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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4

1避難民のマジレスさん:2018/07/07(土) 12:47:05 ID:GOHu/WSs0
前スレ:鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 3
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619

377素人A:2018/11/26(月) 10:13:33 ID:gOqWUDAs0
真理をネット 意識の糸した通りに演ずる 劇製作者 役者 観客
色々な立場のドラマがあるのかも 皆同じ人の夢芝居だったりして
夢芝居 https://www.youtube.com/watch?v=tJfmPcWZxv8

378鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/26(月) 20:27:13 ID:1d4drIFg0
自分が個体であり、身体そのものと認識すればこの世はまさに一切苦の地獄なのじゃ。
全ての者がいずれ老病死の苦によって消えていくので在るからのう。
映画や漫画のような永遠に幸せになりましたというハッピーエンドは無いのじゃ。
しかし、全てで在る意識こそ本体と知れば肉体は髪や爪のようなものでしかないとわかるのじゃ。
それがなくなっても自然なことであり、悲しむことでもなく消滅でもないのじゃ。
そのようにして死を超えることができるのじゃ。

379避難民のマジレスさん:2018/11/27(火) 06:47:53 ID:LC3de7YgO
>>376
『I AM THAT 私は在る』
【56 意識が現れるとともに、世界が現れる】

 質問者 仏教の伝統ではニルヴァーニ、悟りを得た仏陀は、宇宙の自由を司
 っていると言われています。彼は存在するすべてを知り、体験する
 ことができます。彼は因果的連鎖によって自然界を制し、調停し、
 出来事の結果を変え、過去を取り消すことさえできるのです! そ
 れでも世界は彼とともに在り、しかもそのなかで彼は自由なのです。
 マハラジ
 あなたが描写しているのは神だ。
 もちろん、宇宙の在るところには、その片割れである神もまた存在するだろ
 う。
 しかし、私はそのどちらも超えているのだ。
 ある王国が王を探していた。
 彼らはふさわしい人を見つけだし、彼を王にした。
 だが、彼はけっして変わっていない。
 彼は王位の称号と権利、そして職務を与えられただけだ。
 変わったのはただ彼の行動だけで、彼の本性は影響を受けてはいないのだ。
 同様に、悟りを得た人も彼の意識の内容は根本的な変容を遂げる。
 しかし、彼は惑わされない。
 彼は不変なるものを知っているのだ。
 質問者 不変なるものは意識することができないはずです。意識はつねに変
 化するものだからです。不変なるものは意識のなかに何の影響も与
 えません。
 マハラジ
 そうだとも、そうでないとも言える。
 紙は書いてあることではないが、それは書いてあることを伝える。
 インクがメッセージではなく、また読む人のマインドがメッセージなのでも
 ない。
 しかし、それらすべてがメッセージを可能にするのだ。
 質問者 意識は実在から降りてくるのでしょうか、それとも、それは物質の
 属性なのでしょうか?
 マハラジ
 意識それ自体としては、物質の微妙な片割れなのだ。
 不活発性(タマス)とエネルギー(ラジャス)が物質の属性であるように、
 調和(サットヴァ)は意識それ自体として現れる。
 ある意味では、それを非常に神秘的なエネルギーの一形態として考えてもい
 いだろう。
 どこであれ、物質がそれ自体をひとつの堅固な有機体へと組織化するとき、
 意識は自発的に現れる。
 有機体の破壊にともなって、意識は消滅するのだ。
 質問者 それでは、何が残るのでしょうか?
 マハラジ
 けっして生まれることも死ぬこともなく、そのなかでは物質も意識も単なる
 相にすぎない、あれが残るのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

380素人A:2018/11/27(火) 10:01:14 ID:gOqWUDAs0
神秘家の道と芸術家の道には関連がありますが、両者の違いは(「インドラの屈辱」伝説における<長髪者>のように)神秘家
が世界を無関心あるいは軽蔑とともに眺めるようになる事がありうるという事です。苦行について述べた文献には、身体お
よびその機能と欲望を軽視する言葉がふんだんに出てきます。ラーマクリシュナの高弟スワミ・ヴェカナンダは死ぬ瞬間に
「私は身体を吐き出すところだ」と呟いたそうです。(つづく)
(続き)一方その技術によつてあるがままの世界への愛を持ち続ける芸術家はバラモン、牛、像、あるいは犬を食うもの
〔賎民〕殺すものと殺されるものを平等に見ながらも、その各々のなかにー魅惑された神秘的な静止においてであれ、燐憐
(共有された苦悩)においてであれ、純然たる恐怖においてであれー自分自身と同じ何かを認識せざるをえません。・・
夢と空想が明かす各人の最奥の真理について語りつつ言明しているのです。「人々は彼の同朋愛を放棄すべきではない、
たとい最も罪深い人間に対してであっても」。・・・

381鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/27(火) 22:08:50 ID:1d4drIFg0
マハリシの言う意識とは肉体のもつ心の働きなのじゃ。
質問した者の意味の通りに使っているのじゃ。
思考とか感情とか分別する心の働きなのじゃ。
そのような心の働きは肉体の持つ能力ともいえるものじゃ。
肉体が無くなれば消えるのじゃ。

肉体が消えてもなくならない永遠の意識をマハリシはあれというのじゃ。
それは本来名づけるべきものではないからなのじゃ。

382避難民のマジレスさん:2018/11/28(水) 06:21:44 ID:LC3de7YgO
>>379
『I AM THAT 私は在る』
【56 意識が現れるとともに、世界が現れる】(つづき)

 質問者 もし物質も意識も超えているのならば、どのようにしてそれを体験
 することができるのでしょうか?
 マハラジ
 それはその影響が物質と意識の両方に及ぼす効果によって知ることができる。
 美と至福のなかにそれを探してみるがいい。
 だが、その両方を超えていかないかぎり、あなたは身体も意識も理解するこ
 とはないだろう。
 質問者 どうか、私たちにはっきりと言ってください。あなたは意識してい
 るのでしょうか、それとも無意識なのでしょうか?
 マハラジ
 悟りを得た人(ジニャーニ)はそのどちらでもない。
 だが、彼の悟り(ジニャーナ)のなかにすべては包括されている。
 気づきはすべての体験を含んでいる。
 しかし、気づいているその人はあらゆる体験を超えているのだ。
 彼は気づき自体をも超えている。
 質問者 体験の背後に物質と呼ばれるものがあります。そして体験者である
 マインドがあります。何がそれら二つの間に橋を架けるのでしょう
 か?
 マハラジ
 その間にある隙間そのものが橋なのだ。
 その一端からは物質として見え、反対側の一端からはマインドとして見える
 それ、それ自体が橋なのだ。
 実在をマインドと身体に分けてはならない。
 そうすれば、橋の必要はなくなる。
 意識が現れるとともに、世界が現れる。
 世界の美と智慧について考えるとき、あなたはそれを神と呼ぶのだ。
 あなた自身のなかにある、そのすべての源を知りなさい。
 そうすれば、あなたはすべての質問の答えを見いだすだろう。
 質問者 見る者と見られるもの、それらはひとつなのでしょうか、それとも
 二つなのでしょうか?
 マハラジ
 ただ、見ることだけが在る。
 そのなかに見る者も、見られるものも含まれるのだ。
 区別のないところに区別をつくり出してはならない。
 質問者 わたしは死を迎えた人について質問をはじめました。あなたは彼の
 体験が彼の期待と信念にしたがって形づくられると言いました。
 マハラジ
 生まれる前に、あなたはあなた自身が立てた計画にしたがって生きることを
 期待していたのだ。
 あなた自身の意志が、あなたの運命の支柱だったのだ。
 質問者 間違いなく、カルマが干渉したはずです。
 マハラジ
 カルマは環境を形づくる。
 態度はあなた自身のものだ。
 結局は、あなたの人格があなたの人生を作り出し、人格を形づくるのはあな
 ただけなのだ。
 質問者 どのようにして人は人格を形づくるのでしょうか?
 マハラジ
 それをあるがままに見ることによって、そして誠実に心から感じることによ
 ってだ。
 この見ることと感じることの統合が奇跡的な働きをする。
 それはブロンズの像を鋳造するようなものだ。
 金属だけでも、火だけでも無理だし、鋳型だけでも役に立たない。
 あなたは金属を火で熱し、溶解して、鋳型へ流し込まなければならないのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

383鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/28(水) 22:57:10 ID:1d4drIFg0
アートマンは全てを認識するが、認識されないのじゃ。
それは気づきの意識であり、見ることだけが在るのじゃ。
主体無く対象もなく観ることだけがある時にアートマンに達したと言えるのじゃ。
主体や対象があれば未だアートマンには達していないと知るがよいのじゃ。

384避難民のマジレスさん:2018/11/29(木) 05:46:06 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【57 マインドを超えたところに苦しみはない】

 質問者 あなたがあなたの息子さんの家で昼食が出されるのを待っていると
 ころを目にしました。そのとき、私の意識とあなたの意識の内容が
 似たものなのか、部分的に異なるのか、それともまったく違うのか
 と不思議に思っていたのです。あなたは私のように空腹や喉の渇き
 を覚え、食事が給仕されるまで落ち着かずにいるのでしょうか、そ
 れとも、まったく異なったマインドの状態に在るのでしょうか?
 マハラジ
 表面上の違いはほとんどない。
 だが、その奥深くではたいへん異なる。
 あなたはあなた自身を感覚とマインドを通してのみ知っている。
 あなたはそれらが示唆することをあなた自身として受け入れ、自己の直接の
 知識をもっていない。
 あなたのもっているのは単なる観念だけだ。
 すべて平凡で、使い古しのうわさによるものにすぎない。
 あなたは何であれ、あなたであると考えたことを真実として受け入れてしまう。
 あなた自身が知覚可能で、描写可能なものだと想像する習慣が非常に強固に
 なってしまっているのだ。
 私はあなたが見るように見、あなたが聞くように聞き、あなたが味わうよう
 に味わい、あなたが食べるように食べる。
 私はまた喉の渇きや空腹を感じ、時間通りに食事が給仕されることを期待す
 る。
 飢えたとき、また病気をしたとき、私の身体とマインドは弱まる。
 これらすべてを私はまったく明確に知覚するが、どういうわけか、私はその
 なかにはいないのだ。
 私は自分がその上を漂い、超然として離れているように感じるのだ。
 超然として離れていると言うことさえ本当ではない。
 そこに空腹や渇きがあるように、超然と分離の感覚がそこにあるのだ。
 そこにはまた、気づきと計り知れない距離の感覚がある。
 あたかも、身体とマインド、そしてそれらに起こるすべてが、どこか遙か地
 平線の彼方で起こっているかのようだ。
 私は映画のスクリーンのように明白で空っぽだ。
 画像はその上を通り過ぎ、明白で空っぽのままの状態を残して消えていく。
 どの点においてもスクリーンが画像に影響されることはない。
 また、画像もスクリーンによる影響を受けはしない。
 スクリーンは画像を遮(さえぎ)り投影する。
 スクリーンが画像を形づくるのではないのだ。
 それはフィルムと何の関わりもない。
 フィルムはフィルムとしてひと塊(かたまり)の運命なのだ。
 だが、私の運命ではない。
 スクリーン上の人びとの運命だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

385避難民のマジレスさん:2018/11/29(木) 05:48:58 ID:LC3de7YgO
>>384
> そこに空腹や渇きがあるように、超然と分離の感覚がそこにあるのだ。
 そこにはまた、気づきと計り知れない距離の感覚がある。
 あたかも、身体とマインド、そしてそれらに起こるすべてが、どこか遙か地
 平線の彼方で起こっているかのようだ。

←こんな風にあれたら、楽でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

386素人A:2018/11/29(木) 11:07:48 ID:/mRrWwwM0
マはらじに質問は質問者もまはらじが何答えるか分かり切つてきいている
これ何の意味があるのだろう そこには能天気なタバコの煙の話が浮いていた
だけ人休み そのてん般若心経のコマーシャルは大げさに勧誘する 年取らない
働かなくて良い これは何なんだ

387鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/29(木) 23:00:23 ID:1d4drIFg0
>>385 それはサマーディに入っただけでも感じるものじゃ。
 ただひたすらに集中すると善いのじゃ。
 姿勢を正しくして集中すれば直ぐにでもサマーディは訪れるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

388避難民のマジレスさん:2018/11/30(金) 05:40:58 ID:LC3de7YgO
>>387
サマディーに至るのは、超難しいようにくまには思えるであります。
(´・(ェ)・`)つ

389避難民のマジレスさん:2018/11/30(金) 05:56:45 ID:LC3de7YgO
>>384
『I AM THAT 私は在る』
【57 マインドを超えたところに苦しみはない】(つづき)

 質問者 あなたは画像のなかの人びとが運命をもっていると言うのではない
 でしょうね! 彼らは物語に属しているのです。物語は彼らのもの
 ではありません。
 マハラジ
 では、あなたはどうだろうか?
 あなたはあなたの人生を形づくっているだろうか、あるいはあなたがそれに
 よって形づくられているのだろうか?
 質問者 確かにあなたの言われるとおりです。人生の物語はそれ自体で繰り
 広げられ、私はそのなかのひとりの役者にすぎません。私なしには
 それが存在しないように、その外側に私の存在もないのです。私は
 ただの登場人物であって、個人ではありません。
 マハラジ
 彼が人生を起こるがまま受け入れる代わりに、自分でそれを形づくりはじめ、
 彼自身をそれと同一化するとき、登場人物は個人となるのだ。
 質問者 私が質問し、あなたが答えるとき、正確には何が起こっているので
 しょう?
 マハラジ
 質問と回答は、ともにスクリーン上に現れるだけだ。
 唇が動き、身体が話す。
 そして、ふたたびスクリーンは明白で空っぽになる。
 質問者 あなたが明白で空っぽだと言うとき、あなたは何を意味しているの
 ですか?
 マハラジ
 それはすべての内容から自由であることを意味しているのだ。
 私自身にとっては、私は知覚可能なものでも、想像可能なものでもない。
 「これが私だ」と示唆できるようなものは何ひとつないのだ。
 あなたは自分自身をいともたやすくあらゆるものと自己同一化してしまう。
 私にとって、それはまったく不可能だ。
 「私はこれでもなく、あれでもない。また、何も私のものではない」という
 感覚が私のなかで非常に強いため、あるもの、あるいはある想いが現れるや
 いなや、「これは私ではない」という感覚がやってくるのだ。
 質問者 あなたは「これは私ではない、あれも私ではない」と繰り返すこと
 で時間を過ごしていると言われるのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、そうではない。
 私はただ、あなたのために言葉に置き換えてみただけだ。
 グルの恩寵(おんちょう)によって、私は主体でも客体でもないということ
 を永久に実現し、つねに自分自身に思い起こさせる必要はないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

390鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/11/30(金) 22:40:29 ID:1d4drIFg0
>>388 サマーディとは自分を忘れた状態なのじゃ。
 マハラジが説いたように体をこれも自分ではないと見ていくのも方法の一つなのじゃ。
 思考も感情も認識も自分ではないと観るならばそれでもサマーディは訪れるじゃろう。
 いろいろ試してみるとよいのじゃ。

