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鬼和尚に聞いてみるスレ【1】
1
:
1
:2013/07/27(土) 08:52:37 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚限定の質問スレです。
332
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/25(日) 14:03:40 ID:p4aWaNt.0
>>330
読み返して、疑問に思ったので追加。
>>330
で私は「観察する(中略)対象もない」と書きましたが、
鬼和尚は「観察する主体は無い」とは言っていても、「観察する対象は無い」とは言ってないのでしょうか。
であるならば、対象はあっても、主体が無いということですね。
対象とは「自我」であり、観察によってそもそも自我は無いとわかるので、
主体とか対象があると思って作り出している者は自我だから、
自我が無いとわかれば、主体も対象も無いとわかる、
だから、主体が無い、
というようなことでしょうか。
333
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/25(日) 14:56:22 ID:IQSEMtG60
>>329
あんたの意見とかどうでも良いんだよ。
俺もこれ以上スレチを繰り返すわけにもいかないしね。
あんたはあぼ〜んするから、もうレス返しても無駄だぞ。
334
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/25(日) 15:01:29 ID:WL2yRwjAO
あぼ〜んってどうやるの?
335
:
偽和尚
◆qH7QdQmFhM
:2013/08/25(日) 15:07:25 ID:cud.kRqg0
>>328
しかしこのスレで延々と続けられると鬼和尚への質問と鬼和尚からの回答だけを見たくてこのスレに
来た人からすれば邪魔なわけで、出来ればこのスレでは自粛した方が良いでしょうねえ。
要するにあなたのやってることは自説の展開なのでその内容が正しかろうが間違っていようが
このスレで続けることは適切ではないわけです。既存の他のスレでやるか、あるいは専用スレ
作ってやった方が良いと思いますよ (2chが規制されていて出来ないというのならこの板で
作っても良いですから)。
336
:
偽和尚
◆qH7QdQmFhM
:2013/08/25(日) 15:16:30 ID:cud.kRqg0
>>334
まずは専ブラ使ってここを見る必要がある。その専ブラの機能を使って、例えばIDを指定して「あぼ〜ん」をする。
これは専ブラごとにやり方が違うかも知れないのでなんとも言えない。だいたいの場合はIDの所にマウスカーソル
持って行って右クリックして出てきたメニューで「非表示」を選択するとか、あるいはスマホやタブレットのAndroid用
専ブラだと書き込み部分を長押しして出てきたメニューで選択するとか、そういうやり方になっていると思う。
どんな専用ブラウザがあるのかについては Google で「2ch 専用ブラウザ」等をキーにして調べれば出てくる。
337
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/25(日) 15:22:47 ID:rv7HtzzQ0
>>327
といっても、自分が本当かどうか惑わされているものとの格闘はともかく、質疑応答でこちらの文意を全く解せず実に低レベルな
返答が返ってくるにあたって、そういった疑問は無くなっている。
いちいち自分を偽ってる人間のからくりを暴露することは、現状の自我の維持になり、解体にはつながらない。
心から自分が何を望んでるのか問うてみると、意識はここでやることなど何もないよと答えている気がしなくもない。
338
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/25(日) 15:26:20 ID:rv7HtzzQ0
>>336
316、317は質疑応答の枠内だと思います。
318は単体ではちと余分、その前のやり取りは明確な逸脱。
それは認識してます。
339
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/25(日) 18:34:36 ID:RqjHb0Jg0
山の神は女神らしく山に女性が入るのを快く思わないそうですが
自然霊に性別があるんでしょうか
本当だとしたら子供っぽい神に山を管轄されるのは困ります
寒くならないうちに登山キャンプしようと思うので心配です
それとも誰かの都合に合わせた迷信でしょうか
340
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/25(日) 18:42:38 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚は老後はどうやって生きていきますか?
身よりの方とかは居るのでしょうか?
341
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/25(日) 18:54:55 ID:rv7HtzzQ0
>>287
厭離とは気づきによって、観察の対象との自己同一化が滅する事なのじゃ。
例えば人は怒りを発すれば、怒りと己が同一であると認識しておる。
怒っている己があり、己の怒りが怒っていると認識しておるのじゃ。
冷静に集中して観察すれば、怒りはただ原因から自動的に連鎖して起こっているだけであり、己とは無関係である事に気づくのじゃ。
そして怒りは己ではなく、己のものではないと厭離され滅していくのじゃ。
怒りなどの感情が原因から連鎖的に起こるように、観察して気づきがあれば、。厭離も連鎖的に起こるのじゃ。
そんなことを言ってしまうと、怒りを生む原因そのものである自我が、ああ、怒りは自分とは関係ないのだと
自分を納得させ、大大テク舐めに見える癇癪は封じ込められるかもしれないが、
様々なものへの慢性的な不満や怒りについては解消されることなく抑圧されてしまう。
何か椎体指定刈ることを自我は正しいと思ってる。
私もあなたも怒りを正しいと思ってるからこそ怒るのだ。
それを理解して、自我を死なせてゆくことが怒りの死につながる。
まず人は分析や言い訳をやめ、怒りと自分が同一であるという事実を受け入れなければいけない。
それに目覚めていれば幻であるz我が存続しない可能性が出てくる。
342
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/25(日) 19:32:59 ID:NpBkhqbI0
>>341
他スレと同じになっちゃうから、議論や批判はそっちでやってくんねーかな。
百歩譲って議論をするにしても、まず日本語を勉強してくれ。
343
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/25(日) 20:18:41 ID:kaXJvxhM0
>>319
そうじゃ。
何ものにも囚われることなく、ただ集中し続けるのじゃ。
そのように毎日続けていると、今まで出来なかった事も出来るようになり、無我にまで至るのじゃ。
>>320
常に意識は在るのじゃ。
脳とか肉体にも関係なく意識は在り続けるのじゃ。
肉体も脳もただこの物理的な世界に働きかける道具としてのみ在るのじゃ。
人がペンチやスパナなどの道具を箱に仕舞うようなものじゃ。
脳や肉体などの道具が休んでも意識は常に在り続けるのじゃ。
>>324
本当に悟りを得るために全てを捨てても良い位の情熱があれば、無師独悟も可能なのじゃ。
お釈迦様やマハリシも無師独悟であったのじゃ。
時に自我の消滅を恐れ、迷う者のために師匠はあるのじゃ。
しかし、お釈迦様も自分は道標に過ぎないと言われたように、どんなに優れた師匠も道を示すだけなのじゃ。
>>326
いやわかる。
おぬしは賢い子じゃ。
やればできるの子じゃ。
ここはわしに聞くスレであるから、このレスであるかとか、こっちのレスじゃろうとか、何度も聞けば良いのじゃ。
>>330
自我の観念だけでなく、一切の観念の投射のない認識が無認識と言えるのじゃ。
自我の観念の投射が無いだけでは、未だ無我なのじゃ。
一切の観念の投射が無いから、一切の対象も主体も無く、行為も無いのじゃ。
本来は観察する主体無く、無為無我であるが、そこに主体が在り、対象が在ると認識しているのが通常の者の認識なのじゃ。
主体が無く、観察と言う行為も無いが、誤ってそこに主体や対象や観察の行為があると衆生は認識してしまうのじゃ。
一切衆生は本来仏陀であるが、無明によって迷いの世に陥っているとはそのような事なのじゃ。
344
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/25(日) 20:25:25 ID:WL2yRwjAO
もし主体を認めなくても他人が主体の存在を押し付けて来ますよね
「鬼和尚ぉ」と言ってる時点で私も鬼和尚の自我を要請している。
自我を投射せずに自我を仮に立てて日常生活を送る事は可能なのでしょうか
345
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/25(日) 20:27:35 ID:WL2yRwjAO
釈迦は「行為者は無く行為だけがある」と言ったそうですが、どう言う意味でしょうか
346
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/25(日) 20:30:44 ID:WL2yRwjAO
そもそも何故肉体とか脳とか心が生じたのでしょうか
地球にしろ宇宙にしろそれが道具だとすると誰が何のために作って置いておいたのでしょうか
347
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/25(日) 20:32:20 ID:kaXJvxhM0
>>331
ぐぐって読んでみたのじゃ。
同じようじゃ。
大体古いギーター等の聖典も目覚めた者達によって書かれているのじゃ。
それは境地を現したものではなく、むしろお釈迦様の教えと同じく実践され、瞑想されるべき方法なのじゃ。
>>332
そうじゃ、気づく順序としてはそのようになるのじゃ。
始めは観察の対象として自我を捉える。
しかし、それが無であると気づき、主体が無くなる。
主体が無いと気づくから対象も無いと気づくのじゃ。
>>339
迷信なのじゃ。
ただ単に厳しい自然環境で女子は簡単に死ぬ恐れがあったからじゃろう。
くまとかへびとかいのししとかも多かったようであるからのう。
>>340
乞食行脚あるのみじゃ。
おぬしの地元に行ったら布施を頼むのじゃ。
金はいらんのじゃ。
食べ物を頼むのじゃ。
348
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/25(日) 20:34:50 ID:WL2yRwjAO
普通我々は肉体を起点に物事を観察していますが
和尚の言う観察はこの普通の意識とは違うのですか?
