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|
樋田氏との法論に関して
1
:
沖浦克治
:2007/06/18(月) 17:40:44
ここには適切なスレが無いので新スレをたてます。
2
:
沖浦克治
:2007/06/18(月) 17:41:29
昨日から、富士宮ボーイ。と、創価学会非公認非公式掲示板。に、アップされ始めました。
大勝利さんが、デシカメで客席から撮りましたので、細切れになっていますが、その方が見やすいでしょう。
総合的な映像は、私が既にマザーを作り終えました。
客席からプロ用のカメラで据え撮致しました。
一時間ものが三枚で、ずべて収録されています。
明日、江戸川堤さんにDVD三枚組みで送付します。
江戸川さんはパソコンの専門家です。
すぐにコピーにかかり、数日後には希望者に送付が可能です。
送料を着払い、あと、DVD代が全部で三百円ほどかかるでしょう。
いずれにせよ、大聖人様の仏法をお金儲けの手段にするような不心得ものではありませんので、ご安心下さいませ。
具体的な入手方法は江戸川堤さんがご提案くださると思います。
今しばらくお待ち下さいませ。
3
:
沖浦克治
:2007/06/18(月) 17:44:11
富士宮ボーイから転載
長野法論 投稿者:大勝利 投稿日:2007-06-18 16:13:33 ID:40c1d853e
新規 返信
皆様お世話になります。
本日、法論内容の一部をアップロードさせていただいておりますが…
昼までで700の配信リクエストがありました。凄いですね(笑)
また随時アップロードさせていただきます。
御形木様は和紙に限るのか?(1)
御形木様は和紙に限るのか?(2)
真筆御本尊も法主の開眼がなければ…紙切?(1)
以下思いつくだけ検索タグ付けします。
----------------------------------------------
宗門 法華講 長野 アザレ 日蓮 正宗 日顕 日如 妙観 日達
日春 光長寺 弘安四年 4月5日 105 二千二百三十 大曼荼羅 戒壇 本尊 様
大石寺 樋田 沖浦 対論 対話 岡宮 本門 真筆 直筆 日興 日達 猊下
6月16日 六月十六日 平成 19年 十九年 御書 H19.6.16 6/16 070616 カルト
信仰 宗教 信心 大聖人 血脈 一〇五 摺り ビデオ 画像 DVD 録画 保存
日寛 ペラペラ
七百人以上がいっせいに、樋田さんの、自分勝手書写本尊ひらひら。を、見るわけですね〜〜。
4
:
沖浦克治
:2007/06/18(月) 18:02:18
ほととぎすさんがカメラを回してました。
それで、質問会の時、彼が大声で、昨日、脱会を一人決めてきました!と、言い放ったのです。
ところがどうでしょう。
場内から拍手一つおきなかったのですよ。
黙殺しておしまい。
ヘ〜〜〜!と、思いましたよね。
創価学会ならね、昨日脱講一つ決めて来ました。で、大拍手の渦です。
法華講って、お気の毒ですね〜〜。
ほととぎすさん、可哀想〜〜〜〜〜。
5
:
名無しさん
:2007/06/18(月) 23:14:42
沖浦さん
大魔のつきたる者どもが降魔でほざいてますね☆沖浦さんにとっては、楽しいかな楽しいかな☆悦ばしいかな悦ばしいかな
でしょうね〜☆楽しくやってください☆
6
:
名無しさん
:2007/06/19(火) 06:49:56
沖浦克治さんはロン毛なんですね。キャッ!素敵!
耕治さんはイケメンさんですね。カッコイイ〜!
(●^o^●)
7
:
yurikoの後輩
:2007/06/19(火) 07:11:28
>>4
>場内から拍手一つおきなかったのですよ。
黙殺しておしまい。
→法華講なら、当然でしょう。
それは、黙殺とか、「他人のことを気にしない」ということではなくて、
「信心の真の目的こそ、一生成仏であって、一人の手柄を競うものではない」
ということでしょう。
ですから、もし、脱会を決意し、御受戒や勧誡(かんかい)を愛ければ、
晴れて日蓮正宗信徒になるわけですから、新しく信徒になった方が拍手を受けるのです。
8
:
名無しさん
:2007/06/19(火) 07:40:32
わが喜びに 君は舞う〜♪→学会ヽ(^o^)丿
わが喜びは わたしだけ〜♪→法華講(T_T)
9
:
沖浦克治
:2007/06/19(火) 08:18:31
あれで怒らなければ大聖人様門下じゃありませんね。
『日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし』
(経王殿御返事)
このご文は戒壇様御図顕の七年以上前です。
既にご自身の魂。と、仰せです。
一機一縁のご本尊様ですよ。
ここで仰せのご本尊様はね。
今現存する、大聖人様御図顕の全てのご本尊様は、末法の御本仏、日蓮大聖人様の御魂が篭っているのです。
御書に明白です。
蓮祖の御魂を勝手に書写して、あんな事を目の前でやるのを見て、平気な顔してたらね、、与同罪で地獄に堕ちますよ。
『此の文の中に見壊法者の見と置不呵責の置とを能く能く心腑に染む可きなり、法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし、南岳大師の云く「諸の悪人と倶に地獄に堕ちん」云云、謗法を責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべしはかなしはかなし』
(曾谷殿御返事)
見て。置く。
トンでもないですよ、捨てておくなんて。
あそこはね、大聖人様を御本仏と信じる人間なら、声を荒げても相手を叱責せねばなりません。
貴方方もね、子供が悪さするとしっかりと怒りませんか?
同じなんですよ。
御本仏の御命を墨に染め流したご本尊様です。
あんな事していいわけないでしょう。
10
:
卞氏
:2007/06/19(火) 11:37:02
脱会など大方の人にとって、興味がないことなんでしょうね。
あるいは当然だのように冷めた目でみているとか。
気張って脱会決めたところで哀れですね。ヒーローになり損ねちゃいましたね。
学会の婦人は、晴れ晴れとした(^。^)顔で「脱講決めました。」という。
そこには、本当に可哀相な人を救えたという歓喜がある。
そこに至る苦労もみな知っている。最大に称える。
素晴らしい学会ヽ(▽ ̄ )乂(  ̄▽)ノ ばんざーい!
