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世の中の親の素顔

1名無しさんは神戸学院大:2017/07/19(水) 21:46:05 ID:Nkg85I8Q0
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151名無しさんは神戸学院大:2019/09/05(木) 02:30:12 ID:VYmNovog0
>>58 >>60
「ゆるして ゆるしてください」 虐待死 結愛ちゃんのメモ
FNN.jpプライムオンライン 2019/09/04 19:43

© FNN.jpプライムオンライン

覚えたてのひらがなで、懸命につづられた思い。
両親から虐待を受けて死亡した、東京・目黒区の船戸結愛ちゃん(当時5)が残した衝撃的なメモの続きが法廷で読み上げられた。
夫の雄大被告(34)とともに、保護責任者遺棄致死の罪に問われている母親の優里被告(27)。
その裁判の2日目で、証拠として示されたメモは、結愛ちゃんが亡くなる前のおよそ1カ月の間、殴られたり、ほとんど食事を与えられないなど、壮絶な虐待を受けながら書かれたものだった。
「もうおねがい。ゆるして、ゆるしてください。おねがいします。きのうぜんぜんできてなかったこと、これまでまいにちやってきたことをなおす。これまでどんだけあほみたいにあそんだか。あそぶってあほみたいだからやめる。もうぜったい、ぜったいやらないからね」
これまでに一部公開されていた部分では、親への許しを請うような言葉をつづっていた結愛ちゃん。
4日に明かされた続きの部分では、自らを鼓舞するような言葉がしたためられていた。
「ぜったいぜったいおやくそく。あしたのあさは、きょうみたいにやるんじゃなくて、やるんじゃなくて、もうあしたは、ぜったいやるんだとおもって、いっしょうけんめいやって、パパとママにみせるぞ。えいえいおーう。おやくそくだから、ぜったいにおねがい」
ノートやチラシの裏などにつづられたメモは、結愛ちゃんが軟禁状態にあった6畳間から見つかった。
中には、虐待の具体的な状況に触れながら、自分を責めるような記述も。
「きのうパパにおこられたこと。ゆあが、おにさんもおふろもいやっていったから、パパがべんきょうおしえてくれたのに、パパにおれいをいわなかった。おふろのなかでおおきいこえだしたから、とけいができるはずなのに、とけいごまかそうとしたから、べらんだでたたされた」
5歳の娘がつづったこれらのメモの読み上げを、優里被告はハンカチを握り締め、涙を流しながら聞いていた。
4日の裁判では、傷害の罪にも問われている夫・雄大被告の供述調書も読み上げられ、結愛ちゃんを殴った翌日、両目が開かないほど顔が腫れ上がり、以降、死亡する日までぐったりして横たわり続けていたことが明らかにされた。
二度と戻らない娘の命に、優里被告は何を思うのか。
5日から注目の被告人質問が行われる。

152名無しさんは神戸学院大:2019/09/05(木) 20:02:40 ID:VYmNovog0
>>151
「お母さんの助けを待っていた」診察の医師証言、虐待死公判
産経新聞 2019/09/05 18:49

 東京都目黒区で昨年3月、船戸結愛(ゆあ)ちゃん=当時(5)=が両親から虐待を受けて死亡したとされる事件で、保護責任者遺棄致死罪に問われた母親の優里(ゆり)被告(27)の裁判員裁判の第3回公判が5日、東京地裁(守下実裁判長)で開かれた。一家が香川県に住んでいた際に結愛ちゃんを診察していた小児科の医師が証人として出廷し、「結愛ちゃんは助けを待っていた。結愛ちゃんを助けられるのはお母さんだけだった」と証言した。
 証言などによると、平成29年8月に診察した際、結愛ちゃんの太ももにあざがあり、結愛ちゃんは医師に対し、父親の雄大被告(34)=同罪などで起訴=から「蹴られた」と説明した。医師が尋ねると、優里被告は「嘘をつくから」「暴力を辞めると図に乗ってまた嘘をつく」などと話した。
 10月にもあざがあり、結愛ちゃんは医師に「パパにキックされる」「家に帰りたくない」と発言。医師が県の児童相談所に連絡したが、このときは一時保護されなかった。
 優里被告は比較的医師と打ち解けていたようで1、2時間会話することもあった。「雄大被告のしつけが厳しい」「私はわちゃわちゃした(にぎやかな)家庭が理想」と話したり、夫との生活によるストレスから「離婚した方が楽かもしれない」とこぼしたりすることもあったという。
 ただ一方で「私はあほやから」「夫は年上で社交的で人脈があり尊敬できる」とも語っており、医師は優里被告について「自己評価が低く、結局は夫が正しいと考え、暴力も容認している」と感じたと証言。精神科の受診も勧めたが、受診は1度で終わった。
 医師は、一家の東京への転居後もケアを受けられるよう病院を紹介しようと考えていたが、優里被告に転居後の住所が分からないと言われ、紹介できなかった。引っ越しの約1カ月後に優里被告に電話やメールをするなど働きかけたものの、返事はなかった。
 医師は「子供の立場からしたら、暴力を受けること、暴力を受ける環境で育つこと、守られないことも含めて虐待だと思う」と述べ、優里被告の行為も虐待だったとの認識を示した。
 優里被告については「香川にいた頃のお母さんはお父さん(雄大被告)の影響を受けつつも、私の外来に来てリセットできていたと思う。東京ではお父さんだけの環境でしんどかっただろう」と思いやった。
 ただ医師は、結愛ちゃんの代弁者として証言するとした上で「結愛ちゃんはお母さんのことは大好きで、お母さんに助けてほしかっただろうと思う」と指摘。関係機関に相談するなど「大人なのだから手段はあった」とした上で、「お母さんのつらさは理解できるが、罪を軽くしてほしいとは全く思っていない。罪を償って反省して、結愛ちゃんに謝ってほしい」。
 わずかに声を震わせた医師。優里被告もうつむいて涙を流していた。

