したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

鬼和尚の仏教購読会 別館

228避難民のマジレスさん:2019/01/13(日) 22:18:33 ID:LC3de7YgO
>>225
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第五話 解放の機縁(つづき)
 より抜粋

宗教的な探索クエストは、ありうるなかで 最も深遠な探索だ。
この探索に関して理解 しておかなければならないことが二、三ある。
まず第一に、宗教は地を這うものであっては ならない―それは踊るものでなけ
ればならない 、踊りを忘れたら宗教は死んでしまう。
世間に欠けているのはまさにそれだ― 踊りを忘れたがゆえに、宗教は死んでい
る。
宗教は身を伏せて地を這いまわっており、 飛び方を忘れてしまっている。
宗教は教義ドグマと化してしまった。
教義は死であり、屍しかばねだ。
流れ、躍動し、飛び続けるためには、宗教は体験 として―理論としてではなく
、神学としてではなく― 瞑想として存在しなければならない。
神についての哲学ではなく、 個的な神の体験として存在しなければならない

そして、よくわきまえておきなさい― 神 に つ い て 知ることは 神 を 知る
ことではない。
神にまつわる知識をいくら蓄え続けても、けっして 神を知ることはない。
間接的に知ることは、 その中核そのものを貫かずに堂々巡りを続けることだ。
宗教は地を這うものであってはならないのに、そうなってしまっている。
キリスト教、ヒンドゥー教、イスラム教― それらはみな地を這いまわっている。
それらはみな護教的な立場をとっている。
それらはみな世界に科学が発達することを恐れている。
彼らは科学と闘ってきた。
彼らは科学の発達を妨げるためにできることはすべて試みてきたが、失敗した。
今や彼らは科学の裏付けを得ようと必死になり、やれることなら何でもやろう
としている。
だが、彼ら は自分たちが二義的なものになってしまったことを熟知している。
彼らは科学の裏付けなくしては存在しえない。
彼らは科学的な論証を支えとせずには存在しえない。
これは卑屈な振る舞いだ。
宗教はもはやみずからの基盤の上にみずからの足で立ってはいない。
それは科学 の裏付けを必要としている。
それは借り物の存在、借り物の生命として生き長らえている。
その時代は終わった。
なぜこのような事態が起こったのだろう?
宗教がひとたび教義ドグマと化し、もはや体験で なくなってしまうと、それは
ひとりでに死に絶える。
そして死体は自分の足で立てず、支えを必要とする。
教会や寺院はすべて支えを借り、みずからの足で立っていない。
仏陀のような人がいるとき、 彼はみずからの足で立っている。
キリストのような人がいるとき、 彼はみずからの足で立っている。
そのときには宗教は踊り、歌を歌っている。
そのときには宗教は息つ゛き、花を咲かせ、 千とひとつの花が開き、かぐわし
い香りが解き放たれる。
私はここで宗教を再び踊らせようとしている。
いかなる裏付けをも求める必要はない。
なぜなら、 宗教そのものがこのうえもなく真正な体験だからだ。
裏付けを求めて科学に目をやるのは宗教ではない!
宗教が踊りだし、息吹に満ちるようになれば、 科学がその裏付けを必要とする
ようになるだろう。
なぜなら、科学そのものが基盤を失いつつあるからだ。
科学は日毎にますます醜悪なものになりつつある。
科学は日毎にますます生を否定するものになりつつある。
科学は日毎にますます政治的なものになりつつある。
科学が発見したものはすべて政治家たちの手に落ちている。
科学が発見したものはすべて死に奉仕し、もはや生に 奉仕するものではない。
科学者の努力の九十パーセントは戦争に捧げられている。
科学は面子メンツを失いつつある。
宗教が踊りはじめないかぎり、 もはや科学にすら未来は残されていない。
科学はみずからを支えるために宗教から放たれるエネルギーを必要としている。
宗教が息吹を取りもどすことができれば、科学は宗教の一部、 影になり、そこ
ではじめて政治家とその狂気から自由になる ことができる。
さもなければ、それは不可能だろう。
人間は地球上の生命を絶滅させてしまう地点に どんどん近つ゛きつつある。
人間を救い、人類を救う ことができるのは、宗教的なエネルギーの解放だけだ。
(p161)
(´・(ェ)・`)
(つづく)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板