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鬼和尚に聞いてみるスレ part6

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703鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/04(月) 20:50:33 ID:odp9PAp.0
>>699 どういたしまして、またおいでなさい。

704避難民のマジレスさん:2016/04/05(火) 12:44:04 ID:1/XG4j0Q0
鬼和尚、
思考の観察について、以前
> 642 :自在:2007/03/06(火) 21:38:28 ID:mX2dh3RZ

> 思考の対象、思考という行為、思考する主体を見る。
> それがどこから起きて、どのような作用を及ぼすのか、詳細に見つづけて欲しい。

と書かれておりましたが、対象、行為、主体について少し詳しくお教えください。
ここでの対象というのは思考に用いられる言葉やイメージのことでしょうか?

例えば、車を見て記憶から「車」のイメージと言葉が投射され、そこから「大きい」のように思考につながっていったとします。
縁起で観ていくと、例えば「車」という対象→「車という思考」の行為→「車を思考する主体」というように観られたとします。
すると最初の対象はすぐに消え去って、次の「大きい」が現れると思いますが、このように変化する思考の言葉やイメージを対象と言って良いのでしょうか?
またこの際の観察は対象に加えて、行為、主体も同時に眺めるようにするということでしょうか?

未だこれらが明確・詳細には観られないのですが、それは集中力が足りないせいでしょうか? 他に可能性はありますか?

705鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/05(火) 21:25:11 ID:odp9PAp.0
>>704 そうじゃ、言葉やイメージなのじゃ。
  その場合は思考の対象は車だけなのじゃ。
 大きいとかは車の属性なのじゃ。
 それもまた思考の移り変わりとして観察すべきであるがのう。
 
 できれば同時に見るべきなのじゃ。
 慣れないうちは一つずつ見るのじゃ。
 やがて同時に観られるようになるじゃろう。
 集中力よりも慣れが必要なのじゃ。
 何度も行って慣れればできるようになるのじゃ。
 一つのものについて観察できるようになれば、全てについて観察できるようになるのじゃ。
 そうすれば思考から抜け出し、主体にいたる認識をも観察できるようになるのじゃ。

706437:2016/04/06(水) 07:23:37 ID:LgbIm9w20
和尚さま
だいぶ観念を空観できるようになりましたが、消えたということに観念に気づけていませんでした。

707鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/06(水) 19:55:31 ID:odp9PAp.0
>>706 善かったのじゃ。
 それにも気づいて進歩したのじゃ。 
 観念の空を心の中に実現できたならば、もはやいずれの観念も厭離できるのじゃ。
 全ての観念を滅して更に進むのじゃ。

708避難民のマジレスさん:2016/04/06(水) 23:02:44 ID:fh1xHhCM0
罪の定義ってなんだろう?
罪なやつっていう日本語があるけど誰かが悲しんだら無条件でその行為や状態は罪なんだろうか

709避難民のマジレスさん:2016/04/07(木) 12:57:52 ID:1sAvBPl20
>>705
ありがとうございます。
まずは、思考の対象、行為、主体のうちの見やすいものを確実に観察できるようにすれば、他の2つも観察できるということでしょうか?
もしそうでしたら、対象は再確認しないと混乱しやすい上に思考そのものに同化してしまいやすく、主体は見失い易いので、まずは思考の行為を確実に観察することに励もうと思います。

710避難民のマジレスさん:2016/04/07(木) 14:34:49 ID:V7QCtwwo0
鬼和尚、よろしくお願いします
死んで涅槃に入っても自らの意思で悟りを捨てて迷いの世界に戻ることはできるのでしょうか?

711鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/07(木) 20:32:08 ID:odp9PAp.0
>>708 それはおぬしの知恵が決めるのじゃ。
 寝る寸前とか起きた時などに無我の知恵があるのじゃ。
 それが自らの行為を罪であったか決めるじゃろう。

>>709 すぐに出来るということではないのじゃ。
 一つずつ集中して観察していけばできるようになるのじゃ。
 そのように観察してよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>710 出来るじゃろう。
 輪廻も慣習による依存が原因であるからのう。
 依存を作り出すことも出来るのじゃ。
 放って置くと涅槃に入ってしまうがのう。

712708:2016/04/07(木) 21:05:10 ID:Aja.e4x.0
>>711
小悟しました

713708:2016/04/07(木) 21:09:49 ID:OS8ljpdM0
あと>>710への回答で大悟したかも

714避難民のマジレスさん:2016/04/08(金) 05:12:58 ID:V7QCtwwo0
>>711
ありがとうございます

715437:2016/04/08(金) 07:55:40 ID:LgbIm9w20
和尚さま
私は足が固いので正座で座行をやっているのですが、座法を工夫してみたところ丹田に結構な熱が発生するようになりました