153名無しさんは神戸学院大:2019/09/06(金) 00:36:01 ID:8yriv4tc0
>>152
「謝り続けるしかない」母親、夫の心理的支配強調 虐待死公判
産経新聞 2019/09/05 20:59

© 産経新聞社 「謝り続けるしかない」母親、夫の心理的支配強調 虐待死公判

 東京都目黒区で昨年3月、船戸結愛(ゆあ)ちゃん=当時(5)=が両親から虐待を受けて死亡したとされる事件で、保護責任者遺棄致死罪に問われた母親の優里(ゆり)被告(27)の裁判員裁判の第3回公判が5日、東京地裁(守下実裁判長)で開かれた。優里被告は被告人質問で「結愛に謝り続けることしかできない」と話した。
 優里被告は冒頭、「結愛に『ごめんなさい』以上の言葉が見つからない」と涙声で切り出し、証人として出廷した児童相談所職員や医師らに対し「結愛を守ってくださった。感謝の気持ちでいっぱい」と述べた。
 優里被告は「夫の命令は絶対で、背くと結愛に被害が及ぶ。ロボットのように言うことを聞くのに必死だった」と、夫の雄大(ゆうだい)被告(34)=同罪などで起訴=の心理的支配下にあったと強調。「当時はDV(ドメスティックバイオレンス)という認識はなかった」とした。
 優里被告は、入籍直後から雄大被告の説教を毎日1時間以上受けていたと説明。反論すると「お前のために言っている」「育児もろくにできないくせに口出しするな」と言われたという。頭をたたかれたり、ほおや耳をつかまれることもあった。「反省をもっと違う態度で示せ」と言われ、自分の髪の毛を引っ張ったり太ももをあざができるまでたたいたりしたこともあったと明かした。
 説教で満足しなければ結愛ちゃんに矛先が向くことが多く、「雄大(被告)がストレスなく過ごせる環境が、結愛が安全に過ごせる場所」と考え、徐々に反発しなくなったと供述。雄大被告の結愛ちゃんへの暴行を初めて見たのは平成28年11月ごろで、結愛ちゃんが香川県の児相に初めて一時保護される約1カ月前。その後、虐待がエスカレートしていったという。
 雄大被告は優里被告の両親を侮辱していたといい、「親には相談できなくなった」。死亡直前も、病院に連れて行けば「怒られるどころじゃ済まないと思った」といい、誰かに助けを求める考えは「浮かばなかった」と述べた。

154名無しさんは神戸学院大:2019/09/07(土) 01:32:18 ID:huc.8Fi.0
「一番大切な宝物」「ごめんね、会いたい」虫歯治療2歳児死亡 父親涙の陳述 損賠訴訟初弁論
毎日新聞 2019/09/06 19:53

© 毎日新聞 叶愛ちゃんの遺影を持って福岡地裁に入る両親=福岡市中央区で2019年9月6日午後1時34分、宗岡敬介撮影

 麻酔薬を使った虫歯治療後に容体が急変して死亡した長女(当時2歳)の両親が、適切な処置を怠ったとして福岡県春日市の歯科診療所の元院長や担当歯科医らに計約1億500万円の損害賠償を求めて福岡地裁に提訴した。6日は同地裁(松葉佐隆之裁判長)で第1回口頭弁論があり、父親(33)が「子供の命が失われないようにしてほしい」と涙ながらに意見陳述した。
 死亡したのは、同市の山口叶愛(のあ)ちゃん。元院長らは弁論でいずれも請求棄却を求めた。
 訴状によると、叶愛ちゃんは2017年7月1日、歯科診療所で虫歯治療のため身体拘束具を付けられ初めて局所麻酔された。担当歯科医は血圧や脈拍などを計測するモニターを付けることなく治療を始め、呼吸が途切れるなどの異変があったが状態を確認せず、処置を終えて退室した。
 母親(27)が叶愛ちゃんを抱きかかえた時は目の焦点が合わず、両腕が伸びきるなど体が硬直。父親が元院長に異常を訴えたが「よくあること」と言い、経過観察を指示するだけだった。
 その後、叶愛ちゃんは激しくけいれんするなどし、別の病院へ救急搬送されたが、2日後に死亡した。死因は低酸素脳症だった。
 両親は、低酸素脳症は麻酔薬リドカインの急性中毒によるものと主張。歯科医の処置には麻酔中毒を生じさせた過失があり、元院長には医療事故を防止する診療体制や救急対応などに問題があったとしている。
 父親は意見陳述で「叶愛は私たち家族にとって一番大切な宝物でした。時間がたつほど、しっかり守ってあげられなくてごめんね、会いたいという思いが込み上げてきます」などと訴えた。
 叶愛ちゃんの死亡を巡っては、福岡県警が3月、元院長を業務上過失致死容疑で福岡地検に書類送検した。【宗岡敬介】

155名無しさんは神戸学院大:2019/09/07(土) 01:37:35 ID:huc.8Fi.0
>>153
「ボロボロにして死なせた」=母、暴力看過認める-5歳女児虐待死・東京地裁
時事通信社 2019/09/06 19:48

 東京都目黒区の船戸結愛ちゃん=当時(5)=が虐待死した事件で、保護責任者遺棄致死罪に問われた母親の優里被告(27)の裁判員裁判が6日、東京地裁(守下実裁判長)であった。優里被告は被告人質問で、結愛ちゃんに対する父親雄大被告(34)=傷害罪などで起訴=の暴力を容認し、「ボロボロにして死なせた」と語った。
 優里被告は結愛ちゃんが死亡する直前まで、体にあった170カ所以上のあざや傷に気付かなかったとし、「親子関係が築けておらず、結愛は私に言えなかったんだと思う」と説明。雄大被告の暴力は2016年に始まったが、「体を張って止めたことはない。結果として(暴力を)容認してしまった」と述べた。

