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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4

1避難民のマジレスさん:2018/07/07(土) 12:47:05 ID:GOHu/WSs0
前スレ:鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 3
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619

404避難民のマジレスさん:2018/12/04(火) 06:51:13 ID:LC3de7YgO
>>399
『I AM THAT 私は在る』
【58 完成はすべての者の宿命】

 質問者 真我の実現の方法について尋ねられたとき、あなたは変わらず「私
 は在る」という感覚にマインドを固定させることの重要さを強調し
 ます。どこにその因果的な要因があるのでしょうか? なぜこの特
 定の思いが真我の実現という結果をもたらすのでしょうか? どの
 ように、「私は在る」への黙想が私に影響を与えるのでしょうか?
 マハラジ
 観察するという事実自体が、観察者と観察されるものを変えるのだ。
 結局、自己の真の本性への洞察を妨げるのは、マインドの弱さと愚鈍さ、そ
 して粗大なものにのみ焦点を当て、把握しがたいものは抜かしてしまう傾向
 にあるのだ。
 私の提案にしたがい、マインドを「私は在る」だけにとどめるように試みれ
 ば、あなたはマインドとその気まぐれに完全に気づくようになる。
 行為のなかの透明な調和(サットヴァ)である気づきは、愚鈍さを消し去り、
 マインドの落ち着きのなさを静め、穏やかに、しかし着実にその実体を変化
 させていくのだ。
 その変化は目ざましいものである必要はない。
 それはほとんど人目を引かないものかもしれない。
 それでも、それは暗闇から光へ、不注意から気づきへの根本的な移行なのだ。
 質問者 それは「私は在る」という形式でなければならないのでしょうか?
 ほかのマントラではだめなのでしょうか? 「そこにテーブルがあ
 る」という言葉に私が集中しても、同じ目的を果たさないのでしょ
 うか?
 マハラジ
 集中のための訓練としてならいいが、それがあなたをテーブルという概念を
 超えたところに連れていくことはできないだろう。
 あなたが知りたいのはあなた自身であって、テーブルに興味があるのではな
 い。
 このため意識の焦点を、唯一の手がかりであるあなたの存在の確実性に、着
 実に保つのだ。
 それとともに在りなさい。
 それと戯(たわむ)れなさい。
 それを熟考しなさい。
 それに深く沈潜していきなさい。
 無知の皮が破れ、あなたが実在の領域に現れでるまで。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

405素人A:2018/12/04(火) 09:10:57 ID:gOqWUDAs0
ラーマクリシュナ不滅の言葉より「実在を不動のものとして考えるとき、わたしはそれをブラフマンと言い、またブルシャ」
(神我)、無人格的神と名ずける。それが創造し、維持し、破壊するーすなわち活動すると考えるとき、造化力、現象、また
はプラクティ(原自然、大生命力)、神格神と名ずける。一方なくして他方を考える事は出来ない。無人格的なものと人格的
なものは同じ実在であり、たとえば乳とその白さ、ダイヤモンドとその輝き、蛇とそのうねりのようなもの。宇宙の大実母
とブラフマンは一つである」・・・  色即是空で空即是色で色々或るカラー空まあ仏仏もある

406鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/04(火) 21:56:12 ID:1d4drIFg0
>>403 腸の大掃除をすると善いのじゃ。
 脳の不調は腸がわるいからなのじゃ。
 腸脳相関というのじゃ。
 下剤を飲んで浣腸もして一日位の断食をして腸を空にするのじゃ。
 
観察をすることは観察者と観察の対象を変えるとマハラジはいうのじゃ。
観察する事で観察する自分が変り、観察される自分も変るのじゃ。
それが何を意味するのか実践によってのみ明らかになるのじゃ。
実践が全てなのじゃ。

407避難民のマジレスさん:2018/12/05(水) 03:17:00 ID:LC3de7YgO
>>404
『I AM THAT 私は在る』
【58 完成はすべての者の宿命】(つづき)

 質問者 私が「私は在る」に焦点を当てることと、殻(から)が破れること
 の間に何らかの因果的なつながりがあるのでしょうか?
 マハラジ
 自分自身を見いだそうとする衝動は、あなたに用意ができたことのしるしな
 のだ。
 衝動はいつも内面からやってくる。
 時節が調(ととの)うまでは、あなたが全身全霊で真我の探求をするための
 欲望も強さも得ることはないだろう。
 質問者 欲望とその充足はグルの恩寵(おんちょう)に依るのではないでし
 ょうか? グルの輝きを放つ顔が私たちを誘惑して捕まえ、不幸の
 泥沼から引き出してくれるのではないでしょうか?
 マハラジ
 母親が子供を教師に連れていくように、外側の師にあなたを連れていくのは
 内なる師(サットグル)なのだ。
 あなたのグルを信頼し、彼にしたがいなさい。
 なぜなら、彼はあなたの真我のメッセンジャーなのだから。
 質問者 信頼できるグルをどうやって探せばいいのでしょうか?
 マハラジ
 あなた自身のハートがあなたに告げるだろう。
 グルを見いだすことは困難なことではない。
 なぜなら、グルはあなたを探しているからだ。
 グルはいつも用意ができている。
 あなたは準備ができていない。
 あなたに学ぶ準備ができていないと、あなたのグルに出会っていても、まっ
 たくの怠慢と強情さでせっかくの機会を無駄にしてしまうかも知れないのだ。
 私を例にとれば、私には見込みがあるわけではなかった。
 だが、グルに出会ったとき、私は聴き、信頼し、したがったのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

408素人A:2018/12/05(水) 08:27:58 ID:gOqWUDAs0
YRつまりバーチャルのアルティとは?テレビでバーちゃんに聞かれたらばあちゃんリアルティと答えていた?私も知らん
かったし笑えないけど微笑んだ。仮想現実はこの世うなテレビやパソコンが発達して現実にとひだすと昔から教えていた。
(つづき)たとえば家は火で焼けてもその家ぬしは家を出てゆく如くである。それだけが明らかな霊妙な働きをしており、
迷悟ともに貫いている。万物の環境はどうであれ、霊智は環境や物と違つて永久に変わる事は無い。いまある環境も霊智に
基づけば真実といって差し支え無い、それは本性に由来しているから実在の法である。しかしそうは言うものの霊知の様に
常住では無い。というのは霊知の様に常住では無い。というのは生滅するからである。それとは反対に霊知は明暗とは関係
無く、霊妙にはたらくから、これを霊知というのである。またそれを真我とも覚元(知覚の根源)とも本性や本体とも名付ける
。このような本性を悟る事を常住不変に帰つたといい、また帰真の大士とも言う。それ以後は更に迷いの世界に流転する事も
無く、不生不滅の本性の大海に証入するのである。その他に真実はない、この本性が顕にならない限りは、三界六道の迷いの
世界が競合して現れるのである。」(つづく)?それじゃ主義うしなく遊びの現実たけで使用と道元に頭叩かれた。今朝も適当

409鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/05(水) 22:29:15 ID:1d4drIFg0
本当に学ぶ気になった時に師匠はあらわれるというのじゃ。
そうでなければ目の前に居ても気付かないというのじゃ。
師が存在しないからではなく、本人に準備が出来ていないから見出せないのじゃ。
準備が出来れば自らの本心に真の師匠に引き合わせる師匠がいるというのじゃ。 
本来誰もが無師独悟であるのじゃ。

410避難民のマジレスさん:2018/12/06(木) 05:54:43 ID:LC3de7YgO
>>407
1『I AM THAT 私は在る』
【58 完成はすべての者の宿命】(つづき)

 質問者 私が師の手の内に完全に自分を明け渡す前に、彼を吟味すべきでは
 ないでしょうか?
 マハラジ
 もちろん吟味するがいい!
 だが、何を見いだせるというのだろう?
 彼はあなた自身のレベルでしか現れないのだ。
 質問者 彼が首尾一貫しているかどうかを見守ります。彼の人生と彼の教え
 の間に調和があるかどうかを。
 マハラジ
 あなたは数多くの不調和を見つけだすかもしれない――それが何だというの
 だろう?
 それは何も証明しない。
 ただ、動機だけが問題なのだ。
 どうやって彼の動機を知るというのだろうか?
 質問者 少なくとも、彼が自己制御のできる清廉(せいれん)な人生を生き
 ている人であることを期待すべきです。
 マハラジ
 そのような人はいくらでも見つけられるだろう――そしてあなたにとって何
 の役にも立たないだろう。
 グルはあなたの真我へ帰り着く道をあなたに示すことができる。
 それがその人の人格や性質といった外見と、どんな関係があるというのだろ
 うか?
 彼は彼が個人ではないことを、あなたに明確に告げてはいないだろうか?
 唯一判断できるのは、あなたが彼と共に在るときに起こる、あなた自身の変
 化だ。
 もし、あなたがより平和で幸福に感じるならば、そしてあなた自身を通常よ
 り明晰(めいせき)に、より深く理解するならば、それはあなたが正しい人
 を見つけたということだ。
 急ぐことはない。
 だが、ひとたび彼を信頼すると決心したならば、絶対的に彼を信頼しなさい。
 そしてすべての教えに完全に、誠実にしたがいなさい。
 あなたが彼を師として受け入れず、彼と共に在ることだけで満足だとしても、
 それは大した問題ではないのだ。
 もしマインドが純粋で混じり気がなく、乱されることがなければ、サットサ
 ン(聖者と共に在ること)だけでもあなたを目的地へと連れていけるのだ。
 だが、ひとたびあなたがある人をグルとして受け入れたならば、聴き、覚え、
 したがいなさい。
 中途半端な心構えは深刻な障害となる。
 そして、多くの悲しみを自らつくり出す原因となるのだ。
 その過ちはけっしてグルのものではない。
 弟子の愚鈍さと強情さに過失があるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

411素人A:2018/12/06(木) 10:27:54 ID:gOqWUDAs0
すいません。皆自由に生きているわけではない。正義行おうとしても守るものだらけで、環境に流される小さな我が観ばかりで
量るしかない。人に悪く生きなければ自分の楽にならない。蟻のまんまを取り上げて観ずに流すばかりで仕方無いな避けない。
悪さに居直って少ししか苦しまない。まあお互い様で見解の総意で誤魔化すくらいしか出来ない。少し反省分からんものは観察
してほじくりだしても苦しい思いだけまあよいか。

世界の創造主は偉い?私と友に居ても私のえこひいきしないで相手の立場も認めて何も出来ないと神や仏は責められても文句は
いわず耐えているのか?なるようなるにまかせていい加減なのか?まあそれしか出来ない立場なのか?単に能力が無いのか?
創造主とは私のソフトの元なのかでもソフトが邪魔して力は◎で発揮できず今の観からしか見えずなのか不自由な身?
無門関 ニ○  ちからのあるもの
松源さまがいわれた、「ちからのある者が、どうして立ちあがれないのか?」また、「説法は演説じゃないぞ。」
無門がいう---------松源は腹わたをむき出したが、受けとり手が居ないのだ。オイソレとひき受けても、
無門のところにきてブンなぐられるだけ。なぜならば? 純金かニセか、火でためすのだ。
歌に---------    足でけかえす太平洋、     低くみくだす銀河系。     この身一つの置きどころ、
(あとの句をたのむ)。 ?アートの苦頼まれたけどとブラ不満に文句言おう

412鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/06(木) 23:43:04 ID:1d4drIFg0
まだ準備が整わない者は師匠がいても信じることはできないのじゃ。
自分の方が賢いとか思っていたりするのじゃ。
師匠を計っているのじゃ。
他人を計る秤で自分も計られるとユダヤの救世主も告げたのじゃ。
真の師匠ならばそこに度し難い愚かさを観るだけなのじゃ。

413避難民のマジレスさん:2018/12/07(金) 07:07:08 ID:LC3de7YgO
>>410
『I AM THAT 私は在る』
【58 完成はすべての者の宿命】(つづき)

 質問者 そのとき、グルは弟子を追放、あるいは失格にしてしまうのでしょ
 うか?
 マハラジ
 もし、そうしたなら彼はグルとは言えない!
 彼は時節が調い、弟子が鍛えられ、冷静になって、より受容的な精神で彼の
 もとに戻ってくるのを待つのだ。
 質問者 何が動機なのでしょうか? なぜグルはそれほどの困難を受け入れ
 るのでしょうか?
 マハラジ
 悲しみと悲しみの終焉(しゅうえん)のためだ。
 彼は人びとが夢のなかで苦しんでいるのを見て、目覚めさせたいと願うのだ。
 愛は苦痛や苦しみを見ることに耐えられない。
 グルの忍耐には限界がない。
 それゆえ、打ち負かされることはできないのだ。
 グルはけっして失敗しない。
 質問者 私の最初の師はまた最後の師でもあるのでしょうか、それとも私は
 師から師へと渡り歩かなければならないのでしょうか。
 マハラジ
 宇宙全体があなたのグルだ。
 もし注意深く、知的であれば、あなたはすべてから学んでいく。
 あなたのマインドが澄んで、ハートが清らかであれば、あなたはすべての通
 りがかりの人たちから学ぶだろう。
 あなたが怠惰で落ち着きがないため、内なる真我が外側のグルとして現れ、
 あなたに彼を信頼させ、したがわせるのだ。
 質問者 グルは不可避なのでしょうか?
 マハラジ
 それは「母親は避けることはできないものなのでしょうか?」と尋ねるよう
 なものだ。
 意識のなかで、ひとつの領域からより高い領域に上がっていくには助けが必
 要だ。
 助けがつねに人間の形を取るとはかぎらない。
 それは名状しがたい存在かもしれない。
 あるいは直感のひらめきかもしれない。
 しかし、助けは来なければならない。
 内なる真我は、息子が父親のもとに戻ってくるのを待っているのだ。
 時節が調えば、彼は愛情深く、効果的にすべての手はずを整える。
 メッセンジャーや指導者が必要なとき、真我が必要を満たすためにグルを送
 るのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

414鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/07(金) 22:59:17 ID:1d4drIFg0
誰もが本来無師独悟ではあるが師匠がいれば楽に素早くいけるのじゃ。
迷う時間が少なくなるのじゃ。
迷いを正してくれるものが師匠なのじゃ。
それは人とは限らないのじゃ。
時には苦しみさえも師匠といえるのじゃ。
間違った道を教えてくれるので在るからのう。

415避難民のマジレスさん:2018/12/08(土) 08:44:20 ID:LC3de7YgO
>>413
『I AM THAT 私は在る』
【58 完成はすべての者の宿命】(つづき)

 質問者 ひとつだけ理解できないことがあります。あなたは内なる自己を、
 賢明で、善であり、美しく、あらゆる面で完全だとし、個人はそれ
 自身存在をもたない、単なる反映だと話しています。その一方、あ
 なたはたいへんな困難も顧みず、個人にそれ自身を実現させる助け
 をしています。もし、個人がそれほど重要ではないならば、なぜそ
 れほどまでしてその幸福を気にかけるのでしょうか? 誰が影のこ
 とを気にするでしょうか?
 マハラジ
 あなたは存在もしない二元性をそこにもち込んだのだ。
 身体があり、真我がある。
 その間にマインドがあるのだ。
 そのマインドのなかに、真我は「私は在る」として反映されている。
 マインドはその不完全さ、その未熟さと落ち着きのなさ、識別と洞察の欠如
 ゆえに、それ自身を真我ではなく身体と見なしてしまうのだ。
 必要なことはマインドを浄化することだけだ。
 マインドが真我のなかに没して消え去るとき、身体は問題を呈しなくなる。
 それはそれであるものとして、認識と行為の道具、内なる創造の炎の表現と
 その道具としてとどまる。
 身体の究極的な価値は、宇宙全体である普遍の身体を発見するために仕える
 ことだ。
 あなたが顕現のなかで自分自身を自覚するほど、あなたはあなたが想像して
 いた以上のものであったことを、絶えず発見し続けていくのだ。
 質問者 自己発見には終わりがないのでしょうか?
 マハラジ
 そこにはじまりがないように、終わりもない。
 だが、グルの恩寵によって私が発見したことは、私はこれだと指し示すこと
 のできるものではないということだ。
 私は「これ」でもなく「あれ」でもない。
 これは絶対不動だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

416避難民のマジレスさん:2018/12/08(土) 09:55:47 ID:LC3de7YgO
>>415
> 身体の究極的な価値は、宇宙全体である普遍の身体を発見するために仕えることだ。
←ふむふむ。
普遍の身体=全てであるということは、個別は無い=無我は同じようなものでありますね。
>あなたが顕現のなかで自分自身を自覚するほど、あなたはあなたが想像して
いた以上のものであったことを、絶えず発見し続けていくのだ。