716避難民のマジレスさん:2016/04/08(金) 18:07:27 ID:1sAvBPl20
>>711
思考自体も以前は観察できるとは思っていませんでした。
思考の対象・行為・主体についても観察されるまで、一つずつ集中して観察することに励みます。
ありがとうございました。

717鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/08(金) 21:41:45 ID:odp9PAp.0
>>712 小五じゃな。

>>713 小六じゃな。

>>714 どういたしまして、またおいでなさい。

>>715 善かったのじゃ。
 そのような座法が善いのじゃ。
 やがて気が上昇し頭に入るじゃろう。
 姿勢が正しければそのままサマーディに入れるのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>716 そうじゃ、実践する者だけが進んでいくのじゃ。
 またおいでなさい。

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719避難民のマジレスさん:2016/04/09(土) 07:07:38 ID:iS4rUsHU0
空を感得する方法では、
1.このリンゴは空であり、有るものでも、無いものでもない。
2.このリンゴはリンゴではない、それ故にリンゴと呼ばれる。
とひたすら唱えるとよいとのことですが、どちらも同様の効果が得られますか?
もっともよい念じ方を教えて下さい。

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727そらいろ ◆EHlCk/f57s:2016/04/09(土) 11:55:13 ID:AnIFs9Ws0
鬼和尚
ときどき身体が動きを止めてしまいます。
仕事中とかトイレで便座に座った時とか。
これを書いている時もときどき止まりました。
眠いとか何もする気力がないというわけでもないです。
言葉には表せません。
心の動きが止まっているのでしょうか。
元に戻る意志を起こすとまた動き始めます。
止まったまま放っておくとどうなるのでしょうか。

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729避難民のマジレスさん:2016/04/09(土) 15:18:19 ID:czRftzgI0
和尚さんは家にテレビとラジオを置いてますか?
テレビはどんな番組を見ますか?

730避難民のマジレスさん:2016/04/09(土) 18:21:30 ID:czRftzgI0
というのも、近年芸能情報番組と犯罪特集のような番組を見るのが嫌になりました
ニュースと教養番組以外はなるべく見ないようにしています
これは健全なことだと思っていいですか

731鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/09(土) 20:22:40 ID:h2JSXckE0
>>718  精進あるのみなのじゃ。

>>727 集中力が身について心が止まってきたのじゃな。
 そのような不意な集中の時にこそ自我も見られたりするのじゃ。
 止まったままにしていてもいずれ動くじゃろう。
 集中力がつよくなれば何時間もサマーディに入ったままになるのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

>>729 テレビはあるがもう見ていないのじゃ。

>>730 それでよいのじゃ。
 余計な情報はいらないのじゃ。
 自分について知るほうが大事なのじゃ。
 自分を知れば全てを知ることになるのじゃ。

732708:2016/04/09(土) 21:20:46 ID:L8qAYQbY0
>>731
だな
まだくたばってられる暇なんかないわ

733避難民のマジレスさん:2016/04/09(土) 21:54:16 ID:LC3de7YgO
(´・(ェ)・`)ゞ鬼和尚、こんばんは。
無我の実感を得るとは、身体(脳)の機能としての思考、感情、感覚等が消えてなくなるということではなく、それらの「主体」が存在しないと言うことに気付けば良のでありますよね。
無我を実感し得たとしても、記憶喪失になるわけでも、感覚が麻痺するわけでも、思考できなくなるわけでもなく、
自分の思考、感情、感覚等の、「自分の」の部分がなくなるだけという理解で良いのでありましょうか?

734437:2016/04/09(土) 22:05:55 ID:LgbIm9w20
私としては無我はゲシュタルト崩壊みたいなものだと思う
五感と認識は存在するが、そこから生まれる全体性すなわち我という観念が消えるのではないかと思う

735708:2016/04/09(土) 22:30:02 ID:JgYDzCzQ0
>>734
そうそうゲシュタルト崩壊だよ
それが多分小悟って言われてるやつだと思う
大悟はゲシュタルトよりもっと大きいというか根本的なことだな

736避難民のマジレスさん:2016/04/10(日) 13:17:05 ID:LC3de7YgO
(´・(ェ)・`)/鬼和尚、こんな↓理解でもよいのでしょうか?