11
:
卞氏
:2007/06/19(火) 11:39:54
>「信心の真の目的こそ、一生成仏であって、一人の手柄を競うものではない」
>ということでしょう。
自分の成仏さえかなえばよい。法華講とはそういうところか?
自分の成仏すら侭ならないというのだから、
他人の幸福など喜ぶことはできないと、
そういうことでしょうねー。
12
:
名無しさん
:2007/06/19(火) 12:07:32
末法の御本仏、日蓮大聖人様
久遠実成教主釈尊最初決縁のお弟子なり
13
:
名無しさん
:2007/06/19(火) 12:18:50
大体歴史上の人物が本仏は考えられない。
14
:
卞氏
:2007/06/19(火) 15:29:39
架空の人物や伝説上の人物像を本佛として信仰すれば、
妄想家となっていくのは必然ではないか?
と思うんですけどね。
15
:
名無しさん
:2007/06/19(火) 16:41:54
久遠実成教主釈尊最初決縁のお弟子なり
↑と道師か時師が日蓮さんは本門教主釈尊の「お弟子」と文書残して
いるのですが。
ところで本門教主釈尊とは本門寿量品に登場するもう一人の釈尊(理の釈尊)
ですか?
16
:
名無しさん
:2007/06/19(火) 16:50:40
架空の人物や伝説上の人物像を本佛として信仰すれば、
妄想家となっていくのは必然ではないか?
ヤハウェ、デウス、アラーを信仰する教団はどうですか?
17
:
日々更に決意
◆WlbcQceoXg
:2007/06/19(火) 17:41:20
アラ〜〜〜〜!!久しぶり・・・。
と、声が聞こえたので、その人に寄っていったら・・・・。
俺の後ろに居た人でした・・・(トホホ笑)。
俺じゃなかった(赤面あはは汗・・笑)。。。
・・・・妄想でした(あはは笑)。
18
:
卞氏
:2007/06/19(火) 18:27:40
詳しくは分りませんが、
結局のところ、信仰する人が「歪んだ偶像化」をしていたり、
「神がかり的存在」としてみてしまうなんてことがなければ、概ね健全でしょうね。
それは教団の指導者の責務ですよ。
日蓮大聖人が「御書」を残されたという事は、この上ない幸運なことです。
御本尊を思索するうえでこんなに優れたものはありませんね。
***
「本門教主釈尊」とは本門寿量品に登場するもう一人の釈尊(理の釈尊)か。
これも、分りずらいですねー。所詮人師の解釈の一部分ですから
なんともいえないですねー。混乱の元でしょう。
例えば大聖人が報恩抄で「信ずべき対象」として言われるものは「本門教主釈尊」です。
この呼び名を使用するケースは随所にありますが、
理の釈尊というつもりで言われているわけではないでしょう。
大聖人が、信ずべき対象を表現するにこの言葉を使ったものと拝されます。
ここで時代を引戻し我々の立場から見れば「御本尊に縁をした最初の弟子」と読み替えることができます。
弟子という言い方をするのはなぜでしょうね。
法華経文上での釈尊は大聖人のような振る舞い方をしていないからでしょうか。
実際釈尊は大聖人の様には振舞えていない。本当の弟子ならば御本尊に等しい筈です。
法華経で説きたかったところの本尊(教主釈尊)に最初に縁をしたのが誰かといえば、
それは大聖人であるというわけですね。
釈尊も御本尊によって成仏する事ができた衆生の一人(迹)で、本門寿量品教主釈尊により久遠実成が明かされたことになるので、そちらは(事で本)になるはずですが、
しかしながら法華経という経典の上での話ですから(理で本)とすることができますので、(理の釈尊)という言い方が当てはまるともいえますね。
現実の上で御本尊を明らかにした最初の最初の張本人は大聖人なのである(事で本)
とすれば、法華経という経典の上での話はすべて(理)なのは当然です。
こんな読み方ではないでしょうか。なーんかややこしいですが。
19
:
バレンタイン
◆dgw5sTE.7E
:2007/06/19(火) 19:57:04
最近の創価学会は、脱会しやすくなったそうですね。
20
:
ゴンちゃん
◆qrNuUBaZ6U
:2007/06/19(火) 20:26:17
所でバレンタインさん!宗派は?何ですか?教えてくれますか。。。
21
:
名無しさん
:2007/06/19(火) 21:32:01
宗教は知らないけど共○党の支持者だろう(笑)
22
:
ゴンちゃん
◆qrNuUBaZ6U
:2007/06/19(火) 21:46:16
そうなんですか?知らなかった。。。ちなみに、バレンタインさん!入会して、みませんか?
