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鬼和尚に聞いてみるスレ part4
907
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/01/20(火) 22:04:10 ID:fy0MPBXU0
>>905
空と観想するにもやはり集中力が必要なのじゃ。
雑念に囚われていては修行も進まないのじゃ。
空と観想するにしてもやはり自分とは何か、知らなくてはならんのじゃ。
それを知るにはやはり観察によるしかないのじゃ。
結局は何をしても観察によることになるのじゃ。
それ故に観察が一番の近道なのじゃ。
>>906
良かったのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
908
:
避難民のマジレスさん
:2015/01/20(火) 23:42:14 ID:T2T86c5w0
>>907
ありがとうございます。
引き続き、瞑想がんばりたいと思います。
ですが、結局観察が必要なら、なぜ空などというものがあるのでしょうか?
909
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2015/01/21(水) 18:50:23 ID:L0pOmFww0
鬼和尚
最近は仕事がどうでもよくなってきました。
どうでもいいと言っても、手を抜くとかやりたくないとか辞めたいとか、そういうことではありません。
仕事とそれらとの結びつきが薄れてきました。
薄れてきたことによって、今まではそれらと結びついていたことがわかりました。
また、以前は仕事のアイデアを出す時、考えに考えを重ねて捻り出す感じでした。
家に帰っても、あの仕事はどうしようかとよく考えていました。
しかし今は、課題と条件を頭に入れると、考えなくても必要な時に降ったように湧いてくるようになりました。
910
:
避難民のマジレスさん
:2015/01/21(水) 20:50:42 ID:VyqQ..rM0
仕事の手があいたり、座ってちょっと静かになるとすぐに沈黙に引き込まれ没入するようになりました。
その間は体中が心地よさでいっぱいです。
何かをしだすと薄まっていきます。
一日中そんな感じ。
こういうものですか?
911
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/01/21(水) 21:51:30 ID:UEdcjEGI0
>>908
それは観察も拒むような苦や煩悩が人にはあったりするからなのじゃ。
あまりにも苦しい記憶は観察する事も恐れてしまい、観れないのじゃ。
そのようなものには空と観想して恐れも消すことが近道となるのじゃ。
修行の妨げとなる煩悩を消すために体質や性質によっては空を使うほうが良いことも有るのじゃ。
そのために創られたのじゃ。
>>909
良かったのじゃ。
執着が無くなり、智恵の働かせ方が判ってきたのじゃ。
智恵は必死に考えるより、心を無にしたときのほうが良く働くものじゃ。
定による智恵がわかってきたのじゃ。
>>910
そのようなものじゃ。
快が生じているのじゃ。
瞑想を楽しむことが出来れば進歩も早いのじゃ。
912
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2015/01/21(水) 23:43:08 ID:hw5NmCB20
>>911
ありがとうございました。
913
:
避難民のマジレスさん
:2015/01/22(木) 18:49:06 ID:SlB5RJYc0
鬼和尚、自分と他人に対する執着が強過ぎるので四念処をやってみたいと思いました
四念処は非常に重要な修行法なのに現代ではあまり行われていないのは何故でしょうか?
914
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/01/22(木) 21:28:28 ID:VnYNsnjs0
>>912
どういたしまして、またおいでなさい。
>>913
本当の観察がよくわかっておらず、効果も無いからじゃろう。
本当は身受心法についてありのままに観察する方法なのじゃ。
そのように観察すれば悟りにも至れるのじゃ。
あらかじめ不浄とか無常とかの結論があってそれをあてはめるのではないのじゃ。
それならば観察ではなく、観想になってしまうのじゃ。
何が見えてもありのままに受け入れるのが本当の観察なのじゃ。
おぬしは真の四念処の観察すると良いのじゃ。
そうすれば大きな効果があるじゃろう。
915
:
避難民のマジレスさん
:2015/01/22(木) 21:33:20 ID:6p4ETLTs0
鬼和尚、
テーリーガーターとテーラガーターを読んでみたのですが、三つの明知(宿命通・天眼通・漏尽通)を体得してから悟りを得られる方が多かったようです。
宿命通は前世を知る能力、漏尽通は苦を滅する能力であるというようなことを以前書かれており、それらを体得する具体的な方法についても教えて下さっていますが、天眼通についてもお教えくださいますでしょうか?
また、なぜ上記の三つの明知を経て悟りを得る人が多かったのでしょうか?
916
:
避難民のマジレスさん
:2015/01/23(金) 11:42:21 ID:SlB5RJYc0
>>914
ありがとうごさいます
917
:
避難民のマジレスさん
:2015/01/23(金) 16:40:51 ID:T2l6Rsvo0
>>911
ありがとうございます
空は観察を助けるための一種の道具みたいなもので、直接観察できるものには必要ないという解釈でよろしいでしょうか?
これからは止観の行に励みたいと思います。
918
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/01/23(金) 22:37:15 ID:L2e50PvU0
>>915
それは眉間などに集中していれば頭の中に映像として見えてくるものなのじゃ。
人によっては後頭部の方から見るとか、頭の中心に集中すると見えるのじゃ。
集中力が身に付けば、智恵も通力も身に付くからなのじゃ。
ヨーガスートラに詳しく書いて有るのじゃ。
集中とその結果として生じた智恵も力も自分を観察するためなのじゃ。
そればかりに囚われれば執着になり、逆に修行の妨げになるものじゃ。
気をつけるのじゃ。
>>916
どういたしまして、またおいでなさい。
>>917
そうじゃ、人の性質によって法も違うのじゃ。
観察が出来るものは観察をするのが近道なのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
919
:
避難民のマジレスさん
:2015/01/24(土) 08:38:37 ID:7rD9T5220
>>918
自分の観察ができるのでしたら、通力は脇道ですね。
真っ直ぐに自分の観察に励みます。
ありがとうございました。
920
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/01/24(土) 20:59:11 ID:K1tObT/o0
>>919
そうじゃ、囚われずに進むのじゃ。
またおいでなさい。
921
:
避難民のマジレスさん
:2015/01/25(日) 19:19:49 ID:LC3de7YgO
(´・(ェ)・`)/鬼和尚、今晩は。
悟りに急速に達する強力な修行方は何かないですかねぇ?