日常意識的にあり続けようとしても、ついつい無意識にいろんな事をしてるのであります。
てか、できちゃうんであります。
思考する時、感じる時も同じなのであります。
意識的に課題に取り組むこともできますが、無意識の反応として多くの課題を処理したり、バカにされたら反応として怒ったりしてるのであります。
で、「苦」に繋がるような怒りとか不安といった感情や思考に囚われたとき、それが「自分の」怒りであり不安であると意識されるのであります。
日常無意識にできちゃう事も、それは当然「自分が」してるのであって、無意識にしたことも責任は当然「自分に」あるのであります。
ここで、私がほざきたいのは、個体としての責任の有無の問題ではなく、
私の行動、私の思考、私の感情、というように「私の」と意識されずに行動、思考、感情が「生じている」という経験的な事実なのであります。
それらの思考、感情等の「観念」は必ずしも主体という「観念」がなくても生じるような気がするのであります。
で、ありますから「主体」という観念なく生じる思考、感情という観念を「意識」がとらえられるように励めば良いのではないかと思うのであります。
気がしたり、思ったりしてる頑固な自我ののうがきであります。
「無我」の実感とは程遠いのでありますが、
>無我なるものは、わが所有にあらず、わが我にあらず、またわが本体にもあらず。まことに、かくのごとく、正しき智慧をもって観るがよい。(南伝相応部経典22-15)
ということを、言葉として理解するヒントくらいにはなるのではないかと愚考するのであります。

737鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/10(日) 21:06:04 ID:4U82HgLs0
>>732 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。

>>733>>736>>734>>735 そのような理解でよいのじゃ。
 かなり正確にわかっているのじゃ。
 後は実践によって証明するのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

738避難民のマジレスさん:2016/04/10(日) 21:41:00 ID:LC3de7YgO
(´・(ェ)・`)ゞ鬼和尚、ありがとうございます。
思考、感情はあっても、その主体はない。
主体のない意識が全てになるので、無我を本当に実感できたあとは、意識が全てになるので、記憶から雑念が生じても容易く自動的にチェックされ、苦の原因が育たない・・・といった感じでしょうか。

痛みなどの感覚については、身体の機能としての、危険シグナルとして認識されるが、それを「苦」として受け止める主体がいないということなのでしょうか。それとも、サマディの効果として、本当に痛み等の 感覚がなくなるのでしょうか?
その場合、無我の実感を得るためにはサマディ-は必須ということなのでしょうか?

また、ゲシュタルト崩壊的な症状は、無我の実感や悟りを得るには、どうしても覚悟しておかなければいけないことなのでしょうか?

739708:2016/04/10(日) 23:44:43 ID:4mVUxtKoo
>>737
とっくの昔に実践してしまってますがね、誠に申し訳ないことに

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744437:2016/04/11(月) 12:23:34 ID:LgbIm9w20
和尚さま
私はまだ苦しみや恐れを滅していないようです
それは当たり前といえば当たり前です
何故か行が進まなくなり、多少の努力で少し深まったと思ったら急に焦りや苛立ちが出てきました

そのまま寝たら、禅定が深まれば自ずと消え去るから求めなくて良いと自分に言い聞かせてきた愛や苦しみが夢の中で再度現れてきました

無常故に何かを求めても手に入らないから求めなくてもいいと言い聞かせてきたのですが、それは賢いかもしれませんが根本には至らないようです

745避難民のマジレスさん:2016/04/11(月) 20:05:40 ID:LC3de7YgO
(´・(ェ)・`)/鬼和尚、こんばんは。
無意識にいろんなことが出来たり、思ったり、感じたりしてることは普通にありますが、無意識というか、主体の無自覚の状態と、無我の実感との違いは何でありましょうか?

746鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/11(月) 21:42:48 ID:h2JSXckE0
>>738 無我であればもはや苦を受ける主体が無いから苦も効果を及ぼさないのじゃ。
 まだ苦の反応はあるのじゃ。
 無認識になればもはや観念がなくなるから苦もないのじゃ。

 サマーディは必須ではないのじゃ。
 主体が無ければ苦を受けるものは無いのじゃ。

 気づきは瞬時に起きるものであるから、症状などはないのじゃ。
 それは自分ではなかったと気付き、安らぎが訪れるのじゃ。

>>739 大悟徹底まで精進あるのみなのじゃ。

>>744 それは未だ苦を避けている状態なのじゃ。
 その努力が続く限り、苦もまた続くのじゃ。
 自分に苦があると認め、それを受け入れて観察し。苦から逃避していることも観察するのじゃ。
 そしてその原因を心の中に追究し、原因からその苦が起こることを観察するのじゃ。
 更に原因が無ければ苦も無いことを観察するのじゃ。
 そうすればなくなるじゃろう。

747鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/11(月) 21:58:02 ID:4U82HgLs0
>>745 無意識にしたことはただ覚えていないだけなのじゃ。
 
 無我では行いも感覚もあるのじゃ。
 記憶することもあるのじゃ。
 主体無く行うことも認識しているのじゃ。
 そのように違いがあるのじゃ。

748避難民のマジレスさん:2016/04/11(月) 22:36:10 ID:LC3de7YgO
>>747
(´・(ェ)・`)ゞ鬼和尚、こんばんは。
> 無我では行いも感覚もあるのじゃ。
 記憶することもあるのじゃ。
 主体無く行うことも認識しているのじゃ。
鬼和尚、サマディ-にも至れず、ただなんとなく、日常思い出しては意識的にあろうとしているだけなのですが、なんとなく、無我の感覚・・・実感がもう少しでつかめそうな気がするのであります。 
ただ、それがあまりにも日常と変わらぬ当たり前のこと過ぎて、こんな簡単なことではないはずだという気もするのです。

例えば今、鬼和尚のレスを読み、更に質問をガラ携で打ち込んでる際の意識の主体は紛れもなく「私」なのです。
少し前までは、ぼぉっとほぼ無思考の状態で、生活音を聞き、天井をながめてる際の「意識」の主体も、紛れもなく「私」だと感じていたのですが、その感覚が稀薄になってきてるのです。
>気づきは瞬時に起きるものである

ということからすると、わたしのこの緩慢な感覚は、全くの勘違いか、無我とは真逆の自我肥大でありましょうか?

749避難民のマジレスさん:2016/04/12(火) 21:03:00 ID:LC3de7YgO
>>748
(´・(ェ)・`)ゞ鬼和尚、こんばんは。
↑このようななんちゃって無我でも、感情のコントロールには十分役立つのであります。
これらは教えていただきながら実践した「止観」の成果なのであります。
頑固な観念を集中により容易く消し去る実感、ある程度無思考であれる実感等は、実践をはじめてそう時間を経ずに得ることができました。
けど、生来の怠け癖、努力不足のため、極めて初歩的な段階にとどまったままにも関わらず、既に得ている実感をこねくりまわして、何か意味のあるものと思いたいという「自我肥大」であるような気がしました。

750鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/12(火) 21:13:58 ID:h2JSXckE0
>>748 自我を忘れることはよくあるのじゃ。
 強い集中や逆に力を抜いて寛いでいると忘我になるのじゃ。
 それは未だ無我ではないが、役に立つものじゃ。
 更に精進すれば明白にわかるようになるじゃろう。
 精進あるのみなのじゃ。

751避難民のマジレスさん:2016/04/13(水) 00:25:19 ID:LC3de7YgO
(´・(ェ)・`)ゞ鬼和尚、ありがとうございます。
無思考で寛いでいるときのなんちゃって無我が、常のものになるようにするのは、やっぱり真剣な修行が必要でありますね。

752437:2016/04/13(水) 00:37:40 ID:LgbIm9w20
>>746
和尚さま
ありがとうございます
ブログの記事に何度か書かれていた本当の観察には勇気が必要ということや746でおっしゃられたことを参考にして、もう一度見つめ直します

753437:2016/04/13(水) 00:48:35 ID:LgbIm9w20
>>746
和尚さま
生命体のほとんどの行動が苦からの逃避故の行動なのかと思います

すなわち苦がすべての行動の原因であり、言い方をかえれば苦が生命の原動力なのかと

おそらく私の自我のパターンとして苦しみや恐怖からの逃避もしくはそれを取り除いた時の安心というものに投射されやすいのかと思います。
正しく優れていて強ければ苦が少ないと考え、苦から逃れるための手段として正誤や優劣や強弱に拘ってしまうなどの癖があります。

754437:2016/04/13(水) 01:38:25 ID:LgbIm9w20
連レス失礼します
しかしながら、そういう風に正しく優れて強い人間ではないので苦しみは消えることはありません。
劣等感も強く、成し遂げられなかった、挫折したことなどの苦に執着するほうです。それと同じ苦しみが将来において再発するのかという恐怖が行動の原因になります。

書き起こしてみると、なんだか壊れた機械のようです。

連レス、そして長々と失礼しました。

755避難民のマジレスさん:2016/04/13(水) 02:18:04 ID:pOu9rGN60
鬼和尚、横から便乗質問です。

ふとした思いつきや閃きなど役に立つことが多かったのですが、
湧き上がった思考=煩悩=良くない と処理していました。
今まで、それらを煩悩としてすべて否定してきました。

覚えていれば、それは無我の状態だったのでしょうか?

