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鬼和尚に聞いてみるスレ part4
1
:
sage
:2014/08/05(火) 19:29:50 ID:QMklRI/Y0
鬼和尚と修行者の為の交流スレです。
前スレ
鬼和尚に聞いてみるスレ part3
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8276/1394101534/
521
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/10/22(水) 22:19:29 ID:DUSQIrbM0
>>519
それで正しいのじゃ。
更に続けるのじゃ。
まだ肉体を厭離する覚悟が出来ていないようじゃ。
今一度自らの本心を確かめるのじゃ。
すでに厭離は起こって居るのじゃ。
何度も行えば気付きが起こり、厭離も完全になるのじゃ。
>>520
そうじゃ、もはお者という認識も無いのじゃ。
目覚めていなければ認識はあるじゃろう。
個我もいずれ起こり、続いていくと思うのじゃ。
522
:
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523
:
避難民のマジレスさん
:2014/10/23(木) 11:13:16 ID:WL2yRwjAO
本心を観ると言うのは、本心をさらに厭離すると言うことですよね?
本心が滅却され無になることを目的としているのでしょうか?
524
:
避難民のマジレスさん
:2014/10/23(木) 11:30:58 ID:GoxQhzng0
1 名前:1[] 投稿日:2013/07/27(土) 08:52:37 ID:WL2yRwjAO [1/253]
鬼和尚限定の質問スレです。
上はこのスレのpart1なんだけど、そこだけでもあなたは253も書き込んでるんだよね。
その中には質問以外のレスも有るだろうけど、あなたの場合はもう質問しないで
過去の自分の質問と鬼和尚の答えを何度も見返した方が良いんじゃないかな。
ただ思い立ったことを質問してるだけじゃ進歩は無いと思うよ。
525
:
避難民のマジレスさん
:2014/10/23(木) 13:13:44 ID:WL2yRwjAO
ご意見を有り難くうけたまわりますが
他人よりまずは自分の書き込みの数を数える方が賢明でしょう。
526
:
避難民のマジレスさん
:2014/10/23(木) 13:36:13 ID:GoxQhzng0
数は専ブラが勝手に付けてくれるので、あなたのレス数を私がわざわざ数えた訳じゃ無いですよ。
確かにあなたに進歩が見られなくても私には関係ない事でした。
どうぞ気の済むまで同じような質問をし続けて下さい。
527
:
避難民のマジレスさん
:2014/10/23(木) 13:48:46 ID:WL2yRwjAO
ありがとうございます。
貴方の修行が進む事を願っております。
528
:
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529
:
避難民のマジレスさん
:2014/10/23(木) 21:25:51 ID:QMm34KcU0
鬼和尚さんから見て、東南アジアの南伝仏教の指導者で
本当に悟った僧侶は存在していると思われますか?
530
:
避難民のマジレスさん
:2014/10/23(木) 21:35:14 ID:wzaF4XgM0
>>521
ありがとうございます。
未だ、自我に対する愛というか執着が残っているようです。
地道に自我の解体を続けようと思います。
それでさしあたり、下らないウェブサイトを見る習慣を厭離しようとしたのですが、今ひとつ、見たくなる原因が判りません。
このように、縁起の連鎖の原因が分からない場合に、それを見つけるコツなどがありましたら、お教え下さい。
531
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/10/23(木) 21:47:17 ID:f/4hp5tM0
>>523
そうじゃ、本心も滅するために観るのじゃ。
例えば本当は悟りたくも無いのに修行する振りをしていたらいつまでも悟れないのじゃ。
本当は何がしたいのか、自分自身に明かさなければ進歩は無いのじゃ。
自分を誤魔化していれば苦を滅する原因も見つからないのじゃ。
自らの本心を観て始めて苦は滅し、進歩して行くのじゃ。
>>529
いないのじゃ。
習慣的な修行に囚われすぎているようじゃ。
今ここにある自分の心を観察するべきであるのに、経文の通りにすればよいと思っている居るからじゃろう。
>>530
そのような習慣は大抵は孤独感や寂しさから逃れるためなのじゃ。
孤独から不安が起こり、他人の事も気になるのじゃ。
いろいろと見たりいらない情報を探す事で慰めを得ているのじゃ。
そのような心境が無いか本心を観察してみるのじゃ。
532
:
避難民のマジレスさん
:2014/10/24(金) 12:50:31 ID:wH0JIS760
>>531
ありがとうございます。
どうやら、為すべきことからの逃避が原因のようですが、他にも原因がありそうです。
さらに本心を観察してみます。
ところで、ダンマパダ(中村元訳)を読んでいるのですが、修行が進むにつれ、お釈迦様の言葉が少しずつ実感できるようになって来ました。
それで、いくつかは現代の日本人に合わなかったり、間違って伝わったりした部分があるのではないかと思います。修行が不十分で、まだ理解できていないだけかもしれませんが。
もし、鬼和尚から見て、ダンマパダで訂正したほうが良いと判断される部分がありましたら、お教えください。
533
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/10/24(金) 22:00:40 ID:f/4hp5tM0
>>532
特に無いのじゃ。
今はそぐわないと思う言葉もいずれ意味が判ってくるじゃろう。
それも老病死を超えるためには必要な事なのじゃ。
わかるまで学びに努めるが良いのじゃ。
534
:
避難民のマジレスさん
:2014/10/24(金) 22:32:58 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん
心を観察するのは何故ですか?
今日、観察していて、観察すると心が静かになるのですが、苦しくもなってきて
究極的には、心を観察することでどうなれば良いんですか?
535
:
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536
:
避難民のマジレスさん
:2014/10/25(土) 10:30:24 ID:wH0JIS760
>>533
訂正は特に無いのですね。
ダンマパダをよく読み、今の自分にそぐわないと思ったり、ひっかかったりする部分は、なぜそのように思うのか、本心を観察してみようと思います。
お答えくださり、ありがとうございました。
537
:
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538
:
避難民のマジレスさん
:2014/10/25(土) 18:04:14 ID:N1eXEuss0
和尚様
禅定に入って諸仏から法を聞き直接指導を受けることは出来るのですか?