冬場の水ごりとか、断食に近い食事制限とかなら、チョピッと試したことあります。
多少ハードでもよいのでおすすめがありましたら、いうまでもなく自己責任で試してみたいたいので、ご教示ください。
長時間の座禅とかは有効でしょうか?
922
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/01/25(日) 22:32:09 ID:K1tObT/o0
>>921
長く座るのも有効じゃろう。
一番良いのは自分の心を観ることじゃ。
自分とは何か?
どのような心身の働きが起こる時、最も自分を感じるのか?
深く追求し、観察してみるのじゃ。
923
:
避難民のマジレスさん
:2015/01/26(月) 09:55:02 ID:LC3de7YgO
(´・(ェ)・`)/鬼和尚、ありがとうございます。
雑念少なく、座って呼吸や皮膚感覚等を五感で観察していると、観察している意識そのものが、まさに自我だと感じ、いったんそう感じてしまうと、「観察する意識がなければ自我はないと感じるか」 と縁起の法に持ち込むのはチョピッとむずかしくなりますが、その感覚を振り払い、いきなり無思考をイメージするようにすると、観察する意識が薄らぐ気がする。
ただ、観察する意識を自我だと感じる実感を潜り抜けて(?)、五感が直接感受する感覚そのものを観察していると、無意識に放置すれば、直に具体的記憶に基づく感情や雑念に転化して行くけど、五感そのものの観察に意識的にとどまろうとしているときに感じる、「観察する意識」=記憶による照合を受ける前の感覚を観察しようとする意識は、もしかすると「自我」の意識と多少異なるものなのかなと感じたりもしますが、果たしてこの先に道は開けるのか、錯覚なのか?
こんな感じであります。
以上要するに、観察する意識=自我 と感じることを縁起の法により乗り越えることに取り組むべきか、
記憶に基づく観念(=自我)による照合を受ける前の五感を観察する意識の存在を自我の意識にあらざる「意識」として、無我の実感に連なる可能性のあるものとして追求してみるべきかという感じであります。
924
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/01/26(月) 22:07:09 ID:bz1AwbfM0
>>923
あくまでも自我を追求するのじゃ。
自分と感じるものをよりくわしく確かに感じるのじゃ。
そしてそれが何なのか見極めるのじゃ。
それが思考だと感じるのならばそれを観察するのじゃ。
それが記憶と感じるならばそれを観察するのじゃ。
より詳しく確かに観ることができるほど、悟りは近づいてくるじゃろう。
925
:
避難民のマジレスさん
:2015/01/27(火) 19:57:56 ID:IJ1xbrcA0
鬼和尚、
昨晩、何を自分と認識しているのかをしつこく追及してみたところ、世界が揺れるような奇妙な感覚があり、続けていると軽い吐き気が起きました。
集中力が続かなかったためか、元に戻ってしまいましたが、これは自我の観照が近づいている吉兆と捉えて良いのでしょうか?
926
:
避難民のマジレスさん
:2015/01/27(火) 21:24:03 ID:SlB5RJYc0
鬼和尚、眉間に集中する瞑想はただ集中するだけでいいのでしょうか?
それとも何か光りをイメージするなどしたほうがいいのでしょうか?
927
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2015/01/27(火) 21:31:58 ID:lk1MMNPI0
鬼和尚
日々観察を続けていますが、感情と思考と記憶について、少しばかり見えるものがありました。
初めは過去の記憶(何かの出来事。遠い昔のことでも、最近のことでも。)を思い出し、それを手のひらの上でもてあそぶようにしています。
そのうち、徐々に思考が始まっていきます。
記憶を何度かくりかえして再生しているうちに、それを元にした思考が整っていきます。
この時思考は既に、私の気付かないところで、後のことまで見通していて準備万端です。
そして、思考は他者の存在を作り上げ、私に認識させます。
他者は、人であったり、世の中全体であったりします。
その他者は私を攻撃し始めます。
攻撃といっても、悪口を言ったり、暴力を振るうわけではありません。
私が不安になることをしてくるのです。
してくるといっても、私の思考が既にそのように計画していたことです。
私は攻撃に対して怒ったり、憤りを感じたり、反撃(反論、言い訳)したり、悲観したりします。
思考が他者の存在を作ったとき、同時に私は「我」の存在を生みます。
このように、記憶を元に、無いはずの他者を作り、同時に守るべき我を作り、感情を起こし、苦につながっていきます。
上記のようなことは、期限の決められた仕事で、期限までに完成できるかどうかわからないときに、顕著に起こっていました。
いわゆるストレスです。
しかし、それが仕事を完成させるためには何の役にもたたないことも分かります。
928
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/01/27(火) 22:43:04 ID:bz1AwbfM0
>>925
そうかもしれん。
自分が消える恐れによるストレスが強くて吐き気がしたのじゃろう。
それにこりずに追求していけば自分も見えるじゃろう。
精進在るのみなのじゃ。
929
:
避難民のマジレスさん
:2015/01/28(水) 03:03:58 ID:yBsj9SuA0
私達は単なる現象、反応なのですか?
例えればろうそくに付けた火のように様々な縁が組み合わさって
出来ているだけのように思えます。
火自体には決まった形もなく縁が無くなれば消えて終わります。
我々は火が自分だと思い込んでるけど本当はろうそくや空気のほうが
本来の自分、いわゆる不変な意識に近いのでしょうか?