←絶えず発見して行って、「あなた」が消え去ればよいが、それへの執着を消し去るには「無我」と言った方が誤解が生じにくいのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

417避難民のマジレスさん:2018/12/08(土) 19:35:39 ID:LC3de7YgO
>>415
『I AM THAT 私は在る』
【58 完成はすべての者の宿命】(つづき)

 質問者 それでは、新たなる次元へと永遠に自分自身を超えていく、果てし
 ない発見はどこに現れるのでしょうか?
 マハラジ
 これらはすべて顕現の領域に属する。
 それは、低次のものからの自由を通してのみ、より高次なものを得ることが
 できるという宇宙の構造そのもののなかにあるのだ。
 質問者 何が低次で、何が高次なのでしょう?
 マハラジ
 それを気づきの言語のなかで見てみなさい。
 より広く、深いほど、意識が高いのだ。
 生きるものすべては意識を保護し、永続し、拡張するために働いている。
 これが世界の唯一の意味と目的なのだ。
 絶えず意識のレベルを上昇させ、それらの特性と質と能力とともに新たな次
 元を発見すること――それがヨーガの本質だ。
 その意味においては宇宙全体がヨーガの道場となるのだ。
 質問者 完成はすべての人間にとっての運命なのでしょうか?
 マハラジ
 究極的には、すべての生きるものたちにとってだ。
 悟りの概念がマインドのなかに現れるとき、可能性は確実性となるのだ。
 人は、ひとたび解放が手の届くところにあると聞き、理解すれば、けっして
 忘れはしない。
 なぜならそれが内側からの最初のメッセージだからだ。
 それは根を張り、成長し、時が来れば祝福されたグルの姿を取るのだ。
 質問者 では、私たちは皆マインドの救済に関わっているのでしょうか?
 マハラジ
 それ以外の何だというのだろう?
 マインドが道に迷い、マインドが家に帰り着くのだ。
 「迷う」という言葉さえ的確ではない。
 マインドはそれ自身のあらゆる気分を知らなければならない。
 繰り返されないかぎり、何ひとつ間違いということはないのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

418鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/08(土) 22:47:46 ID:1d4drIFg0
>>416 そのような理解で善いのじゃ。
 個人としての自分の肉体は全てであることを気付くためにあるというのじゃ。
 それが肉体を持ったことの意味なのじゃ。
 それに辿りつくために無我にもなるのじゃ。

419避難民のマジレスさん:2018/12/09(日) 07:33:38 ID:LC3de7YgO
>>417
『I AM THAT 私は在る』
【59 欲望と恐れ、自己中心的な状態】

 質問者 あらためて、私は快楽と苦痛、欲望と恐れの質問をした
 いと思います。恐れとは、苦痛の記憶と予測だと私は理
 解しています。それは有機体とその生活様式の保護のた
 めに本質的なものです。欲望が感じられると苦痛に満ち、
 その期待は恐れでいっぱいになります。私たちは基本的
 な必要性を満たせないことを、当然のことながら恐れま
 す。欲望が満たされたとき、安心を経験したり、不安が
 静められたりするのは、もっぱら苦痛が終わるためです。
 私たちはそれに快楽や喜び、あるいは幸せといった積極
 的な名前を与えますが、それは本質的に苦痛からの解放
 なのです。私たちの社会的、経済的、政治的な制度を維
 持しているのは、この苦痛への恐れです。
 私を困惑させるのは、生存とは何の関係もないものやマ
 インドの状態から私たちが喜びを引き出すことです。そ
 の反対に、私たちの快楽はたいてい破壊的です。それら
 は対象物を、また快楽の主体をも傷つけ、破壊します。
 そうでなければ、快楽と快楽の追求には何の問題もあり
 ません。これが私の質問の核心に導きます。なぜ快楽は
 破壊的なのでしょうか? なぜ破壊的であるにも関わら
 ず、それは求められるのでしょうか?
 言っておかなければなりませんが、私は自然が要求する
 快楽と苦痛のパターンについては考えてはいません。私
 が考えているのは、過食のようにもっとも粗雑なものか
 らもっとも純粋なものまで、感覚的、そして神秘的なも
 のの両方です。快楽に耽溺(たんでき)することは、た
 とえどのような犠牲を払おうとも普遍的なものであり、
 その根本には何か深い意味があるに違いありません。
 もちろん、人のすべての活動は功利主義的な、必要を満
 たすためだけのものとはかぎりません。例えて言えば、
 遊びは自然なものであり、人間は存在のなかでもっとも
 遊び好きな動物です。遊びは自己発見や自己開発のため
 の必要を満たします。しかし、遊びにおいてさえ、人間
 は自然やほかの生きもの、そして彼自身に対して破壊的
 になるのです。
 マハラジ
 ようするに、あなたは快楽には反対でないが、苦痛と苦しみへの
 代価には反対だということだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

420鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/09(日) 22:55:14 ID:1d4drIFg0
快楽とは苦からの解放ではなくただ一時的に忘れるだけなのじゃ。
そうであるから次々に求めて執着するのじゃ。
本当に苦から解放されたならばもはや快楽もいらない筈なのじゃ。
解放されずに一時的に忘れるだけであるから何度も必要になるのじゃ。

421避難民のマジレスさん:2018/12/10(月) 07:04:16 ID:LC3de7YgO
>>419
1『I AM THAT 私は在る』
【59 欲望と恐れ、自己中心的な状態】(つづき)

 質問者 もし実在そのものが至福であるならば、快楽はそれに何
 らかの形で関係しているはずです。
 マハラジ
 言葉の上の論理によって話を進めるのはやめよう。
 実在の至福は苦しみを除外しないのだ。
 その上、あなたは快楽のみを知り、純粋な存在の至福を知っては
 いない。
 だから、快楽をそれ自体のレベルで調べてみることにしよう。
 もしあなたが快楽や苦痛の瞬間にある自分を見てみれば、快楽や
 苦痛はものごと自体のなかにあるのではなく、状況のなかにある
 ということを、いつもきまって見つけだすだろう。
 快楽は楽しむ人と楽しまれるものとの関係性のなかにある。
 そしてその本質は需要にあるのだ。
 状況がいかなるものであれ、それを受け入れることが可能ならば、
 それは心地好く、受け入れがたければ、苦しいのだ。
 何がそれを受け入れられるようにするのかは重要でない。
 原因は物質的、心理的、あるいは理由のわからないものかもしれ
 ないが、受容がその決定要因だ。
 相対的に、苦しみは受け入れないことによるものだ。
 質問者 苦痛は受け入れがたいものです。
 マハラジ
 どうしてかね?
 試してみたことがあるのかね?
 試してみなさい。
 そうすれば苦しみには快楽が生みだすことのできない喜びがある
 ことを見いだすだろう。
 なぜなら、苦痛の受容には快楽よりもはるかに深いところへあな
 たを導くという純然たる理由があるからだ。
 個人の自我はその本性からしてたえず快楽を求め、苦痛を避けて
 いる。
 このパターンの終焉(しゅうえん)が自我の終焉なのだ。
 自我と、その欲望と恐れの終焉は、幸福と平和の源であるあなた
 の真の本性に帰り着くことを可能にする。
 絶え間ない快楽への欲望は、内なる永遠の調和の反映なのだ。
 人が自我を意識しだすのは、選択と決定を要求する、快楽と苦痛
 の合間での葛藤(かっとう)に捕らえられたときだけだ。
 この欲望と恐れの衝突が、人生において正常な、偉大なる破壊者
 である怒りを生みだす。
 苦痛がひとつの教訓と警告としてあるがままに受け入れられ、注
 意をもって深く見入られたとき、苦痛と快楽という分離は打ち壊
 され、それらはともに抵抗したとき苦しく、受け入れたとき快い
 という体験になるのだ。
(´・(ェ)・`)つ

422素人A:2018/12/10(月) 10:21:44 ID:gOqWUDAs0
マハラジなんて単純だしペッパー君で代用できのか

423鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/10(月) 22:08:23 ID:1d4drIFg0
苦から逃れ、快楽を求めることが自我の原因となるとマハラジはいうのじゃ。
それが終われば自我も終焉を迎えるのじゃ。
苦痛から逃れようとせず、快楽も求めようとしない時、自我の欲に惑わされずに本性が見られるのじゃ。
その二つの執着から離れることは意志によってできることなのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。

424避難民のマジレスさん:2018/12/10(月) 23:10:03 ID:LC3de7YgO
>>423
うむ。
主体も客体も、苦も楽もなく、ただ一つの意識でありましょう。
くまはそう思えるであります。
(´・(∀)・`)つ

425避難民のマジレスさん:2018/12/11(火) 06:08:15 ID:LC3de7YgO
>>421
1『I AM THAT 私は在る』
【59 欲望と恐れ、自己中心的な状態】(つづき)

 すべての幸福は気づきからやってくる。
 私たちがより意識的であれば、喜びはより深くなる。
 苦痛の受容、無抵抗、勇気、忍耐――それらは、深く永久に枯渇
 しない真の幸福、真実の至福の源を開くのだ。
 質問者 なぜ苦痛は快楽よりも効力があるのでしょうか?
 マハラジ
 快楽はたやすく受け入れられる。
 一方、自我のすべての力が苦痛を拒絶する。
 苦痛の受容が自我の否定であるように、自我は真実の幸福への道
 を妨げる。
 苦痛の心からの受容は幸福の源泉を解放するのだ。
 質問者 苦しみの受容も同じように働くのでしょうか?
 マハラジ
 苦痛という事実に気づきの焦点を当てるのは容易なことだ。
 苦しみにあっては、ことはそう単純ではない。
 苦しみに焦点を当てるだけでは、充分ではないのだ。
 なぜなら知ってのとおり、精神的な人生とはひとつの絶え間ない
 苦しみの流れだからだ。
 苦しみのより深い層に到達するには、あなたはその根元まで行き、
 そしてそれらの広大なネットワークを露(あら)わにしなければ
 ならない。
 そこには恐れと欲望が緊密に織り込まれ、生命エネルギーの流れ
 は対立して行く手を遮(さえぎ)り、互いに破壊しあっているの
 だ。
 質問者 どのようにして私の意識層より完全に下にある混乱を正
 すことができるのでしょうか?
 マハラジ
 あなた自身とともに在ること、「私は在る」とともに在ることに
 よって、日々の生活におけるあなた自身を、批判するよりも理解
 しようという意図をもって見守ることによって、何であれ、現れ
 ることを完全に受容することによってだ。
 なぜなら、それはそこにあるのだから。
 あなたは奥深くにあったものが表層に現れることを励まし、その
 捕らわれていたエネルギーによってあなたの人生と意識を豊かに
 するのだ。
 これが気づきの偉大な働きだ。
 それは生命とマインドの本性を理解することによって障害を取り
 除き、エネルギーを解放する。
 知性は自由への扉であり、そして油断のない注意が知性の母なの
 だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

426避難民のマジレスさん:2018/12/11(火) 21:21:22 ID:LC3de7YgO
>>425
> 苦痛の受容、無抵抗、勇気、忍耐――それらは、深く永久に枯渇
 しない真の幸福、真実の至福の源を開くのだ。
 苦痛の心からの受容は幸福の源泉を解放するのだ。

←苦痛の受容は、超難しいようにおもうであります。
(´・(ェ)・`)つ

427避難民のマジレスさん:2018/12/11(火) 21:49:24 ID:LC3de7YgO
 苦しみの根元の広大なネットワークとは、恐れと欲望がのことであり、
それを表層に現れるようにしろということでありますか。
つまり、恐れや欲望を、抑圧せずにありのままに感じることにより、抑圧していたエネルギーを解放しろと言うことでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

428鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/11(火) 22:53:19 ID:1d4drIFg0
>>424 そうじゃ、中道をいくのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>426 最初は蚊にかまれた程度の苦痛でも善いのじゃ。
 続ければ肉体への執着から離れられるのじゃ。

>>427 それは人が苦痛から逃れようとして積み上げてきた縁起なのじゃ。
 十二縁起と同じようなものじゃ。
 苦痛から逃げるために快楽を求め、快楽に執着して又苦が生じるというようにのう。
 それらを観なければ本性にはたどり着かないのじゃ。

429避難民のマジレスさん:2018/12/12(水) 00:20:18 ID:LC3de7YgO
>>428
苦痛から逃れようとして積み上げてきた縁起
十二縁起と同じようなもの
苦痛から逃げるために快楽を求め、快楽に執着して又苦が生じるというように
それらを観なければ本性にはたどり着かない

↑うむ。この説明のは超わかりやすいであります。
ありがとうであります。
(´・(∀)・`)つ

430避難民のマジレスさん:2018/12/12(水) 01:14:08 ID:LC3de7YgO
>>425
59の2『I AM THAT 私は在る』
【59 欲望と恐れ、自己中心的な状態】(つづき)

 質問者 もうひとつの質問です。なぜ快楽は苦痛のなかに終わる
 のでしょうか?
 マハラジ
 すべてにはじまりがあり、終わりがある。
 快楽もまた同じなのだ。
 期待してはいけない。
 そして後悔してはいけない。
 そうすれば、そこに苦痛はなくなるだろう。
 苦しみの原因は記憶と想像なのだ。
 もちろん、快楽の後の苦痛は身体とマインドの誤用によるものだ
 ろう。
 身体はその限度を知っているが、マインドはそれを知らないのだ。
 その渇望は数かぎりなく、限度を知らない。
 マインドを最大の努力とともに見守りなさい。
 なぜなら、そこにあなたの束縛が、そしてまた解放への鍵がある
 からだ。
 質問者 私の質問はまだ完全に答えられていません。どうして人
 間の快楽は破壊的なのでしょうか? どうして彼は破壊
 することのなかに、それほど喜びを見いだすのでしょう
 か? 生命はそれ自身の保護、永続、拡張を気にかけて
 いるはずです。このなかで、それは苦痛と快楽に導かれ
 ているのです。いったい、どの時点でそれらは破壊的に
 なるのでしょうか?
 マハラジ
 マインドが占拠し、記憶し、期待するとき、それは大げさに見た
 り、ゆがめて見たり、見落としたりする。
 過去は未来へと投影され、未来は期待を裏切るのだ。
 感覚と行動の器官は許容範囲を超えた刺激を受け、必然的に弱っ
 てしまう。
 快楽の対象物は期待されたことを満たすことができず、誤用によ
 って尽き果て、あるいは破壊されてしまう。
 快楽が探し求められるところには、過剰な苦痛が結果として生じ
 るのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

431鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/12(水) 22:44:19 ID:1d4drIFg0
>>429 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。


快楽は執着することで常に苦痛をもたらすものとなるのじゃ。
慣れてしまえばより多く、大きな快楽を求め続けることになるからのう。
常に満たされないままになるのじゃ。
より新しい刺激を求めて苦を積み重ねることになるのじゃ。

432避難民のマジレスさん:2018/12/13(木) 06:09:36 ID:LC3de7YgO
>>430
『I AM THAT 私は在る』
【59 欲望と恐れ、自己中心的な状態】(つづき)

 質問者 私たちは自分自身だけではなく、他者まで破壊してしま
 うのです!
 マハラジ
 当然、自分本位とはつねに破壊的なものだ。
 欲望と恐れは、ともに自己中心的な状態だ。
 欲望と恐れの間に怒りが、怒りとともに憎悪が、憎悪とともに破
 壊への激情が立ち現れる。
 戦争はすべての死の兵器を備え、組織化された憎悪の行為なのだ。
 質問者 これらの恐ろしいものごとに終止符を打つ方法はないの
 でしょうか?
 マハラジ
 より多くの人びとが彼らの真の本性を知るにつれて、いかに微妙
 なものでも彼らの影響は広まっていき、世界の感情的な空気は和
 らいでいく。
 人びとは彼らの指導者にしたがい、そして指導者たちの間に、何
 人かの偉大なマインドとハートをもち、自己本位から絶対的に自
 由な人が現れたとき、彼らの衝撃はこの時代の未熟さと罪を不可
 能にしてしまうだけの充分な影響力を与えるだろう。
 新たな黄金の時代が現れ、ひとつの時代を築き、それ自身の完成
 のうちに倒れていくかもしれない。
 なぜなら、衰退は機運がその絶頂に達したときにはじまるものだ
 からだ。
 質問者 永久的な完成というものはないのでしょうか?
 マハラジ
 ある。
 だが、それはすべての未完成を包括しているのだ。
 それがすべてを可能にし、知覚可能にし、興味深くする自己の本
 性の完成なのだ。
 それは苦しみを知らない。
 なぜならそれは好まず嫌わず、受容も拒絶もしないからだ。
 創造と破壊は、それがその間でつねに変化しつづけていく模様を
 織り成す二つの極なのだ。
 好き嫌いやより好みから自由になりなさい。
 そうすれば、マインドとその悲しみの重荷は、もはやなくなるだ
 ろう。
 質問者 しかし苦しんでいるのは私ひとりではありません。ほか
 の人たちもいるのです。
 マハラジ
 あなたがあなたの欲望や恐れとともに彼らのもとに行くなら、単
 に彼らに不幸を加えるだけだ。
 まず、あなた自身が苦しみから自由になりなさい。
 そのときにのみ、他者を助けられる期待がもてる。
 期待する必要さえない。
 あなたの存在そのものが、ひとりの人間として同胞に与えること
 のできる最大の助けとなるだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

433鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/13(木) 23:06:06 ID:1d4drIFg0
真の完成は常に在るものじゃ。
それ以外は存在しない幻想なのじゃ。
自分自身がそれに気付かなければ他人を導くことはできないのじゃ。
自ら実践あるのみなのじゃ。

434避難民のマジレスさん:2018/12/14(金) 05:34:16 ID:LC3de7YgO
>>433
うむ。この章の言葉は、とても難しいでありますが、鬼和尚の解説を手がかりにしつ、何度も読み直してみるであります。
(´・(ェ)・`)つ

435避難民のマジレスさん:2018/12/14(金) 05:46:20 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【60 想像ではなく、現実を生きなさい】

 質問者 あなたは、何であれあなたの見るものはあなた自身だと言います。
 また、私たちが見るように世界を見ていると認めています。ここに
 今日の新聞が、今起こっているあらゆる恐ろしいことを載せていま
 す。世界があなた自身であると言うのなら、このような不正な行為
 をどのように説明することができるのでしょうか?
 マハラジ
 いったい、どの世界のことを思っているのかね?
 質問者 私たちが住む、共通の世界です。
 マハラジ
 私たちが同じ世界に住んでいるというのは確かだろうか?
 私は自然のこと、海や大陸、植物や動物のことを言っているのではない。
 それらは問題ではない。
 果てしない空間、無限の時間、無尽蔵の力もまた問題ではない。
 私が食べたり、喫煙したり、読んだり、話したりすることに惑わされてはな
 らない。
 私のマインドはここにはない。
 私の人生はここにはないのだ。
 あなたの欲望とその充足、恐れとそれとそれからの逃避は、まったく私の世
 界ではない。
 あなたがそれに関して語ることを通して以外、私はそれを知覚さえしないの
 だ。
 それはあなたの個人的な夢の世界であり、それに対する私の唯一の反応は、
 あなたに夢を見つづけるのをやめるよう求めることだけだ。
 質問者 戦争や革命は間違いなく夢ではありません。病気の母親と飢えた子
 どもたちは夢ではありません。不正な富とその誤用は夢ではないの
 です。
 マハラジ
 それ以外の何だというのかね?
 質問者 夢は分かち合うことができません。
 マハラジ
 目覚めの状態もまた、分かち合うことができないのだ。
 目覚め、夢見、眠りの三つの状態はすべて主観的で、個人的な私事(わたく
 しごと)だ。
 それらはみな意識の中の「私」と呼ばれる小さな泡の中に包まれ、そこで起
 こることなのだ。
 真実の世界は自己を超えた彼方にある。
 質問者 自己であろうと、非自己であろうと、事実は現実です。
 マハラジ
 もちろん、事実は現実だ。
 私はそれらの中に生きている。
 しかし、あなたは事実ではなく、想像の中に生きているのだ。
 事実はけっして衝突しない。
 だが、あなたの人生と世界は矛盾で満ちている。
 矛盾は偽物の証拠なのだ。
 本物がそれ自体で矛盾することはない。
 たとえば、あなたは人々が極端な貧困の中にいると苦情を訴えている。
 それにもかかわらず、あなたの富を彼らに分け与えはしない。
 あなたは近隣で起こっている戦争にはかまうが、どこか遠くの国で起こって
 いる戦争のことは考えもしない。
 あなたの気まぐれな自我が価値を決定し、「私は考える」「私は欲しい」
 「私はしなければならない」といった移ろいやすい想念を絶対的なものにし
 てしまうのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

436鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/14(金) 22:41:13 ID:1d4drIFg0
>>434 良かったのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

人は自分の見る現実が他人とも同じ唯一のものと思っているのじゃ。
しかし、実際は違うのじゃ。
一人一人のものにそれぞれ別の現実が在るのじゃ。
自ら作り上げた幻想を現実と思っているだけなのじゃ。

437避難民のマジレスさん:2018/12/15(土) 04:59:16 ID:LC3de7YgO
>>435
『I AM THAT 私は在る』
【60 想像ではなく、現実を生きなさい】(つづき)

 質問者 それでも悪は現実です。
 マハラジ
 あなたの存在以上の現実ではないのだ。
 悪は誤解や誤用による問題への誤った対処法にある。
 それは悪循環なのだ。
 質問者 その循環の輪を断ち切ることはできるでしょうか?
 マハラジ
 偽物の輪を壊す必要はない。
 それをあるがままに、非存在として見るだけで充分なのだ。
 質問者 しかし、私たちを服従させ、屈辱や暴虐行為を与えさせるのに充分
 なほど悪は現実なのです。
 マハラジ
 狂気は普遍的なものであり、正気はまれなのだ。
 しかし、それでも希望はある。
 なぜなら、狂気を知覚した瞬間、私たちは正気に向かいはじめているのだか
 ら。
 日々の生活の中で、私たちの狂気に気づかせること、これがグルの機能だ。
 生命はあなたを意識的にさせる。
 だが、師はあなたを気づかせるのだ。
 質問者 あなたは最初のジニャーニでもなければ、最後のでもありません。
 遙かなる昔から、人々は真理を実現してきました。それにもかかわ
 らず、何とわずかばかりの影響しか私たちの生活に与えてこなかっ
 たのでしょう! ラーマたちやクリシュナたち、仏陀たちやキリス
 トたちは来ては去っていきました。そして、私たちは相変わらず汗
 と涙の中でもがいているのです。私たちがその人生を見守ってきた
 偉大な人々は何をしてきたのでしょうか? 世界の束縛を和らげる
 ために、あなたは何をしたのでしょうか?
 マハラジ
 あなたのつくり出した悪を取り消すことができるのは、あなただけだ。
 あなたの無神経な利己主義がその根本なのだ。
 まず、自分の家に秩序をもたらすことだ。
 そうすれば、あなたはあなたの仕事を終えたことを知るだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

438鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/15(土) 22:44:39 ID:1d4drIFg0
悪が現実にあるというものは心の中に悪が在るからそのように思うのじゃ。
自分の心の中にある悪の観念を世間に投射するのじゃ。
自らの心の中以外に悪はないのじゃ。

人はただ自らを救うことが出来るだけなのじゃ。
全ての悪から全人を救う救世主などいないのじゃ。

439避難民のマジレスさん:2018/12/16(日) 13:19:48 ID:LC3de7YgO
>>437
『I AM THAT 私は在る』
【60 想像ではなく、現実を生きなさい】(つづき)

 質問者 私たちの前に現れた智慧と愛の人たちは、しばしば途方もない代価
 を支払って、正しさを主張してきました。その結果はどうだったの
 でしょう? 流れ星はどんなに輝いても、夜の闇を明るくすること
 はないのです。
 マハラジ
 彼らと彼らの仕事を判断するには、あなたが彼らのひとりにならなければな
 らない。
 井戸の中の蛙は、空を行く鳥のことを何も知らないのだ。
 質問者 つまり、あなたは善と悪の間には、何の壁もないと言われるのでし
 ょうか?
 マハラジ
 そこに壁はない。
 なぜなら、善も悪もありはしないからだ。
 あらゆる実際の状況のなかで、あるのはただ必要なことと不必要なことだけ
 だ。
 必要なことは正しく、不必要なことは正しくないのだ。
 質問者 誰が決めるのでしょうか?
 マハラジ
 状況が決定する。
 あらゆる状況は正しい反応を要求してくる挑戦なのだ。
 反応が正しいとき、挑戦はかなえられ問題は消える。
 反応を誤ったとき、挑戦は敵わず問題は未解決のまま残る。
 あなたの未解決の問題が、あなたのカルマを構成しているのだ。
 それらを正しく解決し、自由になりなさい。
 質問者 あなたはいつも、私を私自身へと連れ戻します。世界の問題の客観
 的な解決法はないのでしょうか?
 マハラジ
 世界の問題は、それぞれが自分の欲望や恐れでいっぱいの、無数のあなたの
 ような人々によってつくり出されているのだ。
 あなたの個人的、社会的な過去から、誰があなたを解放できるというのだろ
 うか?
 そしてあなた自身が、幻想から生まれた欲望から自由になることへの切迫し
 た必要性を見ないかぎり、どうやって世界の問題を解決するというのだろう
 か?
 あなた自身が助けを必要としているかぎり、どうしてあなたに本当の助けが
 できるだろうか?
 質問者 いったいどのような形で古代の聖者たちは助けたのでしょうか? 
 どのようにしてあなたは助けるのでしょうか? 少数の人たちは、
 疑いなく恩恵を受けています。あなたの指導と手本は、大きな意味
 を彼らにもたらすかもしれません。ですが、いったいどのような形
 で、あなたは人類に、そして生命と意識の全体性に影響を与えると
 いうのでしょうか? あなたは、あなたが世界であり、世界はあな
 ただと言われました。あなたはどのような影響を世界に与えたので
 しょうか?
 マハラジ
 どのような影響をあなたは期待するのかね?
 質問者 人間は愚かで、利己的で、残酷です。
 マハラジ
 人間はまた、賢く、愛情にあふれ、親切でもある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

440鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/16(日) 22:42:06 ID:1d4drIFg0
世界の問題の唯一の解決法はそれを認識する自分が変容することなのじゃ。
そうすれば世界に何も問題は無いと気付くのじゃ。
人々の愚かさや残酷さでさえも自らのイメージであったと知れるじゃろう。
自分の心の中以外に何も問題は無いのじゃ。

441避難民のマジレスさん:2018/12/17(月) 06:08:34 ID:LC3de7YgO
>>439
『I AM THAT 私は在る』
【60 想像ではなく、現実を生きなさい】(つづき)

 質問者 どうして善が広まらないのでしょうか?
 マハラジ
 私の真実の世界では、それは広まっている。
 私の世界では、あなたの呼ぶ悪も善の召使いであって、それゆえ必要なもの
 なのだ。
 それは吹き出物や熱が身体の不純物を取り除くようなものなのだ。
 病気は苦しく危険でさえあるが、正しく対処すれば治るものだ。
 質問者 あるいは殺してしまいます。
 マハラジ
 ある場合には、死が最適な治癒方なのだ。
 人生は死より悪いものかもしれない。
 外見がどうであれ、死が不快な体験であることはまれなのだ。
 それゆえ、死んだものをではなく、生きているものを憐れみなさい。
 ものごとのなかにある善と悪の問題は、私の世界には存在しない。
 必要なことが善であり、不必要なことは悪だ。
 あなたの世界では快楽が善で、苦痛が悪なのだ。
 質問者 何が必要なのでしょうか?
 マハラジ
 成長することが必要なことだ。
 より成長することが必要なのだ。
 良いことをより良いことのために放棄することは必要なことだ。
 質問者 何が最終目的なのでしょうか?
 マハラジ
 最終目的ははじまりのなかにある。
 あなたはあなたがはじめたところで終えるのだ――絶対なるもののなかで。
 質問者 では、なぜこんなにも困難があるのでしょう? 私がはじめたとこ
 ろに帰り着くためなのですか?
 マハラジ
 誰の困難だろうか?
 どの困難だろうか?
 あなたは生長し、繁茂し、巨大な森林とまでなった種子を憐れむだろうか?
 あなたは人生の厄介ごとから救うために幼児を殺してしまうだろうか?
 人生の何が間違っているというのだろう、永遠の人生が?
 成長のための障害物を取り除きなさい。
 そうすれば、あなたの個人的、社会的、政治的、経済的問題はみな、ただ消
 え去るだろう。
 宇宙はその全体性において完全であり、部分が完成に向かうための努力は喜
 びの道なのだ。
 未完成を完成のために進んで犠牲にしなさい。
 そうすれば善と悪についての話はもうなくなるだろう。
 質問者 それでも、私たちはより良いものを恐れ、より悪いものにしがみつ
 いてしまうのです。
 マハラジ
 これが私たちの、いまにも正気を失わんとする愚かさなのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

442鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/17(月) 23:26:41 ID:1d4drIFg0
世界に悪を見る者は自らの心の中にその観念が在るからなのじゃ。
それがなければ世界はありのままに美しいのじゃ。
川を見ても綺麗な流れを見ずに、淀みを見ているようなものじゃ。
淀みにも急流に耐えられぬ生き物がいて安らいでいるものじゃ。
それもまた川のありようの一部なのじゃ。

443避難民のマジレスさん:2018/12/18(火) 05:29:05 ID:LC3de7YgO
>>441
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】

 質問者 幸運にも全人生において私は聖者との交わりをもってきました。そ
 れは真我の実現のために充分でしょうか?
 マハラジ
 それは、あなたがそれから何をつくり出すかによる。
 質問者 サットサン(聖者との交わり)のなかで起こる解放への働きは自動
 的なものだと聞きました。川が人を入り江まで運ぶように、善き人
 びとの深遠な沈黙の影響が私を実在へと導くのです。
 マハラジ
 それは川まであなたを連れていくだろう。
 しかし川を渡るのはあなた自身なのだ。
 自由への意志なしには、自由を獲得することも維持することもできない。
 解放に向かってあなたは努力しなければならない。
 最小限あなたにできることは、入念に障害の覆いを取り除くだけだ。
 もしあなたが平和を求めるのなら、努力しなければならない。
 ただ静かにしているだけでは、平和は得られないだろう。
 質問者 子供はただ成長します。彼は成長のための計画を立てません。パタ
 ーンももってはいませんし、こちらの手、あちらの足というように、
 部分的に成長するわけでもありません。彼は完全な形で、無意識の
 うちに成長するのです。
 マハラジ
 なぜなら、彼は想像から自由だからだ。
 あなたもまたそのように成長することができる。
 しかし、記憶や期待から生まれた予測や計画に熱中してはならないのだ。
 未来に関心がないこと、それがジニャーニ(賢者)の独自性のひとつなのだ。
 あなたの未来への関心は苦痛への恐れと、快楽への欲望によるものだ。
 ジニャーニにとってはすべてが至福だ。
 彼は何が来ようとも幸せなのだ。
 質問者 ジニャーニでさえ惨めになるような、多くのことがかならずあるは
 ずです。
 マハラジ
 ジニャーニは困難に遭遇するかもしれない。
 しかし、それが彼を苦しめることはない。
 子供を誕生から成人まで育て上げることは困難な仕事かもしれない。
 しかし、母親にとっては苦難の思い出も喜びなのだ。
 世界には何の間違いもない。
 誤りはあなたの見方にあるのだ。
 あなたを惑わせるのは、あなた自身の想像だ。
 想像なしには世界もない。
 あなたが世界を意識しているという確信が世界なのだ。
 あなたが知覚している世界は意識でできている。
 あなたが物質と呼ぶものは意識そのものなのだ。
 あなたは、そのなかで世界が動く空間(アーカーシュ)だ。
 あなたは永遠に続く時間だ。
 あなたはそれに生命を与える愛なのだ。
 想像と執着を切り落としなさい。
 すると、何が残るだろうか?
 質問者 世界が残り、私が残ります。
 マハラジ
 そのとおりだ。
 だが、あなたが欲望と恐れのスクリーンを通して見ず、あるがままに見ると
 き、何と違うことだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

444素人A:2018/12/18(火) 09:45:15 ID:gOqWUDAs0
川は水を見た視さらさらと流れて一つの海にそそぐ仕事に夢中で
山も山の仕事に一生懸命で他の事なんかどうでもよいのだろうか
人間という生物はムーダラな煩悩にエネルギーを無駄に消費する
下等な存在なのかでも無駄な修行がナイト上に上がるまえの植えつけられた
苗だ萎えるなお日様は今朝も毎度上がって繰る蟻が糖

445鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/18(火) 23:01:38 ID:1d4drIFg0
人は観念の他に物質も在ると思っているのじゃ。
それもまた観念による謬見なのじゃ。
なにものも個別化された物質ではないのじゃ。
空間と同じ本質を持つものとして繋がっているのじゃ。
全て一つなのじゃ。

446避難民のマジレスさん:2018/12/19(水) 00:44:34 ID:LC3de7YgO
>>443
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】(つづき)

 質問者 実在と幻想、智慧と無知、聖人と罪人、これらすべての区別は何の
 ためにあるのでしょうか? 誰もが幸福を探し求めています。誰も
 が必死になって努力をしています。誰もがヨーギであり、彼の人生
 は智慧の学校なのです。各人が各々の方法で、必要な教訓を学んで
 いるのです。社会はある者たちを認め、ほかを否認します。どこで
 も、いつのときにでも適応する法則というものはないのです。
 マハラジ
 私の世界では、愛が唯一の法則だ。
 私は愛を求めず、ただ与えるだけだ。
 それが私の本性なのだ。
 質問者 あなたはパターンにしたがって毎日を生きています。朝には瞑想の
 クラス、講話と討論を定期的にもっています。一日に二度、礼拝
(プージャ)があり、夕方には宗教的な献歌(バジャン)があり
 ます。あなたは一日の過程を綿密に固守しているようです。
 マハラジ
 私の見るかぎり、礼拝や献歌に関しては、私が干渉する理由はない。
 一般的な日課は、私がともに生活するようになった人びとや、話を聞きに来
 る人たちの要望に応えたものだ。
 彼らは働いている人たちで、多くの義務があり、時間の調整は彼らの都合に
 合わせている。
 いくつかの繰り返し過程は避けられない。
 動物や植物でさえ、彼らの時間割をもっているのだ。
 質問者 そうです。私たちは生命すべてに規則的な順序を見ます。誰がその
 秩序を維持しているのでしょうか? そこには法をしき、秩序を守
 らせる内なる支配者がいるのでしょうか?
 マハラジ
 すべてはその本性にしたがって動くのだ。
 どこに警察の必要があるだろう?
 あらゆる行動は反応をつくり出し、それが行動を中立化させ、バランスを取
 る。
 すべては起こる。
 だが、そこには絶え間ない取り消しがある。
 そして最後には、あたかも何も起こらなかったかのようになるのだ。
 質問者 最終的な調和で私をなだめようとしないでください。勘定は合って
 も、損失は私のものなのです。
 マハラジ
 見ていなさい。
 最後にあなたは支出を正当化するのに充分なだけの利益を得るかもしれない
 のだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

447鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/19(水) 23:04:06 ID:1d4drIFg0
このように秩序が在ると観るのも自らの幻想なのじゃ。
観念と観念の働きに自分が持つ観念を投射しているだけなのじゃ。
観念が無ければそこに秩序も法則も無いのじゃ。
そして観念妄想から離れられるのじゃ。

448避難民のマジレスさん:2018/12/20(木) 00:45:53 ID:LC3de7YgO
>>446
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】(つづき)

 質問者 私には長い過去があり、しばしばその多くの出来事が偶然起こった
 のか、それともひとつの計画によるものなのかと不思議に思うので
 す。私が生まれる以前に、生きるべき人生のパターンが定められて
 いるのでしょうか? もしそうならば、誰がその計画をつくり、誰
 がそれを強制したのでしょうか? そこに逸脱や誤りはありうるの
 でしょうか? ある人は、運命は変えられないもので、あらゆる瞬
 間があらかじめ決定されていると言います。ほかの人たちは、純粋
 な偶然がすべてを決定するのだと言います。
 マハラジ
 あなたの好きなように受け取るがいい。
 人生のなかにひとつのパターンを判別することはできるだろうし、単なる偶
 然の連鎖を見ることもできる。
 説明とはマインドを喜ばせるためにあるのだ。
 それらが真実である必要はない。
 実在は定義不可能であり、描写不可能なものだ。
 質問者 あなたは私の質問を避けています! 私はあなたがどう見ているか
 が知りたいのです。私たちは、どこを見ても信じがたいほどの知性
 と美を見いだします。どうして私に宇宙が無形で混沌(こんとん)
 としていると信じることができるでしょうか? あなたの世界、あ
 なたが住んでいる世界は無形かもしれませんが、混沌としている必
 要はないはずです。
 マハラジ
 客観的な世界には構造があり、秩序を持ち、美しいものだ。
 誰もそれを否定できない。
 だが構造と様式は、そこに強制と拘束があることを暗示しているのだ。
 私の世界は絶対的に自由だ。
 そのなかのすべてが自己決定するのだ。
 それゆえ、私はすべてがひとりでに起こると言い続けているのだ。
 私の世界にも秩序はある。
 しかし、それは外側から押しつけられたものではない。
 それはその永遠性によって自発的に即座に起こるのだ。
 完全性は未来にあるのではない。
 それは今あるのだ。
 質問者 あなたの世界は私の世界に影響を与えますか?
 マハラジ
 今という一点においてだけだ。
 それは一時的な存在、つかの間の実在の感覚をそれに与えるのだ。
 完全な気づきのなかでその接点は確立される。
 それには努力を要しない非自意識の注意力が必要なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

449避難民のマジレスさん:2018/12/20(木) 00:51:28 ID:LC3de7YgO
>>448
> 質問者 あなたの世界は私の世界に影響を与えますか?
 マハラジ
 今という一点においてだけだ。
 それは一時的な存在、つかの間の実在の感覚をそれに与えるのだ。
 完全な気づきのなかでその接点は確立される。
 それには努力を要しない非自意識の注意力が必要なのだ。

←今という一点においてだけだ。
それは一時的な存在、つかの間の実在の感覚をそれに与えるのだ。

とは、
今だけ、マハラジの実在の感覚を、質問者に与える
と理解すればよいのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

450鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/20(木) 23:49:43 ID:1d4drIFg0
>>449 そうじゃ、何も分からない質問者にも今マハラジと居る事で実在を垣間見ることができるのじゃ。
 質問するものにそれに答えられる能力があれば可能になるのじゃ。
 修行や勉強が進んでいなければかなり難しいことであるがのう。
 お釈迦様に会って直ぐに悟りを得たという修行者も同じなのじゃ。

451避難民のマジレスさん:2018/12/20(木) 23:54:07 ID:LC3de7YgO
>>450
ありがとうであります。
(´・(∀)・`)つ

452避難民のマジレスさん:2018/12/21(金) 05:51:51 ID:LC3de7YgO
>>448
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】(つづき)

 質問者 注意とはマインドの態度なのではありませんか?
 マハラジ
 そうだ。
 マインドが実在を熱望しているとき、それは注意を与えるのだ。
 あなたの世界には何の間違いもない。
 あなた自身がそれから分離していると考えることが無秩序を生みだす。
 利己主義がすべての悪の源なのだ。
 質問者 私の質問に戻ります。私が生まれる前に、内なる自己が人生を詳細
 にわたって決定するのでしょうか、それとも完全に偶然のものであ
 って、遺伝と環境のなすがままなのでしょうか?
 マハラジ
 父親と母親を選択し、次の生をどのように生きるかを決定したと宣言する者
 たちが知っているかもしれない。
 私自身に関して言えば、私はけっして生まれてこなかったのだ。
 質問者 あなたが私の前に座って質問に答えているのをわたしは見ています
 よ。
 マハラジ
 あなたの見ているのは身体だけだ。
 もちろん、それは生まれてきたし、死ぬだろう。
 質問者 私に興味があるのはこの「身体―精神」の人生の物語です。それは
 あなたによって定められたのでしょうか、それとも誰かほかの人に
 よるのでしょうか、あるいはそれは偶然起こったのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの質問自体に策略がある。
 私は身体と宇宙の間に区別をつけはしない。
 それぞれが互いの原因であり、互いは真実においてひとつなのだ。
 だが、私はそのすべての外にいる。
 私はけっして生まれてこなかったと言っているときに、私がどのような準備
 を次の生のためにしてきたかといった質問を、どうしてするのだろうか?
 あなたが想像を展開させることを許した瞬間、それはただちに宇宙を紡ぎだ
 すのだ。
 それはあなたが想像するようなものではまったくない。
 そして、私はあなたの想像には拘束されないのだ。
 質問者 命ある身体を育て、維持するには、知性とエネルギーが要求されま
 す。それらはどこから来るのでしょうか?
 マハラジ
 そこには想像があるだけだ。
 知性とエネルギーは、あなたの想像のなかですべて使い果たされてしまった。
 あなたはまったく想像に夢中にさせられてしまったため、どれほど実在から
 遠く離れてさまよい歩いたのかさえわからなくなってしまったのだ。
 想像が豊かな創造力であることに疑いはない。
 宇宙のなかの宇宙も、想像によって構築されているのだ。
 それにもかかわらず、それらはみな空間と時間、過去と未来のなかにあり、
 実際は存在しないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

453鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/21(金) 23:39:50 ID:1d4drIFg0
>>451 どういたしまして、またおいでなさい。

自我がある者には自分があるという思考から離れられないのじゃ。
そうであるから自分はどこから生まれたのかとか、どのようにして生まれのかとか延々と考えるのじゃ。
自我から離れれば何一つ独立して在る者は無く、全ての一部としてあるだけであるとわかるのじゃ。
全てとしてただあり続けることに何の不思議も無いのじゃ。

454避難民のマジレスさん:2018/12/22(土) 00:59:58 ID:LC3de7YgO
>>452
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】(つづき)

 質問者 最近私が読んだ記事に、幼年期に残酷に扱われた少女の話がありま
 す。彼女はひどく身体を傷つけられ、不具にされ、完全に周囲から
 疎外されて孤児院で育ってきました。この少女は物静かで従順です
 が、完全に無関心なのです。子供たちの面倒を見ていた尼僧のひと
 りは、少女は知的障害ではなく、ただ引きこもり、無反応なだけな
 のだと確信しました。ひとりの精神分析医が治療を頼まれ、一週間
 に一度面会し、二年間にわたって孤立の壁を打ち破ろうと試みまし
 た。彼女は従順で行儀正しいのですが、医師に注意を向けませんで
 した。彼は彼女におもちゃの家を与えました。移動可能な家具や部
 屋、父親や母親、そして子供たちの姿の人形を添えて。それが彼女
 の反応を引き起こし、興味をもたらしました。ある日、古傷が回想
 され、よみがえり、表層に呼び起こされたのです。次第に彼女は回
 復し、何度かの手術によって顔と身体は正常な状態に戻りました。
 そして彼女は有能で、魅力的な若い女性へと成長したのです。それ
 は医師にとって五年以上の歳月を要しました。しかし、仕事は為さ
 れたのです。彼は真のグルです! 彼は何の条件も押しつけず、用
 意や適性についても話しませんでした。信頼も希望もなしに、ただ
 心からの愛を持って何度も何度も試みたのです。
 マハラジ
 そうだ。
 それがグルの本性なのだ。
 彼はけっしてあきらめない。
 しかし、成功するためには、彼はあまり強い抵抗を受けてはならないのだ。
 疑いや不服従は遅れを余儀なくしてしまう。
 自信と従順さを与えることで、彼は弟子のなかに革新的な変化をもたらすこ
 とができる。
 グルの深い洞察と弟子の誠実さ、その両方が必要とされるのだ。
 彼女の状態がどのようなものであろうと、あなたの話のなかの少女は、人び
 との誠実さの欠如に苦しんだのだ。
 もっとも難しいのが知的な人びとだ。
 彼らは多くを語るばかりで誠実ではないからだ。
 あなたが真我の実現と呼ぶものは自然なことだ。
 あなたの用意が調(ととの)ったとき、グルは待っている。
 サーダナ(修練)は努力を要しないものだ。
 あなたと師の関係性が正しいとき、あなたは成長する。
 何よりも、彼を信頼することだ。
 彼があなたを惑わすことはないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

455鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/22(土) 23:40:21 ID:1d4drIFg0
本当に必要なときに導師は現われるというのじゃ。
必要としていなければ見出すことも出来ないのじゃ。
弟子になるものの誠実さも必要なのじゃ。
どんなに優れた導師の言葉も実践しなければ意味が無いのじゃ。

456避難民のマジレスさん:2018/12/22(土) 23:51:03 ID:LC3de7YgO
>>454
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】(つづき)

 質問者 たとえ、彼が明らかに間違ったことをするように要求したときも信
 頼すべきでしょうか?
 マハラジ
 そうしなさい。
 ひとりの隠遁者(サンニャーシン)がグルから結婚するようにと言われた。
 彼はそれに従い、苦渋を味わった。
 しかし、彼の四人の子供たちは皆、マハーラーシュトラ州のもっとも偉大な
 聖者や賢者となったのだ。
 何であれあなたのグルから来るものは、喜びとともに受け取りなさい。
 そうすれば、あなたは努力することなく完成へと成長するだろう。
 質問者 師よ、何か欲しいものや望みがありますか? 何かあなたのために
 できることがあるでしょうか?
 マハラジ
 私のもっていない何を与えることができるというのだろうか?
 物質的なものは満足をもたらすために必要だ。
 だが、私は私自身に満足しているのだ。
 ほかに何が必要だというのだろう?
 質問者 もちろん、空腹のときには食べ物が、病気のときには薬が必要です。
 マハラジ
 空腹が食べ物を、病気が薬をもたらすのだ。
 それはすべて自然の仕事だ。
 質問者 もしあなたにとって必要だと私が信じるものをもってきたならば、
 あなたは受け取るでしょうか?
 マハラジ
 あなたに差しださせたその愛が、私をして受け取らせるだろう。
 質問者 もし誰かが美しいアーシュラムを建設すると願い出たならどうしま
 すか?
 マハラジ
 彼にぜひそうさせるがいい。
 富を使い、何百もの人を雇い、何千人に食事を供させるがいい。
 質問者 それは欲望ではないのでしょうか?
 マハラジ
 まったくそうではない。
 私は彼に適切に、中途半端ではなく、惜しむことなくするように頼むだけだ。
 私の欲望ではなく、彼が彼自身の欲望を満たしているのだ。
 彼に成功させ、人や神々のあいだで名を挙げさせるがいい。
 質問者 しかし、あなたはそれを望んでいるのでしょうか?
 マハラジ
 私はそれを望んではいない。
 質問者 あなたはそれを受け入れるのでしょうか?
 マハラジ
 私には必要ないのだ。
 質問者 あなたはそのなかに住むでしょうか?
 マハラジ
 もし強要されたならば。
 質問者 何があなたを強要するのでしょうか?
 マハラジ
 光を探し求めている人たちの愛だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

457避難民のマジレスさん:2018/12/23(日) 09:37:11 ID:LC3de7YgO
>>456
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】(つづき)

 質問者 ええ。あなたの言われることがわかります。ところで、どうすれば
 私はサマーディ(三昧状態)に入れるのでしょうか?
 マハラジ
 もしあなたが正しい状態にいれば、何であれ見るものがあなたをサマーディ
 に引き入れるだろう。
 結局、サマーディは特別な状態ではないのだ。
 マインドが強烈に興味を持っているとき、それは興味の対象とひとつになる。
 見る者と見られるものは、見ることのなかでひとつとなり、聞く者と聞かれ
 るものは、聞くことのなかでひとつとなり、愛する者と愛されるものは、愛
 することのなかでひとつとなる。
 あらゆる体験はサマーディの根底となるのだ。
 質問者 あなたはつねにサマーディに在るのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、そうではない。
 サマーディは、要するにマインドの状態なのだ。
 私はすべての体験を超え、サマーディさえも超えている。
 私は偉大な貪(むさぼ)り食う者、破壊者だ。
 何であれ私が触れるものは虚空(アーカーシュ)のなかへと消え去るのだ。
 質問者 私は真我実現のためにサマーディが必要なのです。
 マハラジ
 あなたはあなたに必要な真我実現のすべてを手にしている。
 だが、それを信頼していないのだ。
 勇気を持ちなさい。
 あなた自身を信頼しなさい。
 行き、話し、行為しなさい。
 それ自体が証明する機会を与えるがいい。
 ほとんど気がつかないほどの真我の実現が起こるかもしれない。
 だが、とにかくそれには確信が必要なのだ。
 変わったにもかかわらず、それに気づかないでいる。
 そのような劇的ではない場合のほうが、しばしば、もっとも信頼のおけるも
 のなのだ
 質問者 人は自分が真我を実現したと信じたり、誤解したりすることができ
 るのでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 「私は真我を実現した」という考えそのものが過ちだ。
 自然な状態のなかには、「私はこれだ」、「私はあれだ」といった考えはな
 いのだ。

