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樋田氏との法論に関して
42
:
沖浦克治
:2007/06/23(土) 07:34:09
勝負はですね、どちらが大衆に感銘を与えたかです。
終了後、議長がよく勉強しておられますね、お聞きできてよかったです。と、私に申された事実。
御婦人お二人が、こちらの婦人部に、いいお話しだった。と、丁重にお礼を言われた事。
そして、こちらの参加者全員が樋田さんを全く評価しなかった事。
これが証拠の一つですね。
今ひとつの勝敗の基準は、この法論を通じてどちらの側が成長したか?です。
既に、参加された方々から、成長と功徳の体験が続出いたしております。
今朝メールを開くと、江戸川堤さんから成長と功徳の便りが着信しておりました。
返信をアップしておきます。
江戸川堤さん
ありがとうございます。
貴方が世間の意味を深く捉えられただけで、この法論はやってよかったですよ。
法論で勝ち負けを争っても意味はありません。
その法論で広宣流布が進むかどうかです。
よかったです。
以下は、photochika さんからです。
沖浦様。
本日DVDが届きました。
ありがとうございます。
有効に活用させていただきます。
私が個人で出来る範囲でコピーをし配布していこうと思っています。
白馬から帰宅後(実は法論終了後の車中から始まりましたが)、
仕事でてんてこ舞いしております。
月・火・そして今日と周りの環境がグワッと変わり動き始めています。
腹を据えて、気合いを入れて祈りに祈ってやっていきます。
今後とも宜しく御願いいたします。
これが勝利ですよ。
法論を機縁として功徳があふれ出し、個々人が成長せねば無意味です。
勝ち負けは世間だ。とは。そう言う意味です。
破戒坊主さんが、第三者として世間の目で批評しておられます。
耕治さん、こんばんは。
耕治さんの仰られることはもっともだと思います。実際、あの法論に関しては、沖浦さんや耕治さんのように、法華講の方々には“心”を説いて欲しかったのですが、知識(文証)を重視するが故に、妙なこじつけのみに終始していたように思いました。そういう意味では、法華講はあいかわらず理解できませんでした。
>相手が自分の想定通り動いてくれるなどほぼあり得ませんので、
それ故に、法華講の方々はパソコンやたくさんの資料がなければ法論できないのでしょうね。(落語全集を持って舞台でそれを読んでいる落語家みたいなものですね)
>あえて、勝敗を論じるなら彼らは負けるべくして負けたといえるでしょう。
というより、彼らのような法論スタイル、仏法というものに対する考え方では“勝つ”ということには全く無縁でしょうね。沖浦さんや耕治さんのスタイルこそが最終的に“勝利”をつかむことが出来るスタイルだと思います。
対して法華講の書き込みは、書き込み自体に信心の喜びが皆無です。
例えばこれです。
同じ投稿を四回以上繰り返した時点で
貴方の負け。
ネタが切れてきたかな。
単細胞ナ書き込みですね。
信心の歓喜は欠片もありません。
あちらの論師は、同じ内容を三百回以上貼り付け、世間の失笑をかったばかりです。
自分も同じ内容を何十回となく貼り付けていますしね。
この程度で大聖人様の仏法を論じる事自体が不可能です。
世間様から見れば、今回、日蓮正宗は凄まじい負けかたをしてしまいましたね。
当然です。
相伝も血脈も無い己義の宗派ですから。
ここでの、匿名氏、淳一氏の悔しさに満ちた無残な書き込み。
これも証拠です。
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