756避難民のマジレスさん:2016/04/13(水) 07:18:01 ID:H7cyGbcE0
鬼和尚は相談者の現在過去未来も分かるとのことですが、私の世俗での職業が何かわかりますか?
一休トンチみたいな答えでなく。ダイレクトにこれこれであると指摘できますでしょうか

757437:2016/04/13(水) 18:01:48 ID:c.RQWqHY0
和尚さま
今思えば悩むまでもなくシンプルに、全ての観念を破壊すれば良いだけなのですね

独り合点しました

758鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/13(水) 20:42:31 ID:h2JSXckE0
>>751 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>752>>753>>754>>757 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>755 そうかもしれん。
 今気付いたのはよかったのじゃ。
 役に立つものは役立てたらよいのじゃ。
 囚われずに進むのじゃ。

>>756 何かを設計しているような感じじゃな。
 設計かデザイン師じゃな。

759避難民のマジレスさん:2016/04/13(水) 21:25:04 ID:H7cyGbcE0
>設計かデザイン師
7割くらい的中。
副業としてデザインの仕事もしているが、今のところ趣味に近い。
どんな「感じ」がするのですか?
絵が見えるのでしょうか

760避難民のマジレスさん:2016/04/13(水) 21:28:52 ID:H7cyGbcE0
絵と言うのは、私が何かを描いている姿が見える(ビジョン、イメージ)と言う意味で。
ちなみに、普段、生業としてやっている仕事は全く違います。

761437:2016/04/14(木) 14:22:51 ID:LgbIm9w20
和尚さま
自己同一性とは観念に過ぎませんね

過去と今の自分をみたとき同一の人格、主体を持って継続しているというのは、その観念があるからですね

記憶とかアラヤ識から生まれ続けている観念ですかね

762鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/14(木) 20:44:00 ID:h2JSXckE0
>>759>>760 映像が見えるのじゃ。
 おぬしが明るい部屋の机で何か書いているのが見えたのじゃ。
 変わった机なのじゃ。

>>761 そうじゃ、観念なのじゃ。
 記憶に依存しているからそれが本当の自分に思えるのじゃ。
 それもまた記憶から生まれる観念なのじゃ。

763避難民のマジレスさん:2016/04/14(木) 22:05:49 ID:pmF/k7l.0
机は無いですね。布団の上でねっころがって描く事が多いです。
テーブルはあるけど、普通のテーブルです。そこで仕事をすることも殆ど無いです。
つまり、鬼和尚が見たのは鬼和尚の観念であって、千里眼とかではないのでは?

764437:2016/04/15(金) 00:25:03 ID:LgbIm9w20
和尚さま
ありがとうございます
これからはどんな劣等感等や恐怖の観念を受け取らないという意思を起こしました
また、いくらか進歩がみられて
自分がどこにいるのか?というような
場所の観念と、肉体の境界線の観念を空じたところ揺らいでたゆたうような感覚が得られました

肉体的な観念を度した際はこんな感じですが、精神的な観念を空じた時に何が起こるのか楽しみです
精進します

765避難民のマジレスさん:2016/04/15(金) 14:06:25 ID:JBiIdwfI0
鬼和尚、私の職業も当ててみて下さい。

766避難民のマジレスさん:2016/04/15(金) 15:58:53 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん、私の職業も当ててみて下さい

767437:2016/04/15(金) 19:55:15 ID:LgbIm9w20
今思えば妄想にすぎない観念が原因で人が人を傷つけたりすることの罪深さや病的であることが納得できました

悟った人からすれば当たり前かもしれませんが

768鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/15(金) 21:29:38 ID:h2JSXckE0
>>763 エア机だったのじゃな。
 またあたってしまったのう。
 言葉に出来るものは全ては観念なのじゃ。
 見たものも観念として捉えるのじゃ。

>>764>>767 善いことじゃ。
 そのようにどんどん試して実践すると善いのじゃ。
 そのような気付きも訪れるじやろう。
 実践する者だけが進んでいくのじゃ。
 またおいでなさい。

