[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
鬼和尚の仏教購読会 別館
356
:
避難民のマジレスさん
:2019/03/03(日) 10:28:25 ID:LC3de7YgO
>>355
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第八話 昏沈こんちんと散乱の克服(つづき)
より抜粋
タオは「呼吸はそのままにせよ」と言う。
聴くことに微かに光を当てるだけでいい―ちょうどあなたがたが私に耳を澄ま
しているように。
私の言葉はあなたの耳に向かっている。
言葉に飛びつく必要はない。
言葉を引っぱりこむ必要はない―そんなことはしなくていい。
あなたはただ注意深くして、静かに耳をそばだて、開いていればいい。
この句には秘められた意味がある。
光を当てるとはどういうことか?
それは目の光がもつ自然に照らしだす働きのことだ。
目は内側を見るだけで、外界を見るわけではない。
外を見ることなく明るさを感じていることが内側を見るということであり……
一種の手放し状態にあるときにはいつも、あなたの内側には大いなる光が感じ
られる。
手放し状態にあれば、それはひとりでに起こる。
<存在>に明け渡しているなら、内側にまばゆい光が感じられる―大いなる光ラ
イトが内側にあり、大いなる喜びデライトが外側にある。
それは自然に起こる。
そして内側にその明るさを感じていることが内側を見るということだ。
外を見ることなく明るさを感じていることが内側を見る ということであり、内
側を実際に見るということではない。
聴くとはどういうことか?
それは耳の光がもつ自然に聴く働きのことだ。
耳は内側を聴くだけで、外界の音を聴くわけではない。
外界の音を聴くことなく明るさを感じていることが 内側を聴くということであ
り……目の裏に、耳の内側に、あなた自身の内奥の源に光を感じはじめたら、
あなたは安定し、中心が決まり、こころハートは静かになっている。
そうなったら、あなたは世間にいながら世間を超えている。
これが超越だ。
内側の音を実際に聴くということではない。
したがってこの場合、聴くというのは無音の状態を聴くだけ であり、見るとい
うのはそこに何の形もないのを見るだけである。
内側には何の形も見えず、何の音も聞こえない。
見えるのは穏やかな光―音なき音、形なき光だけだ。
それゆえに神は"音なき音""形なき形"と定義される。
目が外界を見ず、耳が外界の音を聞かなければ、 それらはおのずと閉じて内界
に沈んでゆきがちである。
内側を見、内側に耳を傾けるときにのみ、 感覚器官は外に向かうこともなく、
内に沈み込むこともない。
このようにして昏沈と無気力な状態を取り除くことができる。
これが、太陽と月がその精と光を結合させることである。
内側に耳を傾け、内側に目を向けているなら―それは内側に形のない光、音の
ない音、沈黙の音楽を感じているということだが―そこで内なる男性と内なる
女性が出会っている。
これが結合、完全なオーガズム、神秘の合一ユニオ・ミスティカだ。
昏沈に襲われて眠気をもよおしたら、立ちあがって 歩きまわるがいい。
頭がすっきりしてきたら、坐りなおす。
やがて修行の成果が現れてきて、昏沈や眠りに陥ることはなくなるだろう。
この経文は実地に行なってみなければならない。
労することなく、これらの経文の奥義に入りこむ努力をしなければならない。
力むことなく、明け渡し、手放し状態になることを学びなさい。
(´・(ェ)・`)
(おわり)
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板