一体生きている限り個人としての肉体や心を超えて何かを観る事は出来るのでしょうか
349
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/25(日) 20:52:06 ID:rv7HtzzQ0
>>287
この体は私ではない、というのは方便たりうる。
誰もが大切にしてるからだだから。
だけど、体への執着は私ではない(怒りは私ではない)、というと自我が自分自身だと認めたくないものを
自分ではないと言ってるだけだから、自我の逃避の温床になるんじゃないでしょうか。
これは似てるようで違う。
それに気づくきっかけになりました。
私が怒りであり私が執着であり、それ故にどうすることもできないと心底痛感した時、
自我から逃れようとせず自我に留まったとき、それを照らす意識の光が生まれます。
350
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/25(日) 20:52:44 ID:p4aWaNt.0
>>343
.347
>>330
,332です。
よくわかりました。疑問は解消しました。
あとは私に実践できることを実践します。
ありがとうございました。
351
:
訂正
:2013/08/25(日) 20:55:11 ID:rv7HtzzQ0
>>287
厭離とは気づきによって、観察の対象との自己同一化が滅する事なのじゃ。
例えば人は怒りを発すれば、怒りと己が同一であると認識しておる。
怒っている己があり、己の怒りが怒っていると認識しておるのじゃ。
冷静に集中して観察すれば、怒りはただ原因から自動的に連鎖して起こっているだけであり、己とは無関係である事に気づくのじゃ。
そして怒りは己ではなく、己のものではないと厭離され滅していくのじゃ。
怒りなどの感情が原因から連鎖的に起こるように、観察して気づきがあれば、。厭離も連鎖的に起こるのじゃ。
そんなことを言ってしまうと、怒りを生む原因そのものである自我が、ああ、怒りは自分とは関係ないのだと
自分を納得させ、明らかに発散される怒りであるような癇癪は封じ込められるかもしれないが、
様々なものへの慢性的な不満や怒りについては解消されることなく抑圧されてしまう。
私もあなたも怒りを正しいと思ってるからこそ怒るのだ。
それを理解して、自我を死なせてゆくことが怒りの死につながる。
まず人は分析や言い訳をやめ、怒りと自分が同一であるという事実を受け入れなければいけない。
それに目覚めていれば幻である自我が存続しない可能性が出てくる。
352
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/25(日) 21:10:56 ID:IQSEMtG60
>>343
>いやわかる。おぬしは賢い子じゃ。やればできるの子じゃ。
だからやっても出来なかったからアンカーつけてくれって言ってるだろ。
もういい歳だから「やればできる子」なんて言われても励みに成らないし。
いいかげん教えてくれよ。
353
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/26(月) 05:22:47 ID:FolTiOC.0
辛い日が続く。なんで辛いのかっていうと、
たとえばなにか食べて「おいしい〜〜」ってなっても死のことを思い出すから
終わりのために生きているような感じが抜けない。
僕の人生なにかを発展というより収束させるような気がして辛い。
ほんとうはもっとビッグに生きてリア充になりたいのに
354
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/26(月) 05:29:13 ID:FolTiOC.0
鬼和尚さんは、思考をやめ、実践することって言うけど
そのような実践したいことがないときって、どうすればいいの?
寝に、逃げるしかないよ。
ほっとけば元気が出るのはわかってるけど、そういう時期が定期的におとずれて辛い
そしてそういうとき思うの、「自分の人生、今までやってきたことは無意味だったんじゃないのか?」って
355
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/26(月) 06:43:50 ID:DgJcAPNs0
鬼和尚さん、色々な質問に回答してくださってありがとうございます。
お手数をおかけしますが、また質問があります。
自分の心を見てみると、まずAという想念が現れ、その後、A→B→C→Dと連想ゲームのように想念が連なっていきます。
Aが生じたのに気づいてそこで観察すればAだけで想念が止まり、Bが生じたのに気づいてそこで観察すればBで止まります。
B、C、Dと想念が連なる前に観察ができれば心の負担が少なく、また、観察できている時には安らぎのようなものがあります。
それから、何の想念も起きていないときに観察をすると、想念Aさえも生じていない空白状態があります。というか空白しかありません。
そしてなぜか息が詰まります。
この空白状態のまま、何もないままでいればよいのでしょうか?
356
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/26(月) 07:22:12 ID:WL2yRwjAO
舅が時間になると「ゴホン」と咳をして
反射的にお茶とお菓子を出す訳だが、
その間、緊張が走ったりストレスを感じたりする。
ただの空気の振動だと思っても恐怖を感じる。
心がそのように形成されているからそうなる訳だが、こういった心の在り方も観察しているうちに解体していくのだろうか
鬼和尚は街中でやくざ風の人に声をかけられても全然緊張しませんか?
357
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/26(月) 08:04:00 ID:LC3de7YgO
>>343
ありがとうございます。毎日続けます。
最近、座り始める時の姿勢を今までより一層丁寧に決めるようにしたら、臍下丹田に熱感が生じるようになり、その熱感は、下にある時は梅干し位の大きさに感じますが、鳩尾から胸の辺りに上がって来るときは、温度は変わらず全体に拡散するように感じました。
そういった身体に起こることごとも、あるがままに観察して行こうと思います。
358
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/26(月) 12:26:31 ID:3qg6l7MU0
鬼和尚様
和尚は観察によって悟りを得ると仰いますが、無明を断つのは思惟によってではないのですか?
八正道にも正思惟とありますし、智慧は思惟によって得るのではないのですか?
