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鬼和尚の仏教購読会 別館

285避難民のマジレスさん:2019/02/04(月) 07:33:06 ID:LC3de7YgO
>>284
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第六話 風景の焦点ゲシュタルトを変える(つづき)
 より抜粋

あなたは意識的な生を生きていない。
あなたの九十九パーセントはプログラムされている
― 他人にプログラムされているにせよ、社会にプログラムされているにせよ
、あなた自身の手でプログラムしているにせよ、プログラムされていることに変わりはない。
だから、はじめて坐って鼻の頭を見つめているときに、思考がこのように言う
ほど、ことは容易ではない。
「こいつのそばには近寄らないほうがいい。このかわいそうなやつを見てみろ
―瞑想なんかにすっかりはまり込んでいる!鼻の頭を見つめていやがる……今こ
いつのところへゆくのはやめておこう」
思考はあなたのことなどおかまいなしに、どんどん走りまわるだろう。
鼻の頭を見たぐらいで止まりはしない。
むしろ逆に、この男が思考の支配から逃れようとしているのを見物しようと、
それまで以上にもっとしつこくやって来るだろう。
静かに坐って瞑想をしていると、ふだんよりも、いつもよりももっと多くの思
考がやってきて、ほとんど爆発しそうな勢いになる。
何百万もの思考が押し寄せてくる。
思考はあなたにかなりの投資をしてきたのに、あなたはその支配から抜け出そ
うとしているからだ。
かれらはあなたをこっぴどい目に合わせようとする。
だから、思考が必ずやって来る。
これらの思考をどうしたらいいだろう?
ただそこにぽつんと坐っているわけにはゆかない。
あなたは何かをしなければならない。
闘っても役には立たない。
闘いはじめたら、鼻の頭を見たり、第三の目を意識したり、光を巡らせること
を忘れてしまうからだ。
あなたはすべてを忘れ、思考のジャングルに迷い込んでしまう。
思考を追いかけはじめたら、道に迷ってしまう。
思考の後を追えば、道に迷ってしまい、思考と闘っても、道に迷ってしまう。
では、どうすればいいのだろう? これがその秘法だ。
仏陀も同じ秘法を使っていた。
実際、秘法というのはほとんど同じものだ。
人間が ― 鍵穴が同じだからだ。
だとすれば 鍵も同じにならざるをえない。
これがその秘法だ。
仏陀はそれを「サマサティ」
― 正しい想起 ― と呼んでいた。
ただ想起すること
― 思考がやって来ても、敵意を抱かず、正当化をせず、非難をせずに、その
ありのままの姿を観る。
科学者が客観的になるように、ただ客観的になる。
それがどこにあるか、どこからやって来たか、どこへ去ってゆくかを観る。
それがやって来るのを観、とどまるのを観、去ってゆくのを 観る。
思考はひじょうに動きやすく、長くとどまってはいない。
あなたは 思考が湧き起こり、思考がそこにとどまり、思考が去ってゆくのをた
だ観守っていればいい。
闘ったりしないこと。
ただ静かに観察していればいい。
するとあなたは驚くだろう
― 観察がしっかりしたものになればなるほど、やって来る思考は減ってゆく。
観察が完璧になると、思考は消え失せてしまう。
後にはすきまが、間合いだけが残る。
だが、もうひとつのポイントを覚えておきなさい。
こころが再び策を弄しかねないからだ。
(p220)
内省をどこまで押し進めても何も得られない。
だが、内省をどこまでも押し進めようとしないこと。
フロイト派の精神分析はまさにそれを行なっている。
思考を自由に連想させてゆく。
ひとつの思考がやって来たら、次の思考が湧いてくるのを待つ。
それがどんどん鎖のようにつつ゛いてゆく……精神分析の諸派がやっているの
はまさにそれだ―あなたは過去にもどってゆき始める。
ひとつの思考が別の思考を呼び覚まし、それが延々と果てしなくつつ゛いてゆ
く。
それにはきりがない。
それに入り込んでしまったら、あなたはまったく何の益にもならない永遠の旅
に出ることになる。
心はそれをやりかねないから、気をつけなければならない。

内省をどこまで押し進めても何も得られない。
この想念がどこから生まれてきたかを見ることでよしとし、その先を究めよう
としてはならない。
こころを探し求めても、とらえることはできない (意識によって意識の背後に
達することはできない)からだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)


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