>>765 何かを配達している気がするのう。
 アマゾンの配達員かも知れん。

>>766 おにぎりを並べている気がするのう。
 スーパーかコンビニの人かもしれん。

769避難民のマジレスさん:2016/04/15(金) 21:45:32 ID:lhxwN3Hw0
>>768
外れ。全然違います。

770避難民のマジレスさん:2016/04/15(金) 21:51:11 ID:pmF/k7l.0
全て観念だとしたら、当たるも当たらないも無いんじゃないですかね?
目の前の現実だって観念な訳だし。鬼和尚から観ると、私の目の前の布団は机に見えることもあるでしょう。
機械の部品がオニギリに見える場合もあるでしょう。
と言うか、単に今日見た風景からの連想じゃないかと言う気がするんだがw(配達は鬼和尚の生業なんだし)

771避難民のマジレスさん:2016/04/15(金) 22:08:25 ID:ObI.o8W.0
鬼和尚さん
ふと、体育を追求したいなと思ったのですが
体育と言っても、パワー 、リズム 、スピードだとかいろいろな要素があると思います

そこで聞きたいのですが
もし、鬼さんが体育教師だったらどのような方針を立てて人を指導しますか。
体育の本質とはなんでしょうか。

身体を筏と捉えて、超絶カスタマイズしたいのです。

772437:2016/04/16(土) 17:42:52 ID:LgbIm9w20
和尚さま
危うく精神崩壊しそうな出来事がありましたが、苦滅の法を試してみたところ、観念に気づくことができ、それなりに平静でいられるようになりました

また一時的ですが、肉体との厭離も見られるようになりました

人間は不都合があれば新しい観念を導入したり、己やその価値観を変えようとはします。
しかしながら、観念に振り回されている状態では心はままならず、また古い観念を滅することができなければ、根本の変化は訪れないと、これが苦滅法の真義なのかなと愚考します

偉大な知恵の教えに対してもはや感謝の念が尽きません
ありがとうございました

773避難民のマジレスさん:2016/04/16(土) 17:49:56 ID:qPbti4rw0
鬼和尚
地震怖いです
この先数年以内に日本で起こる大地震を教えてください

774鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/16(土) 21:12:54 ID:h2JSXckE0
>>769 おしいことじゃ。

>>770 そうかもしれん。
 
>>771 ヨーガとか気功法とか強健術とかを教えるじゃろう。
 肉体を健康にして育てることこそ真の体育なのじゃ。
 玉遊びとか踊り等は体育ではないのじゃ。

>>772 善かったのじゃ。
 法こそ苦の世を渡る筏なのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>773 そんなに起きないじゃろう。
 伊豆とかはプレートが重なっているから常にゆれるのじゃ。
 気をつけるとよいのじゃ。

775避難民のマジレスさん:2016/04/16(土) 21:45:48 ID:ObI.o8W.0
>>774
体育のことを聞いたものです。
最高のトマトを作るように、最高の体を育てたいと思います。
さらに執着を捨てて、何時でも乗り捨て出来るようにできれば完璧です。
ありがとうございました。

776437:2016/04/17(日) 00:04:53 ID:LgbIm9w20
和尚さま
一応ググってはみたのですが、腑に落ちない部分があるので
五蘊のそれぞれの解説をお聞きしてもよろしいでしょうか

777避難民のマジレスさん:2016/04/17(日) 06:28:40 ID:qPbti4rw0
>>774
>>773です。
よかった。ひと安心しました。
お返事ありがとうございました。

778素人A:2016/04/17(日) 07:18:47 ID:DS8MQdvg0
鬼さん見るだけ思うだけではバーチャルで無責任な夢を持つているひとがいる。
何のための宗教なのか?痛い棒で叩かれないと解らない感の悪い人がいるけど
人の痛みは解らない、自分が痛いと現実が受けいられるだけでは情けないけど
なんともならないけどまあそれぞれの苦労の結果だしこの世うで少しずつでもある苦の鴨

779避難民のマジレスさん:2016/04/17(日) 08:52:35 ID:czRftzgI0
鬼和尚、什麼生!
この世界は完璧ですか?

780避難民のマジレスさん:2016/04/17(日) 13:30:04 ID:LC3de7YgO
(´・(ェ)・`)ゞ鬼和尚、こんにちは。
あいかわらず、籾殻脳で愚考を続けてしまいます。
自我は観念に過ぎず実体はがないという際の、この「実体はない」と言うことは、永遠不変のものではないと言う意味でしょうが、この意味であれば、自分もいつか死ぬという点で、誰でも普通に理解できると思います。
実体はないと言うことと、不変の意識はあると言うことをセットで深く実感してみようと、不変の意識に没入してみようとの試みも有効でありましょうか?