359
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/26(月) 12:51:47 ID:cSjq7yKs0
鬼和尚教えてください。
以前、半年ほど限界に近いペースで仕事をしていた時の事です。
パソコンで原稿を打ち込み中、気付くと自分を俯瞰で見ている自分がいました。でも自分は必死で仕事をしてる。脳みそフル回転で作業する自分を、何もせずふわーとただ見ていました。意味が分からず、必死になって戻った記憶があります。
数日後、同じ事がありました。また来れると思いましたが、その後は体験していません。
きっかけに、いろんな疑問が湧き続け、その後たくさん気づきがあった気がします。気づくたび何故か涙が溢れました。
和尚、あのゾーンは和尚の仰る観察するということなのでしょうか?今思えば強制的に観察させられた気がします。
瞑想で体験できるものなのでしょうか?ただの病気だったのでしょうか?
360
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/26(月) 14:43:09 ID:rv7HtzzQ0
>>343
自我の観念だけでなく、一切の観念の投射のない認識が無認識と言えるのじゃ。
自我の観念の投射が無いだけでは、未だ無我なのじゃ。
一切の観念の投射が無いから、一切の対象も主体も無く、行為も無いのじゃ。
一切の観念の投射のことを自我というのですけど。
この投射は自我、この投射は自我ではない、なんて区別してる主体が自我なので失笑ものではないでしょうか。
自我がこの観念は自我ではない、という欺瞞をそのまま。
≫ 一切の観念の投射が無いから、一切の対象も主体も無く、行為も無いのじゃ。
そして鬼和尚は自我が活きたまま、一切の観念追投射が無いという夢、そういう観念の投射を楽しんでるのでしょうか。
361
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/26(月) 16:52:14 ID:RqjHb0Jg0
自由がなくなることへの恐怖がなくなりません
鬼和尚さんは睡眠以外監視下に置かれた強制労働の奴隷状態になってもかまいませんか
これが平気なら悟りというのは生き物らしさがありませんね
362
:
龍華
:2013/08/26(月) 17:52:49 ID:kl1CR23s0
鬼和尚が云う「悟りは神も羨む」、
悟りを羨む神とは是如何(kwsk!)
363
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/26(月) 19:33:40 ID:WL2yRwjAO
神や仏は救いを求める人を助けてくれますか?
364
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/26(月) 19:53:28 ID:kaXJvxhM0
>>344
出来るのじゃ。
今わしがやっているからのう。
役者が架空の舞台と知りながら、演劇をしているようなものじゃ。
衆生に付き合って名のある者を演じるが、実際には無我と知っているのじゃ。
>>345
それは悪事を止めさせ、善事を勧めるために仮に説いたのじゃ。
行為者が無ければ行為は無いが、初心の者が誤って行為が無いなら何をしても良いとか思わないように、行為とその結果はあると説かれるのじゃ。
そのような愚かな者は昔から多く居るものじや。
そうであるから常に行為とその報いはあると説かれるのじゃ。
悟りを得れば自然にわかるのじゃ。
>>346
自分で作ったのじゃ。
ものごとは心によって作り出されるのじゃ。
肉体とか脳などがあると思う心が在らせるのじゃ。
>>348
そのようにして肉体を持って観察して良いのじゃ。
どこまでも観察していけば本当は個人とか個我などは無いとわかるのじゃ。
肉体や精神は呼吸や食物やエネルギーを通して全てと繋がり、けっして離れては居ないのじゃ。
全てと離れた一個の肉体があると言う事さえも誤った観念なのじゃ。
常識や先入観に囚われず、真摯に観察すればそのように物理的にも肉体は全てと一体である事が真実と気づくのじゃ。
一旦気づけば、何故今まで判らなかったのかと不思議に思う位なのじゃ。
>>350
どういたしまして、またおいでなさい。
>>352
もの凄いひんとがあったのにのう。
慈悲とは論理的に説明ができないと言うのが、慈悲を論理的に説明した事になるのじゃ。
何故ならばそれは論理を使用して慈悲を説明したのではなくとも、論理と慈悲がどのような関係であるか説明したのであるからのう。
それが慈悲の論理的、説明なのじゃ。
おぬしには難しかったかのう。
365
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/26(月) 20:10:45 ID:kaXJvxhM0
>>353
>>354
そのように常に死が訪れる事を知っている者こそ修行したら良いのじゃ。
悟りが得られなくとも、サマーディにまで達したならば、死を超えた意識が垣間見られるのじゃ。
死によって世間の一切が無意味で虚しく思える時、死によっても滅する事の無い意識を知る事が唯一の道なのじゃ。
有限な肉体によって無限の意識に到達すれば、肉体を持って生きたことも意味があったと言えるのじゃ。
>>355
そうじゃ、そのまま観察しつづけるのじゃ。
何が起きても観察すれば良いのじゃ。
そこからまた想念が生じても、動揺せずに観察を続けるのじゃ。
それが正しい道なのじゃ。
>>356
観察が完全に行なわれれば消えていくじゃろう。
原因から起こる心の働きを観察するのじゃ。
その連鎖が縁起と呼ばれるものなのじゃ。
わしはもはや何も思わないのじゃ。
>>357
そうじゃ、続けるのじゃ。
熱が頭まで来るならば、胸などに集中して熱を降ろすのじゃ。
他にも様々な方法がある故に迷ったら聞けばよいのじゃ。
366
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/26(月) 20:31:41 ID:kaXJvxhM0
>>358
それはまだ八正道の途中なのじゃ。
正しい観察から始まり、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正定、正念にまで至って悟りは得られるのじゃ。
正しい念とは気づく事なのじゃ。
個体も個我も己も無く、認識さえも無であると気づいて悟りは徹底されるのじゃ。
観察によって正しい思惟から、正しい気づきまで到達できるのじゃ。
>>359
それは観察ではなく意識の拡大に気づいたのじゃ。
肉体にも活動している意識は在ったのじゃ。
肉体だけが己の全てであると言う観念から自由になったのじゃ。
瞑想に熟達すればいつでも感じられるじゃろう。
>>361
昔、そのような体験をしたり、何かを見たりして恐れが残っているのじゃろう。
その原因から恐れが起こり、原因が無ければ恐れが無いと観察すれば消えるじゃろう。
わしはもはや何も思わないのじゃ。
>>362
神も人より長く生きたり、人には無い力を持っていたりするがやはり死に行くものなのじゃ。
悟りを得て不死の境地に達したら、死に行く神も羨むのじゃ。
神の世界は安楽であるから良く修行しようとする者も少ないのじゃ。
苦の多い人の世で修行して悟りを得れば、神以上のものとなるのじゃ。
>>363
助けないのじゃ。
おぬしを救う事が出来るのはおぬしだけなのじゃ。
お釈迦様でさえ道標になるだけと言ったのじゃ。
おぬしには己を救うために、神仏よりも大きな力と智慧を出せるのじゃ。
慈悲と善事を心掛ける清らかな心で世を行けば、福楽は向こうからやって来るのじゃ。
367
:
龍華
:2013/08/26(月) 20:45:36 ID:kl1CR23s0
>>366
神の死後とは????
また神の世界に生まれれば良いだけなのでは?
また神も悟りを欲して人に生まれて来る事もありますよね?