今自分は何をすべきか何の修行をすればいいか聞きたいのです
539
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2014/10/25(土) 18:15:06 ID:Wjp1HTcs0
鬼和尚
瞑想中は集中していて、
以前より「我」の感覚が随分減ってきています。
瞑想をしていない時、
自分の観察をずっと続けていますが、
「我あり」という感覚がとても見えます。
また、やらなければならないことがあるのですが、
それは「我」に反することであり、
それから逃避ばかりしているのが見えて苦しいです。
540
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/10/25(土) 22:25:42 ID:NRafpKAg0
>>534
心によって認識されている自分というものを厭離するためじゃ。
そして認識をも厭離すれば真の悟りが得られるのじゃ。
心によって認識される自分は観念だけの存在であり、実在はしないのじゃ。
それを実在と認識する事によって苦が起こるのじゃ。
それが無くなれば自分という観念による苦が起こることもないのじゃ。
そして認識をも滅すればもはやその観念が二度と起こることもなくなるのじゃ。
それが永遠の安らぎである不死の境地なのじゃ。
>>536
どういたしまして、またおいでなさい。
>>538
それは可能であるが、その仏はおぬしの心から起こる観念なのじゃ。
いつでも自らの本心を観察する事が真の修行なのじゃ。
進歩が無いと想うのならば、今一度自分が本当に本心を観察しているのか、
或いは自分を騙したり誤魔化しているのではないか、点検してみるのじゃ。
本心が観られれば必ず気付きがあり、進歩があるものじゃ。
>>539
なぜ苦しいのか原因を探してみるのじゃ。
原因が判れば苦もなくなるのじゃ。
常に基本に戻って深く自分の本心を観るのじゃ。
541
:
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<削除>
542
:
避難民のマジレスさん
:2014/10/26(日) 11:55:13 ID:N1eXEuss0
>>540
ありがとうございます
543
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/10/26(日) 21:32:06 ID:IEv2XpwQ0
>>542
どういたしまして、またおいでなさい。
544
:
避難民のマジレスさん
:2014/10/27(月) 18:40:18 ID:QMm34KcU0
鬼和尚さん、他のスレで以下のような書き込みを見つけました。
「俺が発作で救急車で運ばれた時、前後の記憶はまったくなかった。
店で支払いをしていたと思ったら知らない場所のベットにいた。
何を言ってるのかわからねえと思うが、俺も何を言っているのかわからねえ。
説明を受けてここが病院であるという事がわかったが、なんで病院にいるのか
がさっぱり理解できなかった。
意識を失ったらもう記憶もクソもねえと思うわ。」
↑ この人はこの体験をもとに死後は意識が消えることを主張しているのですが、
この人の記憶がなかった間((意識を失っていた間)、本来の意識はどうしていた
のですか? 鬼和尚さんはこの人の体験が「死後に意識は消える」ことの根拠に
なり得ると思われますか?
545
:
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546
:
避難民のマジレスさん
:2014/10/27(月) 21:03:41 ID:jfWCoXjM0
2014年って崩壊の序章みたいな感じを受けます。
鬼和尚の妙観察智では、これからの世界ってどう観えますか?
547
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/10/27(月) 22:03:05 ID:YGevnPV.0
>>544
それが記憶についての話であることをよく観察するのじゃ。
記憶が無かったから、意識も無くなったと想っているのじゃ。
記憶が意識と想っているだけなのじゃ。
何かについての記憶があればそれが意識であり、記憶が無ければ意識がないと考えているのじゃ。
実際には意識そのものは常にあるのじゃ。
それが無ければ肉体も機能を停止しているのじゃ。
記憶が出来なかった時でも意識はあり、肉体を維持していたのじゃ。
そのような時には肉体の外に意識を感じたりする者も居るのじゃ。
記憶できなかっただけでは意識が無い事の根拠にはならないのじゃ。
>>546
人の世は常に闘争と修好の間を行き来しているものじゃ。
関わりあえばきりがないものじゃ。
これからも闘争したり仲良くなったりするじゃろう。
おぬしの世界はいつか必ず崩壊するじゃろう。
おぬしの自身の老病死によっておぬしの世界も崩壊するのじゃ。
おぬしの世界はおぬしの心が作っているのであるからのう。
2014年に世界を崩壊させようとおぬしが思うのならば、そうする事が出来るじゃろう。
やはり2014年には世界を繁栄させようと想うならば、おぬしにはそうする事が出来るじゃろう。
全てはおぬし次第なのじゃ。
548
:
避難民のマジレスさん
:2014/10/27(月) 22:11:40 ID:f6yHi5Eg0
鬼和尚さま、以前こちらで相談をして、励ましのアドバイスを頂いたものです。
おかげさまで少しずつ心も落ち着いてきました。
当時は自殺も考えていましたが、今は本当の心を逃げずに見つめて
最悪な時も、最期の時でも不安や恐怖におびえるだけじゃなく、
学びに繋げられれば、この人生が無駄になることはないと、
思えるようになりました。本当にありがとうこざいます。
鬼和尚さま、この機会に恐縮ですが、名前をいただければ勇気百倍です。
よろしくお願いします。
549
:
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550
:
避難民のマジレスさん
:2014/10/28(火) 09:52:38 ID:hjP5qw.20
和尚、こんにちは。
思考が頭の中で声となってしまうのはどうしてなのでしょうか。
脳内音読でググってみると、分野こそ違えど苦労されてる方もいるようです。
私の場合は思考が浮かんだとき、それを誰かに説明するかのような設定で脳内チャットが開始されてしまいます。
しかも会話速度が日常通りのためか、我にかえった時かなりの時間を割いていたことに気づいて嫌になります。
当然、その間は目の前のことが見えておりません。
慈悲瞑想においても気づくと脳内で声に出して呟いているようになり、
なぜか脳内なのに言葉が噛んでしまい中段してしまうことがあります。
思考が作り上げたロジックを脳内で答え合わせしているように思えるのですが、
これを止めてしまっても実生活に問題はないのでしょうか。
もし問題ない場合、これを止めるよい訓練法などがありましたら教えていただきたく思います。
551
:
避難民のマジレスさん
:2014/10/28(火) 20:36:26 ID:jfWCoXjM0
>>547
ありがとうございます。修行と布施を続けていきます。
552
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/10/28(火) 22:23:02 ID:BFQxsfRE0
>>548
良かったのじゃ。
おぬしの名前は善く真理を慧る善慧(ぜんけい)なのじゃ。
善慧よ、更に学びに努めて衆生をも安らげるのじゃ。
>>550
それはおぬしが言葉による思考を習慣としているからじゃろう。
止めても良いのじゃ。
集中の瞑想により、思考を眺められるようになれば自然に止まるのを観察できるじゃろう。
思考も意識を向けなければ自然に止まるのじゃ。
思考の無い意識を経験し、思考が己ではないと気付くが良いのじゃ。
>>551
そうじゃ、精進あるのじゃ。
またおいでなさい。
553
:
避難民のマジレスさん
:2014/10/28(火) 23:13:48 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん、ご回答ありがとうございました。
まだ良くわかりませんが、繰り返し拝見して、その意味するところを何となくでもつかみたいと思います。
>>552
>思考を眺められるようになれば自然に止まるのを観察できるじゃろう。
>思考も意識を向けなければ自然に止まるのじゃ。
思考を眺めるのと思考に意識を向けないのは相反する方法に思えるのですが違うのでしょうか?