930
:
避難民のマジレスさん
:2015/01/28(水) 12:17:43 ID:xQpSahzw0
>>928
世界が心によってつくり出されているということの片鱗を見た感じです。
自分が消える恐れの原因を観てみます。
また、結果はお任せして、自我の追求に励み続けます。
ありがとうございました。
931
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/01/28(水) 22:35:59 ID:bz1AwbfM0
>>926
それは自分のやり易い方法でよいのじゃ。
何もせずに集中するだけが良いならそれでよいのじゃ。
光とか神仏などをイメージしたほうが良いならばそうするとよいのじゃ。
神仏を信じるものならばそれをイメージすることで集中力も高まるからなのじゃ。
いろいろ試して自分にとって一番良い方法でやるのじゃ。
>>927
それもおぬしの心の中に在る条件付けの一つなのじゃろう。
原因を観察すればそれも消えるじゃろう。
大抵は親などから教えられたり、習慣として為されたものであるがのう。
さらに深く観察してみるのじゃ。
>>929
自分と思っているものはそうなのじゃ。
本当は実体がなく、記憶からの反応なのじゃ。
それを観察して気付けば自分という観念から自由になるのじゃ。
>>930
そうじゃ、精進在るのみじゃ。
またおいでなさい。
932
:
避難民のマジレスさん
:2015/01/28(水) 23:23:26 ID:SlB5RJYc0
>>931
ありがとうございます
933
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2015/01/29(木) 12:31:28 ID:gTqwEa360
>>931
ありがとうございます。
おそらく、これまでに読んできた本のうち、特に熱心に読んだものの内容が反映されていたのだと思います。
ところで、仕事中でも食事中でも何をしていても一日中気持ちいいときがあるのですが、もしもそのまま死んでしまったら気持ちいいままなのでしょうか。
934
:
素人A
:2015/01/29(木) 22:23:48 ID:R04/xEPU0
鬼おしょうさん時間が無ければ永遠不滅という変らない此処路なのか
時間の中では全て永遠が無いとおもいました。諸行無常の風が吹く
時間とは何ですか?過去はすぐ死んでいくし未来はまだ生まれていない
今はいつまでもいまで過ぎる事はないし?永遠の今?
935
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/01/29(木) 22:28:58 ID:BOCnrZnE0
>>932
どういたしまして、またおいでなさい。
>>933
そのままではないのじゃ。
生きている時の行いによってふさわしいところへ行くのじゃ。
誰も自らのお粉による報いから逃れられないのじゃ。
>>934
時間とは観念に過ぎないのじゃ。
変化していく物事を説明するために作られた観念なのじゃ。
本来はないものじゃ。
全ては永遠の意識なのじゃ。
936
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2015/01/29(木) 22:57:47 ID:lk1MMNPI0
>>935
ありがとうございました。
937
:
避難民のマジレスさん
:2015/01/30(金) 12:42:51 ID:W9x6FqRY0
鬼和尚、
自我の追求について、もう少し詳しくお教えください。
この追求は言葉無しで、ただただ自分と感じるものを観つづけるので良いのでしょうか?
自分と感じるものは観察の最中にも、座面の接触を感じる主体であったり、思考している主体であったり、観察している主体であったりと同時に複数存在し、それぞれが強くなったり弱くなったり、いつの間にか無くなったり存在したりしています。
私の感覚では思考が最も自分自身だと感じるのですが、思考を特に気をつけて観察するのでしょうか?
それとも、自分と感じられるものを複数同時にただ観察しつづけるのでしょうか?
938
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/01/30(金) 22:13:58 ID:Er6CYI2Y0
>>936
どういたしまして、またおいでなさい。
>>937
お釈迦様はそれらについて縁によって起こるものとして観察する事を教えているのじゃ。
思考が起こる時に自分を感じるならば、思考が起これば自分が起こると観察するのじゃ。
そして思考が無ければ、自分が起こらないとも観察するのじゃ。
さらに自分という認識から感触が在ると観察し、その主体として又自分が起こると観察するのじゃ。
自分という観念が無ければ自分の感触は無く、主体という観念も無いと観察するのじゃ。
常に縁によって自動的に起こるものとして観察してみるのじゃ。
939
:
龍華
:2015/02/01(日) 01:40:07 ID:kl1CR23s0
倩女離魂について教えてください。
倩女は[肉体]と[魂]が別々となり其々が違う人生を過ごしたとありますが、この物語は設定がおかしい気がします。
分身の術で[倩女Aの肉体及び魂]と[倩女A´の肉体及び魂]とに分かれて其々が違う人生を過ごたと書かなければ
[本物はどちらか?]という質問が成立しないと思うのですが、どうなのでしょうか?
あと分身の術どうやるのか教えてください!
片方が修業して片方は遊んで暮らします
940
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/02/01(日) 20:53:09 ID:MwO44iSQ0
>>939
肉体と魂という区分が在ればそう思えるのじゃ。
魂が実体と思うからのう。
昔の人は肉体も実体と思っていたのじゃ。
もう一人の自分の姿をイメージしていれば見えるようになるのじゃ。
他人にも見えるようになるのじゃ。
強い集中力があれば可能なのじゃ。
941
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/01(日) 21:36:21 ID:SlB5RJYc0
鬼和尚
もし神通力によって実際に仏様の居る世界に行ってきたとして、それで仏への信が生まれて
死後は必ず善い処に生まれられるということはあるのでしょうか?
942
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/01(日) 21:47:03 ID:SlB5RJYc0
>死後は必ず善い処に生まれられる
二度と三悪道には堕ちないに訂正させて下さい
943
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/02(月) 00:02:11 ID:kjsnS1Rk0
>>931
>>929
自分と思っているものはそうなのじゃ。
本当は実体がなく、記憶からの反応なのじゃ。
それを観察して気付けば自分という観念から自由になるのじゃ。
お答え有り難うございます。
名称と形態→肉体 が自分ではないとわかるにはやはり悟りしかないのですか?
名称と形態にとらわれなければ二度と肉体に生まれることもないと
最近読んでいるスッタニパータに書いてありました。
スッタニパータもお釈迦様の言葉そのものと考えていいのでしょうか?
また実は我々は死への執着があるからこそ肉体に生まれるのでしょうか?
944
:
素人A
:2015/02/02(月) 10:19:36 ID:gOqWUDAs0
鬼おしょさん 日本語凄い 例えば海。生み出すつまり環境も生み出す海だす
まあ外に色々あるけど駄洒落でも馬鹿にできない我 画 環境 観今日?