391避難民のマジレスさん:2018/12/01(土) 06:56:51 ID:LC3de7YgO
>>390
うむ。
いろいろ試してみるであります。
(´・(ェ)・`)つ

392避難民のマジレスさん:2018/12/01(土) 07:25:50 ID:LC3de7YgO
>>389
『I AM THAT 私は在る』
【57 マインドを超えたところに苦しみはない】(つづき)

 質問者 あなたが主体でも客体でもないと言われることで、正確には何を意
 味しているのか私には理解できません。私たちが話している今この
 瞬間、私はあなたの体験の客体であり、あなたがその主体ではない
 でしょうか?
 マハラジ
 見なさい。
 私の親指は人差し指に触れている。
 触れるものと触れられるものの両方だ。
 私の注意が親指にあるとき、親指が感じるものであり、人差し指は――自己
 なのだ。
 注意の焦点を移行し、その関係を逆転してみなさい。
 注意の焦点を移行することで、私は私が見ているものと成り、それがもって
 いる意識を体験し、そのものの内なる観照者となることを見いだしたのだ。
 この他者の意識の焦点に入る能力を、私は愛と呼ぶ。
 あなたはあなたの好きなように呼ぶがいい。
 愛は、「私はすべてだ」と言い、智慧(ちえ)は、「私は無だ」と言う。
 その二つの合間を私の人生は流れていく。
 いかなる時間と空間の点においても、私は体験の主体と客体の両方であるこ
 とができるため、私はその両方であり、どちらでもなく、またその両方を超
 えていると表現するのだ。
 質問者 あなたはあなた自身に関するそのような並外れた表明を行います。
 何があなたにそのようなことを言わせるのでしょう? 時間と空間
 を超えると言うことで、あなたは何を意味しているのでしょうか?
 マハラジ 
 あなたが尋ね、そして答えがやってくる。
 私は私自身を見守り、答えを見て、そこに矛盾のないことを見るのだ。
 私が話していることが真実だということは明らかだ。
 それはまったくシンプルなことだ。
 あなたは、ただ私を信頼しなければならない。
 つまり、私が話すことはまったく真剣だということだ。
 すでに話したように、グルは私に自己の本性と世界の本性を見せてくれた。
 それを実現したため、私は世界とひとつであり、しかもそれを超えているの
 だ。
 私は欲望と恐れのすべてから自由になった。
 私が自由になるべきだと論証したのではない。
 まったく予期せず、何の努力もなく、私は自由であることを見いだしたのだ。
 この欲望と恐れからの自由は、それ以来、私とともにとどまっている。
 もうひとつ見いだしたことは、私は何の努力をする必要もなく、何の遅れも
 軋轢(あつれき)もなしに、行為が思考にしたがうということだった。
 私はまた、思考が自己充足するようになり、ものごとがすらすらと、正しい
 場所に落ち着くことも見いだしたのだ。
 主な変化はマインドのなかだった。
 それは不動で、沈黙し、素速く反応するが、反応を永続させなくなった。
 自発性が生のあり方となり、真実は自然になり、自然さは真実となった。
 何にもまして、生は無限の愛、幽玄で静穏な、すべての方向に輝き、すべて
 を抱擁し、すべてを興味深く、美しく、意味深くする幸運なものとなったの
 だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

393素人A:2018/12/01(土) 10:25:31 ID:gOqWUDAs0
網何念この世うに振り回されて生きているの駄老化。私は本で読んだ坐禅や瞑想の基本的な事は入門書で読んでいたのに?
基本的な最初の気が散らない訓練もしなく次次と先先で修行3日でマスターがまだまだなのに修行理解しマスタと新しい野
本で読み。ヨーガ仙道の船頭さんに迷い出て結局何やつているのか自分でもわからない。その前に何故修行しなければ如何
のか遊び回ったほうが楽.必要な時やれば良いと修行避けている。気が散っているそれは月末すぎたからかもいやいつも?
やりかたの基本はコツコツ実行でしょう。理屈では解っているのだが.静かな所で気が散らない様に色々な頭の思いの蝋燭
の火を息を整えて消すんで使用。基本の基本は空のコップから水空始める。そこに一念のエネルギーを根根と根気よくそそぐ
野鴨?それでエネルギー溢れたらジョウロで妄想世界いや瞑想世界に放水すれば三昧に行きつけると根本経典に書いてあった。
あまた本の思いで実行は?実行はあしたからいや明後日から要するにいまやる気が無い色々やる事が覆い。明日も明後日も
永遠に未だ来ない。未来に巡り合いたくないのか??未来は未見て来いという観字七日悟って空見ないと解らんのか
今朝も情けなく不満足な朝。飲めばやる気が出る薬は危険だし、まあぼちぼちの朝位でもまあ良いか
ミストラル https://www.youtube.com/watch?v=mFsecDrY_oA 
別に何も考えず過去のメモコピーしてすましたやる気ない朝さあホカホカ以降だめだこりゃ
阿弥陀された如来さんは未来の時間は無くわかり切った過去の思いでしかなくそれならDVD観る
私たちと変わらないのではないか。今朝は月がかわり今は金縛りから一休みで何していいかお客さん
今は来ないように願うし妄想ばかりで

394素人A:2018/12/01(土) 10:50:12 ID:gOqWUDAs0
ラーマクリシュナ ・・誰かが海はどんなものかと聞かれた。その人は口をあんぐりあけて『アーとにかく凄いものだつたよーあの波
のうねりーあのゴーゴーという轟き』ブラフマンについての話は大方こんなものさ。ヴェーダにあるがーそれは歓喜そのものにして真
ー智ー喜なり。シューカデーヴナたちはこのブラフマンの大海の岸辺に立って.眺めたり水にさわつてみたりしていた。海の中には入
るらなかつたそうだね。だって入ったら最後.もどる方法はないもの。三昧に入るとブラフマンの智が生じる。ブラフマンと対面する
んだ。こうなると考えが止まってしまつて.人はただ黙っている。ブラフマンがどんなものか人間の口では言えないんだよ。塩の人形
が海の深さを測りにいつた。どれだけ深いものか報告するつもりだつた。でもだめだつたよ。海に入ったとたん融けてしまつたから。
ある信者「三昧に入ってブラフマンの智を得た人は.もう何も話さないのですか」ラーマ「シャン空大師は人びとを教え導くために.
知識の私を残しておきなすつた。・・また語りだす」?? 方便があるから何でも?語りだすし法ほけきょ.掲示板書は書かないと無い

395鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/01(土) 22:36:00 ID:1d4drIFg0
>>391 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。

マハラジは親指と人差し指を合わせる事で主体も客体も無いことを喩えて見せたのじゃ。
一体であるものに主体も客体もないのじゃ。
悟らなければ観念によって主体と客体があるように認識するが実際は無いのじゃ。
そのような事実が現実にあることをマハラジは実に簡単に眼に見てわかりやすく教えたのじゃ。

396避難民のマジレスさん:2018/12/02(日) 07:49:07 ID:LC3de7YgO
>>392
『I AM THAT 私は在る』
【57 マインドを超えたところに苦しみはない】

 質問者 自己本来の存在を実現した人には、さまざまなヨーガの能力が自然
 と手に入ると聞いていますが、これに関するあなたの体験はどのよ
 うなものでしょうか?
 マハラジ
 人間の五つの層の身体* は、私たちのもっとも突飛な夢をも実現可能にする
 能力をもっている。
 人のなかには宇宙全体が反映されているばかりではなく、彼には宇宙をコン
 トロールする力も提供されている。
 賢者は、状況がそれを必要としないかぎり、そのような力を使うことを切望
 したりはしない。
 日々の生活のためには、彼は個人のもつ技術と能力で充分に適切だと見てい
 るのだ。
 ある能力は特別な訓練で発達させることができる。
 しかし、そのような能力を誇示する人は、いまだに束縛のなかにいるのだ。
 賢者は何ひとつ、自分のものと見なさない。
 ある時と場所で、ある奇跡がある人のせいで起こったとしても、彼は出来事
 と人びととの間にいかなる因果的な結びつきも証明しないだろう。
 また、いかなる結論も引き出すことを許さないだろう。
 すべては起こるように起こるのだ。
 なぜなら、それは起こらなければならないからだ。
 すべてはそのように起こる。
 なぜなら、宇宙はあるがままだからだ。
 質問者 宇宙は幸福に生きる場所のようには見えません。なぜこれほど多く
 の苦しみがあるのでしょうか?
 マハラジ
 苦痛は身体的なもの、苦しみは精神的なものだ。
 マインドを超えたところに苦しみはない。
 苦痛は身体が危険にあり、注意を要求しているという単なる信号なのだ。
 同様に、苦しみは個人と呼ばれる記憶と習慣の構造が、喪失、あるいは変化
 によって脅かされていると私たちに警告しているのだ。
 苦痛は身体の存続のために欠くことのできないものだ。
 しかし、誰もあなたに苦しむよう強要してはいない。
 苦しみは完全に、執着すること、あるいは抵抗することを理由に起こる。
 それは私たちが人生とともに流れ、進んでいくことを自ら欲しないことの兆
 候なのだ。
 健全な人生が苦痛から自由であるように、聖人の人生は苦しみから自由なの
 だ。

 * 訳注 五つの層の身体
  人間は五つのさやに包まれているというヒンドゥ教の概念。
  (一)アンナー・マヤ・コーシャ 物質的身体 
  (二)プラーナ・マヤ・コーシャ 呼吸にともなう五つの気と五つの行動
     器官の身体 
  (三)マノー・マヤ・コーシャ マインドと五つの行動器官の身体 
  (四)ヴィジニャーナ・マヤ・コーシャ 知性と感情の器官の身体 
  (五)アーナンダ・マヤ・コーシャ 至福の身体。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

397鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/02(日) 22:23:36 ID:1d4drIFg0
苦は常に心の中にのみあるものじゃ。
肉体に痛みがあってもそれに囚われなければ苦にならないのじゃ。
痛みは警告に過ぎないからのう。
心を整えて苦を滅することもできるのじゃ。
そして悟りを得れば一切の苦を永遠に滅することが出来るのじゃ。

398避難民のマジレスさん:2018/12/02(日) 23:12:57 ID:LC3de7YgO
>>397
躁鬱病は、肉体=脳の病でありますが、心の状態を激しい苦しみにさらす病でもあるようであります。
西式とかの他に、何か良い対処法はないでありますかね?
(´・(ェ)・`)つ

399避難民のマジレスさん:2018/12/03(月) 06:52:25 ID:LC3de7YgO
>>396
『I AM THAT 私は在る』
【57 マインドを超えたところに苦しみはない】(つづき)

 質問者 聖人ほど苦しむ人は誰もいないでしょう。
 マハラジ
 彼らがあなたにそう言ったのかね?
 それともあなたが自分からそう言うのだろうか?
 聖人のような高徳な生き方の本質は、現在のこの瞬間の完全な受容と、起こ
 るがままとの調和にあるのだ。
 聖人はあるがままから変わってほしいとは望まない。
 すべての要因を考慮した上で、それが不可避であることを彼は知っているの
 だ。
 彼は必然的なものと親しくあり、それゆえ苦しむことがないのだ。
 苦痛なら彼も知っているだろう。
 だが、それが彼を打ちのめすことはない。
 もし彼にできるなら、失われたバランスを必要なだけ回復するだろう。
 あるいは、ものごとがそれ自体の流れを取るにまかせるだろう。
 質問者 彼は死ぬかもしれません。
 マハラジ
 それが何だというのだろう?
 生きつづけることで、彼が何を得るというのだろう?
 死ぬことで彼が何を失うというのだろうか?
 生まれたものは死なねばならない。
 生まれなかったものは死ぬことはできないのだ。
 すべては彼が彼自身を何であると見なしているかによるのだ。
 質問者 あなたが致命的な病気になったと想像してみてください。あなた
 は後悔したり、憤ったりするのでしょうか?
 マハラジ
 だが、私はすでに死んでいるのだ。
 あるいは今まで生きたことも死んだこともなかったのだ。
 あなたは私の身体が習慣的にふるまっているのを見て、あなたなりの結論を
 引き出す。
 あなたの結論が、ほかの誰でもないあなた自身を束縛するということを、あ
 なたは認めないだろう。
 あなたが抱いている私のイメージはまったく誤ったものかもしれないという
 ことを見て取りなさい。
 あなた自身のイメージもまた誤りなのだ。
 しかし、それはあなたの問題だ。
 だが、私のために問題をつくり出しておいて、それから私に解決するように
 要求する必要はない。
 私は問題をつくり出してもいなければ、解決してもいないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

400素人A:2018/12/03(月) 09:01:02 ID:gOqWUDAs0
向うの未来の私が過去のわたしに言った。あのさあそんなにもがいても
全ての行いが正解だよ 私のまえには迷路うな迷い道でも明朗なまあ良い道といわれても
ぽ師匠は色即是空は空即是色と返すと言う師 でも答えの木霊は聞こえなくても
孝子師匠のおう演歌 アンサー https://www.youtube.com/watch?v=dTJUpa-Vt3E

401素人A:2018/12/03(月) 11:22:43 ID:gOqWUDAs0
マハラジと質問者は 分かり合え図 お互いの立場で
 マハラジ「空即是色」 質問者「色即是空」
それでもタバコ屋の前の空は澄んでいた野花も

402鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/03(月) 23:09:54 ID:1d4drIFg0
>>398 大体首が凝っていると頭に血がいきわたらなくてうつになるようじゃ。
 秋から冬になるとうつがふえるのも寒くなって血行が悪くなるからなのじゃ。
 首をマッサージしたり、温めると予防になるのじゃ。
 首の運動もすると善いのじゃ。
 全身の運動もすると善いのじゃ。

403避難民のマジレスさん:2018/12/04(火) 01:54:02 ID:LC3de7YgO
>>402
友達が、重い(躁)鬱病で苦しんでるのであります。
(´・(ェ)・`)つ

404避難民のマジレスさん:2018/12/04(火) 06:51:13 ID:LC3de7YgO
>>399
『I AM THAT 私は在る』
【58 完成はすべての者の宿命】

