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蓮祖及び門下の曼荼羅について
212
:
独学徒
:2006/06/14(水) 20:10:53
興風談所『日興上人御本尊集』未入集の、(伝)興師曼荼羅の画像が出ていました。
http://www.city.kyotango.kyoto.jp/service/6chohp/omiya/history/siteitouroku/jyoutokujinikkou/nikkou.htm
京都府の大宮町の日蓮宗寺院、常徳寺の所蔵とのことです。
大宮町指定文化財のようです。
213
:
れん
:2006/06/14(水) 21:11:58
独学徒さん、ご提示の常徳寺の伝日興曼荼羅は、真蹟の可能性はあると思い
ます。署名・花押が通例と反対の題目の右に書いてある以外は、全体に同時期
の興師筆の特徴が出てますね。これが形木だとしても、原本は日興真蹟でしょうね。
日蓮宗の宗宝調査会や立正大学・正信会の興風談所で調査・鑑定すれば、出自
が分かると思います。
214
:
独学徒
:2006/06/14(水) 21:24:06
れんさん、早速のご意見ありがとうございます。
>署名・花押が通例と反対
私はこの一点が気になって、自分の見解を示せずにいました。
まだまだ勉強不足だと、痛切に感ずるところです。
215
:
大縫薫
:2006/06/14(水) 22:48:49
大宮町の常徳寺
日蓮本宗の薬王山常徳寺は要法寺原日認上人の隠居された寺院で
興・目両画像のほかに石山三十一世日因上人が同寺の住職に授与された本尊
が大阪の安住寺に蔵されています。
興風談所の調査は既に入っていると思うのですが?・・・
216
:
れん
:2006/06/15(木) 08:14:06
大縫さん、ご教示有難うございます。
なるほど、常徳寺は尊門法縁の寺院でしたか、ならば(伝)日興漫荼羅が伝承されているのも納得できます。
よく見ますと、図顕讃文が題目の左にありますね。図顕讃文と署名・花押が全く通例の逆の位置なのが目を引きます。これは興味深いです。
大縫さんご指摘の通り、すでに興風談所の調査が行われているのでしたら、真筆と判断されているならば、談所の出版物に紹介される筈ですが、それが無い?のは、興風談所では、重須の正応の周防房授与漫荼羅同様に日興真筆とは判断しなかったのでしょうね。
多分、模写か形木と言うことでしょうが、図顕讃文と書写年月日・署名・花押の位置が通例の逆になされているのには何らかの作為?を感じますが、全体的には正安年間の日興漫荼羅の特徴が出てますから、原本は間違いなく日興真筆であろうと愚考しました。
217
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2006/06/15(木) 12:50:10
>216 れんさん
ちょっと写真が不鮮明で確かなことは言えないのですけど、仮に形木の場合であっても興風談所の『日興上人御本尊集』には入集していますので、この本尊は『日興上人御本尊集』に入集していないことから形木ではない可能性が高いのではありませんか?
今回のように図顕讃文と署名・花押が全く通例の逆の位置の場合、確かなご真筆でこのような例がないと模写であるとの判断は難しいですね。
218
:
れん
:2006/06/15(木) 18:29:49
>217 彰往考来さん
ご指摘痛み入ります。日興の御本尊集の形木の部に入集していないことを思え
ば、形木でない可能性の方が高いですね。
としますと、当曼荼羅は、題目と勧請の諸尊を臨写もしくは模写した上で、図顕讃文と署名・花押を通例
の逆に臨写或いは模写したものである可能性があると言うことですね。
219
:
独学徒
:2006/06/15(木) 21:28:14
