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鬼和尚に聞いてみるスレ part2
1
:
1
:2013/10/08(火) 07:12:09 ID:WL2yRwjAO
ここは鬼和尚限定の質問スレです。
鬼和尚が提唱している修行に関する意見交換や実践しての感想などはセーフとしますが
あからさまな批判レスや中傷、論争はアウトです
ルールを守って使用しましょう
626
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/01/13(月) 20:09:38 ID:kaXJvxhM0
>>622
体によい薬は苦くても体に合えば美味く感じるというのじゃ。
味覚とは本来そのためにあるものじゃ。
>>623
そうじゃ、実践あるのみじゃ。
>>624
そうじゃ、知識や理解だけでは何も起こらないのじゃ。
実践してこそ変容も訪れるのじゃ。
法はそのためにあるのじゃ。
>>625
そのような理解で良いのじゃ。
自我が主体であるという思い込みを持つ人間は、何を考えてもそこに主体を見出そうとするものじゃ。
そのような人間には出世間の法を理解するのも難しいものじゃ。
理解すれば次は実践あるのみなのじゃ。
627
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/13(月) 20:46:45 ID:LC3de7YgO
>>626
ありがとうございますm(__)m
ここのところ、呼吸だけでなく、音、皮膚感覚等全ての感覚に気付き続けるようにして座っておりましたが、昨日からまた呼吸への集中を再開したところ、数ヶ月振りに腹部の熱感が復活しました。この熱感を育てて意念で頭まで持ち上げてみたいと思います。
628
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/13(月) 20:54:24 ID:aqEyZ8OU0
>>626
それは個人の嗜好の問題で、甘いのが好きな人も居れば辛いが好きな人も居るって
いうのと同じものだと思うけど。
それだと体に良いと思えば美味しく感じるという思い込みもかなり入るんじゃないですかね。
味覚とは本来そのためにあるというのは、鬼和尚がいうような事ではなく
腐ったものは酸っぱい味がするとか、そういう生命の危険を
回避するために有るとかでしょ。
苦いものは苦いと感じる感覚が残るというのは納得出来ますが、苦くても体に合えば
美味く感じるというのは、それこそ体に依存した認識が残るって事ですよね。
629
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/13(月) 21:57:06 ID:Bwz0R3.60
落語 - 110件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=92lXQTR_xsA&list=PL77EB63B593F329E9
630
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/01/14(火) 19:50:01 ID:kaXJvxhM0
>>627
そうじゃ、実践あるのみじゃ。
またおいでなさい。
>>628
普段は苦くて嫌なのに病気になるとその苦味が快く感じるのじゃ。
肉体が自らに良いものを美味として感じるのじゃ。
動物なども病気になると普段食べない草とか泥を食べたりするのじゃ。
体を善くする成分のあるものを美味と感じるからなのじゃ。
体に悪いものを退け、体に良いものを美味として取り入れるようにするのが感覚の本来の役割なのじゃ。
631
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/14(火) 19:58:51 ID:wH0JIS760
鬼和尚、
集中の瞑想における、集中と快について、お聞きしたいことがあります。
姿勢を修正することで、快が強まったり、集中が深まりやすくなったり
しますが、快の強まりと集中の深まりとが必ずしも一致しないことが
あるように思います。
例えば、腰と下腹の力を強めれば、快は増しますが、強めすぎると
体が不自然になり、集中が深まりにくいような感覚があります。
もしかしたら、慣れてくると腰と下腹に強い力を入れ続けた方が
より深い集中ができるのかと思いつつも、集中と快のどちらを
優先したら良いのかが分かりません。何か助言をいただけますと
ありがたいです。
632
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/14(火) 21:46:49 ID:aqEyZ8OU0
>>630
それは体調で味覚が変化したって事でしょ。
観察で原因を滅したから美味しく感じるようになったというのとは全然違いますよね。
633
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/14(火) 22:43:45 ID:LC3de7YgO
>>630
記憶に依存した観念にすぎない自我を滅し、認識を滅しても、感覚がなくなるわけではなく、それが記憶に依存したものではなくなるということですね。例えば味覚であれば、体に良いものを美味しく感じる。
要は、記憶に依存しているかいないかの違いが大であるということですね。
634
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/15(水) 18:49:38 ID:wAZuhk5M0
理解と気づきは異なるものでしょうか?
気づきとは確信のようなものでしょうか?
635
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/01/15(水) 20:32:00 ID:kaXJvxhM0
>>631
そのような快は本来サマーディに達するためのものなのじゃ。
呼吸ではなく、その快に集中するが良いのじゃ。
下腹に力を入れて頭の中心にある快に意識を集中するのじゃ。
慣れれば下腹全体ではなく、腰と外腹斜筋のみに力をいれて楽に丹田に力を加える事が出来るのじゃ。
快をどこまでも強めていけば自然に忘我に入るのじゃ。
観察もその快があることを観察してみるのじゃ。
快が厭離出来れば更に進歩するじゃろう。
>>632
おぬしが前レスで個人の嗜好で苦味が美味いと感じると書いたから、病を得ると苦いものも美味いと感じると書いたのじゃ。
何かの観念に囚われて体に良いものを不味いと感じられたならば、その観念が無くなれば美味いと感じる事もあるのじゃ。
おぬしは美味いというのが観念であるという考えに囚われているようじゃ。
苦味とか辛味とかの味覚の中に旨味というのもあるのじゃ。
それを研究して実現したのが味の素のような調味料なのじゃ。
体を造るたんぱく質の原料であるアミノ酸が美味いと感じるのは肉体が必要としているからなのじゃ。
もし美味いという味覚が観念のみであるという考えに囚われていたら、 それを見つけることは出来なかったじゃろう。
>>633
そうじゃ、感覚はあるのじゃ。
観念が無ければ感覚も本来の役割に還り、体に良いものを美味いと感じるのじゃ。
それが感覚による智慧なのじゃ。
636
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/01/15(水) 20:38:48 ID:kaXJvxhM0
>>634
理解は気づきとは違うのじゃ。
確信とも違うのじゃ。
気づきとは物事に投射された観念を取り除き、本当のありようを観る事なのじゃ。
例えば道に蛇が居るから通れないと思っていて、近寄ってよく観たら古い縄だったと知るのが気づきなのじゃ。
間違った観念を正しく観察して取り除くのが気づきと言えるのじゃ。
知らなかった事をただ理解するのは、間違った観念を取り除いたのではないから気づきではないのじゃ。
確信は真実に辿り着いても居ないのであるから気づきではないのじゃ。
637
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/15(水) 21:04:57 ID:aqEyZ8OU0
>>635
好き嫌いの原因を滅したからって、その食べ物が体に良い物に変化するわけじゃ無いでしょう。
それとも原因を滅したら体調が悪くなって美味しく感じるようになったとでも言うのですか?