156名無しさんは神戸学院大:2019/09/07(土) 01:46:53 ID:huc.8Fi.0
熊本県警巡査自殺で公務災害申請 遺族「過労が原因」
共同通信社 2019/09/05 12:34
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/446/1508401010/144

157名無しさんは神戸学院大:2019/09/09(月) 13:30:21 ID:b32TAn4.0
上智大生殺害から23年 「犯人絶対許さない」と父
共同通信社 2019/09/09 08:52

 東京都葛飾区で1996年、上智大4年小林順子さん=当時(21)=が自宅で殺害、放火された事件から23年となった9日、順子さんの父賢二さん(73)が「若者の尊い命と夢と希望を無残にも奪った犯人を絶対に許すことはできない」とするコメントを出した。
 コメントでは「犯人がどこかで今もなお生きながらえていることを思うと、いてもたってもいられない」と訴えた。昨年体調を崩したことを明かし「存命中に事件が解決することを願わずにいられない」としている。
 9日午前には現場の自宅跡地での献花式や情報提供を求めるチラシ配りが予定されていたが、台風15号の影響で中止になった。

158名無しさんは神戸学院大:2019/09/09(月) 17:00:05 ID:b32TAn4.0
>>155
目黒女児虐待死 検察側、母親の優里被告に懲役11年求刑
毎日新聞 2019/09/09 15:46

© 毎日新聞 東京地裁などが入る裁判所合同庁舎=東京都千代田区で2018年11月29日午後0時47分、伊藤直孝撮影

 東京都目黒区で2018年3月、船戸結愛(ゆあ)ちゃん(当時5歳)が死亡した事件で、保護責任者遺棄致死罪に問われた母親の優里被告(27)に対し、検察側は9日、東京地裁で開かれた裁判員裁判で、懲役11年を求刑した。
 検察側によると、優里被告は12年に結愛ちゃんを出産した後に当時の夫と離婚し、16年4月に雄大被告(34)=保護責任者遺棄致死と傷害の罪で起訴=と再婚。同年11月、2人の間に長男が生まれ、この頃から結愛ちゃんに対する雄大被告の暴行が始まった。結愛ちゃんは児童相談所に2度、一時保護された。
 一家が18年1月に香川から東京都目黒区のアパートに転居すると、虐待はエスカレート。結愛ちゃんはほぼ外出させてもらえず、殴られたりベランダに立たされたりしたほか、食事も十分に与えられなくなって衰弱し、3月2日に敗血症で死亡した。死亡時の体重は同年齢の標準より6キロ近く軽い12・2キロで、170カ所以上の傷やあざがあったという。
 検察側は、優里被告が虐待の発覚を恐れて病院に連れて行かず、放置したと主張している。
 一方の弁護側は、罪の成立は争わないとしつつ、雄大被告から心理的なドメスティックバイオレンス(DV)を受け、精神的な支配下にあったと訴える。
 優里被告は被告人質問で、再婚後に雄大被告から説教が繰り返されるようになったと説明。雄大被告の命令は絶対で「ロボットのように聞いていた」とし、反発して怒らせると結愛ちゃんに怒りが向くため、結愛ちゃんの衰弱を見過ごしたとしている。
 公判では、結愛ちゃんがノートや紙片に書いた言葉が読み上げられた。「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」と懇願するようなメッセージのほか、「あしたのあさはきょうみたいにやるんじゃなくて パパとママにみせるぞってきもちでやるぞ えいえいおー」と自らを奮い立たせたようにも読める文章も残っていた。【巽賢司】

159名無しさんは神戸学院大:2019/09/10(火) 00:20:24 ID:aCP/2oqI0
>>158
「太ったから締め直す」食事制限に暴行…結愛ちゃんの最期
産経新聞 2019/09/09 19:29

© 産経新聞社 「太ったから締め直す」食事制限に暴行…結愛ちゃんの最期

 東京都目黒区で昨年3月、船戸結愛ちゃん=当時(5)=が両親から虐待され死亡したとされる事件で、保護責任者遺棄致死の罪に問われた母親優里被告(27)の裁判員裁判が9日、東京地裁であり、検察側は懲役11年を求刑、弁護側は懲役5年が相当だと主張し結審。判決は17日に言い渡される。
 これまでの船戸被告の公判では、元夫の雄大被告(34)=同罪などで起訴=による暴行や過剰な食事制限などにより、結愛ちゃんが日に日に衰弱し、息を引き取るまでの経緯が明らかにされた。
 結愛ちゃんは香川県に住んでいた平成28〜29年、自宅の外に放置されていたため香川県警の通告で児童相談所が2回一時保護。いずれの際にも体にあざがみつかり、病院のカルテには、結愛ちゃんが「お父さんのキックがいっぱいある。おなかもキックされたよ」と話した記載があった。
 30年1月に東京都目黒区に転居後、雄大被告は「結愛が少し太っちゃっている」「だれている」「もう一度締め直す」などと言って結愛ちゃんへの食事を厳しく制限し、1日に汁物1杯の日もあったという。
 2月、優里被告は、雄大被告が結愛ちゃんの目の付近をたたく暴行を目撃。翌朝、結愛ちゃんの目が大きく腫れていたため、「顔がめっちゃ腫れてるんやけど」と雄大被告に言うと、「ボクサーみたいだな」と笑われたという。優里被告はその時の感情を「心を覆っているものにひびが入って音も聞こえなくなった」と表現した。
 それでも小学校に通い始めれば「結愛も楽しく過ごせると思っていた」といい、4月まで「頑張ろうね」と励ましていたという。ところが結愛ちゃんは2月27日ごろから嘔吐(おうと)を繰り返すなど衰弱が顕著になる。病院に連れて行こうと考えたが、雄大被告から「あざが消えたら行く」と言われ、あきらめた。
 3月1日、優里被告が久しぶりに結愛ちゃんを風呂に入れると、全身がやせ細っていた。優里被告は直視できないほど驚く一方で、「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせた。
 亡くなったのは翌2日。死亡時の体重は標準より6キロも軽い12・2キロで、2カ月で4キロ以上減った。肌は土気色に変色し、体には古いものから新しいものまで170個以上の傷やあざが残されていた。
 結愛ちゃんの部屋には「いきがくるしくなるまでうんどうをする」「たいじゅうをはかる」などの“約束事”が書かれた貼り紙が多数あった。ノートには「もうおねがい ゆるして」との記載のほか、雄大被告に怒られたこととして「おべんきょうおしえてもらったのにおれいをいわなかった」などの記載もあった。貼り紙やノートの記載は、優里被告が、雄大被告を怒らせないよう結愛ちゃんと一緒に書いたという。