同じ大宮町に日蓮本宗と日蓮宗の常徳寺があるようですが、以下の頁では伝興師曼荼羅と合わせて日親師の曼荼羅も出ていることから、この伝興師曼荼羅の所蔵元は、日蓮本宗ではなく、日蓮宗の常徳寺ではないかと思いました。
http://www.city.kyotango.kyoto.jp/service/6chohp/omiya/history/siteitouroku/index.htm
それとも伝興師曼荼羅が日蓮本宗の常徳寺、日親師曼荼羅が日蓮宗の常徳寺でしょうか。
いずれにしましても、この伝興師曼荼羅の所蔵元が、日蓮本宗の常徳寺であれば、興風談所の調査は既に入っている可能性は大ですね。
しかし興燈法縁でない日蓮宗寺院の所蔵であれば、未調査の可能性もなきしにもあらずと思います。
いずれにしましても、署名・花押、図顕讃文の位置が特異であることは、興師真蹟の可能性は低いというのが、皆様のご意見と拝受しました。
220
:
独学徒
:2006/06/15(木) 21:33:39
>219
自己レス訂正です。
大宮町大野にあるのは、日蓮本宗の常徳寺だけでした。
謹んで訂正させていただきます。
221
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2006/06/16(金) 07:44:10
>212-220
あくまで私見ですが、お写真を拝見させていただいた感想です。
常徳寺の御本尊では、まず「日興花押」が向って右にあります。通常、興師の御本尊は左ですから特異的です。併せて「図顕讃文」(仏滅度二千・・・)が左でこれも通常、興師の御本尊は右です。但し、『日興上人御本尊集』(平成8年、興風談所)で1例だけ「日興花押」が右の御本尊があります。それは『日興上人御本尊集』のNo.5(正安3年10月13日、富士大石寺蔵:通称「譲座本尊」)です。しかしながらNo.5では「図顕讃文」は右で、大徳寺の御本尊とは異なりますが、「日興花押」と「図顕讃文」が同一側にあるのはNo.5のみでむしろ例外といえるでしょう。よって今回の「日興花押」と「図顕讃文」が各々通常と逆の配置となっているだけでは偽筆とは判断できません。
常徳寺の御本尊の諸尊配座は特徴的です。興師の御本尊の中では迹化の菩薩のみられない略本尊に分類されますが、諸尊配置はNo.9(永仁2年2月15日、富士妙蓮寺蔵)が近いです。但し、No.9では大月天玉と大日天玉の配座がみられますが、常徳寺の御本尊にはありません。No.9と同型はNo.24(正安4年、伊豆実成寺蔵)など5幅です。No.13(永仁6年、富士妙蓮寺蔵)は大月天玉と大日天玉を欠く略本尊で、その意味では常徳寺の御本尊に諸尊配座が近いですがNo.13は釈迦・多宝の二仏も欠くなど常徳寺の御本尊と同じでありません。つまり常徳寺の御本尊と同じ配座のものは少なくとも『日興上人御本尊集』に入集している興師の御本尊にはないのです。ですが、そうだからといって偽筆とは判断できないと考えます。初期の興師御本尊の配座から考えて有りうる相貌であるからです。
首題の字など興師の初期御本尊の特徴がよく現れていて、私がお写真を拝見させていただいた限りでは偽筆と判断されうる箇所は見当たりません。しいていえば、全体的にやや力弱いのが気になるというのが感想です。ただこれは写真写りの関係もあろうかと思います。なおもし模写とするなら、きっと原本のご真筆も「日興花押」が向って右にあって、その原本にかなり忠実な臨写本ではないかと思います。残念ながらお写真が不鮮明であるためご真筆なのか模写なのか判断がつき難いですがご真筆の可能性もあるので慎重にお取り扱うべきと存知ます。
222
:
とんび
:2006/09/09(土) 04:58:43
こんばんは。
当方、余り時間がないので、率直に感じていることを申し上げますと、日蓮聖人の
顕された、御本尊は、鎌倉時代の弟子の機根に顕された、御本尊であり、究極の所
日蓮聖人は、南無妙法蓮華経の主題の直下に日蓮としたためられ、御判形(花押?)