するとそもそも人とは何なのか解らなくなります。そもさん
368
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/26(月) 20:51:45 ID:NpBkhqbI0
助けないのになぜ親鸞や法然ほどの人が「南無阿弥陀仏あるのみ」と説いたのでしょう。
彼らは悟っていなかったにしても嘘をつく人ではないと思います。
369
:
龍華
:2013/08/26(月) 21:01:53 ID:kl1CR23s0
>>366
もう1つ!!
その神も創造された者ですか?
お仕事はなんですか?
370
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/26(月) 22:39:45 ID:5OXb5beA0
>>366
神というのは自然霊のことですか
悟った人が神とを超えてしまうということは
神と人の差は生まれてくる形の選択の差だけですか
人にはない力というのは具体的にどういうもんでしょう
371
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/27(火) 00:19:02 ID:IQSEMtG60
>>364
>それが慈悲の論理的、説明なのじゃ。
だからそれは論理的な説明じゃ無いから。
ただ単にあんたが論理的に説明出来ないことを認められないだけの話だ。
もうあんたには説明出来ない事がハッキリしたから、この話はこれでお終いでいいよ。
372
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/27(火) 00:24:24 ID:LC3de7YgO
>>365
ありがとうございます。
正しい姿勢が決まると、常に臍下丹田に熱感を生じるようになりました。雑念と異なり、足の痺れみたいなものなので意識を向けても簡単に消えませんが、ある程度コントロールできそうです。
熱感自体に不快感はなく、集中の対象が熱感に傾き過ぎないようにしながら観察を続けます。
373
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/27(火) 05:37:38 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚は起きているときも寝ているときも同じ意識状態なのでしょうか
すると朝起きるのが辛いとか寝れないとか言う悩みも全く無い訳でしょうか
日常生活はぼんやりしてないのでしょうか
374
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/27(火) 05:50:48 ID:WL2yRwjAO
神を信じる人は「神仏に一切を委ねることで個我が消え、大宇宙の神秘と瞑合し、本物の智恵が生まれる」
「自力で何とかしようというのは個我のあがきであり、大抵は状況を悪くする」「ゆえにただひたすら神の名を唱えよ」
「親が子を助けるように神仏は必ず救いを求めるものを助けるであろう」
と言う論理になっています。
こういった話しは根も葉もない嘘なのでしょうか
375
:
358
:2013/08/27(火) 18:38:39 ID:3qg6l7MU0
>>366
ありがとうごさいます
それと聞きたいのですが上にも質問してる人がいるように、私は阿弥陀仏による救いというのが本当にあると考えています
阿弥陀仏の本願に帰依することによって衆生が仏に成る為の無量の功徳(阿弥陀仏が法蔵菩薩のときに一切衆生に代わって修行した兆載永劫の修行の功徳)を回向していただき仏になるという理屈です(仏と阿羅漢は全くの別物と考えています)
阿弥陀仏が造った衆生の為の大善業を衆生が受け取ることができれば可能なことだと思いますが和尚様はどうお考えですか?
(例えば普通の人でも相手の幸せを念じて行動すれば相手も良い影響を受けるのと同じ理屈だと思います)
376
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/27(火) 18:52:00 ID:WL2yRwjAO
地球はやはり人間の想いとは無関係に自転していると思いますが、そうでないと言える根拠はなんでしょうか
地球が鬼和尚の心の中にあるのであれば自転を止めて朝が来ないように出来るのではないですか?
それが出来ないと言うことはやはり人間の認識の向こう側に何かがあるのではないでしょう
377
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/27(火) 19:08:28 ID:RqjHb0Jg0
悪いことが起こったらこれでカルマが解消されたと喜ぶと解消されると聞いたのですが
カルマ以外の望ましくないことと巡りによる望まないことをどう見分ければいいでしょうか
真冬にこの寒さはわたしのカルマなのだと外に突っ立っている人はいないとおもいます
囲いをするとか家に入って暖炉に火をつけるとか寒さに対策します
カルマ以外のことは起こらないというなら、交通安全対策は無意味になります
お釈迦様も野盗から身を守るためにスタコラしました
アングリアーナは暴行してくる人々から逃げて身を守る選択もあったと思いますが
ただ「耐えよ」と言ったのは自業自得なのが一目両全だったからだと思います
ただ耐えるべきか身をかわして対策するか悩みます
378
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/27(火) 19:14:07 ID:RqjHb0Jg0
アングリマーラでした
379
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/27(火) 20:30:09 ID:kaXJvxhM0
>>367
神で居る時に衆生を苦しめるような悪事をすれば地獄とかに生まれ変わるじゃろう。
神と言えども輪廻の中から逃れられないのじゃ。
それ故に輪廻を超越できる悟りを得た仏陀を羨むのじゃ。
考えなければ良いのじゃ。
チャンスがあればそれを生かして修行するのじゃ。
>>368
悟りを得ず、智慧が無く、知識も無かったからなのじゃ。
自分の愚かさを知っていたから賢者とは言えるがのう。
彼等は阿弥陀浄土に行く自分の修行だけをしており、後に多数の人間が続くも思わなかったのじゃ。
>>369
神も人が創造したものじゃ。
日を動かしたりするのが仕事らしいのう。
>>370
神に生まれるのは善事の結果なのじゃ。
神には五神通という超能力があるとされているのじゃ。
>>371
おぬしは
>>289
で頑張って理解するとか書いていたが、やはり嘘であったようじゃのう。
理解したのならばそれが論理的な説明ではないと、論理的に説明してみると良かろう。
論理を否定的に使った論理的な説明とも言えるのじゃ。
>>372
そうじゃ、続けるのじゃ。
またおいでなさい。
380
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/27(火) 20:40:14 ID:kaXJvxhM0
>>373
本来の意識は全ての精神と肉体の基底としてあるのじゃ。
それを感じようとすれば常に感じられるのじゃ。
人と話したり、思考や知識を使う時はそれぞれの対象に集中するのじゃ。
本当は全ての者もそれを基底としており、離れる事は無いのじゃ。
瞑想に熟達すれば睡眠は自在に出来るのじゃ。
睡眠の問題は無くなるのじゃ。
通常の意識も使える故にぼんやりしたりしないのじゃ。
>>374
自我を放棄すれば智慧は生まれるじゃろう。
しかし、神に委ねなくとも智慧は生じるのじゃ。
それは神を信じきれる者の道にはなるが、疑いを持つ者には無意味なのじゃ。
神仏は人を救わないのじゃ。
おぬしを救えるのはおぬしだけなのじゃ。
>>375
それを一点の疑いも無く信じきれるならば、それがおぬしの道になるじゃろう。
経典に説かれているように、阿弥陀浄土と阿弥陀仏などをイメージし、一体となるのじゃ。
それによってサマーディに到達するじゃろう。
381
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/27(火) 20:49:39 ID:kaXJvxhM0
>>376
おぬしの頭の中に教えられた自転という知識があり、それが行われていると言う記憶によって自転があり、それが行われていると認識があるのじゃ。
それを旋転と呼ぼうという事になれば、自転は無くなり、自転することも無く、旋転している事になるのじゃ。
またその自転も太陽を基点にして考えれば地球が自転している事になるが、地球を止まっていることにして宇宙が動いている事にすることも可能なのじゃ。
朝を夜と言えば永遠に朝はこないのじゃ。
そのように知識と記憶の一切が仮に創られた言葉とイメージにしか過ぎないと知るのじゃ。
それが無ければ本来の世界が見えるのじゃ。
>>377
全部カルマが解消されたと思えば良いのじゃ。
違っていても気が楽になるじゃろう。
腹も立たないじゃろう。
382
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/27(火) 20:52:45 ID:OWFkcfvg0
鬼和尚さん自身が情報や先入観や観念で神というものを定義していませんか?