でも感つまり観が悪いと目の前に身得でも見えないあさってで。掴むはッ感だ
頭に無駄な考えが残っていると感が悪くなるし
945
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/02(月) 12:20:19 ID:IJ1xbrcA0
>>938
ありがとうございます。
縁によって起こるものとして観察するというのは、漫然と心の動きを観察しつづけるのではなく、観察対象の因果関係に気をつけて観察するということでしょうか?
それとも、認識の変わり目に気をつけて観察するということでしょうか?
その場で気をつけようとすると、その心の動きが生じるのですが、かまわずに観察しつづければ良いでしょうか?
946
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/02/02(月) 22:12:32 ID:MwO44iSQ0
>>941
>>942
あるかもしれん。
しかし人には自由意志があるから何でも自分の意志によって決められるゆえに、
そうならないこともあるじゃろう。
本人次第なのじゃ。
>>943
そうじゃ、悟りを得た者には、もはや肉体も己ではなく己のものでもないとわかるのじゃ。
そう考えてよいのじゃ。
個我があると思えば死への執着もあるじゃろう。
自ら死ぬものも多いからのう。
>>944
そうかもしれん。
しかし日本語にも囚われずに進むのじゃ。
>>945
そのように因果関係に気をつけて観察するというようなことじゃ。
心を観察してみれば実際に縁によって起こることがわかるじゃろう。
気をつけようとすると、心の動きが生じるというのも縁によって起こった心の働きなのじゃ。
それも観察すると良いのじゃ。
今ここで起こる全てを観察し続けるのじゃ。
947
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/02(月) 22:30:58 ID:SlB5RJYc0
>>946
ありがとうございます
948
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/03(火) 20:54:43 ID:zymYeoR20
>>946
ありがとうございます。
因果関係に気をつけて観察をしてみました。
確かに縁によって次々と心の働きが起こるのは観えるのですが、どうしても思考が起こるとそれに巻き込まれがちです。
また、2つ3つの因果関係はなんとか観察しながら把握できるのですが、それ以上になると言葉で追認しないと何がどうなっているのか分からなくなってしまいます。
もしかして、縁によって次々に自動的に起こるのを観れば良く、起こったことは覚えていなくとも良いのでしょうか?
以上のことも含めまして、何かアドバイスをいただけますとありがたいです。
949
:
龍華
:2015/02/03(火) 21:02:57 ID:kl1CR23s0
>>940
見えるようになる、 とは見えるだけの虚像なのでしょうか
お互いにどつき合ったり囲碁将棋を打ったりできないのですか
950
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/02/03(火) 23:06:23 ID:FOt16PP20
>>947
どういたしまして、またおいでなさい。
>>948
数息観などの集中力を養う瞑想をして、雑念を流せるようになれば思考にも巻き込まれないようになるじゃろう。
それまで精進なのじゃ。
それを記憶しておく必要は無いのじゃ。
知識を集めるためではないからのう。
次々に起こっては消えるその縁起を観察していけばよいのじゃ。
その観察が、観察対象を厭離させる気づきをもたらすのじゃ。
>>949
おぬしには見えるようになり、上達すれば他人にも見えるようになるのじゃ。
おぬしが考えることは何でも出来るようになるのじゃ。
それも含めて現世は全て観念に過ぎないのであるからのう。
それらに余り囚われないほうが良いのじゃ。
951
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/04(水) 21:59:33 ID:TkQxuahg0
和尚、こんにちは。
和尚は氣の存在についてたまに触れていますが、
相手の氣によってこちら側が影響を受けることはあるとお考えでしょうか。
相手の性格をあらかじめ知っている場合ではなく、
例えば、内心が嫉妬や妬みで渦巻いている人に触れられたり、一緒にいたりしていた場合などにです。
仙道とかだと邪気をもらうなどと言ったりしますが、
実際に目に見えないエネルギーの移動のようなものはあるのでしょうか。
952
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/04(水) 22:13:24 ID:SlB5RJYc0
鬼和尚
毎日仏壇で手を合わせていますが仏への信が足りません
どうすればより仏を信じれるようになりますか?
仏の持つ偉大な徳を信じるとかすればいいでしょうか?
953
:
素人A
:2015/02/05(木) 08:42:40 ID:gOqWUDAs0
この世うもあの世うも観念だと明らめて現実も幻実も拘らずに
仲善き道を歩けば色即是空は空即是色になる。みんな真っ直ぐ
歩いている?なのに真っ直ぐが解らないと.でも真っ直ぐは真っ直ぐ
歩いている野鴨
954
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/05(木) 19:21:10 ID:zymYeoR20
>>950
ありがとうございます。
数息観で雑念を流すことはできるのですが、雑念を見守ろうとすると、3回に1回くらいは巻き込まれてしまうようです。
さらに集中の瞑想にも精進します。
縁起の観察で、複数の心の動きを同時に観察している場合には、それぞれの縁起を観るようにすれば良いのでしょうか?
例えば、耳から聞こえた音に対して生じる思考と、喉に生じた違和感から生じる思考がそれぞれあったとします。
その場合、片方に集中したりせずに2通りの縁起、すなわち耳識→思考と、喉の感覚→思考とを観察していけば良いのですか?
955
:
龍華
:2015/02/05(木) 20:09:06 ID:kl1CR23s0
>>950
ありがとうございました。
あまり囚われてはいないのですが、少しは囚われたい
お手頃な釣り餌とか手近な目標みたいなのが何かない物かと。
分身の術はちょっと遠すぎた梯ですが。
956
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/05(木) 20:57:47 ID:SlB5RJYc0
鬼和尚
私は死後善い処に生まれたいので仏への疑いを完全に無くしたいのですが
疑いなく信じることは可能なのでしょうか?