160名無しさんは神戸学院大:2019/09/10(火) 13:59:53 ID:aCP/2oqI0
>>159
なぜ結愛ちゃんを救えなかったのか。目黒・虐待死事件で明らかになった社会の抜け穴
FNN.jpプライムオンライン 2019/08/17 土曜18:00

© FNN.jpプライムオンライン
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2018年3月、東京・目黒区で5歳の船戸結愛ちゃんが死亡した虐待死事件。
搬送される結愛ちゃんを目撃した人は、「女の子がいた事自体知らなくて。運ばれた女の子を見たときに、顔色が完全に土色みたいになっていて…。あからさまに細すぎだろって、足とかちょっと細すぎっていうのが…」と、ひと目で感じた異常さを語っていた。
事件後、国会に児童虐待防止法の改正案が提出され、今年6月に参院本会議で全会一致で可決し、成立。親の体罰が禁止されるなど、この国のシステムを変える“きっかけ”となった衝撃的な事件だ。

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161名無しさんは神戸学院大:2019/09/10(火) 14:12:55 ID:aCP/2oqI0
>>159 >>16
なぜ結愛ちゃんを救えなかったのか。目黒・虐待死事件で明らかになった社会の抜け穴
FNN.jpプライムオンライン 2019/08/17 土曜18:00

© FNN.jpプライムオンライン
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2018年3月、東京・目黒区で5歳の船戸結愛ちゃんが死亡した虐待死事件。
搬送される結愛ちゃんを目撃した人は、「女の子がいた事自体知らなくて。運ばれた女の子を見たときに、顔色が完全に土色みたいになっていて…。あからさまに細すぎだろって、足とかちょっと細すぎっていうのが…」と、ひと目で感じた異常さを語っていた。
事件後、国会に児童虐待防止法の改正案が提出され、今年6月に参院本会議で全会一致で可決し、成立(>>105)。親の体罰が禁止されるなど、この国のシステムを変える“きっかけ”となった衝撃的な事件だ。

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162名無しさんは神戸学院大:2019/09/10(火) 14:15:00 ID:aCP/2oqI0
なぜ結愛ちゃんを救えなかったのか。目黒・虐待死事件で明らかになった社会の抜け穴
FNN.jpプライムオンライン 2019/08/17 土曜18:00

事件のことを報道で知った時、誰もが考えたに違いない。
「結愛ちゃんを救うチャンスがあったのではないか?」
「なぜ社会はあれほどの虐待に気づかなかったのか?」
その答えを出すために、加害者である父・船戸雄大被告(逮捕時33歳)の半生をたどった。
誰もが目もそむけたくなる程の虐待を行い、世間には「鬼畜」「悪魔」と呼ばれた船戸雄大という男は、一体どんな人物だったのか?

163名無しさんは神戸学院大:2019/09/10(火) 14:17:00 ID:aCP/2oqI0
なぜ結愛ちゃんを救えなかったのか。目黒・虐待死事件で明らかになった社会の抜け穴
FNN.jpプライムオンライン 2019/08/17 土曜18:00

▼“社交性”が高く、皆の中心だった雄大

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「不思議な感覚でしたね。違う人を見てるような感覚です」
事件後、小学校の同級生はこう語った。
北海道札幌で育った雄大は、バスケに熱中する誰もが羨むヒーローだったという。
「プロになれるんじゃないかという感覚は小学生ながらでもありました。多分次元が違ったと思います。皆彼から教えてもらうとか、そういうレベルです。そこら辺の先生より、体育の先生より上手みたいな」
万能感に満ちた少年時代のみなぎる自信は、「日本人初のNBA選手になる」と卒業文集にも刻まれていた。
また、その同級生は「もう話題の中心というか、遊ぶ時の中心っていうか。明るくて楽しい友達っていう感じですかね」と、雄大には人を惹き付ける力があったと当時を振り返った。

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2003年4月、大学進学のため東京に出てきた雄大。
当時の親友は事件後、「あいつだったらそんな事せんやろうと思うところもあるので」と目頭を押さえた。
「バスケもうまかったです。試合とかでも結構怒られてましたけどね、『お前それちゃんとしろよ』みたいな。何かと色々やってくれましたね。体育館取ってくれたりとか、チームに連絡したりとか」
大学でもバスケサークルのリーダーで、世話焼きなまとめ役だったという。
雄大は卒業後も東京に残り、2007年4月、通信関係の大企業に勤めるようになる。
仕事もでき上司の評価の高い。世話好きな性格はここでも顔を出し、同期会ではいつも幹事を引き受けた。友人も、親しければ皆自宅に呼ぶ、雄大の“社交性”の高さ。
雄大の身近にいた人たちが、口をそろえて語るのは、いつも仲間の輪の中心にいる、私達からすると意外な素顔だった。
点々と生活の場を変えていく雄大