のサインを書かれただけの御本尊が、内証であったのだと思います。(わかりやすくいうと)
ですから、主題が、お題目。まわりの四天王や脇士などは、助行みたいなもので、賛文が
どうとか、脇士が誰だとか、帝釈天?がしゃくだいかいにん?だとか、誰が抜けている
入っている、などどいうものの議論は、あまり意味がないように思います。
ただ、日蓮聖人の御本尊を拝むことがホウボウということでなく、正宗では、絶対妙や
体内の辺・対外の辺とか、また別の門流では、総別といかいうことで、結局のところ、南無
妙法蓮華経の御本尊を信じていれば、正宗であろうが日蓮宗であろうが、極端に言えば聖書
を学ぼうが、儒教を勉強しようが、なんでもOKということだろうと思います。
正宗系の人なら、絶対妙や相対妙のことは、ご存じであろうと思います。
223
:
とんび
:2006/09/09(土) 05:08:45
追伸です。
書き忘れていましたが、重要御書に、誰々は、広略を好む、日蓮は肝要を好む、
と書いてあったと思います。
224
:
れん
:2006/09/09(土) 19:45:21
とんびさん
法華経の広略要について、日蓮聖人は佐前の著作である法華経題目抄に「一部八巻二十八品を受持読誦し随喜護持等するは広也。方便品・寿量品等を受持し乃至護持するは略也。但一四句ゲ乃至題目計りを唱へとないる者を護持するは要也。広略要の中には題目は要の内なり」と述べております。佐後の法華取要抄では「日蓮は広略を捨てて肝要を好む」として、“広略”を捨てて“要”を取ることを主張されてますね。
これと、漫荼羅がどのようにつながるか、また、はたして漫荼羅=本尊義が成立するか否か、諸賢の皆さんが議論されているところですから、その議論の内容を学ばせていただいてから、結論を出しても遅くないと思います。
225
:
れん
:2006/09/09(土) 20:19:11
>224
訂正
誤)とないる
正)となうる
226
:
無学無明
:2006/09/10(日) 15:41:12
とんびさん、。
某酒造会社のCMに「、、何も足さず、、何も引かず、、」、とうのが有りました。
日蓮聖人の教えと所作を常に給仕・補佐をされていたのはどなたさまでしょうか、? 日興さまです。日蓮師匠のご本尊作成時には殆どを立会った筈です。
日常の修行には人一倍厳しいかった様です。 今問題なのは何でしょうか、?
私は、多くの「宗教執政者(運用・経営・立案側、?)たちの当該原理を守らず、目先の金銭的欲望の虜に堕落」した結果と愚考してます。 今は「何も足さず、!」がより重要か、? 某団体の足したのは「、後世の偽造濃厚な戒壇様、?、」、近代では「多くの真筆本尊にある釈提桓因大王を用いず、大梵天王と付け足した」、この二件は無意味だとは決して思えません。
なぜなら、余計な物件・書画・文物の付け足しにより、「、日蓮祖師の原点から大きく乖離する原因」が生じた、と危惧します。 ただ、団体・運用者側から見ますと「、信者は、小ざかしい御託を言わず、お貸した本尊を、ダマッテ・疑わず拝み、布施(供養)を忘れずにせよ、!」という本音がチラチラ致します、、か、も、。
227
:
無学無明
:2006/09/10(日) 15:44:39
訂正
大梵天王(誤り)
帝釈天王 (正) でした。
228
:
無学無明
:2006/09/12(火) 07:08:00
訂正
団体、、見ますと>>>宗教法人の担当・運営者たちを見渡しますと、、
にお詫びして、補足訂正させて下さい。
229
:
天蓋真鏡
:2007/01/04(木) 20:06:10
【日蓮・法華経≒漫荼羅(題目本尊≒肝要≒実一乗)】 【門下・日蓮→末法本仏≒漫荼羅(心意)≒末法本尊】
230
:
犀角独歩
:2007/02/18(日) 08:59:41
彰往考来さん
れんさん
独学徒さん
ほか 諸賢
安第92大漫荼羅について、お尋ねします。
『御本尊集目録』によると
幅尺 丈三尺二寸七分(99.1センチ) 幅一尺七寸九分(54.2センチ)
このサイズは合っているのでしょうか。
どうも『御本尊集』所載の写真を見る限り、縦横比が合わないのです。
231
:
彰往考来
:2007/02/18(日) 19:02:30
>320 犀角独歩さん
>安第92大漫荼羅について・・・幅尺 丈三尺二寸七分(99.1センチ) 幅一尺七寸九分(54.2センチ)・・・縦横比が合わない
そうですね。第92番本尊は写真でみる限り縦横比が合いません。なお、幅尺 丈三尺二寸七分(99.1センチ) 幅一尺七寸九分(54.2センチ)は第93番本尊のサイズです。
検証してみましょう。数ある御本尊集で一番大きい『日蓮聖人眞蹟集成 第十巻 御本尊集』(昭和52年、法蔵館)の写真を使用します。この資料は概略B4サイズと大きいので寸法測定誤差が少ないものと考えます。