神と言っている人の全てがそういうものを指してはいないし、本当は違うかもしれないじゃないですか。
383
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/27(火) 20:56:42 ID:WL2yRwjAO
それは少々屁理屈じゃないですか
自転にせよ旋転にせよ意味する所は同じです。
同じ現象を別の名称で呼んでいるだけです。
朝を夜と呼ぼうが、太陽が昇らないようには出来ないでしょう
和尚がいくら頑張っても、太陽は昇るはずです
つまり現実は心の中にある訳ではなくて
人間の意志とは無関係の法則に従って展開していると言うことです。
そうでないと言うならば太陽が昇らないようにしてみてください
絶対に出来ないと思います
384
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/28(水) 01:24:18 ID:LC3de7YgO
>>379
ありがとうございます。
臍下丹田の熱感は昨夜をピークにほとんど消えてしまいましたが、正しい姿勢を維持する技の一端は体得できたようです。あれだけの熱感ははじめてだったし、集中力を鍛えるために使えるかと思ったのですが…。
平面の世界の住人は高さを理解することをできず、三次元を体験した人が、何とか高さを説明しようとして立体図を書いたとしても、やはり混乱を深めるだけで、理解も想像もできない。しかし、何かあるらしいと感じる人は自分で頑張って平面の世界から抜け出すしかない。
その方法が、集中力を高め、心の世界を観察しつくすことなのだろうなと思いました。
ちなみに、平面の世界の住人の話は、昔読んだ日経サイエンスの増刊号の、『パラドクス』の記事を突然思い出しました。
385
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/28(水) 01:49:36 ID:rv7HtzzQ0
>>380
自我を放棄すれば智慧は生まれるじゃろう。
しかし、神に委ねなくとも智慧は生じるのじゃ。
それは神を信じきれる者の道にはなるが、疑いを持つ者には無意味なのじゃ。
神仏は人を救わないのじゃ。
おぬしを救えるのはおぬしだけなのじゃ。
神の道では、おぬしなど存在せず神だけがある。
自分というものはなじめ空存在せず神だけがある。
だからおぬしにはなにもできない。
神だけがなすのじゃ、となります。
途中まで神の道を語って最後に瞑想の道で〆るからわけがわからなくなっている。
386
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/28(水) 01:50:12 ID:rv7HtzzQ0
>>380
自我を放棄すれば智慧は生まれるじゃろう。
しかし、神に委ねなくとも智慧は生じるのじゃ。
それは神を信じきれる者の道にはなるが、疑いを持つ者には無意味なのじゃ。
神仏は人を救わないのじゃ。
おぬしを救えるのはおぬしだけなのじゃ。
神の道では、おぬしなど存在せず神だけがある。
自分というものは始めから存在せず神だけがある。
だからおぬしにはなにもできない。
神だけがなすのじゃ、となります。
途中まで神の道を語って最後に瞑想の道で〆るからわけがわからなくなっている。
387
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/28(水) 05:52:07 ID:WL2yRwjAO
自我を放棄して神に委ねると智恵が生じるとすればやはり神は人を救っていると言えませんか?
その他力の神がイメージに過ぎないにせよ、自力の自己もイメージであり捨て去らないとならないのであれば
どっこいどっこいではないでしょうか
388
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/28(水) 10:44:38 ID:DgJcAPNs0
やっと、日本語で話してくださる生きた覚者に出会えたような気がします。
ネット上とはいえ、鬼和尚さんに巡り会えたことは何という幸運なのだろう…
これからも弛まず観察を続けていきます。
修行には関係ない質問です。鬼和尚さんは歯痛になったらどう対処しますか?普通に歯医者に行かれますか?
389
:
353
:2013/08/28(水) 16:05:32 ID:FolTiOC.0
>>365
鬼和尚、ありがとうございます。
僕の場合、「社会的に褒められたい自分」がつよくて、それにもがいているのに
ここ一番、肝心なときに「死」による終わりの嵐がザァっとふきあれて体調とかを崩してしまいます。(伝え方が下手ですみません)修行もしたいですが、社会的に褒められたい、という欲求が満たされない限り、一人ぼっちですることなんて耐えられない。さみしくて、自分を支える自尊心の脚がフラフラしているんです。その自尊心の元となるのが、「社会の役に立って褒められること」なんですが、それが何をすればいいのか、何からはじめればいいのかわからないのが現状です。。ちゃんとした自分用の「道」が確保されればいいんだけど、、瞑想すれば守護霊様がそういうことを教えてくれますか?何をやっても失敗だらけで、泣きそうです
>ほんとうはもっとビッグに生きてリア充になりたいのに
これは社会的に認められたいことの表れです。でも何かしようにもできなくて、母親とご飯食べて「おいしい〜」ってなってもいつか目の前にいる母もいなくなって、一人ぼっちになってしまう。
その前になんとかしなくちゃいけないのに、今自分ができることをしてもまだヒッキーで、メンヘラで人が怖くて社会との接点をもててません。。
390
:
353
:2013/08/28(水) 16:57:45 ID:FolTiOC.0
(続き)
心の薬も飲んでいました。
バイト中に人が怖くて薬をいっぱい飲むようになってしまってバイトもメンヘル薬もやめました。
そこで僕はもともと不信感を抱いていた病院を断ち切りました。
「メンヘラならデイケアいけばいいじゃん?」って思いますが
デイケアへ行くことは、もう一度病院へもどるということ。。僕の中の病院のイメージは、あいまいなプールなのです。プールが嫌だから確かなものを求めて行かなくなったのです。仏教にであってから、「これだ」と思いました。ですが、外で交流をしてみれば私はまだメンヘラに逆戻りです
もう一度、もどっていいのか。。鬼和尚はなんでもやってみよ、と仰いましたが、この先が過去に一度決別したものでも、やってみるべきでしょうか。
391
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/28(水) 17:35:54 ID:RqjHb0Jg0
>>381
>全部カルマが解消されたと思えば良いのじゃ。
すべて受け止める器がありません
すべては自分のまいた種といい子ちゃんぶってた時がありましたが
鬱憤のたまっているひとに「こいつは何してもやり返さない」認定され痰つぼにされました
余計な不幸からは逃げたいです
392
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/28(水) 17:45:33 ID:WL2yRwjAO
人あたりを良くする法を教えてください。
気軽に気さくに話しかけやすい人間になりたいのです
393
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/28(水) 19:06:43 ID:WL2yRwjAO
酒に酔っ払った時の快楽って自我を喪失した快楽なんだよな
瞑想でもそう言った快楽はあるのですか?