今、思考に意識を向けないとき、思考が止まるを体験できた気がしました。
思考を眺めるときも思考が止まる感覚があります。
554
:
避難民のマジレスさん
:2014/10/29(水) 08:41:39 ID:kwnmsK0s0
鬼和尚、
思考を観察していたのですが、自我が投射されている場合とされていない場合の違いがはっきりと判ったように思います。
思考が勝手に生じて、遠くにあるように感じられる場合が自我が投射されておらず、「自分が思考している」という主体の感覚があるのが、自我が投射されているという観察なのですが、これは正しい観察でしょうか?
555
:
避難民のマジレスさん
:2014/10/29(水) 09:31:29 ID:hjP5qw.20
>>552
和尚、お返事ありがとうございます。
これは習慣だったのですか。
止めようとすれば何となく気持ち悪くなってくるのですが、
言われてみれば習慣との戦いである禁欲に似た気持ち悪さがありました。
しかしそうとわかれば止める方向に力を向けたいと思います。
ありがとうございました。
>>553
上記返答の場合、思考を眺めて止まるのは脳内チャットのことを指していると思われます。
556
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2014/10/29(水) 17:27:09 ID:bmOqVn6w0
鬼和尚
瞑想中の事ですが、
ある記憶を思い出し、
これをしなければならないと考え、
でも、できないかもしれないと思い、
そこから、できなかったらどうしよう、どうなるのだろう、
という不安の感情が起こる
という様子が、一瞬の事でしたが見えました。
557
:
避難民のマジレスさん
:2014/10/29(水) 20:29:50 ID:Dals81lQ0
鬼和尚さま、とても立派な名前をありがとうございます。
まずはちゃんと名前が漢字が書けるように練習します。
こんな学の無い自分ですが、いつか善慧という名前にふさわしい人間になって、
お世話になった方々や自然に少しでも恩返しができるようになりたいです。
また、こちらに集われる皆さま、管理してくださる偽和尚さま、
鬼和尚さまとの出会いと学びの場を設けてくださったことに心から感謝しています。
どうか、これからもよろしくお願いします。
558
:
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<削除>
559
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/10/29(水) 22:37:56 ID:lOh8l5nA0
>>553
それは自己同一化があるかないかの違いなのじゃ。
意識を向ければ自己同一化が起こり、思考は止めどなく続いていくのじゃ。
眺めるだけにすれば自己同一化は起こらず、やがて思考は止まるのじゃ。
↓のレスなども参考になるじゃろう。
>>554
それで正しいのじゃ。
自己同一化が無いときには遠く感じられ、自己同一化があれば主体の感覚もあるのじゃ。
↑のレスも参考になるじゃろう。
シンクロニシティじゃな。
>>555
そうじゃ、習慣なのじゃ。
修行すれば自ら止まるのがわかるじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。
>>556
それで良いのじゃ。
集中力と観察力がついてきたようなのじゃ。
さらに精進あるのみなのじゃ。
>>557
良かったのじゃ。
またおいでなさい。
560
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2014/10/29(水) 23:00:31 ID:yxB0la9U0
>>559
ありがとうございました。
561
:
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:<削除>
<削除>
562
:
避難民のマジレスさん
:2014/10/30(木) 05:12:29 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、おはようございます。ヽ(・(∀)・)ノ龍明であります。
金剛般若経はもう少しで5ページです。
今朝の瞑想で気づいたこと。
まず、丹田にペッタリ集中して、思考を排除。5分くらいしたら少しずつ集中を緩め、記憶のおもちゃ箱から雑念がわき上がるのをまつ。
記憶がわき上がる→感情が生じる。悔しいとか不安とかいった分かりやすい感情だと観察しやすい。
その感情を感じてる(=投射されてる?)のが自我と認識する。
すぐに、集中を強めて感情を消すのではなく、縁起の法をやる。
記憶→感情の縁起を順逆で確認、消える様を確認する。
また、静かになったところで、今度はわざと、記憶を思い起こし、感情に繋がるか試してみる。
繋がらないヽ(・(∀)・)ノ
こんなことをやってみました。
563
:
避難民のマジレスさん
:2014/10/30(木) 21:00:36 ID:hjP5qw.20
和尚、こんにちは。
子供(高一)があまりにも遊び呆けているので、
一日30分くらいは勉強したらどうかとか言ったら、
あまりにもふざけた態度で接してきたのでキレて暴れてしまいました。
聞く耳もたない相手をうまく諭す方法はないものでしょうか。
他人なら放っておけばいいのですが、子供となるとそういうわけにもいきません。
転がりはじめたらどこまでも行ってしまうことは、
身を持って体験しているだけに余計にです。
よき智慧を教えてください。
564
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/10/30(木) 22:14:05 ID:kOI4WN2k0
>>560
どういたしまして、またおいでなさい。
>>562
そうじゃ、いろいろ試してみるのじゃ。
試しているうちに自分にあった方法もわかるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>563
人にだけ勉強をやらせようとすると反抗してやらないのじゃ。
自分もやれば良いのじゃ。
おぬしも勉強して教科書などに書いてある事がどのような意味かとか息子に聞くと良いのじゃ。
人に教えるのは気分がよく、叉教えるほうも記憶を強化して学びになるものじゃ。
数学でも国語でもどんどん自ら学んで息子に教わると良いのじゃ。
565
:
避難民のマジレスさん
:2014/10/30(木) 22:44:40 ID:hjP5qw.20
>>564
小中学生の頃はそのようにしてやっていたのですが、
これくらいになると聞いても「自分で考えれば?」といった態度で、
もう勉強に関しては会話にもなりません。
質問が変わるのですが、
たとえば崖に向かって走っている人がいたとします。
「その先は崖で危ないぞ」と言葉で伝えても、
その人は坂道を走ることが刺激的らしく聞く耳もちません。
それどころか言われたことに腹を立てたのか、ますますスピードを上げていきます。
その人をどうしても止めなければならない場合、和尚だとどのようにしますか。
私はとりあえずぶん殴るしか方法が見つからなかったのですが、
時としてそういう方法もありだと思いますか。