参考として第82番、92番、93番をみてみます。
御本尊集目録記載の寸法は(単位:センチ、82番は『日蓮正宗大石寺』記載寸法)
82:50.5 x 95.5 比率は1:1.89
92:58.8 x 95.1 (一尺九寸四分x 三尺一寸四分)比率は1:1.62
93:54.2 x 99.1 (一尺七寸九分x 三尺二寸七分)比率は1:1.83
となります。しかしながら、写真でみると92番本尊は93番本尊より縦長であり、比率が1:1.62というのは有り得ず寸法記載が誤記である可能性大ということになります。
では、御本尊集の写真から寸法を測定してみると、(単位:センチ)
82:16.9 x 31.9 比率は1:1.89
92:15.9 x 31.9 比率は1:2.00
93:17.2 x 31.8 比率は1:1.85
となりました。
第82番と第93番本尊は目録寸法の比率と写真寸法比率がよく一致します。しかしながら第92番本尊は一致しません。これは犀角独歩さんのご指摘のように目録記載の寸法が間違っている可能性があります。では実際の第82番本尊のサイズはいくつでしょうか?写真でえられた比率1:2.00を使って逆計算をしてやればよいわけです。そうすると、
58.8 x 117.6 (一尺九寸四分x 三尺八寸八分)比率は1:2.00
47.6 x 95.1 (一尺五寸七分x 三尺一寸四分)比率は1:2.00
のどちらかということになります。寸法比率からのアプローチではどちらの可能性が高いか判断できません。そこで1紙のサイズを検証してみます。
第92番本尊のひとつ手前の第91番本尊は時期的に近く、かつ1紙です。このサイズは、
91:60.0 x 37.9 (一尺九寸八分x 一尺二寸五分)
です。この紙を縦横逆にし、三枚継にすると(継ぎ目は1箇所0.5センチの2箇所とします)
X:60.0 x 113.7 (一尺九寸八分x 三尺七寸五分)比率は1:1.90
となり、58.8 x 117.6 (一尺九寸四分x 三尺八寸八分)と近い寸法が得られますので、こちらのほうの可能性が高いのではないかということになります。
この60.0 x 113.7 (一尺九寸八分x 三尺七寸五分)という数字は興味ある数字です。というのは、
92:58.8 x 95.1 (一尺九寸四分x 三尺一寸四分)比率は1:1.62
と比較すると三尺一寸四分が実は三尺七寸四分の誤記ではないかという推論が出てくるからです。結論として下記2種類の寸法が有り得るのではということになりました。
仮説1:58.8 x 117.6 (一尺九寸四分x 三尺八寸八分)比率は1:2.00
仮説2:58.8 x 113.3 (一尺九寸四分x 三尺七寸四分)比率は1:1.93
by 彰往考来
232
:
彰往考来
:2007/02/18(日) 19:07:05
>231 誤記訂正
誤:では実際の第82番本尊のサイズはいくつでしょうか?
正:では実際の第92番本尊のサイズはいくつでしょうか?
謹んで訂正します。
犀角独歩さん、この結論でいいですか?仮説1と仮説2のどちらが正しいか別途検証してみて下さい。私はこれから出かけますのでこれにて失礼。
233
:
犀角独歩
:2007/02/18(日) 23:26:16
彰往考来さん
お手数をおかけしました。
どうも、数字になると、さらに間違えてしまいました。
仮説二つの内、図で当て嵌めたところ、どうやら、
58.8 x 113.3 (一尺九寸四分x 三尺七寸四分)比率は1:1.93
でした。
資料というのは、恐ろしいですね。検証しないで使わないと、このように瑕疵が含まれれているのですね。
それしても、さすが、彰往考来さんですね。
わたしが第92といって、第93のサイズを書いても、ちゃんと、それを訂正してくださいました。敬服します。
まるで、余談ですが、実寸比で、彫刻と妙海寺大漫荼羅を比べたのですが、ぜんぜん、サイズが合いませんでした。
日禅授与漫荼羅の、丈111センチというのもしかし、三枚綴りとしては、随分と大きいですよね。紙そのものが、日蓮が使ったものと違うのだろうと思えました。
234
:
大縫
:2007/02/26(月) 13:27:20
http://www.okayama-kakejiku.jp/newpage1.html
錦司堂さんのHP内の曼陀羅表具の実例で、安82番の本尊の中尊が出ています。
235
:
彰往考来
:2007/03/10(土) 21:14:03
>231の続きです。