そもそも不味いと思っていたものが、体にいいものだったどうかも分からないのだから
体にいいものは美味しく感じるという、鬼和尚の説明は的外れでしょう。
638
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/15(水) 23:47:31 ID:Bwz0R3.60
米朝 『地獄八景亡者戯』 1/3 - 24:57
http://www.youtube.com/watch?v=H2Ym-lPWE60
米朝 『地獄八景亡者戯』 2/3 - 20:10
http://www.youtube.com/watch?v=7ZIasACMapY
.米朝 『地獄八景亡者戯』 3/3 - 22:49
http://www.youtube.com/watch?v=JEY4HhmkfCA
桂吉朝 「地獄八景亡者戯 」 - 1:14:56
http://www.youtube.com/watch?v=Eq8IQP7Q-NI
.桂枝雀 Shijaku Katsura 地獄八景亡者戯 1/2 - 29:11
http://www.youtube.com/watch?v=HZRVw08WZV8
桂枝雀 Shijaku Katsura 地獄八景亡者戯 2/2 - 41:48
http://www.youtube.com/watch?v=nG0rl0oOF7Q
639
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/16(木) 01:20:27 ID:Bwz0R3.60
.初代 桂歌丸『牡丹燈篭-栗橋宿』-rakugo- .52:48
http://www.youtube.com/watch?v=DLtt9JvWwV4
怪談 牡丹灯籠 1/4 お露と新三郎 三遊亭圓生(六代目) - 1:04:02
http://www.youtube.com/watch?v=OSi9e42XiBg
.怪談 牡丹灯籠 2/4 御札はがし 三遊亭圓生(六代目) - 50:22
http://www.youtube.com/watch?v=GF9sMszJ8FU
.怪談 牡丹灯籠 3/4 おみね殺し 三遊亭圓生(六代目) - 39:51
http://www.youtube.com/watch?v=3bV0R39mfxU
怪談 牡丹灯籠 4/4 栗橋宿 三遊亭圓生(六代目) - 44:58
http://www.youtube.com/watch?v=NHrE2ma-l2w
真景累ヶ淵 No1 宗悦殺し 三遊亭圓生(六代目) - 1:06:06
http://www.youtube.com/watch?v=Vx-ue0qkYII
真景累ヶ淵 No2 深見新五郎 三遊亭圓生(六代目) - 58:33
http://www.youtube.com/watch?v=CSDroBu0hQU
真景累ヶ淵 No3 豊志賀の死 三遊亭圓生(六代目) - 1:08:32
http://www.youtube.com/watch?v=AAzCt9ALWZk
真景累ヶ淵 No4 お久殺し 三遊亭圓生(六代目) - 1:04:49
http://www.youtube.com/watch?v=l7JtfwsiNVM
.真景累ヶ淵 No5 お累の婚礼 三遊亭圓生(六代目) - 1:04:49
http://www.youtube.com/watch?v=nB_trZ3TLGc
真景累ヶ淵 No6 勘蔵の死 三遊亭圓生(六代目) - 1:15:09
http://www.youtube.com/watch?v=lOFd87Rk9c4
真景累ヶ淵 No7 お累の自害 三遊亭圓生(六代目) - 1:00:54
http://www.youtube.com/watch?v=cOL3hba7x3A
怪談 牡丹灯籠 1/4 お露と新三郎 三遊亭圓生(六代目) - 1:04:02
http://www.youtube.com/watch?v=OSi9e42XiBg
怪談 牡丹灯籠 2/4 御札はがし 三遊亭圓生(六代目) - 50:22
http://www.youtube.com/watch?v=GF9sMszJ8FU
.怪談 牡丹灯籠 3/4 おみね殺し 三遊亭圓生(六代目) - 39:51
http://www.youtube.com/watch?v=3bV0R39mfxU
怪談 牡丹灯籠 4/4 栗橋宿 三遊亭圓生(六代目) - 44:57
http://www.youtube.com/watch?v=NHrE2ma-l2w
640
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/16(木) 07:33:02 ID:byGhGyc60
>>635
>>631
私のサマーディの理解が間違っていたようです。
対象のあるサマーディは、心の集中によって対象と一体化することで
忘我を実現するものであり、気が上丹田に上昇することによる快は
二次的なものと理解していました。
正しくは、サマーディに達するためにはむしろ気の上昇が主で、心の集中が従
ということでしょうか?
それとも、気の上昇と心の集中は互いに補い合う関係で、サマーディには両方が
同時に必要ということでしょうか?
いずれにしても、大変貴重な実践の助言をしていただき、ありがとうございます。
快に集中して瞑想を実践してみます。
また、快の厭離もその次の目標として、やってみようと思います。
641
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/16(木) 16:09:50 ID:Bwz0R3.60
般若心経の現代語訳が素晴らし過ぎた件 - 3:32
http://www.youtube.com/watch?v=QQBy1LA1uIU
般若心経. 現代語訳 - 5:29
http://www.youtube.com/watch?v=E_SgUM2NhM0
般若心経 「超訳」 - 5:35
http://www.youtube.com/watch?v=fAqqpMnbmp0
.般若心経清新版 - 7:30
http://www.youtube.com/watch?v=5VKSZArL9UE
.15_0 宇宙論における般若心経研究 - 26:25
http://www.youtube.com/watch?v=kIKR1UUtxKE
.般若心経 Heart Sutra 〜サンスクリット、チベット、アジア各国言語チャンティング - 9:44
http://www.youtube.com/watch?v=hi5TrWNw7gQ
般若心経 Heart Sutra - 37本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=WCIFo6zPf2Y&list=RDhi5TrWNw7gQ
般若心経 - 47本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=UjxlmPOoDzE&list=RDEB-bYJoqvQQ
.般若心経 Heart Sutra - 49本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=hi5TrWNw7gQ&list=RDWCIFo6zPf2Y.
.瀬戸内寂聴 - 『般若心経』とは - 29:07
http://www.youtube.com/watch?v=Q-rbuvDb3bw
.12分で分かる!「般若心経」 - 12:47
http://www.youtube.com/watch?v=SiduypCL9NA
ゴスペル風「般若心経」つのだ☆ひろ - 5:36
http://www.youtube.com/watch?v=EB-bYJoqvQQ
.sm12037793 - 【halyosy】「般若心経R&B」を歌ってみた【アレンジ】 - 2:44
http://www.youtube.com/watch?v=dedRPzy9R2I
般若心経RAP / AMIDA - 49件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=HVJELGsO7YM&list=RDaV6VyvAHOdg
般若心経 - 33件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=TPsYd7EXJOU&list=PL4B675F032CA31732
仏教の本質 哲学者「中村元」 - 8:48
http://www.youtube.com/watch?v=NWZtkxP3eGg..
642
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/16(木) 16:47:59 ID:NpBkhqbI0
悟りよりもまず、世間を生きる知恵と行動力が欲しい。
643
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/16(木) 17:46:10 ID:wAZuhk5M0
サマーディに入りながら日常生活を送ることは可能でしょうか?
それともこの2つは両立しないものですか?