394
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/28(水) 20:20:07 ID:kaXJvxhM0
>>382
わしは神と言うものについて書いていないのじゃ。
人が持つ神と言う観念について語っているのじゃ。
全ての神を語る者にその観念はあるのじゃ。
神と言う観念が無ければ神と言う事も出来ないからのう。
>>383
同じではないのじゃ。
地球が不動であると言う視点からは宇宙が動いている事になると、書いたがのう。
太陽を昇らなくするのは簡単なのじゃ。
おぬしの観念を正すだけで良いからのう。
おぬしは地球が自転すると書いたじゃろう。
地球が自転するならば、動いているのは地球であり、太陽は不動となり、昇る事も無いのじゃ。
太陽が昇るならば地球が不動であり、太陽と宇宙が動いている事になる天動説なのじゃ。
地球と言うのも太陽も宇宙もおぬし自身の観念であり、その観念の中で考えるから、観念の誤謬にも気づかないのじゃ。
視覚的に見えるもの、触覚で感じられるもの等も観念にすれば本質を忘れ、囚われと成るのじゃ。
395
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/28(水) 20:32:29 ID:WL2yRwjAO
まあ和尚が上げた例は観念だとしても、やはり10時間後には朝が来るじゃないですか
この現実を和尚の意志で変える事は出来ないでしょう。
無理矢理なんとかしようとすると一休とんち話しみたいな事になってしまいます
396
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/28(水) 20:48:52 ID:kaXJvxhM0
>>384
瞑想を続ければ常に出来るようになるじゃろう。
毎日続ければ今まで出来なかった事も出来るようになるのじゃ。
そして、真の世界の姿を見るじゃろう。
>>387
神は居ないから人を救えないのじゃ。
集中した者が自分で自分を救ったのじゃ。
自己は捨てればそこから先があるが、神を信じて神を捨てる者は稀なのじゃ。
>>388
良い事じゃ。
わしは歯を治す方法を知っている故に歯医者に行かないのじゃ。
塩で歯磨きをして歯茎をマッサージしていれば穴だらけの歯も痛くなくなるのじゃ。
全ての者に勧める訳ではないがのう。
普通の者は歯医者に行ったら良いのじゃ。
>>389
>>390
先ずは体を権衡にすると良かろう。
運動をして、野菜を食べ、思考を少なくして瞑想しよく寝れば体が健康②なり、心も軽くなるのじゃ。
思考を多くすれば脳も疲れて乱れてしまうのじゃ。
瞑想によって思考を抑えるのじゃ。
そうすれば自分の道も見えてくるじゃろう。
それが実践する事なのじゃ。
>>391
それは何でも受け入れ、抵抗しないと言う事ではないのじゃ。
世間では普通に接すると良かろう。
愚かな者には指導や説教もすると良かろう。
そして何やら苦があったならばカルマが解消されたと喜べば良いのじゃ。
>>392
笑顔が大事じゃ。
いつも笑顔で居れば気軽に話し掛けられるじゃろう。
和顔施という善事にもなるのじゃ。
>>393
あるじゃろう。
無我の安楽なのじゃ。
酒も薬も必要は無いのじゃ。
瞑想が最も安楽なのじゃ。
397
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/28(水) 21:02:29 ID:OWFkcfvg0
鬼和尚さんは仏教に親和性?を感じ、お釈迦様に倣って悟りの道を進まれたので
仏教の教えありきですが、もしイエスキリストに親和性を感じ、イエスの教えに親しんで
いたら言葉上での教えの表現も変わったのかもしれないのではないでしょうか?
言葉や形は意味がない、というのはそういう部分でも現れるような。
キリスト教は置いておいても、イエス自身は悟っていて真実を語っていると思いますが
どう思われますか。
この人は神ありといっていますが。
398
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/28(水) 21:17:09 ID:OWFkcfvg0
鬼和尚さんは言葉や形に意味がないと言いますが、一方で凄い言葉にこだわっていますね?
その言葉を使わなければ観念がないとは言い切れない。
観念がなくてもその言葉を使っているかもしれない。悟り、とか思考、とか、自我、とかいう言葉でも
それ自体は実体もないし、自我側からしたら観念かもしれないけれど、既成の言葉を使わないと話
にならないし、便利だから使っていて、それは問題ないのに神というとダメなんですね。
幻想側から(無)と真実側(在り)の表現の違いではないでしょうか?
イエスは実在側から語った。
399
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/28(水) 21:38:18 ID:rv7HtzzQ0
>>384
そうですね。
あなたも悟りとか無心とか言葉にできないとかそういう観念があるからそれを言葉にしていますね。
≫神と言う観念が無ければ神と言う事も出来ないからのう。
神という観念なんてありえませんよ。
ある観念に神と名付けることはあっても。
400
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/28(水) 22:18:08 ID:LC3de7YgO
>>396
ありがとうございます。精進します。誰にでもあるような苦悩への対応のためにはじめた瞑想ですが、真実の世界を垣間見ることができるところまで行けたら、素晴らしいことだと思います。
401
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/29(木) 06:37:03 ID:WL2yRwjAO
神がいないと言うことが神ならぬ鬼和尚に何故わかるのでしょうか
親切な人がいるように親切な神(仏)が居られても不思議ではないと思いますが
402
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/29(木) 07:09:22 ID:WL2yRwjAO
人間社会でも生活保護とか何とか愛護団体とかあって高度な社会になればなるほど弱者にも気を配るようになっている。
宇宙全体の秩序もそうなっていてもおかしくないと思うんです。
弥勒菩薩とか阿弥陀如来と言われる方々は仕事として人間を助けているのかもしれない
403
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/29(木) 07:13:59 ID:WL2yRwjAO
実際鬼和尚も人にアドバイスをしたりして助けている訳ですよね
もし鬼和尚が霊体になって肉体の軛がなくなれば阿弥陀如来みたいな存在になりませんか?
404
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/29(木) 18:14:22 ID:DgJcAPNs0
歯痛に塩が効くというのは初耳でした。これは試してみると面白そうですね。
鬼和尚さんは、空無辺処と非想非非想処というものを体験されたことがありますか?
お釈迦様は、この2つを悟りとは異なるものとして退けたそうですが(Wikiの知識です)、
実際はどのようなものなのでしょう?解説していただけたらうれしいです。
405
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/29(木) 18:45:31 ID:Nfac3xok0
墓はなく、位牌も仏壇もなく、経も唱えず、盆の行事もしない、それでいいでしょうか。
406
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/29(木) 19:26:14 ID:UhmOwN.E0
鬼和尚様
禅宗の方などに多い発言ですが、
「喜怒哀楽もある、全てこのまま」のような悟りはどうなのですか?
それに関して、仏陀も弟子が亡くなったとき泣いて悲しんだ、みたいに説明することも多いですが、
鬼和尚様は喜怒哀楽は生じない(意志によって生じさせることできる)という説明ですよね。
自分はサマーディくらいには何度か入り、喜怒哀楽が全く生じないような状態に数日いたこともあります。
全てが歓喜であると同時に慈悲である状態など、いくつか体験しました。
その後、自分の状態を振り返り、仏典を読み返しましたが、
そういった生じるものが全てなくなるまで悟りではないように解釈しています。
禅宗の説明を聞くと、肉体や現実に即して、喜怒哀楽の反応も生じるように説明しているように思いますが、
肉体の瞬間的な反応は生じても、とても喜怒哀楽まで生じるという表現は大げさな気がします。
自分の肉体の反応も、どのようにとってもいい他人の身体の反応のように観るようになると思いうのですが、
そのへんを説明していただけますか?