781避難民のマジレスさん:2016/04/17(日) 14:44:34 ID:LC3de7YgO
>>780
(´・(へ)・`)ゞ
やることは、普通の「止観」と変わらないでありますね。
妄想をチェックし、無思考の状態をできるだけ維持し、そのとき、自分を忘れるほどに集中する。
ただ集中し観察している意識そのものが、不変の意識でありましょうから、はじめから不変の意識に没入というのは無理でありますね。
ちょぴっとがっかりであります。

782鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/17(日) 20:39:19 ID:h2JSXckE0
>>775 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>776 五蘊とは色受想行識、色身と感覚、思考、分別、認識等じゃな。
 色は肉体なのじゃ。
 受は感覚なのじゃ。
 想は思考などなのじゃ。
 行は分別する働きなのじゃ。
 識は認識なのじゃ。
 
 心身の全てなのじゃ。
 それほど難しく考えなくてよいのじゃ。
 自ら観察したことだけが真実なのじゃ。

>>777 どういたしまして、またおいでなさい。

783鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/17(日) 21:28:27 ID:h2JSXckE0
>>778 放って置いてよいのじゃ。
 苦がいずれ必要なことを教えるじゃろう。
 自ら進むだけなのじゃ。

>>779 無なのじや。

>>780>>781 何でも試してみるとよいのじゃ。
 試すことでわかることもあるじゃろう。
 実践あるのみなのじや。

784避難民のマジレスさん:2016/04/17(日) 21:40:23 ID:LC3de7YgO
>>783
(´・(∀)・`)/はい!
鬼和尚、ありがとうございます。

785437:2016/04/18(月) 02:17:24 ID:LgbIm9w20
>>782
色受想行識という順番に違和感があったのです
いま思えば

想のあとに行と識がくるのか?逆ではないのか?と思っていたのですが、
やはり想行識の順番であっていたようです。 
感覚があり、思考が生まれ、分別して、それを認識する。
重ねてお聞きしますが、分別がなければ認識はないのでしょうか
また思考がなければ分別はないのでしょうか
感覚がなければ思考はないのでしょうか

786避難民のマジレスさん:2016/04/18(月) 05:47:17 ID:czRftzgI0
>>779
自我を滅するを始めたところです。また来ます

787避難民のマジレスさん:2016/04/18(月) 18:58:35 ID:caSKVdkg0
鬼和尚さん、私も弟子にしてください
私はなにをすればいいでしょうか?
止観以外にやったほうがいいことはありますか?
よろしくお願いします

788鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/18(月) 20:26:55 ID:h2JSXckE0
>>784 どういたしまして、またおいでなさい。

>>785 分別が無くても認識はあるのじゃ。
 思考が無くとも認識はあるのじゃ。
 感覚が無くても思考はあるのじゃ。

 逆に認識が無ければ分別は無く、分別が無ければ思考などの心の働きは無く、思考などの心の働きが無ければ感覚も無いじゃろう。
 そのような依存した関係にあるのじゃ。

>>786 そうじゃ、何度も来るとよいのじゃ。

>>787 弟子にするのじゃ。
 善事をするのじゃ。
 無罪の七施などを心がけるのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

789避難民のマジレスさん:2016/04/19(火) 04:57:41 ID:yJCDfnRA0
鬼和尚、二つ質問です。

一つ目
数息観の集中対象は
出入りする空気ですか?
意識をかけている鼻の感覚ですか?
数えている数字ですか?

二つ目
初心の修行者としての日常生活は
食べるときは食べることに、仕事中は仕事に集中するようにした方が良いです?
それとも常時心の動きの観察に集中するようにした方が良いですか?

お教えてください。

790<削除>:<削除>
<削除>

791鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/19(火) 21:08:09 ID:4U82HgLs0
>>789 空気の出入りする感覚に集中するのじゃ。
 数字も間違えないようにするのじゃ。
 吐く息を数えるのじゃ。
 雑念がわいても無視して呼吸に集中し続けるのじゃ。
 やがて雑念は自然に止まるじゃろう。
 それを待つのじゃ。

 最初は集中するとよかろう。
 初心のうちは集中力が無いから強化するのじゃ。
 十分ぐらい集中し続けられるようになったら観察もすると善いのじゃ。

792789:2016/04/20(水) 05:58:39 ID:yJCDfnRA0
>>791
これからは瞑想も日常生活も>>791で頑張ります!
ありがとうございました!

