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戦争を考える

1管理者:2005/11/14(月) 06:01:53

憲法改正について、戦争について、不戦について、戦争と不殺生戒について、などの議論が活発に展開される事を期待して、「世界の情報ボックス」スレツドでの議論から「戦争を考える」内容の議論を分離独立させたいと思います。よろしくお願いいたします。

2管理者:2005/11/14(月) 06:07:07

218 名前: 犀角独歩 投稿日: 2005/11/13(日) 13:54:06

管理者さんが、改憲問題も是ということでしたので、わたしが記したことを整理します。

・仏教には2500年来の「不殺生」という教えがある。
・仏教徒はこれを自戒とする。
・この教えを日達師との交流の中で学び取ったガンジーは非暴力・不服従の人生を歩んだ。
・ガンジーの意志を受けた人々は非暴力・不服従でインド独立に導いた。
・しかし、ガンジーは凶弾に帰らぬ人となった。また、多くの仏教徒は無抵抗主義の下、凶弾に殺された。仏教徒は、この遺志を継ぐ。
・いま、改憲、軍事拡大の危機が迫っているとき、全仏教界は不戦、非暴力、憲法擁護を採択した。
・以上のような歴史を懐く仏教徒は、困難ではあるけれど、非暴力という教えを放棄せず、そこから、考え、行動していくことが仏教の存在価値であるという原点を捨てない。

(イラク参戦、改憲、自衛軍については、すでに世論に上ることであり、特に屋上億を重ねて記すまでもないので、ここには略す)

・わたしは現在、憲法改正し、軍備増強を計ることが国家安全に必要であるという主張には疑問を懐かざるを得ない。故に、わたしが投げかけている疑問は

・国家安全のための改憲、軍備増強と言うがそれは事実か?
・戦争は最大の消費産業であり、一部特権階級の利益追求のための詭弁になっていないのか。
・このような一部特権階級の利益獲得の隠匿に、国民は騙されていないか。
・軍備増強はひいては徴兵、もしくは兵役として国民に跳ね返る‘可能性’があるが、この点を国家安全、自分たちの憲法などの甘言をもって目を逸らし、見せないようにしていないか。
・軍備増強には膨大な軍事費が掛かることが予想されている。となれば、今でさえ、増税に泣く国民の負担は現代では比較にならないほど、さらに深まるのではないのか。この増税、国民負担という現実を覚悟したうえでの軍備増強への賛成なのか。
・現代の改憲、軍備増強論は、国家安全、自前憲法という美名を売り物にしながら、いまだアメリカからの‘独立’を果たせない日本は、仮に軍隊を作ったところで、自国防衛のためというより、アメリカのための軍隊以上の意味を持たないのではないのか。
・過去60年、軍隊をもたないことによって戦争が起きなかった奇跡的歴史は、軍隊をもつことによって終止符を打つことになる可能性は大きい。このようは不戦60年の奇跡の平和が終わってしまってもよいのか。

等々です。しかし、ここのところの議論?を見てもわかるとおり、これら疑問に応じるものではなく、専ら、わたし、または全仏教界が戦争から目を背けている、何も考えていないかのようなデマゴカシーを弄し、肝心の疑問には何一つ答えていません。
議論されるべきは、仏教徒が何も考えていない、何もわかっていないなどという言われなき誹謗ではなく、改憲論者は上記、その他の実際的な疑問へ答えることにあります。

219 名前: 犀角独歩 投稿日: 2005/11/13(日) 13:58:37

もう一つ忘れました。
藤川さんとも同意した点ですが、いまの政府は、軍隊をもたせて安全な政府なのか。
国民は、仮に軍隊を有したとき、それを管理できる能力を

3管理者:2005/11/14(月) 06:07:59

220 名前:犀角独歩 投稿日: 2005/11/13(日) 14:01:41

コマを喰って恐縮ですが、218の訂正

誤)デマゴカシー
正)デマゴギー

222 名前:ラスカル 投稿日: 2005/11/13(日) 16:12:09

私は体力など無くて自衛隊などには入隊できません。兵役制になるのでしょうか?