566
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/10/31(金) 22:44:43 ID:03LP31lY0
>>565
2ちゃんねるでよく使われる技ではあるが、わざと間違った答えを言うのがあるのじゃ。
2たす2は5じゃな、とか間違った事を言うと直したくなるのじゃ。
本人も本気で学ぶ気にならなくてはいかんのじゃ。
やらせるためにという演技をしていると見抜かれるのじゃ。
本人が好きな物事に関連して学ばせる技もあるのじゃ。
野球が好きならばバットとボールの当る力を物理学で測るとか、野球場の免責を割り出すとかなのじゃ。
ゲームが好きならばプログラミングを学んでみるとかするのじゃ。
それが将来の役に立つ事もあるじゃろう。
何かの役割があれば知識も増やそうという気になるのじゃ。
その者が好きな事で誘導するのじゃ。
女子が大きな胸を晒しているとか言えば男は来るのじゃ。
女子ならばイケメンが二人脱いでいるとか言うとくるのじゃ。
殴るのは無意味なのじゃ。
暴力は禁じるのじゃ。
暴力は最終的に自らの死か、他人を殺害するに至る道なのじゃ。
567
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/01(土) 05:43:56 ID:WL2yRwjAO
個人的な意見だけど、学校の勉強が出来ても、社会に出てから大して良いこともない場合も多いので、好きなことを追求させると言うのは良い案かと思う。
暴走族とかですら意外にその大好きな運転技術で将来食べていけるものかと。
(社会に出ると運転がうまいだけでも重宝される)
人の価値評価とは本当にあてにならない。
568
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/01(土) 10:20:59 ID:rjrCqQY20
親に無理強いされて失敗すると責任転嫁してしまいがちですが
大人が自分の好きな道を後押し、応援してあげると、失敗しても責任転嫁しないし
むしろ応援に応えようと頑張って這い上がろうとする。
子供とはいじらしいものだと思います。
569
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/01(土) 11:29:33 ID:hjP5qw.20
>>566
和尚、助言の方ありがとうございます。
>やらせるためにという演技をしていると見抜かれるのじゃ。
確かにそれはあるかもしれません。
小中学生の頃と違い、高校生にもなってくると白々しいことに気づくのも道理ですね。
いつまでも同じというわけにはいかないようです。
その他の助言も参考にさせて頂きます。
私自身が学歴なく坂道を転がり落ちていた人間なので、
子供の成績などは正直どうでもよいのです。
ただ怠け心を極力少なくし、何かに興味を持って打ちこむという姿勢は必要だと思っているので、
一日のうち30分でもそういう時間を作れという意味合いで話していたのですが、
忍耐至らずこういう結果になってしまいました。
”何かの役割”というのを子供がうまく見つけられるように、私自身が精進したいと思います。
>暴力は禁じるのじゃ
数年ぶりに怒気をはらんで気づいたのですが、
かなりのエネルギーを消耗することが身に染みてわかりました。
また瞑想もうまくいかず、事あるごとに思考が瞋りの関連データにアクセスしてしまいます。
いま性的思考を完全に遮断する禁欲を行っているのですが、
一度怒ってしまえばそれよりも制御するのが難しいことがわかりました。
当然、しばらくは家の中もギスギス状態でした。
正直ここまで精神が乱れるものかと驚いております。
これを戒めとし、今後は力で訴えることをなくすよう精進しようと思っております。
ありがとうございました。
570
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/01(土) 12:05:55 ID:hjP5qw.20
>>567
>好きなことを追求させると言うのは良い案かと思う。
それは私も賛同です。
何か打ち込めるものがあれば、それを懸命にしてくれたらいいと思っています。
ですが現状、子供自身が「自分の好きなことがわからない」という状態であったりします。
こういう子供はけっこう多いと思います。
ただ周りがやっているから、自分も何となくやる。難しくなってくるとやらなくなる。
やりたいことはと聞けばわかりませんと答える。
和尚が仰られているように役割があれば、その方向にエネルギーが向いてくれるのですが、
それが見つからなければ楽して遊ぶという刺激に抗えず、
精進する心が少なくなり怠け心が肥大するといった悪循環に陥ってしまいます。
ここから這い上がるのはけっこう大変だということは体験済みなので、
そうなる前に役割的なものを見つけてくれることを願う次第です。
アドバイスありがとうございました。
>>568
私自身が子供のころ勉強を無理強いされて机に向かうことが嫌いになったので、
自分の子供は可能な範囲で放任していたました。
ですがやっぱり勉強嫌いになったなようです(笑。
これを言ったら始まりませんが「学校の勉強=テストの点数」という感覚が強いので、
興味を持てないのも無理がないかなと思っています。
テスト方式を紙での問題ではなく、
五感を通した問題とすれば自分は何に興味があるのか気づきやすいと思うのですが。
まぁただの願望です。
何かに興味を持ったおりには応援してやろうと思います。
アドバイスありがとうございました。
※俗世的な悩みを質問してしまい、スレの趣旨から外れてしまったことをお詫びいたします。
私自身も精進を重ね、自己探求の道を進めていきたいと思います。
ありがとうございました。
571
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/01(土) 17:10:49 ID:KG30mGlo0
和尚様
ブログの運気向上法のカテゴリーで人に親切に優しくすると運気が開けてくるとありますが
なぜそうなるのかお教え下さいませ。
私的にはすべての形態において自他の区別は存在しないためそうなるのかと考えました。
命あるものに対する自分の行為は自分にやっているのと等価である。ということでよろしいのでしょうか?
また無生物に対する行為もひょっとして同じなのですか?
物を大切にする行為はやはり得となるのでしょうか?
572
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/01(土) 19:32:06 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんばんはヽ(・(∀)・)ノ龍明であります。
ここのところ、記憶と感情の切り離しが急速に進んでいることが実感されます。もう少しで自動的に切り離されてしまいそうな気がします。
その反動なのか、今までなら、ワクワクドキドキ((o(^(∇)^)o))するようなことが起こっても、そのような感情がわかず、むしろそれが押さえ込まれているような、苦痛とは異なるものなのですが、生理的、肉体的に、ある種の負担・圧迫感みたいなものを感じます。
一過性のものでしょうか?あるいは気のせいでしょうか?
