したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4

1避難民のマジレスさん:2018/07/07(土) 12:47:05 ID:GOHu/WSs0
前スレ:鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 3
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619

514鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/08(火) 22:57:21 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、偽りのものを全て否定して真実が現われるのじゃ。
 自分の名前とイメージの全てを否定した後にそれはあるのじゃ。
 それだけがあると言えるものなのじゃ。
 否定する主体すらも無いから否定も出来ないものなのじゃ。

515避難民のマジレスさん:2019/01/09(水) 02:16:48 ID:LC3de7YgO
>>514
> 否定する主体すらも無いから否定も出来ないもの

うむ。
ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

516避難民のマジレスさん:2019/01/09(水) 02:34:54 ID:LC3de7YgO
>>512
『I AM THAT 私は在る』
【66 幸福へのすべての探求が不幸だ】(つづき)

 質問者 最低限必要なものがあります。
 マハラジ
 あなたがそれを思ったことで、それは供給されはしなかっただろうか?
 利己主義への囚われを捨て去りなさい。
 そして行為における知性と愛である、ありのままのあなたでありなさい。
 質問者 しかし、人は生き残らなければならないのです!
 マハラジ
 生き残ることはどうすることもできないのだ!
 真のあなたは時間を超え、誕生と死をも超えている。
 そして、身体はそれが必要とされるまで生存するだろう。
 長く生き残ることが重要なのではない。
 充実した人生の方が、長い人生より良いのだ。
 質問者 何が充実した人生かを、誰が言えるのでしょうか? それは私の文
     化的な背景によるものです。
 マハラジ
 もしあなたが実在を探求しているのなら、すべての文化的な考えや感じ方の
 パターンといった背景から、あなた自身を自由にしなければならない。
 男や女であるといった観念さえ、人間であるという観念でさえ放棄されるべ
 きなのだ。
 生命の大海は人類だけでなく、すべてを包含している。
 まず、すべての自己同一化を放棄し、あなた自身をあれやこれとして考える
 のをやめなさい。
 あらゆる利己主義を放棄しなさい。
 物質的であれ、霊的であれ、あなたの幸福について心配するのをやめなさい。
 粗雑なものであれ、微妙なものであれ、すべての欲望を放棄しなさい。
 いかなる類(たぐい)の達成についても考えることをやめなさい。
 あなたは今ここで、完璧なのだ。
 あなたは絶対的に何も必要ないのだ。
 それは何も、あなたが無能で無謀な、軽率で無関心な人になるべきだという
 ことではない。
 ただ自分自身に関する根本的な不安が去るべきなのだ。
 あなたにはいくらかの食事と衣服、そして住居が必要だ。
 しかし、欲望を必要と見なさないかぎり、それが問題をつくり出すことはな
 いだろう。
 想像ではなく、あるがままのものごとと調和のうちに生きなさい。
 質問者 もし、私が人間でなければ、何だというのでしょうか?
 マハラジ
 あなたに、あなたが人間だと考えさせるものは人間ではない。
 それは意識内の無次元の点、意識している無なのだ。
 あなたがあなた自身に関して言えることは、「私は在る」だけだ。
 あなたは純粋な存在―意識―至福だ。
 それを実現することが、すべての探求の終焉(しゅうえん)なのだ。
 あなたがあなた自身だと思いこんでいることすべてが単なる幻影であり、そ
 して一時的なものを一時的なものとして、想像上のものを想像上のものとし
 て、非現実のものを非現実のものとして、純粋な気づきのなかで超然と離れ
 て見るとき、あなたは探求の終焉に突き当たるのだ。
 それは難しいことではない。
 だが、無執着が必要とされる。
 真理を見ることが困難なのは、偽りにしがみつくからだ。
 ひとたび偽りには時間が必要で、時間を必要とするものは偽りだと理解すれ
 ば、あなたは今このときにあっても時間を超えている。
 実在の間近にいるのだ。
 時間のなかでの永遠とは、時計の運動のような単なる反復にすぎない。
 それは過去から未来へとかぎりなく空虚に永続していくだけだ。
 実在は現在を、単なる精神的なものにすぎない過去や未来とはまったく異な
 った、活気あふれるものにする。
 もしあなたが何かを達成するのに時間が必要ならば、それは偽物に違いない。
 真実はつねにあなたとともにある。
 あるがままのあなたになるために待つ必要はないのだ。
 ただ、マインドが探求のために外へ出ていくのを許してはならない。
 何かが欲しいときは、自分自身に尋ねなさい。
 「私はそれが本当に欲しいのだろうか?」と。
 そして答えがノーならば、ただ捨て去るがいい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

517鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/09(水) 21:25:07 ID:1d4drIFg0
>>515 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。

自分が人間であり、文化的な背景と価値観をもっているというのも幻想なのじゃ。
生き残らなければならないというのも幻想なのじゃ。
なぜならば人はいずれ必ず死ぬからのう。
人という観念を持つ者は誰も生き残れないのじゃ。
マハラジが実在と呼ぶものだけが時間という観念を超えて永遠に在り続けるものなのじゃ。

518避難民のマジレスさん:2019/01/09(水) 22:03:38 ID:LC3de7YgO
>>516
『I AM THAT 私は在る』
【66 幸福へのすべての探求が不幸だ】(つづき)

 質問者 私は幸福になるべきではないのでしょうか?
 もしあるものが必要で、しかも、もしそれが私を幸せにするなら、それを手
に入れるべきではないでしょうか?
 マハラジ
 あなたが在るということ以上に、あなたを幸せにすることのできるものはな
 い。
 幸福へのすべての探求が不幸のもととなり、より多くの不幸を導くのだ。
 価値のある唯一の幸福とは、意識的存在の自然な幸福だ。
 質問者 そのような高いレベルの気づきに達する前に、たくさんの体験が必
要なのではないでしょうか?
 マハラジ
 体験はただ記憶を後に残し、すでに充分重い重荷に加えるだけだ。
 あなたにこれ以上の体験は必要ない。
 過去のものだけで充分だ。
 そして、もしそれ以上が必要だというのなら、周囲の人びとのハートのなか
 に見入るがいい。
 何千年かけても不可能な多様な体験の数々をあなたは見いだすだろう。
 他者の悲しみから学びなさい。
 そしてあなた自身を救うがいい。
 あなたに必要なのは体験ではなく、すべての体験から自由になることだ。
 体験に貪欲(どんよく)になってはいけない。
 あなたには何も必要ないのだ。
 質問者 あなた自身、体験を通り抜けてきたのではないでしょうか?
 マハラジ
 私のまわりで、ものごとは起こる。
 しかし、私はそれらに手を貸さないのだ。
 私が感情的に巻き込まれるときだけ、出来事は体験となるのだ。
 私は改善を必要としない完全な状態のなかにいる。
 体験が私にとって何の役に立つというのだろう?
 質問者 人は知識と教育を必要とします。
 マハラジ
 ものごとを扱うには、ものごとの知識が必要だ。
 人びとに対応するには、洞察と共感が必要だ。
 自分自身に対するには、あなたには何も必要ない。
 意識的存在である、あるがままのあなたでありなさい。
 そして、あなた自身からさ迷い出てはならない。
 質問者 大学教育はもっとも有益なものです。
 マハラジ
 疑いなく、それはあなたに生活の糧(かて)を得る助けを与えてくれるだろ
 う。
 だが、それはあなたにどのように生きるかを教えはしない。
 あなたは心理学の学生だ。
 それはある特定の状況のなかでは、あなたを助けるだろう。
 しかし、あなたは心理学によって生きることができるだろうか?
 行為のなかで実在が反映されたときだけ、生命は価値あるものとなるのだ。
 死期が訪れたとき、あなたが「私は良く生きた。ふたたび生きる必要はない」
 と言えるために、どのように生きればいいのかを教える大学はないだろう。
 私たちのほとんどは、ふたたび生きたいと願いながら死んでいく。
 あまりにも多くの過ちを犯し、あまりにも多くのやり残しがあるからだ。
 ほとんどの人びとが、無為単調な生活をし、本当に生きているとは言えない。
 彼らは単に体験を集め、彼らの記憶を豊富にするだけなのだ。
 しかし、感覚的でも、観念的でもなく、身体でも、マインドでもない、しか
 もそれらを含み、そのどちらをも超えていく実在を体験は否定してしてしま
 うのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

519鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/10(木) 22:31:41 ID:1d4drIFg0
生きることは知識によっては解明できないのじゃ。
誰もが試行錯誤して生きているのじゃ。
知識だけで安楽に暮らせるならば膨大な知識がある現代の者は皆安楽なはずであるがのう。
実際は苦に迷っているのじゃ。
自らを知り、心を観たものだけが進歩していくことが出来るのじゃ。
それは学校では教えてくれないことなのじゃ。

520避難民のマジレスさん:2019/01/11(金) 00:23:52 ID:LC3de7YgO
>>518
『I AM THAT 私は在る』
【66 幸福へのすべての探求が不幸だ】(つづき)

 質問者 しかし、体験はもっとも有益なものです。体験を通して、人は炎に
 触れないことを学ぶのです。
 マハラジ
 ものごとを扱うには、知識はもっとも有益だとすでに話したはずだ。
 しかし、それはあなたに人びとや自分自身とどうつき合うか、人生をどう生
 きるかを教えはしない。
 私たちは車の運転や金銭を稼ぐ話をしているのではない。
 そのためには体験が必要だ。
 しかし、あなた自身の光となるためには、物質的知識は助けにならないだろ
 う。
 本当の意味でのあなた自身になるためには、間接的知識よりもさらに深く親
 密な何かが必要となるのだ。
 あなたの外面的生活は重要でない。
 あなたは夜警にでもなり、幸福に生きることもできる。
 内面におけるあなたが何なのか、それが重要なのだ。
 いかなる大学もあなた自身として在ることを教えはしない。
 学ぶ方法は実践しかないのだ。
 たった今、あなた自身として在りはじめなさい。
 あなたではないものを放棄し、どこまでも深く入っていきなさい。
 井戸を掘る人が地下水層に達するまで水ではないものを捨て去るように、あ
 なたもまた、自分自身ではないものを、放棄できるものが何ひとつなくなる
 まで捨て去らなければならないのだ。
 あなたはマインドがつかむことのできるものが何も残されていないのを見る
 だろう。
 あなたは人間でさえないのだ。
 あなたはただ在る。
 時間と空間と同一の広がりをもち、しかもその両方を超え、それ自体原因の
 ない、究極の原因である覚醒の一点なのだ。
 もしあなたが「あなたは誰か?」と尋ねるならば、私はこう答えるだろう。
 「私は特定な何かではない、しかし、それでも私は在るのだ」と。
 質問者 もしあなたが特定の何かではないとすれば、あなたは普遍的な何か
 であるはずです。
 マハラジ
 普遍的であることとは何だろうか?
 理念としてではなく、ひとつの生き方として。
 何であれあなたがであうものと分離せず、反対せず、理解し、愛することが
 普遍的に生きることだ。
 わたしは世界であり、世界は私だ。
 世界は私のものであり、世界は我が家だと本当に言えること。
 すべての存在は私の存在であり、すべての意識は私の意識だ。
 すべての悲しみは私の悲しみであり、すべての喜びは私の喜びだ。
 これが普遍的な人生なのだ。
 それにもかかわらず、私の真の存在は、あなたもまたそうであるように宇宙
 を超え、それゆえ特定や普遍といった範疇(はんちゅう)をも超えている。
 それは、それであるものだ。
 完全に自己充足し、独立しているのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

521鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/11(金) 22:39:55 ID:1d4drIFg0
そうじゃ、マハラジがいうように全てが私であり全てなのじゃ。
宇宙も意識も世界も何もかもすべて一つなのじゃ。
数えることも無いから無数無量なのじゃ。
ただ意識だけが在る全てが全てなのじゃ。

522避難民のマジレスさん:2019/01/12(土) 10:00:48 ID:LC3de7YgO
>>520
『I AM THAT 私は在る』
【66 幸福へのすべての探求が不幸だ】(つづき)

 質問者 私には理解しがたいことです。
 マハラジ
 これらのことを実行するには、しばらく自分自身に時間を与えなければなら
 ないだろう。
 新しい轍(わだち)をつくることなく、あなたの脳から古い轍を消し去らな
 ければならない。
 あなたはあなた自身が不動なものであること、起こることすべての沈黙の観
 照者であることを認識しなければならないのだ。
 質問者 つまり、私は活動的な人生という考えすべてを捨て去らなければな
 らないということでしょうか?
 マハラジ
 まったくそうではない。
 そこには結婚が、子どもが、そして家族を維持するために収入を稼ぐことが
 あるだろう。
 すべては出来事の自然な流れに沿って起こるだろう。
 運命はそれ自身を満たしていかなければならないからだ。
 あなたはやってくる大小含めた仕事を注意深く周到にこなし、抵抗なく通り
 抜けていくことだろう。
 だが全体的な姿勢は愛情深い冷静さ、かぎりない善意、見返りを期待せず、
 求めることなく、絶え間なく与えつづけていくことだ。
 結婚においては、あなたは夫ではなく、妻でもない。
 あなたはその二つの間の愛なのだ。
 あなたはすべてに秩序と幸福をもたらす明晰性と優しさだ。
 それはあなたにとって、つかみどころのないものに見えるかもしれない。
 しかし少し考えてみれば、神秘的なことがもっとも実際的であることを知る
 だろう。
 なぜなら、それはあなたの人生を創造的で幸福にするからだ。
 あなたの意識はより高い次元に上昇し、そこからは、すべてがより明瞭でよ
 り強烈に見える。
 誕生時に個人となり、死において存在を終えるその人はつかの間の偽物だと
 あなたは悟るのだ。
 あなたは欲望と恐れに捕らえられた感覚的、感情的、知的個人ではない。
 あなたの真の存在を見いだしなさい。
 私とは何なのか?
 これがすべての探求の根本的な質問だ。
 そのなかへ深く入っていきなさい。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

523避難民のマジレスさん:2019/01/12(土) 15:21:18 ID:LC3de7YgO
>>522
『I AM THAT 私は在る』
【67 体験は実在のものではない】(つづき)

 マハラジ
 探求者とは彼自身を探している人だ。
 じきに彼は、身体が彼ではありえないと発見する。
 ひとたび「私は身体ではない」という確信がしっかりと確立されれば、もは
 や彼は身体に代わって感じ、考え、行動することはできなくなる。
 彼は普遍的な存在、知識、行為なのだということを容易に発見するだろう。
 彼のなかで、彼を通して宇宙全体が真実で、意識的で、活動的になるのだ。
 これが問題の核心だ。
 あなたは身体意識として環境の奴隷となるか、あるいはあなたは普遍的意識
 そのものであり、あらゆる出来事を完全に制御するかだ。
 しかし、それでも意識、個人、普遍なるものは私の真の居場所ではないのだ。
 私はその中にはなく、それは私のものではない。
 その中に「私」はない。
 どのようにして人が意識でもなく、無意識でもなく、ただ彼方に在ることが
 できるのかを説明することは容易でないが、私は彼方にあるのだ。
 私は神の中にいる、あるいは私は神だ、とは言えない。
 神は普遍的な光と愛、普遍的な観照者だ。
 私は普遍的なものさえ超えているのだ。
 質問者 それでは、あなたには名前も形もないということです。いったい、
 あなたはいかなる類(たぐい)の存在なのでしょうか?
 マハラジ
 私は私であるものだ。
 形がなく、形がないということでもない。
 意識ではなく、無意識でもない。
 私はこれらすべての範疇の外に在るのだ。
 質問者 あなたは「ネティ・ネティ」、これではない、これではないという
 アプローチについて語っているのでしょうか?
 マハラジ
 単なる否定によって私を見いだすことはできない。
 私はすべてであり、無なのだ。
 その両方であり、その両方でない。
 そういった定義は宇宙の支配者には当てはまるだろうが、私には当てはまら
 ないのだ。
 質問者 あなたはただの無だということを伝えたいのでしょうか?
 マハラジ
 そうではない。
 私は完全であり完璧なのだ。
 私は存在の中の存在性、知ることの中の知、幸福の充足だ。
 私を虚空に引き下げることはできない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

524鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/12(土) 21:11:42 ID:1d4drIFg0
観念がないということは無ですらないのじゃ。
無もまた観念の一つに過ぎないのであるからのう。
無である観念によって知識を増やそうとするならばそれもまた否定されるべきなのじゃ。
観念が無いことによって全ては正しく見えるようになるのじゃ。

525避難民のマジレスさん:2019/01/12(土) 22:27:45 ID:LC3de7YgO
>>523
『I AM THAT 私は在る』
【67 体験は実在のものではない】(つづき)

 質問者 もしあなたが言葉を超えているならば、私たちは何について話すと
 いうのでしょう? 形而上学的には、あなたの言われることは筋が
 通っていて、内面的な矛盾はありません。しかし、あなたの言われ
 ることは、私の糧(かて)になっていないのです。それは完全に私
 の緊急の必要性を超えています。私がパンを求めているときに、あ
 なたは宝石を与えているのです。それらが美しいことは、疑うまで
 もありません。しかし、私は空腹なのです。
 マハラジ
 そうではないのだ。
 私はあなたがまさに必要としているものを差しだしている――気づきだ。
 あなたは空腹ではなく、パンも必要ない。
 あなたに必要なのは停止、放棄、開放だ。
 あなたが必要だと信じているものは、あなたに必要なものではないのだ。
 あなたが本当に必要としているものを知っているのは私だ。
 あなたではない。
 あなたは私がいる状態に戻らなければならない――あなたの自然な状態に。
 ほかの何であれ、あなたの考えるものは幻想であり、障害だ。
 私を信じてほしい。
 あるがままのあなたとして在ること、それ以外は何も必要ないのだ。
 あなたは獲得することによって、あなたの価値が増加すると想像している。
 それは金が銅を加えることで、それを改善するだろうと想像しているような
 ものだ。
 あなたの本質にとって異質なすべてのものを除去し、浄化し、放棄すること
 で充分だ。
 それ以外のすべては無駄なのだ。
 質問者 言うは易く行うは難し、です。苦痛を抱えた人があなたのもとへや
 ってきたとします。そして、あなたは彼に胃の中のものを吐き出す
 ように勧めるのです。もちろん、マインドがなければ何の問題もあ
 りません。しかし、もっとも明白に、マインドはそこにあるのです。
 マハラジ
 マインドがそこにある、とあなたに言うのはマインドなのだ。
 騙されてはいけない。
 マインドについての果てしない議論はみな、マインドそのものによってそれ
 自身を保護し、継続し、拡張するために生みだされたのだ。
 それを超えた彼方へとあなたを連れていくことができるのは、マインドの回
 旋や動乱を完全に拒絶することだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

526避難民のマジレスさん:2019/01/13(日) 08:58:32 ID:LC3de7YgO
>>525
> マインドがそこにある、とあなたに言うのはマインドなのだ。
 騙されてはいけない。
 マインドについての果てしない議論はみな、マインドそのものによってそれ
 自身を保護し、継続し、拡張するために生みだされたのだ。
 それを超えた彼方へとあなたを連れていくことができるのは、マインドの回
 旋や動乱を完全に拒絶することだ。


うぅむ。
拒絶。
何があっても、大丈夫、あるいは仕方がない、と平常心で受け止める覚悟があればよいのでありますね。
悟ってなくても、そのように振る舞えるようになればよいのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

527避難民のマジレスさん:2019/01/13(日) 09:16:02 ID:LC3de7YgO
>>525
『I AM THAT 私は在る』
【67 体験は実在のものではない】(つづき)

 マハラジ
 いかに高尚であっても、体験は実在のものではない。
 体験はその本性からして、来ては去っていくものなのだ。
 自己実現は獲得されるものではない。
 それはもっと理解の本質に近いものだ。
 ひとたびそれに到達すれば、けっして失われることはない。
 その反対に、意識は変化し、流れ、瞬間から瞬間へと変容を通り抜けていく。
 意識とその内容をとどめようとしてはならない。
 意識をとどめれば、それは止まる。
 洞察のひらめきと至福の爆発を永続させようと試みることは、それを維持し
 ようとするものにとって破壊的になる。
 来るものは去らなければならない。
 永遠なるものは、去来するすべてのものの彼方にあるのだ。
 すべての体験の根底へ、存在の感覚へと行きなさい。
 無限の実在は存在と非存在の彼方にある。
 何度も繰り返し試みることだ。
 質問者 試みるには信頼が必要です。
 マハラジ
 まず、熱望がなければならない。
 欲望が強力なとき、試みようとする意志が現れるだろう。
 欲望が強いとき、あなたは成功への確信も必要ない。
 あなたには賭をする用意があるのだ。
 質問者 強い欲望、強い信頼――最後にはどちらも同じことです。これらの
 人々は彼らの両親も、社会も、自分自身さえ信頼しません。触れる
 ものすべてがくずれてしまうのです。彼らに絶対的に真正で、疑う
 余地のない、マインドによる議論を超えたひとつの体験を与えてく
 ださい。そうすれば彼らは世界の果てまであなたにしたがうでしょう。
 マハラジ
 だが、私はほかでもない、それをしているのだ!
 休むことなく、私はひとつの論争の余地のない要因へと彼らを引き寄せてい
 る。
 存在に証明は必要ない。
 それはそれ以外のすべてを証明するのだ。
 もし彼らが存在の事実の中に深く入っていき、「私は在る」が扉となる広大
 さと栄光を見いだし、その扉を通り抜けて、さらに彼方へと進んで行くなら、
 彼らの人生は幸福と光に満ちたものとなるだろう。
 私を信じてほしい。
 到達したとき、発見されるものに比べれば、必要とされる努力など無に等し
 いのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

528避難民のマジレスさん:2019/01/13(日) 09:18:12 ID:LC3de7YgO
>>527
うむ!信じるであります。
(´・(∀)・`)つ

529鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/13(日) 20:48:55 ID:1d4drIFg0
>>526 そうじゃ、全て流してしまうのじゃ。
 囚われなくて善いのじゃ。