4管理者:2005/11/14(月) 06:08:53

223 名前:犀角独歩 投稿日: 2005/11/13(日) 18:03:55

> 222

こういう具体的な質問をどんどんするのはよいことですね。

匿名さんは、わたしより何でも軍事、改憲について。具体的に掌握している自負されているわけですから、さらに具体的な資料を提示するでしょうが、たとえば、現在の防衛庁予算は以下のようなものがあります。

[PDF] 防衛力整備と 予算の概要
http://www.jda.go.jp/j/library/archives/yosan/2004/gaiyou.pdf

もちろん、これは、あくまで現行憲法下の話です。
改憲論者は、この予算立てを具体的にどのようにしているのか、また、なにによって賄うとするのか、具体的にビジョンを示す必要があるでしょう。
改憲論者には、具体的な提示を求めます。

まず、自衛軍であれ何であれ、参戦すれば、戦死は起こることになるでしょう。
この場合、軍人1人当たりの死亡給付金はどれほどの金額となるのでしょうか。
現代、自動車事故でも1億円アップは常識となっています。また、戦傷(含・戦病)には、どのような保障を試算されているのでしょうか。
国家命令で死亡しても同額、またはそれ以下となるのでしょうか。また、国家命令における死亡の場合、遺族の補償はどのように会見後では具体的にどのように考えられているのでしょうか。また、これらの軍人の疾病、戦死、戦病予算は通常軍事予算のほか、どのように試算され、また、その歳出は何によって賄うのでしょうか。

たとえば、戦死兵士1人当たりの保障が1億円であった場合、100人で100億円、1000人で1000億円、1万人で1兆円となります。
実際は、国家命令で死ぬわけですから、自動車事故以下とはならないでしょうから、上記を上回る特別予算が見込まれなければならないことになります。
実際のところ、どの程度が試算されているのでしょうか。

次に改憲後、日本の軍事予算は、どのように試算されているのでしょうか。
また、その増加する軍事費は、何によって賄われ、国民負担はどのようになるのか、具体的な試算の提示をお願いします。

イラクへのあの‘人道支援’でも年間予算は400億円を超えようとしています。
これが実際の軍備増強、増員となり、さらに常駐、駐屯、緊急配置その他となってくるとき、どれくらいの金額となるのでしょうか。改憲論者には、当然、試算を掌握されているのでしょうから、提示をお願いいたします。

224 名前:犀角独歩 投稿日: 2005/11/13(日) 18:04:44

【223の訂正】

誤)会見後
正)改憲後

5管理者:2005/11/14(月) 06:09:51

225 名前:匿名 投稿日: 2005/11/13(日) 22:39:57

>216

>全仏教界は、国家レベルで「不戦の誓いや非暴力」を訴えているわけですから、それに対して、あなたは批判するのかと問うているわけです。

仏教界に対する批判などというものではありません。
「仏教徒だから戦争には反対だ」というのは、当然のこと正論です。
しかしそれは、不殺生は自己への戒律なのですから、仏教徒ではない他者に対しては、どうしても説得力に限界があるのではないかと思っているのです。
何度も書きましたように、そこに国家に対して物申す仏教の限界というものを感じているということです。「仏教界」ではなく「仏教」に対する、そして「批判」ではなく「限界」です。
それは、犀角独歩さんが、>151に書かれていることですが、

>シャキャムニは出家したのであって、国家という家からも出たのです。
国家の決定である軍隊を云々する理由はありません。

最後は、ここに行き着くと思います。
やはり国家に対しての仏教からの反戦の訴えには、限界があるのではないかということです。あくまで国家に対しての限界であって、仏教そのものに限界があるということではありません。国家から抜け出たときに、その限界を超えられるものなのではないでしょうか。
もちろん、だからといって、国家に対して反対を訴えるなということではありません。仏教徒にとって、戦争こそ、自らの不殺生戒の妨げになるものでしょうから。

6管理者:2005/11/14(月) 06:10:33

226 名前:乾闥婆 投稿日: 2005/11/14(月) 00:32:36

>>225
匿名さん。はじめまして。横から失礼いたします。

>そこに国家に対して物申す仏教の限界というものを感じているということです。「仏教界」ではなく「仏教」に対する、そして「批判」ではなく「限界」です。

国家に対して限界のない宗教という前提があるとして、仏教の限界を言うのであれば、まさにそのような限界はあるべきなのであって、国家を容易に左右できる宗教があるのであれば、それこそ「批判」の対象となるべきなのだと思いました。おそらく今の一連の議論の流れでは「限界」云々を言うべきではなく、仏教徒ならその立場から物申すことに意味があるのだという話ではないかと思います。「限界」などが問題なのではないのでしょう。

>国家から抜け出たときに、その限界を超えられるものなのではないでしょうか。

この一文、よく意味が分かりませんでした。

7管理者:2005/11/14(月) 06:12:15

「世界の情報ボックス」スレッドの218レス〜226レスをこちらに移転しました。よろしくお願いいたします。

9犀角独歩:2005/11/14(月) 09:56:04

匿名さん、あなたの議論の仕方は、自分の過ち、非を認めず、非礼を詫びるわけでもなく、不都合な点は無視し、自分の言いたいことだけを言う実に卑怯なやり方であり、到底、まともに話し合いとは思えません。その意味であなたとは議論は成り立ちません。しかしながら、以下の点は、まったく仏教に対する誤解から来ているので、一応、間違いをただしておきます。