957
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/02/05(木) 22:56:44 ID:Dnw.DIk60
>>951
気に対して非常に敏感ならば影響を受けることも在るじゃろう。
大抵の者はそこまで敏感ではないから影響は受けないのじゃ。
敏感なものはラジオの電波が受信できるようなものじゃ。
感じなければ影響はないのじゃ。
>>952
今の信で十分なのじゃ。
大事なのは善事や修行を実践することなのじゃ。
それが信仰も生むのじゃ。
信じるとは未だ真実かどうかわからないことを真実とみなすことなのじゃ。
実践して真実を体現すればもはや信じる事よりも確実な効果が有るのじゃ。
>>953
自らの実践によって確かめたことを事実として進んでいくが良いのじゃ。
それがまっすぐな道なのじゃ。
実践が全てなのじゃ。
958
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/02/05(木) 23:02:12 ID:Dnw.DIk60
>>954
そうじゃ、心の働きが二つに分かれれば、それをありのままに観察すればよいのじゃ。
それも集中力があれば出来ることなのじゃ。
心に現れたことは何であろうとありのままに観るのが観察なのじゃ。
そけが出来れば観察対象の心は厭離され、それが己ではなく、己のものでもないと気付くことも出来るのじゃ。
>>955
いろいろ試してみると良いのじゃ。
失敗しても何かがわかるじゃろう。
実践が全てなのじゃ。
>>956
疑ってよいのじゃ。
信じていても人を苦しませる悪いことをしていれば悪いところにいくじゃろう。
信じなくとも人を喜ばせる善い事をすれば善い所にいくじゃろう。
人は行いによってふさわしい所に行くのじゃ。
959
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/06(金) 01:06:18 ID:SlB5RJYc0
>>958
2つの回答ありがとうございます
960
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/06(金) 07:51:06 ID:7iY4VAKQ0
鬼和尚は何か楽しいことありますか。悟るとみんな楽しめますか。
961
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/06(金) 09:42:48 ID:TkQxuahg0
>>957
和尚、お返事ありがとうございます。
>感じなければ影響はないのじゃ。
なるほど。
ということは、知識があるために生じる思いこみ要素が強そうですね。
あまり気にしないようにします。
ありがとうございました。
引き続き実践に励みます。
962
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/06(金) 12:10:19 ID:.h3KCDlo0
>>958
ありがとうございます。
縁起の観察をしているのですが、確かに心の動きは自動的に起こっているようです。
自我の生起の瞬間はまだ捉えられていないのですが、常に思考、感情、感覚の後に現れます。自我自体は何もしていないようです。
また、悟りを得るのを阻んでいることとして、実際に観察したことに対してさえ、それが本当かどうかを疑っているというのもあるのではないかと気づきました。
この疑いの心は苦滅によって厭離して良いと思うのですが、できれば手放したくないという気持ちです。今すぐに手放しても良いのでしょうか?
また、もし全てが縁により自動的に起こるのでしたら、何かを選択する時にも、選択をすることとしないことは、(自分の感覚に反して)自動的に行なわれるのでしょうか?
例えば目の前にサイコロがあったとして、それを振るか振らないかは主体なく決まるのではないかと思うのですが、それは、どうやって決まるのでしょうか?
やはり縁なのですか?
963
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/02/06(金) 22:51:27 ID:Dnw.DIk60
>>959
どういたしまして、またおいでなさい。
>>960
そうじゃ、苦が無ければ全て楽しいのじゃ。
瞑想も楽しいのじゃ。
世間の欲に心をすり減らすよりも、むしろ瞑想を楽しんだらよいのじゃ。
健康にも成れるというのじゃ。
>>961
そうじゃ、まさに気のせいなのじゃ。
気にしなければ悪影響もないのじゃ。
>>962
それに気付いた事で、もうその疑いの効力は無くなりつつあるじゃろう。
それが気付くことの力なのじゃ。
手放そうと思うことも無く、ただ観察し続けるのじゃ。
そうすればより深く自分を知ることが出来るのじゃ。
観察に身を委ねる事で、観察そのものになるのじゃ。
条件づけられた習慣によって決まるのじゃ。
それを縁起として観察する事も出来るのじゃ。
例えばその行為が賭け事ならば、賭け事を悪いものとして教えられた者は振らないようにするじゃろう。
そのような条件付けられた習慣によって、大抵の者の意志は決まるのじゃ。
964
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/07(土) 10:36:51 ID:OdMybscU0
>>963
観察そのものになるのですね。
また、習慣と選択に関してお教えくださりありがとうございます。
これ以上のことは自分で確かめてみます。
ありがとうございました。
965
:
善慧
:2015/02/07(土) 20:18:59 ID:G4JyaHHU0
鬼和尚さま、この世界には本当は誰もいないのでしょうか?
かなり混乱しています。怖くなったというのが本心のような気がします。
アドバイスいただけるとうれしいです。
966
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/02/07(土) 21:08:58 ID:Dnw.DIk60
>>964
そうじゃ、精進在るのみじゃ。
またおいでなさい。
>>965
いないのじゃ。
しかしそれほど気にしなくてよいのじゃ。他人も自分としてあるともいえるのじゃ。
生活には何の支障もないからのう。
あくまでも真実を求める修行者以外には意味はないのじゃ。
ただ自分の観察したことを事実として受け止めればよいのじゃ。
自分が何をしたいのか、自分の心を観察して決めればよいのじゃ。
967
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/08(日) 09:09:49 ID:ToM741HY0
鬼和尚は悟った時の無とこの有の世界を自由に行き来できるのですか?
無の体験(悟り)は一度で良い。とある悟った人が言っていました。
一度すればもうしなくてよいのですか?
968
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/08(日) 14:52:29 ID:7y8eTFSM0
動物を食べるという行為はどう思われますか?