644
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/01/16(木) 19:42:52 ID:kaXJvxhM0
>>637
何かの観念に囚われて体に良いものを不味いと感じていたならば、その観念が無くなれば美味いと感じる事もあるのじゃ。
観念を厭離して何かが美味く感じられたのならば、それはもともと体に良いものを観念に因って不味いと思っていたからであるという推測が出来るのじゃ。
>>640
そうじゃ、サマーディの必要条件は正しい姿勢による気の上昇なのじゃ。
集中するのは丹田以外の全身の力を抜き、その条件を満たす姿勢をつくり出すためなのじゃ。
世の中には集中行を行わず、姿勢だけでサマーディにまで到達した者も居るのじゃ。
集中もその後のエネルギーのコントロール等に必要であるがのう。
何でも試して見たら良いのじゃ。
>>643
出来るのじゃ。
むしろ効率よく出来るようになるのじゃ。
武道とか茶道とかの道は、そのようなサマーディによる究極の動作を求めて行うものじゃ。
サマーディによって自我が忘れられていれば、肉体は観念に囚われない働きが出来るからなのじゃ。
645
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/16(木) 20:34:13 ID:aqEyZ8OU0
>>644
ようするに嫌いな原因を滅したその食べ物が“たまたま”その人の体に良い物だった
というだけであって、好き嫌いの原因を滅したから美味しく感じられた訳では無く
体に良いものだったから美味しく感じるようになったという事でしょ。
観察で嫌いな原因を滅した食べ物が、元々体に良くも悪くも無いものなら
美味しいとも不味いとも感じないし、甘いものは甘い、辛いものは辛いという
一次的な味だけを感じるはずで、その次に起こる美味い、不味いという感覚は
二次的な認識の要素が働くはずですよね。
ですからやはり、観察で嫌いな原因を滅したからといって、食べ物が美味くなったり
不味くなったりするのはおかしいし、観念の働きによるものなんじゃ無いですか。
646
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/16(木) 20:52:27 ID:4Pp0TD2o0
>>644
快に集中して瞑想をしてみました。
はじめ座ったばかりの時は快の感覚が弱く、上手に集中できなかったので、数息観に切り替えました。
集中が深まり、姿勢を調整すると快が強くなってきたので、そこからは快に集中しました。
気が遠くなるような感覚の中で、頭の中がジンジンして、視界が白で覆われるような
感覚を観察しましたが、それに囚われてしまい、そこで止まってしまいました。
かなり良い感じなので、この行を続けてみようと思います。
また、姿勢がとても重要ということで、普段から背骨が立っているかどうか観察する
習慣をつけようと思います。普通に立っている時でも、姿勢が整うと微妙に快の感覚が
生じるようです。
おかげさまで、集中の行をさらに進めるヒントがいただけました。ありがとうございました。
647
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/16(木) 22:01:22 ID:Bwz0R3.60
.「タイで修行、おもろい坊主」1 - 8:51
http://www.youtube.com/watch?v=0VeDLg4DvLA
.「タイで修行、おもろい坊主」2 - 9:56
http://www.youtube.com/watch?v=h-oyYSdY4vI
ヴィパッサナー瞑想の勧め。オモロイ坊主の「楽になる生き方3」 - 1:59
http://www.youtube.com/watch?v=BLjWcBIWw6I
.ヴィパッサナー瞑想&歩く瞑想。オモロイ坊主の「楽になる生き方4」 - 3:24
http://www.youtube.com/watch?v=8j-h64b9rq4
.スマナサーラ長老「悟りを開く瞑想について」 - 29:30
http://www.youtube.com/watch?v=SiqcshhHDJs
「手放すことが生きること」スマナサーラ長老との対話(2012年12 - 1;20:52
http://www.youtube.com/watch?v=xL37dMGnF9E
タイの仏教 b- 48:59
http://www.youtube.com/watch?v=ov20xbOFWFo
インド不可触民を救う日本人仏教指導者_佐々井秀嶺 - 47:53
http://www.youtube.com/watch?v=e9cAD06EXcw
親日国インド、日本を味方にして中国に対抗 - 107件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=-sVYoIeHoaQ&list=PL573D8C8444BF2A38
親日国 台湾 タイ インド ベトナム 他 - 58件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=Nnvnrf23h2Q&list=PLE4D61955F91CA71F
日本と親日国のいい話 - 15件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=-glmyOXyuII&list=PL69590755C80FE360
親日国との歴史 - 35件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=GcXTY5BkOTY&list=PL3931BA8F965A38AE
648
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/17(金) 03:45:12 ID:wAZuhk5M0
自我が忘れられる=行為者としての感覚がなくなる、でしょうか?
649
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/17(金) 08:56:15 ID:WL2yRwjAO
うまいまずいの議論中ですが
例えば若い男にとって若い女の人が美しく感じるのは
若い女を身体に良いものだと若い男の身体が認識しているからでしょうか
若くない女を嫌うのは身体に悪いと男の身体が反応するからでしょうか
だとすると色欲は単なる観念とは言えないと言うことでしょうか
650
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/17(金) 16:08:52 ID:zz3du5Nk0
>>644
集中もその後のエネルギーのコントロール等に必要であるがのう。
サマーディの後のエネルギーのコントロール等とは何でしょうか?
もう少し詳しく教えてください。
651
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/01/17(金) 19:53:23 ID:kaXJvxhM0
>>645
わしはすでに言葉で美味いという一次的な感覚もあると書いたのじゃ。
美味いという感覚が観念ではないと理解出来ないのならば観察してみると良いのじゃ。
観察によって観念からの囚われが無くなるのじゃ。
>>646
どういたしまして、またおいでなさい。
>>648
そうじゃ。
行為は行為者が居ないときに最も上手くできるのじゃ。
行為者により、自分は弱いとか下手だとか恐いとかの行為の障害になる観念がもたらされるからなのじゃ。
行為者が居なければそのような観念は無く、行為に専念できるからなのじゃ。
>>649
そうじゃ。
それも本能じゃろう。
元気な子供を作る女子を本能が求めるのじゃ。
>>650
エネルギーをコントロールしないと不眠とか食欲の暴走等に悩まされるのじゃ。
熱が頭にばかり篭もると白隠のように病気になったりするのじゃ。
熱を下げるために集中による気のコントロールが必要なのじゃ。
インドでは七つのチャクラに集中したりするのじゃ。
胸に五つの元素をイメージする法もあるのじゃ。
やはり集中が大事なのじゃ。
652
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/17(金) 20:27:06 ID:wH0JIS760
>>651
なるほど、頭に上がったエネルギーを下ろすのに
集中が必要となるのですね。
私はこれまで、止観と苦滅のみを行ってきましたが、
気を上げたり下げたりする訓練もしておいたほうが良いでしょうか?
クンダリニーヨーガや気功のように、意識的に気を上げる
方法は、師がいないと危険が大きいと判断し、興味がありつつも
これまでは試していませんでした。
653
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/17(金) 23:59:21 ID:x3qGKFVU0
>>651
美味いが一次的な感覚というのは分かったと言ってるでしょ。
だから今回は原因を滅した食べ物が“たまたま”肉体に良いものだったから
美味しく感じただけだと言ってるんですよ。
私がずっと言ってるのは、嫌いな原因を滅しても食べ物が美味くなったりしない
という事でしょ。
鬼和尚の言うとおりでも、嫌いな原因を滅した食べ物が体に悪いのなら不味く感じるだろうしし、
結局それは体に良いとか悪いとか二次的な要素が加わるから、そう感じるんでしょ。
だから舌自体がそれを一次的な感覚で感じるのだとしても、それは原因を滅したからでは無く
食べ物自体が体に良かったり悪かったりするからそう感じるだけで
好き嫌いの観念を滅したからそう感じる訳では無いと言ってるんですよ。
何回同じ説明すれば良いんですか?
なんかわざとシラバックレてません?
654
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/18(土) 07:13:11 ID:LTUvvDAY0
鬼和尚のような悟った方は、常にサマーディに入っているのでしょうか?
655
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/18(土) 07:15:11 ID:LTUvvDAY0
「無住心」について釈義していただけませんか?