>>シャキャムニは出家したのであって、国家という家からも出たのです。
> 国家の決定である軍隊を云々する理由はありません。

もちろん、シャキャムニが国政を云々することはありませんでした。
また、国家も、シャキャムニを含む林棲期に入った修行者を国家統制の枠内に入れることはありませんでした。しかし、それは弟子である出家に対してまでです。在家信者は、その不殺生の教えをもって社会に生きることを教えているわけです。そこには布教もあり、不殺生の奨励も、主張もあったでしょう。ここでは既に自戒から社会へ開かれています。

また、シャキャムニの時代と現代は、以下の点で大きく違っています。
すなわち、日本では、真の出家を法律が認めないということです。
出家とは、単に自分の家を出るということではなく、国家体制、社会から分離すること意味します。つまり、法律の外にも出ます。戸籍も捨てます。貨幣を含む経済構造からも出ます。それがシャキャムニが言う出家です。しかし、日本ではそのようなことは法律が認めません。明治太政官布以降、僧侶といえども、一般人に引き戻され、ここに日本の出家はいなくなりました。出家といえども、乞食(こつじき)鉄鉢に受けた金銭まで税金が課せられ、20歳になれば投票権も放棄されません。
また、何より、在家信者は、シャキャムニの時代から今日に至るまで、出家ではなく、この社会に生活をしながら、仏教を信仰する人々です。つまり、日本において、出家・在家を通じて、国民であるという点は、シャキャムニの時代の出家とは大きく異なっていると言うことです。また、宗教法人も国家の定める憲法・法律に基づいています。つまり、国法の範囲にあります。となれば、憲法改正は宗教法人とその構成員、並びに信者にとって現実的な問題です。故に自己の信念信条に基づいて、一国民として信念信条をもって世に問うことは何らそこに限界があるとは言えません。他の国民と同様、まったく同じ権利と義務を有するからです。あなたは、この点を勘違いしています。

10犀角独歩:2005/11/14(月) 09:56:32

―9からつづく―

> 国家に対しての仏教からの反戦の訴えには、限界がある

では、反詰しますが、以上のように日本国民でもある仏教徒が、その国民という立場から、反戦の訴えをすることに限界があるとすれば、‘限界なく反戦の訴えが出来る’国民とは、どのような種類の国民であるというわけでしょうか。

> 国家から抜け出たときに、その限界を超えられるものなのではないでしょうか。

これは全く逆です。国家を抜け出た真の出家が超える限界は、社会そのものであり、その点で、社会を相手取ることはありません。いわゆる「浮世離れ」と言うことです。しかし、上述したとおり、このような立場を国は認めていません。

> 仏教徒にとって、戦争こそ、自らの不殺生戒の妨げになるものでしょうから。

ですから、反対するのです。
しかし、あなたの言動で、ここでも一つ勘違いしているのは、不殺生界は自戒であるから個人の限界を超えない・故に社会を変える力とはならないとする点です。

先に、例に示したとおり、不殺生、無抵抗、非暴力、不服従によってガンジーを中心とするインド国民は独立を克ち取っています。
祭政一致であった時代、生け贄の儀式をなくしていったのも仏教の不殺生ということであったでしょう。日本では肉食は明治までその習慣を失い、現在も日本で人々が護身のために武器を持たずとも安全に生活できるのは、不殺生という考えが少なくとも人間相互で暗黙の了解となっているからでしょう。このような殺人への罪悪視は仏教の不殺生の教えを通じて日本社会に根付いてきたよき習慣でした。

上述の話と関連することですが、仏教徒は信条信念信仰の面で不殺生の自戒をもち、何より前提として、一国民として、思想信教の自由を訴える権利を有します。故に人類の到達すべき目標とする、不殺生、非暴力、不戦を理想とし、その実現を仏教徒として、そして、国民として訴えるということです。別段、ここに限界はありません。

仏教徒から見る戦争とは大量殺戮であり、たとえば国家命令により兵士となって攻撃をし、相手が死ねば、それを殺人と見なします。また、死刑執行も殺人に他なりません。故にそれら自戒という範囲に留めず、不殺生という見地から反対を述べるとき、その自戒の限界を超えていきます。不殺生は自戒する理由は、その行いが最大の過ちであるからです。ですから、その過ちを自ら犯さないことと共に人に為させない、それはシャキャムニ在世の時代から現代に至る仏教徒の不変の信念と行動です。

1201:2005/11/14(月) 18:44:17
あ、そうか。ここは揶揄みたいなことを書いちゃいけないんだっけ。
だったら、4に対する匿名さんの試算を教えてください。
まさか、してないわけないよね。
よろしくお願いします。


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