世界観が、変りますよ。。。初心の功徳で。。。
23
:
沖浦克治
:2007/06/20(水) 06:05:57
しなくていいですよ。
24
:
名無しさん
:2007/06/20(水) 07:54:25
樋田氏作成の編集ビデオを見ました。
映像中、御本尊の写しをひらひらさせていましたが、「写し」を選んでいましたね。
先の大勝利さん公開のビデオに焦ったのでしょうか(笑)
25
:
沖浦克治
:2007/06/20(水) 08:49:09
>樋田氏作成の編集ビデオを見ました。
編集しない約束なんですよ。
でないとごまかせますからね。
私共は、一部の欠落を除いて全てそのまま公開致します。
その上での編集ならまだ我慢でしますがね。
26
:
名無しさん
:2007/06/20(水) 15:56:01
先日、NHKの朝ドラ「どんど晴れ」で、老舗旅館の大女将が引退し、若女将に後を継がせるお披露目式をやっておりましたが、その場には身内、旅館の関係者やごひいきのお客さんが集っておりました。
言わば女将の相承の儀式です。確かに引継ぎを行ったということを見届けてもらうために場を設け参集してもらったわけです。
日蓮一期の弘法の法主の相承(日達→日顕)が誰の目にも触れないところで二人だけでコソコソ行われたなどという事は絶対にありえないですよ。
宗門は法主の開眼云々よりも「相承」が確かに行われたことをしっかりと証明すべきでしょう。
朝ドラを見てそう思った次第です。
27
:
卞氏
:2007/06/20(水) 16:18:17
たしかに、ありえないですねー。
今度は如師だろうと、誰が見ても予測できたんですけど、
自分のときだけ内緒の内証の秘すべし秘すべしーなのでしょうか。
一体誰が受けたのかのぅ( ・・)(・・ )
・・・(・・ )( ・・)いやー実はワシが・・(▽V▽)」
(@oP)え、まさか!?(@@:)(@@:)
じゃあおかしいよねー。
もし法主の開眼が成立したとしても(ありえないが)
そこで相承が成立してなければすべてパーですねぇ。
正宗って言うのは物凄く不安定なものを信仰しているんですねぇ。
しかも、かつての宿敵であったはずの正友ちゃんはこーんなこと言ってますヨ。
tp://www.heianbooks.jp/zenbun/jyouzetu/003.html
28
:
名無しさん
:2007/06/20(水) 16:45:27
実は日達師が亡くなられた時に本山で学生部の夏期講習会が行われており、夫が参加しておりました。
その頃、日達師の体調が思わしくなかったら、その年の夏期講習会は行われなかったと思います。日達師の突然の訃報で夏期講習会は即中止となり、下山となったということでした。
日達師は生前に相承を執り行うことができなかったということでしょう。
29
:
名無しさん
:2007/06/20(水) 16:48:20
前年に相承したということだったら、きちんとした儀式が執り行われたはずです。
30
:
沖浦克治
:2007/06/21(木) 08:09:15
>沖浦さん、最高っス!
特に耕治さんのドリンク(お茶?)を飲むところがカッコいいです。
ありがとうございます。
実はあの場面、私が耕治に耳打ちして、耕治がにっこりしてるでしょう。
あれね、勝ったな。て、言ったんですよ。
で、耕治が笑ってるんですよ。
法論で資料を丸読みしちゃいけませんね。
私昨日調べて来ました。って、宣言してるのと同じです。
樋田さんは、勝負の仕方が下手なんですよ。
後何百倍も場数踏めばよくなる可能性もあります。
対談して思う事は、お二人とも修羅場のくぐり方をご存じない。と言う事でした。
先ず、声のトーンに変化がありません。
ボリュームも変化に乏しいですね。
その上、資料にあそこまで頼っちゃいけませんよ。
昨日、うちの演出家があのシーンを見て、沖浦、これねアマチュアとプロの対決だな、相手勝ち目ないよ。と、一言いって仕事に戻られました。
私も同感です。
相手のお二人のうち、山下さんには少し可能性を感じました。
機会があれば、ゆっくり対談したと思います。
31
:
沖浦克治
:2007/06/21(木) 08:49:26
電話でね、教学部がお寺に行ってニセ本尊を取り替えてもらいなさい。って、言ったんですね。
私が、家は達師書写の御形木様です。と、答えました。
すると。
それは失礼致しました、その御本尊様は本物でございます。って、言ったんです。
録音とってますよ。
フ〜〜〜〜〜ン?
言う事樋田さんと相当違うな〜〜。って、思いました。
マッ、所詮血脈の切れた宗派ですからね、僧俗でコロコロ変わるんですね。
末寺毎の教義も違う。って、言ってますしね。
こんなところ、法論なんかできるんですか〜〜???
32
:
名無しさん
:2007/06/21(木) 10:12:00
>>31
それはいつ頃のことですか?
余計なお世話ですね〜 <`ヘ´>
33
:
沖浦克治
:2007/06/21(木) 11:13:41
日曜日ですよ、この前の
34
:
名無しさん
:2007/06/21(木) 13:13:28
>>33
そうですか。
寛師書写の御本尊だと、偽物だと言われるわけですね。
一番宜しいのは顕師書写の御本尊なのでしょうか。
開眼の有無なんてどうでもいいのに。(^_-)-☆
35
:
破戒坊主
:2007/06/21(木) 17:44:59
法論を拝見させていただいた者のひとりとして、他宗ながら書き込みさせていただきます。
まず、法論というものに対して、私が思うところは“法”のもとでの意見のぶつかり合いです。テーマに於ける機械的な引用の提示のみというのは単なる“答えあわせ”みたいなものであって、論じているということにはならないでしょう。
今回私は、沖浦さん側と樋田さん側に大きな違いを感じました。非常にご無礼なたとえですが、沖浦さん側が翻訳ソフト型で樋田さん側がデータベース型といったところでしょうか。どちらも一長一短があり、前者は柔軟性に富んだ実践向きな長所があるが“私見”“ご都合主義”で片付けられてしまう短所があります。それに対して後者は理路整然として説得力があるという長所があるが、自分の意見を加味することが出来ないのと、思想の違う相手と論議した場合、相手が折れなければ永久に平行線をたどって絶対に結論が出ないという短所があります。
私は法論では前者でなければならないと思います。
さて、肝心の内容ですが“開眼”ということについてですが、意見が分かれてました。宗派による違いということでは、どちらが間違っているということは無いと思います。
ただ、気になったのは、正宗側の“正宗という宗旨でなければ魔札(ニセ)である(になる)”という見解です。他宗からしても到底納得できるものではありません。というより、人が信仰の拠所としている存在を“魔”だの“ニセ”だのと平気で言い放てるなど・・・踏み絵のような発想にしかみえません。そういう発想の集団が他に対してどういう存在となったか、歴史をみれば一目瞭然です。確かに特定の宗派を騙って民衆を惑わすカルト的な存在に対して、宗派独自の規定と本尊様等の意義を持つことは必要でしょうが、手当たりしだいというのは良いとは思えませんね。
もうひとつ思うに、正宗が“正”として開眼した本尊様が学会の人の手に渡ると途端に“邪”に変貌してしまうという、本尊様としてのスタンスの不安定さと、本尊様自体の“正邪”を“人”が認定できるということが、まるで本尊様のほうが悟りを得てない従者のように捉えられてしまいます。
また“開眼”というのは“本尊様の完成型を人為的につくりだすこと(趣意)”という発言がありましたが、これもなにかしっくりときませんね。なんとなく僧侶や学識豊な人が、それ以外の信者を置いてけぼりにしているようです。信者の菩提心の眼を開くというのが開眼の第一にくるべき意義ではないでしょうか。
かいつまんで書いてみましたが、時間が取れ次第、おいおい書いていきたいと思います。
36
:
名無しさん
:2007/06/21(木) 20:48:06
今度は
中杉弘先生、深見東洲先生と法論して下さい。
37
:
沖浦克治
:2007/06/21(木) 20:56:56
つれておいで。
38
:
卞氏
:2007/06/22(金) 10:20:06
かの法華講論者は、日蓮正宗のいうところ、あるいは法華講のいうところの、
「開眼のないニセ本尊」を作ってしまいました。
その証拠が富士宮ボーイから、全世界に配信されています。
しかしながら、こういった反論が予測できるでしょう。
「学会と違って拝ませていない。」
いやいや、学会の問題ではありませんね。
「法華講員が御本尊を造って良いのかどうか。」という問題です。
yurikoさん、なにかご意見ありますか?