656
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2014/01/18(土) 11:53:29 ID:cAZcWhe20
鬼和尚
悟っていなくても、瞑想中でなくても、普段の行いで自我の投射のないことが持続することはあり得るのでしょうか。
657
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2014/01/18(土) 11:59:06 ID:cAZcWhe20
鬼和尚
自分のある行いが、自我の投射によるものなのか、それとも自他不二によるものなのか、どちらなのか自分でわかるのでしょうか。
658
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2014/01/18(土) 13:06:38 ID:cAZcWhe20
鬼和尚
自分のある行いを仮に自他不二によるものとするならば、その姿は「激高」していると表現していいと思います。
それでもどこかで自制している感があります。
自制を緩めれば、鬼のようになりそうです。
しかし、何かを破壊するでしょうが、傷つけることはないかもしれません。
659
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/18(土) 17:47:50 ID:NpBkhqbI0
鬼和尚
たまに、ひどく疲れたときなど、夢なのか現なのかわからない現象があらわれることがあります。
ダイヤブロックの人形のような細かい動物や人や建物がワーッと目の前に現れて消えたりとか
見たこともない外国の町が見えたりします。これらは脳が生み出した幻覚なのでしょうか?
それとも非物理的な、異世界のような場所なのでしょうか?
660
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/18(土) 19:47:32 ID:bMXO5xH.0
余り思考を挟まないで直観で行動する方が知恵に近いですか?
661
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/18(土) 19:49:20 ID:WL2yRwjAO
サマーディの状態で日常を送る心得のようなものがあれば教えてください。
662
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/01/18(土) 20:46:49 ID:kaXJvxhM0
>>652
座禅だけしていても百隠のように頭に気が上る事もあるのじゃ。
出来れば気をコントロールする法を知っていたほうが良いのじゃ。
そうすれば気が頭に上っても慌てることなく対応できるのじゃ。
>>653
まだわかっていないのじゃ。むしろ混乱しているのじゃ。
おぬしは「今回は原因を滅した食べ物が“たまたま”肉体に良いものだったから
美味しく感じただけだと言ってるんですよ。」と確かに書いている。
そして直ぐに「私がずっと言ってるのは、嫌いな原因を滅しても食べ物が美味くなったりしない
という事でしょ。」と書いておる。
食べ物がたまたま体に良いものだったから、嫌いな原因を滅したら美味く感じられたとしても、それは嫌いな原因を滅したから食べ物が美味く感じられたと言う事じゃろう。
おぬしはたまたまでも嫌いな原因を滅したら食べ物が美味しく感じられ事を認めておる。
そして直ぐに否定しておる。
観察によって混乱を離れるのじゃ。
>>654
入っていないのじゃ。
日常が混乱するからのう。
仮にでも自我が無ければ、会話も出来ないのじゃ。
663
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/18(土) 20:54:29 ID:x3qGKFVU0
>>662
だから違うって。
観察で原因を滅した食べ物が体に良いものじゃ無かったら美味しくは感じないんだろ。
なら観察で原因を滅しても全ての食物が美味しく感じる訳じゃないとずっと言ってるんだよ。
本当にいい加減にしろよ。
あんた分かっててわざとやってるだろう。
664
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/01/18(土) 21:08:57 ID:kaXJvxhM0
>>655
それは金剛経の言葉じゃな。
前の文から訳すとこのようになるのじゃ。
まさに色に住して心を生じてはならない。
まさに声香味触法に住して心を生じてはならない。
まさに住する所無き心を生ずべし。
五感から心に浮かぶ観念にまで、何ものにも囚われない心を生じさせよと言う意味なのじゃ。
六つの感覚に囚われない心とは、もはや無念無想に等しい心なのじゃ。
そのようにまでなればサマーディにも近く、体も自在に動くのじゃ。
心は本来、五感と心の働きである観念に住し、囚われ易いものじゃ。
心が形に囚われれば形によって苦を受け、形による制約を受ける。
そのように五感も同じであり、観念に心が囚われればやはり観念に因って苦を受け、観念による制約を受けるじゃろう。
心が六感に囚われなければ六感による苦を受けず、その制約を受ける事もないのじゃ。
そのように何ものにも囚われない心が無住心と呼ばれるのじゃ。
665
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/01/18(土) 22:14:01 ID:kaXJvxhM0
>>656
あるじゃろう。
我を忘れて行動するというのがそうなのじゃ。
スポーツでも緊急時でもありえるのじゃ。
>>657
わかるのじゃ。
我と言う観念が無ければ気づくのじゃ。
>>658
自制があればまだ自我はあるじゃろう。
分裂しているようではあるがのう。
>>659
認識する全ては心が作り出した幻影なのじゃ。
おぬしの心の現れと同じ数だけ異世界はあり、幻想もあるじゃろう。
これは幻想であり、あれは異世界であると言う秩序のない姿が本来のありように近いのじゃ。
>>660
そうかもしれん。
直感智という智慧もあるのじゃ。
しかしちゃんと考えて正しいかどうか判別しなければいかんのじゃ。
>>661
姿勢を正しくするのじゃ。
骨盤を垂直にして下腹に力が自然に入るようにすると気が頭に上るじゃろう。
後は自然な体の動きに任せるのじゃ。
666
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/18(土) 22:28:58 ID:P.PEnNUg0
>>662
ありがとうございます。
気を下げる法に関しては、滝を浴びているとイメージする方法、
薬が体の中を下りていくとイメージする方法、胸式呼吸
を鬼和尚は他の場所で説いてくださっておりますが、
他に気を感知するコツや、気をコントロールする法で
良いものがありましたら、お教えください。
667
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2014/01/18(土) 23:14:39 ID:cAZcWhe20
>>665
>我を忘れて行動するというのがそうなのじゃ。
> スポーツでも緊急時でもありえるのじゃ。
一時的ではなく継続することはあり得るのでしょうか。
>
>>657
わかるのじゃ。
> 我と言う観念が無ければ気づくのじゃ。
本当に気付いたのか、それとも、気付いたということが自我の投射によるものなのか、自分でわかるでしょうか。
>
>>658
自制があればまだ自我はあるじゃろう。
鬼のような自他不二でも構わないでしょうか。
> 分裂しているようではあるがのう。
何が言いたいのかわかりません。
別の表現をしてもらえませんか。
668
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/19(日) 07:48:58 ID:NpBkhqbI0
>>660
そうかもしれん。
直感智という智慧もあるのじゃ。
しかしちゃんと考えて正しいかどうか判別しなければいかんのじゃ
なるほど。ただ、鬼和尚さんは、普段、思考というものは過去の記憶の反応に過ぎないということをおっしゃっていたかと思います。
クリシュナムルティさんも、思考から時間が生まれ恐怖が生まれ、恐怖から逃避が生じ、あらゆる悲惨が生まれると思考というものをネガティブにとらえていたように思います。
そして、おっしゃる通りで、何かしようとするときに、私は思考がアイデンティティのために、考えてから行動することが多いのですが、考えると、過去の経験に照らし合わせて「やめて置こう」とか
消極的な結論に陥ることが非常に多いです。一方、観察は現在なので、過去に犬にかまれた経験があっても、目の前にいるのがチワワであると認識すれば怖がる必要はないように、時宜に応じた適切な行動が取りやすいのかなと思い
余り思考を挟まず、まぁ、直観も過去の記憶から生じるのですが、行動する方が良い結果が生まれやすいかなと思い、質問しました。
669
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/19(日) 09:59:41 ID:NpBkhqbI0
これは知識や経験から生じてくる結論であり、それこそ疑わしいかもしれません。
智慧とは、正しく見ることから生じるのではないでしょうか?