禅宗などでいう、「喜怒哀楽もある、全てこのまま」とはそういう意味での発言でしょうか
407
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/29(木) 19:29:59 ID:UhmOwN.E0
つづき
それとも、禅宗が現実に即すことを選んだのでそういう状態になっているだけで、
修行者が、その状態を悟りだとみなすのは少し違うのでしょうか?
このあたりに関して鬼和尚様のご意見を聞かせていただけますでしょうか。
408
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/29(木) 19:50:18 ID:WL2yRwjAO
神や仏に頼らず運命を肯定する法をお教えください。
409
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/29(木) 19:53:42 ID:kaXJvxhM0
>>397
仏教には悟りへの方法があり、理論があり、苦を滅する道があるのじゃ。
それ故にわしも説くのじゃ。
そうでなければわしには用なしなのじゃ。
キリストは悟っておらず、神を信じていたユダヤ教徒なのじゃ。
>>398
正確に伝えるためなのじゃ。
正確に言うならば雲の上に世界を作ったひげのじじいはいないのじゃ。
それはおぬしの心によって創られたものなのじゃ。
>>400
そうじゃ、続ければいつか悟りは向こうからやってくるじゃろう。
またおいでなさい。
>>401
神と言うのは居ても居なくても、おぬしには全く関係無いのじゃ。
アウシュビッツでも広島でも何万という人が苦しみ助けを願っても、それは現れず、何もしなかったのじゃ。
全知全能ならば人の苦を知り、助ける事も出来る筈であるが決して現れず何もしないのは何故じゃろう?
それがいつも子供の頃に助けてくれた親のイメージを投射した幻想に過ぎないからなのじゃ。
幻想に人を好くうちからは無いのじゃ。
現実に人を救えるのは自分自身だけなのじゃ。
幻想の神を捨て、現実に自分を救うことが、賢者と目覚めた者によって説かれた道なのじゃ。
>>403
自分が自分を助けようとしなければ誰も助けにはならないのじゃ。
百万の仏陀と言えども自ら助かる気のない者を助ける事はできないのじゃ。
410
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/29(木) 20:04:39 ID:WL2yRwjAO
神を信じている人の論理は先にも言ったように、我を捨てて神を受け入れることで神と自己の矛盾がなくなり、神の受け皿となって行為すると言う事で、決して、なにもしないと言うことではなく
無為に徹することで
内なる神の意識を働かせると言うことだろうと思います。
つまり鬼和尚が説いていることともそんなに矛盾していないと思います。
悪徳にまみれた自己イメージで行動するよりは、善の象徴である阿弥陀如来の慈悲を受け入れ、阿弥陀如来のイメージが精神の隅々に行き渡っている人の方が慈悲深い行動を自然に取ると思うし、人生もうまくいくのではないでしょうか
411
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/29(木) 20:29:40 ID:kaXJvxhM0
>>404
何でも試してみたらよいのじゃ。
空無辺処は空間の意識を認識している状態じゃ。
非想非非想処は想いが無く、想いでないものもないという状態じゃな。
それは瞑想によって到達する境地であるから、正確にどこからが非想非非想処で空無辺処ではないとかいえないものなのじゃ。
瞑想をしていればそのような感覚があると気づくだけなのじゃ。
そのような瞑想にのみ没頭すれば、観察することが無く、むしろ逆にその境地に辿り着いた己を誇る気持ちが現れて字が肥大に陥ったりする事もあるじゃろう。
小悟で傲慢に成るのと同じなのじゃ。
>>405
おぬしがそれでよいと思えば良いのじゃ。
花や樹木に墓も位牌も仏壇も無く、経を唱えず盆の行事もしないが年々芽が出て咲くのじゃ。
>>406
>>407
そうじゃ、肉体の反応以外なくなるのじゃ。
そのような禅の教えは本来の己の感情を認めるためのものじゃろう。
人は日常では大抵感情を誤魔化して生きているからのう。
ありのままの感情を認めなければ己も見えないのじゃ。
十牛図で言えば牛の足跡をみつけるようなものじゃ。
>>408
自分を自分の主とするのじゃ。
何が起きても自分の責任として受け入れるのじゃ。
自分の所為と思うのではないのじゃ。
自らの力で処理する覚悟で実践し事に当るのじゃ。
412
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/29(木) 21:01:18 ID:UhmOwN.E0
>>411
ありがとうございます。
禅に関してですが、よく自分を忘じきる、景色だけになるというような表現をしますね。
対して、マハルシなどは、現実はスクリーンだという言い方をします。
禅ではスクリーンと観る自分を分けるな、仏教での悟りはスクリーンだけになることというように、
アドヴァイタと仏教の違いを語るようにも思います。
鬼和尚様は観察という表現もされますし、アドヴァイタ的な言い回しも多いように思いますが、
自己を忘じる、景色だけになる、あるいは、アドヴァイタでいうスクリーンを見てる側になることに関して、
説明いただけますか?
それらは同じことの異なる視点からの表現ですか?
それとも、別の状態を表しているのでしょうか?
鬼和尚様ならどのような表現になりますか?
413
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/30(金) 00:24:26 ID:LC3de7YgO
>>409
ありがとうございます。たいへん心強いです。感謝いたします。今夜三日ぶりに熱感が戻ってきました。その熱感を放っとくと後まで残るようなので、今度から収功の所作も取り入れようと思います。
414
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/30(金) 01:00:11 ID:WL2yRwjAO
雲の上のひげのじじいを信じるものを馬鹿にするのは簡単だが、彼が信じているのは仮託された表層のイメージではなく、
本質である絶対精神の方だと思います。
鬼和尚は西洋哲学も馬鹿にする傾向があるが絶対精神と言うのは定義上マハリシや鬼和尚が説く「普遍の意識」と同じものと考えて良いと思います。
古来より人々は、絶対精神に神と言う名称を付けて崇拝してきました
仮託されたイメージは様々ですが本質は同じであり、
祈る人には安らぎをもたらしたのだと思います。
415
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/30(金) 02:16:13 ID:OWFkcfvg0
>>409
鬼和尚さんの言っているイエスや、神というのは旧来の自我によってゆがめられた
キリスト教などのイメージから来るものだと思います。私はそんなイメージを持っているかの
ようにあてはめるのは投影ではないでしょうか?
神は世界を創っていない、幻想とは全く関係ない、というのがイエスの悟ったことだったようです。
勿論神しかない、ということは自分(我、個人、他人、世界)もない。実在、鬼和尚さんの言っている
ただ在る一体の意識、霊しかない。つまりそれが神であり本来の自己だと。
それでなくてもスピリチュアル系などの発展?の貢献もあって自分と離れたどこかの救ってくれる神、などという
イメージを持っている人は少なくなっていると思います。
言葉も形も関係ない、イエスもブッダも鬼和尚さんも私もみんなも実はいない、それ(幻想とは関係ない一体の
意識)しかない、ということをイエスもブッダも鬼和尚さんも言っているのに、なぜ表面上の言葉やイメージで区分け
するのでしょう?