 質問者 真我の実現の方法について尋ねられたとき、あなたは変わらず「私
 は在る」という感覚にマインドを固定させることの重要さを強調し
 ます。どこにその因果的な要因があるのでしょうか? なぜこの特
 定の思いが真我の実現という結果をもたらすのでしょうか? どの
 ように、「私は在る」への黙想が私に影響を与えるのでしょうか?
 マハラジ
 観察するという事実自体が、観察者と観察されるものを変えるのだ。
 結局、自己の真の本性への洞察を妨げるのは、マインドの弱さと愚鈍さ、そ
 して粗大なものにのみ焦点を当て、把握しがたいものは抜かしてしまう傾向
 にあるのだ。
 私の提案にしたがい、マインドを「私は在る」だけにとどめるように試みれ
 ば、あなたはマインドとその気まぐれに完全に気づくようになる。
 行為のなかの透明な調和(サットヴァ)である気づきは、愚鈍さを消し去り、
 マインドの落ち着きのなさを静め、穏やかに、しかし着実にその実体を変化
 させていくのだ。
 その変化は目ざましいものである必要はない。
 それはほとんど人目を引かないものかもしれない。
 それでも、それは暗闇から光へ、不注意から気づきへの根本的な移行なのだ。
 質問者 それは「私は在る」という形式でなければならないのでしょうか?
 ほかのマントラではだめなのでしょうか? 「そこにテーブルがあ
 る」という言葉に私が集中しても、同じ目的を果たさないのでしょ
 うか?
 マハラジ
 集中のための訓練としてならいいが、それがあなたをテーブルという概念を
 超えたところに連れていくことはできないだろう。
 あなたが知りたいのはあなた自身であって、テーブルに興味があるのではな
 い。
 このため意識の焦点を、唯一の手がかりであるあなたの存在の確実性に、着
 実に保つのだ。
 それとともに在りなさい。
 それと戯(たわむ)れなさい。
 それを熟考しなさい。
 それに深く沈潜していきなさい。
 無知の皮が破れ、あなたが実在の領域に現れでるまで。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

405素人A:2018/12/04(火) 09:10:57 ID:gOqWUDAs0
ラーマクリシュナ不滅の言葉より「実在を不動のものとして考えるとき、わたしはそれをブラフマンと言い、またブルシャ」
(神我)、無人格的神と名ずける。それが創造し、維持し、破壊するーすなわち活動すると考えるとき、造化力、現象、また
はプラクティ(原自然、大生命力)、神格神と名ずける。一方なくして他方を考える事は出来ない。無人格的なものと人格的
なものは同じ実在であり、たとえば乳とその白さ、ダイヤモンドとその輝き、蛇とそのうねりのようなもの。宇宙の大実母
とブラフマンは一つである」・・・  色即是空で空即是色で色々或るカラー空まあ仏仏もある

406鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/04(火) 21:56:12 ID:1d4drIFg0
>>403 腸の大掃除をすると善いのじゃ。
 脳の不調は腸がわるいからなのじゃ。
 腸脳相関というのじゃ。
 下剤を飲んで浣腸もして一日位の断食をして腸を空にするのじゃ。
 
観察をすることは観察者と観察の対象を変えるとマハラジはいうのじゃ。
観察する事で観察する自分が変り、観察される自分も変るのじゃ。
それが何を意味するのか実践によってのみ明らかになるのじゃ。
実践が全てなのじゃ。

407避難民のマジレスさん:2018/12/05(水) 03:17:00 ID:LC3de7YgO
>>404
『I AM THAT 私は在る』
【58 完成はすべての者の宿命】(つづき)

 質問者 私が「私は在る」に焦点を当てることと、殻(から)が破れること
 の間に何らかの因果的なつながりがあるのでしょうか?
 マハラジ
 自分自身を見いだそうとする衝動は、あなたに用意ができたことのしるしな
 のだ。
 衝動はいつも内面からやってくる。
 時節が調(ととの)うまでは、あなたが全身全霊で真我の探求をするための
 欲望も強さも得ることはないだろう。
 質問者 欲望とその充足はグルの恩寵(おんちょう)に依るのではないでし
 ょうか? グルの輝きを放つ顔が私たちを誘惑して捕まえ、不幸の
 泥沼から引き出してくれるのではないでしょうか?
 マハラジ
 母親が子供を教師に連れていくように、外側の師にあなたを連れていくのは
 内なる師(サットグル)なのだ。
 あなたのグルを信頼し、彼にしたがいなさい。
 なぜなら、彼はあなたの真我のメッセンジャーなのだから。
 質問者 信頼できるグルをどうやって探せばいいのでしょうか?
 マハラジ
 あなた自身のハートがあなたに告げるだろう。
 グルを見いだすことは困難なことではない。
 なぜなら、グルはあなたを探しているからだ。
 グルはいつも用意ができている。
 あなたは準備ができていない。
 あなたに学ぶ準備ができていないと、あなたのグルに出会っていても、まっ
 たくの怠慢と強情さでせっかくの機会を無駄にしてしまうかも知れないのだ。
 私を例にとれば、私には見込みがあるわけではなかった。
 だが、グルに出会ったとき、私は聴き、信頼し、したがったのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

408素人A:2018/12/05(水) 08:27:58 ID:gOqWUDAs0
YRつまりバーチャルのアルティとは?テレビでバーちゃんに聞かれたらばあちゃんリアルティと答えていた?私も知らん
かったし笑えないけど微笑んだ。仮想現実はこの世うなテレビやパソコンが発達して現実にとひだすと昔から教えていた。
(つづき)たとえば家は火で焼けてもその家ぬしは家を出てゆく如くである。それだけが明らかな霊妙な働きをしており、
迷悟ともに貫いている。万物の環境はどうであれ、霊智は環境や物と違つて永久に変わる事は無い。いまある環境も霊智に
基づけば真実といって差し支え無い、それは本性に由来しているから実在の法である。しかしそうは言うものの霊知の様に
常住では無い。というのは霊知の様に常住では無い。というのは生滅するからである。それとは反対に霊知は明暗とは関係
無く、霊妙にはたらくから、これを霊知というのである。またそれを真我とも覚元(知覚の根源)とも本性や本体とも名付ける
。このような本性を悟る事を常住不変に帰つたといい、また帰真の大士とも言う。それ以後は更に迷いの世界に流転する事も
無く、不生不滅の本性の大海に証入するのである。その他に真実はない、この本性が顕にならない限りは、三界六道の迷いの
世界が競合して現れるのである。」(つづく)?それじゃ主義うしなく遊びの現実たけで使用と道元に頭叩かれた。今朝も適当

409鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/05(水) 22:29:15 ID:1d4drIFg0
本当に学ぶ気になった時に師匠はあらわれるというのじゃ。
そうでなければ目の前に居ても気付かないというのじゃ。
師が存在しないからではなく、本人に準備が出来ていないから見出せないのじゃ。
準備が出来れば自らの本心に真の師匠に引き合わせる師匠がいるというのじゃ。 
本来誰もが無師独悟であるのじゃ。

410避難民のマジレスさん:2018/12/06(木) 05:54:43 ID:LC3de7YgO
>>407
1『I AM THAT 私は在る』
【58 完成はすべての者の宿命】(つづき)

 質問者 私が師の手の内に完全に自分を明け渡す前に、彼を吟味すべきでは
 ないでしょうか?
 マハラジ
 もちろん吟味するがいい!
 だが、何を見いだせるというのだろう?
 彼はあなた自身のレベルでしか現れないのだ。
 質問者 彼が首尾一貫しているかどうかを見守ります。彼の人生と彼の教え
 の間に調和があるかどうかを。
 マハラジ
 あなたは数多くの不調和を見つけだすかもしれない――それが何だというの
 だろう?
 それは何も証明しない。
 ただ、動機だけが問題なのだ。
 どうやって彼の動機を知るというのだろうか?
 質問者 少なくとも、彼が自己制御のできる清廉(せいれん)な人生を生き
 ている人であることを期待すべきです。
 マハラジ
 そのような人はいくらでも見つけられるだろう――そしてあなたにとって何
 の役にも立たないだろう。
 グルはあなたの真我へ帰り着く道をあなたに示すことができる。
 それがその人の人格や性質といった外見と、どんな関係があるというのだろ
 うか?
 彼は彼が個人ではないことを、あなたに明確に告げてはいないだろうか?
 唯一判断できるのは、あなたが彼と共に在るときに起こる、あなた自身の変
 化だ。
 もし、あなたがより平和で幸福に感じるならば、そしてあなた自身を通常よ
 り明晰(めいせき)に、より深く理解するならば、それはあなたが正しい人
 を見つけたということだ。
 急ぐことはない。
 だが、ひとたび彼を信頼すると決心したならば、絶対的に彼を信頼しなさい。
 そしてすべての教えに完全に、誠実にしたがいなさい。
 あなたが彼を師として受け入れず、彼と共に在ることだけで満足だとしても、
 それは大した問題ではないのだ。
 もしマインドが純粋で混じり気がなく、乱されることがなければ、サットサ
 ン(聖者と共に在ること)だけでもあなたを目的地へと連れていけるのだ。
 だが、ひとたびあなたがある人をグルとして受け入れたならば、聴き、覚え、
 したがいなさい。
 中途半端な心構えは深刻な障害となる。
 そして、多くの悲しみを自らつくり出す原因となるのだ。
 その過ちはけっしてグルのものではない。
 弟子の愚鈍さと強情さに過失があるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

411素人A:2018/12/06(木) 10:27:54 ID:gOqWUDAs0
すいません。皆自由に生きているわけではない。正義行おうとしても守るものだらけで、環境に流される小さな我が観ばかりで
量るしかない。人に悪く生きなければ自分の楽にならない。蟻のまんまを取り上げて観ずに流すばかりで仕方無いな避けない。
悪さに居直って少ししか苦しまない。まあお互い様で見解の総意で誤魔化すくらいしか出来ない。少し反省分からんものは観察
してほじくりだしても苦しい思いだけまあよいか。

世界の創造主は偉い?私と友に居ても私のえこひいきしないで相手の立場も認めて何も出来ないと神や仏は責められても文句は
いわず耐えているのか?なるようなるにまかせていい加減なのか?まあそれしか出来ない立場なのか?単に能力が無いのか?
創造主とは私のソフトの元なのかでもソフトが邪魔して力は◎で発揮できず今の観からしか見えずなのか不自由な身?
無門関 ニ○  ちからのあるもの
松源さまがいわれた、「ちからのある者が、どうして立ちあがれないのか?」また、「説法は演説じゃないぞ。」
無門がいう---------松源は腹わたをむき出したが、受けとり手が居ないのだ。オイソレとひき受けても、
無門のところにきてブンなぐられるだけ。なぜならば? 純金かニセか、火でためすのだ。
歌に---------    足でけかえす太平洋、     低くみくだす銀河系。     この身一つの置きどころ、
(あとの句をたのむ)。 ?アートの苦頼まれたけどとブラ不満に文句言おう

412鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/06(木) 23:43:04 ID:1d4drIFg0
まだ準備が整わない者は師匠がいても信じることはできないのじゃ。
自分の方が賢いとか思っていたりするのじゃ。
師匠を計っているのじゃ。
他人を計る秤で自分も計られるとユダヤの救世主も告げたのじゃ。
真の師匠ならばそこに度し難い愚かさを観るだけなのじゃ。

413避難民のマジレスさん:2018/12/07(金) 07:07:08 ID:LC3de7YgO
>>410
『I AM THAT 私は在る』
【58 完成はすべての者の宿命】(つづき)

 質問者 そのとき、グルは弟子を追放、あるいは失格にしてしまうのでしょ
 うか?
 マハラジ
 もし、そうしたなら彼はグルとは言えない!
 彼は時節が調い、弟子が鍛えられ、冷静になって、より受容的な精神で彼の
 もとに戻ってくるのを待つのだ。
 質問者 何が動機なのでしょうか? なぜグルはそれほどの困難を受け入れ
 るのでしょうか?
 マハラジ
 悲しみと悲しみの終焉(しゅうえん)のためだ。
 彼は人びとが夢のなかで苦しんでいるのを見て、目覚めさせたいと願うのだ。
 愛は苦痛や苦しみを見ることに耐えられない。
 グルの忍耐には限界がない。
 それゆえ、打ち負かされることはできないのだ。
 グルはけっして失敗しない。
 質問者 私の最初の師はまた最後の師でもあるのでしょうか、それとも私は
 師から師へと渡り歩かなければならないのでしょうか。
 マハラジ
 宇宙全体があなたのグルだ。
 もし注意深く、知的であれば、あなたはすべてから学んでいく。
 あなたのマインドが澄んで、ハートが清らかであれば、あなたはすべての通
 りがかりの人たちから学ぶだろう。
 あなたが怠惰で落ち着きがないため、内なる真我が外側のグルとして現れ、
 あなたに彼を信頼させ、したがわせるのだ。
 質問者 グルは不可避なのでしょうか?
 マハラジ
 それは「母親は避けることはできないものなのでしょうか?」と尋ねるよう
 なものだ。
 意識のなかで、ひとつの領域からより高い領域に上がっていくには助けが必
 要だ。
 助けがつねに人間の形を取るとはかぎらない。
 それは名状しがたい存在かもしれない。
 あるいは直感のひらめきかもしれない。
 しかし、助けは来なければならない。
 内なる真我は、息子が父親のもとに戻ってくるのを待っているのだ。
 時節が調えば、彼は愛情深く、効果的にすべての手はずを整える。
 メッセンジャーや指導者が必要なとき、真我が必要を満たすためにグルを送
 るのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

414鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/07(金) 22:59:17 ID:1d4drIFg0
誰もが本来無師独悟ではあるが師匠がいれば楽に素早くいけるのじゃ。
迷う時間が少なくなるのじゃ。
迷いを正してくれるものが師匠なのじゃ。
それは人とは限らないのじゃ。
時には苦しみさえも師匠といえるのじゃ。
間違った道を教えてくれるので在るからのう。

415避難民のマジレスさん:2018/12/08(土) 08:44:20 ID:LC3de7YgO
>>413
『I AM THAT 私は在る』
【58 完成はすべての者の宿命】(つづき)

 質問者 ひとつだけ理解できないことがあります。あなたは内なる自己を、
 賢明で、善であり、美しく、あらゆる面で完全だとし、個人はそれ
 自身存在をもたない、単なる反映だと話しています。その一方、あ
 なたはたいへんな困難も顧みず、個人にそれ自身を実現させる助け
 をしています。もし、個人がそれほど重要ではないならば、なぜそ
 れほどまでしてその幸福を気にかけるのでしょうか? 誰が影のこ
 とを気にするでしょうか?
 マハラジ
 あなたは存在もしない二元性をそこにもち込んだのだ。
 身体があり、真我がある。
 その間にマインドがあるのだ。
 そのマインドのなかに、真我は「私は在る」として反映されている。
 マインドはその不完全さ、その未熟さと落ち着きのなさ、識別と洞察の欠如
 ゆえに、それ自身を真我ではなく身体と見なしてしまうのだ。
 必要なことはマインドを浄化することだけだ。
 マインドが真我のなかに没して消え去るとき、身体は問題を呈しなくなる。
 それはそれであるものとして、認識と行為の道具、内なる創造の炎の表現と
 その道具としてとどまる。
 身体の究極的な価値は、宇宙全体である普遍の身体を発見するために仕える
 ことだ。
 あなたが顕現のなかで自分自身を自覚するほど、あなたはあなたが想像して
 いた以上のものであったことを、絶えず発見し続けていくのだ。
 質問者 自己発見には終わりがないのでしょうか?
 マハラジ
 そこにはじまりがないように、終わりもない。
 だが、グルの恩寵によって私が発見したことは、私はこれだと指し示すこと
 のできるものではないということだ。
 私は「これ」でもなく「あれ」でもない。
 これは絶対不動だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