対象が、縄か蛇かわからないで取る行動は、それが妥当なものであったとしても、それはまぐれあたりです。
しかし、それが縄ならば、拾って工具箱にでも入れるかもしれないし、それが蛇、それも毒蛇ならば、近寄らないでしょう。
しかしもし、人が、目の前のものを観察せず、「毒蛇注意」という看板を、百メートル前で見た、記憶から、夜道に落ちている縄を見るならば、それは蛇にしか見えず、恐怖し、悲鳴を上げ、助けを呼ぶかもしれません。
つまり、正しい観察によって付随的に生じる思考こそが智慧と呼ばれるべきではないでしょうか?
であれば、我々が何をするべきかというと、日常生活においても、瞑想中であろうが、いかなる時にでも、物事をよく見ることから始める必要があるのではないでしょうか?
我々は、あれをせよこれがいいといわれると混乱してしまいます。
もっとも、重要なこと、無知や混乱からの「救い」の必要十分条件を述べよというのであれば、正しく物事を見ること、ではないでしょうか?
670
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/19(日) 10:12:18 ID:NpBkhqbI0
余談ですが
先ほど、縄か蛇かという話をしましたが、縄か蛇かと判断するのも、実は知識や経験によるものですね。
これは縄、これは蛇、縄は安全、蛇は危険という知識に基づいて行動しています。
正しく観察しているつもりでも、その観察自体が、実は、知識による条件反射的観念であると。
多くの場合、実体ではなく、知識を見ているわけですね。
「あそこにいるのは花子だな」これも、花子という知識から生じる認識です。これも虚構であり、実体ではない。
しかし、そこまで認識を解体していくと、日常生活を送る上では不便なので、我々は、知識の基盤にのっとって、生活をしています。
つまり我々が見ているのは、実体ではなく、知識であり、どんな即物的な人間ですら、観念的に生活しているわけです。
究極的には、観察を純化していけば、「そこに本がある」ではなく、「そこに白と青の色で囲まれた一定の厚みのあるスペースがある。それは本と呼ばれているものである
ように私には見える」というような認識になってきますね。
一言でいうと「色即是空」ですが。
671
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2014/01/19(日) 14:37:38 ID:cAZcWhe20
鬼和尚
自我があるとかないとか、ということと、自我の投射があるとかないとか、ということは違うのでしょうか。
違うならば、どう違うのでしょうか。
672
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/19(日) 17:02:38 ID:NpBkhqbI0
もし、何かが存在するという観念が生じた場合
ああ、何かがあるという観念が生じているなぁと淡々と観察し続けることで、解脱に到達するものでしょうか。
673
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/19(日) 17:10:33 ID:NpBkhqbI0
金剛法の論理や目的はわかるけれど、その意味が知的にわかるだけでは悟れないですよね。
具体的実際的に、目の前に、リンゴが現れたとき、どのように金剛経を活用するればいいのでしょうか
これは、リンゴではない、しかしリンゴでないということもないと、念仏のように唱えるのでしょうか?
674
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/19(日) 17:46:03 ID:3qg6l7MU0
こんにちわ
先月和尚様のブログで心の病(神経症)で相談させて頂いた者です
瞑想で症状を悪化させてしまったことについて今すぐ瞑想を辞めるべきとのアドバイスを頂ましたが
辞めてしまっても今の症状にとても耐えられません(一週間止めていますが症状自体酷過ぎるのです)、どうしたらいいでしょうか?
675
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/19(日) 18:14:17 ID:3qg6l7MU0
鬼和尚に会うことはできますか?
今の症状は信じられない程に酷いですが心の状態を観て頂きたいのです
676
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/01/19(日) 20:17:11 ID:kaXJvxhM0
>>663
おぬしは今まで自分が書いたレスを観察し、「全ての食物が美味しく感じる訳じゃない」と書いてある文章を見つけてみるのじゃ。
自分では言っていないことを言っていると思っているだけかもしれん。
>>666
気とは本来様々なエネルギーなのじゃ。
熱でも磁力のようなものでもみんな気と呼ぶのじゃ。
熱や体が重くなったり痺れるような感覚があれば全て気がたまっているからなのじゃ。
頭にそのように気がたまっていれば不眠にもなるのじゃ。
気を下ろす法を行ってそのような感覚が無くなれば気が下がったのじゃ。
>>667
通常は一時期が過ぎれば止まるのじゃ。
自我が思い出されてくるからのう。
わかるのじゃ。
自分と言う観念が無い状態は人にとっては特殊な状態なのじゃ。
普段と同じ感覚しかないのならば、サマーディには入っていないのじゃ。
怒りや何かの原因で激高しているのならばいかんのじゃ。
自制しているものがあればそれが普通は自我なのじゃ。
何かの原因で変成意識状態になり、自制しているものと激高しているものの二つの意識があるように感じるならば分裂しているのじゃ。
677
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/01/19(日) 20:28:10 ID:kaXJvxhM0
>>668
-
>>670
そうじゃ、何でも試してみると良いのじゃ。
実践が全てじゃ。
>>671
違うのじゃ。
事実に沿って言えば、悟った者も悟っていない者も自我が無い事は、単なる事実なのじゃ。
悟っていない者には自我の投射がされているのも事実なのじゃ。
自我の投射が無いのが悟った者なのじゃ。
>>672
その観察が自我にまで行われれば解脱に到達するじゃろう。
観察の対象は自己でなければいかんのじゃ。
さまざまな観念を観るのはそのための準備でしかないのじゃ。
>>673
そうじゃ、そのように唱えたり、観想してみたりするのじゃ。
さまざまなものに投射された観念が厭離されるのがわかるじゃろう。
人の認識も習慣によって行われている故に何度も繰り返すことで認識も変えられるのじゃ。
678
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/19(日) 20:30:46 ID:x3qGKFVU0
>>676
だから初めの頃はともかくとして、一次的な感覚として美味というのが有ると
認めてからは、そう書いてなくてもそれが言いたかったんですよ。
鬼和尚は結構曲解することが多いから、どう言えばちゃんと伝わるか
あれこれ考えながら書いたんだけど、それが余計伝わりにくかったみたいだね。
で、観察によって嫌いな原因を滅しても、全ての食物が美味く成るわけじゃない
というのには同意するんですよね。
679
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/01/19(日) 20:33:10 ID:kaXJvxhM0
>>674
先ずはその苦を観察してみるのじゃ。
それは悲しみであるのか、不安や恐れであるのか、過去の記憶であるのかはっきりと観察して明らかにするのじゃ。
それが出来れば半分は苦が消えるじゃろう。
それがさまざまな苦を滅する第一歩なのじゃ。
>>675
わしに会っても苦はなくならないのじゃ。
しかしわしに会わなくとも苦は消せるのじゃ。
おぬし自身が己の苦を観察すれば、苦は消えるのじゃ。
おぬしを救えるのはおぬしだけなのじゃ。
680
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/19(日) 20:54:27 ID:3qg6l7MU0
>>679
ありがとうございます
681
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2014/01/19(日) 20:56:20 ID:cAZcWhe20
>>676
>怒りや何かの原因で激高しているのならばいかんのじゃ。
> 自制しているものがあればそれが普通は自我なのじゃ。
> 何かの原因で変成意識状態になり、自制しているものと激高しているものの二つの意識があるように感じるならば分裂しているのじゃ
普段の冷静な時の方が自制が強く、すなわち自我があると言えるかもしれません。
しかし自他不二から遠いかもしれません。
また、自制する必要の無いことまで自制しているかもしれません。
激高(周囲の人から見るとこのように見えるであろう、という意味の言葉です。)している時の方が自我(あるいはその投射)がないかもしれません。
そして自他不二に近いかもしれません。
その意味では常時分裂しているかもしれません。
分裂は統合した方がいいでしょうか。
いいならば、どのように統合すればいいでしょうか。
激高に何かの原因があるとするならば、
あるいは逆に、普段の冷静な時の姿に原因があるとするならば、
それをどのように探ればいいでしょうか。
682
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2014/01/19(日) 21:02:48 ID:cAZcWhe20
>>677
>事実に沿って言えば、悟った者も悟っていない者も自我が無い事は、単なる事実なのじゃ。
> 悟っていない者には自我の投射がされているのも事実なのじゃ。
> 自我の投射が無いのが悟った者なのじゃ。
自我が無い事が事実であるならば、無いものが投射されているということでしょうか。
無いものをどうやって投射しているのでしょうか。
投射する対象を認識することによって、本来無い自我が現れるということでしょうか。
683
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/19(日) 21:07:40 ID:Zck0SGB60
鬼和尚さま
味覚の美味い不味いの話が出てますが、サマーディなどによって、
記憶や経験から生じる美味い不味いの分別がなくなって、
どのようなものでもそのものの味をそのまま感じる状態になりますよね?