私は以前生き物を殺してまで食べるのがどうも嫌で一時期
菜食になっていた時期も長かったです。
ここ何年かはあまり気にせず食べたいものを食べていたのですが
和尚様のブログやここやダンマパダを読んでいるうちに又
自分の食のために殺生するのはどうかなって考えが起こりました。
「殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ」とダンマパダに書いてありますが
生き物を食べることについてのご意見をお聞かせくださいませ。
和尚様は以前生きるために食べるのは仕方がないが利益や欲のための殺生は
よろしくはないと書いてあったのは覚えていますが。
969
:
善慧
:2015/02/08(日) 20:09:10 ID:aP2RwSrA0
真実は峻厳ですが、かぎりないやさしさも感じます。
心の中が涙でいっぱいでまだ前がよく見えませんが、
改めて修行の大切さを知ることができました。
鬼和尚さま、本当にありがとうございます。
970
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/02/08(日) 23:24:34 ID:M2rBv3mo0
>>967
有も無も無いのじゃ。
その世界も無いのじゃ。
ただ自分が在ると思っていたからさまざまな謬見があったと気付くだけなのじゃ。
一度気付けばもはや二度と妄想には陥らないのじゃ。
>>968
それに囚われないのが一番よいのじゃ。
食べないですむならば食べなければよいのじゃ。
人に薦められたら食べてもよいのじゃ。
食べ物に囚われるより、自らの心を観ることが大事なのじゃ。
>>969
そうじゃ、精進在るのみなのじゃ。
またおいでなさい。
971
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/09(月) 14:32:53 ID:KUaEudG20
>>946
のお答えと
>>970
の
お答え有り難うございました
スッタニパータは最近時間あるごとに読んでいます。
食にかぎらず何事にもとらわれずに心を観察していこうと思います。
人に進められたら頂きます。与えられたものはありがたくいただく ですね。
972
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/02/09(月) 21:46:33 ID:Dnw.DIk60
>>971
そうじゃ、実践が全てなのじゃ。
またおいでなさい。
973
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/09(月) 23:56:10 ID:aNxujPnI0
瞑想をしよう、集中しよう、とした時はあまりうまくいかないです。
何かやっていて眠くなってきたら、すかさず寝ないように瞑想すると、
うまくいくことが多いです。
これは集中ではないのでだめですか?
また、数息観が退屈で続かないので、音楽(バッハ)をかけてやっているのですが
だめですか?
974
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/10(火) 09:14:33 ID:FqjD2ybs0
和尚、こんにちは。
悟った人は冬の寒い朝とかに布団から出るのが億劫になったりしないのでしょうか。
それとも、そういう思考は生じるものの、ただ生じているだけという感じなのでしょうか。
最近また寒くなったせいか、布団の温もりに対する執着がすごいです。
975
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/02/10(火) 21:01:45 ID:YQCrrY8.0
>>973
それでよいのじゃ。
何でもあまり力を入れすぎるより、肩の力を抜いたほうがうまくいくのじゃ。
力を抜いていても呼吸などに集中しているならばよいのじゃ。
音楽をかけてもよいのじゃ。
いずれ静かなほうがよくなったら消してもよいのじゃ。
囚われずに進むのじゃ。
>>974
ならないのじゃ。
熱いとか寒いとかも気にならないのじゃ。
呼吸法とかをやるとよかろう。
体が温まるのじゃ。
976
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/12(木) 00:12:45 ID:FqjD2ybs0
>>975
>熱いとか寒いとかも気にならないのじゃ。
すごい境地ですね。
お返事ありがとうございました。
引き続き実践に励みます。
977
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/12(木) 15:04:14 ID:BwDSqr2o0
鬼和尚、
ダンマパダ 295の解説をお願いします。
295 (「妄愛」という)母と(「われありという慢心」である)父とをほろぼし、(永久に存在するという見解と滅びて無くなるという見解という)二人の、学問を誇るバラモン王をほろぼし、第五には(「疑い」という)虎をほろぼして、バラモンは汚れなしにおもむく。
978
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/02/12(木) 21:31:22 ID:x2oWNnO20
>>976
どういたしまして、またおいでなさい。
>>977
それらは世間的な常識による価値観を滅ぼすために言われたのじゃ。
愛着と我が在るという観念は世間の常識の根本になっているものじゃ。
それはあたかも人の根本である父と母の存在のようなものじゃ。
愛する事はあらゆる世間の法で奨励され、個我が在るという観念から一切の社会が生まれるのじゃ。
それらは真実を求める修行者には生涯であるから滅ぼして進まなければならんのじゃ。
そしてこの世が永遠に続くとか永遠ではないとかの観念による無用な論議をなくすのじゃ。
いかなる観念も妄想でしかない故に、そのような観念を持つことは生涯でしかないのじゃ。
さらに修行の道への疑いを無くせば、日々修行に励むことが出来るのじゃ。
そのように世間の常識や観念の論議や疑いなどの五つの障碍を越えて修行に励むのじゃ。
979
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/13(金) 10:29:51 ID:oPkJVoYw0
↑×生涯
○障害
980
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/13(金) 11:05:38 ID:L0gmLFpo0
スーパーのうずらの卵からコンスタントにうずらが孵るという話を聞き、うずらを飼ってみたくなったのですが
糞のしつけができないために衛生を保つため頻繁に床に敷いた砂を洗う(具体的にどういった作業かも分かりません)必要があると知りました
どうしたらいいのでしょうか
981
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/13(金) 17:52:28 ID:.h3KCDlo0
>>978
険しい道ですが、進むにつれてこれら五つの障害が弱まっていることも自覚できます。
さらに励みます。
ありがとうございました。
982
:
sage
:2015/02/13(金) 18:26:59 ID:Raj5VtbI0
鬼和尚
私はニートで毎日することも、したいこともありません。
瞑想も計一時間くらいしかできません。
誰にも合わず何もしないでただ居ると妄想をしだして気が狂ってきてしまいます。
私は何をすればよいでしょうか。何をすることが健全でしょうか。
983
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/13(金) 20:47:14 ID:aNxujPnI0
>>975
ありがとうございます。
いまの感じで問題ないみたいなのでこのまま精進します。
984
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/02/13(金) 21:10:23 ID:x2oWNnO20
>>979