(´・(ェ)・`)
(おわり)

458鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/23(日) 22:36:10 ID:1d4drIFg0
サマーディにも多くの迷信がまとわりついているのじゃ。
それは聖人だけしかできないものではなく、正しい姿勢で座れば誰でもできるものじゃ。
苦しい修行をしなくても好きな事をして我を忘れればサマーディに入っているのじゃ。
悟った者も常にサマーディに入っているのではないのじゃ。
サマーディでいきなり悟れることもないのじゃ。
修行のための集中状態に過ぎないのじゃ。

459避難民のマジレスさん:2018/12/23(日) 23:41:07 ID:LC3de7YgO
>>457
『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】

 質問者 四十年ほど前に、J・クリシュナムルティは「存在するのは生命だ
 けで、個人や人格といった話は、実際に何の論理的根拠もない」と
 言いました。彼は生命を描写しようとは試みず、単に、「生命は描
 写できないし、する必要もないが、もし体験するための障害が取り
 除かれるならば、それは完全に体験することができる」と言いまし
 た。主要な妨げは、時間に対する私たちの概念とそれへの耽溺のな
 かに、そして過去の光のなかでの未来への期待という、私たちの習
 慣のなかにあるのです。過去の総計が「私は在った」になり、未来
 への期待が「私は在るだろう」となり、人生は「私で在ったもの」
 から、「私は在るだろう」となり、人生は「私で在ったもの」から、
 「私は在るだろうもの」へと超えていくための絶え間ない努力なの
 です。現時点の「今」は見落とされています。マハラジは「私は在
 る」に関して語りますが、それは「私は在った」や「私は在るだろ
 う」のようにひとつの幻想なのでしょうか、それとも何らかの実在
 性をもっているのでしょうか? そして、もし「私は在る」もまた
 幻想であるのなら、どのようにして、人はそれから自由になるとい
 うのでしょうか? 私は「私は在る」から自由だ、という観念自体
 がひとつの不条理なのです。時間とともに変化し、新たな期待をつ
 くり出す記憶としての「私は在った」や「私は在るだろう」と区別
 するなかで、「私は在る」には何か真実の、何か永遠の質があるの
 でしょうか?
 マハラジ
 現在の「私は在る」は、「私は在った」や「私は在るだろう」と同じように
 偽りだ。
 それは単にマインドのなかの観念、記憶によって残された印象にすぎず、そ
 れがつくり出す分離したアイデンティティも偽物なのだ。
 この偽物の中心に身をゆだねるという習慣が取り除かれなければならない。
 「私は見る」、「私は聞く」、「私は考える」といった観念は意識界から消
 え去らなければならない。
 偽物が去り、残ったものが真実なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

460避難民のマジレスさん:2018/12/24(月) 08:09:02 ID:LC3de7YgO
>>459
1『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】(つづき)

 質問者 この自己を除去するという大げさな話は何なのでしょうか? どう
 やって自己がそれ自身を除去できるというのでしょう? どんな類
 の形而上学的アクロバットが、曲芸師を消し去るというのでしょう?
 最後に彼は、消えたことをひどく誇らしげにしながらふたたび現れ
 てくることでしょう。
 マハラジ
 「私は在る」を殺すために、それを追いまわす必要はない。
 それはできないことだ。
 あなたに必要なことは、実在への真剣な熱望だけだ。
 私たちはそれをアートマ・バクティ、至高なるものへの愛、あるいはモクシ
 ャ―サンカルパ、偽りから自由になることへの決意と呼ぶ。
 愛、そして愛に感化された意志なしには何ひとつ為(な)されない。
 実在についてただ話すばかりで、それについて何もしないことは自滅的なこ
 とだ。
 「私は在る」と言う個人と、その「私は在る」を観察する者との関係には、
 愛がなければならない。
 内なる「高次の」自己である観察者(ヴィヤクタ)が、「低次の」自己であ
 る観察される者(ヴィヤクティ)を見下し、非難するかぎり、状況は絶望的
 だ。
 観察者が個人を彼自身の投影として受け入れ、そして、いわば自我を真我の
 なかに取り入れると、「私」や「これ」といった二元性は消え去り、内面と
 外面の同一性のなかで、至高の実在はそれ自体を顕現するのだ。
 見る者が彼自身を見る者として意識するとき、見る者と見られるものの統合
 が起こる。
 彼は、ただ単に見られるものに興味をもつだけではなく――どちらにしても
 それは彼なのだが――興味をもたれることにもまた興味をもち、注意にも注
 意を払い、気づいていることにも気づくようになる。
 愛情のともなった気づきは、実在に焦点をもたらす決定的な要因なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

461鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/24(月) 22:37:06 ID:1d4drIFg0
私は在るというのもまた法の一つに過ぎないのじゃ。
今の自分の観念を破壊するための観念なのじゃ。
悟っていない者が認識している私は在るというのは偽りの観念なのじゃ。
しかし、それを方法として使うことで自分という観念も消し去ることが出来るのじゃ。
一度気付いて消えればもはや戻らないのじゃ。

462避難民のマジレスさん:2018/12/25(火) 06:45:20 ID:LC3de7YgO
>>460
『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】(つづき)

 質問者 神智学者とその類の神秘主義者たちによると、人間は人格的存在、
 個人的存在、霊的存在の三つの相によって構成されています。霊的
 存在を超えた彼方には神性があります。人格的存在は一時的で、一
 度きりの誕生にのみ有効です。それは身体の誕生にはじまり、つぎ
 の身体の誕生によって終わります。ひとたび終われば、永遠に終わ
 りです。わずかばかりの楽しい、あるいは苦しい教訓を除いては何
 ひとつ残りません。
 個人的存在は「動物―人間」にはじまり、「完全な人間」として終
 わります。人格的存在と個人的存在の間の分離は、現代の人類の特
 質なのです。一方では、個人的存在とその真、善、美への熱望、も
 う一方では、習慣と願望、恐れと欲望、怠惰性と暴力の醜い闘いで
 す。
 霊的な相はいまだに停止しています。二元性の環境のなかでは、そ
 れ自体を顕現できないからです。人格的存在が個人的存在と再統合
 され、限定されたときにだけ
、その真実の表現である霊性の光と愛
 と美がそれ自体で現れるのです。
 あなたは観察者(ヴィヤクタ)、観察されるもの(ヴィヤクティ)、
 観察の根底(アヴィヤクタ)について教えています。それはほかの
 見解と一致しますか?
 マハラジ
 そうだ。
 観察されるものが観察者からの分離においてその非存在を認識したとき、そ
 して、観察者が観察されるものを彼自身の表現として見るとき、平和と沈黙
 の状態が現れる。
 実際には、その三つはひとつなのだ。
 観察されるものと観察の根底は分割不可能だ。
 それと同時に、観察されるものは感覚、感情、思考の過程であり、五つの基
 本要素によってつくられた身体を基盤にしているのだ。
 質問者 観察者(ヴィヤクタ)と観察の根底(アヴィヤクタ)には、どのよ
 うな関係があるのでしょうか?
 マハラジ
 それらがひとつであるとき、どうして関係がありうるだろう?
 分離や関係といった話はすべて、「私は身体だ」という観念の不正で歪(ゆ
 が)んだ影響によるものだ。
 外面の自己(ヴィヤクティ)は、単に内面の自己(ヴィヤクタ)の投影であ
 る「身体―精神」であり、それはまたすべてであり、無である至高の自己
 (アヴィヤクタ)の表現にすぎないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

463鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/25(火) 22:12:42 ID:1d4drIFg0
観察する者は観察されるものという命題がまた繰り返されたのじゃ。
観察すれば観察していたものが正に観察されたものと気付くのじゃ。
そのようにして観照はおこり、変容が始まるのじゃ。
それは一瞬の気付きによるものなのじゃ。

464避難民のマジレスさん:2018/12/25(火) 23:33:27 ID:LC3de7YgO
>>462
『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】(つづき)

 質問者 高次の自己や低次の自己について語らない教師もいます。彼らは人
 間について、あたかも低次の自己存在でしかないように語ります。
 仏陀もキリストも高次の自己については言及しませんでした。J・
 クリシュナムルティもまた、高次の自己について語ることをつとめ
 て避けてきました。なぜそうなのでしょうか?
 マハラジ
 どうして、ひとつの身体のなかに二つの自己が存在できるだろうか?
 「私は在る」はひとつなのだ。
 高次の「私は在る」や低次の「私は在る」などありはしない。
 あらゆる類のマインドの状態は、気づきに提示される。
 そして、そこにはそれらとの自己同一化があるのだ。
 観察の対象物は現れたとおりの状態とは異なるものだ。
 そして観察者の態度が必ずしも適したものであるとはかぎらない。
 もしあなたが仏陀、キリスト、クリシュナムルティが個人に向かって話して
 いると考えるならば、それは間違いだ。
 彼らは、観察されるものである外面の自己が、観察者である内面の自己の影
 にすぎないことを知っているために、観察者についてだけを語り、それを気
 づかせるようにするのだ。
 彼らは外面の自己に注意を払わせ、それを導き助け、その責任を感じるよう
 にするため、つまりそれに完全に気づくことを助けるために話すのだ。
 気づきは至高なるものから現れ、内面の自己に充満していく。
 いわゆる外面の自己は、自己の存在の気づいていない部分でしかないのだ。
 人は意識しているかもしれない。
 なぜなら、すべての生きるものは意識
しているからだ。
 だが、人は気づいてはいないのだ。
 気づきのなかに含まれるものは内面となり、内面の質を帯びたものとなる。
 あなたは違った表現をするかもしれない。
 身体が外面の自己を定義し、意識が内面の自己を定義する。
 そして、純粋な気づきのなかで、至高なるものは触れられるのだ。
 質問者 あなたは身体が外面の自己を定義すると言われました。あなたも身
 体をもっているのですから、外面の自己もまたもっているのでしょ
 うか?
 マハラジ
 もし私が身体に執着し、それを私自身と見なすならば、そういうことになる
 だろう。
 質問者 しかし、あなたはそれに気づき、その必要に仕えているのです。
 マハラジ
 その反対が真実に近い。
 身体が私を知っていて、それが私の必要に気づいているのだ。
 だが、本当はそのどちらでもない。
 この身体は、あなたのマインドのなかに現れ、私のマインドのなかには何も
 ないのだ。
 質問者 あなたは身体をもっていることを完全に意識しているという意味で
 しょうか?
 マハラジ
 その反対で、私は身体をもっていないことを意識しているのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

465鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/26(水) 22:45:29 ID:1d4drIFg0
高次の自己などというものはないのじゃ。
それも人の願望によって出来た観念なのじゃ。
アートマンも高次の自己ではなくただ非によって現される法なのじゃ。
全て一つであるのに低い自己とか高い自己がある筈も無いのじゃ。

466避難民のマジレスさん:2018/12/27(木) 00:01:01 ID:LC3de7YgO
>>465
ふむふむ。
アートマンを真我と訳すのと同じ誤りを、解釈の中で、アートマン=高次の自己ととらえる誤りをしてしまっていることを見抜いたのがブッタだったのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

467避難民のマジレスさん:2018/12/27(木) 00:31:19 ID:LC3de7YgO
>>464
『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】(つづき)

 質問者 私はあなたが喫煙しているのを見ていますよ!
 マハラジ
 そのとおりだ。
 あなたは私が喫煙しているのを見る。
 どのようにしてあなたが、私が喫煙しているのを見るようになったのか、見
 いだしてみなさい。
 そうすれば、それはあなたの「私は身体だ」というマインドの状態が、「私
 はあなたが喫煙しているのを見る」という観念の原因となっていることを、
 容易に認識できるだろう。
 質問者 そこには身体があり、そこに私自身がいます。私は身体
 を知っています。それから離れると、私とは何なのでし
 ょうか?
 マハラジ
 身体を離れると、そこに「私」はなく、また世界もない。
 その三つはともに現れ、ともに消えるのだ。
 その根本には、「私は在る」という感覚がある。
 それを超えていきなさい。
 「私は身体ではない」という観念は、「私は身体だ」という偽り
 の観念の単なる解毒剤にすぎない。
 その「私は在る」とは何なのか?
 あなたがあなた自身を知るまでは、ほかの何を知ることができる
 というのだろうか?
 質問者 あなたが言われることから、身体なしに解放はありえな
 い、と私は結論を出します。もし「私は身体ではない」
 という観念が解放へと導くならば、身体の存在は欠くこ
 とのできないものなのです。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 身体なしに、どうやって「私は身体ではない」という観念が存在
 できるというのだろう?
 「私は自由だ」という観念は「私は束縛されている」という観念
 と同じように偽りなのだ。
 その両方に共通の、「私は在る」を見いだし、それを超えた彼方
 へと行きなさい。
 質問者 すべてはただの夢なのです。
 マハラジ
 すべては単なる言葉にすぎないのだ。
 それがあなたにとって何の役に立つというのだろう?
 あなたは言葉による定義づけや、公式化の網にひっかかっている
 のだ。
 あなたの概念や観念を超えていきなさい。
 真実は欲望や思考の消えた沈黙のなかに見いだされるだろう。
 質問者 人は覚えないようにするこ
とを覚えていなければならな
 いのです。何という苦労でしょう!
 マハラジ
 もちろん、それはできない。
 それは起こらなければならないのだ。
 だが、あなたが本当にその必要性を見たとき、それは起こる。
 ここでも真剣さが黄金の鍵なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

468素人A:2018/12/27(木) 11:26:55 ID:/mRrWwwM0
何いっても誤解されるのは言葉 ようするに受け取る我々は脳力が不足して
お釈迦さんの 無記もその場しのぎだつたのか その言葉に左右される私たち
御釈迦さんが花をさしだしてもあれこれ考えるし 今朝は暇が肥満し度々こちやんに来る
掃除は明日からする

469鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/27(木) 23:25:22 ID:1d4drIFg0
>>466 そうじゃ、真の我とか、高次の我とかがあるとすればそれにしがみついて自我の肥大が起こるものじゃ。
 自分は真我や高次の自己に達したからもはや修行しなくてよいとか思うからのう。
 真のアートマンの法は全てを否定するからそのような観念妄想に陥ることもないのじゃ。
 それがお釈迦様の説いた諸法無我なのじゃ。

470避難民のマジレスさん:2018/12/28(金) 02:11:38 ID:LC3de7YgO
>>467
『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】(つづき)

 質問者 私のマインドの背後では、いつもざわめきが聞こえてい
 ます。無数の弱い思考が群れをなして騒ぎたて、その形
 の定まらない雲はつねに私とともにあるのです。それは
 あなたも同じなのでしょうか? あなたのマインドの背
 後には何があるのでしょうか?
 マハラジ
 マインドがないところには、その背後もないのだ。
 私はすべてが表であって、裏がないのだ!
 虚空が語り、虚空が残るだけだ。
 質問者 そこには何の記憶も残され
ていないのでしょうか?
 マハラジ
 過去の快楽や苦痛の記憶は何も残っていない。
 瞬間瞬間が新しく生まれるのだ。
 質問者 記憶なしには、意識できないでしょう。
 マハラジ
 もちろん、私は意識している。
 そして、それに完全に気づいている。
 私は木材の塊ではないのだ!
 意識とその内容を雲と比較してみなさい。
 あなたは雲のなかにいるが、私はそれを見ているのだ。
 あなたはそのなかに迷いこんでしまい、指先さえ見えずにいるが、
 私は雲を、そしてほかの多くの雲を見ている。
 そして青空も太陽も、月や星たちも見ている。
 実在は私たち二人にとってひとつだ。
 だが、あなたにとってそれは牢獄であり、私にとっては我が家同
 然なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

471鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/28(金) 22:52:44 ID:1d4drIFg0
悟ればもはや雑念が生じることも無いのじゃ。
無理にそうしようとすればできるがのう。
それは記憶が制御できない状態から起こるものなのじゃ。
記憶に依存していれば記憶が制御できないのじゃ。
依存が無くなればもはや記憶が制御されるのじゃ。
止めることも活用することも自在にできるようになるのじゃ。