あれはサマーディなんですかね?
一般的にいうところの美味い(不味いに対しての相対的な美味い)とは違いますが、
なんでも美味しいですよね。
美味しいというかそのものの味を100%感じられて、なるほどこういう味なんだと、
普段わからないような細かい味覚まで知覚全開に感じられる明晰な状態。
知覚できる(したい)ことが美味しいこと、知覚できない(したくない)ことが不味いこと、という意味では、
純粋な知覚になると全て知覚できるし全て美味しいという言い方もできるような。
684
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/19(日) 21:49:00 ID:P.PEnNUg0
>>676
気自体には囚われないようにします。
鬼和尚の書かれていたような体の異常な感覚を観察した時に、
気を下ろす法を行い、その感覚がどうなるかを観察しようと思います。
いつも、安全かつ最短と思われる道を示していただき、ありがとうございます。
実践につとめ励みます。
685
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2014/01/19(日) 22:10:04 ID:cAZcWhe20
>>676
>普段と同じ感覚しかないのならば、サマーディには入っていないのじゃ。
サマーディ(悟りも含まれるでしょうが)以外では、我と言う観念が無いことに気付くことはできないということでしょうか。
686
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2014/01/19(日) 22:46:05 ID:cAZcWhe20
>>676
>怒りや何かの原因で激高しているのならばいかんのじゃ。
怒りや何かの原因がないものであるならば、鬼のような自他不二でもいいということでしょうか。
687
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2014/01/19(日) 23:55:16 ID:cAZcWhe20
鬼和尚
瞑想しながら、激高した時の事例をいくつか再現し、トレースして、己の観察を試みました。
怒りやその他の激しい感情は特にわきませんでした。
肉体的な変化も同時に観察しましたが、特に感じられませんでした。
おそらく、自他不二となった時、だからこそ自分と他人の違いがわかり、その違いがあまりにも大きいことに改めて触れ(これまでの経験上、既に普段から違うことはわかっているのですが、直に触れると改めてそれを再認識する、という意味です)、そのギャップが激高という形で表に現れたのだろう、と見えました。
怒りに関しては、他人がその時の自分を見た姿は、単に怒っているように見えるでしょうから、他人が認識しているであろう怒りを、他人から自分へ逆流する形で受け取っているものを、それが自分の怒りではないことを明確に区分するまでに至らない、のように見えました。
自他不二の順序が逆で、他自不二です。
原因としての怒りと言うよりは、結果としての怒りという感じです。
688
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/01/20(月) 19:56:44 ID:kaXJvxhM0
>>680
どういたしまして、またおいでなさい。
>>681
そのような一時的な状態ならばもはや止めた方がよいのじゃ。
自分でコントロールできなければ意味が無いからのう。
修行によって忘我によるサマーディの状態に入るのは、心をコントロールするためなのじゃ。
>>882
本当は存在しないものを、言葉とイメージによって投射しているのじゃ。
映画のようなものじゃ。
何も無いスクリーンに映像が投射されるように、自我も存在しないのに感覚などに投射されているのじゃ。
>>683
そうかもしれん。
普通は美味いものとか体に良いものを食べているからのう。
観念がなくなれば大抵は美味く感じるものじゃ。
>>684
そうじゃ、実践が全てじゃ。
またおいでなさい。
689
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/01/20(月) 20:00:09 ID:kaXJvxhM0
>>685
あまりにも興奮状態で我を失ってるならば、気づくことも無いじゃろう。
それは先の無い袋小路の道なのじゃ。
>>686
>>687
自分でコントロールできなければ意味が無いのじゃ。
集中は観察の為に心をコントロールする技であるからのう。
690
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2014/01/20(月) 21:02:38 ID:cAZcWhe20
>>689
>あまりにも興奮状態で我を失ってるならば、気づくことも無いじゃろう。
興奮していなければ、サマーディでなくても、我と言う観念が無いことに気付くことがあるということでしょうか。
>自分でコントロールできなければ意味が無いのじゃ。
意味が無いとやめた方がよいのは何故でしょうか。
691
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/20(月) 21:14:05 ID:Bwz0R3.60
YouTube ミックスリスト - 50件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=_E1OVI5KgBs&list=RDsiQFCTfRMEE
http://www.youtube.com/watch?v=HJaFI4IjMIM&list=RD_E1OVI5KgBs
http://www.youtube.com/watch?v=_E1OVI5KgBs&list=RDHJaFI4IjMIM
http://www.youtube.com/watch?v=4mkBeoN44Og&list=RDv99yO740tMI
http://www.youtube.com/watch?v=4mkBeoN44Og&list=RDXC3ikQFcHxc
http://www.youtube.com/watch?v=4IT_ZHGsQXw&list=RD4mkBeoN44Og
http://www.youtube.com/watch?v=v2SlpjCz7uE&list=RD4IT_ZHGsQXw
http://www.youtube.com/watch?v=AV-gYE_eKFM&list=RDv2SlpjCz7uE
http://www.youtube.com/watch?v=EWEl0-SX4oQ&list=RDAV-gYE_eKFM
中島みゆき(Nakajima Miyuki) 夜会(Yakai) - 21件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=EWEl0-SX4oQ&list=PLA10169F112DFD5C2
692
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/20(月) 21:27:45 ID:x3qGKFVU0
>>689
>>678
に返事をくれないのはわざとですか?
693
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2014/01/20(月) 22:47:30 ID:cAZcWhe20
私が現世(あるいは世間と言うか)に存在するためには、分裂せざるを得ないのかもしれません。
分裂することでかろうじて現世に適応している。
それが私が子供のころから感じている違和感の原因かもしれません。
694
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2014/01/21(火) 01:19:13 ID:cAZcWhe20
>>688
>>882
本当は存在しないものを、言葉とイメージによって投射しているのじゃ。
映画のようなものじゃ。
何も無いスクリーンに映像が投射されるように、自我も存在しないのに感覚などに投射されているのじゃ。
わかりません。
映画のたとえですと、投射についてはわかりますが、自我については、フィルムあるいはデジタルの映像データが自我に相当するのではないでしょうか。
695
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2014/01/21(火) 07:49:24 ID:cAZcWhe20
>>688
>自分でコントロールできなければ意味が無いからのう。
> 修行によって忘我によるサマーディの状態に入るのは、心をコントロールするためなのじゃ。
サマーディに入らなければ心のコントロールができないということでしょうか。
もしそうならば、サマーディに入らぬまま行う自他不二は止めた方がよいということになるのでしょうか。
サマーディに入れない人、すなわち、おそらくほとんどすべての人々は自他不二を止めた方がよいということになります。
696
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/21(火) 11:12:56 ID:LTUvvDAY0
輪廻から脱したいというのは、悟りへ向かう正しい動機でしょうか?