そうじゃ、間違えたのじゃ。
障害なのじゃ。
ご苦労さんなのじゃ。
>>980
猫とか犬用の砂で交換したらよいかも知れん。
新聞紙とかを細かく切ったのでもよいかも知れん。
外で飼うとよいかもしれん。
いろいろ調べて試してみるのじゃ。
>>981
そうじゃ、精進在るのみじゃ。
またおいでなさい。
>>982
一時間も瞑想をするとはたいしたものじゃ。
旅に出るとよかろう。
あるいは体を良くするとよかろう。
健康になれば意欲も出るものじゃ。
西式健康法でもやるとよかろう。
さらに肉体を鍛えるのもよいのじゃ。
心身を鍛えて意欲を引き出すのじゃ。
いろいろ試してみるのじゃ。
985
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/02/13(金) 21:11:05 ID:x2oWNnO20
>>983
そうじゃ、実践在るのみじゃ。
またおいでなさい。
986
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/14(土) 11:39:30 ID:FqjD2ybs0
和尚、こんにちは。
上記の漢字間違いについてですが、
和尚のような人でも間違うことがあるということは、
サマディを得られるような集中力を持っている人でも間違うことはあるということですよね。
私は仕事上、数値的なミスがあまり許されない環境にいるせいか、
間違えてはいけないという観念から強迫神経症のようになり、何度も同じことを確認してしまいます。
仕事だけならいいのですが、家のカギや水道の蛇口などもやはり確認してしまいます。
無意識でやっているならまだよいのですが、
自分でバカなことやってるなーと気づいていながらも確認してしまう時があります。
これもまた習慣によるものだということはわかるのですが、
なにか抜け出す方法のようなものはないでしょうか。
よろしければご教授ください。
987
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/02/14(土) 21:15:59 ID:x2oWNnO20
>>986
そうじゃ、お釈迦様でも間違えたりするのじゃ。
それは特に気にしなくてよいのじゃ。
確認するのはよいことじゃ。
気にすることを気にしてはいかんのじゃ。
何度も確認しなければ気がすまないならば、一度目に指差し確認とかをするとよかろう。
自分の動作で確認すると、記憶が確かになって二度も三度もしなくてよいとわかるのじゃ。
声に出して確認するのもよいのじゃ。
なれれば小さな動作や声でよくなるのじゃ。
いろいろためしてみるのじゃ。
988
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/14(土) 23:00:30 ID:FqjD2ybs0
>>987
お返事ありがとうございます。
>確認するのはよいことじゃ。
>気にすることを気にしてはいかんのじゃ。
確かに、確認している時でも本当に確認している訳ではなく、
確認しているという行為そのものを気にしているだけでした。
確認するのは良いことと聞き、
ちょっと試しに「これは良いことなんだから何回も確認してやろう」と思って
水道の蛇口を閉めてみたのですが、不思議なことに一回で終わってしまいました。
たぶんですが、嫌気を覚えつつ行為に及んだ場合、
行為そのものよりも嫌だという瞋りの心の方にメモリが割かれてしまうのかと思いました。
これからは良いことだと思いながら確認するようにしてみます。
しかし意識のかけ方ひとつでここまで楽になるとは驚きました。
もちろんまだ完治は遠いでしょうが、
他にもアドバイスしてくださった五感を使った方法など、いろいろ試してみたいと思います。
ありがとうございました。
引き続き実践に励みます。
989
:
sage
:2015/02/15(日) 18:06:38 ID:Raj5VtbI0
鬼和尚
ラジニーシが言っている「古典的音楽」とはバッハとかモーツァルトの音楽じゃなくて、
風や水の音や動物の鳴き声とかの事ですか。
瞑想するとき、しばしば人為の音楽が脳内再生されて邪魔をするんですが、
音楽を聴くのはやめたほうがいいでしょうか。
音楽家と瞑想家を両立することは無理なんでしょうか。
990
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/02/15(日) 21:09:30 ID:x2oWNnO20
>>988
良かったのじゃ。
実践在るのみなのじゃ。
>>989
それぞれの民族に古くから伝わる音楽なのじゃ。
それらはもともと神にささげる音楽であった故に、人を神聖な心境に導くのじゃ。
それでよいのじゃ。
その音に身を任せるのじゃ。
音と一つになるのじゃ。
音楽によって深い瞑想に入ることは容易になるのじゃ。
オショーも薦めているのじゃ。
音楽と一つになる道を探すのじゃ。
991
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/16(月) 17:53:42 ID:.F64Ot560
炭水化物をしばらく絶ってケトン体とやらを脳の直接の養分にできる状態になると
いわゆるパラグラフ的でない古めかしい文章が良く理解できるようになったりと思考に(良い?)変化があるようです
現代人は飽食なのでなかなかなりませんが潜在的にそちら方面の能力が衰えたりしてしまわないのでしょうか
和尚様が普通に出されたものを食べよとおっしゃる心には何がありますか?
992
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/02/16(月) 21:38:29 ID:x2oWNnO20
>>991
そのように衰える機能も在るじゃろう。
しかし環境も次々に変わる故に、囚われる必要も無いのじゃ。
この肉体が在るうちに自分を観る修行に専念することこそ重要なのじゃ。
食べ物が何であろうと日々の修行で悟りに必要な集中力と観察力は身に付くものじゃ。
囚われずに進むのじゃ。
993
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/16(月) 21:52:43 ID:.F64Ot560
炭水化物はやはり新しく発達した大脳に必要らしいので摂りたいのですがケトン体を使う頭脳も活性化したいのですがどうしたらいいでしょうか
そういえば1日程度の断食を細かく繰り返す人もいますが体に悪影響はないでしょうか
ココナッツオイルを摂ると勝手にケトン体とやらになって目的を達成できそうですが体に悪いと昔言われていた成分なので怖いです
994
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/02/17(火) 20:59:02 ID:UpGXeInk0
>>993
脳には糖分を与えたらよいのじゃ。
炭水化物だけでよいのじゃ。
わしも一日断食をたびたびしてみるが悪くは無いのじゃ。
健康になるのじゃ。
一度試してみたらよいのじゃ。
悪かったらやめたらよいのじゃ。
995
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/18(水) 08:32:39 ID:FqjD2ybs0
和尚、こんにちは。
気分の浮き沈みについて教えてください。
何かの物事に対して喜んだり落ちこんだりすることがあります。
というよりも、日々これの変動の中で生きているようなものです。
いま喜んでるなーとか、いま落ちこんでるなーとかいうのは
その都度その都度で気がついたりするのですが、
喜びや落ちこみという感情(反応?)がなくなるわけではありません。
これら反応は瞑想やサティなどをやっていると、やがてはなくなっていくものなのでしょうか。
また、普段どのような心持ちでいればよいか教えていただけませんか。
996
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/18(水) 14:31:17 ID:ZJWwXXrc0
鬼和尚さま
肉体を持たない意識体、高次元の存在というものはいるのでしょうか?