472避難民のマジレスさん:2018/12/29(土) 01:23:23 ID:LC3de7YgO
>>470
『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】(つづき)

 質問者 記憶なしには、意識できないでしょう。
 マハラジ
 もちろん、私は意識している。
 そして、それに完全に気づいている。
 私は木材の塊ではないのだ!
 意識とその内容を雲と比較してみなさい。
 あなたは雲のなかにいるが、私はそれを見ているのだ。
 あなたはそのなかに迷いこんでしまい、指先さえ見えずにいるが、
 私は雲を、そしてほかの多くの雲を見ている。
 そして青空も太陽も、月や星たちも見ている。
 実在は私たち二人にとってひとつだ。
 だが、あなたにとってそれは牢獄であり、私にとっては我が家同
 然なのだ。
 質問者 あなたは個人(ヴィヤクティ)、観照者(ヴィヤクタ)、
 至高なるもの(アヴィヤクタ)について語っています。
 どれが最初に現れるのでしょうか?
 マハラジ
 至高なるもののなかに観照者は現れる。
 観照者は個人をつくり出し、それ自身がそれから分離していると
 考えるのだ。
 観照者は、個人が意識のなかに現れるのを見ている。
 その個人は、ふたたび観照者のなかに現れるのだ。
 この基本構成の実現が至高なるものの働きだ。
 それは観照者の背後にある力であり、すべてが生じる源だ。
 個人と観照者の間に相互の援助と愛と統合がないかぎり、至高な
 るものに接触することはできない。
 至高なるものは、そのような調和の結実であり、源でもあるのだ。
 あなたに話すように、私は超然とした状態に在り、しかも愛情を
 ともなった気づき(トゥリーヤ)なのだ。
 この気づきがそれ自身に向けられたときを、至高の状態(トゥリ
 ーヤーティータ)と呼ぶことができるだろう。
 しかし、その根底にある実在は気づきを超え、成ること、存在す
 ること、存在しないことの三つの状態をも超えているのだ。
 質問者 どうして私は、ここでは高尚な話題に没頭し、それらを
 いともたやすく、快く考えつづけていられるというのに、
 家に帰ったとたん、ここで学んだすべてを忘れ、心配し
 たり、いらだったりして、真の本性を覚えていることが
 一瞬さえもできないのでしょう? いったい何がその原
 因なのでしょうか?
 マハラジ
 それはあなたがあなたの幼稚さに戻ったからだ。
 あなたはまだ、完全に成長しきっていないのだ。
 そこには未発達の層が手つかずのま
まに残っている。
 あなたのなかにある残酷さ、野蛮さ、不条理さ、冷酷さ、つまり
 は幼稚さに完全な注意を払いなさい。
 そうすればあなたは成熟するだろう。
 ハートとマインドの成熟、それが欠かせないものなのだ。
 主要な障害物である不注意と油断が取り除かれたとき、それは努
 力を要せずやってくる。
 あなたは気づきのなかで成長するのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

473素人A:2018/12/29(土) 09:59:40 ID:gOqWUDAs0
観賞するだけでは、受け取って見るだけなので相手に働きかけないのでエネルギーを
使わないで済むのかも?あの用があっても返さないので、この用からは身得ない
し、だから無記になつて説明してもほ師匠は説得できなく、まあ各々の用我干渉しなければ
まあ良いか。無駄なエネルギーつかえば力学的に摩擦もおこるし。動物として身えれば
生きるために食わなきゃならない死 殴り合いの出来るテレビ出来てもなあ

474鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/29(土) 20:59:01 ID:1d4drIFg0
記憶が意識であり、記憶が無ければ意識は無いと想う者もいるのじゃ。
意識は記憶を超えてあるものじゃ。
記憶はただ体験をイメージと言葉で記録する能力に過ぎないのじゃ。
それは意識ではないのじゃ。
記憶が無くとも刹那毎の意識が在り続けるだけなのじゃ。

475避難民のマジレスさん:2018/12/29(土) 23:23:30 ID:LC3de7YgO
>>472
『I AM THAT 私は在る』
【63 行為者という概念が束縛だ】

 質問者 私たちはサティア・サイババ* のアーシュラムにある期間滞在して
 いました。また、ティルヴァンナーマライのラマナアシュラマムで
 も2カ月ほど過ごしました。今、私たちはアメリカへ帰国の途上な
 のです。
  * 訳注 サティア・サイババ Satya Sai Baba (1926)アーンドラ・
      プラディーシュ州の村プッターパルティに生まれる。マハーラー
      シュトラ州の偉大な聖者シルディ・サイババの化身であると自ら
      名乗る。砂糖菓子や花、聖灰を物質化し、遠く離れた弟子の想念
      を読みとるといった奇跡を行なう世界的に有名なグル。
 マハラジ
 インドがあなたに何らかの変化をもたらしただろうか?
 質問者 私たちは重荷を降ろしたかのように感じています。シュリー・サテ
 ィヤ・サイババは、すべてを彼に明け渡し、ただ日々をできるかぎ
 り公正に生きるようにと言われました。「正しく在りなさい。あと
 は私にまかせなさい」と彼は
言いました。
 マハラジ
 シュリー・ラマナアシュラムでは何をしていたのかね?
 質問者 私たちは師から授かったマントラを復唱しつづていました。また瞑
 想もしました。考えることや勉強することはほとんどなく、ただ、
 静かにしているよう心がけていただけです。私たちはバクティ(帰
 依)の道を行く者で、哲学はむしろ知らないのです。私たちには考
 えなければならないことはさほどなく、ただグルを信頼し、人生を
 生きていくだけです。
 マハラジ
 バクタ(帰依者)の多くは、すべてがうまくいっている間はグルを信頼する。
 しかし、問題が起こると彼らは落ちこみ、ほかの師を探しに行くのだ。
 質問者 そうです。その危険性については警告されました。私たちは厳しい
 状況もやさしい状況とともに受け入れていこうと思っています。
 「すべては恩寵(おんちょう)だ」という感情が非常に強くなけれ
 ばなりません。ひとりのサド
ゥ(修行僧)が東に向かって歩いてい
 ると、その方向から強風が吹いてきました。サドゥはただくるりと
 向きを変えて、西に歩き出したのです。私たちもグルによって与え
 られた環境に私たち自身を合わせながら、そのように生きたいと願
 っています。
 マハラジ
 ただ生命だけがある。
 生命を生きる人は誰もいないのだ。
 質問者 それは私たちも理解します。それでもなお、私たちは、ただ生きる
 のではなく、自分たちの人生を生きようとしてしまうのです。未来
 のために計画を立ててしまうことは、私たちにとって根深い習慣な
 のです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

476避難民のマジレスさん:2018/12/30(日) 08:53:04 ID:LC3de7YgO
>>475
『I AM THAT 私は在る』
【63 行為者という概念が束縛だ】(つづき)

 マハラジ
 あなたが計画を立てようと立てまいと、人生は続いていくのだ。
 だがその人生において、マインドのなかに小さな渦巻きが現れる。
 それは幻想にふけり、それ自体が人生を支配し、コントロールしていると想
 像するのだ。
 生命そのものは無欲だ。
 だが、偽りの自己はそれが快く続いてほしい。
 そのため、それはつねに自己の継続を守ることに没頭しているのだ。
 生命は恐れず、自由だ。
 あなたが出来事に影響を与えているという考えをもっているかぎり、解放は
 あなたのものではない。
 行為者という観念、自分が出来事の原因であるという観念自体が束縛なのだ。
 質問者 どうすれば、私たちは為(な)す者と為されることという二元性を
 克服できるのでしょうか?
 マハラジ
 生命を無限で、分割不可能な、つねに存在し、つねに活動的なものとして黙
 想しなさい。
 あなたがそれとひとつであると悟るまで。
 それは難しくなどない。
 なぜなら、あなたはただ自分の自然な状態に戻るだけだからだ。
 すべては内側から現れ、あなたの住む世界があなたの上に投影されているの
 ではなく、あなたによって投影されているとひとたび自覚すれば、恐れは終
 焉(しゅうえん)するのだ。
 この自覚なしに、あなたはあなた自身を外界の身体、マインド、社会、国家、
 人類、そして神や至高なるものといったものとさえ同一化してしまう。
 だが、それらはみな恐れからの逃避なのだ。
 あなたが住む小さな世界の責任を完全に受け入れ、その創造、維持、破壊の
 過程を見守るときにだけ、あなたはあなた自身の想像による束縛から自由に
 なるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

477避難民のマジレスさん:2018/12/30(日) 08:58:36 ID:LC3de7YgO
>>476
>生命を無限で、分割不可能な、つねに存在し、つねに活動的なものとして黙
 想しなさい。
 あなたがそれとひとつであると悟るまで。
 それは難しくなどない。
> あなたが住む小さな世界の責任を完全に受け入れ、その創造、維持、破壊の
 過程を見守るときにだけ、あなたはあなた自身の想像による束縛から自由に
 なるのだ。

うむ。これだけでよいのでありますね!
超簡単そうに言ってくれるので、元気が出るのである。
(´・(∀)・`)つ

478鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/31(月) 00:04:27 ID:1d4drIFg0
↑それはブラフマンの法なのじゃ。
全てであるとイメージするのじゃ。
実践してみるとよいのじゃ。

二元性とはものごとを分割して認識する観念なのじゃ。
生と死とか天と地とかのう。
全てが一つとイメージすれば天も地も 一つであると気付くのじゃ。
それがブラフマンの法なのじゃ。

479素人A:2018/12/31(月) 09:21:33 ID:gOqWUDAs0
年末だけど太陽は明日からも同じ様に一日一年繰り返すのか
如来いや未来が存在しないぶら不満は無数の過去の思いでのDVD繰り返し
視るだけしか許されていなかつたりして いま過去に手を出し作り変えようと
すると物発生しびっくりバーンと宇宙が起きてしまい?てたらめだあ的は外れた
さあまあよいかこたえなんて 来年は知ん寝ん

480避難民のマジレスさん:2018/12/31(月) 14:47:45 ID:LC3de7YgO
>>476
『I AM THAT 私は在る』
【63 行為者という概念が束縛だ】(つづき)

 質問者 どうして私は自分自身をそんなにも不幸だと想像してしまうのでし
 ょうか?
 マハラジ
 ただの習慣からなのだ。
 あなたの考え方や感じ方を変えなさい。
 それらを再検討し、詳細に調べてみなさい。
 あなたは不注意によって束縛される。
 注意が解放するのだ。
 あなたはあまりにも多くのことを当然のこととして受け取ってきた。
 疑いはじめなさい。
 もっとも明らかなことは、もっとも疑わしいのだ。
 あなた自身にこのように問いかけてみるといい。
「私は本当に生まれたのだろうか?」
「私とは本当にこれなのだろうか?」
「私が存在すると、どのようにして知るのだろうか?」
「誰が私の親なのだ ろうか?」
「彼らが私を創造したのか、それとも私が彼らを創造したのだろうか?」
「私自身に関して言われたことを、すべて信じなければならないのだろうか?」
「私とは誰なのか?」と。
 あなたはあなた自身のための牢獄を築くことに、たいへんなエネルギーをつ
 ぎこんできた。
 今、それを破壊するためにできるかぎりを費やしなさい。
 事実、破壊することはたやすい。
 なぜなら、偽物は発見されたそのときに消え去るからだ。
 すべては「私は在る」という想念にかかっている。
 それを徹底的に調べるがいい。
 それはあらゆる困難の根底に存在している。
 それはあなたを実在から分かつ皮のようなものだ。
 実在は皮の内側にも外側にもある。
 しかし、皮そのものは実在ではないのだ。
 この「私は在る」という想念はあなたとともに生まれてきたのではない。
 あなたはそれなしでも充分申し分なく生きたことだろう。
 それはあとになって、身体との自己同一化のために現れた。
 それがありもしなかった分割という幻想をつくり出したのだ。
 それがあなた自身の世界のなかで、あなたを異邦人にしてしまった。
 そして世界を異質な、敵意あるものにしてしまったのだ。
 「私は在る」という感覚なしでも人生は続いていく。
 私たちにも「私は在る」という感覚のない平和で幸福なときはある。
 「私は在る」が戻るとともに、困難がはじまるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

481避難民のマジレスさん:2018/12/31(月) 19:17:02 ID:LC3de7YgO
>>480
『I AM THAT 私は在る』
【63 行為者という概念が束縛だ】(つづき)

  質問者 どうすれば「私」という感覚から自由になれるのでしょうか?
 マハラジ
 もしあなたがそれから自由になりたいのなら「私」という感覚と向き合わな
 ければならない。
 あなたが明確にそれを見て完全に理解するまで、それが作用しているときや、
 落ち着いているときを見守りなさい。
 それがどのようにはじまり、どのように停止し、何を欲しがり、どのように
 それを得るのかを見なさい。
 結局、すべてのヨーガは、その源が何であれ、性質が何であれ、目的はただ
 ひとつだ。
 分離された存在という不幸から、広大な美しい絵の中の無意味な点としての
 存在から、あなたを救い出すことにあるのだ。
 あなたが苦しむのは、あなた自身を実在から疎外したからだ。
 そして今、あなたはこの疎外感からの逃避を探し求めている。
 あなた自身の強迫観念から逃げることはできない。
 ただ、それを育むのをやめることができるだけだ。
 「私は在る」は偽りだからこそ、それは存続を願う。
 実在は存続する必要がない――それ自身、破壊不可能なことを知っているか
 らだ。
 それは形態とその表現の破壊に無関心なのだ。
 「私は在る」を強調し安定させようと、私たちはありとあらゆることをする
 が――すべては無駄に終わってしまう。
 なぜなら、「私は在る」は瞬間から瞬間へと再構築されていくものだからだ。
 それは絶え間ない仕事なのだ。
 そして唯一の革新的な解決法は、「私はあれであり、これである」という分
 離した感覚を永遠に消し去ることだ。
 存在は残る。
 だが、自己存在ではない。
 質問者 私には明確な霊的野心があり
ます。それを満たすために努力しなけ
 ればならないのではありませんか?
 マハラジ
 いかなる野心も霊的なものではありえない。
 すべての野心は「私は在る」のためのものなのだ。
 もしあなたが本当の進展を遂げたいのなら、すべての個人的な達成という考
 えは、あきらめなければならない。
 いわゆるヨーギの野心というものは、実にばかげたものだ。
 男性の女性に対する欲望は、永遠の個人的な至福を渇望することに比べれば
 純真なものだ。
 マインドとは詐欺師なのだ。
 より敬虔(けいけん)に見えるほど、裏切りはさらに悪いものとなるだろう。
 質問者 ひっきりなしに、人びとは世間の悩みごとをかかえてあなたのもと
 へやってきます。あなたはいったいどのようにして、彼らに何を言
 うかを知るのでしょうか?
 マハラジ
 ただその瞬間、私のマインドに現れたことを告げるだけだ。
 私には人びとに対応するための企画化
された手順といったものはない。
 質問者 あなたはあなた自身に確信をもっています。しかし、私のもとに人
 びとが来るとき、どのようにして私の助言が正しいものだと確信で
 きるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたがどの状態のなかにいるのか、どのレベルで話しているのかを見なさ
 い。
 もしあなたがマインドから話しているなら、間違っているかもしれない。
 あなたの精神的習慣が停止しており、状況への完全な洞察から話しているの
 ならば、あなたの助言は本物の返答かもしれない。
 要点は、あなたも、あなたの前にいる人も、ともに単なる身体ではないと完
 全に気づいていることだ。
 もしあなたの気づきが明晰(めいせき)で完全ならば、間違いはありえない。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

482鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/31(月) 23:02:42 ID:1d4drIFg0
全ての苦は自分があるという観念から起こるのじゃ。
それが無明とお釈迦様は説いたのじゃ。
自分があるという観念がある時、全ての苦は起こり、それがなければ゜苦は無いのじゃ。
それを観察して悟りに至るのじゃ。

483避難民のマジレスさん:2019/01/01(火) 00:16:00 ID:LC3de7YgO
>>482
鬼和尚、あけおめであります。
本年もよろしくであります。
(´・(∀)・`)つ

484避難民のマジレスさん:2019/01/01(火) 00:23:00 ID:LC3de7YgO
>>481
『I AM THAT 私は在る』
【64 何であれ満足させるものが、あなたを引き止める】