© FNN.jpプライムオンライン

そんな雄大は、1〜2週間に一度は通っていた行きつけの飲み屋で「仕事を辞めたい」と言い出すようになっていた。相談をしていたのは、雄大被告が兄のように慕っていた男性だ。
「『今の仕事が飽きちゃった』っていうのは聞いて。『辞めたい辞めたい』と言っていて、『もう通信関係の仕事はやりたくない、他の仕事がしたい』って。具体的に何かということは聞いてないけど」
飽きっぽい性格だったのだろうか。
雄大は勤め先に地元への異動を希望し、2014年5月には願いは受け入れられ、札幌に戻ることになった。
ところが――
「最初は自分の会社に普通に勤めていたけど、すぐに辞めましてね。それで夜のすすきので、紹介じゃないと行けないような高級クラブのボーイをやるって言って。なんでいきなりそんなところで働くんやと思って。先は全く見えないんだろうなと思いましたけどね…」
当時そう思っていたという親友は、「アンダーグラウンドな感じの人たちに憧れていたというのはあるかもしれないですね」と、理解も示した。
自尊心が強い雄大は、ありきたりな人生を嫌ったのではないか、と。

© FNN.jpプライムオンライン 高松市の繁華街

しかしクラブでのボーイ生活もすぐに終わることとなった。
北海道行きからわずか1年後の2015年には香川県へ。
親友は「香川に行ったのは、友達が『ちょっとお店が困ってる』って言うんで、雄大は手の届かない範囲でも人を助けようとする心があるから、困ってる人を助けたいということで、香川まで行った」と、雄大なりの大義名分があったと言う。
キャバクラの人手が足りない。
そう請われ、高松の繁華街でボーイとして働き始めた雄大。
ここで3人は出会ってしまった。

164名無しさんは神戸学院大:2019/09/10(火) 14:19:02 ID:aCP/2oqI0
なぜ結愛ちゃんを救えなかったのか。目黒・虐待死事件で明らかになった社会の抜け穴
FNN.jpプライムオンライン 2019/08/17 土曜18:00

▼出会ってしまった3人

© FNN.jpプライムオンライン

大学時代から11年を過ごした東京を離れ、故郷・札幌での転職、縁もゆかりもない香川にきた雄大。
香川に来てからも東京で兄のように慕う男性には連絡を取り続けていた。
「しばらくして香川から連絡があったんですよ。結構2カ月に1回くらい頻繁に連絡が来てたんですよ。電話とかLINEでも」
2016年には、その男性にこんなLINEを送っていた。

© FNN.jpプライムオンライン
© FNN.jpプライムオンライン

「香川で今付き合っとる仔と籍を入れることが決まりました…(笑)」
「田舎で子供と3人暮らしです(笑)」
「とりあえず今は派遣なんで近場で就活しよります★ まぁ金はないですけど幸せは幸せです(* ̄▽ ̄*)」
「ついでにお腹に子供も出来まして…9月末には2児のパパになります」
「まぁとりあえず家族持ってしまったんで、大人しく働きます(ノД`)…」
(原文ママ)
勤務するキャバクラで働いていた、シングルマザーの船戸優里(事件当時25歳)被告と、3歳の娘・結愛ちゃんと出会い、LINEからは幸せそうな雰囲気が溢れている。
優里との関係が店にばれ、キャバクラを追われた後、3人の暮らしが始まっていた。
親友も、「雄大がバスケするって言って、こっちにいるバスケの連中と練習したこともあります。その時に2人(優里被告と結愛ちゃん)も付いてきて。試合の横を結愛ちゃんが走ったりして、ボールとか触って遊んでいましたね。奥さんはずっと体育館に座ってるみたいな、大人しい感じかな。でも雄大は優里さんのことを好きでしたよ絶対。あいつは好きになったら結構一途なんで」と、その頃の幸せな3人の姿を目の当たりにしていた。

© FNN.jpプライムオンライン

2人目の子を授かったことに腹をくくったように、地元の優良企業である食品会社の面接を受けた雄大は、すぐに採用が決まった。
勤務先の上司は、「家族ができるのでやらなきゃいけないという、本人も覚悟を決めて面接に望んでましたので、非常に印象は良かったし、やる気というか熱意がよく見えたっていうのはありますね」と、当時の印象を語る。
しかし、こうした外向きの顔とは裏腹に、近所の人々は不穏な空気を感じ始めていた。
ある女性は、「お母さんがいなくなると、結愛ちゃんがバーっとすごい勢いで怒鳴られているのを聞いて、お母さんいなくなると(雄大被告は)態度が豹変するのかなって。そのうちパパって呼びだすようになったので、あっ結婚したんだって」と話す。
同居と同時に始まっていた結愛ちゃんへの虐待。
怒鳴り声はやがて聞き捨てならない音へとエスカレートしていった。
「お風呂場からバシャバシャ聞こえて、顔をつける練習か何かをしていて。ちょっと激しめだったんで普通じゃないなって思って、結愛ちゃんが『やめて』」って。これ危なくない?って児童相談所に電話して」
その時、初めて社会は結愛ちゃんへの虐待に気づいた。

165名無しさんは神戸学院大:2019/09/10(火) 14:21:04 ID:aCP/2oqI0
なぜ結愛ちゃんを救えなかったのか。目黒・虐待死事件で明らかになった社会の抜け穴
FNN.jpプライムオンライン 2019/08/17 土曜18:00