39
:
名無しさん
:2007/06/22(金) 14:10:22
「法華講員が御本尊を造って良いのかどうか。」という問題です。
中杉先生、玉井師はそれぞれ御本尊を製造しています。
40
:
卞氏
:2007/06/22(金) 14:11:35
ふむふむ。
41
:
卞氏
:2007/06/22(金) 15:58:39
「学会のご本尊は法主の開眼がないから偽物」と主張されていた方は、
その御本尊を造った樋田氏の行いをどう見るのか、といった点でお伺いしたい。
どうなんでしょう?選択肢ですどうぞ。
①別に構わない。→理由は?
②謗法である。
③好ましくない行いである。→どういった観点から?
④大変にすばらしいことである。→理由は?
42
:
沖浦克治
:2007/06/23(土) 07:34:09
勝負はですね、どちらが大衆に感銘を与えたかです。
終了後、議長がよく勉強しておられますね、お聞きできてよかったです。と、私に申された事実。
御婦人お二人が、こちらの婦人部に、いいお話しだった。と、丁重にお礼を言われた事。
そして、こちらの参加者全員が樋田さんを全く評価しなかった事。
これが証拠の一つですね。
今ひとつの勝敗の基準は、この法論を通じてどちらの側が成長したか?です。
既に、参加された方々から、成長と功徳の体験が続出いたしております。
今朝メールを開くと、江戸川堤さんから成長と功徳の便りが着信しておりました。
返信をアップしておきます。
江戸川堤さん
ありがとうございます。
貴方が世間の意味を深く捉えられただけで、この法論はやってよかったですよ。
法論で勝ち負けを争っても意味はありません。
その法論で広宣流布が進むかどうかです。
よかったです。
以下は、photochika さんからです。
沖浦様。
本日DVDが届きました。
ありがとうございます。
有効に活用させていただきます。
私が個人で出来る範囲でコピーをし配布していこうと思っています。
白馬から帰宅後(実は法論終了後の車中から始まりましたが)、
仕事でてんてこ舞いしております。
月・火・そして今日と周りの環境がグワッと変わり動き始めています。
腹を据えて、気合いを入れて祈りに祈ってやっていきます。
今後とも宜しく御願いいたします。
これが勝利ですよ。
法論を機縁として功徳があふれ出し、個々人が成長せねば無意味です。
勝ち負けは世間だ。とは。そう言う意味です。
破戒坊主さんが、第三者として世間の目で批評しておられます。
耕治さん、こんばんは。
耕治さんの仰られることはもっともだと思います。実際、あの法論に関しては、沖浦さんや耕治さんのように、法華講の方々には“心”を説いて欲しかったのですが、知識(文証)を重視するが故に、妙なこじつけのみに終始していたように思いました。そういう意味では、法華講はあいかわらず理解できませんでした。
>相手が自分の想定通り動いてくれるなどほぼあり得ませんので、
それ故に、法華講の方々はパソコンやたくさんの資料がなければ法論できないのでしょうね。(落語全集を持って舞台でそれを読んでいる落語家みたいなものですね)
>あえて、勝敗を論じるなら彼らは負けるべくして負けたといえるでしょう。
というより、彼らのような法論スタイル、仏法というものに対する考え方では“勝つ”ということには全く無縁でしょうね。沖浦さんや耕治さんのスタイルこそが最終的に“勝利”をつかむことが出来るスタイルだと思います。
対して法華講の書き込みは、書き込み自体に信心の喜びが皆無です。
例えばこれです。
同じ投稿を四回以上繰り返した時点で
貴方の負け。
ネタが切れてきたかな。
単細胞ナ書き込みですね。
信心の歓喜は欠片もありません。
あちらの論師は、同じ内容を三百回以上貼り付け、世間の失笑をかったばかりです。
自分も同じ内容を何十回となく貼り付けていますしね。
この程度で大聖人様の仏法を論じる事自体が不可能です。
世間様から見れば、今回、日蓮正宗は凄まじい負けかたをしてしまいましたね。
当然です。
相伝も血脈も無い己義の宗派ですから。
ここでの、匿名氏、淳一氏の悔しさに満ちた無残な書き込み。
これも証拠です。
43
:
名無しさん
:2007/06/23(土) 13:58:31
世間様から見れば、今回、日蓮正宗は凄まじい負けかたをしてしまいましたね。
当然です。
相伝も血脈も無い己義の宗派ですから。
しかしそうなると小樽問答で学会さんは正宗の教義で日蓮宗に勝った?わけですね?
辻さん、小平さんの論戦が上手かったからですか?
