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鬼和尚に聞いてみるスレ【1】
1
:
1
:2013/07/27(土) 08:52:37 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚限定の質問スレです。
60
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/04(日) 02:09:58 ID:pQSgfWQ60
>>47
さて、誰でもわかるように書くが、
観察者がいるから、「見るもの」と「見られるもの」に別れるのだ。
観察者がいるから、主体と客体に別れるのだ。
君のやっていることは、ただの無限ループだ。
君は地獄に行ったことがないのかね?
そんなブッダはありえないんだよ。
61
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/04(日) 02:26:01 ID:pQSgfWQ60
>>51
たとえばこんなことを言っている人がいるんだ。
>>40
修行していない者はこの世で何も得られず、何も知らずに死に行くしかないものじゃ。
修行によって不死の境地に至れば、死に行く身で一切を得たと言えるのじゃ。
ニルバーナにおいては既知のものはすべて絶滅する。
それが「境地」などというものをいつまで抱えて持つだろうか? それは自我の仕事である。
彼は、まったく逆のことを言っている。
君は「境地」などの「慰めもの」を持つべきではないだろう。
それが無為であることを完全に阻害する。
君らは、ニルバーナ、
既知の絶滅に至っていない「知っている」人に騙され続ける。
62
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/04(日) 02:41:27 ID:pQSgfWQ60
悟りという理想的な精神状態に「成る」ための修行
ひたすら「見られるもの」になって、「見られるもの」ではなくなろうとする修行に意味があるだろうか?
理想的な精神状態を追い求める限り、
幻覚を見るだけである。
誰でも、精神の投影物になることができる。
キリストになった。釈迦になった。なんにでも「成る」ことが可能だ。
なぜ精神を虚しくしておかないのだろう?
「慰めもの」も、「理想」もなく、虚しいままでいてごらんよ。
精神の投影物は、すべて「空」になっていることだろう。
63
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/04(日) 02:58:33 ID:pQSgfWQ60
君らは、ここで
「精神の投影物になること」をひたすら苦労してやってだけだ。
それら「慰めもの」からいっさい離れて、
「空」にしてごらんよ。
64
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/04(日) 11:15:00 ID:IQSEMtG60
ここってID:WL2yRwjAOが管理してるんだろ。
鬼和尚以外で解答したり、持論を連投してる人の書き込み制限した方がいいよ。
そうじゃ無いと偽和尚の避難所と同じキチガイの巣窟なる。
65
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/04(日) 14:57:11 ID:RqjHb0Jg0
しばらく居つきます
今の自分はエイブラハムやバシャールなどのニューエイジ的思想を魅力に感じているのですが
自分に正直で、自由で軽く、視野が開けるからです
利他に徹せよ系のものは正直ぺぺぺだと思っております
確かに進化した人はやることが自然と人の為になり欲が少ない傾向がありますが
それは進化した結果であって利他を頑張ってしているわけではないと思います
エイブラハムは欲を進化のための道具としてとらえ、もっと欲せといいます
ブッダは王子として生まれ、欲の限りを満喫したということですが
なぜ欲をなくせなどと無理難題なことを言うのでしょうか
飽きるまでほっといてやればいいのではないでしょうか
66
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/04(日) 19:29:38 ID:WL2yRwjAO
法話お願いします。
67
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/04(日) 19:46:32 ID:kaXJvxhM0
>>56
おぬしが出来ると思うならば可能じゃろう。
おぬしの意志に掛かっているのじゃ。
強い意志があれば鬼神も避けるのじゃ。
狂度が小さなものならば体が健康②なるだけでもまともになるのじゃ。
>>57
社会は時に無実の者を捉えて殺し、戦争などでも多数の死者を出したりするのじゃ。
そのような集団に対して尽くせば、殺人にも荷担したことになるのじゃ。
一人一人の人間の為に尽くし、喜ばせるのが善事なのじゃ。
>>58
そうじゃ、ただ観察するのじゃ。
怒りが湧いてから、消え去るまでただ観察するのじゃ。
それが出来れば怒りは己ではなく、己のものでもないと気づくのじゃ。
怒りとの自己同一化が無くなり、もはや滅するのじゃ。
>>59
あるじゃろう。
怒りや執着を観察して厭離すれば苦もまた滅するのじゃ。
悟りまで至らなくとも今までの苦から逃れて、安楽に世を過ごせるのじゃ。
一生苦を背負って生きるより、遥かにましなのじゃ。
68
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/04(日) 20:04:33 ID:kaXJvxhM0
>>60
おぬしがアンカーをして語りかけている者はブッダではなかろう。
妄想の無限ループに陥り、自分に向けて地獄へ行ったのかとか質問しているのかも知れん。
それで自分の言動だけが正しいとか思い込んでいるのじゃろう。
正に無知地獄じゃな。
恐ろしい事じゃ。
69
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/04(日) 20:35:55 ID:kaXJvxhM0
>>65
>>66
お釈迦様はこのように言っておる。
185 、たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない。
「快楽の味は短くて苦痛である」としるのが賢者である。
186 、 天上の快楽にさえもこころ楽しまない。
正しく覚った人(仏)の弟子は妄執の消滅を楽しむ。
もし人が何かを欲し、その目的の物を得たならば、更に別の物が欲しくなるじゃろう。
美味い食事や、美しい着物や、華麗な家などを手に入れれば、更に美味いものや、美しい着物や、家などを欲しがるようになるじゃろう。
そしてそれが手に入らなければ苦になるのじゃ。
それを欲求不得苦というのじゃ。
欲求するものを得ても更に欲しがる苦があり、得られなければまた苦になるものじゃ。
実際に自らの生活を観察していれば、そのような欲求の増大は直ぐに判るじゃろう。
欲望が果てしない故に、欲求するものが得られない苦は常に在り続けるのじゃ。
欲するものを得る為に苦を我慢して延々と努力し、得られたとしても直ぐに更なるものが欲しくなる。
賢い者はそのような繰り返す苦を知り、それを避ける道を選ぶのじゃ。
欲する事によっては満足は得られない故に、欲しない事による満足を選ぶのじゃ。
それによって無意味な努力を避け、安らぎを楽しむ事が出来るのじゃ。
70
:
59
:2013/08/04(日) 20:43:01 ID:QJn1doVc0
ありがとうございます。
悟りまではいかなくとも修行の成果はあるということで安心しました。
71
:
善聖
◆rgBot67fe.