全てを手に入れるのであるからどれほど努力してもその甲斐はあるといえるのじゃ。
一生を費やしても悟りを得ようと精進するべきなのじゃ。
いずれは誰もが心身の全てを死によって失うのであるからのう。
有限な心身を使って無限の意識に参入するのじゃ。

530避難民のマジレスさん:2019/01/13(日) 22:02:45 ID:LC3de7YgO
>>527
『I AM THAT 私は在る』
【67 体験は実在のものではない】(つづき)

 質問者 あなたの言われるとおりです。しかし、これらの人々は自信も忍耐
 ももってはいないのです。
短期間の努力でさえ彼らを疲れさせてしまいます。
彼らが盲目のうちに手探りをし、しかも救いの手をつかむことさえできずにい
るのを見るのは心痛むことです。
彼らは根本的に本当にすてきな人たちなのですが、完全に道に迷っています。
 私は彼らに言うのです。
「真理をあなたの要求額で手に入れることはできない。条件を受け入れなけれ
ばならないのだ」と。
それに対する彼らの答えはこうです。
「何人かは条件を受け入れ、何人かは受け入れないでしょう。
受容や非受容は表面的で偶然のものです。
 実在はすべての中にあるのです。
すべての人が無条件で歩いていける道がか
ならずあるはずです」と。
 マハラジ
 あらゆるレベルで、人生のあらゆる領域において、すべてに対して開かれた
 そのような道はあるのだ。
 誰もが自分自身に気づいている。
 自己覚醒を深め、広めていくことは王道なのだ。
 それを留意、観照、あるいはただ注意と呼んでもいい。
 それはすべての人たちのためにある。
 誰もそれにとって未熟ではない。
 そして誰にも失敗はありえない。
 しかし、もちろんただ注意するだけではない。
 あなたの留意はマインドをも含まなければならないのだ。
 観照とは、根本的に意識とその動きへの気づきなのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

531避難民のマジレスさん:2019/01/14(月) 00:58:29 ID:LC3de7YgO
>>530
> 誰もが自分自身に気づいている。
 自己覚醒を深め、広めていくことは王道なのだ。
 それを留意、観照、あるいはただ注意と呼んでもいい。
 それはすべての人たちのためにある。
 誰もそれにとって未熟ではない。
 そして誰にも失敗はありえない。
 しかし、もちろんただ注意するだけではない。
 あなたの留意はマインドをも含まなければならないのだ。
 観照とは、根本的に意識とその動きへの気づきなのだ。

注意深く、意識的にあろうとせよと言うことでありますね。
老いぼれても、つまずいて転んだりしないように注意せよと言うことであり、
老いぼれても、何でも知ってると思わず、注意深く本心を見守れと言うことでありますね。
(´・(∀)・`)つ

532鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/14(月) 22:22:28 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、始めて観るが如く注意深くみるのじゃ。
 同じものを観ると思うと人はどうしても手抜きするからのう。
 初心に帰るのじゃ。
 初心禅心なのじゃ。

533避難民のマジレスさん:2019/01/15(火) 07:00:01 ID:LC3de7YgO
>>530
『I AM THAT 私は在る』
【68 意識の源を探求しなさい】

 質問者 私たちは先日、現代における西洋人のマインドのあり方と、それが
 ヴェーダーンタ* の道義的、また知的修練に服従することの困難さ
 について語りました。その障害のひとつは、若いヨーロッパ人やア
 メリカ人は、世界の悲惨な状態と、それを正そうとする緊急の必要
 性に没頭することにあるのです。
 彼らは、あなたのような世界の改善の必要条件として個人的な改善
 を教える人に対する、忍耐力をもっていません。彼らは、それは可
 能ではなく、必要でもないと言うのです。人類はその社会的、経済
 的、政治的な組織体系を変える用意があると彼らは言います。世界
 政府、世界警察、世界計画、そしてすべての物質的、観念的境界線
 を廃棄することだけで充分であり、個人的変容は必要ないのだとい
 うことです。確かに、人びとが社会を形成しますが、社会も人びと
 を形成するのです。人間社会のなかで、人は人間らしくあることで
 しょう。それだけでなく、科学は以前宗教の領域になった多くの質
 問の答えを供給しています。

 * 訳注 ヴェーダーンタ Vedanta 「ヴェーダ(知識)の終焉」を意味する。
 『ウパニシャッド』『バガヴァッド・ギーター』、『ブラフマ・ス
 ートラ』を根本においたヒンドゥー教の教義の体系。純粋な非二元
 性と限定された(条件つき)非二元性の二つの教義を提示している。

 マハラジ
 確かに、世界の改善のために努力することは、もっとも賞賛に値する仕事だ。
 非利己的に為されることで、それはマインドを明晰にし、ハートを浄化する。
 しかし、じきに人ははかない夢を追求していることを自覚するのだ。
 特定の地域の、一時的な改善はつねに可能だ。
 そして、それは偉大な王や教師の影響のもとで何度も達成されてきた。
 だが、それはすぐに終局を迎え、人類を新しい悲惨な循環の輪のなかにおき
 ざりにするのだ。
 質問者 あなたは逃避を勧めているのではありませんか?
 マハラジ
 その反対だ。
 再生への唯一の道は破壊を通してしかないのだ。
 新しい金の宝飾品を鋳造する前に、あなたは古い宝飾品を、一度形のない状
 態に溶かさなければならない。
 世界を超えた彼方へ行った人びとだけが、世界を変えることができるのだ。
 そうでなければ、それはけっして起こらない。
 影響力が長く続いた少数の人たちは皆、実在を実現した人たちだった。
 彼らのレベルに到達しなさい。
 そして、そうなってから世界を助けることについて話すがいい。
 質問者 私たちが救いたいのは山や川ではなく、人びとなのです。
 マハラジ
 世界には、何も間違ったことはない。
 ただ、それを悪くする人たちのせいなのだ。
 行って、彼らに正しくふるまうように言いなさい。
 質問者 欲望と恐れが彼らにそのようにふるまわせるのです。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 人間の行動が恐れや欲望に支配されているかぎり、そこには何の希望もない。
 そして、どのようにして効果的に人びとに話をもちかけるかを知るには、あ
 なた自身、すべての欲望と恐れから自由にならなければならないのだ。
 質問者 一定の基本的な欲望や恐れは不可避なものです。それらは食べ物、
 セックス、死に関連しているのです。
 マハラジ
 それらは必要なものであり、必要なものとして容易に満たされる。
 質問者 死でさえも必要なのでしょう
か?
 マハラジ
 長く、充実した人生を生き、あなたは死ぬ必要性を感じるのだ。
 欲望と恐れが誤って適用されたときにだけ、それは破壊的になる。
 確かに欲望は正しく、恐れは誤りだ。
 だが、人びとが間違ったものを欲望し、正しいものを恐れるならば、それら
 は混沌と絶望を生み出すのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

534鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/15(火) 22:14:07 ID:1d4drIFg0
世界を救うとか、統一するとか宣伝して独裁者達が多くの血を流してきたのじゃ。
今もまた世界を救おうと努力して更に悲惨な世界が作られていくのじゃ。
欲を離れていない人間には無理な仕事なのじゃ。
悟りを求めることはそのような仕事から離れるから逃避に見えるが、実際にはそれだけが唯一の救いなのじゃ。
政治にも社会にも知識や学問にも出来ない真の救いが在るのじゃ。

535避難民のマジレスさん:2019/01/15(火) 22:20:22 ID:LC3de7YgO
>>534
うむ。
それしかないでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

536避難民のマジレスさん:2019/01/15(火) 22:41:38 ID:LC3de7YgO
>>533
68の1『I AM THAT 私は在る』
【68 意識の源を探求しなさい】(つづき)

 質問者 何が正しく、何が間違いなのでしょうか?
 マハラジ
 相対的には、苦しみの原因となるものが間違いで、苦しみを和らげるものが
 正しい。
 絶対的には、あなたを実在に連れ戻すものが正しく、実在を見えなくするも
 のが間違ったものだ。
 質問者 私たちが人類の救済について話すとき、それは無秩序と苦しみに対
 しての努力を意味しているのです。
 マハラジ
 あなたは単に救済について話すだけだが、かつて一度でも、ひとりの人を本
 当に助けたことがあるだろうか?
 あなたは今まで、ひとりの魂を助けの要らなくなるところまで導いたことが
 あるだろうか?
 彼の真の存在への洞察をもった人ではないにしても、少なくとも義務と機会
 を完全に自覚した人物を挙げることができるだろうか?
 あなたが自分自身にとって何が良いのかも知らないときに、どうして他者の
 ために何が良いかを知ることができるだろうか?
 質問者 生活手段の適切な供給は、すべての人たちにとって良いことです。
 あなたは神自身かもしれませんが、私たちに話しかけるにも、栄養
 の充分行きとどいた身体が必要なはずです。
 マハラジ
 あなたに話しかける私の身体を必要としているのは、あなたなのだ。
 私は身体でもなく、それを必要としてもいない。
 私は観照者でしかない。
 私は私自身の形をもっていないのだ。
 あなたは、それほどまで自分自身が意識をもった身体だと考えることに慣れ
 ているため、意識が身体をもっているということが想像もできないのだ。
 身体的存在は意識のなかの動き、マインドの状態でしかなく、意識の大洋は
 無限で永遠であるとひとたび認識し、意識に触れるとき、あなたは観照者で
 しかないと自覚したなら、完全に意識の彼方へと行くことができるだろう。
 質問者 存在のなかには多くのレベルがあると聞きました。
あなたはそれらすべてのレベルのなかに存在し、機能しているのでしょうか?
 あなたは地上に在りながら、同時に天国(スワルガ)にもいるのでしょうか?
 マハラジ
 どこにも私を見いだすことはできない。
 私はほかのもののなかにあるひとつのものではない。
 すべてのものごとは私のなかに在る。
 だが、私はものごとのなかにはいないのだ。
 あなたは私に、表層について語っている。
 だが、私は土台に関わっている。
 表層は現れては衰えていく。
 しかし、土台にあるものは継続するのだ。
 私は移りゆくものに興味をもたない。
 一方、あなたはそれ以外のことは何も話さないのだ。
 質問者 奇妙な質問を許してください。もし誰かが鋭い刀で突然あなたの首
 を断ち切ったならば、あなたにとってどのような違いがあるのでし
 ょうか?
 マハラジ
 まったく何の違いもない。
 身体がその頭を失うだけだ。
 伝達経路が断ち切られるだろう。
 それだけだ。
 二人の人が電話で話をしている。
 そして、線が切られたのだ。
 その人たちには何も起こらない。
 ただ、彼らはほかの伝達手段を探さなければならないだけだ。
 『バガヴァッド・ギーター』は、「刀はそれを切らない」と言っている。
 文字通りそうなのだ。
 媒体の死にもかかわらず、生きつづけるのが意識の本性だ。
 それは火のようなものだ。
 それは燃料を燃やし尽くすが、それ自体をではない。
 ひとつの炎が燃料の山を長い間燃やしつづけていくように、意識も無数の身
 体を通して生きつづけていくのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

537素人A:2019/01/16(水) 08:11:05 ID:gOqWUDAs0
個の用も2045年問題泣くAIの発達により見回りロボットの人間の物質的役は解決され?観るだけで物質的責任は
亡くなりバーチャルなテレビの劇のなかで泣き笑いの感動するだになるのか?どうせ人間は役立たずで動物の体維持する
無駄遣いはやめ合理的な機械いやAIロボットに動物はおきかえられるのか?もともと悟ツタ聖者たちは物質的欲望は
最低限で観るだけのバーチャル観で生きていたしまあ良い時代が来たのか?兎に角あくせく汗流して働かなくても生き
られで永遠のテレビの盤だとみな悟らされ、それは凡仏にはつまらない正解の鴨で痛いは困るけど女性を触れなくなるのが
辛いのか?親子でもそれはバーチャルな役目で半分の観るだけの半分のあの世うの無責任な淡い現実感しかなあ
アートため息が出で現実に迷つた時代を懐かしく思う野鴨。でもブラフマンの親心で観るだけの存在として許されているだけ
でも有りがたいのかイラン人としてゴミ箱に捨てられるよりましか?本当は捨てられる運命なら怖い。
来てほしい遊んで楽に暮らせるなら2045年は問題無しなんだが?美味い汁のAIは金持ちが独占するなら不味い世
が来るのか?サイコロの眼は目出たい法に出るのか丁半勝負?いままで人類は核問題も金さんも乗り切ってきたし
心配ないのかも知れないけどホーキンズ放棄するか なるようになるしか無い。

538鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/16(水) 21:49:11 ID:1d4drIFg0
>>535 そうじゃ、悟りを求めることこそ人が真に行うべきことなのじゃ。

 マハラジは救済を口にする者に、かつて本当に一人の人でも助けたことがあったかと聞くのじゃ。

 例えば飢えている者に食べ物をあげれば命は一時的に助かるじゃろう。
 家とか服とか医療を与えればかなり長く生きられるじゃろう。
 更に畑とか仕事とかを提供すれば老病死がくるまでは生きられるじゃろう。
 しかし、その先にある老病死からは助けられないのじゃ。
 それが他人への救済の限界なのじゃ。

 自ら悟りを得て他人をも導かなければその限界は突破できないのじゃ。
 他人を導いて悟りを得さしめてこそ真の救済が出来たといえるのじゃ。

539避難民のマジレスさん:2019/01/16(水) 22:49:53 ID:LC3de7YgO
>>538
うむ。
一切をありのままに受け入れることできるように、よぼよぼよたよたと、がんばるであります。
(´・(ェ)・`)つ

540避難民のマジレスさん:2019/01/16(水) 22:59:57 ID:LC3de7YgO
>>536
『I AM THAT 私は在る』
【68 意識の源を探求しなさい】(つづき)

 質問者 燃料は炎に影響を与えます。
 マハラジ
 それが続くかぎりはそうだ。
 燃料の性質を変えてみなさい。
 炎の色と姿も変化するだろう。
 今、私たちは互いに話しあっている。
 このために、存在は必要となる。
 存在しなければ、話しあうことはできない。
 だが、存在だけでは充分とは言えない。
 そこには話したいという欲望もなければならないのだ。
 何にもまして、私たちは意識しつづけていたい。
 あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、意識しつづけることを望むのだ。
 この体験への欲望に逆らって、顕現すべてを手放さないかぎり、解放はあり
 えない。
 私たちは罠にはまったままなのだ。
 質問者 あなたは沈黙の観照者であり、また意識の彼方に在ると言われます。
 そこには矛盾があるのではないでしょうか?
 もしあなたが意識の彼方に在るのなら、あなたは何を観照するというのでしょ
うか?
 マハラジ
 私は意識と無意識だ。
 意識と無意識であり、そして意識ではなく、無意識でもない。
 これらすべてに対して、私は観照者なのだ。
 だが、実はそこに観照者はいない。
 なぜなら、そこに観照されるものが何もないからだ。
 私はすべての精神構造を完全に空にした、空っぽのマインドなのだ。
 それにもかかわらず、完全に気づいている。
 これが、私はマインドを超えていると言うことで表現しようとしていること
 なのだ。
 質問者 それでは、どのようにしてあなたのいるところに到達できるのでし
ょうか?
 マハラジ
 意識していることに気づいていなさい。
 そして意識の源を探求しなさい。
 それだけだ。
 言葉ではほとんど伝えることはできないのだ。
 私があなたに話すことではなく、私の言うように、それをすることが光をもた
らす。
 手段はさして重要ではない。
 重きをなすのは熱望、衝動、真剣さなのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

541鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/17(木) 21:52:22 ID:1d4drIFg0
>>539 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。

真剣であり、悟りを熱望し、激しい衝動を持っている者ならば悟りも速やかに達成できるのじゃ。
マハリシは死を超えるものを知ることに激しい衝動があったのじゃ。
そうであるから一日で悟りを得たのじゃ。
方法はそのような悟りへの真の衝動を持たないものの為にあるものじゃ。
更に激しく悟りへの情熱を燃やすのじゃ。

542避難民のマジレスさん:2019/01/17(木) 23:13:01 ID:LC3de7YgO
>>541
人に生きる目的があるとすれば、死ぬことでありますよね。
他に目的・・・て、言うか、目標は、ないでありますよね。

死んで生きるのが、覚者の教えでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

543避難民のマジレスさん:2019/01/17(木) 23:19:46 ID:LC3de7YgO
>>540
『I AM THAT 私は在る』
【69 一時性は非実在の証拠だ】(つづき)

 質問者 私の友人はドイツ人です。そして私はイギリス生まれで、両親はフ
 ランス人です。私はアーシュラムからアーシュラムを巡りながら、
 一年以上もインドにいます。
 マハラジ
 何かサーダナ(修練)をしているのかね?
 質問者 研究し、瞑想しています。
 マハラジ
 何に瞑想しているのだろうか?
 質問者 私が読んだことに瞑想しています。
 マハラジ
 よろしい。
 質問者 あなたは何をされているのでしょうか?
 マハラジ
 座っているのだ。
 質問者 ほかには?
 マハラジ
 話している。
 質問者 あなたは何について話をされるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは講義が聞きたいのかね?
 あなたが深く感じられるように、本当に心に触れるような何かを尋ねるほう
 がいい。
 感情的に関わらないかぎり、私と議論をしたとしても、本当の理解は私たち
 の間に生まれないだろう。
 もしあなたが「何も私を悩ますことはない、問題はない」というのなら、そ
 れはそれでいい。
 私たちは静かに黙っていよう。
 だが、本当にあなたの心に触れる何か
があるのならば、話す目的もあるとい
 うものだ。
 私があなたに尋ねようか?
 あなたがひとつところから別のところへと、移動しつづける目的は何だろう
 か?
 質問者 人びとに出会い、彼らを理解することです。
 マハラジ
 人びとの何をあなたは理解しようとしているのだろう?
 正確には、あなたは何を求めているのだろうか?
 質問者 統合です。
 マハラジ
 もしあなたが統合を望むのなら、誰を統合するのか知らなければならないだ
 ろう。
 質問者 人びとに出会い、彼らを見守
ることで、人は自分自身をもまた知る
 ことになるのです。それはともに進むのです。
 マハラジ
 それはかならずしもともに進むとはかぎらない。
 質問者 一方が他方を改善していきます。
 マハラジ
 それはそのように働かないのだ。
 鏡はイメージを映しだすが、イメージが鏡を改善することはない。
 あなたは鏡ではなく、鏡のなかのイメージでもない。
 鏡を完全なものにし、それが正確に、真実に投影するようにしてから鏡の向
 きを自分自身の方向に変え、鏡が反映できるかぎりの、真実のあなたの投影
 を見なさい。
 しかし、投影はあなた自身ではないのだ。
 あなたは投影を見る者だ。
 それを明確に理解しなさい。
 あなたが何を知覚しようとも、あなたはあなたが知覚するものではないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

544避難民のマジレスさん:2019/01/17(木) 23:24:18 ID:LC3de7YgO
>>543
> 感情的に関わらないかぎり、私と議論をしたとしても、本当の理解は私たち
 の間に生まれないだろう。
←うむ。で、ありましょう。
> それはそのように働かないのだ。
 鏡はイメージを映しだすが、イメージが鏡を改善することはない。
 あなたは鏡ではなく、鏡のなかのイメージでもない。
 鏡を完全なものにし、それが正確に、真実に投影するようにしてから鏡の向
 きを自分自身の方向に変え、鏡が反映できるかぎりの、真実のあなたの投影
 を見なさい。
 しかし、投影はあなた自身ではないのだ。
 あなたは投影を見る者だ。
 それを明確に理解しなさい。
 あなたが何を知覚しようとも、あなたはあなたが知覚するものではないのだ。
←マハラジさんはユーモアがあり余裕でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

545鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/18(金) 22:13:58 ID:1d4drIFg0
>>542 そうじゃ、死んで生きるのじゃ。

マハラジの言葉は悟っていなければ理解するのは難しいじゃろう。
一体何が鏡で何が投影なのかもわからんじゃろう。
心が鏡であり、イメージが投影されるものと見ることもできるのじゃ。
しかし、イメージは自分ではないのじゃ。 
投影をみるものであり、知覚出来ないものとはアートマンに他ならないのじゃ。

546避難民のマジレスさん:2019/01/19(土) 00:37:44 ID:LC3de7YgO
>>545
うむ。
くま、昔からわかっていたような気もするし、永遠にわかるわけがないと言うような気もするのであります。
それではいけないのでありましようか?、どうでもよいのでありましょうか?。
自分に問うくまであります。
(´・(ェ)・`)つ

