したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

鬼和尚の仏教購読会 別館

225避難民のマジレスさん:2019/01/13(日) 09:42:48 ID:LC3de7YgO
>>224
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第五話 解放の機縁
 より抜粋

政治家はひたすら世界を手に入れ、それをわがものにしたがる。
政治家ほど危険なものはない。
なぜなら、彼は最も暴力的だからだ。
政治家が生に示す関心は、生そのものに向けられているのではなく、みずから
が握る権力に向けられている。
彼は権力に飢え、権力に狂っている。
彼は狂人であり、破壊的だ。
生きているものを所有したとたん、あなたはそれを殺してしまう。
なぜなら、何かが財産になったとたん、それは生命を失ってしまうからだ。
樹を所有すれば、その樹はもはや生きてはいない。
女や男を所有すれば、あなたは相手を殺してしまっている。
何かを所有すれば、その結果は死でしかない。
というのも、所有できるのは死だけだからだ。
生は自由だ。
生は基本的に自由であり続ける。
生を所有することはできない。
生を銀行に預けることはできない。
生を線で囲い込むことはできない。
「これは私のものだ」などとは言えない。
そんなことを言うのは敬意を欠いている。
そんなことを言うのは自己中心的だ。
そんなことを言うのは狂っている。
生こそが私たちを所有している。
どうして私たちが生を所有しえるだろう?
私たちはもっともっと生の手中に落ちていかなければならない。
構図ゲシュタルトがそっくり変わらなければならない。
所有欲を抱くことから、人は全体に身をゆだねられるようにならなければいけ
ない。
(p158)
政治家が生の真実を知るということはけっしてない。
宗教的な人は参加する。
彼は生とともに踊る。
彼は<存在>とともに歌う。
彼は生に手を貸す。
彼は<存在>に明け渡しており、身を引いていないし、超然としてはいない。
彼は実際にはどんな質問もしない。
彼は知識を追い求めていない。
彼の努力はすべて、<存在>といかにひとつになりきるかに向けられている。
それゆえに東洋には究極の体験を表すのに 「サマーディsamadhi」という言葉が
ある。
それは二つの言葉からきている。まず sam ― sam は一緒になることを意味す
る。
同じ sam という語根 が英語にも入って、sympathy(共感)symphony(交響曲)
という言葉のなかに見られる。少し変化して synthesis(統合)synchronicity
(共時性) という言葉のなかにもある。
sam は一緒になることを意味する。
adhi は主、神を意味する。
「サマーディ」とは 神との合一、神とひとつになることを意味する。
そして宗教を表す英語の religion という言葉の 意味はまさにそれだ。
それは<存在>とひとつに なること、分断されることなく、分離したままでい
ずに ひとつになることを意味している。この合一状態のなか ではじめて、人は
知り、気つ゛き、体験し、在るようになる。
宗教は大いなる実験でもある―実のところ、最大 の実験だ―が、違いがある。
科学は客観的な事物を 対象に実験するが、宗教は主体そのものに働きかける。
宗教の関心は「私は誰か?」ということにつきる。
人は最初からはじめなければならない。
自分自身を知らないかぎり、私は他の ことを何ひとつ知ることができない。
奥深くで無知のままであったなら、 私の知識はすべてがらくたにすぎない。
それは無知に基つ゛いている。
それは無知に根ざしている。
まず私の内側に光が生まれなければならない。
そうなれば、その光は広がってゆくことができる。
そうすれば、その光は<存在>のまさに果てまで到達することができる―<存在>
に果てがあるとしたらの話だが。
だが、まずそれは私の内側で生まれなければならない。
最初の炎は私の主体から発しなければならない。
私の中心が光で満たされて、そこではじめて空疎な知識にすぎなかったことが
すべて真に体験される。
自分自身を知らず、知 る 者 がそこにいないのに、どうして他のものを知るこ
とができるだろう?
あなた自身が深い闇のなかにいるなら、あなたが外につくりだした光はすべて
まやかしであり、幻想だ。
(p159)
(´・(ェ)・`)
(つづく)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板