:2013/08/04(日) 23:20:38 ID:uhmz2yqs0
>>64
このスレの管理人は偽和尚さんだと思うよ。
スレを差別化させる意味で、あるていど制限を設けたほうが良いかも知れないね。
まあ、偽和尚さんに頼むしかないが。
72
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/05(月) 01:05:36 ID:OWFkcfvg0
スピリチュアル系で自我は不足、欠乏感から欲するので求めても求めても
きりがないが、本来の自己は豊かで無限であるので、物質的なものも豊かに
受け取れる、というようなことを言っている方たちがいます。
どう思われますか?納得する部分もあれば、違う方向にベクトルが向いてる
様な気がしないでもないです。
あと音楽についてどう思われますか?魅惑的な、ハイになるような、心落ち着く、
情緒深まる、感極まる、様々な感覚をもたらしますが、悟りの妨げですか?
73
:
偽和尚
◆qH7QdQmFhM
:2013/08/05(月) 01:54:46 ID:cud.kRqg0
>>64
>>71
そう。スレというかこの板の管理者が俺だ。ほとんど自然に任せてほったらかしではあるが。w
確かにこのスレの場合は議論するようなのが混ざると読み辛くなるな。
かといっていきなりバンバン削除してしまうのもアレだろうからとりあえず「このスレでは鬼和尚への質問と鬼和尚からの回答以外の書き込みはなるべく控えください」と書いておこう。
そういうのが書きたい場合は最初はこちらに書くのは仕方ないにしても続きを避難所の方のスレでやるようにすれれば良いんじゃないだろうか。
議論ではなく持論の展開だけの書き込みは完全にノイズと言えるかな。そういうのは気づいたら削除しよう。
74
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/05(月) 05:38:46 ID:3qg6l7MU0
鬼和尚様いくつか質問があります
・阿羅漢には6つの種類があって、中には悟りから退転してしまう者もいたらしいですが、鬼和尚にその不安はありますか?
・鬼和尚は過去世は見えますか?また見えたなら何世くらい昔まで見ることができますか?
・宿命通というのはどういう過程で手に入れるものなのですか?
よろしくお願いします
75
:
龍昇
:2013/08/05(月) 11:18:20 ID:9l6Zyh8w0
思考は過去だと観察した。
もっと突っ込んでみる。
認識した時点で既に過去ではないか。
そこで問う。
認識以前の「今」とは何か。
76
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/05(月) 15:33:46 ID:RqjHb0Jg0
鬼和尚さん回答ありがとうございます
>>69
欲はきりがない というのが理解できません
すでに巨万の富を得ながらさらにあっちこっちに手を伸ばす人なら分かるのですが
日本の富裕層は概ね満足の人が多いし、貧困層は閉塞感が漂っています
「やりたいことを好きなときにやれる財力」があるかないかが分かれ目で、これをもっている人は満足していると思います
たとえば仕事がきつく過労死しそうな人が、自給自足できるくらいの畑と持ち家、わずかなお金がほしいというのは欲でしょうか
77
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/05(月) 17:55:20 ID:WL2yRwjAO
仏教ならびに仏陀(釈迦)が日中韓友好の旗印にならないものかね
共産党が支配している限り無理かね。
仏像の所有で争っているくらいだから無理かな
鬼和尚はどう思う?
78
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/05(月) 19:40:39 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚は
何にもすがらず行動してますか?
それとも何かにすがって行動してますか
何にもすがっていないとしたら行動している主体は何ですか?
(釈迦仏陀は何にも依存しないで成立するものはないと言い看破しました)
79
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/05(月) 20:16:58 ID:kaXJvxhM0
>>70
どういたしまして、またおいでなさい。
>>72
物質的な欲を離れるのが心の道であるのに、物がよってくるとはおかしな事じゃ。
恐らく信者を獲得するためにそのように言っているだけなのじゃろう。
金が儲かるから神を信じろというのと同じようなものじゃ。
心が落ち着くような音楽ならば、瞑想の役に立てる事も出来るじゃろう。
やがて要らなくなるまで使えばよいのじゃ。
>>74
真の悟りに至ればそのような事は無いのじゃ。
なぜならば、例えば自分を羊だと思っていたライオンが、実は自分がライオンであったと知った後に、再び自分が羊だとは思わないじゃろう。
そのように悟りを得るとは偽って己と思い込んでいた観念が己ではないと気づき、それを創り上げた認識をも偽りと気づき、厭離したならば、もはや偽りの認識や自己に還らない事なのじゃ。
見ようとすれば幾らでも見えるのじゃ。
しかし、それらは今の世と同じように観念妄想に過ぎないのじゃ。
個我という観念がある時にのみ、今世とか過去世があるものであるからのう。
誰にでもあるものじゃ。
見ようと思えば誰でも見えるのじゃ。
深い瞑想や眠りに入る時に過去を辿って生まれる前まで遡れば、見えてくるのじゃ。
そのようなものがないとか、自分には見れないとか思い込んでいると見れないだけなのじゃ。
80
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/05(月) 20:35:23 ID:kaXJvxhM0
>>75
無言なのじゃ。
言葉になる前の知覚なのじゃ。
それを観るのじゃ。
>>76
おぬし自身の経験を思い出してみるのじゃ。
例えばチョコを食べたいと思い、一つ食べればまた一つ食べたくなったじゃろう。
自転車が欲しいと思い、それを得たらもっとかっこいい自転車が欲しくなったじゃろう。
そのように何かを得ればもっと別のものが欲しくなるものじゃ。
金持ちも宝石とか骨董品とか他人が持っていない物を欲しがり、集めていたりするじゃろう。
自給自足するだけで満足すればよいが、それを得ればやはり更に何かが欲しくなるじゃろう。
そのように欲に限りは無い故に今ある物で満足するのが、安らぎへの道なのじゃ。
>>77
おぬしが出来ると思えば出来るじゃろう。
何でもやってみたら良いのじゃ。
共産主義もマルクス1人から始まったものじゃ。
エンゲルスも居たかも知れん。
仏教による友好も1人から始めれば良いのじゃ。
>>78
わしは慈悲によっているといえよう。
慈悲が無くなればわしも消えるじゃろう。
81
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/06(火) 05:11:55 ID:WL2yRwjAO
知覚は今の瞬間を捉えているのか?
