中核が無為のなかにあることを思い出せば、あなたはだまさ
れることはないし、形やイメージに巻き込まれることはない。
それは物質的なものだ。
あなたは世俗的にはならない。
無 為 に し て 為 す ことで、 人は鈍くうつろな状態や生気のない虚無に沈
み込む ことから逃れることができる。
そしてもうひとつの危険は、ある種の鈍さ、生気のなさ、鈍感さ、否定的な
空虚さ、虚無に退行することがあるということだ。
これもまた避けなければならない。
無為の為がこれを防いでくれる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
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