 質問者 私は公認会計士を引退し、妻は貧しい女性たちのための社会奉仕活
 動に従事しています。息子がアメリカへと旅立つため、見送りに来
 たのです。私たちはパンジャブ地方出身ですが、現在、デリーに暮
 らしています。私たちにはラダ・ソアミ教* のグルがいます。そし
 て、サットサン、聖者との交わりを高く評価しています。ここに連
 れてこられたことをたいへん幸福に感じています。今まで多くの聖
 者たちに出会ってきました。そして今、もうひとりに出会えること
 を嬉しく思っています。
 (*訳注 ラダ・ソアミ教 開祖シヴァ・ダヤール・サーヒブによって1861年
 に創設された宗派。シーク教徒とヒンドゥ教徒が主な信奉者。第三
 の目を通して内なる光と音の流れに意識を向けることが彼らの主要
 な修練。またサットサンを重視している。)
 マハラジ
 あなたたちは多くの隠者や苦行者に出会ってきた。
 だが、神性(スワルーパ)を意識した完全に真我実現した人を見いだすこと
 は困難なのだ。
 聖者やヨーギたちは計り知れない努力と犠牲によって多くの奇跡的な力を習
 得し、人びとを助け、信仰心を起こさせるといった善行を施すことができる。
 それでも、それらが彼らを完全にすることはない。
 それは実在への道ではなく、単に偽物に豊かさを与えただけなのだ。
 すべての努力はより多くの努力へと導く。
 何であれ構築されたものは維持されなければならない。
 何であれ得たものは、衰退や喪失から保護されなければならない。
 何であれ失われるものは自己のものではないのだ。
 そしてあなた自身のものでないなら、いったいあなたにとって何の役に立つ
 というのだろう?
 私の世界では、何も強要されることはない。
 すべてはひとりでに起こるのだ。
 すべての存在は時間と空間のなかにあり、限定され一時的なものだ。
 私は「何が存在するか」や「誰が存在するか」には関心がない。
 私の立場はその彼方に在る。
 私はその両方であり、そのどちらでもないところに在るのだ。
 多くの努力と苦行を終えてその野心を満たし、より高次の体験と行為を確保
 した人たちは、たいていの場合、彼らの地位を鋭敏に意識している。
 彼らは人びとを最低の未達成者から最高の達成者までに分類し、階級のなか
 に類別してしまう。
 私にとっては皆が同等だ。
 現れや表現のなかの違いはそこにあっても、それは問題ではないのだ。
 金の装飾品の形が金そのものに影響を与えないように、人の本質も影響を受
 けることはない。
 この同等の感覚が欠乏しているならば、それはつまり、実在には触れられて
 いなかったということだ。
 単なる知識では充分ではない。
 知る者が知られなければならないのだ。
 学者やヨーギは多くのことを知っているかもしれない。
 だが自己が知られていないとき、単なる知識が何になるというのか?
 それは間違いなく誤用されてしまうだろう。
 知る者の知識なしには平和はありえな
いのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

485避難民のマジレスさん:2019/01/01(火) 11:21:56 ID:LC3de7YgO
>>484
1『I AM THAT 私は在る』
【64 何であれ満足させるものが、あなたを引き止める】(つづき)

 質問者 人はどのようにして、知る人を知るのでしょうか?
 マハラジ
 私自身の体験から知っていることだけをあなたに話そう。
 私がグルに出会ったとき、彼は私に言ったのだ。
 「あなたはあなたが自分自身だと見なしているものではない。あなたが何で
 あるのかを見いだしなさい。『私は在る』という感覚を見守り、あなたの
 真我を見いだしなさい」と。
 私は彼に服従した。
 なぜなら彼を信頼したからだ。
 私は彼が言ったとおりにし、許すかぎりの時間を、沈黙のなかで自分自身を
 見つめることに費やした。
 そして、何という変化をもたらしたことか!
 それもこんなに早く!
 三年という短い時間で、私は真我を実現したのだ。
 私がグルに会ったすぐ後、彼は死んでしまった。
 だが、それは何の違いももたらさなかった。
 私は彼が私に言ったことを、たゆまず
覚えつづけていたのだ。
 その成果は、私とともにここにある。
 質問者 それは何なのですか?
 マハラジ
 私は真の私自身を知っているのだ。
 私は身体でもマインドでもなく、知的能力でもない。
 私はそれらすべてを超えているのだ。
 質問者 あなたはただの無なのでしょうか?
 マハラジ
 ばかなことを言ってはいけない。
 もちろん、もっとも実質的に、私は存在している。
 ただ、私はあなたが考えているような私ではないのだ。
 これがあなたにすべてを伝えるだろう。
 質問者 それは私に何も伝えていません。
 マハラジ
 なぜなら、それは語ることのできないものだからだ。
 自分自身の体験をもたなければならないのだ。
 あなたは物質的、精神的なものを扱うことには慣れている。
 私はものではなく、あなたもまたものではない。
 私たちは物質でもなくエネルギーでもない。
 身体でもなくマインドでもない。
 ひとたびあなたが自己の存在の一瞥を得るなら、私を理解するのは難しくな
 いと知るだろう。
 私たちは聞き伝えでたくさんのことを信じてしまう。
 遠くの土地や人びとのこと、神や女神のことなどを、ただそう聞いたという
 だけで信じてしまうのだ。
 同じように、私たちは自分自身について、両親や名前、地位や義務などにつ
 いて話を聞いてきた。
 一度もその真偽を確かめることなしに。
 真実への道は虚偽の破壊を通っていくものだ。
 偽りを破壊するために、あなたはあなたのもっとも根深い確信を疑わなけれ
 ばならない。
 そのなかで、あなたが身体であるという確信が最悪のものなのだ。
 身体とともに世界が現れ、世界とともに、世界を創造したと考えられている
 神が現れる。
 このようにして、恐れ、宗教、礼拝、捧げ物、あらゆる類(たぐい)の体系
 がはじまるのだ。
 すべては自らがつくり出した怪物に正気を失うほどおびえた幼稚な人間を保
 護し、支持するためのものだ。
 あなたは生まれることも、死ぬこともできないものだということを悟りなさ
 い。
 そうすれば恐れは去る。
 すべての苦しみは終わるのだ。
 マインドが発明したものは、マインドが破壊する。
 だが、実在は発明されたものではなく、破壊することもできない。
 マインドの力が及ばないそれをつかま
えなさい。
 私があなたに話していることは、過去のなかにも、未来のなかにもない。
 また、今起こっているような日々の生活のなかにもないのだ。
 それは永遠であり、その永遠性の全体はマインドを超えている。
 私のグルと、そして彼の言葉、「あなたは私自身だ」は、永遠に私とともに
 ある。
 はじめのうちはそれらにマインドを固定させなければならなかったが、今で
 はそれも自然なものとなった。
 グルの言葉を真実として受け入れ、日々の生活の細部にわたって自発的にそ
 れによって生きるようになったそのときが、真我の実現の戸口に立ったとき
 なのだ。
 ある意味では、それは信頼による開放だ。
 だが、その信頼は強烈で、持続しなければならない。
 しかしながら、信頼そのものだけで充分だと考えてはならない。
 信頼が行為のなかで表現されることが実現への手段なのだ。
 それはあらゆる手段のなかで、もっとも効果のあるものだ。
 信頼を否定し、論証のみを信じる教師もいる。
 実際には、彼らが否定するのは信頼ではなく、盲信なのだ。
 信頼は盲目的なものではない。
 それは試みようとする意志なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

486鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/01(火) 22:21:37 ID:1d4drIFg0
>>483 あけおめことよろなのじゃ。

日々精進し続けるならばただ一つの教えでも悟りに至れるものじゃ。
シュリハンドクと同じなのじゃ。
法を何度も変えているとそれが逃避に成り、どこにも辿りつけないのじゃ。
自我が消える恐れからこの法は自分に合わないと思うようになるからのう。

487避難民のマジレスさん:2019/01/01(火) 23:31:52 ID:LC3de7YgO
>>486
うむ。
そうでありますね。
くま、長期間失業してた際に、中途半端ではありますが、ケッカフザもできるようになり、小周天みたいなこともできるようになり、何よりも、生きるのがかなり楽になったのであります。
その間ずっと、鬼和尚が相談にのってもらってるのであります。
今は仕事にも就き、瞑想とかはサボってるでありますが、マハラジ流に、できるだけ常に意識を内側に向けている習慣はだいぶついてきたであります。
方向性は間違ってないと思うので、細かいテクニックには拘らず、ただ一つの意識を追求して行こうと思うのであります。
今後ともよろしくお願いしたいのであります。
   /⌒⌒ヽ
  /⌒  ⌒ヽ
 (_(   )_)
 (_)V ̄V(_)

488避難民のマジレスさん:2019/01/02(水) 00:14:53 ID:LC3de7YgO
>>485
『I AM THAT 私は在る』
【64 何であれ満足させるものが、あなたを引き止める】(つづき)

 質問者 すべての霊的修練のなかでもっとも効果的なのは、単なる観照の態
     度だと聞きました。それは信頼とどのように比較されるのでしょう
     か?
 マハラジ
 観照の態度もまた信頼なのだ。
 それは自分自身への信頼だ。
 あなたとはあなたが体験するものではないと信じ、すべてに距離をおいて見
 ることだ。
 観照に努力はいらない。
 あなたはあなたがただの観照者なのだと理解し、その理解が働いていく。
 それ以上何も必要ないのだ。
 ただ、あなたが観照者だということを覚えていなさい。
 もし観照の状態のなかで「私は誰か?」と自分自身に尋ねれば、その答えは
 直ちにやってくる。
 ただ、それは言葉ではなく、沈黙のものだ。
 起こっているすべてのことの主体となり、客体であることをやめなさい。
 ひとたび内側に向きを変えたなら、あなたは主体を超えたあなた自身を見い
 だすだろう。
 あなた自身を見いだしたとき、あなたは客体をも超えていることを見いだす。
 主体と客体はともにあなたの中に存在するが、あなたはそのどちらでもない
 のだ。
 質問者 あなたはマインド、マインドを超えた観照意識、そして気づきを超
     えた至高なるものについて語ります。それはつまり気づきさえも実
     在ではないという意味なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが実在―非実在という言葉で論じるかぎりは、唯一実在でありうるの
 は気づきだけだ。
 だが、至高なるものはすべての区別を超えているため、それに「実在」とい
 う言葉は適用しない。
 なぜなら、そのなかではすべてが実在
だからだ。
 それゆえ、そのように名づけられる必要もない。
 それは実在の源そのものだ。
 それは、何であれそれが触れたものに実在性を分け与えるのだ。
 質問者 しかし、誰が世界を創造したのでしょうか?
 マハラジ
 宇宙のマインド(チダカーシュ)がすべてを創造し、破壊する。
 至高なるもの(パラマカーシュ)が、何であれ存在のなかに現れたものに実
 体を与えるのだ。
 それを宇宙的な愛と呼ぶことが、言葉によってはもっとも近いものと言える
 だろう。
 それは愛のように、すべてを真実に、美しく、望むべきものにするのだ。
 質問者 なぜ、望むべきものなのでしょうか?
 マハラジ
 いけないかね?
 創造されたすべてを互いに反応し合うようにさせ、人びとを結びつける強引
 に引きあう力は、もし至高なるものからでなければ、どこからやってくると
 いうのだろうか?
 欲望を避けてはならない。
 ただそれが正しい経路を流れていることを見なさい。
 欲望なしには、あなたは死んだも同然だ。
 だが、低次の欲望とともにあるなら、あなたは亡霊と同じなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

489素人A:2019/01/02(水) 09:39:41 ID:gOqWUDAs0
注意不足生涯者の私が下記映しても実行は泣く世界は白いキャンバスに精神統一して凝念如雨露三昧でアートなんだろうけど
私が心の中心の曼荼羅である、他の人は他の人の中心点の曼荼羅の中心から見ているのか、でも全体的にバラ薔薇バランスは
とれていて阿弥陀のネットは満天のクリスマスのデコレーションの様に輝いているのかなあ。今は私のつまらない正月風景だ画?
全体性・部分・輝き 宇宙意識より 何とか三昧? 夢中の説明化 絵や音楽や詞や芸術?自然の風景?坐禅や名僧の中?仏仏?
アクイナスはこう言っている「『三つのものが美には必要である翻訳すれば、全体性、調和、そして光輝』となる」。全体性この
原理の機能は、みずから規定されかつ規定するような、実践とは関わりの無い、閉じた錬金術的な場を創り出すところにあります
それがどんな効果をもつかを見るには、何でもいいからいくつかの事物の集まりー例えばテーブルの上の品物の集まりを眺めて、
創造の中でその周囲に枠をおいて見て下さい。すると枠の中の事物の総てが「ひとつのもの」と見なされるでしょう。それはもは
や、いろんな用途をもつ無関係な事物の集合では無く、ある構成の部分であり、相互に関係づけられています。その枠の外にある
ものー例えばテーブルの部分は、いまや「他のもの」となり、枠の中にある事物のすべては一つのものになります。スティブの言
葉では、「君はそれを一つの全体として見る。その全体性を認識しているわけだ、これが全体性なのさ」というわけです。(続く
あおめでとうと言うの忘れた

490素人A:2019/01/02(水) 09:47:26 ID:gOqWUDAs0
(続き)調和 さてこのような構成ができると、次に重要なことーそして重要な事のすべてーは構成の中のそれぞれの
対象ないし事物が此処にあるのか、あちらにあるのかという事、つまり部分に対する関係、各部分の全体に対する関係、全体の各
部分に対する関係です。これが審美的な道具としてのリズム、すなわち調和です。その要素になるのは、事物、色彩、言葉とその
音、楽器、建築の部分とその比率などが考えられます。スティブンの言葉によれば、「君はそれの形の線に導かれ、点から点へと
眼を移してゆく君はそれを、その限界内で均斉のとれているものとして認識する。その構造のリズムを感じるわけだ」ということ
になります。輝き リズムがぴつたりあつたとき、人は喜びの中にとどまり、それに何か他の効用があるかどうかまったく考えま
せん。スティブンはこう言っています「君はまさにそのものであって、他の何ものでもないということを知ったわけだ。(続く)

491素人A:2019/01/02(水) 09:48:25 ID:gOqWUDAs0
(続き)〔アクイナス〕がスコラ学派の「クイッディタス」つまり事物の「そのものであること」について言つているの
がこの光輝なのさ。この至高の徳性は審美的映像が芸術家によつて感じられるものなんだ。こういう審美的瞬間の心を、シェリー
は燃え尽きる炭という美しい比喩で説明している。美の全体性によってとらえられ、美の調和によって魅惑されていた心が、美の
こういう至高の徳性、審美的映像の明るい光輝を輝かしく認識するこの瞬間こそは、審美的快楽の輝かしく静寂な状態だよね。こ
れはイタリアの生理学者ルイジ・ガルヴァーニがシェリーのものに劣らず美しい言葉で心の魅惑とよんだ心臓の状態に、非常に近
い霊的状態なんだ。」まさにこれひそが芸術の存在理由であり、その治癒力と奇跡を説明するものなのです。つまり認識された美
がこのような諸感覚を照明し、精神を鎮め、心を魅惑する力をもつということです。(続く)

492素人A:2019/01/02(水) 09:49:54 ID:gOqWUDAs0
(続き)「芸術は自然と相似した偉大な線を浮かび上がらせるという言葉を自分の座右の格言の一つとして挙げていたことを
思い出します。周知のとおり、自然は私たちの外部にあると同時にに、私たちの内部にもあるからです。芸術はこの両者の境界に
ある鏡なのです。儀式もそして神話も同じであって「自然の偉大な線を浮かび上がらせ」、それによって私たち自身の奥底にある
真理、あらゆる存在と共有している真理において回復させるのです。したがつてこのような「本来的な」やりかたで仕事をしてい
る芸術家は、その世紀の真の見者にして予言者であります。彼は生の擁護者です。生の擁護者でありますから、もちろん一人の
革命家です。その時代の社会的仮面を貫いてその背後にあるものに到達するという点において、単にもう一人の不自然な仮面の名
において舗道を血に染める狂信的な理想主義者よりもはるかに根本的な革命家なのです。」

493避難民のマジレスさん:2019/01/02(水) 10:28:54 ID:LC3de7YgO
>>488
『I AM THAT 私は在る』
【64 何であれ満足させるものが、あなたを引き止める】(つづき)