確か千分の1秒以下のタイムラグがあるらしいぞ
つまり我々は普通現在を認識出来ず、常に過去と言うことになる
ただし昔の合気道の達人とかは銃弾を避けたそうだからもしかすると単なる知覚よりも速い認識と言うのがある可能性もあるがな
82
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/06(火) 05:14:29 ID:WL2yRwjAO
以下じゃなかった以上ね
83
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/06(火) 09:40:07 ID:IQSEMtG60
>>81
そういうのは筋肉の動きとか腕の角度とかで予想して撃つ前に動いてただけだろ。
仮に動体視力が超人的に良くて銃弾の動きを見ることが出来たとしても
銃弾より早く動くのは人間の能力じゃ無理だよ。
84
:
74
:2013/08/06(火) 10:13:51 ID:3qg6l7MU0
>>79
ありがとうございます
85
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/06(火) 19:39:03 ID:WL2yRwjAO
実社会で役立つ法話お願いします。
86
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/06(火) 20:16:56 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚が住んでいるのは何県ですか?
和尚が暇なとき遊びにいってもいいですか?
87
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/06(火) 21:11:14 ID:kaXJvxhM0
>>84
どういたしまして、またおいでなさい。
>>86
東京なのじゃ。
おぬしが心の奥を観ればいつでも会えるのじゃ。
心の中に遊びに来るが良かろう。
88
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/06(火) 21:59:52 ID:IQSEMtG60
鬼和尚が本当に悟ってるならそろそろ世に出ても良いんじゃない?
まあ悟ってないから出られないんだろうけどな
89
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/06(火) 22:03:06 ID:IQSEMtG60
大体本当に慈悲の心が有るなら、世に出てみろってんだだよ
90
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/06(火) 22:05:20 ID:IQSEMtG60
世に出るって言うのは、姿を晒して説法してみろって事な
91
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/06(火) 22:09:07 ID:kaXJvxhM0
>>85
人の能力に限界があるのは、実際の知力や体力の限界より、心の中にある劣等感や過去の記憶によるものが多いのじゃ。
本当は人は自ら思うよりも多くの事が出来るのじゃ。
過去の記憶や劣等感により、無力な自分のイメージが出来てしまうと、実際にも能力が十分に発揮できなくなるのじゃ。
自分が思う以上の事が出来そうになっても、自分から駄目にしたりさえするのじゃ。
そのような自分のイメージによる制限も、集中力によって乗り越えられるのじゃ。
人が強く集中し、己のイメージも忘れる時、本来の能力が発揮され、思う以上の事が出来るのじゃ。
強い集中で我を忘れた忘我の状態をサマーディと呼ぶ。
サマーディに入った時、肉体の力は心の制限を越えて、最大限に発揮されるのじゃ。
その境地を得る為に昔の武士などは参禅したりしたのじゃ。
剣術を上達するために座ったりしたのじゃ。
そのような禅は本来野狐禅として否定されるものであるが、剣術は命がけであったからのう。
上達するためには何でもやるしかなかったのじゃ。
今でも仕事や勉強に集中力を使えば、より多くの事が出来るじゃろう。
仕事や勉強の前に少しでも数息観などを行なえば、強められた集中力で今まで出来なかった事も出来たりするのじゃ。
集中力が増せば時間が短く感じられたり、自分の体が自然に動くような感じがしたりするじゃろう。
そのようであれば確実に能力も発揮できるのじゃ。
未だ世間において活動するものは、集中力を増す法を活用してみるのじゃ。
92
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/06(火) 22:45:02 ID:QxXz3qpI0
感動した。鬼和尚は凄い。
一体どれくらいの法話を語れるんだろうか。
93
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/07(水) 01:18:34 ID:OWFkcfvg0
鬼和尚さん曰く貧乏なのに東京に住むメリットは何ですか?しがらみを作りづらいから
というのも考えられますが、そんなには変わらないし状況にも左右されないはず。
人や情報や娯楽は多いですが、鬼和尚さんには必要ないでしょうし、静かで落ち着いた
自然のある家賃などが安い場所の方がいいように思えるのですが。
94
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/07(水) 13:51:03 ID:/WvOIqOE0
鬼和尚さんに質問です。
運というものは、いったいどういうものなのでしょうか?
改善することもできますか? よろしくお願いします。
95
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/07(水) 16:25:38 ID:RqjHb0Jg0
アク禁解除されてもこっちのすれにも来てくれると嬉しいです
私は人に嫌われやすいのですが、憎しみに近い感情をぶつけられます
ただそこにいるだけですので、悪霊がついてるかもしれません
ごく一握りの人には気に入られますが、大多数からは嫌われるようです
なんか不快にさせているようで悪いと思うのが半分、悪意の念が不快というのが半分でこもりがちになっています
自意識過剰なのはわかりますが、決して気のせいではありません
やっぱり気にしないというのが一番ですかね
96
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/07(水) 18:47:06 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚に質問です
念仏を唱えて阿弥陀如来に帰依すると功徳がありますか?
もし特に無いとすると何故法然や親鸞は嘘をつくのですか?
97
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/07(水) 19:46:39 ID:WL2yRwjAO
マハリシは真我とはハートであると言っていますが、正しいですか?
マインドを捨てればハートが現れますか?
