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鬼和尚の仏教購読会 別館
355
:
避難民のマジレスさん
:2019/03/02(土) 23:10:31 ID:LC3de7YgO
>>352
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第八話 昏沈こんちんと散乱の克服(つづき)
より抜粋
呼吸は二つのエネルギーの乗り物だ。
ひとつは目に見える空気、 酸素を含んだ触知できる空気だ。
そして酸素にまつわるようにして、 あなたをもっともっと深く躍動させ、生命
とともに燃えあがらせる 生命力エラン・ヴィタール、プラーナがある。
だから、睡魔に襲われるたびに、ただ呼吸を見守るだけで、 眠気は消えてゆく
。
そして呼吸とともにより多くの生命が あなたのなかに流れ込むことで、昏沈も
消えてゆく。
それゆえに、坐るときにはつねにこころハートを静かに保ち、 気エネルギーを
集中させなければならない。
こころを静めるにはどうすればよいか?
呼吸によってである。
ここでも 呼 吸 に よ っ て だ。
呼吸は最もすぐれたテクニックのひとつとして用いられてきた。
息の出入りをこころが意識していればいいのであり……息が入っては出てゆく
のを見守っていればいい。
そうして注意深く見守ることで、あなたの眠りは消えてゆく。
昏沈は消えてゆく。
そしてあなたは中心感覚を得る。
呼吸は二か所で観察することができる。
空気が身体に最初に入ってくるときに触れる鼻先か、あるいは息が入ってきて
腹を上下に動かす最後のセンター、臍へそのセンターだ。
これが見守ることができる二つのセンターだ。
つい先日、こう尋ねた者がいる。「和尚、鼻の先を見守るのはいいのですが、
ユダヤ人のようなかぎ鼻の場合はどうなのでしょう?」
実のところ、鼻があるのはユダヤ人だけだ。
他の者たちは鼻があると思い込んでいるだけだ。
かぎ鼻ならば、空気が入ってくる鼻先を見守りなさい。
かぎ鼻はこの手の瞑想にはすばらしい助けとなる。
かぎ鼻であることを喜びなさい。
ここにいる人々の少なくとも半分はかぎ鼻だ。
ここにいる人々の半数はユダヤ人だからだ。
質問を読んでいて、私は本当に驚いた。
といいうのも、呂祖師や彼がこの技法を授けた中国の人々のことがとても心配
になってきたからだ。
彼らにはまったく鼻というものがない!
彼らにとって鼻先を見守ることはさぞかし困難だったことだろう。
先端などあるのだろうか?
息の出入りをこころが意識していればいいのであり、 耳に聞こえてはならない
。
耳に聞こえなければ、 息は軽く、軽ければ、純粋である。
耳に聞こえるようなら、気息は荒く、荒ければ、濁っている。
濁っていれば、昏沈と無気力な状態が生じ、眠気に誘われる。
これは自明の理である。
呼吸するとき、こころハートをいかに正しく使うかを理解しなければならない。
それはこころを用いない用い方である。
努力なき努力。修行なき修行。道なき道、門なき門―タオや禅はこのような表
現をする。
あなたは力まず、緊張をせずにものごとを為さねばならない。
そこで師は言う―それはこころを用いない用い方である。
聴くことに微かすかに光を当てるだけでいい。
あなたは手放し状態にならなければいけない。
これがヨーガとタオの違いだ。
ヨーガは意志の道であり、タオは明け渡しの道だ。
ヨーガは言う。「息をこうして吸いなさい。息をこれくらい深く吸ってしばら
く止め、それから深く吐き出してしばらく止める―意志の力である一定のパタ
ーンをつくりだしなさい」
タオは「呼吸はそのままにせよ」と言う。
聴くことに微かに光を当てるだけでいい―ちょうどあなたがたが私に耳を澄ま
しているように。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
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