44
:
沖浦克治
:2007/06/23(土) 14:02:44
アレは日蓮正宗代表として創価学会がたったのです。
今、日蓮正宗は独自で身延と法論すれば勝ち目は無いでしょう。
45
:
名無しさん
:2007/06/23(土) 14:07:39
学会さんが数で身延派を圧倒し身延派の講師を野次ったという
説もありますね?(長谷川師 小樽問答の真相等)
46
:
名無しさん
:2007/06/23(土) 14:18:50
身延と法論すれば勝ち目は無いでしょう。
今遣っても、正宗は戒壇本尊等の真偽、身延は七面大明神等本尊雑乱の負い目があるから
議論は平行線だろうね?
47
:
沖浦克治
:2007/06/23(土) 14:18:57
無いでしょう。
録音が残っています。
聞かれれば如何ですか?
48
:
名無しさん
:2007/06/23(土) 14:21:29
今度は身延VS樋田さんで小樽問答?すれば?(笑)
49
:
沖浦克治
:2007/06/23(土) 14:21:30
創価学会以前、日蓮正宗は身延に何をやっても勝てなかったのです。
創価学会を破門し、以前の状態に戻ったのですよ。
50
:
沖浦克治
:2007/06/23(土) 14:22:51
樋田さんは今後創価学会員に勝ち目は皆無です。
ですから身延と法論も選択肢にはなりますが、これも勝ち目は皆無ですね。
51
:
名無しさん
:2007/06/23(土) 14:27:43
長谷川師 小樽問答の真相等
だけでなく、当時の新聞も「小樽問答は野次で云々」とあったのを
見たことあります。
あと「露志問答」「本多日生問答」の正宗側勝利はどう思いますか?
52
:
名無しさん
:2007/06/23(土) 14:37:54
法論なんて相手の痛い所突いて(重箱の隅)
反論させなければ勝ちじゃないの?
日蓮さんも天台僧と問答し答えに詰まったという話聞いたことありますよ。(別に日蓮さん批判じゃない)
53
:
名無しさん
:2007/06/23(土) 19:18:31
「露志問答」「本多日生問答」
日蓮さんも天台僧と問答し答えに詰まったという話聞いたことありますよ
↑この答えは学会さん、正宗さんとも厳しいと思いますよ。
54
:
ゴンちゃん
◆qrNuUBaZ6U
:2007/06/23(土) 19:24:17
>>52
>>53
の名無しさん!凄い勉強家ですね〜
しかしながら、厳しい云々は、今を生きる私達とは、無縁ですよ。。。
法論は、ともかくも、学会の大勝利は、明らかですし、
正宗の、先も見えていますしね。。。
55
:
沖浦克治
:2007/06/24(日) 07:26:36
降 魔 の 剣 を覗いてみてください。
オモシロイほど悲鳴があがっています。
56
:
沖浦克治
:2007/06/24(日) 07:36:56
法論の五分前に着席致しました。
雑談を少し致しました。
法華講さんはどうも理屈の理屈倒れが多いですね。
三宝がどうとかこうとか、理屈で信心してはいけませんよ。
大聖人様は、
『問う汝が弟子一分の解無くして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位如何、答う此の人は但四味三教の極位並びに爾前の円人に超過するのみに非ず将た又真言等の諸宗の元祖畏厳恩蔵宣摩導等に勝出すること百千万億倍なり、請う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ進んで過去を尋ぬれば八十万億劫に供養せし大菩薩なり豈熈連一恒の者に非ずや退いて未来を論ずれば八十年の布施に超過して五十の功徳を備う可し天子の襁褓に纒れ大竜の始めて生ずるが如し蔑如すること勿れ蔑如すること勿れ、』(四信五品抄)
と仰せです。
お題目の意味わかって唱えてる人いないでしょう。と、会場の方々にお話致しました。
スッと命がこちらに引き込まれました。
すかさず、
三宝といってもね、日蓮正宗の三宝は寛師以後決まったんです。
御受戒も始めはなかったんですよ。
牧口先生が、入信するのにあまりに値打ちが無い。と言われて出来たんですよ。
五座三座は戸田先生です。
それまでは末寺毎に異なっていたので、創価学会が全国展開すると支障が出た来たので五座三座にしたんですよ。
と、お教え致しました。
場内驚きの表情が広がりました。
あの時点でこちらの勝ちでしたね。
57
:
名無しさん
:2007/06/24(日) 07:42:10
魔板の感想・・・ナオトって下品。
58
:
名無しさん
:2007/06/24(日) 07:45:56
破邪顕のれいなは無惨。
59
:
沖浦克治
:2007/06/24(日) 09:29:03
創価学会に敵対すれば、ムザン。ですよ。
60
:
名無しさん
:2007/06/24(日) 11:47:03
魔板の感想・・・愚かなのに慢心が強く、自分では知者と自惚れている、いわば[人格破綻者]の絶叫は、破壊の坂道を転げ始めてしまっている。まっとうな判断力を失った彼は、蚊や虻のようで実に憐れだ。
61
:
名無しさん
:2007/06/24(日) 11:51:47
ナオトがまた「謝罪しろ!」ですって?