あと鬼和尚、すいませんもう一個、追加の質問させてください。
今までは楽なので数字だけに集中してやってたんですが
何度か、雑念が湧くわけでもないのに
だんだん次の数字が浮かび辛くなって
そのまま数えなきゃと思うことも消えて
周りの音や気配も無くなって
意識はあるのに脳が働いて無いというか
シーンとしているだけになってしまったことがあります。
>>791の瞑想でもこのようになってしまった場合は
数字が浮かび辛くなった時点で集中が途切れたとして
瞑想を中断し、仕切り直したほうが良いのでしょうか?


>>790
はい!

793鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/20(水) 20:45:20 ID:h2JSXckE0
>>792 そのような時はそのままにするのじゃ。
 それこそ瞑想が深くなったときなのじゃ。
  深い集中の状態で思考や脳の働きも止まっているのじゃ。
 その意識にのみ注意を向けて、どこまでも深く入っていくとよいのじゃ。
 思考や脳の働きが無くとも意識はあることを気付くのじゃ。

794避難民のマジレスさん:2016/04/21(木) 01:20:55 ID:b9eN9uBE0
脳死からの臓器移植について和尚はどう思われますか?
脳が死んでても自我は体が生きている以上残ってるのでしょうか?
そうだとしたら意識はあるのに伝える手段がなく痛みも感じてるとすれば
とても残酷なことをしているように思えます。
五感は脳がなくとも感じるのですか?

795792:2016/04/21(木) 02:49:53 ID:yJCDfnRA0
>>793
また同じ状態になったときには
必ずそうします。
鬼和尚、ありがとうございました!

796鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/21(木) 20:33:19 ID:h2JSXckE0
>>794 脳の一部はまだいきているともいうのじゃ。
 自ら志願する以外はやらないほうがよいのじゃ。
 過渡期の技術じゃな。
 いずれ山中教授が自分の細胞で移植できるようにしてくれるじゃろう。
 それをまつとよいのじゃ。

>>795 どういたしまして、まくたおいでなさい。

797避難民のマジレスさん:2016/04/22(金) 08:16:50 ID:KT2BeK0g0
>>796
脳死で臓器移植とかは考えないほうがよさそうですね。
いつか代替臓器ができることを願います。ありがとうございます。

798避難民のマジレスさん:2016/04/22(金) 12:48:44 ID:qYQvs9ck0
鬼和尚、
苦滅の法を実践しているのですが、どうやら名誉欲が苦の原因になっているようです。
しかし、その名誉欲が何の記憶から生じているのかの追求が不十分なためか、苦が完全に厭離できていません。
何か観察のヒントなどがありましたら、お教えください。

799437:2016/04/22(金) 20:35:28 ID:LgbIm9w20
和尚さま
個性とはただの観念の過ぎないのでしょう。
たとえば世間的には、一つの肉体があり一つの精神があり一人の人格がありますね

仏教的を見るに人格というものは、肉体や記憶や観念に依存し、カルマにも依存するとします

ならば、人間AとBの肉体と記憶、観念、カルマをそれぞれ入れ換えたとします。
そうなるとAとBは人格的に完全に入れ替わります。
入れ替わる前のAと、元Bに対してAの肉体やAの記憶、Aのカルマを入れ換えたものの人格は完全に同じになります。
入れ替わった後のAが、元Bであったという感覚をもっていたとしてもそれは観念に過ぎませんね。

そもそも人格というものは、肉体や記憶や観念、カルマに依存して存在するものだとしたら、それらの条件X、Yが全く同一であるとき、とXとYは全く同じ人格を持つのでしょうか。

それを考慮すると人格もしくは、その存在を規定する条件がない時は、個我がなく、一なる意識、不生不滅の仏心に至るのでしょうか。

また、ある人Cの肉体、記憶や観念、カルマは時々刻々と変化しています。
現Cが、一分前はC'だったいうのはこれも観念に過ぎませんね。

この文章を書いているときに、小悟したかも知れません。

800437:2016/04/22(金) 20:43:33 ID:LgbIm9w20
鬼和尚さまの場合、
一なる意識に入るために必要だったこと即ち、個性=条件の破壊がアラヤ識を見破るという行為によって為されたのだと思います

801避難民のマジレスさん:2016/04/22(金) 20:45:06 ID:caSKVdkg0
鬼和尚さん
人工知能とかロボットなどが意志や思考、自我を持ったりすることはありえますか?
これらのようなものを持つような存在、ものは人工的には作れないのでしょうか?
また人間以外のものが悟ることはあるのでしょうか?


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