▼救えなかった香川での生活

© FNN.jpプライムオンライン

通報を受けた児童相談所は、幼稚園や市の協力を仰ぎ、一家の見守りを開始。
幼稚園が結愛ちゃんの体に痣を発見したのがこの頃だ。
しかし、雄大は職場にも親しい知人にもそんな素振りを見せてはいない。
職場では愛妻弁当を持ってきて男性陣から羨ましがられ、パソコンの使い方を教えるなど、同僚の評判はよかったという。
兄のように慕う男性にも「『子供の行事も出てます』って。運動会行ってるとか。バザー行ってるとか。『ちゃんとお父さんやっているのか?』と聞くと『やっています』と。それは楽しそうに話してたかな」と、虐待の影は見せなかった。
そんな中、雄大はついに一線を超える。
2016年12月25日、凍てつくようなクリスマスの夜だった。
「ピンクの薄いパジャマの上下で、裸足だったんですね。夜の9時くらいだったんですけど、『ご飯食べてない』って。裸足で放り出してるのはひどいと思って、冷たかったので背中をさすってあげて、少しでも暖かくなればと。警察待ってる間に『お家に帰る?』って聞いたんですけど『帰りたくない』ってはっきり言われたので…」

© FNN.jpプライムオンライン

このとき結愛ちゃんの唇からは血が流れ、おでこには痣。児童相談所は結愛ちゃんの安全を優先し、一時保護に踏み切った。
しかし書類送検されたものの不起訴となった雄大は、大学時代の親友にこう話している。
「結愛ちゃんを外に出してたら泣いていて、近所の人に通報されて、警察来て面倒くさいというか、その対応が大変だ、みたいなこと言っとったんで。そんな事あるんだと思って」

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児童相談所の職員の家庭訪問などを条件に、2カ月ほどで一時保護が解除され、自宅に戻った結愛ちゃん。
しかしわずか1月半後の2017年3月19日、再び寒空の下、一人で外に出されていた結愛ちゃんを警察が発見。2度目の一時保護となった。
このとき結愛はちゃんは、顎の下の内出血に、腹部の強い打撲、腰の骨と腿にも外傷が認められた。

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これを受けて医療機関は児童相談所に、一時保護から施設入所に切り替えるように進言。家庭裁判所が承認すれば保護者の同意なしで施設に入れることができる『児童福祉法28条』の申し立てを提案した。
しかし、結果としてそれは叶わなかった。
事件後、香川県がまとめた報告書には、その反省が書かれている。

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児童相談所の役割は、保護者と子供を引き離す「介入」と、子育てを助ける「援助」という、相反する二つの側面がある。
しかし家庭裁判所に申し立てをすると、その事実が保護者に知られてしまう為、万が一承認されなかった場合、保護者との信頼関係は一気に崩れてしまう。
結愛ちゃんの場合も、怪我の程度から家庭裁判所が申し立てを認めないリスクがあった。
そのため香川児相は介入を断念してしまったのだ。
結局2度目の一時保護も、結愛ちゃんが指定された病院に通うことを条件に、4カ月で解除されている。
そして家庭内の抑止力となるべき、母親・優里被告の怒る声も近所の人に聞かれていた。
「結愛ちゃんが時計の勉強をしているのが聞こえて、お母さんが『なんでできんのや!』みたいな。『あんたがそんなんやけんママがパパに叱られるやろ』って怒ってて。お母さんもお父さんを怖がっているんだろうなって」
絶望的な状態だった。

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厚生労働省の検証報告書には、雄大は優里に対してもDVの疑いがあり、支配的であったと記されている。
唯一の救いは、2017年8月頃から結愛ちゃんの病院通いが始まり、雄大の暴力が減っていたことだった。結愛ちゃんの心と体もこの時期、少しずつ回復していったという。
一方で、こうして多くの機関に見られているという感覚は、雄大に過度のストレスを与えていたのかもしれない。
近所の人は、階段を逃げるように走って降りたり、接触を避けるように車から出てこないような雄大の姿を見ている。どんどん内にこもってしまっているように見えた雄大を不安に思っていたという。

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近所の目に追い詰められていく雄大は、2017年3月、幼稚園からも結愛ちゃんを退園させる。
社会との糸はまた一本が切れ、雄大はまたしても逃げ道を探し始める。
「その時また連絡が来たんですよ。仕事をやめたいと。田舎だから話も色々すぐ広まっちゃうし住みにくいと。だから東京に戻りたいという話は連絡があったんです」
再び東京に戻るという、結果的に最悪の結末につながる決断だった。

166名無しさんは神戸学院大:2019/09/10(火) 14:24:42 ID:aCP/2oqI0
なぜ結愛ちゃんを救えなかったのか。目黒・虐待死事件で明らかになった社会の抜け穴
FNN.jpプライムオンライン 2019/08/17 土曜18:00

▼周囲が事件に気がつけなかったワケ

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職場の上司には、こう語っていたという雄大。
「結愛ちゃんがとにかく人見知りがひどくて、全くご近所の人にも挨拶もできないし、そういったところを今のうちに直したいと。タイミング的には小学校1年生から新しい小学校に行かせたいので、もう辞めるのが今しかできない。12月まで仕事を続けて、年明けにはもう東京にいくというですね」
しかし大学時代の親友は「職に関して言うと、紹介してくれたりっていうのが多分あるはずだっていうのがあいつの認識なんですよ。何かは絶対にあるって。具体性が全く無いというか安易というか…」と明かす。
この東京への逃避行が、香川で作られた包囲網を安々とくぐり抜けてしまった。
2018年1月8日、目黒区内に部屋を借りた雄大は、早速近所のバーに顔を出していた。その店主に対し、芸能マネージャーになりたいと話していた。
「この界隈のことを知りたいとか、前の仕事を辞めて新たなスタートを切ろうと思って来ましたと。『実は僕は芸能界に興味があって、芸能マネージャーをやろうと思ってる』と。自分のお尻を叩いて頑張っていくんだって、希望に満ちて来たんだろうなということは、表情も無邪気でしたからね」
「一週間後に奥さんとお子さんがいらっしゃると。『上の子が今度小学生なんですよ、でも僕の自分の子供じゃないんですよ』って言うことはおっしゃってました。でも『今度小学校1年生で入学なんで』っていうのは、ちょっと嬉しそうに話してましたから、可愛がってらっしゃるのかなという風に素直に思いましたけどね」
どこから見てもいい父親。
外ではそんな顔を見せていた雄大。