697
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/21(火) 17:33:25 ID:YWqLYYqo0
鬼和尚、
瞑想中に、あと少しで自我を手離すところまで来ているようなのですが、
そこで恐怖が生じて、抜けていた体の力が再び入ってしまい、覚醒度が
上がってしまう状況にいます。
快に集中している意志の力を少しずつ弱めていくと、意識を保ったまま眠りに
落ちていくような感覚が生じてきます。気持ちが良いし、
自分としては、サマーディの話を読んで、それを楽しみにしている
つもりなのですが、本心にはしつこい恐怖が残っているようで、落ちきれません。
この恐怖を乗り越えるには、意志を強く保ち、ひたすら励み続けるのが
良いかと思うのですが、もし、他に助言がありましたら、お願いいたします。
698
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/01/21(火) 20:19:27 ID:kaXJvxhM0
>>690
そうじゃ、気づきの体験とかピーク体験とか自己喪失とか言う体験があるのじゃ。
何かのきっかけで一時的に自己イメージの投射が止まると起こるのじゃ。
集中は心をコントロールして観察を容易にするためのものであるからじゃ。
意味の無い事をやるのは修行ではないのじゃ。
>>692
昨日は見落としたのじゃ。すまんのう。
>>689
そうじゃ、全てが美味く感じるわけではないじゃろう。
体に悪いものなどは余計に不味く感じるかもしれん。
しかし、嫌なものを食べるのは、一般的に美味いとか、体に良いとされているからである可能性が多い故に大抵は観念が無くなれば美味く感じるじゃろう。
>>693
>>694
それもまた本来は無いフィルムの上の点やデータなのじゃ。
>>695
それが本当に我を失うような体験ならば、サマーディにも容易には入れるじゃろう。
すでに己を無くす恐れを克服している事になるからのう。
多くの者が無我にまでもいけないのは、己を失う恐れがあるからなのじゃ。
それが無ければサマーディにまで達するのは容易なのじゃ。
>>696
それも正しいといえるじゃろう。
一切の苦から逃れられるからのう。
699
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/01/21(火) 20:23:30 ID:kaXJvxhM0
>>697
無常とか死を想うのじゃ。
今自分を手離さなくともいずれは死によって自分は消え去るのじゃ。
それを思えば今の恐れは小さくなるじゃろう。
本当の虚しい死に比べれば、今自分を捨てるのは永遠への門と呼べるのじゃ。
必ず消えなくてはならない自分を今手離して永遠への門を開くのじゃ。
700
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/21(火) 20:38:11 ID:x3qGKFVU0
>>698
今回の場合は観念を滅したらどうなるかを確かめる為に、あえて嫌いだった食べ物を食べた
と思いますよ。
まあただそう考えると、体に悪いものが嫌いでも困らない訳だから、あえてその原因を滅する
必要も無いでしょうから、鬼和尚の言ってることも一理ありますね。
ありがとうございました。
701
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/22(水) 04:29:07 ID:Bwz0R3.60
ヽ\、 ^\ はあ〜〜 在るもの空!無いものは無い!
\ \\ヽ、 ^\、 生成消滅いっさいくう!
\ \\ヽ \ |\ 始まりが無いから、!終わりも無い!
\ \ \ \ λ\、 それでも腹へりゃおまんまはたらふく喰う!
\ \ \ \ \、 過去も無い、今も無い、未来も無い!
\ \ \ \ ^ー)\ 諸行には常が無い。
\ \ ´⌒ヽ,⌒ヽ,_ ^)\、 存在は空!五蘊も空!
\ \ 人 λ\ ____ ^)\λ そう言う俺さへも一切皆空!
\ 「\ 、 ヽ/ _ノ ヽ、\ |
\ \ \ ヽ / ( ○)}liil{( ○) て
\ \ \ / (__人__) \ (
\ \ ^ | |!il|!|!l| | r'" ガビーン!
Z_ ヽ、_\ |ェェェェ| / て
Z_ \______ / (
Z_ r'"
Z、、 覚者 (
702
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/22(水) 07:13:29 ID:LTUvvDAY0
只管打座による悟りへの道程を解説していただけませんか?
703
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/22(水) 17:52:37 ID:1sAvBPl20
>>699
ありがとうございます。
無常や死を想いつつ、瞑想してみましたが、
実際の死の恐怖が強く生じることはありませんでした。
愚かにも、心のどこかで自分の実際の死はまだ遠いもの
という観念を持っているのか、あるいは、恐怖から、
真剣に観想するのを避けているのかもしれません。
もうしばらく無常や死の観想も続けてみます。
もし、具体的なやり方で良い方法がありましたら、
お教えください。
704
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/01/22(水) 20:36:15 ID:PAHPUIz60
>>700
どういたしまして、またおいでなさい。
>>702
道元はちゃんと集中と観察を教えているのじゃ。
最初はどうしても集中の行をして集中力を養わなければならんのじゃ。
初心の者はやはり集中力が足りないから座っても何もわからんのじゃ。
十牛図で言えば牛の足跡も見えない段階じゃ。
集中力がつけば心をコントロールする事が出来るようになり、少しずつ心の働きも見えてくるのじゃ。
牛の足跡が見えるようになるのじゃ。
そして集中力が十分につけば自分が見えるのじゃ。
牛を見つける見性なのじゃ。
自分がコントロールできれば牛に乗った状態なのじゃ。
実は自分というものは無かったと気づくのが牛を忘れるのじゃ。
さらにそれを観ているものさえなくなれば人も牛も無い状態なのじゃ。
無為のままにすわって居れば全てが源に還るのがわかるじゃろう。
真の悟りを得て人々に説く時が来たのじゃ。
>>703
そうじゃ、続けてやってみるのじゃ。
またおいでなさい。
705
:
善聖
◆rgBot67fe.
:2014/01/22(水) 23:22:12 ID:EUJYIxW20
>>704
道元が観察を教えていると言う根拠をご教示ください。
706
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/23(木) 08:03:26 ID:Nt9YJSNs0
道元はなんかいつも怒ってるイメージだな。
正法眼蔵読んでも人の批判しかしてない感じ。
707
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/23(木) 16:47:15 ID:YWqLYYqo0
鬼和尚、
集中の瞑想をしていて、言葉とイメージがはっきりしなくなる状態のまま続けていたところ、
首の後ろ側あたりに、それら全てを観ている、変化のない静かな観察主体があるのに気づきました。
これは、なんでしょうか? 修行の役に立ちますか? それとも囚われずスルーでしょうか?
瞑想中に自我の感覚が薄くなっても濃くなっても、変わらずに首の後ろあたりにあります。
自我が自分ではないかもしれないという思いが深まりました。
708
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/01/23(木) 20:11:02 ID:kaXJvxhM0
>>705
道元の書いたものに心を観ることが書いてあったのじゃ。
何に書いてあったのか忘れたのじゃ。
正法眼蔵だったかのう。
探してみるのじゃ。
>>707
それが阿頼耶識なのじゃ。
それに集中するのじゃ。
さらに深い意識に没入していくのじゃ。
709
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/23(木) 20:47:22 ID:Bwz0R3.60
ヽ\、 ^\ はあ〜〜 在るものは空!無いものは無い!