私もナオトから謝罪要求されている一人です。ばかばかしい。
ネチネチといつまでもしつこい男ですw
62
:
名無しさん
:2007/06/24(日) 14:30:17
魔板の感想・・・ナオト氏は自分の発狂に気付いてないようです。はらわたどころか脳まで腐った吠えるだけの犬に成り下がった感があります。
63
:
名無しさん
:2007/06/24(日) 15:37:10
法華講の三証は・・・ヨイショー コラショー ドッコイショー (笑)
64
:
名無しさん
:2007/06/24(日) 16:48:41
これこれ!それは老人講の三証ではないかい。
65
:
名無しさん
:2007/06/24(日) 17:19:23
破邪顕の管理人は雷神か(笑)
66
:
名無しさん
:2007/06/24(日) 19:43:17
魔板の感想・・・以前、そんな書き込みしてると妹が悲しむぞ、それに対してナオト氏は、妹は隣で一緒に笑ってる、そんな返答でした。その時、この二人どこかおかしいと感じました。鬱憤からあんな書き込みしている説には、疑問です。
67
:
名無しさん
:2007/06/24(日) 20:16:11
しかし・・・なぜ、ナオトは「ありがとう」が言えないのだろうか。
心が偏狭というか、学会員からの励ましの言葉を素直に受け入れられないようだ。
余計なお世話だくらいの返答だ。憐れだな。信仰人としてというより人間として失格だよw
68
:
名無しさん
:2007/06/24(日) 21:08:05
病気や障害のある家族をかかえていることは、少しも恥ずかしいことではなく、むしろ、その家族の一員をいとおしいと思い、慈しみ、守っていく。その姿それ自体が、まさしく仏法で教える慈悲であり、菩薩の姿に通じるものです。こんな心を大事にしていきたいですね。
69
:
沖浦克治
:2007/06/24(日) 22:42:10
67の名無しさん
ナオトさんが礼を言う言わないは、私どもの祈りとは無関係ですよ。
70
:
名無しさん
:2007/06/24(日) 22:51:20
>>69
沖浦克治さん
はい、それはわかっております。
71
:
卞氏
:2007/06/25(月) 09:37:15
昨日ようやく3巻目を見ました。
質問会の内容は、大体ネットでも言われていることなのですが、
一つ印象に残ったのは、最後の司会者の締めの言葉に、
「学会の御書も大石寺あってのもの、学会が独自に御書を作ればいい」
とあったものです。
時に、日顕前法主は平成大石寺版御書を無用に発刊している。
誤字など多数指摘されているシロモノだ。
これまでの学会が編纂した御書は使いたくないそうなのだが・・
宗門のやることはよくわからんね〜。
72
:
卞氏
:2007/06/25(月) 09:45:17
先ず以って法論の大勝利。おめでとう御座います。
他板にも書いたとおり、パソコンが必要と言った時点でもう負けてます。
結局、開眼が必要であるということを御書の上から、立証、論証はできなかった。
単に自分達の宗派においての必要性を述べたに過ぎない。
そして、時間ギリギリで相手から論証を促される、
また、論証の前に経緯を長々と説明するなど、視聴者に媚びた姿は情けないと思う。
御本尊コピーのひらひら指先でピッ。これはなるべくしてなったともいえます。
あれでは只の研究家であって信仰者ではありません。
研究家としても中途半端ですが、ね。
73
:
名無しさん
:2007/06/25(月) 11:49:33
今度たま出版の韮澤さんと法論?して下さい。
UFOと宇宙人の噛み合わない?反論されるだろうが?
74
:
名無しさん
:2007/06/25(月) 12:40:11
討論相手は宿敵のライバル大槻教授か?
75
:
名無しさん
:2007/06/25(月) 13:31:03
>>1
法論の前に、お前の弱い頭をなんとかしろよ。
76
:
韮澤さん
:2007/06/25(月) 16:11:22
韮澤さんと法論?して下さい。
火星人の謎
大槻「どんな顔してたの?どんな言葉で英語で喋ったの?」
韮澤「英語なんです」
大槻「英語で喋ったの?」
韮澤「そうなんです。それはその人が公表しないでくれと言うことで私に電話してきてるわけですから・・・。」
大槻「公表しないでくれって言うのに、あなたここで何回喋ったの、ここで?」
韮澤「それは、あの時はですね、だから公表しないで喋ってるわけですよ」
金星人の謎
韮澤「この3人ですよ・・・この太陽系内の宇宙人です。」
大槻「貴方ねぇ、宇宙人の写真見せるってから、みんな興味持ってみてたじゃないか!普通のアメリカ人じゃないか!」
予言の謎
韮澤「デタラメじゃないんだけどね正確でもないんですよね。100%正確って言うのはないんですよ」
大槻「正確じゃないことをデタラメって言うだろう」
韮澤「いやね、ちょっと当たっている場合もあるんですよ。」
77
:
卞氏
:2007/06/25(月) 17:12:17
なんかYuriちゃんに似てるなー。
78
:
沖浦克治
:2007/06/27(水) 06:38:30
法論は、樋田氏をやっつけに行ったわけではありません。
法華講諸氏と話をしたかったのです。
あの程度の相手は勝って当然ですし、そもそも最初から議論にもなりません。
彼は自分の言葉に酔うのです。
で、その酔いが不用意な発言や行動の原因となります。
自分で自分に負けるタイプですね。
彼を論破する事と広宣流布にはほとんど関係がありません。
それほどの影響力を持った相手では無いのですよ。
少しネットで目障りだから処理しておこう。
彼にはこの程度の関心しかありませんでした。
彼が集めるであろう、法華講の皆様方。
お話しをしたかった方々です。
私には、どうあがいても、法華講の方々は集められませんからね。
その点、彼には悪いですが利用させていただきました。
本当は、日蓮正宗の末寺でやりたかったのです。
なら、百人程度集まられたと思います。
最初に彼に提案しましたが、断られました。
あまり、深追いすると逃げられる危険があったので、彼の提案した会社の会議室をOK致しました。
ここまで逃げる相手を追い詰め、漸く実現する運びの法論です。
ぎりぎりで逃げられては水の泡ですからね。
勝ち負けは最初から決まっています。
私はご本尊様に勝利を祈り、彼はパソコンで資料作り。
どうしようも無い差ですね。
79
:
沖浦克治
:2007/06/27(水) 07:40:23
意外に思われるかも知れませんが
私は日蓮正宗信徒としての樋田氏を評価はしておりません。
ですが、一個人としての樋田氏を高く評価致しております。
耕治も同様です。
樋田氏は、機会があれば仕事を是非共にやりたいお方です。
法論終了後参加された皆様方の前で、その旨ご本人にお伝えしております。
宗教の信者としての評価と、人間としての評価は必ずしも同じではありません。
この点だけは、今後のためにおことわりしておきます。
80
:
名無しさん
:2007/06/27(水) 07:43:03
>>79
NICE!(^O^)v
81
:
卞氏
:2007/06/27(水) 13:16:53
沖浦さんは、法論での目的を果たした。勝利。
一方樋田氏はご自身の目的を果たしていない。敗北。
分りやすいでしょ?