 質問者 至高なるものにもっとも近い体験とはどのようなものでしょうか?
 マハラジ
 計り知れない平和とかぎりない愛だ。
 何であれ、宇宙のなかに真実で、高尚な、美しいものがあれば、それはすべ
 てあなたから現れたのだと自覚しなさい。
 あなた自身がその源なのだ。
 世界を指揮する神や女神は、もっとも素晴らしい荘厳な存在かもしれない。
 それでも彼らは、彼らの主人の富と力を宣伝する、豪華に着飾った召使いの
 ようなものなのだ。
 質問者 どのようにして人は至高なるものに到達するのでしょうか?
 マハラジ
 すべてのより低い欲望を放棄することによってだ。
 より低い欲望に満足するかぎり、最高のものを手にすることはできない。
 何であれ満足させるものが、あなたを引き止めるのだ。
 すべてのものの不満足さ、はかなさ、限界を悟らないかぎり、そしてすべて
 のエネルギーを多大なる熱望に集めないかぎり、最初の一歩さえも踏めない。
 その反対に、至高なるものへの誠実な欲望は、それ自体至高なるものからの
 招きなのだ。
 身体的、精神的な何もあなたに自由を与えてはくれない。
 ひとたび束縛はあなたが創りだしているということを理解し、あなたを拘束
 する鎖を鋳造することを止めれば、あなたは自由なのだ。
 質問者 どのようにして、グルへの信頼を見いだせばいいのでしょうか?
 マハラジ
 グルを見いだし、また彼を信頼することはまれな幸運だ。
 それはそうそう起こることではない。
 質問者 それは運命に定められているのでしょうか?
 マハラジ
 それを運命と呼ぶことでは何も説明されない。
 それが起こったとき、あなたにはどうしてそれが起こったのかを言うことは
 できない。
 そして、それをカルマや恩寵(おんちょう)、また神の意志と呼ぶことは、
 単にあなたの無知を覆(おお)い隠すだけだ。
 質問者 クリシュナムルティは、グルは必要ないと言っています。
 マハラジ
 誰かが至高の実在と、それへの道について語らなければならないのだ。
 クリシュナムルティがしていることは、ほかの何ものでもない。
 ある意味では、彼は正しい。
 ほとんどのいわゆる弟子たちは、彼らのグルを信頼していないのだ。
 彼らはグルにそむき、グルを放棄してしまう。
 そのような弟子たちにとっては、グルを持たない方が、そして導きを得るた
 めに、ただ内面を見ることのほうがどれだけ良かったか知れないのだ。
 生きたグルを見いだすことは稀少な機会であり、大いなる責任でもある。
 これらのことを軽く扱ってはならないのだ。
 あなたたちは天国を買おうとやっきになって、値段の額を支払えばグルがそ
 れを与えてくれると想像している。
 わずかばかりを捧げて、多くを要求する売買契約を求めているのだ。
 あなたが騙しているのは、ほかでもないあなた自身なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

494鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/02(水) 22:45:29 ID:1d4drIFg0
本来人は師匠なくして悟れるものじゃ。
お釈迦様も無師独悟と言っているのじゃ。
自分を救う者は自分しか居ないのじゃ。
師匠はその道を指し示す道標に過ぎないものじゃ。

495避難民のマジレスさん:2019/01/03(木) 00:07:31 ID:LC3de7YgO
>>493
『I AM THAT 私は在る』
【64 何であれ満足させるものが、あなたを引き止める】(つづき)

 質問者 あなたはグルから、「あなたは至高なるものだ」と言われました。
     そして彼を信頼し、その通りに行動したのです。何があなたにこの
     信頼を与えたのでしょうか?
 マハラジ
 私はただ、道理を聞き分けただけだ。
 彼を疑うとしたら、愚かなことだっただろう。
 私を惑わせることで、いったい彼がどんな利益を得るというのだろうか?
 質問者 あなたはある質問者に、私たちは同じであり、同等だと言われまし
     た。私にはそれが信じられません。私に信じられないのなら、あな
     たの表明が私にとって何の役に立つというのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの不信は問題ではないのだ。
 私の言葉は真実であり、それはその仕事をする。
 これがサットサン、聖者との交わりの美しさなのだ。
 質問者 ただあなたの近くに座っているだけで、それを霊的な修練だと考え
     ることができるのでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 生命の川は流れている。
 その水のいくらかはここにある。
 だが、大変な量の水がすでに目的地に到達しているのだ。
 あなたは現在しか見ていない。
 私は遙か彼方の過去と未来を、あなたが何であるか、そしてあなたが何にな
 ることができるのかを見ているのだ。
 私には、あなたを私自身としてしか見ることができない。
 違いを見ないこと、それが愛の本質なのだ。
 質問者 どうすれば、あなたが私を見るように、私自身を見ることができる
     ようになるのでしょう?
 マハラジ
 もしあなた自身を身体だと想像しなければ、それで充分だ。
 災いをもたらすのは「私は身体だ」という想念なのだ。
 それはあなたを真実の本性に対して、完全に盲目にしてしまう。
 ほんの一瞬でさえ、自分が身体だと考えてはならない。
 あなた自身にいかなる名前も形も与え
てはならない。
 実在は闇と沈黙の中で見いだされるのだ。
 質問者 私が身体ではないという確信を持って考えなくてはならないのでし
     ょうか? どこにそのような確信を見つけることができるのでしょ
     うか?
 マハラジ
 あたかも完全に得心したかのようにふるまいなさい。
 そうすれば、確信はやってくるだろう。
 単なる言葉が何の役に立つというのだろう?
 マントラや精神的パターンは助けにならないだろう。
 しかし非利己的な行為、身体の関心事とその利益のすべてから自由になった
 行為が、あなたを実在の確信そのものに連れていくだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

496避難民のマジレスさん:2019/01/03(木) 00:13:42 ID:LC3de7YgO
>>495
>あたかも完全に得心したかのようにふるまいなさい。
 そうすれば、確信はやってくるだろう。
・・・・非利己的な行為、身体の関心事とその利益のすべてから自由になった
 行為が、あなたを実在の確信そのものに連れていくだろう。

うむ。
日常的に慈悲ある行為、善事をなす事、をすることが、完全に得心したかのように振る舞うことになるのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

497避難民のマジレスさん:2019/01/03(木) 12:49:14 ID:LC3de7YgO
>>495
『I AM THAT 私は在る』
【64 何であれ満足させるものが、あなたを引き止める】(つづき)

 質問者 確信なしに行為する勇気を、私はどこから得るというのでしょうか?
 マハラジ
 愛があなたに勇気を与えるだろう。
 あなたが誰か本当に賞賛すべき、愛するに足る崇高な人に出会ったなら、あ
 なたの愛と敬慕が、あなたに高尚にふるまおうという衝動を与えてくれるだ
 ろう。
 質問者 賞賛すべき人を賞賛するということを、誰もが知っているわけでは
     ありません。ほとんどの人々はまったく感受性に欠けているのです。
 マハラジ
 生命が彼らに進化を認めさせるようにするだろう。
 積まれてきた体験の重みが、彼らに見る目を与えるだろう。
 賞賛に値する人に出会ったなら、あなたは彼を愛し、信頼し、彼の助言にし
 たがうことだろう。
 他の者たちが賞賛し、愛するに足る完全な模範を示すこと、これが自己実現
 した人の役目だ。
 その人の人生と人格の美しさは、公益のための途方もない貢献なのだ。
 質問者 私たちは成長のために苦しむべきではないでしょうか?
 マハラジ
 そこに苦しみがあり、世界は苦しんでいるということを知るだけで充分だ。
 快楽と苦痛自体が悟りをもたらすことはない。
 ただ理解だけがそれをもたらすのだ。
 ひとたびあなたが世界は苦しみで満ち、生まれてくること自体が災いだとい
 う真実を把握すれば、それを超えていこうとする衝動とエネルギーを見いだ
 すだろう。
 快楽はあなたを眠らせ、苦痛は目覚めさせる。
 至福を通してだけではあなた自身を知ることはできない。
 あなたの本性そのものが至福だからだ。
 悟りを得るためには、あなたではないもの、対極と向き合わなければならな
 いのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

498鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/03(木) 21:53:02 ID:1d4drIFg0
>>496 そうじゃ、慈悲の行いと心が広がって意識も知れるのじゃ。
 慈悲の心が体からどこまでも広がっていくというのがお釈迦様の説いたブラフマンの法なのじゃ。
 慈悲の心がなければそれも出来ないからのう。
 実践あるのみなのじゃ。

499避難民のマジレスさん:2019/01/04(金) 00:36:55 ID:LC3de7YgO
>>497
1『I AM THAT 私は在る』
【65 あなたに必要なのは、静かなマインドだけだ】

 質問者 私は具合が良くありません。むしろ弱っている感じがします。どう
     すればいいでしょうか?
 マハラジ
 誰の調子が悪いのかね?
 あなたか、それとも身体だろうか?
 質問者 もちろん、私の身体です。
 マハラジ
 昨日、あなたは具合が良かった。
 何が良いと感じたのだろうか?
 質問者 身体です。
 マハラジ
 身体の具合が良いとき、あなたは喜び、身体の具合が悪いとき、あなたは悲
 しむ。
 ある日喜び、つぎの日悲しむのは誰だろうか?
 質問者 マインドです。
 マハラジ
 マインドがそれを知る者だ。
 知る者を知るのは誰だろうか?
 質問者 知る者がそれ自身を知っているのではないでしょうか?
 マハラジ
 マインドは断続的なものだ。
 眠りや気絶や精神錯乱したとき、何度もそれは空白状態となる。
 そこにはその断続性を継続的に記録する何かがあるはずだ。
 質問者 マインドが覚えています。これが継続性を意味します。
 マハラジ
 記憶はつねに部分的であてにならず、つかの間のものだ。
 それは「私は在る」という感覚である、意識に浸透した強力なアイデンティ
 ティの感覚を説明はしない。
 その根底にあるものが何なのかを見いだしなさい。
 質問者 どんなに深く見入っても、私にはマインドしか見いだせません。あ
     なたの「マインドの彼方」という言葉は手がかりにならないのです。
 マハラジ
 マインドでもって見ているかぎり、それを超えていくことはできない。
 彼方へと超えていくには、マインドとその内容から目を離さなければならな
 いのだ。
 質問者 どの方向を見ろといわれるのでしょうか?
 マハラジ
 すべての方向はマインドのなかにあるのだ!
 私はあなたに特定の方向を見るように言っているのではない。
 ただ、あなたのマインドのなかで起こっていることのすべてから目を離し、
 「私は在る」という感覚にそれを合わせなさい。
 「私は在る」は方向ではない。
 それはすべての方向を否定したものだ。
 最後には「私は在る」さえも去らなければならない。
 なぜなら、明白なことをいつまでも主張しつづける必要はないからだ。
 「私は在る」にマインドを合わせることは、単にマインドをほかのすべてか
 らそむけることなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

500避難民のマジレスさん:2019/01/04(金) 00:45:45 ID:LC3de7YgO
>>498
鬼和尚、ありがとうであります。
>非利己的な行為、身体の関心事とその利益のすべてから自由になった行為

とは、自他の別ののない行為と言うことであり、そのように振舞え、無我を体得したように振る舞えと言ってるのでありますよね。

(´・(ェ)・`)つ

501避難民のマジレスさん:2019/01/04(金) 10:23:38 ID:LC3de7YgO
>>499
『I AM THAT 私は在る』
【65 あなたに必要なのは、静かなマインドだけだ】(つづき)

 質問者 それは私をどこへ導くのでしょうか?
 マハラジ
 マインドがよそごとに気を取られることから目を離されたとき、それは静か
 になる。
 もしこの静けさを妨げず、そこにとどまるなら、あなたはそれが見たことも
 ない光と愛にあふれていることを知るだろう。
 しかも、あなたはそれをあなた自身の
本性だとすぐに認識するのだ。
 ひとたびこの体験を通ったならば、あなたは二度と同じ人ではなくなるだろ
 う。
 気ままなマインドはその平和を破り、ヴィジョンを消し去ってしまうかもし
 れない。
 だが、すべての束縛が破れ、迷いや執着が終わるまで努力を続ければ、それ
 はかならず戻ってくる。
 そして人生は最高に、今この瞬間に集中したものとなるのだ。
 質問者 それがどんな違いをもたらすというのでしょうか?
 マハラジ
 思考はなくなり、そこには愛の行為だけがあるのだ。
 質問者 私がそれに到達したとき、どうやって認識するのでしょうか?
 マハラジ
 そこにはもはや恐れがないのだ。
 質問者 神秘と危険に満ちた世界に囲まれて、どうやって恐れなしでいるこ
     とができるでしょう?
 マハラジ
 あなた自身の小さな身体もまた、神秘と危険に満ちているのだ。
 それでも、あなたはそれを恐れはしない。
 あなたがそれをあなた自身のものと見なしているからだ。
 あなたが知らないのは、この宇宙全体があなたの身体であり、それを恐れる
 必要はないということだ。
 あなたは個人的と宇宙的な二つの身体をもっていると言ってもいい。
 個人的身体は来ては去っていく。
 宇宙的身体はいつもあなたとともにある。
 創造全体があなたの宇宙的身体なのだ。
 あなたは個人的身体的に盲目的になり、宇宙的身体を見ていない。
 この盲目がひとりでに終わることはない。
 それは巧みに、熟考した上で取り消さなければならないのだ。
 すべての幻想が理解され、放棄されたとき、あなたは個人的と宇宙的の間の
 区別がすべてなくなった、過ちのない、完全な状態に到達するのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

502鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/05(土) 00:24:14 ID:1d4drIFg0
>>500 そうじゃろう。
 なかなか難しいことであるがのう。
 
本来全ての者は宇宙も含んだ全てであるのじゃ。
謬見によって身体だけが自分とか認識しているのじゃ。
その幻想がなくなければ全てに戻るのじゃ。
それが完全な状態ということなのじゃ。

503避難民のマジレスさん:2019/01/05(土) 20:55:49 ID:LC3de7YgO
>>501
『I AM THAT 私は在る』
【65 あなたに必要なのは、静かなマインドだけだ】(つづき)

 質問者 私は個人であり、それゆえ空間と時間に限定されています。私はわ
     ずかばかりの空間を占め、ほんの瞬間存在するだけです。
 マハラジ
 それにもかかわらず、あなたは在るのだ。
 あなたが真の本性の探求へと深く入って行くにしたがって、小さいのはあな
 たの身体であり、短いのはあなたの記憶であって、広大な生命の大海があな
 たのものであることを発見するだろう。
 質問者 「私」と「宇宙」という言葉自体が相容れないものです。
 マハラジ
 そうではない。
 同一であるという感覚は普遍的に浸透しているのだ。
 探求しなさい。
 そうすれば、あなたはあなた自身であり、かぎりなくそれ以上である宇宙的
 個人を発見することだろう。
 とにかく、まず世界はあなたのなかにあり、あなたが世界のなかにいるので
 はないということを自覚することからはじめなさい。
 質問者 どうしてそうありうるのでしょうか? 私は世界のなかの一部分で
     しかありえません。鏡のような反映による以外に、どうして部分の
     なかに世界全体が含まれるというのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの言うとおりだ。
 あなたの個人的身体は一部分であり、その中に全体が不思議にも反映されて
 いるのだ。
 しかし、あなたは宇宙的身体もまたもっている。
 それを知らないとさえ言えないのだ。
 なぜなら、あなたはつねにそれを見て、体験しているからだ。
 ただ、それを「世界」と呼び、恐れているだけなのだ。
 質問者 私は、私の小さい身体は知っていると感じますが、もうひとつの身
     体は科学を通してしか知りません。
 マハラジ
 あなたの小さな身体は、あなたの知らない神秘と不思議で満ちている。
 そこでもまた、科学があなたの唯一のガイドだ。
 解剖学と天文学がそれらを説明するだろう。
 質問者 たとえ、私があなたの基本的な論理としての宇宙的身体の教義を受
     け入れたとしても、いったいどのようにそれを考査することができ、
     また、それが私にとって何の役に立つと言うのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが両方の身体に宿ることを知ることで、あなたはすべてを所有するこ
 とになるのだ。
 宇宙のすべてがあなたの関心事となり、すべての生きるものたちをあなたは
 もっとも優しく賢明に愛するようになるだろう。
 あなたと他者との間には利益の衝突がなくなるだろう。
 すべての搾取(さくしゅ)は絶対的に消えるだろう。
 あなたのあらゆる行動は恩恵となり、あらゆる瞬間は祝福となるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)


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