98
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/07(水) 20:45:21 ID:kaXJvxhM0
>>92
幾らでも語れるのじゃ。
それが智慧なのじゃ。
>>93
なりゆきなのじゃ。
特に他に行く必要も無いのじゃ。
そのうち行くであろうがのう。
>>94
運とは心から生じるものなのじゃ。
世の中には運をよくする技とかそのようなものが多いが、本当に良くするには善事をする事なのじゃ。
他人に尽くし、喜ばせる事を心掛ける者は運も良くなるものじゃ。
お釈迦様もこのように言っておる。
1、ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも、汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人に付き従う。
車をひく(牛)の足跡に車輪がついてゆくように。
2、ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人に付き従う。
影がそのからだから離れないように。
99
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/07(水) 20:51:55 ID:kaXJvxhM0
>>95
来るじゃろう。
おぬし自身が時に他人を憎み、激しく攻撃したりする性格なのかもしれん。
あるいは自分自身を憎んだりしているのかもしれん。
人は自分の心の中を外の世界に投射するものじゃ。
おぬしが善意で満たされたならば無法者さえおぬしには好意を寄せることさえあるじゃろう。
試してみるのじゃ。
>>96
集中力は身に付くじゃろう。
無知であったからなのじゃ。
経に書かれているのは集中の対象としての阿弥陀なのじゃ。
>>97
マインドを思考、ハートを意識とすれば正しいじゃろう。
思考を捨てれば、思考を超えた意識に気づくじゃろう。
思考が無くとも意識は在るのじゃ。
人が己を思考と思い込んでいると、意識に気づかなくなるのじゃ。
思考を止めれば再び意識に気づくようになるのじゃ。
100
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/07(水) 20:59:49 ID:WL2yRwjAO
思考を超えた意識に気がついているけどさっぱり悟った気がしません。
101
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/07(水) 22:21:31 ID:OWFkcfvg0
直観と思い込みってどう判別付けますか?
相手があることなら心でも読めない限りはっきりとは分からないですよね。
投影といいますが、自分側が投影していることもあれば相手が投影している場合も勿論ある。
102
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/07(水) 23:06:21 ID:/WvOIqOE0
>>99
ありがとうございました。
103
:
素人A
:2013/08/08(木) 19:53:51 ID:gOqWUDAs0
鬼和尚さん見えないものも無意識から現われて来て同の行ので
少しずつ見える様になるのですか。骨骨無理せずに修行します
104
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/08(木) 19:57:33 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚は念仏もマントラも集中力がつくと言うが
そう言う話ではないでしょう
鬼和尚は自我滅却の悟りの観点から見ているので単なる集中力を付けるトレーニングと言う評価をする訳だが
質問者は
そんなことを聞いているのではない
あえて言えば集中している主体ではなく集中の対象について聞いているのだろう
ようする「ナムアミダブツ!」と唱えれば何か環境を変化させるような事が事実としてあるのかと言うことだ
105
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/08(木) 20:15:51 ID:kaXJvxhM0
>>100
それを使って己を追及してみるのじゃ。
己が何かを追い求めるより、己でないものを観察してみると良いかも知れん。
手や足は己ではないとか、思考は己ではないとか、その意識さえも己ではないとか、己ではないものを追求してみるのじゃ。、
そのように観察しているものさえ己ではなかった何が観察しているのじゃろうか?
良く観察してみるのじゃ。
>>101
検証してみるのじゃ。
正しい直感ならば証拠や兆があるじゃろう。
間違って思い込んでいるのならばやはり何か間違いの証拠や兆があるじゃろう。
常に検証して正しい事を正しいとするのじゃ。
>>102
どういたしまして、またおいでなさい。
>>103
そうじゃろう。
日々修行していく内に見えないものも見えてくるのじゃ。
毎日の積み重ねが大事なのじゃ。
106
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/08(木) 20:53:51 ID:kaXJvxhM0
>>104
心が変われば世界も変わるのじゃ。
心の他に環境や世界がある訳ではないのじゃ。
良く観察してみるのじゃ。
107
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/09(金) 01:56:31 ID:RqjHb0Jg0
占いはあまり興味ないのですが、姓名判断だけは恐ろしいほど的中して不思議です
生年月日などから導かれる性格傾向は、まあそりゃ当たるだろうと思うのですが
後天的に与えられた、たかが画数の数字にいかほどの魔力があるのでしょう
良運、不運というよりは、適正と思考パターンに影響があるようです
108
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/09(金) 19:43:13 ID:WL2yRwjAO
質問です
呪術や呪文は効果がありますか?
109
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/09(金) 19:48:26 ID:WL2yRwjAO
自我をいくら観察しても自我が消えないことに気がつきました。
どうしてくれる!
110
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/09(金) 19:50:14 ID:WL2yRwjAO
自分の器を大きくするにはどうすればいいでしょうか
111
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/09(金) 21:13:15 ID:kaXJvxhM0
>>107
当っていると思って見ると当って見えるのじゃ。
当っている所だけ見えて、外れている所は無視するからのう。
外れていると思ってみれば外れているように見えるのじゃ。
それが認識の選択視点なのじゃ。
>>108
おぬしが効果があると思えば効果があるのじゃ。
呪った相手が転んだだけでものろいのおかげとおもうからのう。
それも認識が見せているのじゃ。
>>109
未だ観ていないからじゃ。
他人の所為にするような心がけでは観えないのも当然なのじゃ。
己を観ていないからのう。
先ずは己の行いを観るがよかろう。
>>110
何が起きても他人の所為にする事を止めるのじゃ。
自分の失敗を他人の所為にするのは器が小さいのじゃ。
他人が失敗しても自分が罪を被れば器が大きいと言われるじゃろう。
常に心掛けるのじゃ。
112
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/09(金) 22:28:52 ID:RqjHb0Jg0
>>111
本当に当たっているのですよ
何人も照らし合わせてきたら、最近は顔を見て大吉か大凶か当てられるようになりました
手相は健康状態や脳の状態が手のしわとして出るというなら納得の統計学ですが
姓名学はたかが数字なので不思議に思っているのです
占いなんぞという子供のお遊びはわしゃ知らんということですかね
確かに長いスパンで見たら吉だの凶だの関係ないですね
自愛と慢心 謙虚と卑屈について教えてください
自愛と謙虚は同じコインの裏表、慢心と卑屈は同じコインの裏表と思っているのですが
幸せになるほど人に優しくなる人と、逆に幸せになったとたん傲慢になる人がいますが違いはなんでしょうか
謙虚な人は自分を信じきっているから他人に見せしめる必要がなく
傲慢な人は深層では自分が嫌いで、他人に自分ってすごいよねと同意を求めている状態と思っていいでしょうか
113
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/10(土) 07:54:46 ID:WL2yRwjAO
と言うことは逆に言うと呪術によって幸福に気が付き実際に幸福になったり呪術によって不幸に気付き不幸になると言う認識の転換力を持っていると言う事になるのではないですか?