それは幻想を強化している気がします。
無ということを徹底するために神のイメージを撤去する、言葉さえ、という鬼和尚さんの立場上の主張は分かり
ますが。。
416
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/30(金) 02:44:51 ID:OWFkcfvg0
救われる必要のあると思い込んでいる自分(我)というのは普遍の意識(一体性、神)から離れている、という幻想を見ている
ということで、その自我が、間違った救いや神のイメージを抱くこともある。
イエスや鬼和尚さんが言っているのは、全ての間違い、自我、幻想から、その本来の一体の意識、分離していない
意識に目覚めなさい、ということですよね。同じじゃないでしょうか。
その過程で自我が本来の自己に明け渡すとき、自分(我)より大いなるもの、という意味で神(我ではない自分)を信じる、
という言葉になったりする。
417
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/30(金) 03:07:24 ID:OWFkcfvg0
>イエスもブッダも鬼和尚さんも言っているのに
ブッダがそういったかは分かりません。すみません。
418
:
389
:2013/08/30(金) 05:47:35 ID:FolTiOC.0
>>396
ありがとう、ありがとう
419
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/30(金) 06:05:51 ID:WL2yRwjAO
修行の到達点である無認識とは痴呆とはどう違うのでしょうか
客と主人を区別出来ないと仕事も生活も成り立たないのですが
420
:
素人A
:2013/08/30(金) 10:54:26 ID:gOqWUDAs0
鬼和尚さん私は何気なく眺めていると.あっと言うまに答えが.目の前?から出る
のですが.あまり考えていないので日本語が無茶苦茶出鱈目になるのですか.正しい
日本語にすると色々疲れるのでそのまま書き込む時が何故か冴えている?私が直すと
何か感じが違う?日本語ぐちゃぐちゃでもしょうが無い。すいませんもう答えが。
でも聞いてほしい
421
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/30(金) 21:03:58 ID:NpBkhqbI0
これだけやってれば悟りが開けるという瞑想を教えてください。
422
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/30(金) 21:05:32 ID:kaXJvxhM0
>>412
禅の言うのは十牛図の返本還源じゃな。
記憶に依存した認識も無ければ世界の在りのままの姿が見えるのじゃ。
マハリシは普通の人が見る現実はスクリーンの上の影でしかないと言ったのじゃ。
意識がスクリーンであり、現実はその上に浮かぶ影なのじゃ。
影が無くなればやはりありのままの世界が見えるのじゃ。
普通の人間の意識の仕組みを表しているのじゃ。
わしならば記憶に依存した認識が無くなり、本来の認識によって世界の在りのままの姿が見えると言うじゃろう。
可能な限り正確に語るのじゃ。
>>413
そうじゃ、何でも試してみるのじゃ。
>>414
>>415
なにやら混乱しているようじゃ。
イエスは本当にそんな事を言っているじゃろうか?
>>418
どういたしまして、またおいでなさい。
423
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/30(金) 21:11:20 ID:kaXJvxhM0
>>419
痴呆は記憶が働かないのじゃ。
普通の者は記憶に使われているのじゃ。
無認識に至れば記憶を道具として使えるのじゃ。
>>420
それでよいのじゃ。
言葉になる前の直感を捕まえるのじゃ。
それが深甚なる観察になるじゃろう。
>>421
観察すると良かろう。
己をどこまでも観察していけば自然に悟れるのじゃ。
マハリシのように最後まで追及すれば悟りは来るのじゃ。
集中でも悟れるが対象の無いサマーディにまで行かなければならないのじゃ。
それには才能と時間が必要になるのじゃ。
424
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/30(金) 22:04:28 ID:LC3de7YgO
>>422
ありがとうございます。
より瞑想が深まる座りかたを工夫してたら、たまたま臍下丹田の熱感があらわれ、求めて得られるものではなかったので、嬉しくもありました。しかしそれをいじり回すことに夢中になってしまうと、瞑想がそれこそ迷走してしまうのではないかとも思いましたが、今のところ意外に自分の中にそういう欲求が起こってきません。
『熱感』の取り扱いについて、① それを生じさせるために特別なことはしない。普通の腹式呼吸と正しい姿勢を整え維持することのみを考える。 ② 熱感が生じてきたら、呼吸に集中し観察するのと同じように集中し観察する。呼吸は安静になると微弱になり、時々見失い、呼び起こすために働きかけてしまったりするが、熱感はあるがままを観察する対象として最適な気がします。
425
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/31(土) 01:27:05 ID:8a6bCf4A0
観察が大事ということですが、観察もせず、特に思考もせずという状態でいるのは観察とは別物でしょうか?いわゆるぼーっとしているような状態です。
これでは修行になりませんか?
426
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/31(土) 06:57:28 ID:voIG27As0
>>422
禅やマハルシの話ありがとうございます。
言葉上では理解できますが、真意が体得できてないので、鬼和尚様の言葉も含め、
参考にしながら進みたいと思います。
ちなみに、釈迦が弟子を亡くして泣いた話などは鬼和尚様はどう捉えてますか?
後代の大げさな誇張でしょうか?
それとも、それは悟ったものであれ、自然で当然の反応でしょうか。
あるいは、そうでなくてもよいけれど、そういう身体表現を釈迦が選んだのでしょうか。
鬼和尚様の意見を聞かせていただけますか?
427
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/31(土) 07:06:40 ID:WL2yRwjAO
自我を滅すると何か良いことがありますか?
428
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/31(土) 07:28:03 ID:WL2yRwjAO
苦を滅するのなんて簡単じゃないですか
要は気にしなきゃいいんですよ
何が起きても気にしなきゃいい。
こんな楽な事は無いですが、世間的には単なる無責任者、大馬鹿、フーテン野郎でしょう
苦を滅する方法なんてみんな知っているのだが
人間としてのプライドや責任があるから黙って苦を受け入れているんでしょう
お釈迦さまみたいに子供が生まれても放置してりゃ「楽」なのかもしれんが、世間の人は責任感があるので、
働いて養育費を稼いでいるのでしょう
429
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/31(土) 15:17:41 ID:Nfac3xok0
霊が見える人がいますが、霊が見えるのも観念によるものなのでしょうか。
430
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/08/31(土) 20:28:21 ID:kaXJvxhM0
>>424
姿勢が正確で、下腹に力が掛かると自然に熱が発生するのじゃ。
その熱が背骨を上昇してサマーディに入るのじゃ。
しかし、集中力が無いと意識が無く寝たのと同じになってしまうのじゃ。
集中力も必要なのじゃ。
>>425
ならないのじゃ。
寝ているのと同じなのじゃ。
集中するか観察するかどっちかをしてみるのじゃ。
全く何もしないという行もあるが普通の人間には困難なのじゃ。
>>426
嘆く事は出来たじゃろう。
人に説法をするために仮に自我を保っていたであろうからのう。
そのような時には自然に感情も出るものじゃ。
それをあえて止める必要も無いから止めなかったのじゃろう。
>>427
不安が消え、恐れも消えるじゃろう。
それらは記憶から自我に投射されていたものであるからのう。
過去に孤独や恐怖があると、それが自我に起こりはしないかと不安や恐れになるのじゃ。
不安や恐れが無ければ、自然に心は安らぎ、静まるのじゃ。
そして真の悟りへの道も開かれるのじゃ。
>>429
今生きている人が見えるのも観念であるように、霊も観念なのじゃ。
生死に関わらず人は観念の中に生きているものじゃ。
霊も生きている人も同じなのじゃ。
431
:
避難民のマジレスさん
:2013/08/31(土) 20:50:37 ID:Nfac3xok0
もしもヒトが種として別のものに進化したとするならば、そのとき悟りや仏の智慧はどうなるでしょうか。
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