82
:
名無しさん
:2007/06/27(水) 13:55:05
韮澤「この3人ですよ・・・この太陽系内の宇宙人です。」
今度から意味不明の事を「韮澤さん」と呼ぼう。
83
:
沖浦克治
:2007/06/28(木) 08:15:48
樋田さん逃亡の図
貴方は、御形木様が御書に無く、御書に無いいい加減なもんを創価学会員は拝む。と、非難をされました。
法論のDVDに収録されております。
既にこの発言は数千人の方々がみられ、多くの創価学会員から嘲笑されています。
御形木様は法論のテーマですよ。
何故、この件を釈明せず、次々と入らざる主張を貼り付けますか?
先ず、、ご自分の主張の釈明をなさい。
何時まで逃げ回りますか?
この囲い込みは、貴方の逃亡を防ぐため、他板にも貼り付けましょう。
含み置きくださいませ
84
:
名無しさん
:2007/06/28(木) 11:45:58
御形木様は法論のテーマですよ。
興師は「形木に本尊刻んで配った法謗行為したのは日向、日頂、日春らだ。本尊は信心の深い者に
書写して渡すべき」と云っていますね。
85
:
沖浦克治
:2007/06/28(木) 12:45:00
図顕、書写、形木。
これらがゴチャゴチャになってるのが日蓮正宗です。
86
:
名無しさん
:2007/06/28(木) 13:54:49
本尊を誰にも構わず印刷して渡すのが石山系。
信心深い信者のみに管長が書写して渡すのが要山系。
87
:
沖浦克治
:2007/06/28(木) 19:57:10
『仏に三十二相有す皆色法なり、最下の千輻輪より終り無見頂相に至るまでの三十一相は可見有対色なれば書きつべし作りつべし梵音声の一相は不可見無対色なれば書く可らず作る可らず、』
(木絵二像開眼之事)
仏は三十二相を備えてるが、それは全て物質的な存在である。足の裏、あるいは掌に千の輻輪 (軸のまわりに矢の形をした輻を放射状にとりつけた輪状のもの) の肉紋があることから、頂を見ることができないという相までの三十一相は目に見えるものである。
故に、絵に書き表す事も、像に作り表現する事も出来る。
然しながら梵音声の一相は、目に見えないものであるから書き表す事も像に作ることも出来ない。
『仏滅後は木画の二像あり是れ三十一相にして梵音声かけたり故に仏に非ず又心法かけたり、生身の仏と木画の二像を対するに天地雲泥なり、』
釈迦滅後、木絵の二像を持って仏としたが、梵音声が欠けており仏ではない。また、心が欠けているので仏とは天地雲泥の差がある。
『何ぞ涅槃の後分には生身の仏と滅後の木画の二像と功徳斉等なりといふや又大瓔珞経には木画の二像は生身の仏にはをとれりととけり、』
どうして釈迦滅後に、絵像木像を生身の仏と功徳が同じなどといえるのであろうか?
大瓔珞経には、木絵の二像は生身の仏に劣ると説かれているではないか。
『木画の二像の仏の前に経を置けば三十二相具足するなり、但心なければ三十二相を具すれども必ず仏にあらず人天も三十二相あるがゆへに、』
木絵二像の前に経を置けば三十二相が具足する理屈ではあるが、心が無いので仏ではない。
人天にも、転輪聖王のごとく三十二相を具えているものがあるので、前に置く経文で木絵二像の立場が変化をする。
(大智度論には次のようにある。
三十二相は転輪聖王にも亦た有り、諸天・魔王も亦た能く此の相を化作す。)
『木絵の三十一相の前に五戒経を置けば此の仏は輪王とひとし、』
木絵二像の前にを置くなら、その木絵二像は輪王となる。
『十善論と云うを置けば帝釈とひとし、』
十善論を置くなら帝釈と等しい。
『出欲論と云うを置けば梵王とひとし全く仏にあらず、』
出欲論と云うものを置けば、梵王と等しく全く仏ではない。
『又木絵二像の前に阿含経を置けば声聞とひとし、』
阿含経を置くなら声聞とひとしい。
『方等般若の一時一会の共般若を置けば縁覚とひとし』
方等般若の一時一会の共般若を置けば縁覚と同じである。
『華厳方等般若の別円を置けば菩薩とひとし全く仏に非らず、』
華厳方等般若の別円を置けば、菩薩と等しくなり全く仏では無い。
大聖人様は、木絵二像の前に置くものにより、その立場が変化する。と、明快にご指南されておられます。
ここで問題になるのは、日蓮正宗は法主による開眼の衣文として、この御書の後段を切り文して用いている点です。
『法華を心得たる人木絵二像を開眼供養せざれば家に主のなきに盗人が入り人の死するに其の身に鬼神入るが如し、今真言を以て日本の仏を供養すれば鬼入つて人の命をうばふ鬼をば奪命者といふ』
法華経を心得た人が木絵二像を開眼せず、仏法の道理を心得ない人が邪教を持って開眼すれば、木絵二像は前に置く経文で立場が変化する不安定な性格を持つのであるから、かえって鬼が入って脱命者となるのである。
このように仰せですね。
ここで仰せの木絵二像は、大聖人様御図顕の御本尊様とは全く異なります。
大聖人様御図顕の御本尊様の前にどのようなものを置こうと、御本仏様の御命そのものです。
ですから、御本尊様は前に置く経文などによってお力が左右されるような不安定なものではありません。
この木絵二像の開眼を、法主による蓮祖御図顕の御本尊様の開眼の衣文としている事は、日蓮正宗が本尊に迷う宗派である、何よりの証拠です
88
:
沖浦克治
:2007/06/28(木) 19:57:45
>「今や学会は市民権を得たと認めましょう。でもなぜ世の中がよくならないのでしょう。悪くなるばかりじゃないですか」
『問うて云く如説修行の行者は現世安穏なるべし何が故ぞ三類の強敵盛んならんや、答えて云く釈尊は法華経の御為に今度九横の大難に値ひ給ふ、過去の不軽菩薩は法華経の故に杖木瓦石を蒙り竺の道生は蘇山に流され法道三蔵は面に火印をあてられ師子尊者は頭をはねられ天台大師は南三北七にあだまれ伝教大師は六宗ににくまれ給へり、此等の仏菩薩大聖等は法華経の行者として而も大難にあひ給へり、此れ等の人人を如説修行の人と云わずんばいづくにか如説修行の人を尋ねん、然るに今の世は闘諍堅固白法隠没なる上悪国悪王悪臣悪民のみ有りて正法を背きて邪法邪師を崇重すれば国土に悪鬼乱れ入りて三災七難盛に起れり、