573
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/11/01(土) 22:20:27 ID:.sHXjcvY0
>>569
そうじゃ、我が子ならばなおさら慈悲を持って向き合うのじゃ。
またおいでなさい。
>>571
そうじゃ、誰の心にもある平等性智は自他の区別が無い故に、他人に施した事は自分に施した事になるのじゃ。
無生物にあっても同じなのじゃ。
無意味な浪費は運をも浪費する事になるのじゃ。
大事に貯めればお金も答えるものじゃ。
試してみるのじゃ。
>>572
進んでいるのじゃ。
もはや感情の満足を求めなくなったのじゃ。
一時的なわくわく感などはなくなったが、そのために執着し、苦を生むことは無いのじゃ。
もはや感情に囚われない安楽があるようになるじゃろう。
恐れずに進んで行くのじゃ。
574
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/01(土) 23:19:11 ID:/ywz4F460
>>573
なるほど。では何かひとつのものを大事にすることは、慈悲の心を育てることにつながりそうですね?
むかし、便所掃除をして悟った釈迦の高弟が居たそうですが、便所を大事にして綺麗にする事は、心を大事にして綺麗にすることと等価だということでしょうか?
であるならば、一生懸命頑張って、プラモデルを作ったり、作曲をしたりと言うことも、創造性を育てる教育にもなりますよね。
575
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/01(土) 23:45:54 ID:KG30mGlo0
>>573
お答え有り難うございます。
人に優しくが好きな人には出来ますが嫌いな人にはなかなか難しいです。
好き嫌いがあるということはホントは無い自我をあると思わせる反応になるのでしょうね。。
無関心であるほうが嫌いになるよりは良さそうですね。
どうせ使い捨てればいいやって思って安いものを買って大事にしないことは
やはりよろしくはないのですね。私はまだ物持ちはいいほうだとは思いますが
無生物もお金も執着してはいけないが大切にする気持ちを心がけます。
又質問ですが過去名だたる武将たちはやはり多くのものを殺めたと思いますが
どんな理由があるにせよ又それが世のため人のため絶対正義だと思っていたとしても
それに対する結果は次の生で必ず受けるのでしょうか?
576
:
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:<削除>
<削除>
577
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/11/02(日) 22:17:37 ID:.sHXjcvY0
>>574
そうじゃ、何ものに対しても平等な心で居れば平等になるじゃろう。
集中力や観察力も養えるじゃろう。
ものよりも他のものに対する態度が心の状態を左右するのじゃ。
心が荒れれば物を扱うのにも失敗が多くなるようにのう。
ものに集中すれば心も鎮まるのじゃ。
>>575
そうじゃ、正義や規則のために他人を苦しめれば、正義や規則のために苦しめられる事になるじゃろう。
正義や規則がどれほど厳重であろうと、慈悲を示す機会はあるものじゃ。
今の法律でさえそのような運用もあるものじゃ。
正義と慈悲は相反するものでもないが、全く同じでもないのじゃ。
良く考えてみると良いのじゃ。
578
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/02(日) 23:51:04 ID:KG30mGlo0
>>577
お答え有り難うございます。
やはりどんな理由があるにせよ人を苦しめると結局自分もいつか
苦しむことになるのですね。
どんなに困難な状況にあっても何とか皆が苦しまない選択肢を
選ばないといけませんね。
>>
正義と慈悲は相反するものでもないが、全く同じでもないのじゃ。
正義は心がなくても振りかざせますが慈悲は心がないと行えませんよね。
この程度の考えでは浅いかな。もっとよく考えてみます。
最近夜時間あるときにダンマパダを読んでいるのですが
ひょっとしてこれは読んでいるだけで幸いなことが起こるのですか?
最近色々と物事がうまくいくようになってきて少し不思議な感じがします。
アファメーションのような効果があるのかとも思いましたがそれまでが
かなり不運続きでしたので反動なのかな。。とも。
579
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/11/03(月) 21:40:53 ID:.sHXjcvY0
>>578
そうじゃ、報いがあるじゃろう。
善事を心掛けるのじゃ。
慈悲も経験や行いによって理解できるようになるじゃろう。
常に心掛けていれば実際に行うときが来るものじゃ。
心が世界を作るのであるから、聖典を読んで心が清められれば良い事が起こるようにもなるじゃろう。
ダンマパダの最初の章にも書いてあるのじゃ。
清い心で居れば幸運も付き従うのじゃ。
580
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/04(火) 13:22:56 ID:KG30mGlo0
>>579
お答え有り難うございます。
「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。」
ですよね。すごく心に残る言葉です。
「他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。
ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ。」
これもいつも心に留めるように心がけています。
私は昔から植物がなぜ脳がないのにこの世界を私達と同じように
見えているような感じを受けるのかすごく不思議で。
まるである特定の虫や動物に合わせて実をつけ背丈さえ変えているような。
そもそも心(意識)が初めで世界が作られているからと言われた時は
なるほどなあと関心しました。
下手をすれば世界も私も他人も私の脳の幻想で私が死ねば
すべて消えるものかもしれないと思ったりもしてましたので。
意識が初めで世界があるということは私は死んでも次もまだあるんだということが
知識の上ではありますが知ることが出来てよかったです。
又お答えお願い致します和尚様。
581
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2014/11/04(火) 20:40:22 ID:yxB0la9U0
鬼和尚
瞑想中の事ですが、
>>556
と同じように、自分が怒りを創る様子を見ました。
それは、自分が知っていることを元にして、
自分と他人が会話する場面を想像し、
相手が言ったことに対して自分が怒りをぶつける、
というものです。
怒りは世間に対する絶望や、自己憐憫へともつながっていきました。
このように感情が起こる様子を見ることができたのですが、
それ以降、その感情はあまり起こらなくなりました。
582
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/11/04(火) 21:53:45 ID:.sHXjcvY0
>>580
そうじゃ、学びに努めるのじゃ。
学んだ分だけ進歩できるじゃろう。
またおいでなさい。
>>581
よく観察できたのじゃ。
その観察によって厭離が起こったのじゃ。
もはやその想いとの自己同一化が薄れ、起こりにくくなったのじゃ。
更に観察を続ければ完全に消えてしまうじゃろう。
その時おぬしは観察による厭離を実践し、体得した事になるのじゃ。
583
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2014/11/04(火) 23:22:37 ID:yxB0la9U0
>>582
ありがとうございました。さらに続けます。
584
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/05(水) 01:17:33 ID:5Jns2bLw0
どの程度修行が進んでいるのか、客観的にわかる指標みたいなものはありませんか?