114
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/10(土) 08:28:26 ID:WL2yRwjAO
うん。確かに人のせいにしたけど「人のせいにした」と観察したからといって人のせいにする自分が消える訳ではないのでは?
淡々と人のせいにする狡い自分を見続けていれば、それは消えていくのか?
115
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/10(土) 08:46:53 ID:OWFkcfvg0
自我を超越していないけれど、自分に不都合なことが起こったときに腹が立たない
術はありますか?そのあと嫌な気持ちになりますよね。
腹が立ってしまう自分を一切咎めずに見つめることでしょうか?腹が立つ、人にあたる
=ネガティブ、駄目、というイメージがあるので自己嫌悪になるのですが、腹が立っても
いいと思いますか?
116
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/10(土) 20:10:33 ID:kaXJvxhM0
>>112
おぬしが当っていると思えば当っているように見えるのじゃ。
謙虚の反対は傲慢とか驕りではないかと思うがのう。
それもおぬしがそう思うから自愛と見えるのじゃ。
幸せになると傲慢になる者は元から傲慢で、幸せになるまで見せないように我慢してきたんじゃろう。
金が無い時は他人に頭を下げて金儲けしていたが、金が出来ればもう傲慢の本性を現すのじゃ。
優しくなる者は不幸だと他人に辛く当る者であったのじゃろう。
不幸になれば叉他人に辛く当るかも知れん。
良く観察してみるのじゃ。
>>113
自分がそう思っているだけなのは気づきではないのじゃ。
ただの思い込みなのじゃ。
それではカルト宗教の信者と同じなのじゃ。
>>114
観察が完全に行なわれ、気づきが起これば滅するのじゃ。
それを体現しなければ観察は無意味なのじゃ。
観察は厭離のためのものであるからのう。
117
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/10(土) 20:25:42 ID:kaXJvxhM0
>>115
悟りを得ていない者が怒りを完全に無くす事は無理じゃろう。
しかし、観察によって囚われ無くなることは出来るのじゃ。
自分に不都合なことが起こったとき、肉体や精神の動きを観察してみると良かろう。
頭に血が上ったり、腹が暑くなったりといろいろな動きがあるじゃろう。
それを観察できれば、怒りは己ではないものとして認識できるのじゃ。
怒りに巻き込まれず、観察の対象として観る時、怒りは恐れるものではなくなるのじゃ。
止めようとせずに始まりから終わりまで観察するが良いのじゃ。
そうすれば怒りに囚われ無くなるじゃろう。
118
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/11(日) 04:06:59 ID:OWFkcfvg0
>>117
ありがとうございます、やってみます。
119
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/11(日) 07:29:07 ID:.9eIyNHw0
>>117
怒りを無くすことと、怒りに囚われなくなることは違うのでしょうか?
禅や悟った人の話でも、
怒りに囚われなくなることが大事で、怒り自体は無くならないというような言い方をする人も多いと思うのですが、
それは方便や言い方の問題ですか?
本当に悟ったら怒り自体なくなって、心に怒りは生じないのでしょうか?
それとも、対象に対する心の反応としてやはり怒りは怒りとして生じるのでしょうか?
120
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/11(日) 08:23:52 ID:WL2yRwjAO
観察する自己にアイデンティティを持つと
単に受け身で消極的な人になってしまう。
何も起きない代わりに無感動な自分の人生の傍観者になってしまう
‥と観察している訳だが
121
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/11(日) 08:36:11 ID:WL2yRwjAO
観察が完全に行われるとはどう言う事なのだろうか。
今、ベンチでリラックスしている自分がいる
でもそれって自分の全てではないよね
自分の一時的な「状態」でしかない。
つまり寝てるとか起きてるとかジャンプしたとか
それらはどこまでいっても自分の一時的な状態であって
全てではない
自分の全ての状態を観察しなくては悟れないとしたら人は死ぬまで悟れない。
少なくとも生きているうちは状態の変化は完了していないのだから
言うなれば、草花の芽の段階を見て全てを観察したとは言えないように
枯れ果てて実を付けて散るまでを見なくては全てを見たとは言えない。
122
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/11(日) 20:23:59 ID:kaXJvxhM0
>>118
そうじゃ、やってみるのじゃ。
またおいでなさい。
>>119
違うのじゃ。
修行者には完全に怒りを消す事は無理なのじゃ。
それは自我の防御反応として在るからのう。
自我をなくし、認識が無くなれば怒りも無くなるのじゃ。
悟ればもはや怒りは生じることは無いが、意志によって怒りを起こす事も出来るのじゃ。
>>120
それで良いのじゃ。
一切を捨てて無為になるのじゃ。
>>121
厭離が起こるまで観れば良いのじゃ。
それが完全に観察が行われた事なのじゃ。
観察の対象が己ではなく、己のものでも無いと気づくことなのじゃ。
123
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/12(月) 07:04:22 ID:WL2yRwjAO
もし鬼和尚に嫁や子供がいたら彼らをどのように導きますか?