\ \\ヽ、 ^\、山川草木国土悉皆成仏さんせんそうもくこくどしっかいじょうぶつ
\ \\ヽ \ |\ 無始無終!始まりが無いから、!終わりが無い!
\ \ \ \ λ\、 それでも腹へりゃおまんまは、たらふく喰う!
\ \ \ \ \、 過去も無い、今も無い、未来も無い!
\ \ \ \ ^ー)\ 諸行には常が無い。
\ \ ´⌒ヽ,⌒ヽ,_ ^)\、 存在は空!五蘊も空!
\ \ 人 λ\ ____ ^)\λ 有情無情のものはみな空!
\ 「\ 、 ヽ/ _ノ ヽ、\ | そう言う俺さへも一切皆空!
\ \ \ ヽ / ( ○)}liil{( ○) て
\ \ \ / (__人__) \ (
\ \ ^ | |!il|!|!l| | r'" ガビーン!
Z_ ヽ、_\ |ェェェェ| / て
Z_ \______ / (
Z_ r'"
Z、、四角いので覚者 (
710
:
善聖
◆rgBot67fe.
:2014/01/24(金) 00:47:06 ID:EUJYIxW20
>>708
正法眼蔵ですか。あまり役に立たないテキストだと思いますが、読んでみます。
見付けたら報告します。
711
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/24(金) 00:52:19 ID:Nt9YJSNs0
キンキ鬼ッズ、なんか変わったな。
712
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/24(金) 13:20:30 ID:DZ0gjVsA0
>>708
最後に厭離する、ラスボスの存在に気づいたということですね。
その後瞑想したのですが、阿頼耶識を探そうとする心の動きの
ためか、阿頼耶識に気づけませんでした。自我の計らいを捨てて、
とにかく心を静かにする必要がありそうです。
行に励み、阿頼耶識に集中してみます。
ご回答ありがとうございました。
713
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/01/24(金) 20:36:58 ID:kaXJvxhM0
>>710
そうじゃ頼むのじゃ。
>>712
前の体験を求めてはいかんのじゃ。
記憶を求めている事になるからのう。
前と同じようにひたすら集中していればそれもコントロールできるようになるじゃろう。
714
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/25(土) 04:41:35 ID:LTUvvDAY0
651のレスで書かれている”胸に五つの元素をイメージする法”の詳細を教えてください。
715
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/25(土) 12:39:05 ID:RqjHb0Jg0
肉体を観察するとき目で見る必要はありませんか?
全身に意識を巡らせていく観察でかまいませんか
716
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/25(土) 18:40:18 ID:Zcl18UUU0
>>713
阿頼耶識に気づいたかもしれないということで、気負っていました。
初心に帰って、前の体験を求めず、楽しんでひたすら集中に励みたいと思います。
ありがとうございました。
717
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/01/25(土) 21:26:09 ID:kaXJvxhM0
>>714
その法はヨーガの本に書いてあるものじゃ。
日本では続ヨーガ根本経典という名前で売っておる。
アマゾンにも売っているじゃろう。
地水火風空の元素を胸に一つずつイメージするのじゃ。
地の元素は黄色で四角いのじゃ。
水の元素は白色で丸いのじゃ。
火の元素は赤色で三角なのじゃ。
風の元素は黒色で三日月型なのじゃ。
空の元素は水色で丸なのじゃ。
それらに一つずつ、神が居るのをイメージするのじゃ。
>>715
そうじゃ、意識するだけで良いのじゃ。
そこに起こる感覚を観察するのじゃ。
意識を向けるだけでも違った感覚が起こる事が分かるじゃろう。
>>716
どういたしまして、またおいでなさい。
718
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/26(日) 13:53:19 ID:NpBkhqbI0
悟りの過程で、非想非非想という境地があるらしいですが、これは座禅をしてない時でも
非想非非想なのでしょうか?
それとも座禅しているときだけなのでしょうか?
「非想非非想」という境地に照らし合してみると、自分がなんと四六時中物事を考えたり思ったりして苦しんでいるかと愕然とします。
719
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/26(日) 13:59:36 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんにちはm(__)m
珍しく、まだ質問がないようなので、もしよろしければ、元気の出る説法をお願いします。
お忙しくなりそうなら、次の機会で結構です( ̄▽ ̄)b
720
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/26(日) 14:21:15 ID:NpBkhqbI0
自分の好きなこと向いていることを追求していく。→周りが見えなくなる→周りから顰蹙を買う。→苦しむ。
自分のことはさておいて周りに合わせる→自分が見えなくなる→心が矛盾して苦しい。
どっちにしろ、苦ですね。
これが釈迦が説いたという「この世で苦しみは避けられない」ということだろうか。
自己実現より、生活の安定を優先した世間の普通の人の生き方に苦しみが多いのは、自明なくらいよくわかるが
生活より自己実現を優先したような、啄木やゴッホであっても、やはり苦しみは避けられない。否、普通の人より苦しんでいるようにすら見える。
721
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/26(日) 16:35:51 ID:5x3uyZ8o0
第三の目と悟りとは、何か関係があるのでしょうか?
722
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/01/26(日) 21:44:49 ID:kaXJvxhM0
>>718
それは座禅している時だけなのじゃ。
普段は普通の意識状態なのじゃ。
サマーディと同じなのじゃ。
>>720
そうじゃ、認識が記憶に依存している限り、苦は免れないのじゃ。
最初は楽しくともやがては苦になるのじゃ。
楽しければ楽しいほど苦も大きくなったりするものじゃ。
一切の苦を永遠に滅するには修行するしかないのじゃ。
>>721
それは集中の役に立つだけなのじゃ。
能力だけ開発してもそれに振り回されれば却って悟りは遠ざかるのじゃ。
ひたすら集中を続ければ悟りも近いのじゃ。
723
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/01/26(日) 22:04:41 ID:kaXJvxhM0
>>719
明日やるじゃろう。
724
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/27(月) 09:22:42 ID:NpBkhqbI0
読んだ本や書かれた文章に影響されやすい。
自分の考えがその文章に反映されているからという面もあるけども、
一目置いているような人が書いた文章を読むと、意識が変化してしまう。
世の中間違っていると書いているものをみると、世の中が間違って見えるようになるし
世の中は素晴らしいと書いているのをみると素晴らしく見えたりする。
このような意識の変化も苦ではないでしょうか。仏教的には無常というのかもしれません。
本当に無常です。自分の意識もコロコロ変化して無常です。
725
:
避難民のマジレスさん
:2014/01/27(月) 09:29:44 ID:NpBkhqbI0
若いころは左翼思想の影響を受けてたので、財産などは不浄だと思ってました。
しかし、労働者として苦労しているうちに、「金持ち父さん」とかの本を読むようになり、
やはり資産を持つのは自分らしく生きるために必要だと思うようになりました。無常です。
子供のころは、キリスト教の影響もあって神を信じてました。中学生くらいになると、無神論になりました。
しかし、無神論が行き過ぎてつらくなり、一種の哲学的な神を信じるようになりました。しかし、生活の役に立たないので
馬鹿にしていた新興宗教に入信しました。しかしやはり信じられないので仏教に入りました。
こういう過程を見ていくと、その瞬間瞬間は鉄の信心とすら思っていたものですら無常です。
この書き込みに対するレスポンスを読んだ瞬間にも、意識は変化します。
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