416避難民のマジレスさん:2018/12/08(土) 09:55:47 ID:LC3de7YgO
>>415
> 身体の究極的な価値は、宇宙全体である普遍の身体を発見するために仕えることだ。
←ふむふむ。
普遍の身体=全てであるということは、個別は無い=無我は同じようなものでありますね。
>あなたが顕現のなかで自分自身を自覚するほど、あなたはあなたが想像して
いた以上のものであったことを、絶えず発見し続けていくのだ。

←絶えず発見して行って、「あなた」が消え去ればよいが、それへの執着を消し去るには「無我」と言った方が誤解が生じにくいのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

417避難民のマジレスさん:2018/12/08(土) 19:35:39 ID:LC3de7YgO
>>415
『I AM THAT 私は在る』
【58 完成はすべての者の宿命】(つづき)

 質問者 それでは、新たなる次元へと永遠に自分自身を超えていく、果てし
 ない発見はどこに現れるのでしょうか?
 マハラジ
 これらはすべて顕現の領域に属する。
 それは、低次のものからの自由を通してのみ、より高次なものを得ることが
 できるという宇宙の構造そのもののなかにあるのだ。
 質問者 何が低次で、何が高次なのでしょう?
 マハラジ
 それを気づきの言語のなかで見てみなさい。
 より広く、深いほど、意識が高いのだ。
 生きるものすべては意識を保護し、永続し、拡張するために働いている。
 これが世界の唯一の意味と目的なのだ。
 絶えず意識のレベルを上昇させ、それらの特性と質と能力とともに新たな次
 元を発見すること――それがヨーガの本質だ。
 その意味においては宇宙全体がヨーガの道場となるのだ。
 質問者 完成はすべての人間にとっての運命なのでしょうか?
 マハラジ
 究極的には、すべての生きるものたちにとってだ。
 悟りの概念がマインドのなかに現れるとき、可能性は確実性となるのだ。
 人は、ひとたび解放が手の届くところにあると聞き、理解すれば、けっして
 忘れはしない。
 なぜならそれが内側からの最初のメッセージだからだ。
 それは根を張り、成長し、時が来れば祝福されたグルの姿を取るのだ。
 質問者 では、私たちは皆マインドの救済に関わっているのでしょうか?
 マハラジ
 それ以外の何だというのだろう?
 マインドが道に迷い、マインドが家に帰り着くのだ。
 「迷う」という言葉さえ的確ではない。
 マインドはそれ自身のあらゆる気分を知らなければならない。
 繰り返されないかぎり、何ひとつ間違いということはないのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

418鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/08(土) 22:47:46 ID:1d4drIFg0
>>416 そのような理解で善いのじゃ。
 個人としての自分の肉体は全てであることを気付くためにあるというのじゃ。
 それが肉体を持ったことの意味なのじゃ。
 それに辿りつくために無我にもなるのじゃ。

419避難民のマジレスさん:2018/12/09(日) 07:33:38 ID:LC3de7YgO
>>417
『I AM THAT 私は在る』
【59 欲望と恐れ、自己中心的な状態】

 質問者 あらためて、私は快楽と苦痛、欲望と恐れの質問をした
 いと思います。恐れとは、苦痛の記憶と予測だと私は理
 解しています。それは有機体とその生活様式の保護のた
 めに本質的なものです。欲望が感じられると苦痛に満ち、
 その期待は恐れでいっぱいになります。私たちは基本的
 な必要性を満たせないことを、当然のことながら恐れま
 す。欲望が満たされたとき、安心を経験したり、不安が
 静められたりするのは、もっぱら苦痛が終わるためです。
 私たちはそれに快楽や喜び、あるいは幸せといった積極
 的な名前を与えますが、それは本質的に苦痛からの解放
 なのです。私たちの社会的、経済的、政治的な制度を維
 持しているのは、この苦痛への恐れです。
 私を困惑させるのは、生存とは何の関係もないものやマ
 インドの状態から私たちが喜びを引き出すことです。そ
 の反対に、私たちの快楽はたいてい破壊的です。それら
 は対象物を、また快楽の主体をも傷つけ、破壊します。
 そうでなければ、快楽と快楽の追求には何の問題もあり
 ません。これが私の質問の核心に導きます。なぜ快楽は
 破壊的なのでしょうか? なぜ破壊的であるにも関わら
 ず、それは求められるのでしょうか?
 言っておかなければなりませんが、私は自然が要求する
 快楽と苦痛のパターンについては考えてはいません。私
 が考えているのは、過食のようにもっとも粗雑なものか
 らもっとも純粋なものまで、感覚的、そして神秘的なも
 のの両方です。快楽に耽溺(たんでき)することは、た
 とえどのような犠牲を払おうとも普遍的なものであり、
 その根本には何か深い意味があるに違いありません。
 もちろん、人のすべての活動は功利主義的な、必要を満
 たすためだけのものとはかぎりません。例えて言えば、
 遊びは自然なものであり、人間は存在のなかでもっとも
 遊び好きな動物です。遊びは自己発見や自己開発のため
 の必要を満たします。しかし、遊びにおいてさえ、人間
 は自然やほかの生きもの、そして彼自身に対して破壊的
 になるのです。
 マハラジ
 ようするに、あなたは快楽には反対でないが、苦痛と苦しみへの
 代価には反対だということだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

420鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/09(日) 22:55:14 ID:1d4drIFg0
快楽とは苦からの解放ではなくただ一時的に忘れるだけなのじゃ。
そうであるから次々に求めて執着するのじゃ。
本当に苦から解放されたならばもはや快楽もいらない筈なのじゃ。
解放されずに一時的に忘れるだけであるから何度も必要になるのじゃ。

421避難民のマジレスさん:2018/12/10(月) 07:04:16 ID:LC3de7YgO
>>419
1『I AM THAT 私は在る』
【59 欲望と恐れ、自己中心的な状態】(つづき)

 質問者 もし実在そのものが至福であるならば、快楽はそれに何
 らかの形で関係しているはずです。
 マハラジ
 言葉の上の論理によって話を進めるのはやめよう。
 実在の至福は苦しみを除外しないのだ。
 その上、あなたは快楽のみを知り、純粋な存在の至福を知っては
 いない。
 だから、快楽をそれ自体のレベルで調べてみることにしよう。
 もしあなたが快楽や苦痛の瞬間にある自分を見てみれば、快楽や
 苦痛はものごと自体のなかにあるのではなく、状況のなかにある
 ということを、いつもきまって見つけだすだろう。
 快楽は楽しむ人と楽しまれるものとの関係性のなかにある。
 そしてその本質は需要にあるのだ。
 状況がいかなるものであれ、それを受け入れることが可能ならば、
 それは心地好く、受け入れがたければ、苦しいのだ。
 何がそれを受け入れられるようにするのかは重要でない。
 原因は物質的、心理的、あるいは理由のわからないものかもしれ
 ないが、受容がその決定要因だ。
 相対的に、苦しみは受け入れないことによるものだ。
 質問者 苦痛は受け入れがたいものです。
 マハラジ
 どうしてかね?
 試してみたことがあるのかね?
 試してみなさい。
 そうすれば苦しみには快楽が生みだすことのできない喜びがある
 ことを見いだすだろう。
 なぜなら、苦痛の受容には快楽よりもはるかに深いところへあな
 たを導くという純然たる理由があるからだ。
 個人の自我はその本性からしてたえず快楽を求め、苦痛を避けて
 いる。
 このパターンの終焉(しゅうえん)が自我の終焉なのだ。
 自我と、その欲望と恐れの終焉は、幸福と平和の源であるあなた
 の真の本性に帰り着くことを可能にする。
 絶え間ない快楽への欲望は、内なる永遠の調和の反映なのだ。
 人が自我を意識しだすのは、選択と決定を要求する、快楽と苦痛
 の合間での葛藤(かっとう)に捕らえられたときだけだ。
 この欲望と恐れの衝突が、人生において正常な、偉大なる破壊者
 である怒りを生みだす。
 苦痛がひとつの教訓と警告としてあるがままに受け入れられ、注
 意をもって深く見入られたとき、苦痛と快楽という分離は打ち壊
 され、それらはともに抵抗したとき苦しく、受け入れたとき快い
 という体験になるのだ。
(´・(ェ)・`)つ

422素人A:2018/12/10(月) 10:21:44 ID:gOqWUDAs0
マハラジなんて単純だしペッパー君で代用できのか

423鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/10(月) 22:08:23 ID:1d4drIFg0
苦から逃れ、快楽を求めることが自我の原因となるとマハラジはいうのじゃ。
それが終われば自我も終焉を迎えるのじゃ。
苦痛から逃れようとせず、快楽も求めようとしない時、自我の欲に惑わされずに本性が見られるのじゃ。
その二つの執着から離れることは意志によってできることなのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。

424避難民のマジレスさん:2018/12/10(月) 23:10:03 ID:LC3de7YgO
>>423
うむ。
主体も客体も、苦も楽もなく、ただ一つの意識でありましょう。
くまはそう思えるであります。
(´・(∀)・`)つ

425避難民のマジレスさん:2018/12/11(火) 06:08:15 ID:LC3de7YgO
>>421
1『I AM THAT 私は在る』
【59 欲望と恐れ、自己中心的な状態】(つづき)

 すべての幸福は気づきからやってくる。
 私たちがより意識的であれば、喜びはより深くなる。
 苦痛の受容、無抵抗、勇気、忍耐――それらは、深く永久に枯渇
 しない真の幸福、真実の至福の源を開くのだ。
 質問者 なぜ苦痛は快楽よりも効力があるのでしょうか?
 マハラジ
 快楽はたやすく受け入れられる。
 一方、自我のすべての力が苦痛を拒絶する。
 苦痛の受容が自我の否定であるように、自我は真実の幸福への道
 を妨げる。
 苦痛の心からの受容は幸福の源泉を解放するのだ。
 質問者 苦しみの受容も同じように働くのでしょうか?
 マハラジ
 苦痛という事実に気づきの焦点を当てるのは容易なことだ。
 苦しみにあっては、ことはそう単純ではない。
 苦しみに焦点を当てるだけでは、充分ではないのだ。
 なぜなら知ってのとおり、精神的な人生とはひとつの絶え間ない
 苦しみの流れだからだ。
 苦しみのより深い層に到達するには、あなたはその根元まで行き、
 そしてそれらの広大なネットワークを露(あら)わにしなければ
 ならない。
 そこには恐れと欲望が緊密に織り込まれ、生命エネルギーの流れ
 は対立して行く手を遮(さえぎ)り、互いに破壊しあっているの
 だ。
 質問者 どのようにして私の意識層より完全に下にある混乱を正
 すことができるのでしょうか?
 マハラジ
 あなた自身とともに在ること、「私は在る」とともに在ることに
 よって、日々の生活におけるあなた自身を、批判するよりも理解
 しようという意図をもって見守ることによって、何であれ、現れ
 ることを完全に受容することによってだ。
 なぜなら、それはそこにあるのだから。
 あなたは奥深くにあったものが表層に現れることを励まし、その
 捕らわれていたエネルギーによってあなたの人生と意識を豊かに
 するのだ。
 これが気づきの偉大な働きだ。
 それは生命とマインドの本性を理解することによって障害を取り
 除き、エネルギーを解放する。
 知性は自由への扉であり、そして油断のない注意が知性の母なの
 だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

426避難民のマジレスさん:2018/12/11(火) 21:21:22 ID:LC3de7YgO
>>425
> 苦痛の受容、無抵抗、勇気、忍耐――それらは、深く永久に枯渇
 しない真の幸福、真実の至福の源を開くのだ。
 苦痛の心からの受容は幸福の源泉を解放するのだ。

←苦痛の受容は、超難しいようにおもうであります。
(´・(ェ)・`)つ

427避難民のマジレスさん:2018/12/11(火) 21:49:24 ID:LC3de7YgO
 苦しみの根元の広大なネットワークとは、恐れと欲望がのことであり、
それを表層に現れるようにしろということでありますか。
つまり、恐れや欲望を、抑圧せずにありのままに感じることにより、抑圧していたエネルギーを解放しろと言うことでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

428鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/11(火) 22:53:19 ID:1d4drIFg0
>>424 そうじゃ、中道をいくのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>426 最初は蚊にかまれた程度の苦痛でも善いのじゃ。
 続ければ肉体への執着から離れられるのじゃ。

>>427 それは人が苦痛から逃れようとして積み上げてきた縁起なのじゃ。
 十二縁起と同じようなものじゃ。
 苦痛から逃げるために快楽を求め、快楽に執着して又苦が生じるというようにのう。
 それらを観なければ本性にはたどり着かないのじゃ。

429避難民のマジレスさん:2018/12/12(水) 00:20:18 ID:LC3de7YgO
>>428
苦痛から逃れようとして積み上げてきた縁起
十二縁起と同じようなもの
苦痛から逃げるために快楽を求め、快楽に執着して又苦が生じるというように
それらを観なければ本性にはたどり着かない

↑うむ。この説明のは超わかりやすいであります。
ありがとうであります。
(´・(∀)・`)つ

430避難民のマジレスさん:2018/12/12(水) 01:14:08 ID:LC3de7YgO
>>425
59の2『I AM THAT 私は在る』
【59 欲望と恐れ、自己中心的な状態】(つづき)

 質問者 もうひとつの質問です。なぜ快楽は苦痛のなかに終わる
 のでしょうか?
 マハラジ
 すべてにはじまりがあり、終わりがある。
 快楽もまた同じなのだ。
 期待してはいけない。
 そして後悔してはいけない。
 そうすれば、そこに苦痛はなくなるだろう。
 苦しみの原因は記憶と想像なのだ。
 もちろん、快楽の後の苦痛は身体とマインドの誤用によるものだ
 ろう。
 身体はその限度を知っているが、マインドはそれを知らないのだ。
 その渇望は数かぎりなく、限度を知らない。
 マインドを最大の努力とともに見守りなさい。
 なぜなら、そこにあなたの束縛が、そしてまた解放への鍵がある
 からだ。
 質問者 私の質問はまだ完全に答えられていません。どうして人
 間の快楽は破壊的なのでしょうか? どうして彼は破壊
 することのなかに、それほど喜びを見いだすのでしょう
 か? 生命はそれ自身の保護、永続、拡張を気にかけて
 いるはずです。このなかで、それは苦痛と快楽に導かれ
 ているのです。いったい、どの時点でそれらは破壊的に
 なるのでしょうか?
 マハラジ
 マインドが占拠し、記憶し、期待するとき、それは大げさに見た
 り、ゆがめて見たり、見落としたりする。
 過去は未来へと投影され、未来は期待を裏切るのだ。
 感覚と行動の器官は許容範囲を超えた刺激を受け、必然的に弱っ
 てしまう。
 快楽の対象物は期待されたことを満たすことができず、誤用によ
 って尽き果て、あるいは破壊されてしまう。
 快楽が探し求められるところには、過剰な苦痛が結果として生じ
 るのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

431鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/12(水) 22:44:19 ID:1d4drIFg0
>>429 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。


快楽は執着することで常に苦痛をもたらすものとなるのじゃ。
慣れてしまえばより多く、大きな快楽を求め続けることになるからのう。
常に満たされないままになるのじゃ。
より新しい刺激を求めて苦を積み重ねることになるのじゃ。

432避難民のマジレスさん:2018/12/13(木) 06:09:36 ID:LC3de7YgO
>>430
『I AM THAT 私は在る』
【59 欲望と恐れ、自己中心的な状態】(つづき)

 質問者 私たちは自分自身だけではなく、他者まで破壊してしま
 うのです!
 マハラジ
 当然、自分本位とはつねに破壊的なものだ。
 欲望と恐れは、ともに自己中心的な状態だ。
 欲望と恐れの間に怒りが、怒りとともに憎悪が、憎悪とともに破
 壊への激情が立ち現れる。
 戦争はすべての死の兵器を備え、組織化された憎悪の行為なのだ。
 質問者 これらの恐ろしいものごとに終止符を打つ方法はないの
 でしょうか?
 マハラジ
 より多くの人びとが彼らの真の本性を知るにつれて、いかに微妙
 なものでも彼らの影響は広まっていき、世界の感情的な空気は和
 らいでいく。
 人びとは彼らの指導者にしたがい、そして指導者たちの間に、何
 人かの偉大なマインドとハートをもち、自己本位から絶対的に自
 由な人が現れたとき、彼らの衝撃はこの時代の未熟さと罪を不可
 能にしてしまうだけの充分な影響力を与えるだろう。
 新たな黄金の時代が現れ、ひとつの時代を築き、それ自身の完成
 のうちに倒れていくかもしれない。
 なぜなら、衰退は機運がその絶頂に達したときにはじまるものだ
 からだ。
 質問者 永久的な完成というものはないのでしょうか?
 マハラジ
 ある。
 だが、それはすべての未完成を包括しているのだ。
 それがすべてを可能にし、知覚可能にし、興味深くする自己の本
 性の完成なのだ。
 それは苦しみを知らない。
 なぜならそれは好まず嫌わず、受容も拒絶もしないからだ。
 創造と破壊は、それがその間でつねに変化しつづけていく模様を
 織り成す二つの極なのだ。
 好き嫌いやより好みから自由になりなさい。
 そうすれば、マインドとその悲しみの重荷は、もはやなくなるだ
 ろう。
 質問者 しかし苦しんでいるのは私ひとりではありません。ほか
 の人たちもいるのです。
 マハラジ
 あなたがあなたの欲望や恐れとともに彼らのもとに行くなら、単
 に彼らに不幸を加えるだけだ。
 まず、あなた自身が苦しみから自由になりなさい。
 そのときにのみ、他者を助けられる期待がもてる。
 期待する必要さえない。
 あなたの存在そのものが、ひとりの人間として同胞に与えること
 のできる最大の助けとなるだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

433鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/13(木) 23:06:06 ID:1d4drIFg0
真の完成は常に在るものじゃ。
それ以外は存在しない幻想なのじゃ。
自分自身がそれに気付かなければ他人を導くことはできないのじゃ。
自ら実践あるのみなのじゃ。

434避難民のマジレスさん:2018/12/14(金) 05:34:16 ID:LC3de7YgO
>>433
うむ。この章の言葉は、とても難しいでありますが、鬼和尚の解説を手がかりにしつ、何度も読み直してみるであります。
(´・(ェ)・`)つ

435避難民のマジレスさん:2018/12/14(金) 05:46:20 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【60 想像ではなく、現実を生きなさい】

 質問者 あなたは、何であれあなたの見るものはあなた自身だと言います。
 また、私たちが見るように世界を見ていると認めています。ここに
 今日の新聞が、今起こっているあらゆる恐ろしいことを載せていま
 す。世界があなた自身であると言うのなら、このような不正な行為
 をどのように説明することができるのでしょうか?
 マハラジ
 いったい、どの世界のことを思っているのかね?
 質問者 私たちが住む、共通の世界です。
 マハラジ
 私たちが同じ世界に住んでいるというのは確かだろうか?
 私は自然のこと、海や大陸、植物や動物のことを言っているのではない。
 それらは問題ではない。
 果てしない空間、無限の時間、無尽蔵の力もまた問題ではない。
 私が食べたり、喫煙したり、読んだり、話したりすることに惑わされてはな
 らない。
 私のマインドはここにはない。
 私の人生はここにはないのだ。
 あなたの欲望とその充足、恐れとそれとそれからの逃避は、まったく私の世
 界ではない。
 あなたがそれに関して語ることを通して以外、私はそれを知覚さえしないの
 だ。
 それはあなたの個人的な夢の世界であり、それに対する私の唯一の反応は、
 あなたに夢を見つづけるのをやめるよう求めることだけだ。
 質問者 戦争や革命は間違いなく夢ではありません。病気の母親と飢えた子
 どもたちは夢ではありません。不正な富とその誤用は夢ではないの
 です。
 マハラジ
 それ以外の何だというのかね?
 質問者 夢は分かち合うことができません。
 マハラジ
 目覚めの状態もまた、分かち合うことができないのだ。
 目覚め、夢見、眠りの三つの状態はすべて主観的で、個人的な私事(わたく
 しごと)だ。
 それらはみな意識の中の「私」と呼ばれる小さな泡の中に包まれ、そこで起
 こることなのだ。
 真実の世界は自己を超えた彼方にある。
 質問者 自己であろうと、非自己であろうと、事実は現実です。
 マハラジ
 もちろん、事実は現実だ。
 私はそれらの中に生きている。
 しかし、あなたは事実ではなく、想像の中に生きているのだ。
 事実はけっして衝突しない。
 だが、あなたの人生と世界は矛盾で満ちている。
 矛盾は偽物の証拠なのだ。
 本物がそれ自体で矛盾することはない。
 たとえば、あなたは人々が極端な貧困の中にいると苦情を訴えている。
 それにもかかわらず、あなたの富を彼らに分け与えはしない。
 あなたは近隣で起こっている戦争にはかまうが、どこか遠くの国で起こって
 いる戦争のことは考えもしない。
 あなたの気まぐれな自我が価値を決定し、「私は考える」「私は欲しい」
 「私はしなければならない」といった移ろいやすい想念を絶対的なものにし
 てしまうのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

436鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/14(金) 22:41:13 ID:1d4drIFg0
>>434 良かったのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

人は自分の見る現実が他人とも同じ唯一のものと思っているのじゃ。
しかし、実際は違うのじゃ。
一人一人のものにそれぞれ別の現実が在るのじゃ。
自ら作り上げた幻想を現実と思っているだけなのじゃ。

437避難民のマジレスさん:2018/12/15(土) 04:59:16 ID:LC3de7YgO
>>435
『I AM THAT 私は在る』
【60 想像ではなく、現実を生きなさい】(つづき)

 質問者 それでも悪は現実です。
 マハラジ
 あなたの存在以上の現実ではないのだ。
 悪は誤解や誤用による問題への誤った対処法にある。
 それは悪循環なのだ。
 質問者 その循環の輪を断ち切ることはできるでしょうか?
 マハラジ
 偽物の輪を壊す必要はない。
 それをあるがままに、非存在として見るだけで充分なのだ。
 質問者 しかし、私たちを服従させ、屈辱や暴虐行為を与えさせるのに充分
 なほど悪は現実なのです。
 マハラジ
 狂気は普遍的なものであり、正気はまれなのだ。
 しかし、それでも希望はある。
 なぜなら、狂気を知覚した瞬間、私たちは正気に向かいはじめているのだか
 ら。
 日々の生活の中で、私たちの狂気に気づかせること、これがグルの機能だ。
 生命はあなたを意識的にさせる。
 だが、師はあなたを気づかせるのだ。
 質問者 あなたは最初のジニャーニでもなければ、最後のでもありません。
 遙かなる昔から、人々は真理を実現してきました。それにもかかわ
 らず、何とわずかばかりの影響しか私たちの生活に与えてこなかっ
 たのでしょう! ラーマたちやクリシュナたち、仏陀たちやキリス
 トたちは来ては去っていきました。そして、私たちは相変わらず汗
 と涙の中でもがいているのです。私たちがその人生を見守ってきた
 偉大な人々は何をしてきたのでしょうか? 世界の束縛を和らげる
 ために、あなたは何をしたのでしょうか?
 マハラジ
 あなたのつくり出した悪を取り消すことができるのは、あなただけだ。
 あなたの無神経な利己主義がその根本なのだ。
 まず、自分の家に秩序をもたらすことだ。
 そうすれば、あなたはあなたの仕事を終えたことを知るだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

438鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/15(土) 22:44:39 ID:1d4drIFg0
悪が現実にあるというものは心の中に悪が在るからそのように思うのじゃ。
自分の心の中にある悪の観念を世間に投射するのじゃ。
自らの心の中以外に悪はないのじゃ。

人はただ自らを救うことが出来るだけなのじゃ。
全ての悪から全人を救う救世主などいないのじゃ。

439避難民のマジレスさん:2018/12/16(日) 13:19:48 ID:LC3de7YgO
>>437
『I AM THAT 私は在る』
【60 想像ではなく、現実を生きなさい】(つづき)

 質問者 私たちの前に現れた智慧と愛の人たちは、しばしば途方もない代価
 を支払って、正しさを主張してきました。その結果はどうだったの
 でしょう? 流れ星はどんなに輝いても、夜の闇を明るくすること
 はないのです。
 マハラジ
 彼らと彼らの仕事を判断するには、あなたが彼らのひとりにならなければな
 らない。
 井戸の中の蛙は、空を行く鳥のことを何も知らないのだ。
 質問者 つまり、あなたは善と悪の間には、何の壁もないと言われるのでし
 ょうか?
 マハラジ
 そこに壁はない。
 なぜなら、善も悪もありはしないからだ。
 あらゆる実際の状況のなかで、あるのはただ必要なことと不必要なことだけ
 だ。
 必要なことは正しく、不必要なことは正しくないのだ。
 質問者 誰が決めるのでしょうか?
 マハラジ
 状況が決定する。
 あらゆる状況は正しい反応を要求してくる挑戦なのだ。
 反応が正しいとき、挑戦はかなえられ問題は消える。
 反応を誤ったとき、挑戦は敵わず問題は未解決のまま残る。
 あなたの未解決の問題が、あなたのカルマを構成しているのだ。
 それらを正しく解決し、自由になりなさい。
 質問者 あなたはいつも、私を私自身へと連れ戻します。世界の問題の客観
 的な解決法はないのでしょうか?
 マハラジ
 世界の問題は、それぞれが自分の欲望や恐れでいっぱいの、無数のあなたの
 ような人々によってつくり出されているのだ。
 あなたの個人的、社会的な過去から、誰があなたを解放できるというのだろ
 うか?
 そしてあなた自身が、幻想から生まれた欲望から自由になることへの切迫し
 た必要性を見ないかぎり、どうやって世界の問題を解決するというのだろう
 か?
 あなた自身が助けを必要としているかぎり、どうしてあなたに本当の助けが
 できるだろうか?
 質問者 いったいどのような形で古代の聖者たちは助けたのでしょうか? 
 どのようにしてあなたは助けるのでしょうか? 少数の人たちは、
 疑いなく恩恵を受けています。あなたの指導と手本は、大きな意味
 を彼らにもたらすかもしれません。ですが、いったいどのような形
 で、あなたは人類に、そして生命と意識の全体性に影響を与えると
 いうのでしょうか? あなたは、あなたが世界であり、世界はあな
 ただと言われました。あなたはどのような影響を世界に与えたので
 しょうか?
 マハラジ
 どのような影響をあなたは期待するのかね?
 質問者 人間は愚かで、利己的で、残酷です。
 マハラジ
 人間はまた、賢く、愛情にあふれ、親切でもある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

440鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/16(日) 22:42:06 ID:1d4drIFg0
世界の問題の唯一の解決法はそれを認識する自分が変容することなのじゃ。
そうすれば世界に何も問題は無いと気付くのじゃ。
人々の愚かさや残酷さでさえも自らのイメージであったと知れるじゃろう。
自分の心の中以外に何も問題は無いのじゃ。

441避難民のマジレスさん:2018/12/17(月) 06:08:34 ID:LC3de7YgO
>>439
『I AM THAT 私は在る』
【60 想像ではなく、現実を生きなさい】(つづき)

 質問者 どうして善が広まらないのでしょうか?
 マハラジ
 私の真実の世界では、それは広まっている。
 私の世界では、あなたの呼ぶ悪も善の召使いであって、それゆえ必要なもの
 なのだ。
 それは吹き出物や熱が身体の不純物を取り除くようなものなのだ。
 病気は苦しく危険でさえあるが、正しく対処すれば治るものだ。
 質問者 あるいは殺してしまいます。
 マハラジ
 ある場合には、死が最適な治癒方なのだ。
 人生は死より悪いものかもしれない。
 外見がどうであれ、死が不快な体験であることはまれなのだ。
 それゆえ、死んだものをではなく、生きているものを憐れみなさい。
 ものごとのなかにある善と悪の問題は、私の世界には存在しない。
 必要なことが善であり、不必要なことは悪だ。
 あなたの世界では快楽が善で、苦痛が悪なのだ。
 質問者 何が必要なのでしょうか?
 マハラジ
 成長することが必要なことだ。
 より成長することが必要なのだ。
 良いことをより良いことのために放棄することは必要なことだ。
 質問者 何が最終目的なのでしょうか?
 マハラジ
 最終目的ははじまりのなかにある。
 あなたはあなたがはじめたところで終えるのだ――絶対なるもののなかで。
 質問者 では、なぜこんなにも困難があるのでしょう? 私がはじめたとこ
 ろに帰り着くためなのですか?
 マハラジ
 誰の困難だろうか?
 どの困難だろうか?
 あなたは生長し、繁茂し、巨大な森林とまでなった種子を憐れむだろうか?
 あなたは人生の厄介ごとから救うために幼児を殺してしまうだろうか?
 人生の何が間違っているというのだろう、永遠の人生が?
 成長のための障害物を取り除きなさい。
 そうすれば、あなたの個人的、社会的、政治的、経済的問題はみな、ただ消
 え去るだろう。
 宇宙はその全体性において完全であり、部分が完成に向かうための努力は喜
 びの道なのだ。
 未完成を完成のために進んで犠牲にしなさい。
 そうすれば善と悪についての話はもうなくなるだろう。
 質問者 それでも、私たちはより良いものを恐れ、より悪いものにしがみつ
 いてしまうのです。
 マハラジ
 これが私たちの、いまにも正気を失わんとする愚かさなのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

442鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/17(月) 23:26:41 ID:1d4drIFg0
世界に悪を見る者は自らの心の中にその観念が在るからなのじゃ。
それがなければ世界はありのままに美しいのじゃ。
川を見ても綺麗な流れを見ずに、淀みを見ているようなものじゃ。
淀みにも急流に耐えられぬ生き物がいて安らいでいるものじゃ。
それもまた川のありようの一部なのじゃ。

443避難民のマジレスさん:2018/12/18(火) 05:29:05 ID:LC3de7YgO
>>441
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】

 質問者 幸運にも全人生において私は聖者との交わりをもってきました。そ
 れは真我の実現のために充分でしょうか?
 マハラジ
 それは、あなたがそれから何をつくり出すかによる。
 質問者 サットサン(聖者との交わり)のなかで起こる解放への働きは自動
 的なものだと聞きました。川が人を入り江まで運ぶように、善き人
 びとの深遠な沈黙の影響が私を実在へと導くのです。
 マハラジ
 それは川まであなたを連れていくだろう。
 しかし川を渡るのはあなた自身なのだ。
 自由への意志なしには、自由を獲得することも維持することもできない。
 解放に向かってあなたは努力しなければならない。
 最小限あなたにできることは、入念に障害の覆いを取り除くだけだ。
 もしあなたが平和を求めるのなら、努力しなければならない。
 ただ静かにしているだけでは、平和は得られないだろう。
 質問者 子供はただ成長します。彼は成長のための計画を立てません。パタ
 ーンももってはいませんし、こちらの手、あちらの足というように、
 部分的に成長するわけでもありません。彼は完全な形で、無意識の
 うちに成長するのです。
 マハラジ
 なぜなら、彼は想像から自由だからだ。
 あなたもまたそのように成長することができる。
 しかし、記憶や期待から生まれた予測や計画に熱中してはならないのだ。
 未来に関心がないこと、それがジニャーニ(賢者)の独自性のひとつなのだ。
 あなたの未来への関心は苦痛への恐れと、快楽への欲望によるものだ。
 ジニャーニにとってはすべてが至福だ。
 彼は何が来ようとも幸せなのだ。
 質問者 ジニャーニでさえ惨めになるような、多くのことがかならずあるは
 ずです。
 マハラジ
 ジニャーニは困難に遭遇するかもしれない。
 しかし、それが彼を苦しめることはない。
 子供を誕生から成人まで育て上げることは困難な仕事かもしれない。
 しかし、母親にとっては苦難の思い出も喜びなのだ。
 世界には何の間違いもない。
 誤りはあなたの見方にあるのだ。
 あなたを惑わせるのは、あなた自身の想像だ。
 想像なしには世界もない。
 あなたが世界を意識しているという確信が世界なのだ。
 あなたが知覚している世界は意識でできている。
 あなたが物質と呼ぶものは意識そのものなのだ。
 あなたは、そのなかで世界が動く空間(アーカーシュ)だ。
 あなたは永遠に続く時間だ。
 あなたはそれに生命を与える愛なのだ。
 想像と執着を切り落としなさい。
 すると、何が残るだろうか?
 質問者 世界が残り、私が残ります。
 マハラジ
 そのとおりだ。
 だが、あなたが欲望と恐れのスクリーンを通して見ず、あるがままに見ると
 き、何と違うことだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

444素人A:2018/12/18(火) 09:45:15 ID:gOqWUDAs0
川は水を見た視さらさらと流れて一つの海にそそぐ仕事に夢中で
山も山の仕事に一生懸命で他の事なんかどうでもよいのだろうか
人間という生物はムーダラな煩悩にエネルギーを無駄に消費する
下等な存在なのかでも無駄な修行がナイト上に上がるまえの植えつけられた
苗だ萎えるなお日様は今朝も毎度上がって繰る蟻が糖

445鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/18(火) 23:01:38 ID:1d4drIFg0
人は観念の他に物質も在ると思っているのじゃ。
それもまた観念による謬見なのじゃ。
なにものも個別化された物質ではないのじゃ。
空間と同じ本質を持つものとして繋がっているのじゃ。
全て一つなのじゃ。

446避難民のマジレスさん:2018/12/19(水) 00:44:34 ID:LC3de7YgO
>>443
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】(つづき)

 質問者 実在と幻想、智慧と無知、聖人と罪人、これらすべての区別は何の
 ためにあるのでしょうか? 誰もが幸福を探し求めています。誰も
 が必死になって努力をしています。誰もがヨーギであり、彼の人生
 は智慧の学校なのです。各人が各々の方法で、必要な教訓を学んで
 いるのです。社会はある者たちを認め、ほかを否認します。どこで
 も、いつのときにでも適応する法則というものはないのです。
 マハラジ
 私の世界では、愛が唯一の法則だ。
 私は愛を求めず、ただ与えるだけだ。
 それが私の本性なのだ。
 質問者 あなたはパターンにしたがって毎日を生きています。朝には瞑想の
 クラス、講話と討論を定期的にもっています。一日に二度、礼拝
(プージャ)があり、夕方には宗教的な献歌(バジャン)があり
 ます。あなたは一日の過程を綿密に固守しているようです。
 マハラジ
 私の見るかぎり、礼拝や献歌に関しては、私が干渉する理由はない。
 一般的な日課は、私がともに生活するようになった人びとや、話を聞きに来
 る人たちの要望に応えたものだ。
 彼らは働いている人たちで、多くの義務があり、時間の調整は彼らの都合に
 合わせている。
 いくつかの繰り返し過程は避けられない。
 動物や植物でさえ、彼らの時間割をもっているのだ。
 質問者 そうです。私たちは生命すべてに規則的な順序を見ます。誰がその
 秩序を維持しているのでしょうか? そこには法をしき、秩序を守
 らせる内なる支配者がいるのでしょうか?
 マハラジ
 すべてはその本性にしたがって動くのだ。
 どこに警察の必要があるだろう?
 あらゆる行動は反応をつくり出し、それが行動を中立化させ、バランスを取
 る。
 すべては起こる。
 だが、そこには絶え間ない取り消しがある。
 そして最後には、あたかも何も起こらなかったかのようになるのだ。
 質問者 最終的な調和で私をなだめようとしないでください。勘定は合って
 も、損失は私のものなのです。
 マハラジ
 見ていなさい。
 最後にあなたは支出を正当化するのに充分なだけの利益を得るかもしれない
 のだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

447鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/19(水) 23:04:06 ID:1d4drIFg0
このように秩序が在ると観るのも自らの幻想なのじゃ。
観念と観念の働きに自分が持つ観念を投射しているだけなのじゃ。
観念が無ければそこに秩序も法則も無いのじゃ。
そして観念妄想から離れられるのじゃ。

448避難民のマジレスさん:2018/12/20(木) 00:45:53 ID:LC3de7YgO
>>446
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】(つづき)

 質問者 私には長い過去があり、しばしばその多くの出来事が偶然起こった
 のか、それともひとつの計画によるものなのかと不思議に思うので
 す。私が生まれる以前に、生きるべき人生のパターンが定められて
 いるのでしょうか? もしそうならば、誰がその計画をつくり、誰
 がそれを強制したのでしょうか? そこに逸脱や誤りはありうるの
 でしょうか? ある人は、運命は変えられないもので、あらゆる瞬
 間があらかじめ決定されていると言います。ほかの人たちは、純粋
 な偶然がすべてを決定するのだと言います。
 マハラジ
 あなたの好きなように受け取るがいい。
 人生のなかにひとつのパターンを判別することはできるだろうし、単なる偶
 然の連鎖を見ることもできる。
 説明とはマインドを喜ばせるためにあるのだ。
 それらが真実である必要はない。
 実在は定義不可能であり、描写不可能なものだ。
 質問者 あなたは私の質問を避けています! 私はあなたがどう見ているか
 が知りたいのです。私たちは、どこを見ても信じがたいほどの知性
 と美を見いだします。どうして私に宇宙が無形で混沌(こんとん)
 としていると信じることができるでしょうか? あなたの世界、あ
 なたが住んでいる世界は無形かもしれませんが、混沌としている必
 要はないはずです。
 マハラジ
 客観的な世界には構造があり、秩序を持ち、美しいものだ。
 誰もそれを否定できない。
 だが構造と様式は、そこに強制と拘束があることを暗示しているのだ。
 私の世界は絶対的に自由だ。
 そのなかのすべてが自己決定するのだ。
 それゆえ、私はすべてがひとりでに起こると言い続けているのだ。
 私の世界にも秩序はある。
 しかし、それは外側から押しつけられたものではない。
 それはその永遠性によって自発的に即座に起こるのだ。
 完全性は未来にあるのではない。
 それは今あるのだ。
 質問者 あなたの世界は私の世界に影響を与えますか?
 マハラジ
 今という一点においてだけだ。
 それは一時的な存在、つかの間の実在の感覚をそれに与えるのだ。
 完全な気づきのなかでその接点は確立される。
 それには努力を要しない非自意識の注意力が必要なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

449避難民のマジレスさん:2018/12/20(木) 00:51:28 ID:LC3de7YgO
>>448
> 質問者 あなたの世界は私の世界に影響を与えますか?
 マハラジ
 今という一点においてだけだ。
 それは一時的な存在、つかの間の実在の感覚をそれに与えるのだ。
 完全な気づきのなかでその接点は確立される。
 それには努力を要しない非自意識の注意力が必要なのだ。

←今という一点においてだけだ。
それは一時的な存在、つかの間の実在の感覚をそれに与えるのだ。

とは、
今だけ、マハラジの実在の感覚を、質問者に与える
と理解すればよいのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

450鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/20(木) 23:49:43 ID:1d4drIFg0
>>449 そうじゃ、何も分からない質問者にも今マハラジと居る事で実在を垣間見ることができるのじゃ。
 質問するものにそれに答えられる能力があれば可能になるのじゃ。
 修行や勉強が進んでいなければかなり難しいことであるがのう。
 お釈迦様に会って直ぐに悟りを得たという修行者も同じなのじゃ。

451避難民のマジレスさん:2018/12/20(木) 23:54:07 ID:LC3de7YgO
>>450
ありがとうであります。
(´・(∀)・`)つ

452避難民のマジレスさん:2018/12/21(金) 05:51:51 ID:LC3de7YgO
>>448
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】(つづき)

 質問者 注意とはマインドの態度なのではありませんか?
 マハラジ
 そうだ。
 マインドが実在を熱望しているとき、それは注意を与えるのだ。
 あなたの世界には何の間違いもない。
 あなた自身がそれから分離していると考えることが無秩序を生みだす。
 利己主義がすべての悪の源なのだ。
 質問者 私の質問に戻ります。私が生まれる前に、内なる自己が人生を詳細
 にわたって決定するのでしょうか、それとも完全に偶然のものであ
 って、遺伝と環境のなすがままなのでしょうか?
 マハラジ
 父親と母親を選択し、次の生をどのように生きるかを決定したと宣言する者
 たちが知っているかもしれない。
 私自身に関して言えば、私はけっして生まれてこなかったのだ。
 質問者 あなたが私の前に座って質問に答えているのをわたしは見ています
 よ。
 マハラジ
 あなたの見ているのは身体だけだ。
 もちろん、それは生まれてきたし、死ぬだろう。
 質問者 私に興味があるのはこの「身体―精神」の人生の物語です。それは
 あなたによって定められたのでしょうか、それとも誰かほかの人に
 よるのでしょうか、あるいはそれは偶然起こったのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの質問自体に策略がある。
 私は身体と宇宙の間に区別をつけはしない。
 それぞれが互いの原因であり、互いは真実においてひとつなのだ。
 だが、私はそのすべての外にいる。
 私はけっして生まれてこなかったと言っているときに、私がどのような準備
 を次の生のためにしてきたかといった質問を、どうしてするのだろうか?
 あなたが想像を展開させることを許した瞬間、それはただちに宇宙を紡ぎだ
 すのだ。
 それはあなたが想像するようなものではまったくない。
 そして、私はあなたの想像には拘束されないのだ。
 質問者 命ある身体を育て、維持するには、知性とエネルギーが要求されま
 す。それらはどこから来るのでしょうか?
 マハラジ
 そこには想像があるだけだ。
 知性とエネルギーは、あなたの想像のなかですべて使い果たされてしまった。
 あなたはまったく想像に夢中にさせられてしまったため、どれほど実在から
 遠く離れてさまよい歩いたのかさえわからなくなってしまったのだ。
 想像が豊かな創造力であることに疑いはない。
 宇宙のなかの宇宙も、想像によって構築されているのだ。
 それにもかかわらず、それらはみな空間と時間、過去と未来のなかにあり、
 実際は存在しないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

453鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/21(金) 23:39:50 ID:1d4drIFg0
>>451 どういたしまして、またおいでなさい。

自我がある者には自分があるという思考から離れられないのじゃ。
そうであるから自分はどこから生まれたのかとか、どのようにして生まれのかとか延々と考えるのじゃ。
自我から離れれば何一つ独立して在る者は無く、全ての一部としてあるだけであるとわかるのじゃ。
全てとしてただあり続けることに何の不思議も無いのじゃ。

454避難民のマジレスさん:2018/12/22(土) 00:59:58 ID:LC3de7YgO
>>452
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】(つづき)

 質問者 最近私が読んだ記事に、幼年期に残酷に扱われた少女の話がありま
 す。彼女はひどく身体を傷つけられ、不具にされ、完全に周囲から
 疎外されて孤児院で育ってきました。この少女は物静かで従順です
 が、完全に無関心なのです。子供たちの面倒を見ていた尼僧のひと
 りは、少女は知的障害ではなく、ただ引きこもり、無反応なだけな
 のだと確信しました。ひとりの精神分析医が治療を頼まれ、一週間
 に一度面会し、二年間にわたって孤立の壁を打ち破ろうと試みまし
 た。彼女は従順で行儀正しいのですが、医師に注意を向けませんで
 した。彼は彼女におもちゃの家を与えました。移動可能な家具や部
 屋、父親や母親、そして子供たちの姿の人形を添えて。それが彼女
 の反応を引き起こし、興味をもたらしました。ある日、古傷が回想
 され、よみがえり、表層に呼び起こされたのです。次第に彼女は回
 復し、何度かの手術によって顔と身体は正常な状態に戻りました。
 そして彼女は有能で、魅力的な若い女性へと成長したのです。それ
 は医師にとって五年以上の歳月を要しました。しかし、仕事は為さ
 れたのです。彼は真のグルです! 彼は何の条件も押しつけず、用
 意や適性についても話しませんでした。信頼も希望もなしに、ただ
 心からの愛を持って何度も何度も試みたのです。
 マハラジ
 そうだ。
 それがグルの本性なのだ。
 彼はけっしてあきらめない。
 しかし、成功するためには、彼はあまり強い抵抗を受けてはならないのだ。
 疑いや不服従は遅れを余儀なくしてしまう。
 自信と従順さを与えることで、彼は弟子のなかに革新的な変化をもたらすこ
 とができる。
 グルの深い洞察と弟子の誠実さ、その両方が必要とされるのだ。
 彼女の状態がどのようなものであろうと、あなたの話のなかの少女は、人び
 との誠実さの欠如に苦しんだのだ。
 もっとも難しいのが知的な人びとだ。
 彼らは多くを語るばかりで誠実ではないからだ。
 あなたが真我の実現と呼ぶものは自然なことだ。
 あなたの用意が調(ととの)ったとき、グルは待っている。
 サーダナ(修練)は努力を要しないものだ。
 あなたと師の関係性が正しいとき、あなたは成長する。
 何よりも、彼を信頼することだ。
 彼があなたを惑わすことはないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

455鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/22(土) 23:40:21 ID:1d4drIFg0
本当に必要なときに導師は現われるというのじゃ。
必要としていなければ見出すことも出来ないのじゃ。
弟子になるものの誠実さも必要なのじゃ。
どんなに優れた導師の言葉も実践しなければ意味が無いのじゃ。

456避難民のマジレスさん:2018/12/22(土) 23:51:03 ID:LC3de7YgO
>>454
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】(つづき)

 質問者 たとえ、彼が明らかに間違ったことをするように要求したときも信
 頼すべきでしょうか?
 マハラジ
 そうしなさい。
 ひとりの隠遁者(サンニャーシン)がグルから結婚するようにと言われた。
 彼はそれに従い、苦渋を味わった。
 しかし、彼の四人の子供たちは皆、マハーラーシュトラ州のもっとも偉大な
 聖者や賢者となったのだ。
 何であれあなたのグルから来るものは、喜びとともに受け取りなさい。
 そうすれば、あなたは努力することなく完成へと成長するだろう。
 質問者 師よ、何か欲しいものや望みがありますか? 何かあなたのために
 できることがあるでしょうか?
 マハラジ
 私のもっていない何を与えることができるというのだろうか?
 物質的なものは満足をもたらすために必要だ。
 だが、私は私自身に満足しているのだ。
 ほかに何が必要だというのだろう?
 質問者 もちろん、空腹のときには食べ物が、病気のときには薬が必要です。
 マハラジ
 空腹が食べ物を、病気が薬をもたらすのだ。
 それはすべて自然の仕事だ。
 質問者 もしあなたにとって必要だと私が信じるものをもってきたならば、
 あなたは受け取るでしょうか?
 マハラジ
 あなたに差しださせたその愛が、私をして受け取らせるだろう。
 質問者 もし誰かが美しいアーシュラムを建設すると願い出たならどうしま
 すか?
 マハラジ
 彼にぜひそうさせるがいい。
 富を使い、何百もの人を雇い、何千人に食事を供させるがいい。
 質問者 それは欲望ではないのでしょうか?
 マハラジ
 まったくそうではない。
 私は彼に適切に、中途半端ではなく、惜しむことなくするように頼むだけだ。
 私の欲望ではなく、彼が彼自身の欲望を満たしているのだ。
 彼に成功させ、人や神々のあいだで名を挙げさせるがいい。
 質問者 しかし、あなたはそれを望んでいるのでしょうか?
 マハラジ
 私はそれを望んではいない。
 質問者 あなたはそれを受け入れるのでしょうか?
 マハラジ
 私には必要ないのだ。
 質問者 あなたはそのなかに住むでしょうか?
 マハラジ
 もし強要されたならば。
 質問者 何があなたを強要するのでしょうか?
 マハラジ
 光を探し求めている人たちの愛だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

457避難民のマジレスさん:2018/12/23(日) 09:37:11 ID:LC3de7YgO
>>456
『I AM THAT 私は在る』
【61 物質は意識そのものだ】(つづき)

 質問者 ええ。あなたの言われることがわかります。ところで、どうすれば
 私はサマーディ(三昧状態)に入れるのでしょうか?
 マハラジ
 もしあなたが正しい状態にいれば、何であれ見るものがあなたをサマーディ
 に引き入れるだろう。
 結局、サマーディは特別な状態ではないのだ。
 マインドが強烈に興味を持っているとき、それは興味の対象とひとつになる。
 見る者と見られるものは、見ることのなかでひとつとなり、聞く者と聞かれ
 るものは、聞くことのなかでひとつとなり、愛する者と愛されるものは、愛
 することのなかでひとつとなる。
 あらゆる体験はサマーディの根底となるのだ。
 質問者 あなたはつねにサマーディに在るのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、そうではない。
 サマーディは、要するにマインドの状態なのだ。
 私はすべての体験を超え、サマーディさえも超えている。
 私は偉大な貪(むさぼ)り食う者、破壊者だ。
 何であれ私が触れるものは虚空(アーカーシュ)のなかへと消え去るのだ。
 質問者 私は真我実現のためにサマーディが必要なのです。
 マハラジ
 あなたはあなたに必要な真我実現のすべてを手にしている。
 だが、それを信頼していないのだ。
 勇気を持ちなさい。
 あなた自身を信頼しなさい。
 行き、話し、行為しなさい。
 それ自体が証明する機会を与えるがいい。
 ほとんど気がつかないほどの真我の実現が起こるかもしれない。
 だが、とにかくそれには確信が必要なのだ。
 変わったにもかかわらず、それに気づかないでいる。
 そのような劇的ではない場合のほうが、しばしば、もっとも信頼のおけるも
 のなのだ
 質問者 人は自分が真我を実現したと信じたり、誤解したりすることができ
 るのでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 「私は真我を実現した」という考えそのものが過ちだ。
 自然な状態のなかには、「私はこれだ」、「私はあれだ」といった考えはな
 いのだ。

(´・(ェ)・`)
(おわり)

458鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/23(日) 22:36:10 ID:1d4drIFg0
サマーディにも多くの迷信がまとわりついているのじゃ。
それは聖人だけしかできないものではなく、正しい姿勢で座れば誰でもできるものじゃ。
苦しい修行をしなくても好きな事をして我を忘れればサマーディに入っているのじゃ。
悟った者も常にサマーディに入っているのではないのじゃ。
サマーディでいきなり悟れることもないのじゃ。
修行のための集中状態に過ぎないのじゃ。

459避難民のマジレスさん:2018/12/23(日) 23:41:07 ID:LC3de7YgO
>>457
『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】

 質問者 四十年ほど前に、J・クリシュナムルティは「存在するのは生命だ
 けで、個人や人格といった話は、実際に何の論理的根拠もない」と
 言いました。彼は生命を描写しようとは試みず、単に、「生命は描
 写できないし、する必要もないが、もし体験するための障害が取り
 除かれるならば、それは完全に体験することができる」と言いまし
 た。主要な妨げは、時間に対する私たちの概念とそれへの耽溺のな
 かに、そして過去の光のなかでの未来への期待という、私たちの習
 慣のなかにあるのです。過去の総計が「私は在った」になり、未来
 への期待が「私は在るだろう」となり、人生は「私で在ったもの」
 から、「私は在るだろう」となり、人生は「私で在ったもの」から、
 「私は在るだろうもの」へと超えていくための絶え間ない努力なの
 です。現時点の「今」は見落とされています。マハラジは「私は在
 る」に関して語りますが、それは「私は在った」や「私は在るだろ
 う」のようにひとつの幻想なのでしょうか、それとも何らかの実在
 性をもっているのでしょうか? そして、もし「私は在る」もまた
 幻想であるのなら、どのようにして、人はそれから自由になるとい
 うのでしょうか? 私は「私は在る」から自由だ、という観念自体
 がひとつの不条理なのです。時間とともに変化し、新たな期待をつ
 くり出す記憶としての「私は在った」や「私は在るだろう」と区別
 するなかで、「私は在る」には何か真実の、何か永遠の質があるの
 でしょうか?
 マハラジ
 現在の「私は在る」は、「私は在った」や「私は在るだろう」と同じように
 偽りだ。
 それは単にマインドのなかの観念、記憶によって残された印象にすぎず、そ
 れがつくり出す分離したアイデンティティも偽物なのだ。
 この偽物の中心に身をゆだねるという習慣が取り除かれなければならない。
 「私は見る」、「私は聞く」、「私は考える」といった観念は意識界から消
 え去らなければならない。
 偽物が去り、残ったものが真実なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

460避難民のマジレスさん:2018/12/24(月) 08:09:02 ID:LC3de7YgO
>>459
1『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】(つづき)

 質問者 この自己を除去するという大げさな話は何なのでしょうか? どう
 やって自己がそれ自身を除去できるというのでしょう? どんな類
 の形而上学的アクロバットが、曲芸師を消し去るというのでしょう?
 最後に彼は、消えたことをひどく誇らしげにしながらふたたび現れ
 てくることでしょう。
 マハラジ
 「私は在る」を殺すために、それを追いまわす必要はない。
 それはできないことだ。
 あなたに必要なことは、実在への真剣な熱望だけだ。
 私たちはそれをアートマ・バクティ、至高なるものへの愛、あるいはモクシ
 ャ―サンカルパ、偽りから自由になることへの決意と呼ぶ。
 愛、そして愛に感化された意志なしには何ひとつ為(な)されない。
 実在についてただ話すばかりで、それについて何もしないことは自滅的なこ
 とだ。
 「私は在る」と言う個人と、その「私は在る」を観察する者との関係には、
 愛がなければならない。
 内なる「高次の」自己である観察者(ヴィヤクタ)が、「低次の」自己であ
 る観察される者(ヴィヤクティ)を見下し、非難するかぎり、状況は絶望的
 だ。
 観察者が個人を彼自身の投影として受け入れ、そして、いわば自我を真我の
 なかに取り入れると、「私」や「これ」といった二元性は消え去り、内面と
 外面の同一性のなかで、至高の実在はそれ自体を顕現するのだ。
 見る者が彼自身を見る者として意識するとき、見る者と見られるものの統合
 が起こる。
 彼は、ただ単に見られるものに興味をもつだけではなく――どちらにしても
 それは彼なのだが――興味をもたれることにもまた興味をもち、注意にも注
 意を払い、気づいていることにも気づくようになる。
 愛情のともなった気づきは、実在に焦点をもたらす決定的な要因なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

461鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/24(月) 22:37:06 ID:1d4drIFg0
私は在るというのもまた法の一つに過ぎないのじゃ。
今の自分の観念を破壊するための観念なのじゃ。
悟っていない者が認識している私は在るというのは偽りの観念なのじゃ。
しかし、それを方法として使うことで自分という観念も消し去ることが出来るのじゃ。
一度気付いて消えればもはや戻らないのじゃ。

462避難民のマジレスさん:2018/12/25(火) 06:45:20 ID:LC3de7YgO
>>460
『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】(つづき)

 質問者 神智学者とその類の神秘主義者たちによると、人間は人格的存在、
 個人的存在、霊的存在の三つの相によって構成されています。霊的
 存在を超えた彼方には神性があります。人格的存在は一時的で、一
 度きりの誕生にのみ有効です。それは身体の誕生にはじまり、つぎ
 の身体の誕生によって終わります。ひとたび終われば、永遠に終わ
 りです。わずかばかりの楽しい、あるいは苦しい教訓を除いては何
 ひとつ残りません。
 個人的存在は「動物―人間」にはじまり、「完全な人間」として終
 わります。人格的存在と個人的存在の間の分離は、現代の人類の特
 質なのです。一方では、個人的存在とその真、善、美への熱望、も
 う一方では、習慣と願望、恐れと欲望、怠惰性と暴力の醜い闘いで
 す。
 霊的な相はいまだに停止しています。二元性の環境のなかでは、そ
 れ自体を顕現できないからです。人格的存在が個人的存在と再統合
 され、限定されたときにだけ
、その真実の表現である霊性の光と愛
 と美がそれ自体で現れるのです。
 あなたは観察者(ヴィヤクタ)、観察されるもの(ヴィヤクティ)、
 観察の根底(アヴィヤクタ)について教えています。それはほかの
 見解と一致しますか?
 マハラジ
 そうだ。
 観察されるものが観察者からの分離においてその非存在を認識したとき、そ
 して、観察者が観察されるものを彼自身の表現として見るとき、平和と沈黙
 の状態が現れる。
 実際には、その三つはひとつなのだ。
 観察されるものと観察の根底は分割不可能だ。
 それと同時に、観察されるものは感覚、感情、思考の過程であり、五つの基
 本要素によってつくられた身体を基盤にしているのだ。
 質問者 観察者(ヴィヤクタ)と観察の根底(アヴィヤクタ)には、どのよ
 うな関係があるのでしょうか?
 マハラジ
 それらがひとつであるとき、どうして関係がありうるだろう?
 分離や関係といった話はすべて、「私は身体だ」という観念の不正で歪(ゆ
 が)んだ影響によるものだ。
 外面の自己(ヴィヤクティ)は、単に内面の自己(ヴィヤクタ)の投影であ
 る「身体―精神」であり、それはまたすべてであり、無である至高の自己
 (アヴィヤクタ)の表現にすぎないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

463鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/25(火) 22:12:42 ID:1d4drIFg0
観察する者は観察されるものという命題がまた繰り返されたのじゃ。
観察すれば観察していたものが正に観察されたものと気付くのじゃ。
そのようにして観照はおこり、変容が始まるのじゃ。
それは一瞬の気付きによるものなのじゃ。

464避難民のマジレスさん:2018/12/25(火) 23:33:27 ID:LC3de7YgO
>>462
『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】(つづき)

 質問者 高次の自己や低次の自己について語らない教師もいます。彼らは人
 間について、あたかも低次の自己存在でしかないように語ります。
 仏陀もキリストも高次の自己については言及しませんでした。J・
 クリシュナムルティもまた、高次の自己について語ることをつとめ
 て避けてきました。なぜそうなのでしょうか?
 マハラジ
 どうして、ひとつの身体のなかに二つの自己が存在できるだろうか?
 「私は在る」はひとつなのだ。
 高次の「私は在る」や低次の「私は在る」などありはしない。
 あらゆる類のマインドの状態は、気づきに提示される。
 そして、そこにはそれらとの自己同一化があるのだ。
 観察の対象物は現れたとおりの状態とは異なるものだ。
 そして観察者の態度が必ずしも適したものであるとはかぎらない。
 もしあなたが仏陀、キリスト、クリシュナムルティが個人に向かって話して
 いると考えるならば、それは間違いだ。
 彼らは、観察されるものである外面の自己が、観察者である内面の自己の影
 にすぎないことを知っているために、観察者についてだけを語り、それを気
 づかせるようにするのだ。
 彼らは外面の自己に注意を払わせ、それを導き助け、その責任を感じるよう
 にするため、つまりそれに完全に気づくことを助けるために話すのだ。
 気づきは至高なるものから現れ、内面の自己に充満していく。
 いわゆる外面の自己は、自己の存在の気づいていない部分でしかないのだ。
 人は意識しているかもしれない。
 なぜなら、すべての生きるものは意識
しているからだ。
 だが、人は気づいてはいないのだ。
 気づきのなかに含まれるものは内面となり、内面の質を帯びたものとなる。
 あなたは違った表現をするかもしれない。
 身体が外面の自己を定義し、意識が内面の自己を定義する。
 そして、純粋な気づきのなかで、至高なるものは触れられるのだ。
 質問者 あなたは身体が外面の自己を定義すると言われました。あなたも身
 体をもっているのですから、外面の自己もまたもっているのでしょ
 うか?
 マハラジ
 もし私が身体に執着し、それを私自身と見なすならば、そういうことになる
 だろう。
 質問者 しかし、あなたはそれに気づき、その必要に仕えているのです。
 マハラジ
 その反対が真実に近い。
 身体が私を知っていて、それが私の必要に気づいているのだ。
 だが、本当はそのどちらでもない。
 この身体は、あなたのマインドのなかに現れ、私のマインドのなかには何も
 ないのだ。
 質問者 あなたは身体をもっていることを完全に意識しているという意味で
 しょうか?
 マハラジ
 その反対で、私は身体をもっていないことを意識しているのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

465鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/26(水) 22:45:29 ID:1d4drIFg0
高次の自己などというものはないのじゃ。
それも人の願望によって出来た観念なのじゃ。
アートマンも高次の自己ではなくただ非によって現される法なのじゃ。
全て一つであるのに低い自己とか高い自己がある筈も無いのじゃ。

466避難民のマジレスさん:2018/12/27(木) 00:01:01 ID:LC3de7YgO
>>465
ふむふむ。
アートマンを真我と訳すのと同じ誤りを、解釈の中で、アートマン=高次の自己ととらえる誤りをしてしまっていることを見抜いたのがブッタだったのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

467避難民のマジレスさん:2018/12/27(木) 00:31:19 ID:LC3de7YgO
>>464
『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】(つづき)

 質問者 私はあなたが喫煙しているのを見ていますよ!
 マハラジ
 そのとおりだ。
 あなたは私が喫煙しているのを見る。
 どのようにしてあなたが、私が喫煙しているのを見るようになったのか、見
 いだしてみなさい。
 そうすれば、それはあなたの「私は身体だ」というマインドの状態が、「私
 はあなたが喫煙しているのを見る」という観念の原因となっていることを、
 容易に認識できるだろう。
 質問者 そこには身体があり、そこに私自身がいます。私は身体
 を知っています。それから離れると、私とは何なのでし
 ょうか?
 マハラジ
 身体を離れると、そこに「私」はなく、また世界もない。
 その三つはともに現れ、ともに消えるのだ。
 その根本には、「私は在る」という感覚がある。
 それを超えていきなさい。
 「私は身体ではない」という観念は、「私は身体だ」という偽り
 の観念の単なる解毒剤にすぎない。
 その「私は在る」とは何なのか?
 あなたがあなた自身を知るまでは、ほかの何を知ることができる
 というのだろうか?
 質問者 あなたが言われることから、身体なしに解放はありえな
 い、と私は結論を出します。もし「私は身体ではない」
 という観念が解放へと導くならば、身体の存在は欠くこ
 とのできないものなのです。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 身体なしに、どうやって「私は身体ではない」という観念が存在
 できるというのだろう?
 「私は自由だ」という観念は「私は束縛されている」という観念
 と同じように偽りなのだ。
 その両方に共通の、「私は在る」を見いだし、それを超えた彼方
 へと行きなさい。
 質問者 すべてはただの夢なのです。
 マハラジ
 すべては単なる言葉にすぎないのだ。
 それがあなたにとって何の役に立つというのだろう?
 あなたは言葉による定義づけや、公式化の網にひっかかっている
 のだ。
 あなたの概念や観念を超えていきなさい。
 真実は欲望や思考の消えた沈黙のなかに見いだされるだろう。
 質問者 人は覚えないようにするこ
とを覚えていなければならな
 いのです。何という苦労でしょう!
 マハラジ
 もちろん、それはできない。
 それは起こらなければならないのだ。
 だが、あなたが本当にその必要性を見たとき、それは起こる。
 ここでも真剣さが黄金の鍵なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

468素人A:2018/12/27(木) 11:26:55 ID:/mRrWwwM0
何いっても誤解されるのは言葉 ようするに受け取る我々は脳力が不足して
お釈迦さんの 無記もその場しのぎだつたのか その言葉に左右される私たち
御釈迦さんが花をさしだしてもあれこれ考えるし 今朝は暇が肥満し度々こちやんに来る
掃除は明日からする

469鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/27(木) 23:25:22 ID:1d4drIFg0
>>466 そうじゃ、真の我とか、高次の我とかがあるとすればそれにしがみついて自我の肥大が起こるものじゃ。
 自分は真我や高次の自己に達したからもはや修行しなくてよいとか思うからのう。
 真のアートマンの法は全てを否定するからそのような観念妄想に陥ることもないのじゃ。
 それがお釈迦様の説いた諸法無我なのじゃ。

470避難民のマジレスさん:2018/12/28(金) 02:11:38 ID:LC3de7YgO
>>467
『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】(つづき)

 質問者 私のマインドの背後では、いつもざわめきが聞こえてい
 ます。無数の弱い思考が群れをなして騒ぎたて、その形
 の定まらない雲はつねに私とともにあるのです。それは
 あなたも同じなのでしょうか? あなたのマインドの背
 後には何があるのでしょうか?
 マハラジ
 マインドがないところには、その背後もないのだ。
 私はすべてが表であって、裏がないのだ!
 虚空が語り、虚空が残るだけだ。
 質問者 そこには何の記憶も残され
ていないのでしょうか?
 マハラジ
 過去の快楽や苦痛の記憶は何も残っていない。
 瞬間瞬間が新しく生まれるのだ。
 質問者 記憶なしには、意識できないでしょう。
 マハラジ
 もちろん、私は意識している。
 そして、それに完全に気づいている。
 私は木材の塊ではないのだ!
 意識とその内容を雲と比較してみなさい。
 あなたは雲のなかにいるが、私はそれを見ているのだ。
 あなたはそのなかに迷いこんでしまい、指先さえ見えずにいるが、
 私は雲を、そしてほかの多くの雲を見ている。
 そして青空も太陽も、月や星たちも見ている。
 実在は私たち二人にとってひとつだ。
 だが、あなたにとってそれは牢獄であり、私にとっては我が家同
 然なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

471鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/28(金) 22:52:44 ID:1d4drIFg0
悟ればもはや雑念が生じることも無いのじゃ。
無理にそうしようとすればできるがのう。
それは記憶が制御できない状態から起こるものなのじゃ。
記憶に依存していれば記憶が制御できないのじゃ。
依存が無くなればもはや記憶が制御されるのじゃ。
止めることも活用することも自在にできるようになるのじゃ。

472避難民のマジレスさん:2018/12/29(土) 01:23:23 ID:LC3de7YgO
>>470
『I AM THAT 私は在る』
【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】(つづき)

 質問者 記憶なしには、意識できないでしょう。
 マハラジ
 もちろん、私は意識している。
 そして、それに完全に気づいている。
 私は木材の塊ではないのだ!
 意識とその内容を雲と比較してみなさい。
 あなたは雲のなかにいるが、私はそれを見ているのだ。
 あなたはそのなかに迷いこんでしまい、指先さえ見えずにいるが、
 私は雲を、そしてほかの多くの雲を見ている。
 そして青空も太陽も、月や星たちも見ている。
 実在は私たち二人にとってひとつだ。
 だが、あなたにとってそれは牢獄であり、私にとっては我が家同
 然なのだ。
 質問者 あなたは個人(ヴィヤクティ)、観照者(ヴィヤクタ)、
 至高なるもの(アヴィヤクタ)について語っています。
 どれが最初に現れるのでしょうか?
 マハラジ
 至高なるもののなかに観照者は現れる。
 観照者は個人をつくり出し、それ自身がそれから分離していると
 考えるのだ。
 観照者は、個人が意識のなかに現れるのを見ている。
 その個人は、ふたたび観照者のなかに現れるのだ。
 この基本構成の実現が至高なるものの働きだ。
 それは観照者の背後にある力であり、すべてが生じる源だ。
 個人と観照者の間に相互の援助と愛と統合がないかぎり、至高な
 るものに接触することはできない。
 至高なるものは、そのような調和の結実であり、源でもあるのだ。
 あなたに話すように、私は超然とした状態に在り、しかも愛情を
 ともなった気づき(トゥリーヤ)なのだ。
 この気づきがそれ自身に向けられたときを、至高の状態(トゥリ
 ーヤーティータ)と呼ぶことができるだろう。
 しかし、その根底にある実在は気づきを超え、成ること、存在す
 ること、存在しないことの三つの状態をも超えているのだ。
 質問者 どうして私は、ここでは高尚な話題に没頭し、それらを
 いともたやすく、快く考えつづけていられるというのに、
 家に帰ったとたん、ここで学んだすべてを忘れ、心配し
 たり、いらだったりして、真の本性を覚えていることが
 一瞬さえもできないのでしょう? いったい何がその原
 因なのでしょうか?
 マハラジ
 それはあなたがあなたの幼稚さに戻ったからだ。
 あなたはまだ、完全に成長しきっていないのだ。
 そこには未発達の層が手つかずのま
まに残っている。
 あなたのなかにある残酷さ、野蛮さ、不条理さ、冷酷さ、つまり
 は幼稚さに完全な注意を払いなさい。
 そうすればあなたは成熟するだろう。
 ハートとマインドの成熟、それが欠かせないものなのだ。
 主要な障害物である不注意と油断が取り除かれたとき、それは努
 力を要せずやってくる。
 あなたは気づきのなかで成長するのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

473素人A:2018/12/29(土) 09:59:40 ID:gOqWUDAs0
観賞するだけでは、受け取って見るだけなので相手に働きかけないのでエネルギーを
使わないで済むのかも?あの用があっても返さないので、この用からは身得ない
し、だから無記になつて説明してもほ師匠は説得できなく、まあ各々の用我干渉しなければ
まあ良いか。無駄なエネルギーつかえば力学的に摩擦もおこるし。動物として身えれば
生きるために食わなきゃならない死 殴り合いの出来るテレビ出来てもなあ

474鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/29(土) 20:59:01 ID:1d4drIFg0
記憶が意識であり、記憶が無ければ意識は無いと想う者もいるのじゃ。
意識は記憶を超えてあるものじゃ。
記憶はただ体験をイメージと言葉で記録する能力に過ぎないのじゃ。
それは意識ではないのじゃ。
記憶が無くとも刹那毎の意識が在り続けるだけなのじゃ。

475避難民のマジレスさん:2018/12/29(土) 23:23:30 ID:LC3de7YgO
>>472
『I AM THAT 私は在る』
【63 行為者という概念が束縛だ】

 質問者 私たちはサティア・サイババ* のアーシュラムにある期間滞在して
 いました。また、ティルヴァンナーマライのラマナアシュラマムで
 も2カ月ほど過ごしました。今、私たちはアメリカへ帰国の途上な
 のです。
  * 訳注 サティア・サイババ Satya Sai Baba (1926)アーンドラ・
      プラディーシュ州の村プッターパルティに生まれる。マハーラー
      シュトラ州の偉大な聖者シルディ・サイババの化身であると自ら
      名乗る。砂糖菓子や花、聖灰を物質化し、遠く離れた弟子の想念
      を読みとるといった奇跡を行なう世界的に有名なグル。
 マハラジ
 インドがあなたに何らかの変化をもたらしただろうか?
 質問者 私たちは重荷を降ろしたかのように感じています。シュリー・サテ
 ィヤ・サイババは、すべてを彼に明け渡し、ただ日々をできるかぎ
 り公正に生きるようにと言われました。「正しく在りなさい。あと
 は私にまかせなさい」と彼は
言いました。
 マハラジ
 シュリー・ラマナアシュラムでは何をしていたのかね?
 質問者 私たちは師から授かったマントラを復唱しつづていました。また瞑
 想もしました。考えることや勉強することはほとんどなく、ただ、
 静かにしているよう心がけていただけです。私たちはバクティ(帰
 依)の道を行く者で、哲学はむしろ知らないのです。私たちには考
 えなければならないことはさほどなく、ただグルを信頼し、人生を
 生きていくだけです。
 マハラジ
 バクタ(帰依者)の多くは、すべてがうまくいっている間はグルを信頼する。
 しかし、問題が起こると彼らは落ちこみ、ほかの師を探しに行くのだ。
 質問者 そうです。その危険性については警告されました。私たちは厳しい
 状況もやさしい状況とともに受け入れていこうと思っています。
 「すべては恩寵(おんちょう)だ」という感情が非常に強くなけれ
 ばなりません。ひとりのサド
ゥ(修行僧)が東に向かって歩いてい
 ると、その方向から強風が吹いてきました。サドゥはただくるりと
 向きを変えて、西に歩き出したのです。私たちもグルによって与え
 られた環境に私たち自身を合わせながら、そのように生きたいと願
 っています。
 マハラジ
 ただ生命だけがある。
 生命を生きる人は誰もいないのだ。
 質問者 それは私たちも理解します。それでもなお、私たちは、ただ生きる
 のではなく、自分たちの人生を生きようとしてしまうのです。未来
 のために計画を立ててしまうことは、私たちにとって根深い習慣な
 のです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

476避難民のマジレスさん:2018/12/30(日) 08:53:04 ID:LC3de7YgO
>>475
『I AM THAT 私は在る』
【63 行為者という概念が束縛だ】(つづき)

 マハラジ
 あなたが計画を立てようと立てまいと、人生は続いていくのだ。
 だがその人生において、マインドのなかに小さな渦巻きが現れる。
 それは幻想にふけり、それ自体が人生を支配し、コントロールしていると想
 像するのだ。
 生命そのものは無欲だ。
 だが、偽りの自己はそれが快く続いてほしい。
 そのため、それはつねに自己の継続を守ることに没頭しているのだ。
 生命は恐れず、自由だ。
 あなたが出来事に影響を与えているという考えをもっているかぎり、解放は
 あなたのものではない。
 行為者という観念、自分が出来事の原因であるという観念自体が束縛なのだ。
 質問者 どうすれば、私たちは為(な)す者と為されることという二元性を
 克服できるのでしょうか?
 マハラジ
 生命を無限で、分割不可能な、つねに存在し、つねに活動的なものとして黙
 想しなさい。
 あなたがそれとひとつであると悟るまで。
 それは難しくなどない。
 なぜなら、あなたはただ自分の自然な状態に戻るだけだからだ。
 すべては内側から現れ、あなたの住む世界があなたの上に投影されているの
 ではなく、あなたによって投影されているとひとたび自覚すれば、恐れは終
 焉(しゅうえん)するのだ。
 この自覚なしに、あなたはあなた自身を外界の身体、マインド、社会、国家、
 人類、そして神や至高なるものといったものとさえ同一化してしまう。
 だが、それらはみな恐れからの逃避なのだ。
 あなたが住む小さな世界の責任を完全に受け入れ、その創造、維持、破壊の
 過程を見守るときにだけ、あなたはあなた自身の想像による束縛から自由に
 なるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)


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