124
:
素人A
:2013/08/12(月) 10:53:48 ID:gOqWUDAs0
鬼和尚さん悟りを目指すひとは?この世では威張れない.なさけ無い体験ばかり
多くなり.家族やみんなの前では修行と現実使い分けるほど器用なら苦労はしないけど
多分悟りを目指す人とか目指される人は仏教(不器用)です空(から)なさけない眼にあう
のですか。私は少し器用だし僧じゃない徒は生きていけない。やくだたずは少しなさけない
けどため息もある師まあよいか。金もないしでも女のカーちゃんはしつかり者で助かって
いるかので文句も言えないか。みんなで良く使用とする現代社会は欲張りな社会で少し疲れる
わたしは中途半端でまあ良いか
125
:
素人A
:2013/08/12(月) 11:06:37 ID:gOqWUDAs0
もし器用なロボットの修行者がいたら.スイッチひとつで瞬間的に夢中三昧
であるときは凄い修行しあるときは社会欲が凄く.瞬間瞬間で過去関係なく
働くこれが正解なら人間はいったい何の勝ちがあるのだろう。ロボットが来る
未来は怖いのかそれとも歓迎するのか.でも損な物すぐ来て欲しく無い
126
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/12(月) 18:52:38 ID:WL2yRwjAO
「無我になって一切(の我欲)を放棄すれば神(真我)が全てうまくやって(養って)くれる」とはよく聞くフレーズですが
真に受けて良いのですか?
127
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/12(月) 19:01:30 ID:WL2yRwjAO
取り合えず私は全てを放棄しましたので上司に怒られても腹が立ちませんし、財布を落としても腹が立ちませんでした。
こんな調子で良いのでしょうか?
観察の行も放棄して神(真我?)に任せてるのですが
これでいいんでしょうか
荘子を読むと「虚心になろうと努力するものは虚心になってない」と言うフレーズもありますが。
ちなみに虚心になって性欲や食欲が生じた時も虚心に任せるべきなのでしょうか
煩悩即菩提??
128
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/12(月) 19:01:32 ID:WL2yRwjAO
取り合えず私は全てを放棄しましたので上司に怒られても腹が立ちませんし、財布を落としても腹が立ちませんでした。
こんな調子で良いのでしょうか?
観察の行も放棄して神(真我?)に任せてるのですが
これでいいんでしょうか
荘子を読むと「虚心になろうと努力するものは虚心になってない」と言うフレーズもありますが。
ちなみに虚心になって性欲や食欲が生じた時も虚心に任せるべきなのでしょうか
煩悩即菩提??
129
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/12(月) 19:39:45 ID:NpBkhqbI0
慈悲が生じるには何をすればいいですか?
慈悲とは何ですか? 慈悲でないものは何ですか?
無我の行為とそうでない行為を分けるのは何ですか?
130
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/12(月) 20:28:56 ID:kaXJvxhM0
>>123
先ずこの世が無常である事を教えるじゃろう。
老病死が世間の法によっては逃れられない事を教え、その苦を滅する唯一の道として悟りの道に導くのじゃ。
しかし、それでも修行したくないというならばそれも自由にさせるのじゃ。
本人の自由な意志で修行しなければ意味が無いのじゃ。
>>124
威張らなくて良いのじゃ。
実利を得た者はもはや威張る必要は無いのじゃ。
何一つ実際に得たものが無い者が威張るのじゃ。
苦を滅し安らぎを得る道に入れば、威張らなくとも安楽なのじゃ。
>>126
本当に無我になって一切を放棄したならば、上手くやらなければならない事などは一つもないのじゃ。
己が無く、全てを放棄したならば世界が滅んでも何も感じないじゃろう。
それを感知する己が無く、全ては捨ててしまったものであるからのう。
神も真我も何一つしないじゃろう。
無為は無為のままなのじゃ。
>>127
上司とか、金を持っていたら全てを放棄していないのじゃ。
社会生活をしたままでは全てを放棄するのは無理じゃろう。
何もせず何日も座っていなければならんからのう。
食欲や性欲も捨てるのじゃ。
それはむしろ普通の瞑想より難しいのじゃ。
自我のある者は防御反応により全てを捨てきる事は困難であるからのう。
131
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/12(月) 20:33:07 ID:kaXJvxhM0
>>129
自分の心の内に慈悲があることを観るが良かろう。
それは生じさせるものではなく、見出すものなのじゃ。
慈悲とは他者を己と同じと観て、起こる感情なのじゃ。
慈悲でないものは観念なのじゃ。
無我の行為は己という観念が無い時に起こる行為なのじゃ。
己という観念があって行う行為はそうでない行為なのじゃ。
132
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/12(月) 21:49:06 ID:WL2yRwjAO
> 神も真我も何一つしないじゃろう。
> 無為は無為のままなのじゃ。
だったら無為ってただの無為じゃん笑
何の為にそれを至高の価値みたいに喧伝する訳よ
仏教徒は
鬼和尚も何の為に修行をすすめているのだ
何の価値も無いのならば
133
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/12(月) 23:02:23 ID:RqjHb0Jg0
天然海塩に含まれるにがりの害についてどう思いますか
甲田療法の甲田さんはなんとも平凡な寿命で召されました
甲田療法は西式に天然塩と生玄米、豆腐を許可したものです
寿命=健康とは言いませんが、にがりが甲田さんを天国に送ったんじゃないかと思っています
ゲルソン療法や西式は塩を一切使いませんが、塩分なしで生きられるものなんでしょうか
134
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/12(月) 23:10:38 ID:IQSEMtG60
>>131
>慈悲とは他者を己と同じと観て、起こる感情なのじゃ。
>無我の行為は己という観念が無い時に起こる行為なのじゃ。
前に鬼和尚が2ちゃんねるやブログをやってるのは「慈悲の心からだ」と
どこかに書いてたのを見たけど、自称悟り人の鬼和尚は無我なのに
何で他者を己と同じと観て起こる「慈悲」という感情が有るの?
己という観念が無ければ他者も無いんじゃ無いの?
何か矛盾してない?