547避難民のマジレスさん:2019/01/19(土) 07:48:47 ID:LC3de7YgO
>>543
『I AM THAT 私は在る』
【69 一時性は非実在の証拠だ】(つづき)
 質問者 私が鏡で、世界は投影なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは鏡と投影の両方を見ることができるのだ。
 あなたはそのどちらでもない。
 あなたは誰なのか?
 決まり文句で答えてはならない。
 答えは言葉のなかにないからだ。
 言葉で表せるもっとも近い表現は、「私は知覚を可能にし、体験者とその体
 験を超えた生命だ」と言えよう。
 さて、あなたは鏡と鏡のなかのイメージから自分を引き離し、完全にひとり
 で、まったくあなただけで立つことができるだろうか?
 質問者 いいえ、できません。
 マハラジ
 どうしてできないと知っているのかね?
 どのようにやっているのかも知らずに、あなたはたくさんのことをしている
 のだ。
 消化し、血液やリンパ液を循環させ、筋肉を動かしている。
 すべて、どのようにしているのかさえ知らずに。
 同じように、あなたはなぜ、どのようにしてるのかも知らないまま、知覚し、
 感じ、考えている。
 同じように、あなたは知らなくてもあなた自身なのだ。
 真我としてのあなたに何も間違ったところはない。
 それはそれとして完全だ。
 正しく澄んでいないのは鏡なのだ。
 それゆえ、それがあなたに偽りのイメージを与えるのだ。
 あなた自身を正す必要はない。
 ただあなた自身に関するあなたの考えを正しなさい。
 あなた自身を鏡と鏡のなかのイメージから引き離すことを学びなさい。
 つねに、「私はマインドでも、その考えでもない」ということを覚えておき
 なさい。
 信念とともに、忍耐強くそれをしなさい。
 そうすればあなたは、すべてを包容し、すべてに遍在する永遠の存在―知識
 ―愛の源としての、あなた自身の直接の姿を知るときがかならず来るだろう。
 あなたは身体のなかに焦点を合わせた無限なるものだ。
 今、あなたは身体しか見ていない。
 真剣に試みてみなさい。
 そうすれば、無限なるものだけを見るようになるだろう。
 質問者 実在の体験、それはいつやってくるのでしょう、それは続くものな
 のでしょうか?
 マハラジ
 すべての体験は、かならず一時的なものだ。
 だが、すべての体験の根底にあるものは不動なのだ。
 出来事と呼ばれるものは何ひとつ永続しない。
 だが、ある出来事はマインドを浄化し、ある出来事はそれを汚(けが)して
 しまう。
 深い洞察とすべてを包容する愛の瞬間はマインドを浄化する。
 だが、欲望と恐れ、妬(ねた)みと怒り、盲目と知的慢心は精神を汚し、鈍
 くしてしまうのだ。
 質問者 真我の実現はそれほどまでに重要なのでしょうか?
 マハラジ
 それなしには、あなたは果てしない苦しみのなかで、無意味に欲望と恐れを
 繰り返しながらそれらに食い尽くされてしまうだろう。
 ほとんどの人びとは苦痛に終わりがありうることさえ知らないのだ。
 しかし、ひとたび彼らがその良い知らせを耳にしたならば、すべての争いや
 葛藤(かっとう)を超えていくことがもっとも緊急の仕事となるだろう。
 あなたは自由になれることを知っている。
 そして今、それはあなたにかかっているのだ。
 永遠に空腹で、渇き、切望し、探し求め、手探りし、つかみ取り、つねに失
 い、悲しみに暮れるか、あるいは全身全霊で、何を加えることも、何を取り
 去ることもない永遠の完成の状態を探求しに出かけるか、どちらかだ。
 そのなかではすべての欲望と恐れは不在だ。
 それらがあきらめられたからではなく、それらに意味がなくなったからなの
 だ。
 質問者 ここまでは、あなたの言われることを理解しました。さて、私は何
 をすべきなのでしょうか?
 マハラジ
 何もすることはないのだ。
 ただ在りなさい。
 何もしてはいけない。
 在りなさい。
 山に登って洞窟のなかに座ることはない。
 私は「あなた自身で在りなさい」とさえ言わない。
 なぜなら、あなたはあなた自身を知らないからだ。
 ただ在りなさい。
 あなたは知覚可能な「外側」の世界でもなければ、思考可能な「内側」の世
 界でもない。
 あなたは身体でもマインドでもないことを見極めたのだ。
 ただ在りなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

548鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/19(土) 21:23:25 ID:1d4drIFg0
>>546 今はわからなくてよいのじゃ。
 悟れば自然にわかるのじゃ。
 目覚めた者の言葉とはそのようなものじゃ。
 それまで精進あるのみなのじゃ。

悟りをもとめることは知識や記憶を増やすことではないのじゃ。
目覚めた者の言葉をいくら多く記憶していても無意味なのじゃ。
自ら自分を追及してその言葉を確かめるしかないのじゃ。
その実践をただ在ることとマハリシはいうのじゃ。

549避難民のマジレスさん:2019/01/19(土) 21:50:50 ID:LC3de7YgO
>>547
『I AM THAT 私は在る』
【69 一時性は非実在の証拠だ】(つづき)

 質問者 真我の実現には、確かに段階があるはずです。
 マハラジ
 真我の実現に段階などない。
 何も漸進的なところはないのだ。
 それは突然起こり、後戻りできないものだ。
 あなたは新しい次元のなかに入り、そこから以前の次元が単なる抽象的観念
 でしかなかったことを見る。
 日の出とともに、ものごとをあるがままに見るように、あなたは真我を実現
 することですべてをあるがままに見るのだ。
 幻想の世界は後に残されたままだ。
 質問者 真我の実現の状態のなかでは、ものごとは変わるのでしょうか?
 それらは色彩豊かになり、深い意味をもつようになるのでしょうか?
 マハラジ
 その体験はまったく正しい。
 しかし、それは実在(サダヌバーヴ)の体験ではなく、宇宙との調和(サッ
 トヴァヌバーヴ)の体験だ。
 質問者 それでも、そこには進歩があるのでしょうか?
 マハラジ
 準備(サーダナ)のなかに進歩はありうる。
 実現は突然のものだ。
 果実はゆっくり熟していく。
 しかし、落ちるのは突然であり、しかも、もとに戻ることはないのだ。
 質問者 私は身体的にも精神的にも安らかです。これ以上何が必要なのでし
 ょうか?
 マハラジ
 あなたの状態は究極の状態ではないかもしれない。
 あなたは自然な状態に戻ったことを、すべての欲望と恐れの完全な不在によ
 って自覚するだろう。
 結局、すべての欲望と恐れの根本には、あなたがあるがままではないという
 感覚があるのだ。
 関節がはずれているかぎり、脱臼(だっきゅう)したところが痛むように、
 そして関節がはめられたとたん、忘れ去られるように、すべての利己的関心
 は、ひとたび正常な状態に戻れば消えてしまう精神的な脱臼の症候なのだ。
 質問者 そのとおりです。しかし、自然な状態に達するためのサーダナとは
 何なのでしょうか?
 マハラジ
 「私は在る」という感覚をつかみ、それ以外のすべてを除きなさい。
 こうしてマインドが完全に沈黙したとき、それは新しい光とともに輝き、新
 しい知識とともに振動するのだ。
 すべては自発的にやってくる。
 ただ、「私は在る」という感覚をつかむ必要があるだけだ。
 眠りから覚めたときのように、あるいは歓喜の状態にいるように、あなたは
 休息した感覚をもち、しかもなぜ、どのようにしてこれほど良い感じがする
 ようになったのか説明ができない。
 真我実現も同じように、あなたは完全で、充足し、快楽―苦痛から自由であ
 ると感じ、それにもかかわらず、何が、どうして、どのように起こったのか
 を説明できないのだ。
 あなたはそれを否定的な言語でしか表せない。
 「私には、もはや何も間違ったところがない」と。
 ただ過去との比較においてだけ、それから自由になったことを知るのだ。
 そうでなければ、あなたはただ、あなたのままなのだ。
 ほかの人たちに伝えようとしてはならない。
 もしそうできるとしたら、それは本物ではなかったのだ。
 沈黙しなさい。
 そして、それは行為のなかで、それ自身を表現するのを見守りなさい。
 質問者 もし私が何に成るのかを言うことがあなたにできるのなら、それは
 私の成長を見守る助けになるかもしれません。
 マハラジ
 何かに成るということなどないとき、どうして誰かに、あなたが何になるの
 か言うことができるだろうか?
 あなたはただ、あなたで在ることを発見するのだ。
 自分自身をひとつのパターンに鋳造することなど、悲惨なる時間の浪費だ。
 過去も未来も考えず、ただ在りなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

550避難民のマジレスさん:2019/01/20(日) 13:58:50 ID:LC3de7YgO
>>549
69の3『I AM THAT 私は在る』
【69 一時性は非実在の証拠だ】の3回目

 質問者 どうしてただ在ることができるでしょうか? 変化は不可避なので
 す。
 マハラジ
 変化の絶えないなかにあっては、変化は不可避だ。
 だが、あなたがそれに支配されることはない。
 あなたはそれに対して変化が知覚される、不変の背景なのだ。
 質問者 すべては変化します。背景もまた変化するのです。変化に気づくた
 めの不変の背景など、必要ありません。自己は一時的なものです。
 それは単なる過去と未来の遭遇(そうぐう)点でしかないのです。
 マハラジ
 もちろん、記憶をもとにした自己は一時的なものだ。
 しかし、そのような自己は、その背後に不断の継続性を必要とする。
 あなたの体験からも、自己を忘れてしまう隙間があることを知っているだろ
 う。
 何がそれを蘇らせるのだろうか?
 朝、あなたを目覚めさせるのは何だろうか?
 意識のなかのその隙間を橋渡しする、何か不断の要因がなければならない。
 もしあなたが注意深く見守れば、あなたの日常の意識は、つねに隙間が現れ
 るひらめきのようなものでしかないと知るだろう。
 その隙間のなかには何があるのだろうか?
 ほかでもない、あなたの永遠なる真の実在だ。
 それにとっては、マインドもノー・マ
インドもひとつなのだ。
 質問者 霊的な成就のためにあなたが勧める、私が行くべき特定の場所があ
 りますか?
 マハラジ
 唯一、正しい場所は内側だ。
 外側の世界は、助けにもならなければ妨げにもならない。
 どのような体系的方法も、どのような行動様式も、あなたを目的地へ連れて
 いきはしない。
 未来へ向けてのあらゆる働きかけを放棄しなさい。
 完全に、今に集中するのだ。
 起こるがまま、人生のあらゆる動きに反応することだけで関わっていきなさ
 い。
 質問者 放浪しようとする衝動は何が原因なのでしょうか?
 マハラジ
 原因はない。
 あなたはただ、放浪しているという夢を見ているだけだ。
 数年後には、あなたのインドでの滞在も夢として現れることだろう。
 そのころ、あなたは何かほかの夢を見ていることだろう。
 夢から夢へと動きまわるのは、あなたではない。
 夢があなたの前を流れていき、あなたは不変の観照者なのだ。
 いかなる出来事もあなたの存在に影響を与えることはない。
 これが絶対的な真理なのだ。
 質問者 物理的には動きまわりながら、内面においては動じずにいることは
 できないでしょうか?
 マハラジ
 それはできる。
 しかし、それが何の役に立つというのだろう?
 もしあなたが真剣なら、最後にはうろつき回ることに飽きて、今まで時間と
 エネルギーを浪費してきたことを後悔するだろう。
 あなた自身を見いだすためには、一歩を踏みだすことさえ必要ないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

551避難民のマジレスさん:2019/01/20(日) 14:09:55 ID:LC3de7YgO
>>550

> もしあなたが注意深く見守れば、あなたの日常の意識は、つねに隙間が現れ
 るひらめきのようなものでしかないと知るだろう。
 その隙間のなかには何があるのだろうか?
 ほかでもない、あなたの永遠なる真の実在だ。

←うむ。
車道を走る自動車の数え方に二通りあり、自動車その物を数えるか、走る自動車と自動車の間隔を数えるかであると、OSHOが例えてるのと同じでありますね。
その隙間こそが、まさに、
>永遠なる真の実在だ。

と言う理解で良いのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

552鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/20(日) 21:05:03 ID:1d4drIFg0
↑そのような理解で善いのじゃ。
 言葉ではそのようにいえるのじゃ。
 自ら確かめてみるしかないのじゃ。

常に自らの心を観るように導くのが正しい指導なのじゃ。
どこに行こうと自分の心を観る以外に解放への道は無いのじゃ。
自らの心の中に入っていくのじゃ。

553避難民のマジレスさん:2019/01/20(日) 21:50:43 ID:LC3de7YgO
>>550

『I AM THAT 私は在る』
【69 一時性は非実在の証拠だ】(つづき)

 質問者 真我(アートマン)の体験と絶対なるもの(ブラフマン)の体験の
 間には、何か違いがあるのでしょうか?
 マハラジ
 絶対なるものの体験などありえない。
 それはすべての体験を超えているからだ。
 その反対に、自己はあらゆる体験のなかの体験要因だ。
 それゆえ、それはある意味で体験の多様性を有効にするのだ。
 世界は偉大な価値あるもので満ちているかもしれない。
 だが、誰も買う人がいなければ、それらに価値はない。
 絶対なるものは、体験可能なあらゆるものを包含している。
 体験を可能にするもの、それが絶対なるものだ。
 それを現実のものにするのが真我なのだ。
 質問者 私たちは段階的な体験を通して絶対なるものに到達するのではない
 でしょうか? もっとも粗雑な体験からはじまり、もっとも崇高な
 体験で終わるように。
 マハラジ
 それを熱望しないかぎり体験はありえ
ない。
 欲望の間に段階はありうる。
 しかし、もっとも崇高な欲望とすべての欲望から自由になることの間には、
 渡らなければならない深遠がある。
 実在ではないものが実在に見えることはあるかもしれない。
 しかし、それは一時的なことだ。
 実在は時間を恐れてはいないのだ。
 質問者 非実在は実在の表現ではないのでしょうか?
 マハラジ
 どうしてそうありえよう?
 それは、あたかも真理は夢のなかでそれ自体を表現すると言うようなものだ。
 実在にとって、非実在は存在しない。
 あなたがそれを信じるために、それは実在として現れるのだ。
 疑ってみなさい。
 そうすればそれは消え去る。
 誰かを愛するとき、あなたはそれに実在を与える。
 あなたはあなたの愛が全能で、永遠だと想像する。
 それが終局を迎えるとき、あなたは言う、「わたしはそれが本物だと思って
 いたが、そうではなかった」と。
 一時性は非実在の最高の証拠なのだ。
 時間と空間のなかに限定され、ひとりの人にしか適用しないものは実在では
 ない。
 実在はすべてのためにあり、永遠のものなのだ。
 ほかの何よりも、あなたはあなた自身を大切にする。
 あなたはあなたの存在を、何ものとも交換することを許さないだろう。
 在ることへの欲望は、すべての欲望の
なかで最強のものだ。
 そして、あなたが真我を実在したときだけ、それは去るだろう。
 質問者 非実在のなかにさえ、そこには実在の感触があります。
 マハラジ
 そうだ。
 それを実在と見なすことで、あなたはそれに実在性を分け与えるのだ。
 あなたは自分を納得させた上で、自分の確信によって束縛されてしまうのだ。
 日が照るとき、色彩が現れる。
 日が沈むとそれらは消え去る。
 光なしに、色彩はどこにあるだろうか?
 質問者 それは二元性のなかでの考えです。
 マハラジ
 考えることはすべて二元性のなかにある。
 本質のなかではいかなる思考も生き残らないのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

554鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/21(月) 22:34:56 ID:1d4drIFg0
アートマンを法として使うことでブラフマンにも至れるのじゃ。
それは体験ではないのじゃ。
体験とは一時的に味わい、記憶としてのみ残る刺激なのじゃ。
そのようなものは記憶と共に消えてしまうものじゃ。
消えることの無いものだけが実在しているといえるのじゃ。

555避難民のマジレスさん:2019/01/21(月) 23:00:57 ID:LC3de7YgO
>>553
『I AM THAT 私は在る』
【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】

 マハラジ
 あなたはどこから、何のために来たのかね?
 質問者 私はアメリカから来ました。そして、私の友人はアイルランドから
     来ました。私は6カ月前に来て、アーシュラムからアーシュラムへ
     と旅してきました。私の友人はひとりで来たのです。
 マハラジ
 あなたは何を見てきたのだろうか?
 質問者 私はシュリー・ラマナアシュラムにいました。またリシケーシも訪
     れました。シュリー・ラマナ・マハルシについてのあなたの意見を
     うかがえるでしょうか?
 マハラジ
 私たちはともに、同じ原初の状態のなかにいる。
 しかし、あなたはマハルシの何を知っているのかね?
 あなたはあなた自身を名前と身体だと見なしている。
 だから、あなたの知覚するものすべては名前と身体なのだ。
 質問者 もしあなたがマハルシに出会うならば、何が起こるでしょうか?
 マハラジ
 おそらく、私たちはまったく幸せに感じるだろう。
 二、三の言葉を交わしさえするかもしれない。
 質問者 しかし、彼はあなたを解脱した人として認識するでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 人が人を認識するように、ジニャーニはジニャーニを認識するのだ。
 あなたはあなたが体験したことのないものを賞賛することはできない。
 あなたはあなた自身であると考えているものだ。
 だが、あなたはあなたが体験していないものをあなた自身として考えること
 はできないのだ。
 質問者 技師になるためには工学を学ばなければなりません。神となるため
     には何を学ばなければならないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはすべてを忘れなければならない。
 神はすべての欲望と知識の終焉なのだ。
 質問者 あなたは、単に神になろうとする欲望を放棄することで、私が神に
     なると言われるのでしょうか?
 マハラジ
 すべての欲望が放棄されなければならない。
 なぜなら欲望を持つことで、あなたはあなたの欲望の形を取るからだ。
 何の欲望も残っていないとき、あなたは自然な状態へと戻るのだ。
 質問者 私が完成に到達したということを、どうやって知るのでしょうか?
 マハラジ
 完成を知ることはできない。
 あなたは未完成だけを知ることができるのだ。
 知識が存在するには、そこに分離と調和がなければならない。
 あなたはあなたではないものを知ることができる。
 だが、あなたの真の存在を知ることはできないのだ。
 あなたはあなたであるものとしてだけ在ることができる。
 そのアプローチ全体が理解を通してのものだ。
 それは偽りを偽りとして見るというものだ。
 しかし理解するために、あなたは外側から観察しなければならない。
 質問者 ヴェーダーンタのマーヤー、幻想の概念は、顕現にあてはめられま
     す。それゆえ、私たちの顕現の知識は信頼できません。しかし、非
     顕現の知識は信頼できるはずです。
 マハラジ
 非顕現の知識といったものはない。
 それは不可知だ。
 知ることができるのは現実のものだけなのだ。
 質問者 どうして、知る者が知られないまま残るのでしょう?
 マハラジ
 知る者は知られるものを知っている。
 あなたは知る者を知っているだろうか?
 誰が知る者を知る者なのだろうか?
 あなたは非顕現を知りたいと言う。
 あなたは顕現を知っていると言えるだろうか?
 質問者 私はものごとと概念を、そしてそれらの関係を知っています。それ
     らの総計が私のすべての経験なのです。
 マハラジ
 すべて?
 質問者 ええ、すべての現実の体験です。現実に起こらなかったことを知る
     ことができないのは認めます。
 マハラジ
 もし顕現がすべての現実体験と体験者の総計であるなら、その合計のどれほ
 どをあなたが知っていると言うのだろう?
 質問者 私自身に関係する感覚的な体験のいくらかです。
 マハラジ
 それでさえもない。
 あなたはあなたが反応することだけを知っている。
 誰が何に反応するかを知ってはいない。
 あなたは、「私は在る」に接触することであなたの存在を知るのだ。
 「私はこれだ」「私はあれだ」は想像なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

556避難民のマジレスさん:2019/01/21(月) 23:01:02 ID:LC3de7YgO
>>553
『I AM THAT 私は在る』
【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】

 マハラジ
 あなたはどこから、何のために来たのかね?
 質問者 私はアメリカから来ました。そして、私の友人はアイルランドから
     来ました。私は6カ月前に来て、アーシュラムからアーシュラムへ
     と旅してきました。私の友人はひとりで来たのです。
 マハラジ
 あなたは何を見てきたのだろうか?
 質問者 私はシュリー・ラマナアシュラムにいました。またリシケーシも訪
     れました。シュリー・ラマナ・マハルシについてのあなたの意見を
     うかがえるでしょうか?
 マハラジ
 私たちはともに、同じ原初の状態のなかにいる。
 しかし、あなたはマハルシの何を知っているのかね?
 あなたはあなた自身を名前と身体だと見なしている。
 だから、あなたの知覚するものすべては名前と身体なのだ。
 質問者 もしあなたがマハルシに出会うならば、何が起こるでしょうか?
 マハラジ
 おそらく、私たちはまったく幸せに感じるだろう。
 二、三の言葉を交わしさえするかもしれない。
 質問者 しかし、彼はあなたを解脱した人として認識するでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 人が人を認識するように、ジニャーニはジニャーニを認識するのだ。
 あなたはあなたが体験したことのないものを賞賛することはできない。
 あなたはあなた自身であると考えているものだ。
 だが、あなたはあなたが体験していないものをあなた自身として考えること
 はできないのだ。
 質問者 技師になるためには工学を学ばなければなりません。神となるため
     には何を学ばなければならないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはすべてを忘れなければならない。
 神はすべての欲望と知識の終焉なのだ。
 質問者 あなたは、単に神になろうとする欲望を放棄することで、私が神に
     なると言われるのでしょうか?
 マハラジ
 すべての欲望が放棄されなければならない。
 なぜなら欲望を持つことで、あなたはあなたの欲望の形を取るからだ。
 何の欲望も残っていないとき、あなたは自然な状態へと戻るのだ。
 質問者 私が完成に到達したということを、どうやって知るのでしょうか?
 マハラジ
 完成を知ることはできない。
 あなたは未完成だけを知ることができるのだ。
 知識が存在するには、そこに分離と調和がなければならない。
 あなたはあなたではないものを知ることができる。
 だが、あなたの真の存在を知ることはできないのだ。
 あなたはあなたであるものとしてだけ在ることができる。
 そのアプローチ全体が理解を通してのものだ。
 それは偽りを偽りとして見るというものだ。
 しかし理解するために、あなたは外側から観察しなければならない。
 質問者 ヴェーダーンタのマーヤー、幻想の概念は、顕現にあてはめられま
     す。それゆえ、私たちの顕現の知識は信頼できません。しかし、非
     顕現の知識は信頼できるはずです。
 マハラジ
 非顕現の知識といったものはない。
 それは不可知だ。
 知ることができるのは現実のものだけなのだ。
 質問者 どうして、知る者が知られないまま残るのでしょう?
 マハラジ
 知る者は知られるものを知っている。
 あなたは知る者を知っているだろうか?
 誰が知る者を知る者なのだろうか?
 あなたは非顕現を知りたいと言う。
 あなたは顕現を知っていると言えるだろうか?
 質問者 私はものごとと概念を、そしてそれらの関係を知っています。それ
     らの総計が私のすべての経験なのです。
 マハラジ
 すべて?
 質問者 ええ、すべての現実の体験です。現実に起こらなかったことを知る
     ことができないのは認めます。
 マハラジ
 もし顕現がすべての現実体験と体験者の総計であるなら、その合計のどれほ
 どをあなたが知っていると言うのだろう?
 質問者 私自身に関係する感覚的な体験のいくらかです。
 マハラジ
 それでさえもない。
 あなたはあなたが反応することだけを知っている。
 誰が何に反応するかを知ってはいない。
 あなたは、「私は在る」に接触することであなたの存在を知るのだ。
 「私はこれだ」「私はあれだ」は想像なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

557鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/22(火) 21:53:12 ID:1d4drIFg0
全ての知識や体験は実感することの邪魔になるだけなのじゃ。
それらは自ら実感することのための方法を教えるだけであるからのう。
体験したことも不要な観念に他ならないのじゃ。
それは既に消えてしまったものであるからのう。
囚われずに進むのじゃ。

558避難民のマジレスさん:2019/01/22(火) 22:18:53 ID:LC3de7YgO
瞑想とか修行を通して実感できることは、それを体験して、囚われずに実践してる間は、続くのでありますが、それが知識になり、囚われて、求めだすと得られなくなるのであります。
ただくまの場合、基本的な気の実感みたいなものはいつでも得られるので、訓練方法によってはなんとかなると思うのであります。
囚われずに進むであります。
(´・(ェ)・`)つ

559避難民のマジレスさん:2019/01/22(火) 22:27:21 ID:LC3de7YgO
>>556
70の2『I AM THAT 私は在る』
【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】2回目

 質問者 私は顕現を知っています。なぜなら、私はそれに参加しているから
     です。そのなかでの私の部分はたいへん小さいものであり、それは
     認めます。それでも、それはその全体性と同じほど現実なのです。
     そして、もっと重要なことは、私がそれに意味を与えるということ
     です。私なしには、世界は暗く沈黙しているのです。
 マハラジ
 ホタルが世界を照らすというのかね!
 あなたが世界に意味を与えるのではない。
 あなたはそれを見いだすのだ。
 あなた自身のなかに深く潜っていきなさい。
 そしてすべての意味があふれだす源を見いだしなさい。
 間違いなく、意味を与えることができるのは表面的なマインドではないのだ。
 質問者 何が私を限定し、表面的にしてしまうのでしょうか?
 マハラジ
 全体は開いていて、手に入るものだ。
 だが、あなたはそれを手にしない。
 あなたは自分自身だと考えている小さな個人に執着している。
 あなたの欲望はかぎられていて、野望は取るに足らないものだ。
 結局、知覚の中心がなければ、どこに顕現があるというのだろう?
 知覚されなければ、顕現は非顕現と同じだ。
 あなたは知覚する点、すべての次元に対する無次元の源なのだ。
 全体としてのあなた自身を知りなさい。
 質問者 ひとつの点が、どのように宇宙を包含できるというのでしょうか?
 マハラジ
 ひとつの点のなかには、無限の宇宙を包むに充分な空間がある。
 許容量に欠けることはない。
 自己限定だけが唯一の問題なのだ。
 しかし、あなた自身から逃げだすことはできない。
 どれほど遠くへ行こうとも、あなたは自分自身に、そして無であり、しかも
 すべての源であるこの点を理解する必要性に戻ってくるのだ。
 質問者 私はインドにヨーガの教師を探しに来たのです。いまだに私は探し
     ています。
 マハラジ
 どの類(たぐい)のヨーガをあなたは学びたいのだろうか?
 獲得のヨーガだろうか、放棄のヨーガだろうか?
 質問者 それらは最終的には同じ結果になるのではないでしょうか?
 マハラジ
 どうして同じでありうるだろう?
 一方は隷属させ、他方は解放する。
 動機がもっとも重要なのだ。
 自由は放棄を通してもたらされる。
 すべての所有は束縛なのだ。
 質問者 私が力強さと勇気をもってつかむものを、なぜ放棄しなければなら
     ないのでしょうか? そして、もし私が強さをもっていなければ、
     どうして放棄できるでしょう? 私にはこの放棄の必要性が理解で
     きません。私が何かを欲しいとき、どうしてそれを追求すべきでは
     ないのでしょうか? 放棄は弱者のためのものです。
 マハラジ
 もしあなたが放棄する智慧(ちえ)と力をもっていないのなら、ただあなた
 の所有物を見てみなさい。
 ただ見るという行為がそれらを焼き尽くすだろう。
 もしあなたがマインドの外側に立つことができるなら、じきに所有物と欲望
 を放棄することがもっとも明白な分別ある行為だと知ることだろう。
 あなたが世界をつくり出しておいて、それからそれについて心配するのだ。
 利己的になることはあなたを弱くする。
 あなたに欲望をもつだけの勇気と力があると考えるなら、それはあなたが若
 く、経験不足だからだ。
 例外なく、欲望の対象物はそれを獲得する手段を破壊する。
 そうして、それ自体も衰え果ててしまうのだ。
 結局、すべては最善の結果をもたらす。
 なぜなら、それはあなたに毒を避けるかのように欲望を避けさせるからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

560避難民のマジレスさん:2019/01/22(火) 22:31:16 ID:LC3de7YgO
>>559
最後の
>すべては最善の結果をもたらす。
 なぜなら、それはあなたに毒を避けるかのように欲望を避けさせるからだ。

←このすべて とは、放棄する智慧(ちえ)と力 でありましょうか?
あるいは、タートマンとかブラフマンのことでありましょうか
(´・(ェ)・`)つ

561避難民のマジレスさん:2019/01/23(水) 18:43:58 ID:LC3de7YgO
>>559
『I AM THAT 私は在る』
【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】(つづき)

 質問者 どのようにして無欲を訓練すればいいのでしょう?
 マハラジ
 訓練の必要はない。
 放棄という行為さえ必要ない。
 ただ、あなたのマインドをそらしなさい。
 それだけだ。
 欲望とは単にある想念にマインドを固定させることだ。
 それに注意を払わないことで、その常道にはまる習慣を捨て去りなさい。
 質問者 それだけですか?
 マハラジ
 そうだ。
 それだけだ。
 欲望や恐れが何であれ、それにとどまっていてはならない。
 自分で試みてみなさい。
 ときおり、あなたは忘れてしまうかもしれない。
 だが、それは問題ではない。
 すべての欲望と恐れを追い払うまで、すべての反応が自動的になるまで試み
 ることだ。
 質問者 人はどのようにして感情なしに生きていくことができるのでしょう
     か?
 マハラジ
 あなたは欲しいだけすべての感情をもつことができる。
 だが、引き起こされた感情の反応に注意しなさい。
 完全に自己決定し、外面からではなく、内面から導かれなさい。
 より良いものを確保するために、ひとつのものをあきらめるのは本当の放棄
 ではない。
 あきらめなさい。
 なぜなら、あなたはそれが無価値であることを理解するからだ。
 放棄していくにしたがって、あなたは自然に知性と、力と、無尽蔵の愛と、
 喜びのなかに成長していく自分を見いだすだろう。
 質問者 なぜ、それほどまでにすべての欲望と恐れを放棄することが強調さ
     れるのでしょうか? それらは自然なものではないのでしょうか?
 マハラジ
 それらは自然なものではない。
 完全にマインドによって作られたものだ。
 あなたに必要なものは何もないということを知るために、すべてを放棄しな
 ければならないのだ。
 あなたが必要とするものは非実在であり、あなたの努力は無意味だ。
 あなたは所有物があなたを守ると想像している。
 実際は、それらがあなたを傷つきやすくするのだ。
 あなた自身が「あれ」や「これ」として指し示すことができるすべてから離
 れたものであることを自覚しなさい。
 あなたは感覚的体験や言語的解釈によって到達することのできないものだ。
 それから立ち去りなさい。
 人格化を拒否しなさい。
 質問者 あなたの話を聞いた後、私は何をすればよいのでしょうか?
 マハラジ
 聞くことだけでは本当の助けにならないだろう。
 それを心にとどめ、熟考し、私が語っていることを私に語らせようとするマ
 インドの状態を理解しようとしてみなさい。
 私は真理から話している。
 両手を開き、受け取りなさい。
 あなたはあなたが考えているものではないのだ。
 私が保証しよう。
 あなたがもっているあなた自身のイメ-ジは記憶によってつくられたまった
 く偶然の産物なのだ。
 質問者 私は私のカルマの結果です。
 マハラジ
 一見、あなたであるように見えるもの、それはあなたではない。
 カルマは、あなたが繰り返し学んできたひとつの言葉にすぎない。
 あなたはけっして今まで、そしてこれからもひとりの個人ではないのだ。
 あなた自身を個人だと考えることを拒絶しなさい。
 自分が誰それだということを疑わないかぎり、希望はもてない。
 あなたが目を開くことを拒むとき、何を見せられるというのだろう?
 質問者 カルマとは、私を完成へと衝(つ)き動かす神秘の力だと私は思っ
     ています。
 マハラジ
 それは人びとがあなたに言ったことだ。
 あなたはすでに今ここで完成している。
 完成することができるようなものはあなたではない。
 あなたはあなた自身ではないものをあなただと想像しているのだ。
 やめなさい。
 重要なのは停止そのものであって、あなたが何をやめようとするかではない
 のだ。
 質問者 カルマが私に、私であるものに成るよう駆りたてたのではありませ
     んか?
 マハラジ
 何も駆りたててはいない。
 あなたはあなただと信じるものだ。
 信じるのを止めなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

562鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/23(水) 23:42:44 ID:1d4drIFg0
>>560 それはマハラジが初めに語ったただ見るという行為のことなのじゃ。
 ただ見るだけで欲しかったものはありふれた重荷となり、欲は苦に変わることがわかるのじゃ。
 そのようにして欲望も避けるようになるのじゃ。
 観察の法といえるのじゃ。

563避難民のマジレスさん:2019/01/24(木) 19:36:51 ID:LC3de7YgO
>>562
ありがとうであります。
なるへそ!
>ただ見るという行為がそれらを焼き尽くす

ことによって、

>  結局、すべては最善の結果をもたらす。
 なぜなら、それはあなたに毒を避けるかのように欲望を避けさせるからだ。

なのでありますね。

すっきりしたであります。
(´・(ェ)・`)つ

564避難民のマジレスさん:2019/01/24(木) 19:44:54 ID:LC3de7YgO
>>561
70の4『I AM THAT 私は在る』
【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】4回目

 質問者 ここで、あなたは座り、私に話しています。あなたにそれを強いる
     のはカルマです。
 マハラジ
 何ひとつ、私に強いるものはない。
 私はする必要のあることをするだけだ。
 だが、あなたはたくさんの不必要なことをする。
 調べることを拒むことがカルマをつくり出すのだ。
 あなた自身の苦しみに無関心であることが、それを永続させるのだ。
 質問者 それは本当です。この無関心に終止符を打つことができるのは何で
     しょうか?
 マハラジ
 無執着、あるいは慈悲の波が内面から衝動として起こらなければならない。
 質問者 この衝動に私の方からであいに行くことができるでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 あなた自身の状態を見てみなさい。
 世界の状態を見てみるがいい。
 質問者 私たちはカルマ、輪廻(りんね)、進化、ヨーガ、師と弟子につい
     ての話を聞いてきました。これらすべての知識をどうすればいいの
     でしょう?
 マハラジ
 すべてを捨て去っていくがいい。
 忘れるのだ。
 概念や信念の重荷を捨て去って、先へと進んでいきなさい。
 すべての言語的構造、すべての相対的真実、すべての実体的な対象物を放棄
 しなさい。
 絶対なるものは、絶対的な献身によってだけ到達できるのだ。
 半端な気持ちではいけない。
 質問者 私は何か絶対的な真実からはじめなければなりません。そのような
     何かがあるでしょうか?
 マハラジ
 ある。
 それが「私は在る」という感覚だ。
 それからはじめなさい。
 質問者 それ以外の何も真実ではないのでしょうか?
 マハラジ
 ほかのすべては真実でもなければ、偽りでもない。
 それが現れると真実のように見え、否定されるとそれは消え去るのだ。
 一時的なものは神秘的だ。
 質問者 私は実在は神秘的なのだと思っていました。
 マハラジ
 どうしてそうありうるだろう。
 実在はシンプルで、オープンで、明らかで、優しく、美しく、そして喜ばし
 いものだ。
 それは矛盾からの完全な自由なのだ。
 それはつねに新しく、つねに新鮮で、かぎりなく創造的だ。
 存在と非存在、生と死、すべての区別がそのなかで溶けあっている。
 質問者 すべてが偽りだということは認めます。しかし、それが私のマイン
     ドを消し去ることができるでしょうか?
 マハラジ
 マインドとはそれが考えていることなのだ。
 マインドを真実にするために、真実を考えなさい。
 質問者 もしものごとの形が単なる現れでしかないなら、実際には、それら
     は何なのでしょうか?
 マハラジ
 実際には、知覚だけがある。
 知覚する者と知覚されるものは観念であり、知覚しているという事実は現実
 のものだ。
 質問者 絶対なるものはどこから来るのでしょうか?
 マハラジ
 絶対なるものは知覚の誕生する場所だ。
 それが知覚を可能にするのだ。
 しかし、分析のしすぎはあなたをどこへ導きもしない。
 あなたのなかには分析もマインドも超えた存在の核心がある。
 あなたはそれを行為のなかでだけ知ることができる。
 日常生活のなかで、それを表現しなさい。
 そうすれば、その光はつねに明るく光り輝くだろう。
 マインドの真正な機能とは、あなたに何が存在しないのかを伝えることだ。
 だが、もしあなたが明確な知識を望むなら、マインドを超えた彼方へ行かな
 ければならない。
 質問者 すべての宇宙のなかには、ただひとつでも価値あるものがあるので
     しょうか?
 マハラジ
 ある。
 愛の力だ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

565鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/24(木) 21:44:12 ID:1d4drIFg0
>>563 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。


カルマも観念に過ぎないものじゃ。
報いを説明するために作り出されたものじゃ。
それが人の意志にかかわることは無いのじゃ。
ましてそれが人の本質であることも無いのじゃ。
心の働きによってあるように見えるだけのものなのじゃ。

566避難民のマジレスさん:2019/01/24(木) 22:21:07 ID:LC3de7YgO
>>565
ふむふむ。
カルマとか無くてもよいと思うのでありますが。
報いは、どのように説明されるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

567避難民のマジレスさん:2019/01/25(金) 02:21:13 ID:LC3de7YgO
>>564
『I AM THAT 私は在る』
【71 自己覚醒の中で、あなたは自分自身について学ぶ】

 質問者 弟子がグルに多くの害を与えることは、私たちが繰り返し体験して
     きたことです。彼らは師の要望を考えることなく計画を立て、それ
     を実行に移します。最終的に、グルにとっては果てしのない心配が
     残り、彼の弟子には苦渋が残るだけです。
 マハラジ
 そうだ。
 それは起こる。
 質問者 誰がそういった屈辱をグルに感受させるよう強(し)いるのでしょ
     うか?
 マハラジ
 グルは基本的に欲望をもたない。
 彼は選択をせず、決定もしない。
 純粋な観照者として起こっていることを見守り、感化されないままなのだ。
 質問者 しかし、彼の仕事は損害をこうむるでしょう。
 マハラジ
 勝利はつねに彼のものだ――最終的には。
 グルは、もし弟子がグルの言葉から学ばなければ、自分たちの過ちから学ぶ
 だろうということを知っているのだ。
 内面的には、彼は静かに沈黙している。
 彼には分離した個人という感覚がない。
 彼の弟子と彼らの取るに足らない計画も含めた、宇宙全体が彼のものなのだ。
 何ひとつ特定のものが彼に影響を与えることはない。
 あるいは同じことで、宇宙全体が同じ度合いで彼に影響を与えるのだ。
 質問者 グルの恩寵(おんちょう)というものはないのでしょうか?
 マハラジ
 彼の恩寵は絶えることなく遍在している。
 それはひとりに与えられ、ほかを拒むようなものではないのだ。
 質問者 どのようにそれは、個人的に私に影響を与えるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたのマインドが真理の探究に従事しているのも、グルの恩寵によるもの
 なのだ。
 そして、グルの恩寵によってあなたは真理を見いだすのだ。
 それはあなたの究極の目標に向かって意図することなく働いている。
 そして、それはすべての人にとってそうなのだ。
 質問者 ある弟子たちは用意ができ、成熟しています。そしてある弟子たち
     はそうではありません。グルは選択をし、決定をするのではないで
     しょうか?
 マハラジ
 グルは究極なるものを知っている。
 そして、それに向けて弟子を容赦なく駆りたてる。
 弟子は自分自身で超えなければならない障害物でいっぱいなのだ。
 グルは弟子の表面的な人生にはそれほど関心をもたない。
 それは重力のようなものだ。
 果実はもうこれ以上もちこたえられないとき、落ちなければならないのだ。
 質問者 もし弟子が目的地を知らなければ、どうやって彼に障害を見極める
 ことができるのでしょうか?
 マハラジ
 目的地はグルによって示される。
 障害は弟子によって発見されるのだ。
 グルに選り好みはない。
 だが、克服しなければならない障害をもつ者たちは、遅れをとるように見え
 るのだ。
 実際には、弟子はグルと異ならない。
 彼は行為における愛と知覚の、同じ無限の中心なのだ。
 彼の想像と想像したものとの自己同一化が、彼を包み込み、個人に変えてし
 まうだけだ。
 師は個人には関心がない。
 彼の注意は内面の見守る者に合わせられている。
 理解をし、それによって個人を消し去るのは見守る者の仕事なのだ。
 一方では恩寵があり、もう一方では修練への献身がなければならない。
 質問者 しかし、個人は除去されたくないのです。
 マハラジ
 個人とは単なる誤解の結果だ。
 実際には、そのようなものはないのだ。
 果てしない連続性のなかで、感情、思考、行為が脳のなかに痕跡(こんせき)
 を残し、継続性という幻想をつくりながら、見守る者の前を駆け抜けていく。
 マインドのなかで、見守る者の反映が「私」という感覚をつくり出し、個人
 は一見独立したように見える存在を獲得するのだ。
 実際には、個人というものは存在しない。
 ただ見守る者が「私」と「私のもの」に自己同一化するだけだ。
 師は見守る者に言う。
 「あなたはこれではない。このなかには、見守る者と彼の夢を橋渡しする
 『私は在る』という小さな点以外、あなたのものは何ひとつないのだ」と。
 「私はこれだ、私はあれだ」は夢なのだ。
 一方、純粋な「私は在る」には実在の特質がある。
 あなたは今まで本当にたくさんのことを味わってきた――だが、すべては無
 に帰したのだ。
 ただ、「私は在る」だけが変わることなく存続している。
 あなたが彼方へと超えていけるようになるまで、変化の絶えないもののなか
 で、不変なるものとともにとどまりなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

568鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/25(金) 22:23:28 ID:1d4drIFg0
>>566 それは自らの心が行うことなのじゃ。
 自分の心は誤魔化せないから報いも確実に訪れるのじゃ。
 他人が見ていないところで行った悪事も自分の心は知っているから誤魔化せないのじゃ。

個我とか個人とは存在しないとマハラジはいうのじゃ。
それは記憶に拠って作られた幻なのじゃ。
人の体はプラーナや空間を通じて常に全て繋がっているのであるからのう。
一枚の葉が樹木と繋がっているようなものじゃ。

569避難民のマジレスさん:2019/01/25(金) 23:37:51 ID:LC3de7YgO
>>568
世にはまれに、サイコパスもいるようであります。
そのようなものの心に反省はないのではありますまいか?
(´・(ェ)・`)つ

570避難民のマジレスさん:2019/01/25(金) 23:50:29 ID:LC3de7YgO
>>567
『I AM THAT 私は在る』
【71 自己覚醒の中で、あなたは自分自身について学ぶ】(つづき)

 質問者 それはいつ起こるのでしょうか?
 マハラジ
 それはあなたが障害を取り去ったとたんに起こるのだ。
 質問者 どの障害でしょう?
 マハラジ
 偽りへの欲望と真実への恐れだ。
 個人としてのあなたは、グルが個人としてのあなたに興味を持っていると想
 像している。
 まったくそうではない。
 彼にとって、あなたは排除すべき厄介な障害だ。
 彼は実際に、意識のなかの要因であるあなたを排除することを目指している
 のだ。
 質問者 もし私が排除されたなら、何が残るのでしょうか?
 マハラジ
 何も残らない。
 あるいはすべてが残るのだ。
 アイデンティティの感覚は残る。
 だが、特定の身体との同一化はもはやなくなる。
 存在―気づき―愛が最高度に輝きだすだろう。
 解放とは、けっして個人が解放を得ることではなく、個人という実体から解
 放されることなのだ。
 質問者 そして、個人の痕跡は何も残らないのでしょうか?
 マハラジ
 夢や子ども時代の記憶のような、漠然とした記憶は残る。
 結局、覚えておくような何がそこにあるというのだろうか?
 たいてい偶然の、そして無意味な一連の出来事でしかない。
 欲望と恐れの連鎖と、愚かな失敗だ。
 覚えておくような何かがそこにあるだろうか?
 個人とは、あなたを監禁する殻(から)でしかないのだ。
 殻を破りなさい。
 質問者 殻を破るよう誰に頼めばいいのでしょうか? 誰が殻を破るのでし
     ょうか?
 マハラジ
 記憶と自己同一化の拘束を破りなさい。
 そうすれば、殻はひとりでに破れるだろう。
 そこには、何であれそれが知覚するものに実在性を分け与える中心がある。
 あなたが理解すべきことは、あなたは実在の源であり、実在を得るのではな
 く、あなたが実在を与えるということだけだ。
 あなたには何の支持も確証も必要ないのだ。
 ものごとはそのままだ。
 なぜなら、あなたがそれをそれとして受け入れるからだ。
 受け入れるのをやめなさい。
 そうすればそれは消え去る。
 何であれ、あなたが欲望と恐れとともに考えることは、現実となってあなた
 の前に現れる。
 それを欲望と恐れなしに見なさい。
 そうすればそれは実体を失う。
 快楽と苦痛はつかの間のものだ。
 そのために行動を起こすよりも、無視する方が単純でたやすいのだ。
 質問者 もしすべてのものごとに終わりが来るならば、いったい、どうして
     はじめからそれらは現れるのでしょうか?
 マハラジ
 創造は意識の本性そのものなのだ。
 意識が現れを起こす原因なのだ。
 実在は意識を超えた彼方にある。
 質問者 私たちが現れを意識している間、どうして私たちは、それらがただ
     の現れにすぎないと意識しないのでしょうか?
 マハラジ
 マインドはそれとは知らないうちに、実在を覆い隠してしまう。
 マインドの本性を知るには、沈黙と冷静な気づきのなかでマインドを見る能
 力である知性が必要なのだ。
 質問者 もし私がすべてに遍在する意識の本質であるなら、どうして私に無
     知と幻想が起こったのでしょうか?
 マハラジ
 無知も幻想も、けっしてあなたには起こらなかったのだ。
 あなたが無知と幻想をもつと見なす、その自己を見いだしなさい。
 そうすればあなたの質問は答えられるだろう。
 あなたはあたかも自己を知っているかのように話し、それが無知と幻想に揺
 り動かされているかのように見ている。
 だが実際には、あなたは自己を知らず、己の無知にも気づいていないのだ。
 気づきなさい。
 これがあなたを自己へと連れていくだろう。
 そうすればあなたは無知も妄想もなかったことを認識するだろう。
 それは、「光あるところ、いかにして闇あらん」という格言のようなものだ。
 どんなに日の光が強くとも、石の下には影ができるように、「私は身体だ」
 という意識の影のなかには、無知と幻想がかならず現れるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

571鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/26(土) 22:28:26 ID:1d4drIFg0
>>569 それは表面の思考とか感情で行われることではないのじゃ。
 自他を一つとみる深い意識で行われるのじゃ。
 そうであるから他人にしたことが自分に還って来るのじゃ。
 罪の意識がなくても報いはそのように起こるのじゃ。

記憶と自己同一化の拘束を破るようにとマハラジはいうのじゃ。
それこそ阿頼耶識の働きなのじゃ。
阿頼耶識が観察によって滅すれば悟りも訪れるのじゃ。

572避難民のマジレスさん:2019/01/26(土) 23:50:34 ID:LC3de7YgO
>>571
うむ。
確かにそうでありますね。
くまが無我を実感できるようになれば、サイコパスがいなくなるわけではないが、その様な者も報いを受ける、あわれな者として、受け入れられるようになるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

573避難民のマジレスさん:2019/01/27(日) 08:23:03 ID:LC3de7YgO
>>570
『I AM THAT 私は在る』
【71 自己覚醒の中で、あなたは自分自身について学ぶ】(つづき)

 質問者 しかし、どうして身体意識は存在のなかに現れたのでしょうか?
 マハラジ
 「なぜ」や「どうして」を尋ねてはならない。
 それ自身を創造と同一化することは、創造的想像の本性なのだ。
 あなたは注意をそらすことで、あるいは究明することによって、いつでもそ
 れを止めることができる。
 質問者 創造は究明する前に現れるのでしょうか?
 マハラジ
 はじめに、あなたが世界をつくり出すのだ。
 それから、「私は在る」が個人となる。
 彼はさまざまな理由から幸福ではないのだ。
 彼は幸福を探し求めて外へと出ていき、ひとりのグルに出会う。
 そしてグルは彼に言うのだ。
 「あなたは個人ではない。あなたとは誰なのかを見いだしなさい」と。
 彼はそれを為(な)し、彼方へと超えていくのだ。
 質問者 なぜ彼は最初からそうしなかったのでしょうか?
 マハラジ
 それは彼には起こらなかった。
 彼にはそれを言ってくれる誰かが必要だったのだ。
 質問者 それで充分だったのですか?
 マハラジ
 それは充分だった。
 質問者 なぜ、それはわたしの場合そう起こらないのでしょう?
 マハラジ
 あなたが私を信頼しないからだ。
 質問者 なぜ、私の信頼は弱いのでしょうか?
 マハラジ
 欲望や恐れがあなたのマインドを鈍くしてしまったのだ。
 それには洗い落としが必要だ。
 質問者 どうすればマインドをきれいにすることができるのでしょう?
 マハラジ
 容赦なく、それを見守ることによってだ。
 不注意が鈍くさせ、注意が明晰にさせるのだ。
 質問者 どうして、インドの師たちは無為を唱道するのでしょうか?
 マハラジ
 ほとんどの人びとの行為は、あからさまに破壊的でないにしても、無価値な
 のだ。
 欲望と恐れに支配され、彼らは何も適切なことができない。
 悪を為さないことが善をはじめることに先立つ。
 それゆえ、すべての活動をひとまず止める必要があるのだ。
 人の衝動とその動機を調べ、人生のなかでそれらはみな偽りであることを見
 て、あらゆる悪のマインドを清浄にし、その上でようやく自分の明白な義務
 から仕事を再開するのだ。
 もちろん、もしあなたが誰かを助ける機会があるなら、ぜひそうしなさい。
 それも敏速にしなさい。
 あなたが完全になるまで彼を待たせる必要はない。
 だが、善行を職業にしてはいけない。
 質問者 弟子たちの間にそれほど多くの善行をする人たちがいるようには見
     受けられません。私の出会ったほとんどが、自分の取るに足りない
     葛藤(かっとう)に没頭しています。彼らには他者を想う気持ちが
     ないのです。
 マハラジ
 そのような利己主義は一時的なものだ。
 そのような人びとに対して忍耐強くありなさい。
 長年、彼らは彼ら自身以外のすべてに注意を払ってきたのだ。
 ときには、彼らの注意を彼ら自身に向けさせようではないか。
 質問者 自己覚醒の成果とは何でしょうか?
 マハラジ
 あなたはより知的に成長するのだ。
 気づきのなかであなたは学ぶ。
 自己覚醒のなかで、あなたは自分自身について学ぶのだ。
 もちろん、あなたはあなたではないものだけを学ぶことができる。
 あなたが何であるのかを知るには、マインドを超えた彼方へ行かなければな
 らない。
 質問者 気づきはマインドの彼方にあるのではないでしょうか?
 マハラジ
 気づきとはマインドがそれ自身の彼方にある実在のなかへ届こうとする点な
 のだ。
 気づきのなかで、あなたはあなたを喜ばすものを探すのではなく、真実なる
 ものを探すのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

574素人A:2019/01/27(日) 10:36:05 ID:gOqWUDAs0
インドの神話「始まりにおいて、この宇宙は人間の形をした自己にすぎなかった。かれはあたりを見回したが、自分以外に何も
みなかった。それでかれはこう叫んだ。『私は彼だ』。そこから『わたし』という名が出てきた。今日でも人が話しかけるとき
かれがまず『わたしは』といい、それからかれが世間に通用している名前を告げる理由はここにある。かれは恐れた、これが人
々の一人でいるのを恐れる理由である。かれは考えた。『しかし私はなにを恐れているのだ。わたしの外にはなにもないのだ』
それで彼の恐れは消えて去った。彼は不幸だった。これが人々の一人でいると不幸である理由である。かれは仲間を求めた。彼
は抱き合っている女と男ほどに大きくなった。彼は彼自身であるこの身体を二つの部分に分けた。そこから夫し妻が出来た。・
・そこで人間の身体は(人がその妻と結婚する前には)割れたえんどう豆の片割れに似ているのである。・・かれはかの女と結ば
れた。そこから人間達が生まれるのである。かの女は考えた。『どうやつて彼は自分から私を産み出したあと、私と結ばれるこ
とが出来たのか。いいわ隠れてみよう』。かの女は牝牛になった。かれは雄牛になつてかの女と結ばれた。これから牛が生まれ
た。かの女は山羊になった。・・・こうして彼は蟻にいたるまでひとつがいで存在するあらゆるものを作り出した。こうして彼
は解った。『たしかに私は、私自身から創り出すものである。なぜなら私が全世界を創り出したのだから』そこで彼は創造と呼
ばれた。」固体と大宇宙の生みの親との恒久的な基層は以上の神話によれば一にして同じ。・創造主が「自己」と呼ばれる理由

575避難民のマジレスさん:2019/01/27(日) 18:56:40 ID:LC3de7YgO
>>573
『I AM THAT 私は在る』
【71 自己覚醒の中で、あなたは自分自身について学ぶ】(つづき)

 質問者 私は気づきが内面の沈黙の状態、精神的空の状態をもたらすことを
     見いだしました。
 マハラジ
 それはそれでよいが、充分ではない。
 あなたはそのなかで宇宙が青空の白雲のように漂う、すべてを包括する虚空
 を感じただろうか?
 質問者 まずは私自身の内なる空間をよく知るようにさせてください。
 マハラジ
 「私は身体だ」という分離をもたらす壁を壊しなさい。
 そうすれば、内面と外面はひとつになるだろう。
 質問者 私は死ぬのでしょうか?
 マハラジ
 身体的崩壊は無意味だ。
 感覚的な生にしがみつくことがあなたを束縛するのだ。
 もしあなたが内面の虚空を完全に体験するなら、全体性のなかへの爆発は間
 近なのだ。
 質問者 私自身の霊的成長には、それなりの時期があるのです。ときおり私
     は荘厳に感じ、そしてふたたび落ちこむのです。私はまるでエレベ
     ータ・ボーイのようです。上がったり下がったり、上がったり下が
     ったり。
 マハラジ
 意識における変化はすべて、「私は身体だ」という観念によるものだ。
 この観念を取り除くことで、マインドは安定する。
 特定の体験から自由な、純粋な存在がある。
 だが、それを実現するには、あなたは師の言うことをしなければならない。
 ただ聞くだけ、あるいは覚えることさえ充分ではないのだ。
 日常生活のなかで、師の一言ひとことを適用するよう懸命に専念しないかぎ
 り、あなたに進歩がないと不平を言ってはならない。
 本当の進歩とは、みな後戻りできないものだ。
 上がったり下がったりは、教えがマインドに届いていず、完全に行動に移さ
 れていないことを示しているのだ。
 質問者 先日、あなたはカルマなどというものはないと言われました。それ
     にも関わらず、私たちはあらゆるものごとに原因を見ます。それゆ
     え、すべての原因の合計がカルマと呼ばれるのかもしれません。
 マハラジ
 あなた自身を身体だと見なすかぎり、あなたはすべてに原因を帰するだろう。
 私はものごとに原因がないとは言ってはいない。
 それぞれのものごとには無数の原因がある。
 それはあるがままだ。
 なぜなら世界はあるがままだからだ。
 すべての原因とその支流は宇宙を覆っている。
 あなたにはあなたが承諾するものになる絶対の自由があり、あなたがあなた
 であるように見えるのは無知あるいは無関心のためだと自覚したなら、反抗
 し、変わることはあなたの自由だ。
 あなたはあなた自身ではないものとして在ることを許している。
 あなたはあなたではないものの存在の原因を探しているのだ!
 それは無駄な探求だ。
 すべての因果関係を超えた、完全なる真の存在に対するあなたの無知以外に
 原因などない。
 なぜなら、何が起ころうとも、責任はすべての宇宙にあり、そしてあなたが
 宇宙の源だからだ。
 質問者 私は宇宙の原因であることなど何も知りません。
 マハラジ
 あなたが「私は身体だ」という病原体に侵されたとき、宇宙全体が存在のな
 かに現れるのだ。
 だが、あなたがもうこれ以上はたくさんだというほどそれを味わったとき、
 解脱(げだつ)についての空想的な考えをマインドに抱いて、まったく無駄
 な行動を追求しはじめる。
 あなたは集中し、あなたは瞑想し、あなたはマインドと身体を苦しめて、あ
 らゆる類(たぐい)の不必要なことをする。
 だが、個人を消去するという本質的なことは見逃してしまうのだ。
 質問者 はじめのうちは、私たちが真我の探求をする用意ができるまで、し
     ばらくの間、祈りと瞑想をするべきなのかもしれません。
 マハラジ
 もしあなたがそう信じるなら、そうすればいい。
 私にとっては、あらゆる遅れは時間の浪費だ。
 あなたはすべての準備を飛び越え、内なる究極の探求に直接進むことができ
 るのだ。
 すべてのヨーガ(修練)のなかで、それがもっとも簡単で、最短なのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

576避難民のマジレスさん:2019/01/27(日) 19:02:20 ID:LC3de7YgO
>>575
> 解脱(げだつ)についての空想的な考えをマインドに抱いて、まったく無駄
 な行動を追求しはじめる。
 あなたは集中し、あなたは瞑想し、あなたはマインドと身体を苦しめて、あ
 らゆる類(たぐい)の不必要なことをする。
 だが、個人を消去するという本質的なことは見逃してしまうのだ。

←マハラジは瞑想に否定的なのでありましょうか?

それとも、
>  あなたが「私は身体だ」という病原体に侵されたとき、宇宙全体が存在のな
 かに現れるのだ。
 だが、あなたがもうこれ以上はたくさんだというほどそれを味わったとき、

身体との自己同一化を放置したままの瞑想は、無駄だと言ってるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

577鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/27(日) 23:40:09 ID:1d4drIFg0
>>572 そうじゃ出来るじゃろう。
 それもまた観念の虜であるからそのような異常を示すのじゃ。
 哀れな者なのじゃ。

>>576 それらは瞑想という行為に囚われて自己を追求することを疎かにする者のためにいうのじゃ。
 瞑想も自己を追求するための方法の一つに過ぎないのじゃ。
 それに囚われて自己を追求しなくなれば何の意味も無いのじゃ。

 クリシュナムルティも瞑想ばかりをして自己を観察しないことを否定したのじゃ。

578避難民のマジレスさん:2019/01/27(日) 23:57:24 ID:LC3de7YgO
>>577
鬼和尚、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

579避難民のマジレスさん:2019/01/28(月) 00:10:50 ID:LC3de7YgO
>>575
『I AM THAT 私は在る』
【72 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ】

 マハラジ
 あなたはインドに戻ってきたのかね。
 今までどこにいて、何を見てきたのだろうか?
 質問者 私はスイスから来ました。私はそこで、真我を実現したと宣言する
     注目すべき人物とともに滞在していました。彼は多くのヨーガを習
     得し、多くの体験を通り抜けてきました。今、彼は何も特別な能力
     や知識の主張をしません。唯一、彼について普通ではないことと言
     えば、感覚に関したことです。たとえば、車が彼に向かって急進し
     てきたとき、彼は、車が彼に向かって走ってきているのか、彼が車
     に向かっているのかわからないのです。どうやら、彼は同時に、見
     る者と見られるものの両方らしいのです。それらはひとつになるの
     です。何を見ようとも、彼は彼自身を見ています。私がヴェーダー
     ンタ哲学的な質問をすると、彼はこう答えるのです。「私には本当
     に答えられない。私は知らないんだ。私の知っていることは、何で
     あれ私が知覚するものとの奇
妙な同一化だけで、まったくこんなこ
     とが起こるとは予想もしていなかったんだよ」と。
     彼は概して謙虚な人です。弟子ももたず、自分を台座の上に置くこ
     ともしません。彼はその奇妙な状態について語ることを厭いません。
     しかし、ただそれだけなのです。
 マハラジ
 今、彼は知っているということを知っている。
 それ以外はすべて終わったのだ。
 少なくともまだ話はしている。
 じきに話すことさえもやめるだろう。
 質問者 そのとき、彼は何をするのでしょうか?
 マハラジ
 不動性と沈黙は無為ではないのだ。
 花は空間を芳香で満たし、ロウソクは輝きで満たす。
 それらは何もしないのに単なる存在だけですべてを変えてしまう。
 あなたはロウソクの写真を撮ることはできても、輝きは撮れない。
 あなたはその人の名前や姿を知ることはできても、彼の影響を知ることはで
 きないのだ。
 彼の存在自体が行為なのだ。
 質問者 行動的になるのは、自然なことではないでしょうか?
 マハラジ
 誰もが行動的でありたい。
 だが、彼の行為の根元はどこにあるのだろうか?
 そこに中心点なるものはないのだ。
 無意味に、苦しみながら、果てしない連続の中でそれぞれの行為が別の行為
 を生みだしていく。
 働きと休息の交代はそこにはない。
 あなたは車輪が車軸のまわりをまわっていくように周辺を旋回するのではな
 く、常に中心軸にいなければならないのだ。
 質問者 実際の修練において、私はどうすればよいのでしょうか?
 マハラジ
 いつであれ、欲望や恐れについての思考や感情がマインドに現れたときには、
 ただそれから注意をそむけなさい。
 質問者 思考や感情を抑圧すれば、私は反動を誘発することになるでしょう。
 マハラジ
 私は抑圧について語ってはいない。
 ただ注意を払うことを拒みなさい。
 質問者 マインドの動きを阻止するために努力するべきではありませんか?
 マハラジ
 それは努力とは何の関わりもない。
 ただ目を背け、思考そのものではなく、思考と思考の間を見なさい。
 群衆のなかを歩くとき、あなたは出会うすべての人と闘ったりはしない。
 ただ、その合間に通る道を見いだすだけだ。
 質問者 もし私が意志を用いてマインドを制御しようとすれば、それは自我
     を強めるだけです。
 マハラジ
 もちろんだ。
 もし闘えば、あなたは闘いを招く。
 だが抵抗しなければ、あなたも抵抗にであうことはない。
 ゲームをやめれば、あなたは無関係なのだ。
 質問者 私がマインドから自由になるには、どれくらいの時間がかかるので
     しょうか?
 マハラジ
 それには千年の時がかかるかもしれない。
 だが、本当は時間は必要としないのだ。
 あなたに必要なのは、絶対的に真剣になることだ。
 ここでは意志が実行だ。
 もし真剣ならば、それはあなたのものだ。
 結局、それは態度の問題なのだ。
 今ここであなたがジニャーニとなることを、恐れ以外の何も妨げてはいない。
 あなたは非人格として在ること、あるいは非人格的存在を恐れているのだ。
 ことはまったくシンプルだ。
 欲望と恐れから、そしてそれらが生み出す想念から注意をそむけなさい。
 そうすれば、あなたは即座に自然な状態のなかに在るだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

580避難民のマジレスさん:2019/01/28(月) 07:33:23 ID:LC3de7YgO
苦労を重ね、年老いて、身体中の痛みに耐えて生き、死をおそれつつ孤独に天寿を全うしようとしている母に、どのような言葉をかけたらよいでありましょうか。
(´・(ェ)・`)つ

581避難民のマジレスさん:2019/01/28(月) 12:46:04 ID:LC3de7YgO
>>579
『I AM THAT 私は在る』
【72 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ】(つづき)

 質問者 マインドの修正や、変更や、消去といった問題はないのでしょうか?
 マハラジ
 絶対にない。
 マインドは放っておきなさい。
 それだけだ。
 それについていってはならない。
 結局、あなたの法則ではなく、それ自体の法則に従って去来する想念を離れ
 て、マインドというものは存在しない
のだ。
 ただあなたが興味を持つために、マインドに支配されてしまうのだ。
 まさにキリストが、「悪にはむかうことなかれ」と言ったごとくだ。
 悪に抵抗することで、単にあなたはそれを強調してしまう。


 質問者 そうなのです。今、私は理解します。私のすべきことは、悪の存在
     を否定することだけなのです。そうすれば、それは消え去るでしょ
     う。しかし、それではある種の自己暗示と同じになってしまいませ
     んか?
 マハラジ
 自己暗示は、あなたが善と悪の狭間(はざま)に捕らわれ、あなた自身を個
 人と見なしている今、もっとも強力に作用しているではないか。
 私があなたに求めていることは、それをやめることなのだ。
 目を覚まし、ものごとをあるがままに見なさい。
 あなたがスイスの奇妙な友人と滞在したことで、彼との交際を通してあなた
 は何を得たのだろうか?
 質問者 まったく何も得てはいません。彼の体験は、私にまったく影響を与
     えませんでした。ひとつだけ私が理解したことは、そこには探求す
     べき何ものもないということです。私がどこへ行こうとも、旅の終
     わりに私を待ち受けているものは何もありません。発見は移動の結
     果ではないのです。
 マハラジ
 そのとおりだ。
 あなたとは、得たり失ったりできるような何かからまったく離れたものなの
 だ。
 質問者 あなたはそれをヴァイラーギャ、放棄、断念と呼ぶのでしょうか?
 マハラジ
 そこに放棄するようなものは何もない。
 もしあなたが獲得することをやめるなら、それで充分だ。
 与えるためにはもたなければならない。
 もつためには取らなければならない。
 取らないほうがいいのだ。
 それは「霊的な」自尊心となる危険性のある放棄を行うよりもシンプルだ。
 この、秤(はかり)にかけ、選択し、選定し、交換するといったすべてのこ
 とは、「霊的」マーケットでのショッピングなのだ。
 いったいあなたに何の関わりがあるというのだろう?
 どんな取引をするというのだろうか?
 あなたがビジネスをしようと躍起になっていないとき、この選択の果てしな
 い不安が何の役に立つというのだろう?
 落ち着きのなさは、あなたをどこへも連れていきはしない。
 あなたには何も必要ないとあなたが理解することを、何かが妨げているのだ。
 それを見つけだしなさい。
 そして、それが偽りであることを見極めなさい。
 それはある毒を飲み込んで、水への抑えきれない渇望に苦しむようなものだ。
 かぎりなく水を飲み込むよりも、毒を消去してこの焼けつくような渇きから
 自由になったらどうかね?
 質問者 私は自我を消去しなければならないでしょう!
 マハラジ
 「私は時間と空間のなかの個人だ」という感覚が毒なのだ。
 ある意味では、時間そのものが毒だ。
 時間のなかで、すべてのものごとが終焉(しゅうえん)し、新たに滅ぼされ
 るために生まれてくる。
 時間と自己同一化してはならない。
 不安げに「つぎは何か、つぎは何か?」と尋ねてはならない。
 時間から外に踏みだして、それが世界を滅ぼすのを見るがいい。
 そして言うがいい。
 「すべてを終わらせることが時間の本性なのだ。そうあらしめればいい。そ
 れは私には関わりない。私は燃えつきるものではなく、燃料を集める必要も
 ないのだ」と。
 質問者 観照者は観照されるものがなくても存在できるのでしょうか?
 マハラジ
 そこにはつねに観照される何かがある。
 もし観照されるものがなければ、その不在がある。
 観照は自然なもので、問題のないものだ。
 問題は自己同一化に導く、過剰な興味なのだ。
 何であれあなたを没頭させるものを、あなたは実在と見なしてしまう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

582鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/28(月) 21:59:44 ID:1d4drIFg0
>>578 どういたしまして、またおいでなさい。

>>580 ありがとうと感謝を述べるとよいのじゃ。
 産んでくれたことや愛し育ててくれたことに感謝の言葉をかけるのじゃ。

 死後のことを聞かれたら人は木の葉が大樹に繋がっているように全てにつながり決して全てと離れた存在ではないと告げるがよいのじゃ。
 全てである意識は無くならず、死んでもあり続けるというのじゃ。
 死は疲れた体をやすめる眠りと同じであり、眠りから覚めたものが元気になるように死んだ者も新たな元気な体を持つことをいうがよいのじゃ。

583避難民のマジレスさん:2019/01/28(月) 22:09:15 ID:LC3de7YgO
>>582
鬼和尚、ありがとうであります。
そのまま伝えるであります。
それなら、くまの気持ちそのままであり、くまの言葉で伝えられるであります。
(´・(ェ)・`)つ

584避難民のマジレスさん:2019/01/28(月) 22:27:42 ID:LC3de7YgO
>>581
『I AM THAT 私は在る』
【72 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ】(つづき)

 質問者 「私は在る」は実在でしょうか、非実在でしょうか? 「私は在る」
     は観照者でしょうか? 観照者は実在でしょうか、非実在でしょう
     か?
 マハラジ
 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ。
 汚染され、混じりあい、依存し、はかないものが非実在だ。
 言葉に惑わされてはならない。
 ひとつの言葉が多くの矛盾した意味を伝えることさえあるのだ。
 快楽を追求し、不快を避ける「私は在る」は偽りだ。
 快楽と苦痛を分割できないものとして見る「私は在る」は、正しく見ている。
 知覚するものに巻き込まれた観照者が個人なのだ。
 超然と離れて動じない観照者が実在の見張り塔であり、それは非顕現に固有
 である気づきが顕現に接触する点だ。
 観照者なしに宇宙はありえない。
 宇宙なしに観照者はありえないのだ。
 質問者 時間は世界を食い尽くします。時間を観照するのは誰なのでしょう
     か?
 マハラジ
 時間を超えた、名づけられないものだ。
 光を放って輝く燃えさしをぐるぐる速くまわすと、輝く輪として現れる。
 その動きが止んでも、燃えさしは残る。
 同じように、動きのなかの「私は在る」が世界をつくり出すのだ。
 「私は在る」が休息しているとき、それは絶対となる。
 あなたは懐中電灯をもって回廊を渡り歩く人のようだ。
 あなたは光線のなかのものしか見ることができない。
 他は暗闇なのだ。
 質問者 もし私が世界をつくり出したのなら、それを変えることができるは
     ずです。
 マハラジ
 もちろんできる。
 しかし、あなたはそれと自己同一化することをやめ、彼方へと超えていかな
 ければならない。
 そのとき、あなたは破壊し、再創造する力を持つのだ。
 質問者 私はただ自由だけが欲しいのです。
 マハラジ
 あなたは二つのことを知らなければならない。
 あなたが何から自由になるのか、そして何があなたを束縛しているのかだ。
 質問者 なぜあなたは宇宙を消滅させたいのでしょうか?
 マハラジ
 私は宇宙に関心はない。
 それはあるままで、あるいはないままで構わずにおこう。
 もし私が私自身を知るならば、それで充分なのだ。
 質問者 もしあなたが世界の彼方にいるのなら、世界にとって何の役にも立
     ちません。
 マハラジ
 存在しない世界を哀れむのではなく、存在する自己を哀れむがいい。
 夢に巻き込まれて、あなたは真我を忘れてしまったのだ。
 質問者 世界なしには、愛の場所もありません。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 これらすべての属性――存在、意識、愛、美は世界のなかに現れた実在の反
 映だ。
 実在なしには反映もない。
 質問者 世界は望ましいものごとや人びとであふれています。どうしてそれ
     を非存在だと想像できるでしょうか?
 マハラジ
 望ましいものは望む人たちにまかせておきなさい。
 あなたの欲望の流れを、取ることから与えることへと変えなさい。
 与えること、分かちあうことへの情熱は、あなたのマインドから外面的な世
 界という観念を、そして与えるという観念さえも自然に洗い流してしまうの
 だ。
 そして与えることも受け取ることも超えた、純粋な愛の輝きだけがそこに残
 るだろう。
 質問者 愛のなかには、愛する者と愛される者という二元性があるはずです。
 マハラジ
 その愛のなかにはひとつのものさえないのだ。
 どうして二つのものがありうるだろう。
 愛とは分かつことと区別することへの拒絶だ。
 統合を考える前に、まずあなたは二元性をつくり出さなければならない。
 本当に愛するとき、あなたは、「私はあなたを愛している」とは言わない。
 思考があるところに二元性があるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

585避難民のマジレスさん:2019/01/29(火) 07:50:25 ID:LC3de7YgO
>>584
『I AM THAT 私は在る』
【72 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ】(つづき)

 質問者 私をインドへと何度も繰り返し連れ戻すのは何でしょうか? それ
     は生活費が比較的安いからだけではないでしょう。また色彩の鮮や
     かさや印象の多様さでもありません。ここでは内面を外面に表すこ
     とが容易なのです。そこに何かより重要な要因があるはずです。
 マハラジ
 そこにはまた、霊的な側面もある。
 内面と外面の区別がインドではより少ないのだ。
 統合はよりたやすい。
 社会はそれほど抑圧的ではないのだ。
 質問者 そうです。西洋では、すべてがタマス(受動性)とラジャス(活動
     性)だけなのです。インドではより多くのサットヴァ、すなわち調
     和と、均衡があるのです。
 マハラジ
 あなたはグナ(属性)を超えてはいけないのだろうか?
 なぜサットヴァを選ぶのだろう?
 どこへ行こうとも、あなたのままでありなさい。
 グナを気にかけてはいけない。
 質問者 私には強さがありません。
 マハラジ
 それは単に、あなたがインドからわずかばかりしか得るところがなかったこ
 とを示しているだけだ。
 本当にあなたが持っているものであれば、失うことはできない。
 あなたがあなた自身のなかに根づいていたなら、場所を変えることはそれに
 影響を与えることはなかっただろう。
 質問者 インドでは、霊的な生活はたやすいのです。西洋ではそうではあり
     ません。より大きな範囲で環境に順応しなければならないのです。
 マハラジ
 どうしてあなた自身の環境をつくり出さないのだろうか?
 世界はあなたがそれに与えるだけの力しか、あなたに対して持ってはいない
 のだ。
 反抗しなさい。
 二元性を超えていきなさい。
 西洋と東洋の違いをつくってはならない。
 質問者 非常に霊的でない環境に自分を見いだしたとき、人は何ができるの
     でしょうか?
 マハラジ
 何もしてはいけない。
 あなた自身でありなさい。
 離れて在りなさい。
 彼方を見るのだ。
 質問者 家庭では衝突があるかもしれません。両親が理解することはまれな
     のです。
 マハラジ
 あなたがあなたの真の存在を知るとき、問題はなくなるのだ。
 あなたが両親を喜ばせようと喜ばせまいと、結婚しようとしまいと、たくさ
 んの富をつくろうとつくるまいと、それはみなあなたにとって同じことなの
 だ。
 ただ環境にしたがって行動しなさい。
 それでもあらゆる状況で、事実と実在に親密に触れながら。
 質問者 それはたいへん高次の状態なのではありませんか?
 マハラジ
 いいや、それはまったく普通の状態なのだ。
 あなたがそれを高いと呼ぶのは恐れがあるからだ。
 まず、恐れから自由になりなさい。
 何も恐れるものはないことを知りなさい。
 恐れのないことが至高なるものへの扉なのだ。
 質問者 どれほどの努力を積もうと、私を恐れなしにすることはできません。
 マハラジ
 あなたが恐れるものは何もないことを見るとき、恐れのない状態はひとりで
 にやってくるのだ。
 混雑した通りを歩くとき、あなたはただ人びとを通り越していく。
 何人かを見て、何人かは一瞥(いちべつ)するだけだ。
 だが、あなたは止まらない。
 障害をつくり出すのは止まるからなのだ。
 動きつづけなさい。
 名前や形を無視しなさい。
 それらに執着してはいけない。
 あなたの執着が束縛なのだ。
 質問者 ある人が私の顔を叩いたら、私はどうすべきでしょうか?
 マハラジ
 あなたはあなたの生来の、あるいは後天的な資質にしたがって反応するだろ
 う。
 質問者 それは避けられないものなのでしょうか? 私は、そして世界はあ
     るがままに留まることを運命づけられているのでしょうか?
 マハラジ
 古い宝飾品を新たにつくり直す宝石細工師たちは、最初にそれを形のない金
 の状態に溶解する。
 同じように、新しい名前と形が出現する前に、人は根元の状態に戻らなけれ
 ばならない。
 死は再生のために本質的なものなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

586鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/29(火) 20:58:43 ID:1d4drIFg0
>>583 そうじゃ、伝えると善いのじゃ。


マハラジはグナも気にかけてはいかんというのじゃ。
それもまた修行のために作り出された観念に過ぎないからなのじゃ。
人があまりにも活動的であれば今ラジャスが優勢じゃなとか気付いて直すことができるからなのじゃ。
常にサットヴァという観念に注意していれば心を鎮めていられるから作られただけなのじゃ。
それにも囚われずに進むのじゃ。

587避難民のマジレスさん:2019/01/29(火) 21:33:05 ID:LC3de7YgO
>>586
ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

588避難民のマジレスさん:2019/01/29(火) 21:57:02 ID:LC3de7YgO
>>585
『I AM THAT 私は在る』
【72 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ】(つづき)

 質問者 あなたはいつも彼方へと超えていき、超然とした孤独の必要性を強
     調します。「正しい」や「間違い」という言葉はほとんど使いませ
     ん。なぜそうなのでしょうか?
 マハラジ
 自分自身であることが正しく、自分自身でないことが間違いだ。
 それ以外はすべて条件づけだ。
 行動の基盤を必要とするために、あなたは正しさと間違いを分離することに
 熱心なのだ。
 あなたはいつも何かを追求している。
 だが、個人的に動機づけられ、何らかの価値の尺度に基づき、ある結果を狙
 った行為は無為よりも一層悪い。
 なぜならその結果はつねに苦いものだ
からだ。
 質問者 気づきと愛はひとつであり、同じものなのでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 気づきは動的で、愛は存在だ。
 気づきとは行為のなかの愛なのだ。
 マインドはそれ自体で無数の可能性を実現することができる。
 だが、愛によって喚起されないかぎり、それらに価値はない。
 愛は創造に先行する。
 それなしでは、ただの混沌(こんとん)となってしまう。
 質問者 気づきのなかの行為はどこにあるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは救いようのないほど行為に取りつかれている!
 動き、落ち着きのなさ、苦悩がそこにないかぎり、あなたはそれを行為とは
 呼ばないのだ。
 混沌とは動きのための動きなのだ。
 真の行為は置き換えるのではない。
 それは変容するのだ。
 場所の変化は単なる移動にすぎない。
 ハートの変化が行為なのだ。
 ただ覚えておきなさい。
 知覚できるものは何ひとつ実在ではない。
 活動は行為ではない。
 行為とは秘められた、未知で、不可知のものだ。
 あなたはその結果を知ることができるだけだ。
 質問者 神はすべてを為(な)す者なのではありませんか?
 マハラジ
 なぜ、外側の行為者をもちこむのだろうか?
 世界はそれ自体からそれ自体を再創造するのだ。
 それは一時的なものが一時的なものを生みだしていく果てしない過程だ。
 そこに行為者がいなければならないとあなたに考えさせるのは自我なのだ。
 どれほど恐ろしいイメージであろうとも、あなたがあなた自身のイメージに
 よって神をつくり出すのだ。
 あなたのマインドのフィルムを通して世界を投影し、そして原因と目的を与
 えるために神をも投影する。
 それはすべて想像なのだ。
 その外へと踏みだしなさい。
 質問者 世界を純粋に精神的なものとして見ることは、何と難しいのでしょ
     う! 触れることのできるその実在性には、本当に納得させられて
     しまいます。
 マハラジ
 本当に実在のように見えることが想像の神秘なのだ。
 あなたは禁欲主義者か、あるいは結婚しているかもしれない。
 修行僧か、あるいは家庭をもつ人かもしれない。
 それは要点ではないのだ。
 あなたは自分の想像の奴隷だろうか、あるいは違うだろうか?
 あなたがいかなる決定をしようとも、いかなる仕事をしようとも、それは変
 わることなく想像、想定が事実として誇示していることにいつも基づいてい
 るのだ。
 質問者 ここで、私はあなたの前に座っています、そのどの部分が想像のも
     のなのでしょうか?
 マハラジ
 その全体だ。
 空間と時間さえ想像のものだ。
 質問者 それはつまり、わたしは存在しないということなのでしょうか?
 マハラジ
 私もまた存在しない。
 すべての実存(イグジスタンス)は想像されたものなのだ。
 質問者 存在(ビーイング)もまた想像上のものでしょうか?
 マハラジ
 すべてを満たし、すべてを超えた純粋な存在は、限定された実存ではない。
 すべての限界は想像上のものだ。
 無限のものだけが実在なのだ。
 質問者 あなたが私を見るとき、何を見るのでしょうか?
 マハラジ
 私は、あなたがあなた自身だと想像しているあなたを見る。
 質問者 私のような人はたくさんいます。それでも各々異なっているのです。
 マハラジ
 すべての投影の合計が、いわゆるマハー・マーヤー、偉大なる幻想なのだ。
 質問者 しかし、あなたがあなた自身を見るとき、何を見るのでしょうか?
 マハラジ
 それはどのように見るかによる。
 マインドを通して見るとき、私は無数の人びとを見る。
 マインドの彼方を見るとき、私は観照者を見る。
 観照者の彼方には虚空と沈黙のかぎりない強烈さがあるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

589鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/30(水) 22:36:44 ID:1d4drIFg0
>>588 どういたしまして、またおいでなさい。

目覚めた者も普通の者と同じように観念を使って世界を見ることができるのじゃ。
それは人々の心に合わせて教えを説くためなのじゃ。
観念が無いときには観照者を見るのじゃ。
観る者が見られるものと同じ全ての意識としてみるのじゃ。

590避難民のマジレスさん:2019/01/30(水) 23:31:20 ID:LC3de7YgO
>>588
『I AM THAT 私は在る』
【72 純粋で、混じり気なく、帰属しないものが実在だ】(つづき)


 質問者 どのように人びとと関わればいいのでしょうか?
 マハラジ
 どうして、何のために計画を立てるのかね?
 そのような質問は不安の現れだ。
 関係性は生きものだ。
 ただあなたのマインドのなかで平和に在りなさい。
 そうすれば、あなたはすべての人と平和に在ることだろう。
 あなたが起こることの支配者でないことを自覚しなさい。
 純粋に技術的なこと以外、あなたに未来をコントロールすることはできない
 のだ。
 人間同士の関係性は、計画どおりにはいかないものだ。
 それはあまりにも豊かで多様なのだ。
 ただ理解し、慈悲深くありなさい。
 すべての利己主義から自由になりなさい。
 質問者 間違いなく、私は起こることの支配者ではありません。むしろ奴隷
     と言えるでしょう。
 マハラジ
 支配者にも奴隷にもなってはいけない。
 超然と離れて在りなさい。
 質問者 それは行為を避けることを暗示しているのでしょうか?
 マハラジ
 行為を避けることはできない。
 それはほかのすべてのように起こるの
だ。
 質問者 もちろん、私の行為は私がコントロールできます。
 マハラジ
 試してみるがいい。
 しなければならないことをするのだということを、あなたはすぐに理解する
 だろう。
 質問者 私は私の意志にしたがって行為することができます。
 マハラジ
 行為した後になって、はじめてあなたはあなたの意志を知るのだ。
 質問者 私は私の欲望、選択、決断を覚えていて、それにしたがって行為し
     ます。
 マハラジ
 それでは、あなたではなく、あなたの記憶が決めるのだ。
 質問者 どこで私が入り込んでくるのでしょうか?
 マハラジ
 それに注意を払うことで、あなたはそれを可能にするのだ。
 質問者 自由意志というものはないのでしょうか? 私には欲望をもつ自由
     はないのでしょうか?
 マハラジ
 いいや。
 あなたは欲望に強制されるのだ。
 ヒンドゥー教では自由意志という概念自体が不在だ。
 だから、そのための言葉もないのだ。
 意志とは拘束、固定、束縛だ。
 質問者 私の限界を選択するのは私の自由です。
 マハラジ
 あなたはまず、自由にならなければならない。
 世界のなかで自由になるには、世界から自由にならなければならない。
 さもなければ、あなたの過去があなたとあなたの未来のために決定するのだ。
 起こったことと起こらなければならないことの間に、あなたは捕らわれてい
 る。
 それを運命、あるいはカルマと呼ぶがいい。
 だが、けっして自由ではない。
 まず、あなたの真の存在に戻りなさい。
 そして愛のハートから行為するのだ。
 質問者 顕現のなかで、非顕現の特徴をもっているのは何でしょうか?
 マハラジ
 何もない。
 あなたが非顕現の特徴を探しだそうとする瞬間、顕現は消え去るのだ。
 もし非顕現をマインドで理解しようとするならば、あなたは即座にマインド
 を超えるだろう。
 木の棒で火をかきまわすときのように、棒は燃えつきてしまうのだ。
 マインドを用いて、顕現を調べてみなさい。
 卵の殻(から)をつつく、ヒヨコのようでありなさい。
 殻の外側の人生を殻のなかで憶測していても、何の役にも立たない。
 だが、殻を内側からつつくことがヒヨコを解放するのだ。
 同じように、調べることと、矛盾や愚かしさを露わにすることで、内側から
 マインドの殻を破りなさい。
 質問者 殻を破ろうとする熱望、それはどこから来るのでしょうか?
 マハラジ
 非顕現からだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

591避難民のマジレスさん:2019/01/31(木) 11:34:48 ID:LC3de7YgO
>>590
>あなたが非顕現の特徴を探しだそうとする瞬間、顕現は消え去るのだ。
 もし非顕現をマインドで理解しようとするならば、あなたは即座にマインド
 を超えるだろう。
 木の棒で火をかきまわすときのように、棒は燃えつきてしまうのだ。

←これは、言葉で表現できない「非顕現」=「悟り」を心=知性で探究する、詳細に観察することによって、悟りを理解しようとすれば、顕現は消え去ると言う意味でしょうか?
ここの場における顕現とはどのような意味でしょうか?
何故このように言えるのでしょうか?
(´・(ェ)・`)つ

592避難民のマジレスさん:2019/01/31(木) 11:48:16 ID:LC3de7YgO
>>590
『I AM THAT 私は在る』
【73 マインドの死は智慧の誕生だ】

 質問者 真の本性を実現する前に、人は個人として在る必要があるのではな
     いでしょうか? 自我にはそれなりの価値があるのではないでしょ
     うか?
 マハラジ
 個人は何の役にも立たない。
 それは自分の関心事に深く巻きこまれ、その真の存在に完全に無知なのだ。
 観照意識が個人に働きかけないかぎり、そして個人が観察の主体よりも、む
 しろ対象とならないかぎり、真我の実現は不可能だ。
 真我の実現を望むべき達成可能なものとするのは、観照者なのだ。
 質問者 人生のなかで、個人が観照者になる時点が来るのですね。
 マハラジ
 そうではない。
 個人が自ら観照者になることはない。
 それでは冷たいロウソクがやがて自ら火を灯(とも)すことを期待するよう
 なものだ。
 個人は気づきの炎に触れられないかぎり、無知の暗闇の中に永遠にとどまる
 こともありうる。
 質問者 誰がロウソクに火を灯すのでしょうか?
 マハラジ
 グルだ。
 彼の言葉、彼の臨在だ。
 インドでは、しばしばそれはマントラだ。
 ひとたびロウソクに火が灯れば、炎はロウソクを燃やし尽くすのだ。
 質問者 なぜ、マントラはそれほど効果的なのでしょうか?
 マハラジ
 絶え間ないマントラの復唱は、個人が自分のためにするような何かではない
 からだ。
 ロウソクが燃えるほどロウソクが増えていくということがないように、その
 恩寵(おんちょう)を受ける人は個人ではないのだ。
 質問者 個人は自分で自分に気づくことができるのでしょうか?
 マハラジ
 できる。
 それはときどき、大変な苦しみの結果として起こることがある。
 グルはあなたを果てしない苦痛から救いたい。
 彼の恩寵とはそのようなものなのだ。
 たとえ外側のグルが発見できないとしても、そこにはつねに内側から助け導
 く、内なる師(サットグル)がいる。
 内面や外面という言葉は身体にだけ関係する言葉だ。
 実際には、すべてはひとつだ。
 外側の存在は単に内面の投影にすぎない。
 気づきは高次の次元からやってくるのだ。
 質問者 火花が点火される前と後では何が違うのでしょうか?
 マハラジ
 火花が点火される前には、違いを知覚する観照者がいない。
 個人は意識しているかもしれない。
 だが、意識していることには気づいていない。
 個人は考えること、感じること、体験することと完全に自己同一化している。
 その中の暗闇も、個人が自らつくり出したものだ。
 暗闇が疑われたとき、それは解け去る。
 疑おうとする欲望は、グルによって植えつけられるものだ。
 別の言葉で言えば、個人と観照者との違いは、自分自身を知っていることと、
 知らないことにある。
 そこに調和(サットヴァ)があるとき、意識のなかで見られる世界は意識の
 本性として在る。
 だが活動性(ラジャス)や受動性(タマス)が現れるとき、それらは覆い隠
 し、歪(ゆが)ませ、そうしてあなたに偽りを実在として見せるのだ。
 質問者 グルの到来の準備として、個人には何ができるのでしょうか?
 マハラジ
 準備への欲望自体が、グルがすでに訪れ、炎が灯されたことを意味している。
 それは偶然出くわすひとつの言葉、あるいは本のなかの1ページかもしれな
 い。
 グルの恩寵は神秘的に働くのだ。
 質問者 心構えといったものはないのでしょうか? 私たちはヨーガのサー
 ダナ(修練)について、たいへん多くのことを聞いています。
 マハラジ
 サーダナをするのは個人ではない。
 個人は不安で、最後の最後まで抵抗する。
 個人とその幻想、過去、現在、未来全体に働きかけるのは観照者なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

593鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/31(木) 23:12:58 ID:1d4drIFg0
>>591 非顕現とはアヴィヤクタというのじゃ。
 それはアートマンのことなのじゃ。
 顕現とはヴィヤクタというのじゃ。
 自己であるというのじゃ。
 いろいろ解釈はあるがのう。

 アートマンをどこまでも追求すれば自己は消え去るしかないのじゃ。
 全てを非で現すアートマンをマインドで理解しようとすればマインドは消え去るしかないのじゃ。
 全て否定されるのであるからマインドそのものも否定されるのじゃ。

594避難民のマジレスさん:2019/01/31(木) 23:41:34 ID:LC3de7YgO
>>593
> アートマンをどこまでも追求すれば自己は消え去るしかないのじゃ。
 全てを非で現すアートマンをマインドで理解しようとすればマインドは消え去るしかない

くまにもわかりやすく解説ありがとうであります。

>あなたが非顕現の特徴を探しだそうとする瞬間、顕現は消え去る

←この「瞬間」・・・消え去る と言うところが、気になったであります。

鬼和尚の説明のように、

>どこまでも追求すれば・・・なら、理解できるのであります。

(´・(ェ)・`)つ

595避難民のマジレスさん:2019/02/01(金) 14:11:49 ID:LC3de7YgO
>>592
『I AM THAT 私は在る』
【73 マインドの死は智慧の誕生だ】(つづき)

 質問者 あなたの言われることが真実だと、どうやって知ることができるの
     でしょう? それ自体のなかで充足し、内なる矛盾のないあなたの
     話が、絶え間ないくり返しによって豊かに飾りたてた、創意に富ん
     だ想像の産物ではないと、どうやって知ることができるのでしょう
     か?
 マハラジ
 真理の証拠は聞き手への影響のなかにあるのだ。
 質問者 言葉はもっとも強力な影響を与えることができます。聞くことによ
     って、あるいは言葉をくり返すことによって、人は多様な超越状態
     を体験することができます。聞き手の体験は誘導されたものかもし
     れず、証拠として考慮することはできません。
 マハラジ
 影響がかならずしも体験である必要はない。
 それは人格、動機、人々との、そして自己との関係性における変化でもあり
 うる。
 言葉や薬物、あるいはほかのいかなる感覚的、精神的方法で誘導された超越
 状態や幻想も一時的なもので、決定的とは言えない。
 ここで語られた真理は不動の、永遠のものだ。
 そしてその証拠は聞き手のなかに、彼の存在全体における深い永続的な変化
 のなかにあるのだ。
 彼自身の自己の存在を疑わないかぎり、その証拠は彼が疑えるようなもので
 はない。
 わたしの体験があなた自身の体験となったとき、それ以上の証拠をあなたは
 求めるだろうか?
 質問者 体験者が彼の体験の証拠です。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 だが、体験者に証拠は必要ないのだ。
 「私は在る」、そして私は「私は在る」と知っている。
 それ以上の証拠を望むことはできない。
 質問者 ものごとの真の知識というものはありうるのでしょうか?
 マハラジ
 相対的見地からすれば――ある。
 絶対的見地からすれば――ものごとといったものはないのだ。
 何も存在しないことを知ることが、真の知識だ。
 質問者 何が相対性と絶対性を連結するものなのでしょうか?
 マハラジ
 それらは同一のものだ。
 質問者 どの見地から、それらが同一なのでしょうか?
 マハラジ
 言葉が話された後、そこには沈黙がある。
 相対性が終わったとき、絶対性が残るのだ。
 言葉が話される前の沈黙は、話された後の沈黙と異なるだろうか?
 沈黙はひとつであり、それなしには言葉も聞こえなかっただろう。
 それはつねに言葉の背景にあるのだ。
 あなたの注意を言葉から沈黙へと移行しなさい。
 そうすれば、あなたは聞くだろう。
 マインドは記憶をその知識とするために、体験を熱望する。
 ジニャーニはすべての体験を超えている。
 そして彼は過去の記憶をもたないのだ。
 彼は特定のいかなるものとも完全に無関係だ。
 だがマインドは体系化と定義づけを切望し、つねに実在を言語的な形態のな
 かに押しこもうと熱心なのだ。
 すべてにおいてそれは観念を求める。
 なぜなら、観念なしにマインドは存在しないからだ。
 実在は本質的にひとりなのだ。
 だが、マインドはそれをひとりにしておかない。
 そして、その代わりに忙しく実在について考えつづける。
 ただ非実在を実在として見なすこと、それがマインドにできる唯一のことな
 のだ。
 質問者 実在を実在として見ることは?
 マハラジ
 実在を見るという状態はない。
 誰が何を見るというのだろう?
 あなたは実在として在ることができるだけだ。
 いづれにせよ、あなたは実在なのだ。
 問題はただ精神的なものだ。
 偽りの概念を放棄しなさい。
 それだけだ。
 真の概念など必要ない。
 そんなものはないのだ。
 質問者 では、どうして私たちは実在を探し求めるように勧められるのでし
     ょうか?
 マハラジ
 マインドは目的をもたなければならない。
 非実在からマインドを自由にするように奨励することは、何らかの見返りを
 約束することだ。
 実際には目的の必要などない。
 偽りから自由になること自体が良いことなのだ。
 それは報酬を求めてはいない。
 それはまったく汚れずにいるようなものだ。
 それ自体がその報酬なのだ。
 質問者 自己知識は報酬ではないのでしょうか?
 マハラジ
 自己知識の報酬は個人的自己からの解放だ。
 あなたに知る者を知ることはできない。
 なぜなら、あなたが知る者だからだ。
 知っているという事実は知る者を証明している。
 ほかの証拠など必要ない。
 知られるものを知る者は不可知なのだ。
 光が色彩でのみ知られるように、知る者は知識のなかで知られるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

596鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/01(金) 21:38:50 ID:1d4drIFg0
>>594 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。

知る者は不可知であるというのはそれが認識できない認識主体であるからなのじゃ。
それがアートマンと呼ばれるものなのじゃ。
アートマンという言葉や知識は認識出来るものじゃ。
しかし、俺の心の中に何か認識できるものがあれば未だアートマンには達していないと知るがよいのじゃ。

597避難民のマジレスさん:2019/02/02(土) 01:21:55 ID:LC3de7YgO
>>595
73の2『I AM THAT 私は在る』
【73 マインドの死は智慧の誕生だ】(つづき)

 質問者 知る者とは推測にすぎないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは身体、マインド、感情を知っている。
 あなたは推測にすぎないのかね?
 質問者 私は他者にとって推測ですが、わたし自身にとってではありません。
 マハラジ
 私にとってもそうだ。
 私はあなたにとってはひとつの推測だが、わたし自身にとってではない。
 私は私自身であることによって、わたし自身を知っている。
 あなたが人間として在ることで、あなた自身が人間であることを知っている
 ように。
 あなたは自分が人間だということをつねに自分に思い起こさせたりはしない。
 あなたの人間性が疑問視されたときにだけ、それを主張するのだ。
 同じように、私は私がすべてであることを知っている。
 私には、「私はすべてだ。私はすべてだ」と繰り返す必要はない。
 あなたが私を何か特定の者、個人として見なすときだけ、私は言明するのだ。
 あなたがつねに人間であるように、私はつねに私で在るものなのだ。
 疑いの余地なく、何であれ、変わることなくあなたであるものがあなたなの
 だ。
 質問者 あなたがジニャーニであることをどのようにして知るのかと尋ねる
     と、あなたは、「私のなかには欲望がない。それが証拠ではないか
     ね?」と言われます。
 マハラジ
 私が欲望に満ちていたとしても、それでも私は私で在るものなのだ。
 質問者 私自身、欲望に満ちています。そしてあなたも。そこにどのような
     違いがあるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは欲望と自己同一化し、それらの奴隷になる。
 私にとって欲望はものごとのなかのひとつであり、精神的な空のなかに浮か
 ぶ雲にすぎない。
 そして私がそれらを満たす行為へと強いられることはないのだ。
 質問者 知る者と彼の知識、それらはひとつでしょうか、それとも二つのも
     のでしょうか?
 マハラジ
 それらはひとつであり、二つでもある。
 知る者が非顕現であり、知られるものが顕現だ。
 知られるものはつねに動いている。
 それは変化し、それ自体の形も、住処(すみか)ももたない。
 知る者はすべての知識の不変の支持者だ。
 どちらも互いを必要としている。
 だが、実在はその彼方に在るのだ。
 ジニャーニが知られることはない。
 なぜなら、そこには知られるような誰もいないからだ。
 個人が存在するとき、それについて何か言うことはできる。
 だが、そこに特定のものとの自己同一化がないとき、何を言うことができる
 だろう?
 あなたはジニャーニに何かを言うかも知れない。
 彼の質問はつねに「あなたは誰について語っているのか? そのような個人
 は存在していないのだ」というものだろう。
 あなたは宇宙について何も言えない。
 なぜなら、それはすべてを含んでいるからだ。
 同じように、ジニャーニについて言えることも何もないのだ。
 なぜなら、彼はすべてであり、特定の何かではないからだ。
 壁に絵を掛けるにはフックが必要だ。
 フックがなければ何に絵を掛けるというのだろう?
 ものの位置を決めるには空間が必要だ。
 出来事を位置づけるには時間が必要だ。
 だが、時間と空間を超えたところでは、手のつけようがない。
 それはあらゆるものを知覚可能にする。
 それにもかかわらず、それ自体は知覚の彼方にあるのだ。
 マインドはマインドの彼方にあるものを知ることができない。
 だが、マインドはその彼方のものによって知られる。
 ジニャーニは誕生も死も知らない。
 存在、非存在は彼にとって同じことなのだ。
 質問者 あなたの身体が死を迎えるとき、あなたは残るのです。
 マハラジ
 何も死にはしない。
 身体はただ想像上のものだ。
 そこにそのようなものはないのだ。
 質問者 もうひとつの世紀が訪れる前に、あなたは周りのすべてに対して死
     んでいることでしょう。あなたの身体は花に覆われ、それから焼か
     れ、そして灰はばらまかれるでしょう。これが私たちの体験なので
     す。あなたの体験はどのようなものでしょうか?
 マハラジ
 時間は終焉(しゅうえん)するだろう。
 これが偉大な死(マハームリティユ)と呼ばれるものだ。
 時間の死だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

598鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/02(土) 23:07:58 ID:1d4drIFg0
時間の終焉とはもはや生まれかわらないことなのじゃ。
時間という観念は人が生きるて動いている間だけ働くものであるからのう。
もはや生まれかわらないならば時間も無いのじゃ。
それが時間の終焉なのじゃ。

599避難民のマジレスさん:2019/02/02(土) 23:56:06 ID:LC3de7YgO
>>597
『I AM THAT 私は在る』
【73 マインドの死は智慧の誕生だ】(つづき)

 質問者 それは宇宙とその内容が終局を迎えるということを意味するのでし
     ょうか?
 マハラジ
 宇宙とはあなたの個人的な体験なのだ。
 どうしてそれが影響を受けようか?
 あなたは二時間の講義をしていたかもしれない。
 それが終わったとき、それはどこへ行ったのだろうか?
 それは講義のはじめ、中間、そして終わりのすべてのなかにある沈黙のなか
 へと消え去ったのだ。
 時間の終わるときが来た。
 それは在った。
 だが、それはもうないのだ。
 一生話しつづけた後の沈黙と、一生沈黙していた後の沈黙は同じ沈黙だ。
 不死とは「私は在る」という感覚からの自由だ。
 しかもそれは消滅ではない。
 その反対に、それはあなたが思い描く以上にかぎりなく実在で、気づいてい
 て、幸福だ。
 ただ、自己意識だけがもうないのだ。
 質問者 なぜマインドの大いなる死と身体の小さな死とは同時に起こるので
     しょうか?
 マハラジ
 それは同時には起こらない。
 あなたは精神的動揺もなく、百回もの死を死ぬかもしれない。
 あるいはあなたは身体を維持しながら、マインドのなかだけで死ぬかもしれ
 ないのだ。
 マインドの死は智慧の誕生だ。
 質問者 個人は去り、ただ観照者だけが残ります。
 マハラジ
 誰が残って「私は観照者だ」と言うのだろう?
 そこに「私は在る」がないとき、どこに観照者がいるというのだろう?
 時を超えた状態のなかに、自我が逃れる場所はないのだ。
 包みをもっている人は、それを失わないかと不安だ。
 彼は「包み意識」をもっているのだ。
 「私は在る」の感覚を大切にしている人には自意識がある。
 ジニャーニは何もつかまない。
 それゆえ、意識しているということはできない。
 しかも、彼は無意識でもないのだ。
 彼は気づきの本質そのものだ。
 私たちは彼をディガンバラと呼ぶ。
 空を身にまとい、すべての現れを超えた裸の人だ。
 彼がそのもとに存在するといえるような名前や形は何もない。
 それでも彼は唯一、真に存在する人なのだ。
 質問者 私には理解できません。
 マハラジ
 誰にできるだろうか?
 マインドにはそれ自身の限界があるのだ。
 知識の極限の地へとあなたを連れていき、未知の広大さに直面させるだけで
 充分だ。
 そのなかへと潜っていくことはあなた次第なのだ。
 質問者 観照者は実在でしょうか、それとも非実在でしょうか?
 マハラジ
 その両方だ。
 それは幻想の最後に残るものであり、実在の最初に触れるものだ。
 「私はただの観照者でしかない」と言うことは、偽りであり、真実でもある。
 それは「私は在る」ゆえに偽りであり、観照者ゆえに真実なのだ。
 「そこに観照がある」と言ったほうがより確かだ。
 あなたが、「私は在る」と言った瞬間、宇宙全体がその創造者とともに存在
 のなかに現れるからだ。
 質問者 別の質問です。個人と自己とを二人の兄弟として想い浮かべること
     ができるでしょうか? 弟はいたずら好きで、利己的であり、粗野
     で落ち着きがないのですが、
兄は知性があり、親切で、分別があり、
     思いやりがあって、身体意識とその欲望と恐れから自由です。兄は
     弟を知っています。しかし、弟は兄の存在に無知で、完全に独立し
     て生きていると考えています。グルがやってきて弟に言うのです。
     「あなたはひとりではない。あなたはとても良い家族の出なのだ。
     あなたの兄は大変注目すべき人で、賢明で、優しく、そしてあなた
     をとても愛しているのだ。彼を思い出しなさい。彼を想いなさい。
     彼を見いだしなさい。彼に仕えなさい。そうすれば、あなたは彼と
     ひとつになることだろう」と。さて、質問とは、私たちのなかには
     二人がいるのでしょうか? 個人と自己が。偽りの自己と本来の自
     己が。それともそれはただの直喩にすぎないのでしょうか?
 マハラジ
 その両方だ。
 そこには二人いるように現れる。
 だが、調べることによってひとりであることがわかるのだ。
 疑われないかぎり、二元性は継続する。
 マインド(ヴィヤクティ)、自己(ヴィヤクタ)、魂(アヴィヤクタ)の三
 位(さんみ)は、超越の体験の様式にすぎない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

600避難民のマジレスさん:2019/02/03(日) 09:31:06 ID:LC3de7YgO
>>599
『I AM THAT 私は在る』
【73 マインドの死は智慧の誕生だ】(つづき)

 質問者 私たちが夢の状態にいるというあなたの仮説が、あなたを論破する
     ことのできない立場に置いているのです。何であれ私たちが異議を
     唱えると、あなたはただその正当性を否定してしまいます。あなた
     と討論することは不可能です。
 マハラジ
 討論したいという欲望もまた、単なる欲望にすぎない。
 知ろうとする欲望、力を持とうとする欲望、存在しようとする欲望さえ、た
 だの欲望なのだ。
 誰もが、存在すること、存続すること、継続することを欲望する。
 なぜなら、誰も自分自身に確信がないからだ。
 しかし、誰もが不死不滅なのだ。
 あなたは自分を身体と見なすことで、自分自身を死ぬべき運命のものにして
 しまうのだ。
 質問者 あなたは解放を見いだしたの
です。私に少し分けてくださいません
     か?
 マハラジ
 なぜ少しなのかね?
 すべてを取りなさい。
 それは取るためにそこにあるのだ。
 だが、あなたは解放を恐れているのだ。
 質問者 スワミ・ラームダース* は同じような頼みに対処したことがありま
     した。ある日、何人かの弟子たちが彼のまわりに集い、解放してほ
     しいと頼んだのです。ラームダースは微笑みながら聞いていました
     が、突然、彼はまじめになって言ったのです。「あなたは今ここで
     それを得ることができるのだ。絶対的な永遠の解放を。欲しいのは
     誰かね? 前に出てきなさい」と。誰ひとり動く者はありませんで
     した。三度、彼はくり返し申し出たのですが、誰も受け入れません
     でした。そして彼は言ったのです。「申し出は取り消された」と。
 マハラジ
 執着が勇気を破壊するのだ。
 与える者にはいつも与える用意がある。
 だが、受け取る者がいないのだ。
 自由とは手放すことを意味している。
 人々はすべてを手放したくない。
 死が不死の代価であるように、無限なるものの代価が有限なるものだという
 ことを彼らは知らないのだ。
 霊的な成熟はすべてを手放す用意のなかにある。
 あきらめることが第一歩なのだ。
 だが真の放棄は、そこに何も放棄するものなどないと悟ることだ。
 なぜなら、あなたのものなど何もないからだ。
 深い眠りのように、眠りに陥るとき、あなたはベッドを放棄するわけではな
 い。
 ただそれを忘れるだけだ。
 *訳注 スワミ・ラームダース Swami Ramdas(一八八四一九六三)
 南インドのケララ州生まれの偉大な聖者。一般の家住者の生活を送っていた
 が、三十六歳でサンニャーシンとなる。
 ラーマ神の帰依者として OM SRI RAM JAI RAM JAI JAI RAM のマントラを復
 唱。一九一八年、シュリー・ラマナ・マハルシに出会う。聖なる丘アルナー
 チャラの洞窟に暮らし、ラーマ神のヴィジョンを見る。インド各地を遊行し
 た後、カドリ洞窟にてラーマ神との自己同一性を実現する。
 アーナンダアシュラムを設立。後継者はクリシュナ・バイ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

601鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/03(日) 21:17:22 ID:1d4drIFg0
多くの者は自我を失くすことを恐れているのじゃ。
それが本当の自分と思っているからのう。
そうであるから今すぐにでも悟りを得られると思うと尻込みしてしまうのじゃ。
自分で有る筈の自我を失うということは死に等しいと感じてしまうからなのじゃ。
死への恐れが人を悟りから遠ざけるのじゃ。
自分が自我ではないという知識も必要なのはそのような恐れを克服するためなのじゃ。
瞑想の途中に誰もが経験するこの恐れを感じたならばそこから勇気を持って進むことが肝心なのじゃ。

602避難民のマジレスさん:2019/02/03(日) 21:46:58 ID:LC3de7YgO
>>600
『I AM THAT 私は在る』
【74 真理は今ここにある】

 質問者 私の質問は、「何が真理の証拠なのか?」ということです。すべて
     の宗教の信奉者は、形而上学的、政治的、哲学的、あるいは倫理学
     的のいずれにせよ、彼らのものが唯一の真理だと確信させられてい
     ます。ほかのすべては偽りであり、彼らの揺るぎない信念を真理の
     証拠と見なしています。彼らは、「私は納得した。それゆえ、それ
     は真理に違いない」と言うのです。私にとってはいかなる宗教、哲
     学、教義、あるいは観念体系も、どんなに完全で、感情的に訴え、
     内面的矛盾を持たないとしても、それ自身の真理の証拠にはならな
     いように見えるのです。それは衣服のようなもので、時間や環境に
     よって、流行の流れにしたがって変化していくものです。
     それでは、誰かの信念に依存しない真の宗教、あるいは哲学という
     ものがありうるのでしょうか? 聖典でさえも同様です。なぜなら、
     それも誰かの信仰に依存するからです。信頼することに依存しない、
     主観的ではない真理があるのでしょうか?
 マハラジ
 科学はどうだろうか?
 質問者 科学は堂々巡りです。それは感覚とともに、はじめた場所で終わる
     のです。それは経験を扱い、そして経験とは主観的なものなのです。
     二人の個人が同じ体験をすることはありえません。それでも彼らは
     同じ言葉で表現するかもしれません。
 マハラジ
 あなたはマインドを超えた彼方の真理を探さなければならないのだ。
 質問者 私はもう充分なほどの超越状態を体験してきました。どんな薬物で
     も、安価に、そして即座にそれを誘発できるのです。呼吸や精神的
     な訓練によって起こされた伝統的なサマーディ(三昧)もまた、た
     いした違いはありません。酸素サマーディや二酸化炭素サマーディ
     があり、思考の連鎖やマントラの復唱による自己誘導されたサマー
     ディもあります。単調性は眠気をもたらすだけです。いかに荘厳な
     ものであれ、私にはサマーディを真理の証拠として受け入れること
     はできません。
 マハラジ
 サマーディとは体験を超えたものなのだ。
 それは特質のない状態だ。
 質問者 体験の不在は不注意によるものです。それは注意とともにふたたび
     現れます。目を閉じることが光の不在を証明するわけではありませ
     ん。実在を否定的な状態に帰属させることは、どこへも私たちを連
     れてはいかないでしょう。否定そのものが肯定を含んでいるのです。
 マハラジ
 ある意味では、あなたは正しい。
 だがあなたは何があなたのマインドのなかに描いている真理で、どのような
 証拠があなたを満足させるのかを説明することもなく、真理の証拠を求めて
 いるということがわからないだろうか?
 もしあなたの証明を信頼するなら、あなたは何であれ証明することができる
 のだ。
 しかしあなたの証拠が本物だと何が証明するのだろう?
 あなたが知っているのは、あなたが存在するということだけであるのを、私
 はたやすくあなたに容認させることができる。
 あなたが持つことのできる唯一の証拠は、あなたなのだ。
 だが私は実在(リアリティ)と単なる実存(イグジスタンス)を同一視しな
 い。
 実存は一時的であり、つねに時間と空間のなかにある。
 一方、実在は不変ですべてに浸透しているのだ。
 質問者 私は何が真理か、何によって証明できるのかも知らないのです。ど
     うか私を私自身の源に投げ返さないでください。私は何ももってい
     ないのです。ここではあなたが真理を知る人であり、私ではありま
     せん。
 マハラジ
 あなたは真理の証拠としての証言を拒絶している。
 あなたにとっては他者の体験は役に立たないものだ。
 多くの証人の間で一致した表明による結論も、あなたはすべて拒否してしま
 う。
 それゆえ、何があなたを満足させる証拠なのかを私に伝えるのはあなたなの
 だ。
 何があなたの評価にとって有効な証拠だろうか?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

