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鬼和尚の仏教購読会 別館
217
:
避難民のマジレスさん
:2019/01/09(水) 23:51:57 ID:LC3de7YgO
>>215
15黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第四話 光を輪のように巡らせる3
より抜粋
最初はそれは空想の産物のように感じられるだろう。
鏡を見ながら、あなたは「鏡に映った自分がこちらを見ているなんて、これは
すべて空想だ」と感じるだろう。
最初は紛れもない空想だが、間もなくそれは空想でなかったことに気付くだろ
う。
あなたは現実の扉の錠を開けようとしていただけだ。
それは現実に起こりはじめる。
最初のうちは大いなる愛を込めて樹に触れても―あなたは樹が応えてくれるは
ずがないと思っている―樹が少しでも応えてくれるのを感じても、あなたは空
想だと思うだろう。
そうではない。樹は応えている。
だが、本当にそうだと気付くには少々時間がかかるだろう。
あなたが愛にあふれていれば、樹は愛をもって応えてくれる―愛にはいつも愛
が返ってくる。
愛に愛が返ってこなければ、その愛は愛ではなかったのだと知りなさい。
それが真相だ。
別の何かが愛の仮面をかぶっていたということだ。
(p146)
そうしてはじめてそれは精神の火となる。
百日間にわたる懸命な努力ののちに、それは精神の火となる。
さらに百日行ずれば、光の中に真の光の極がおのずと現れてきて……はじめは
光は散漫だ。
わずかにそこにあるのが感じられるだけだ。
そこにあるかと思えば、またなくなってしまう。
それはひじょうに微かで、とても壊れやすい。
だが、徐々に光の中心がしっかり定まってくる。
それは「光の極」になる。
突如、真珠の種が生まれる。
そうなったら、「光の極」のそのまさに中心に、「真珠の種」が生まれる。
それはあたかも男女が交わって受胎が行なわれるようなものである。
まさにその通りのことが起こる。
内なる男と内なる女が抱擁し合っている。
それは一種の内なる性交だ。
それが真のタントラだ。
あなたの女性的な部分と男性的な部分が互いに愛を交わし、ひとつに結ばれて
いる。
そうなったら、彼らは別れる必要がない。
外側の女性と結ばれたままではいられない。
さもなければひどく醜いことになる。
外側の女性と結ばれたままではいられない。
さもなければ嫌悪をもよおすことになる。
外側の男性と結ばれたままではいられない。
それは つかのまのものでしかありえない―ほんの一瞬だけ、 あなたがたは合一
状態をかいま見ることができる。
だが、内なる結合は解く必要がない。
仏陀のような人は絶えることのない オルガズムの状態を生きている。
内なる女性と内なる男性が愛を交わし続けている。
ヒンドゥー教の寺院でシバリンガを見たことがあるに違いない。
あれは象徴シンボルだ。あのリンガの下には ヨーニ、女性の性器がある。
それは内なる男と女の出会いの 象徴だ。
フロイト派の学者が解釈するような、たんなる男根では ない。
それは象徴的なものであり、人の内なる極性を表している。
ひとたびこの出会いが起これば、あなたは新しく生まれ変わる 。
イエスがニコデモに「もう一度生まれ変わらないかぎり……」 と言うとき、彼
が伝えようとしているのはこのことだ。
私はキリスト教徒がなんと言うか知らないし、そんなことは 気にもかけないが
、彼が言おうとしているのはこのことだ。
「もう一度生まれ変わらないかぎり……」 これが彼の言おうとしている誕生だ。
そしてこれが ヒンドゥー教徒が「ドウィジャ」―二度生まれ― と呼んでいるも
のだ。
あなたは自分自身を誕生させた。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
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