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2018年1月23日、東京へやってきた結愛ちゃんの直前の体重は16.6kgだった。
雄大からしばらく離れ、せっかく元気になっていた結愛ちゃんは、この日から灯りも暖房もない部屋に一人閉じ込められることになる。
2DKの物置代わりの部屋で、一人寝起きさせられ、外へ出ることは叶わなかった結愛ちゃん。そこからの毎日は報道で伝えられた通りだ。

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・午前4時、自分でかけた目覚まし時計で1人起床
・ノートに体重を記録
・ひらがなの練習が日課
・朝食スープ1杯
・昼食ご飯茶碗3分の1
・夕食ご飯茶碗2分の1
・言うことを聞かなければ1日1食
そんな仕打ちの一方で雄大は、近所の住民に挨拶をして打ち解け、結愛ちゃんを除いた家族3人で近所の神社での豆まきにも参加していた。
かけ離れた“表”と“裏”の顔。
外食でも幼い弟だけが一緒だった。
「お父さん、お母さん、お子さんと座ってたね。子供にも普通に食べさせてあげてたね。見た感じ本当仲がいい家族って感じ、3人はね。結愛ちゃんは友達のところに預けているって聞きましたけど」
こうして近所の誰もが、結愛ちゃんへの虐待に気づけなかった。

167名無しさんは神戸学院大:2019/09/10(火) 14:27:00 ID:aCP/2oqI0
なぜ結愛ちゃんを救えなかったのか。目黒・虐待死事件で明らかになった社会の抜け穴
FNN.jpプライムオンライン 2019/08/17 土曜18:00

▼起きてしまった事件と変わっていく社会
2018年2月9日、香川から引き継いだ東京の児童相談所が自宅を訪問したが、母親の優里から、結愛ちゃんとの面会を拒否され、5分ほどで帰っている。
そしてこのとき、香川での児童福祉司による指導が解除。怪我の写真や今後の危険性を評価する書類も引き継がれることはなかった。
東京の児童相談所は緊急性の高さを見抜けず、結愛ちゃんの叫びは都道府県をまたぐシステムの中でかき消され、虐待はエスカレートしていく。

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氷のようなシャワーを浴びせられ真冬のベランダに出された足は、しもやけだらけだったという。捜査では部屋からも風呂場からも結愛ちゃんの血痕が見つかっている。
5歳の彼女は一人ノートに謝り続けた。
ママ もうパパとママに いわれなくても
しっかりとじぶんから きょうよりかもっと
あしたは できるようにするから
もうおねがい ゆるして
ゆるしてください おねがいします
きのう ぜんぜんできてなかったこと
これまで まいにちやってきたことを なおす
ぜったい やくそくします
もうあしたは ぜったいやるんだと おもって
いっしょうけんめいやる
やるぞ

事件発覚まで直前の2月20日、母・優里は結愛ちゃんが通う小学校の入学説明会に出席していた。それは結愛ちゃんがノートに体重を書くことができた最後の日だった。
後に雄大は、浴室内で娘の顔面を殴ったと供述している。
東京の児童相談所が結愛ちゃんに会えていないことを知り、香川の病院が慌てて電話をかけたのは翌日の2018年2月21日。
「心配な家庭」と、リスクの高さを伝えた。
しかしこの時、すでに結愛ちゃんは食事も受け付けず、起き上がることさえできなかった。
それでも雄大はかつての同僚達と飲み会に出かけ、「娘が言うことを聞いてくれない」「小学校にあがるので、ちゃんとしつけないといけない」などと話していたという。
近所の住民も事件の数日前、「ご主人が上から小さな子を抱いて帰ってきて、挨拶して、保育園が決まりましたっていうそんな報告を受けて、上の子は小学校なんですよって」と普段どおりの雄大の姿を目にしていた。
こうして全ての目をすり抜けていった雄大の“社交性”。

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3月2日午後6時29分、119番通報したのは雄大自身だった。
「食事をとらず嘔吐し、心臓が止まっているようだ」と通報したという。
近所の住民は、「まず消防車が来た時に、お父様が上から『こっちの部屋です』って案内されてたのはチラッと上から拝見して。慌てた様子で」とその時の様子を話す。
午後6時59分、結愛ちゃんは肺炎からの敗血症で死亡が確認された。
16kgあった体重は、東京でのたった一月余りで12.2kgになっていた。
翌3日、船戸雄大被告を、傷害の容疑で逮捕。
「言うことを聞かず、数日前に拳で殴った」と供述していた。
6月8日には、母・船戸優里容疑者を保護責任者遺棄致死の容疑で逮捕。
「自分の立場が危うくなるのを恐れて、見て見ぬふりをした」と話した。