585
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/05(水) 06:44:24 ID:Ixi5VWxw0
鬼和尚、
ダンマパダ84の解説をお願いします。
84 自分のためにも、他人のためにも、子を望んではならぬ。
財をも国をも望んではならぬ。
邪なしかたによって自己の繁栄を願うてはならぬ。
(道にかなった)行いあり、明らかな知慧あり、真理にしたがっておれ。
586
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/11/05(水) 21:49:22 ID:.sHXjcvY0
>>583
そうじゃ、精進あるのみじゃ。
またおいでなさい。
>>584
それは何度か書いたことがあるのじゃ。
過去レスを色々探してみると良いのじゃ。
>>585
それは執着によって子供や財や国を欲してはいかんということなのじゃ。
自分や人の執着や欲によってそれらを望めば、争いとか競争が耐えぬものじゃ。
それらに熱中すればする程、お互いに汚い策略なども使うようになり、人も死んだりするじゃろう。
そして他人の怨みも多くかう事になり、長くは保てないのじゃ。
執着によってそれらのものを欲すれば、そのように多くの悪も成し、身を滅ぼすも事になるのじゃ。
正しい行いによって真理に従い、自ら得られるのならば良いのじゃ。
そうすれば他人の怨みをかうことも無く、長く保てるのじゃ。
それが正しい道なのじゃ。
587
:
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588
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589
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/07(金) 14:10:29 ID:W9x6FqRY0
>>586
執着によって欲してはいかんということだったのですね。
第2句と第3句のつながりが分からなかったのですが、ようやく理解できました。
お釈迦様の正しい教えを今、分かり易く伝えてくださり、ありがとうございます。
590
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591
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/07(金) 19:28:32 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんばんはヽ(・(∀)・)ノ龍明であります。
最近、瞑想中に何かしたいという思い、例えば、電話を留守電にしたか確認したいとか、首にすれるシャツの襟を直したいとか、ほんの些細な思いが突然わいた際に、そのことを我慢するとか、雑念として受け流すというのではなく、そのように感じてる自我を意識が客観的にとらえるだけで、その思い自体がさぁーっと消えて行きます。
この自我の思いを客観的に意識する意識は、アラヤシキなのでしょうか?
何かそんな高度なものではなく、日常の意識で単に自分の意識を分析しなおしてるだけのような気もしますが、そのことにより、欲求がさぁーっと消える感じは、不思議でもあります。
考え過ぎでありましょうか?
金剛般若経は5ページで停滞中であります。4ページまでは適当な節回し()?で抑揚をつけ、調子よく暗記が進んだのですが、5ページの読みにうまく抑揚がのらず停滞しております。
お寺さんとかにお願いすれば唱えかたとか教えてくれるものなのでしょうか?で
592
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/11/07(金) 21:35:14 ID:.sHXjcvY0
>>589
どういたしまして、またおいでなさい。
>>591
観察が出来ているのじゃ。
それはまだ、まな識辺りなのじゃ。
分別があるからのう。
無理に唱えなくとも良いのじゃ。
意味が判らなくては何の効果も無いからのう。
現代文で読めば良いのじゃ。
593
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/07(金) 23:12:34 ID:LC3de7YgO
>>592
鬼和尚、ありがとうございますヽ(*・(∀)・*)ノ ちょびっと興奮気味の龍明であります。
まな識でありますか!!
早速調べてみるであります。
日常の意識からチョピッと前へ進めたのでありますね!
嬉しいであります♪
金剛般若経は、解説も全部読んでおりますが、より一層しっかり読むであります!
ただ、ボケ防止と集中力強化のため、暗記も続けたいと思います。
594
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595
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/08(土) 06:57:39 ID:EO4mNeKg0
鬼和尚、
ダンマパダの210と211の解説をお願いします。ダンマパダの84と同様に、人に執着するなということでしょうか?
210 愛する人と会うな。愛しない人とも会うな。愛する人に会わないのは苦しい。また愛しない人に会うのも苦しい。
211 それ故に愛する人をつくるな。愛する人を失うのはわざわいである。愛する人も憎む人もいない人々には、わずらいの絆が存在しない。
596
:
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597
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/08(土) 19:09:23 ID:OSlXvtzA0
善慧です。鬼和尚さま、昔のことですが心の整理のために質問させてください。
子供の頃、手の感覚が大きなグローブのように、巨大化して感じられたり、
怒っているの顔だけが大きく目の前に迫ってきたりすることがよくありました。
誰にも相談できず、気が狂っているのではないかと、とても怖かった記憶があります。
気のせいではなくリアルな感覚でしたので、ずっと不思議だったのですが、
昨夜瞑想中、手が広がる懐かしい感覚を体験し、当時のことが蘇ってきました。
何かアドバイスをいただければ、当時の自分も救われると思います。
どうかよろしくお願いします。
598
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/11/08(土) 22:57:07 ID:.sHXjcvY0
>>590
そうじゃ、進んでいるのじゃ。
もはや心を観察する事が出来ているのじゃ。
さらに学び精進するのじゃ。
>>595
そうじゃ、愛着なのじゃ。
愛し執着する事を諌めているのじゃ。
愛するものと離れるのは愛別離苦なのじゃ。
愛さない人と会うのは怨憎会苦なのじゃ。
愛する者に会いたいという執着が愛別離苦を起こし、
愛さない者と会いたくないという執着が怨憎会苦を起こすのじゃ。
愛し執着する事がないならばそれらの苦もなくなるのじゃ。
全ての人に平等な慈悲を持つ平等心こそ苦を滅した境地なのじゃ。
なかなか難しい事ではあるがのう。
アナンダでさえお釈迦様への執着から修行が進まなかったと言うからのう。
悟りを得るまで去りがたい執着を離れたならば、苦も無いのじゃ。
>>598
ご苦労さんじゃ。正に菩薩の行いじゃ。
>>597
それは意識が広がっているからなのじゃ。
瞑想だけでなく催眠状態でもよく感じられたりするものじゃ。
意識は本来肉体に限定されるものではないのじゃ。
肉体よりも広く意識は広がっているのじゃ。
悟りを得れば全てが意識であるとさえ感じられるのじゃ。
やがて肉体の外に意識が広がり、肉体を抜けたとか感じられるのじゃ。
意志による体、意生身とか幽体離脱とか脱身とか言ったりするのじゃ。
空間にも広がったとか感じられるのじゃ。
その境地を空無辺定とか識無辺定と呼ぶのじゃ。
知覚も鋭敏になったりするのじゃ。
それは集中力が増した事による能力と知覚の拡大したものであるから囚われずに進むのじゃ。
599
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/09(日) 09:35:08 ID:LC3de7YgO
>>598
鬼和尚、ありがとうございますヽ(・(∀)・)ノ龍明であります。
>観察が出来ている・・・が、しかし、
>それはまだ、まな識辺り・・・なぜなら、
>分別があるから
ということは、分別のない状態=日常の意識での「思い」が自動的、無意識にわかない状態を目指すのですね。 これはまた高いハードルではありますが、がんばりますo(`(^)´*)
例えば、かつてあんなにも瞑想の邪魔をした足のしびれが、いまや全く苦にならなくなったような感じで、思いがわいても気にならない、程度ではダメなのでしょうか?