お得意の「悟ったら自由自在なのじゃ」という説明じゃ無く、論理的に説明して欲しい。
135
:
素人
:2013/08/13(火) 06:04:22 ID:5gRpJg6o0
鬼さんありがとう。威張るための悟り?損な物は無い鴨
136
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/13(火) 06:22:04 ID:OWFkcfvg0
キリスト教ではありませんが、古い人を脱ぎ捨てて新しい人を着なさい、という比喩がありますよね。
この表現も自我側からで厳密には間違っていますが、古い人(自我、認識)を徹底的に滅する、それは
最初からなかった、無為、無意味、幻想、。
では鬼和尚さんが言うすでにそうであった永遠の意識、全ては一つであったということが分かる実感、
不死、これは何でしょう?古い人とは全く関係ない、自我が認識するものを超えたところでこういう一体の
不死の霊としての体験をした者たちが、自我の認識の範疇で様々な言葉を使って表現していますよね。
神、真我、宇宙意識、鬼和尚さんのような表現、口では言えない、などなど、それらの表現は確かに自我
の認識内の言葉であり、その体験をしたからといって自我の認識が完全に滅されていなければ悟ったとは
言えないでしょうが、それ自体は全て同一ではないでしょうか。鬼和尚さんが体験したものとも同じで。それが
無、とはいえないはずです。
自我では認識できないし、自我に帰ってきたときにそれらを言葉で表そうとすることも無でしょう。
でも古い人はいない、無、で終わりではないのではないでしょうか?
137
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/13(火) 07:10:25 ID:WL2yRwjAO
普通に社会生活を送っている人がちゃんとした社会生活を営みつつ夫婦関係も円満で子供もちゃんと育てつつ悟る事は出来ないのでしょうか
138
:
136
:2013/08/13(火) 12:45:49 ID:OWFkcfvg0
などなどの他の表現(愛、真の自己、キリスト意識、仏陀意識、神の国、御霊、スピリット、復活、覚醒、ワンネス他)
139
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/13(火) 17:55:18 ID:WL2yRwjAO
絶望している人が立ち直る法話をお願いします。
140
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/13(火) 18:11:38 ID:WL2yRwjAO
学生の時に身体の病気になってからだと思いますがにエネルギーが湧いてこず、頭にもやがかかっているような感じが続いています。
座禅を組んだりしてメンタルトレーニングをするのですが
メンタルと言うよりホルモン分泌の原因じゃないかと言う気もします。
気功とか正座とか横臥療法とか色々やりましたが
そんなにパワフルには動けない自分に気が付きました。
年金受給が出来る程の障害ではないですし
苦しくとも働かなくてはなりません
こう言う弱い心や身体でも悟りは開けるものですか
パワフルに働けるようになりますか?
141
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/13(火) 18:40:32 ID:RqjHb0Jg0
http://sai.way-nifty.com/sainews/2006/07/post_cf57.html
こちらのサイババのガーヤトリーマントラ108回がすさまじい浄化力と聞きました
鬼和尚さんは何か感じますか?
142
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/13(火) 20:52:15 ID:kaXJvxhM0
>>132
そのように至高の価値とか考えて心身を労している者に、安心を与えるのじゃ。
>>133
摂り過ぎればやはり害があるじゃろう。
天然のものであるから全て体に良いとは限らないからのう。
毒草も毒魚も天然のものなのじゃ。
塩分も体には必要なのじゃ。
特に夏には塩がなければ熱中症になったりするのじゃ。
昔は冷蔵庫が無い故に、何でも塩漬けにしていて、塩の摂取量が多かった故に、塩抜きの健康法が正しかったのじゃろう。
必要な量の塩がなければやはり健康には悪いのじゃ。
>>134
それを聞いた者には自我がある故に、他者と己があると説かれるのじゃ。
わしには自我は無いが、おぬしにはある故に、他己によって慈悲が生じるのじゃ。
例えばおぬしが孤独に泣くとき、わしの身にも慈悲が生じるのじゃ。
>>135
どういたしまして、またおいでなさい。
143
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/13(火) 21:07:48 ID:kaXJvxhM0
>>136
わしも永遠の意識とか不死の境地とか言っているが、それについてあまり言葉を重ねると、勘違いする者が出て来るのじゃ
瞑想中に光が見えたりすると、それがワンネスであるとか、キリスト意識であるとか、幻想に名前をつけて、自らを悟ったと思う者が出る故に、無為によって現すのが良いのじゃ。
一切を無によって定義すればそのような幻想も否定できるのじゃ。
>>137
悟りを得ることは出来るじゃろう。
しかし本当に全てを捨ててしまうかもしれん。
お釈迦様も妻子を捨ててしまったからのう。
>>140
過去に病気をしたから自分は体が弱いとか思っていると弱いままじゃろう。
薬を飲みつづけているとか、通じが悪いとか肉体にも原因があるかも知れん。
完全に治ったならば肉体も力が湧くじゃろう。
真摯に求めれば生きている限り悟りは得られるじゃろう。
>>141
そのように信じている者にしか効かないのじゃ。
信じていない者にはただの雑音なのじゃ。
144
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/13(火) 21:36:02 ID:kaXJvxhM0
>>139
絶望とは望みが絶たれると書くのじゃ。
今まで望んでいた事が絶たれてなくなる事なのじゃ。
それはむしろ良い事なのじゃ。
この世に望みがなくなれば、世間を出る法に入るしかないからのう。
お釈迦様も老病死から逃れられぬ世間に絶望し、悟りを求める事にしたのじゃ。
絶望こそ真の希望への門なのじゃ。
悟りを得たいと思う者も、その多くは実は自分が変わりたくないと思っているものじゃ。
今の状態に執着して変わりたくないと思っているから悟りに至らないのじゃ。
自分や世間に心の底から絶望すれば、変わらなければならなくなるじゃろう。
全てを捨てて変容を起こす事を自分に許すのが、絶望という状況なのじゃ。
絶望したならばそれこそが真の安楽への門であると知るが良いのじゃ。
145
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/13(火) 22:05:20 ID:IQSEMtG60
>>142
>わしには自我は無いが、おぬしにはある故に、他己によって慈悲が生じるのじゃ。
>例えばおぬしが孤独に泣くとき、わしの身にも慈悲が生じるのじゃ。
まさか悟ったら自他の区別が無くなるから、俺が辛いと慈悲が生じるなんて屁理屈じゃ無いよね?