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兄のように慕われていた男性は言う。
「事件のことだけを思うんであれば多分会わない。雄大として見るのであれば会う」
大学での親友は言う。
「事件があった最初はお前も同じ目に合わせてやるって思ってたんですよ。日が経つと、それも違うかなっていう」
小学校の友人は言う。
「香川に行ったりとかしてたみたいなんで、そこで多分友人関係がリセットされたとか考えると、同情はもちろんしないですけど、相談する相手がいれば変わってたんじゃないかなとは思います」
香川の通報者は言う。
「警察から『以前通報していただいた件なんですけど覚えていらっしゃいますか?』っていう電話が来て、『実は亡くなったんです』って言われて。もう返す言葉がなくてただただ涙が出てくるだけで」
香川で結愛ちゃんを診察していた主治医は言う。
「雄大被告もどこかでSOSを出しているはずなんです。そこを思ったら、ここまで親がしてしまう前に、なんかできるのではないかといつも思います。お父さんが加害者やから、お父さんに何か入らないと、再発の予防には一つもならないんです。このお父さんに直接入れるのって児相しかないんですよ。そこはやっぱりすごい専門性がいるところだと思うので、システムを変えていかないといけないと思います」
冒頭でも書いたとおり、この事件をきっかけに児童虐待防止法の改正案が成立した。
・しつけ名目の体罰を禁止
・一時保護と保護者支援の担当を分離
・児童相談所への医師、保健師の配置
などが、盛り込まれたものだ。
結愛ちゃんの命が、懸命に生きようとした命が、今社会を動かしている。 >>161-167

168名無しさんは神戸学院大:2019/09/12(木) 02:00:53 ID:UDlrMGmc0
死亡大学生の母親「あおられるようなことしていない」 堺あおり運転判決
産経新聞 2019/09/11 18:55

© 産経新聞社 死亡大学生の母親「あおられるようなことしていない」 堺あおり運転判決

 堺市で昨年7月、乗用車であおり運転をした後にバイクに追突し、同市西区の大学4年、高田拓海(たくみ)さん=当時(22)=を死亡させたとして、殺人罪に問われた元警備員、中村精寛(あきひろ)被告(41)の控訴審判決公判が11日、大阪高裁で開かれた。樋口裕晃裁判長は懲役16年とした1審大阪地裁堺支部判決を支持し、弁護側の控訴を棄却した。
 高田さんの母親(46)ら遺族が11日、判決後に大阪市内で記者会見し、判決に理解を示す一方、被告に対する怒りと、行き場のない悲しみを打ち明けた。
 会見には母親や妹(22)ら3人が参加。母親は「拓海の笑っている顔が見たい。これまでずっと支えてくれたので、毎日つらい」とハンカチで涙を拭った。事故から1年以上たった今も、拓海さんが帰ってこられるように、好きだったご飯を作り続けているという。
 1審判決で、拓海さんのバイクの運転について「特に危険であったとまではいえない」ととどめたのに対し、控訴審では「落ち度はなかった」と判断。母親は「言葉にしてもらってほっとした。拓海があおられるようなことをしていないと、はっきり言ってもらってよかった」と涙を拭った。
 あおり運転が問題化している点にも触れ、「なぜ気持ちのコントロールができないのか不思議に思う。怖い思いをしている相手がいることをもう少しわかってほしい」と訴えた。

169名無しさんは神戸学院大:2019/09/18(水) 11:35:00 ID:ILzdZvaY0
>>167
結愛ちゃん母に懲役8年実刑判決 東京地裁 目黒虐待死
朝日新聞社 2019/09/17 21:58

© 朝日新聞社 東京地裁=東京都千代田区

 東京都目黒区で船戸結愛(ゆあ)ちゃん(当時5)を虐待死させたとして、保護責任者遺棄致死の罪に問われた母親の優里(ゆり)被告(27)の裁判員裁判で、東京地裁は17日、懲役8年(求刑・懲役11年)の実刑判決を言い渡した。守下実裁判長は「夫の暴行を認識しながら結果的に容認し、犯情は重い」と指摘する一方、「夫からの心理的DV(家庭内暴力)を受けていたことは否定できない」と述べた。
 判決は、昨年1月下旬に母子が香川県から上京後、一足先に上京していた夫・雄大被告(34)=同罪などで起訴=の意見で結愛ちゃんへの食事制限が始まり、2月上旬から厳しくなったと認定。わずか1カ月余りで体重の約4分の1が失われており、「明らかに不相当で苛烈(かれつ)なものだった」と批判した。
 さらに、児童相談所の訪問を拒絶するなどしていたことから、結愛ちゃんの命は「被告らに委ねられていた」とも言及。食事を受け付けなくなり、異常にやせてけがをしていたのを目にしながら、夫の暴力や自らの不適切な対応が発覚するのを恐れて病院に連れて行かなかったことを「強い非難に値する」と述べた。
 「大好きだった母親」からも救いの手が差し伸べられなかった結愛ちゃんの気持ちについても、「苦しみや絶望感は察するにあまりある」と指摘した。
 一方、夫から長時間の説教や言葉の暴力を受けていたことなどから、弁護側が主張した夫の心理的DVの影響も「否定できない」とした。ただ、自ら離婚を切り出したり、夫の目を盗んで食事を与えたりしていたと指摘。「最終的には自らの意思で夫の指示を受け入れており、心理的に強固に支配されていたとは言えない」として、責任を大幅に減らす理由にはならないと結論づけた。
 判決理由の説明を終えた後、守下裁判長は「結愛ちゃんは戻ってこないが、裁判が終わってもしっかり考えてほしい。あなたの人生は続くから、やり直してください」と述べた。
 判決によると、優里被告は昨年1月下旬から結愛ちゃんに十分な食事を与えず、夫の暴力を結果的に容認して衰弱させたのに病院に連れて行かず、3月2日、敗血症で死なせた。優里被告はすでに雄大被告と離婚している。
 雄大被告の裁判は10月1日から始まる。(阿部峻介)

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