潜在意識の自動的な表出自体を完全に封じ込め(?)るというか、そもそもわいてこない状態になるのでしょうか?
600
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/09(日) 09:56:25 ID:KYsRskK20
はじめに自己紹介をしてる人達は、名前欄にコテハンを入れておけば
自己紹介の手間が省けると思うんだけど、何故そうしないんだろう?
自分から名前を付けて欲しいと頼んだのに、コテハンにしない
理由がよく分からない。
601
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/09(日) 10:23:09 ID:QMm34KcU0
鬼和尚さんは 「完全な悟り」 を開かれているので、たとえ
「眼病で失明しても問題ではない」 と言えるのでしょうね。
しかし、今されている配達の仕事は出来なくなりますよね。
お母上様のお世話も出来なくなりますよね。 それでも
「困る事は無い」 「問題ではない」 と言えるでしょうか?
やはり、この世で生きている以上、「完全な悟り」 というもの
はないように思うのですが、鬼和尚さんはどう思われますか?
602
:
善慧
:2014/11/09(日) 19:39:00 ID:pjVQwsrk0
鬼和尚さま、ありがとうございます。
小学生の頃、暴力を受ける度に体と意識の乖離を願って、
「自分は身体では無い」と呪文のように心の中で必死に唱えていたことを思い出しました。
まさに物事は心に基づき、心を主とし、心によって作り出される…ですね。
自分が自分の囚われる原因を作り出していたことに、やっと気付くことができました。
本当に愚かでした。
正直かなりショックですが、貴重な体験だったと思います。
>>600
ご指摘ありがとうございます。
名前を頂いたのは、飽きっぽい自分が修行を続けるためのモチベーションを向上させる目的でした。
実は掲示板への書き込みは初めてで、書き込み時は心拍数が極度に上がる小心者なのです。
コテハンとして利用することに全く気がつかす、申し訳ありませんでした。
これからはちゃんと名前を入力しますので、よろしくお願いします。
603
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/09(日) 21:43:36 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんばんは。
自分はいかに善人のつもりでも、いかに不義理を繰り返してきたことか、いかに恥多き人生であるか…と言う思いが、最近少し薄らいできました。
反省しつつも、今に生きるしかないのでありますね。
>>600
ここはシタラバなのでコテ無しでも、端末変えなきゃ一緒でありましょう。
人のしたことしなかったことを気にするよりも、自分のそれを気にしたいであります。
by 龍明ヽ(・(∀)・)ノ
604
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/11/09(日) 21:47:03 ID:uLBoB1cw0
>>599
完全に集中した状態ならば肉体も思考も感情も感じなくなり、意識だけがあるようになるのじゃ。
それには集中しただけでは長くかかる故に、自我を観察して滅する法なども必要になるのじゃ。
無我になれば必然的に我を感じる事もないから深く集中できるのじゃ。
それが近道なのじゃ。
>>601
眼が見えなければ年金などももらえたりするのじゃ。
良い事じゃ。
死ぬべき時には抗わず素直に死ぬが良いのじゃ。
その覚悟があれば常に完全なのじゃ。
>>602
良かったのじゃ。
またおいでなさい。
605
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/09(日) 22:01:33 ID:NpBkhqbI0
>アナンダでさえお釈迦様への執着から修行が進まなかったと言うからのう。
私は鬼和尚への執着から修業が進みません。
この愛着も断ち切らねばなりませんか?
606
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/11/09(日) 22:32:22 ID:j1756nk.0
2ちゃんねるがなにやら規制のようじゃ。
607
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/10(月) 04:18:44 ID:LoicJ7Tc0
>>598
ありがとうございます。
アナンダは苦滅の法を知りながら、お釈迦様への執着を厭離しなかったのでしょうか?
私自身、悟りの障害となっているのは、家族と自我への愛着だと感じています。
これらは完全に厭離しなくとも悟りは得られるものなのでしょうか?
鬼和尚が悟りを得た時には、家族への愛着は残っていましたか?
608
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/10(月) 09:28:04 ID:KYsRskK20
>>603
そういうことじゃ無くて一回コテハンに名前を書き込めば
「ヽ(・(∀)・)ノ龍明であります。」とか書き込む手間が省けると言ってるだけでしょ。
君が言うようにここはIDが変わらないから誰だと認識出来ると言うなら
その自己紹介も要らないって事になるよね。
609
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/11/10(月) 21:30:14 ID:HogqPWDY0
>>603
そうじゃ、ただひたすら進むしかないのじゃ。
またおいでなさい。
>>605
そうじゃ、執着があれば苦も起こるじゃろう。
悟りへの執着以外の全ての執着を捨てて進むのじゃ。
最後には悟りへの執着も消えた時に悟りが訪れるのじゃ。
>>607
そうじゃ、一番多く教えを聞いていたから当然知っていたのじゃ。
しかしわざと厭離しなかったのじゃ。
深い瞑想の中で観照の瞬間が訪れたならば厭離しなくとも悟れるじゃろう。
わしは自らの死を超える事で必死であったから家族の事も考えなかったのじゃ。
自分が死ねば家族ともあえないと想っていたからのう。
610
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/11(火) 17:57:56 ID:EIvcNESg0
お釈迦様に出会ったばかりのキサーゴータミーは、本当に愛別離苦を観察出来たのでしょうか?
観察は自分があると出来なくないですか?かなり難易度高くないですか?