その前に「他己」って何?
146
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/14(水) 12:55:34 ID:/WvOIqOE0
鬼和尚さん、魔境について教えてください。よろしくお願いします。
147
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/14(水) 15:10:48 ID:QxXz3qpI0
鬼和尚さんって仕事休みの日は何して過ごしてるんですか?
148
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/14(水) 16:01:30 ID:RqjHb0Jg0
>>143
>そのように信じている者にしか効かないのじゃ。
信じていない者にはただの雑音なのじゃ。
チャクラが開いてる人ほど感じませんがなんか揺さぶられたのでしばらく聞きます
こっちの状態によってはまったくの雑音になるのはよく分かります
私は悟りに対してあまり魅力を感じずただ幸せになりたいのですが
幸せを目指すなら魂の成熟は切り離せないものでしょうか
中学生のとき虚無地獄に堕ちてから少し回復したものの、暗闇を見ないように蓋をしているような感じです
苦しみのあまり精神的なことに興味を持ちましたが、どうも私は転生回数がそれほど多くない若い魂のようです
未熟な魂が飛び級を狙っているような無理やりさがあります
まだ俗世のおもちゃを追いかけたほうがいいでしょうか
149
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/14(水) 19:11:22 ID:WL2yRwjAO
法話おぬがいします
150
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/14(水) 19:49:05 ID:rlkvsvSM0
鬼和尚さま
悟るときには呼吸が停止するといいますが本当ですか?
実際、集中が進んだり心が静まってくると呼吸が自分でわからないくらい微細になっていきますが、
呼吸が停止するというのは本当に停止するのですか?
それとも、微細すぎてわからなくなるというだけのことですか?
呼吸の停止についておしえていただけますか?
151
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/14(水) 20:53:22 ID:kaXJvxhM0
>>145
それはもはや理屈ではないのじゃ。
愛とか慈悲がどのような秤や論理で測れるじゃろうか?
言葉の意味は他者なのじゃ。
しかし、己があるとと思っている他人とも言えるのじゃ。
>>147
人について勉強しているのじゃ。
特に人の心を研究しているのじゃ。
人は心によって人となるものであるからのう。
>>148
魂の成熟とか、転生回数などは意味がないのじゃ。
今精神を集中し、苦を滅したならば安楽になるじゃろう。
それが真のお釈迦様の教えなのじゃ。
わしのブログを参考に試してみたら良いのじゃ。
152
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/14(水) 20:56:10 ID:kaXJvxhM0
>>150
それはサマーディに入った時の事じゃろう。
元々強い集中状態のときに人は自然に呼吸を止めるのじゃ。
死なない程度に数分間止まるだけなのじゃ。
実際に数息観などの集中の瞑想をしていればそのうち止まるのじゃ。
その時、思考も止まれ無我になるのじゃ。
それがサマーディなのじゃ。
153
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/14(水) 21:21:52 ID:kaXJvxhM0
>>146
>>149
魔とは悟りの障害になることを言うのじゃ。
お釈迦様が見たような人の形をした魔がいつも現れる訳ではないのじゃ。
人によっては全く魔が現れない事もあるのじゃ。
マハリシには出てこなかったようにのう。
それも死を超えたものを強く求める故に、魔が現れる暇もなかったからといえよう。
そのように人によって出たり、出なかったりするのじゃ。
悟りの障害になるのが魔である故に、今の人にはゲームとか、アイドルとかアニメとかが魔になる事もあるじゃろう。
魔が現れるのは、人が未だこの世に何か執着を残しているからといえるのじや。
何か悟りを得る事よりも強く執着しているものがあれば、それが魔になるのじゃ。
悟りに近付けば、このまま一切を捨てて悟りを得るか、世間に戻るか、常に選択を迫られるものじゃ。
何か心に執着する事があれば、それが魔となって、悟りよりもそれを選ぶように迫られるのじゃ。
魔は執着を残す心より起こるとも言えるのじゃ。
お釈迦様のように老病死によって本当に世間に絶望していたり、マハリシのように強く不死の境地を求めていたならば、魔もつけいる隙がないのじゃ。
心に執着が残っているかどうか、自らの本心を良く観察し、魔を超えて悟りに至るが良いのじゃ。
154
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/14(水) 23:23:49 ID:IQSEMtG60
>>151
>それはもはや理屈ではないのじゃ。
>愛とか慈悲がどのような秤や論理で測れるじゃろうか?
なら理屈で説明出来ないものは語らない方が良いと思うよ。
155
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/15(木) 01:30:09 ID:RqjHb0Jg0
>>151
なるほど進化段階は関係ないんですね
今竹下雅敏氏のどの段階でも悟れるというタイムリーな動画を見てきました
というと、悟っているとはつまりどういうことなんでしょう
悟った猫とお釈迦様の違いとは?
156
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/15(木) 06:41:11 ID:WL2yRwjAO
心に執着が残っているかどうか、自らの本心を良く観察し、魔を超えて悟りに至るが良いのじゃ。
どうやって執着を取り除けばいいのですか?
157
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/15(木) 13:30:08 ID:/WvOIqOE0
>>153
ありがとうございます。
自分は絶望が深いわけでもなく、不死を願うわけでもなく、ただ真理を知りたい
というだけなので、魔に邪魔されそうですね。でもそれも一興かなと思ってしまう^^
158
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/15(木) 18:43:28 ID:WL2yRwjAO
目の覚めるような法話たのむ
159
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/15(木) 19:40:08 ID:rlkvsvSM0
>>152
悟りに至るには集中も大切ですが集中より観察が重要なのですよね
ただ心などの深いところを観察しようとすると集中して呼吸も少なくなり、
頭の中があやふやというか、自分が何をしてるのかよくわからなくなってしまいます
それは観察(集中)の仕方がよくないということでしょうか?
観察は対象に軽くふれるくらいでとも聞きますが、でき得る限り集中すべきですか?
それとも自分が何をしているのか明晰なくらいで行うべきでしょうか?
観察の仕方についておしえていただけますか?
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