そういったものはどこまで自分の脳内妄想かわからないので気にしないできましたが、
覚者の本でもそういうことに関しての記述をたまに見かけます。
意外なところでテーラワーダ仏教の本でもそういうことが書かれてますが、
どうなのでしょう。
そういったものは自分の心の生み出した妄想で気にするなという話と、
実際にそういう存在、領域があるのだという話がありますが、
鬼和尚さまはどういう立場でしょうか?
鬼和尚さまはそういった存在が見えたり交流したことはありますか?
997
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/02/18(水) 21:43:59 ID:UpGXeInk0
>>995
それらは心の中を深く観察して原因まで気付けばなくなっていくものじゃ。
慣れれば日常でも滅することが出来るようになるじゃろう。
そして瞑想が深くなればそのような起伏も少なくなっていくものじゃ。
それが平常心なのじゃ。
驚くようなことがあっても直ぐに平静になるのじゃ。
何があっても過ぎ行くものとして観察して過ごすのじゃ。
やがて囚われなくなるじゃろう。
なにものにも囚われなければ心も乱れず、修行も進むのじゃ。
>>996
そのようなものはあるが、この娑婆世界とは無関係なのじゃ。
おぬしが蟻や細菌の世界に無関係であるようにのう。
それを知識で知っても生涯かかわりあうことは無いのじゃ。
そのようなものは見えず、交流することも無いのじゃ。
この世に居るものは自らの苦を滅するために修行すべきなのじゃ。
998
:
996
:2015/02/19(木) 00:56:49 ID:i.XQKOMM0
>>997
そうなのですか。
この世界に生まれてきたものはこの世界での修行をすべきとのお言葉に受け取りました。
ありがとうございました。
999
:
素人A
:2015/02/19(木) 07:57:18 ID:Ft/Zr72A0
>>966
鬼さんそうかも知れないね たとえば将棋で強い人し将棋で負かされてばかり楽しくないし
弱すぎる人の相手はいやだし、自分と同じ位の人と勝負して勝ったりまけたり
が一番修行になつて歩苦のかも?自分に会った問題を少しずつ歩くのが世界いや
正解鴨
1000
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/19(木) 09:16:56 ID:FqjD2ybs0
>>997
>それらは心の中を深く観察して原因まで気付けばなくなっていくものじゃ。
なるほど。激しい起伏は気づきやすいので、すぐに原因を突き止めたりはしているのですが、
普段の何となく落ちこんだりしている気分に対してまではしていませんでした。
よくよく観察していきたいと思います。
お返事ありがとうございました。
引き続き実践に励みます。
1001
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/19(木) 12:24:37 ID:wH0JIS760
鬼和尚、
瞑想をしていて、以下のことに気づきました。
思考や感情や感覚は起こったり消えたりするのですが、それらが静まるといつも、それら全てを観ている認識があります。
その認識は寝起きにも感じられるのですが、これが阿頼耶識なのですよね。
それで質問なのですが、阿頼耶識もまた縁起により起こったり消えたりするのでしょうか?
また、もし阿頼耶識に同調し続けられるのならば、他の何にも巻き込まれずに観察できるので、自我の起こりを観るのに有利なのではないかと思います。
サマーディの状態から自我の起こりを観た人は多いそうですが、阿頼耶識から自我を観るのとどちらが易しい道でしょうか?
それとも自我が忘れられているかどうかの違いだけで、結局起こることは同じですか?
1002
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/19(木) 19:01:49 ID:.F64Ot560
http://world-fusigi.net/archives/7807516.html
極限まで集中力が高まると〜 と書いてありますが、仏教で鍛える集中力と同じですか?
1003
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/02/19(木) 20:34:13 ID:vSU0SxZE0
>>998
そうじゃ、この世で精進在るのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>999
そうじゃ、自分の道を行くしかないのじゃ。
実践在るのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>1000
そうじゃ、観察力が上がればそれも可能なのじゃ。
日々の精進で出来ないことも出来るようになるのじゃ。
またおいでなさい。
>>1001
そうじゃ、観ているのが阿頼耶識なのじゃ。
それもまた記憶への依存から起きている、縁起によるものなのじゃ。
それは人によるのじゃ。
サマーディが向いてるものも居れば阿頼耶識から見るのがよいものも居るじゃろう。
自分にあった道を行くのがよいのじゃ。
>>1002
そうじゃ、同じなのじゃ。
集中力が強くなれば瞬時に起こることもゆっくりに観えるのじゃ。
それによって素早い認識の働きも観察できるようになるのじゃ。
1004
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/20(金) 15:45:04 ID:.F64Ot560
http://martin310.exblog.jp/20010391
これらの記述(水を飲まずに汗をかく)は真実でしょうか?
1005
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/20(金) 16:07:54 ID:wH0JIS760
>>1003
今のところ自由にはサマーディに入れないので、同調するのが比較的容易な、阿頼耶識から見るほうを進んでみようと思います。
ありがとうございました。
1006
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/02/20(金) 21:00:50 ID:vSU0SxZE0
>>1004
本当ならもっと話題になっているじゃろう。
学者も調べるじゃろう。
食べない人も水は飲むというのじゃ。
飲まない水が体から出てくるとはおかしなことじゃ。
>>1005
そうじゃ、自分の道を行くとよいのじゃ。
またおいでなさい。
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