611
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/11(火) 20:14:57 ID:7rD9T5220
>>609
家族にしても自我にしても、結局は記憶によって起こる言葉とイメージに執着していると、知識では分かっています。
確かに自分が死ねば、愛着しているすべての物事も失われますね。
自分の本心を再度確かめたところ、死ぬより前に悟りを得て本当のことを知りたいという思いが最も強く、次いで自我への愛着、家族への愛着となっています。
止観にさらに励み、もし進めないようなら、愛着の厭離をする意志を起こそうと思います。
お答えくださり、ありがとうございました。
612
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/11/11(火) 21:14:15 ID:tHugDETI0
>>610
出来たのじゃ。
それ故にもはや我が子を生き返らせようとは想わなくなったのじゃ。
それは自分の執着であり、真に子を想っての事ではなかったと気づいたからのう。
自分が在っても観察はできるのじゃ。
学者が研究対象を観察して新しい発見をするのも同じ観察なのじゃ。
自分の心を観察して今まで知らなかったことに気付くのが修行者の観察なのじゃ。
対象が違うだけで行いは同じなのじゃ。
日々練習すれば容易になるのじゃ。
>>611
良かったのじゃ。
本心に気付いたのじゃな。
さらに実践あるのみじゃ。
613
:
610
:2014/11/11(火) 22:27:56 ID:EIvcNESg0
鬼さまお答えありがとうございます。ぼけーっとしてる時に一つの執着が流れていくのを観たと思うんですけどね。
614
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/12(水) 09:57:14 ID:z17ZvuWQ0
和尚様公案です スズちゃんにおっぱいはありますか?
615
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/12(水) 14:52:51 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんにちはヽ(・(∀)・)ノ
最近、集中して意識のエアポケットみたいな無思考な状態を形成できる時間が少しずつ長くなってきました。
感情を伴う思考が雑念としてわいた際に、そのポケット内で、鬼和尚に仰っていただいたマナシキが察知すると、たちどころに消え去るようなことがよくあります。
しかし、日常においてはそこまで簡単に行きません。
観照とか悟りといったものは、ある日ある時突然壁が破れ視界が広がるような体験なのかと想像しているのですが、筋トレのように徐々に段階を踏み到達するという側面も大きいものなのでしょうか?
瞑想中の雑念処理と同じような状態に、日常においてもなって行くのでしょうか?
何か、そんな気配をチョピッと感じる今日この頃でたります。
616
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/12(水) 20:49:15 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんばんは。本日二度目であります。
今日座っていて、自分が他人に冷淡であった時の思いが突然わき上がりました。
瞑想時に限らずよみがえる負の感情を伴う記憶の多くは、他人からされたことや理不尽だと思うこと等自分が被害者的立場のものがほとんどですが、自分が加害者的立場の感情を伴う記憶が連鎖的に激しくわき上がったのは初めてかもしれません。
以前何度か、心の深奥を観察してみようと試み、色々試してみましたが、単発的にあらわれることはあっても、ほとんどは表面的なものでした。
今日突然それができちゃったのですが、自分が加害者であり、簡単にできる他人に対する優しさを示すことができなかったこと、ずるさ、卑怯さ、愚劣さ等々の自己のマイナス評価・・・劣等感の根拠みたいなものが、堰を切ったように吹き出しました。
もしかしたら、瞑想時にそれが起きたのではなく、一つの記憶を契機に連鎖的に類似の記憶がよみがえったのかもしれません。
以前、やろうとしてうまく行かなかった心の深奥の探求とは、まさにそういった側面をも含めて自分のありのままの姿を見つめ直してみようとしたのですが、その一部が突然できちゃった感じです。
自分が加害者的立場の感情は、いつもの雑念処理と勝手が異なり、頑として居座り消えませんでした。変な話ですが、それが光輝くような感じで存在を主張しているようにも感じられました。
相当に苦しく、短時間、多分10分くらいで今日は打ち切ってしまいました。
今後は、覚悟を決めて、苦しくてもそれらを観察して行こうと思います。
受け身的な記憶と主体的な記憶の質や強さの違いがよくわかりましたが、結局それらの記憶も観念にすぎず、乗り越えられるものなのでしょうが、まずは洗いざらい深奥をほじくり返してみようかと思います。
このようなことは、もしかしたら、無意味でしょうか?
これは、以前読んだbrownさんという人のコメントを参考にした自分なりの内観法みたいな感じなのですが、観照や悟りに近づくために役立つことであるなら頑張って続けてみようと思います。(´・(ェ)・`)
617
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/11/12(水) 22:26:17 ID:tHugDETI0
>>613
それで良いのじゃ。
そこに気付きもあるのじゃ。
執着が自分ではないと気付いているのじゃ。
そのように進んで行くのじゃ。
>>614
無じゃ。
>>615
そうじゃ、気付きは一瞬にして訪れるが、それには少しずつ進歩していく事も必要なのじゃ。
自分の本心に気づくには時間も掛かるものじゃ。
世間で頑張って暮らしていくうちに、自分に嘘をついたり誤魔化したりして本心が判らなくなるのじゃ。
本心が見えてこそ観察が出来て気付きも起こり、悟りは訪れるのじゃ。
>>616
本心が見えてきたのじゃ。
それも観念によるものなのじゃ。
消そうとか操作しようとせずに静かに観察するだけにするのじゃ。
そうすればそれに囚われているものに気づくのじゃ。
それも己なのじゃ。
618
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/13(木) 00:23:59 ID:QMm34KcU0
イエス・キリストの悟りの深さは、仏教で言えばどのぐらいですか?
619
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/13(木) 06:03:37 ID:LC3de7YgO
>>617
鬼和尚、ありがとうございますヽ(・(∀)・)ノ
>気付きは一瞬にして訪れる
自分の本心に気づくには時間も掛かる
>自分に嘘をついたり誤魔化したりして本心が判らなくなる
本心が見えてこそ観察が出来て気付きも起こり、悟りは訪れるの
→その訪れる一瞬に向けがんばります。
わからなくなった本心が潜在意識の底からあらわれると、それはかなり苦しいものであろうことは、端から想定内でありますが、自分の本心を探ることがこんなに困難だということは、想定外でありました。
ある程度修行が進み、精神がそれに耐えられるようになるまで、自我さんが蓋をしてくれてたのでしょうか?
今朝は、集中し、エアポケットを作ってから昨晩と同じ契機となる記憶を想起しても、何等の感情もわきませんでした。
なぜかはわかりませんが、まさか昨夜一瞬にして、燃え上がり厭離されてしまったわけでもあるまいし…自我の観察は一筋縄ではゆきませんですね。
620
:
避難民のマジレスさん
:2014/11/13(木) 11:15:56 ID:PafroR2U0
>>617
悟れそうな気がします!ありがとうございました!
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