603避難民のマジレスさん:2019/02/04(月) 06:47:15 ID:LC3de7YgO
>>602
『I AM THAT 私は在る』
【74 真理は今ここにある】(つづき)
 
 質問者 正直なところ、何が証拠となるのか自分でもわからないのです。
 マハラジ
 あなた自身の体験でさえもかね?
 質問者 私の体験でもなければ、私の存在でもありません。それらは私が意
     識していることに依存するものです。
 マハラジ
 では、あなたが意識していることは何に依存するのだろうか?
 質問者 わかりません。以前なら、私の身体によって、と答えたことでしょ
     う。現在では、身体は二次的で根本的なものでないとわかるので、
     存在の証明として考えることができません。
 マハラジ
 過ちと不幸の源である「私は身体だ」という観念をあなたが放棄したことは
 喜ばしいことだ。
 質問者 私は知的に放棄したのです。しかし、個人としての特定の存在感覚
     はいまだに私とともにあります。「私は在る」と言うことはできま
     すが、私は何なのかを言うことはできません。私が存在しているこ
     とは知っています。しかし、何が存在しているのか、私は知りませ
     ん。どのように表現してみても、私は未知に直面するのです。
 マハラジ
 あなたの存在そのものが真理なのだ。
 質問者 もちろん、私たちは同じことを話しているのではありません。私は
     何か抽象的な存在ではありません。私は個人であり、限定され、そ
     の限定に気づいています。私は事実です。しかし、私はもっとも非
     現実的な事実なのです。個人としての一時的な存在の上に構築でき
     るようなものは何もありません。
 マハラジ
 あなたの言葉はあなたよりも賢明だ!
 個人としてのあなたの存在は一時的なものだ。
 だが、あなたはただの個人なのだろうか?
 あなたは本当に個人なのだろうか?
 質問者 どうやって答えればいいのでしょうか? 私の存在の感覚は、私は
     在ることだけを証明します。それは私から独立したものは何も証明
     しません。私は相対的存在です。相対的な創造主と創造物の両方な
     のです。絶対的真理の絶対的証拠――それは何なのでしょうか、ど
     こにあるのでしょうか? 単なる「私は在る」という感覚が実在の
     証明になりうるのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、なりはしない。
 「私は在る」と「世界は在る」は関連し、条件づけられている。
 それらは名前や形を投影するマインドの傾向のせいなのだ。
 質問者 名前と形、観念と信念、しかし真理ではありません。もしあなたに
     出会わなかったなら、私は真理も含めたすべての相対性を受け入れ
     たことでしょう。そして推測によって生きることを学んだことでし
     ょう。ですが、私はあなたに出会い、絶対なるものが手の届くとこ
     ろにあり、もっとも望むべきものであるということをあなたから聞
     きました。平和、至福、永遠、不死といった言葉が、苦痛と恐れか
     らの自由を示すものとして、私の注意を引いたのです。生来の本能
     である快楽の追求と好奇心が呼び起こされ、私はあなたが開いた領
     域を探検しはじめました。それらはみなもっとも魅力的であり、そ
     れゆえ当然、私は尋ねるのです、「それは達成できるものなのでし
     ょうか? それは真理なのでしょうか?」と。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

604鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/04(月) 23:01:27 ID:1d4drIFg0
不死の境地は紛れも無くあるものじゃ。
そして人は確かにそれを達成できるのじゃ。
多くのブッダ達が証明しているのじゃ。
しかし、恐れが人を立ち止まらせるのじゃ。
自我を失う恐れを克服して全てのブッダ達はそこに到達したのじゃ。

605避難民のマジレスさん:2019/02/05(火) 04:25:39 ID:LC3de7YgO
>>603
『I AM THAT 私は在る』
【74 真理は今ここにある】(つづき)

 マハラジ
 あなたは「砂糖が甘いことを証明してくれれば、それをもらうよ」と言って
 いる子供のようだ。
 甘さの証明は砂糖のなかにではなく、口のなかにあるのだ。
 それが甘いことを知るためには、味を知らなければならない。
 ほかに方法はない。
 もちろん、あなたは「それは砂糖でしょうか、それは甘いのでしょうか?」
 と尋ねることからはじめることができる。
 そしてあなたが味わうまでは私の保証を受け入れる。
 ひとたび味わえば、すべての疑いは消え去るのだ。
 そしてあなたの知識は直接の、揺るぎのないものとなる。
 私は、あなたに私を信じるように頼みはしない。
 ただ、はじめるのに充分なだけは信頼してほしい。
 それぞれの段階がそれ自体を証明、あるいは反証するのだ。
 あなたは真理に先立って真理の証拠がほしいようだ。
 では、証明の証明はどうなるのかね?
 見なさい、あなたは後退しているのだ。
 それを止めるためには、証拠を求めることをやめ、真理としての何かを、ま
 ず受け入れなければならない。
 それが何かは重要ではない。
 それは神、あるいは私、あるいはあなた自身かもしれない。
 どの場合でも、あなたは何か、あるいは誰か未知なるものを真理として受け
 入れるのだ。
 さて、もしあなたが、たとえ一瞬でも受け入れた真実にしたがって行為する
 ならば、すぐにもつぎの段階に移るだろう。
 それは闇のなかで木に登るようなものだ。
 最初の枝に足をかけて、はじめてつぎの枝をつかむことができる。
 科学はそれを実験的研究方法と呼ぶ。
 論理を証明するために、先達の実施指導にしたがって実験を進めていくのだ。
 霊的探求における実験の連鎖をヨーガと呼ぶのだ。
 質問者 多くのヨーガがありますが、どれを選択すれば良いのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、すべてのジニャーニは、彼がもっとも親密に知っている自分の歩
 いた達成への道を提案することだろう。
 しかし、彼らのほとんどは非常に寛大であり、探求者の必要に適した助言を
 するのだ。
 すべての道はマインドの浄化へとあなたを導く。
 不純なマインドは真理を不透明にする。
 純粋なマインドは透明だ。
 真理はそれを通して容易に、明らかに見ることができるのだ。
 質問者 すみません。しかし、私には私の困難を伝えるすべを見つけられま
     せん。私は真理の証拠について尋ねていたのです。そして、それに
     到達する方法を与えられたのです。私がその方法にしたがい、ある
     望むべき、すばらしい状態を達成したとします。どのようにしてそ
     の状態が真実のものだと知ることができるのでしょうか? すべて
     の宗教は信仰からはじまり、ある恍惚状態を約束します。その状態
     は実在のものでしょうか? それとも信仰の産物でしょうか? な
     ぜなら、もしそれが誘発された状態なら、はじめから私は関わらな
     いでしょう。たとえばキリスト教徒は言います。「イエスはあなた
     の救世主です。信じなさい。そして罪から救われなさい」と。私が
     罪を犯しているキリスト教徒に、イエスへの信仰にもかかわらず、
     どうしてあなたは罪から救われてはいないのかときくと、彼は、
     「私の信仰心が完全ではないからです」と答えるのです。またして
     も、私たちは悪循環のなかにいます。完全な信仰なしには解放もあ
     りません。解放がなければ、完全な信仰心もないのです。完全な信
     仰心というものはありません。それゆえ、解放はないのです。満た
     すことの不可能な条件を強(し)いられ、それから、それらを満た
     していないことを非難されるのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

606鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/05(火) 22:53:28 ID:1d4drIFg0
真理を伝えることを求める者にマハラジはそれは砂糖が甘いことを証明してくれれば貰うという子供のようじゃというのじゃ。
真理とは自ら行うことでしか知ることも感じることも出来ないものじゃ。
言葉として伝えられる知識としての真理などは無いのじゃ。
自ら実践して体感するための法としての真理だけがあるといえるのじゃ。

607避難民のマジレスさん:2019/02/06(水) 07:09:43 ID:LC3de7YgO
>>605
74の3『I AM THAT 私は在る』
【74 真理は今ここにある】の3回目

 マハラジ
 あなたは現在の目覚めの状態が、無知から起こるものだということを認識し
 ていない。
 あなたの真理の証拠についての質問は、実在における無知から生まれたもの
 なのだ。
 「私は在る」という点で、あなたは意識のなかの感覚的、精神的状態に触れ
 ている。
 一方、実在は瞑想されず、触れられず、体験されないままだ。
 あなたは二元性をあまりにも当然のことと見なしていて、それに気づいてさ
 えもいない。
 だが、私にとって多様性や変化は分離を生みださないのだ。
 あなたは実在が名前と形から離れてあると想像している。
 だが、私にとって名前と形は、実在の絶えず変化する表現であり、それから
 離れてはいないのだ。
 あなたは真理の証拠を求めている。
 だが私にとっては実存すべてが証拠だ。
 あなたは実存(イグジスタンス)から存在(ビーイング)を切り離し、実在
 (リアリティ)から存在(ビーイング)を切り離している。
 だが、私にとってはすべてがひとつなのだ。
 どれほど目覚めの状態の真実性に確信をもっていようとも、私が自分の話で
 しているように、あなたはそれを永久不変のものだと宣言することはない。
 しかし、それでも私は私たちの間に違いを見ない。
 ただあなたはものごとを想像しているだけであり、私はそうしないだけなの
 だ。
 質問者 最初にあなたは私から真理に関して尋ねる資格を奪い、それから私
     に想像について非難するのです! あなたにとって想像であるもの
     が、私にとっては真理なのです。
 マハラジ
 あなたがそれを調べてみるまではそうだろう。
 何もあなたを非難しているわけではないのだ。
 ただ、賢明に質問するよう求めているだけだ。
 あなたの知らない真理の証拠について探し求めるよりも、あなたが知ってい
 ると信じている証拠について調べてみなさい。
 そうすれば、あなたは何も確信できるものがなく、人伝え聞いたことを信じ
 ているだけだと知るだろう。
 真理を知るためには、あなた自身の体験を通らなければならないのだ。
 質問者 私はサマーディや超越状態がひどく恐ろしいのです。その原因が何
     であろうとも。酒、喫煙、高熱、薬物、呼吸、歌、揺さぶり、踊り、
     旋回、礼拝、セックス、断食、マントラ、あるいはめまいのするよ
     うな抽象観念は私を目覚めの状態から追いだし、未知ゆえに何か驚
     くべき体験を与えるのです。しかし、その原因がやめば、結果は消
     え去り、残るのは記憶だけです。容易に忘れることはできませんが、
     それでも消え去るのです。
     すべての方法とその結果を放棄しましょう。なぜなら、結果は方法
     に縛られているからです。新たな質問をしましょう。真理を生みだ
     すことはできるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが探しにいけるような真理の住処(すみか)がどこかにあるというの
 かね?
 そしてどうやってそれを見つけたと知るのだろうか?
 それを試すためのどんな試金石をもっていくというのだろう?
 あなたは「真理の証拠とは何か?」という最初の質問に後戻りしたのだ。
 その質問自体に何か間違いがあるに違いない。
 なぜなら、あなたにはそれを何度もくり返す傾向があるからだ。
 なぜ真理の証拠が何かと尋ねるのだろうか?
 あなたが真理を直接知らないから、そして騙(だま)されることを恐れてい
 るからだろうか?
 真理とは「真理」という名前をつけた何かであり、もし本物なら、それをも
 つことは有益だとあなたは想像しているのだ。
 だからあなたは騙されることを恐れているのだ。
 あなたは真理を買いに来た。
 だが、商人を信頼することができない。
 あなたは偽造品や模造品を恐れているからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

608鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/06(水) 22:09:29 ID:1d4drIFg0
西洋的な学校の教育を受けたものは真理とは先生が教えてくれものと信じているのじゃ。
それが正しいものである証拠も含めて全て教えてくれるはずだと思うのじゃ。
マハラジのようなブッダはそれが教えられるものではないと知っているのじゃ。
自ら体得しなければどのような真理もありえないのじゃ。
それが真の教えなのじゃ。

609避難民のマジレスさん:2019/02/06(水) 23:17:06 ID:LC3de7YgO
>>607
『I AM THAT 私は在る』
【74 真理は今ここにある】(つづき)

 質問者 私は騙されることを恐れているのではありません。私が私自身を騙
     すことを恐れているのです。
 マハラジ
 だが、あなたは本当の動機に無知であることによって自分を騙しているのだ。
 あなたは真理を求めている。
 だが、実際には永遠に続く安楽を探しているだけなのだ。
 いかなるものも、どんなマインドの状態も永遠に続きはしない。
 時間と空間のなかではつねに限界がある。
 なぜなら時間と空間自体が限定されているからだ。
 そして時間を超えたもののなかでは「永遠に」という言葉は意味をもたない。
 「真理の証拠」についてもまた同様なのだ。
 非二元性の領域ではすべてが完全で、それ自体の証拠であり、意味と目的な
 のだ。
 すべてがひとつであるところでは、どのような支えも必要とされない。
 あなたは永久性が真理の証拠だと想像している。
 より長く継続するものが、より真理に
近いのだと。
 時間が真理のはかりとなってしまった。
 そして時間がマインドのなかにあるため、マインドが判定者となり、真理の
 証拠をマインドそのもののなかに探求するのだ――まったく不可能で絶望的
 な仕事だ。
 質問者 あなたが「何も真理ではない。すべてが相対的なのだ」と言われる
     のなら、私も同意したでしょう。しかし、あなたは真理、実在、完
     全な知識はあると主張しています。それゆえ、「それは何なのでし
     ょうか、どうやって知ることができるのでしょうか?」と尋ねてい
     るのです。それでは、何が私に「そうです。マハラジの言うとおり
     です」と言わせるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは証明、証拠、権威の必要性にしがみついている。
 まだ真理が示され、「見なさい、ここに真理がある」と言われる必要がある
 と想像しているのだ。
 そうではない。
 真理は努力の結果、旅路の果てにあるのではない。
 それは今ここに、その熱望と探求そのもののなかにあるのだ。
 それはマインドや身体よりも近い。
 「私は在る」という感覚よりも近いのだ。
 あなたがそれを見ないのは、あなた自身からずっと遠くを、存在の核心の外
 を見ているからだ。
 あなたは真理を対象化し、あなたの証明と審査の基準に合うべきだと言い張
 っている。
 だが、それはものごとや思考にしか当てはまらないのだ。
 質問者 あなたの言われることから察するに、真理は手の届かないところに
     あり、私にはそれについて語る資格がないということです。
 マハラジ
 あなたには資格があるばかりではなく、あなたが真理そのものなのだ。
 ただあなたは偽物を真理だと勘違いしているだけだ。
 質問者 あなたは、「真理の証拠について尋ねてはならない。真理でないも
     のだけに関わりなさい」と言われているようです。
 マハラジ
 真理の発見は、偽りを識別することのなかにあるのだ。
 あなたは存在しないものを知ることができる。
 在るものは――あなたはただ在ることができるだけなのだ。
 既知にとって、知識は相対的なものだ。
 ある意味では、知識は無知の片割れなのだ。
 無知のないところに知識の必要があるだろうか?
 それ自体では、無知も知識も存在していない。
 それらは単なるマインドの状態であり、また本質的に不変である意識の運動
 の現れなのだ。
 質問者 真理はマインドの領域内にあるのでしょうか、それともそれを超え
     ているのでしょうか?
 マハラジ
 そのどちらでもない。
 それは両方だ。
 それを言葉で表すことはできない。
 質問者 表現不可能(アニエルヴァーチャーニヤ)……これがつねに私の聞
     いてきたことです。それが私を賢くすることはありません。
 マハラジ
 それがしばしば無知を覆(おお)い隠すことは本当だ。
 マインドはそれ自体がつくり出した言語で働くことができる。
 ただ、それ自体を超えていくことはできないのだ。
 感覚的でも精神的でもなく、しかも、それなしには感覚的なものも精神的な
 ものもありえないものが、感覚的なものや精神的なものに含まれることはあ
 りえないのだ。
 マインドには限界があることを理解しなさい。
 マインドを超えていくには、沈黙とひとつにならなければならないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

610鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/07(木) 22:24:50 ID:1d4drIFg0
マハラジは真理はそこにある、私は在るよりも近いとさえ言うのじゃ。
しかし、質問者はそれを理解しようとしないのじゃ。
それも恐れがあるからなのじゃ。
真理を欲すると共に真理を恐れているのじゃ。
それによって自分の生活や自分自身さえも変化してしまうことを恐れているからなのじゃ。

611避難民のマジレスさん:2019/02/07(木) 22:53:05 ID:LC3de7YgO
>>609
『I AM THAT 私は在る』
【74 真理は今ここにある】(つづき)

 質問者 行為が真理の証拠だと言うことはできるでしょうか? 真理は言語
     化することはできませんが、行動に表すことはできるかもしれませ
     ん。
 マハラジ
 行為でも無為でもない。
 それはどちらも超えているのだ。
 質問者 人は「そうです。これこそ真理です」と言うことができるのでしょ
     うか? あるいは彼は偽りを否定することに制限されているのでし
     ょうか? 言い方を変えれば、真理は純粋な否定なのでしょうか?
     あるいはそれが断言となる瞬間がやってくるのでしょうか?
 マハラジ
 真理は描写できない。
 だが、体験されることができるのだ。
 質問者 体験は主観的であり、分かち合うことができません。あなたの体験
     は、私を今いるところに置き去りにするのです。
 マハラジ
 真理は体験できるが、それは単なる体験ではない。
 私はそれを知っていて、あなたに伝えることができる。
 だが、あなたがそれに対して開いているときだけだ。
 開いているとは、ほかの何も求めないということだ。
 質問者 私は恐れと欲望でいっぱいなのです。それは私が真理を知るには適
     格ではないということでしょうか?
 マハラジ
 真理は良いふるまいに対する褒美(ほうび)でも、何かの試験が通ったこと
 への賞でもない。
 それをもたらすことはできないのだ。
 それは原初のもの、不生、存在するすべての太古の源なのだ。
 あなたは適格だ。
 なぜならあなたは在るからだ。
 あなたが真理に値する必要はない。
 それはあなた自身のものなのだ。
 ただ、それを追いかけることによって、それから逃げだしてはならない。
 沈黙しなさい。
 静かで在りなさい。
 質問者 もし身体を落ち着かせ、マインドを静にさせなければならないのな
     ら、どのようにすればいいのか教えてください。自己覚醒のなかで、
     私は身体とマインドが私のコントロールを超えた原因によって動か
     されているのを見ます。遺伝と環境が私を絶対的に支配しています。
     宇宙の創造者である偉大な「私は在る」も、薬物によって一時的に、
     あるいは一滴の毒によって永久に消し去ることができるのです。
 マハラジ
 またしても、あなたは自分を身体と見なしている。
 質問者 たとえ私が骨、肉、血としてのこの身体を退けたとしても、いまだ
     に思考、感情、記憶、想像でできた希薄な身体として残るのです。
     それでさえ非―私として退けても、私は意識として残ります。それ
     もまたある種の身体なのです。
 マハラジ
 あなたの言うとおりだ。
 だが、そこで止まる必要はない。
 その彼方へと行きなさい。
 意識も、その中心の「私は在る」さえも、あなたではないのだ。
 あなたの真の存在は完全な非―自己意識だ。
 粗大、微細、あるいは超越、何であれすべての自己同一から完全に自由なの
 だ。
 質問者 私自身が彼方のものだと想像することはできます。しかしどのよう
     な証拠があるのでしょう? 在るためには、私は誰かで在らねばな
     りません。
 マハラジ
 それは正反対だ。
 在るためには、あなたは誰でもない人にならなければならない。
 あなた自身を何か、あるいは誰かだと考えることは死、そして地獄だ。
 質問者 古代エジプト人は薬物や魔術の影響によって身体から追いだされ、
     実際に外側に立ち、横たわった自分の姿を見るという秘教儀式の存
     在を認めてきました。このことが彼らに死後の存在の実在を確信さ
     せ、国家と寺院に多大な利益をもたらす究極的な運命への深い関心
     を生みだし、身体を所有する個人との自己同一化の儀式が存続した
     のです。
 マハラジ
 身体は食物からできている。
 そしてマインドは想念からできている。。
 それらをあるがままに見なさい。
 あなたが何であるのかを知る必要はない。
 あなたが何ではないかを知れば充分なのだ。
 あなたであるものを知ることはけっしてない。
 なぜならすべての発見が克服すべき新たな次元を開くからだ。
 質問者 それは永遠に無知であり続けるという意味でしょうか?
 マハラジ
 それは無知がけっして存在しなかったことを意味するのだ。
 真理は発見のなかにあり、発見されたもののなかにあるのではない。
 そして、発見にははじまりも終わりもないのだ。
 限界を疑いなさい。
 そして超えていきなさい。
 一見、不可能と見える仕事を自らに託しなさい。
 それが道なのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

612鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/08(金) 22:42:46 ID:1d4drIFg0
真実

613鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/08(金) 22:45:26 ID:1d4drIFg0
真実を語り、真理を告げる言葉も相手の心が開いていなければ何にもならないのじゃ。
知識や記憶があればそれで全てを判断してしまうからのう。
恐れからの逃避を見ることもできないのじゃ。
真理はどこか彼方にあるのではなく、自らの心の内にあるものであるから知識や記憶が多すぎれば隠れてしまうことも在るのじゃ。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板