かかる時刻に日蓮仏勅を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ、法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ一部八巻の肝心妙法五字の旗を指上て未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげて大白牛車に打乗つて権門をかつぱと破りかしこへおしかけここへおしよせ念仏真言禅律等の八宗十宗の敵人をせむるに或はにげ或はひきしりぞき或は生取られし者は我が弟子となる、或はせめ返しせめをとしすれどもかたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし、法華折伏破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし天下万民諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり。』
(如説修行抄)
引用が長いですが、切り文を避けるためです。
広宣流布の時、理想の世の中が実現する条件。を、大聖人様が明確に示された箇所です。
『法華折伏破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし天下万民諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、』
仏の金言であるから、最期には権経の人たちを全て門下とし、天下万民が大聖人様を御本仏と仰ぐ時。
『万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり。』
万民が一同にお題目を唱える時、理想の社会が実現し、風による災害も雨による被害も出ず、この世では災難が起こらず人は長生きをし、人も法も不老不死の理が定着する時が必ず来るであろう。
その時こそ、現世安穏の約束が疑いないのである。
このように仰せです。
では、現在社会はどうでしょう?
初詣に国民の大半が出かける事実を御覧なさい。
貴方方の、天下万民諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌をし、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉る時。とは、この程度なのですね。
日蓮正宗と法華講は、布教をあきらめきった堕落集団ですよ。
以前、達師は、法華講が七十五万、創価学会が七十五万やれば日本の広宣流布は達成される。と、愚か極まりない発言をし、世間に仏法の知識の無さをさらして笑い者になりましたね。
貴方方では仏法の流布は無理です。
創価学会に任せ指を銜えている事ですな。
89
:
沖浦克治
:2007/06/29(金) 07:33:17
>誰が御本尊の相貌を書道の手本を見ながらの如く書き写しても、
大聖人が如くの人法一箇の御命を御曼荼羅である"
とこう言いたいんだな?(笑)
寛師、当然知ってますね?
この人ね、国家諌暁一度もやってません。
権力側だったんですね。
小理屈はうまかったんです。
で、この程度で中興の師、蓮祖興師と並び立つ??
冗談見たいな宗派ですね。
当然書写やってるんですよ、この人ですら。
知らないんですか??
日応という法主がおりました。
日露戦争の時、ヨーロッパまで攻め込んで征服しドサクサ紛れに広宣流布するぞ。と、浮かれ騒いで大恥をかいた人間です。
この人に書写させてませんでしたか?
確か、やらしてたと思うんですけどね〜〜??
日開さん知ってますよね?
御本尊様を書写し間違え、宗門から突きあげれ平誤りに謝った法主でした。
みっともないですね〜〜、こんな人。
顕師のお父さんです。
親が親なら子も子です。
で、やはりこれにも書写やらしてんですよ。
日蓮正宗ってとこね。
顕師は正本堂を破戒し、恐れ多くも創価学会に法主の身分すら弁えず弓を引いた仏法史に残る大悪人です。
このに人すら書写させています。
達師、よく知ってますね?
彼は、創価学会が七十五万所帯やり、法華講が七十五万をやれば日本の広宣流布は達成される。と、愚論を吐いて仏法への無知を曝け出し、世間の笑いものになりました。
また、彼の書写した御本尊様に鬼子母神が二人いて大騒ぎになりあ、わてて回収した事は有名です。
この程度の人間にでも書写をやらするんですね〜。
まあ、彼は最後には池田先生に心から帰依をしましたから、よしとしておきますか。
今まで書写うやらしてあげた人、この程度多かったんですね〜〜。
知らなかったんですか〜〜〜?????
駄目ですね〜〜。
無知は。
90
:
名無しさん
:2007/06/29(金) 09:14:08
布師、露師に対しての評価はどうですか?
91
:
名無しさん
:2007/06/29(金) 09:19:13
寛師、当然知ってますね?
この人ね、国家諌暁一度もやってません。
権力側だったんですね。
小理屈はうまかったんです。
そこまで批判する賢樹院日寛師の本尊は拝むべきなんでしょうか?
92
:
名無しさん
:2007/06/29(金) 09:21:38
で、この程度で中興の師、蓮祖興師と並び立つ??
有師に対しての事も当てはまりますか?
93
:
卞氏
:2007/06/29(金) 10:22:45
まあ、ここは、ひそひそばなしですけど(でも、おおっぴらですけど・・・横道それてますけど・・)
江戸期ですから、たしか寺院自体体制側にありますよね?
日寛上人が生まれた時代には、寺請制度が確立していたので、
すでにそういう時代を生きていたお坊さんだということですね。
(そのへん詳しい人いないかな?)
そうすると現代いえば、
役所の下請けが国家諌暁することになってしまいますので、
そういったことができる立場にはないわけすね。そういう時代背景ではない、機根でもない。
この制度は解体されましたが、そうやって宗教が自由な立場になってこそ、
民衆仏法として本当の意味での「中興」もあるわけですね。
その意味では、戸田先生、池田先生でしょうね。
寛師の功績は「興師随一」を表した点でしょう。
ちょうど天台大師が仏教において法華経随一(五時八教の判)を表わしたという、
それにあたるようなものでしょうか。
失礼しました〜。
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