三尺一寸四分が実は三尺七寸四分の誤記ではないかという推論は、第91番本尊(60.0 x 37.9センチ(一尺九寸八分 x 一尺二寸五分))の紙寸法を縦横逆にし、37.9センチを三枚継にするとして、継ぎ目を1箇所0.5センチの2箇所として導きだされた113.7センチ(三尺七寸五分)からの推定でした。
しかし、計算間違いを仕出かしていました。
スレッド231での113.7センチとの計算結果は、
37.9 x 3 = 113.7センチ
から導いており、継ぎ目分の長さを引いていないのです。引き忘れています。従ってこのロジックでの正しい計算は
37.9 x 3 − 0.5 x 2 = 112.7センチ(三尺七寸二分)
となります。三尺一寸四分が実は三尺七寸四分の誤記ではないかという推論は変わらないのですが、なんともお粗末な計算間違いでした。「彰往考来さんもヤキが廻ったな」ということでしょう。ま、しかしご指摘を受ける前に自分で訂正しましたので、よしとすべきでしょう。
参考までにメトリックと尺貫法は一尺=30.3センチという換算係数を使います。
113.3(センチ)÷30.3=3.74
となり、113.3センチが三尺七寸四分であるとすぐに計算できます。
一尺=十寸、一寸=十分 と10進法で単位が繰り上がります。
なお、継ぎ目を1箇所0.5センチとしたのは、何点かの継ぎ目のある御本尊実物を見た際の目視であり測ったものではありません。よくよく考えてみると尺貫法での1分は0.3センチですから、継ぎ目を0.3センチとし、再度計算し直すと、113.1センチ(三尺七寸三分)となりました。
漫荼羅本尊は表装の際に周辺を少し切り取りますので、その切り取られた量が不明である以上このような計算は限界があり正確性を欠きますが、おおよその参考にはなり今回のケースでは興味ある結果が得られました。
>233日禅授与漫荼羅の、丈111センチというのもしかし、三枚綴りとしては、随分と大きい
第92番本尊が丈113センチであれば、この本尊も三枚綴りとしては、随分と大きいということです。
第92番本尊: 丈113.3 x 幅58.8 センチ
禅師授与本尊: 丈111 x 幅58.3 センチ
ですから、禅師授与本尊(日禅授与漫荼羅)と第92番本尊はほとんど同じサイズで、第91番本尊と併せ、この連続した3幅の本尊に使用された料紙は同一生産地のものである可能性が高いと私は考えます。さらに第84〜88本尊も第91番本尊と同じサイズの料紙が使われていると思います。
by 彰往考来
236
:
犀角独歩
:2007/03/11(日) 20:23:47
彰往考来さん
独学徒さんの掲示板をお借りしました。
http://ip1.imgbbs.jp/read3/fujikyougaku/4/4/
237
:
再挑戦者
:2007/08/11(土) 22:30:11
、、横から失礼します。
観心本尊抄を観ます時、確かに「日蓮さんが、、仏像の建立、?も視野・構想の存在は否定できません、、」、しかし、佐渡流罪以降の身延での晩年の数年間では、「現状認識の変化が、、多少は、??」、存在した、ようでしょうか、??
日蓮さんは、教団の運営の為には、、やはり「現実は厳しい、??」、、と認識したかも、、?? また、設計図〜図面的な==観心本尊抄が、全てが、「無益〜無駄〜クソ〜役立たず、、」に通じるのは、?、、避けたい、?と、思った、かも、?
現今を直視しますと、、「IT時代」を支えているのは科学・理数時代の根本の全ては、、== 、基本の設計、、図面が、シッカリとしていたからこそです、。図面が有ってこそ〜実態経済までの進展が御座いました、かも、??
従って、、「設計図的な == 日蓮さんの真筆の曼荼羅さまでも、、」、、今後の動向や、歴史の批判には、、十分に「、耐えられる、、?、」、と信じたい、、?? 何も、「日蓮さんが佐渡時代の、視野〜構想〜のうちの仏像、?」、などに、拘泥するのはいかが、、??
238
:
再挑戦者
:2007/08/20(月) 22:13:12
しつこいですが、、。
あの戦国・武家時代、、です、、。 親方さまの逆鱗に触れたならば、「、即、切捨て、ゴメン、、」、を再確認したいものです、。
日蓮さんは何度も「、今生は、、此れまで、、!!」、、と御覚悟為されておられます。 当然ながら、「、毎日の中では、あらゆる観点に対しての思考と錯誤など、、」、は存在したでしょうか、?
当時、もし「仏像=これが本尊だ、、」、と建立したならば、???
当時の敵対団体、ドモは、、ココゾとばかり「、その仏像の奪取・破壊・殲滅、、」、、の方向に傾いたかも、??
重い、かつ、大きな仏像、、??、、よりも、「紙幅の曼荼羅の方が、刀を帯同した悪漢ドモが侵入した時の、緊急避難の場合には、保護・保有に関して、どちらが有利でしょうか、??
そして、何より「、仏減度後、、未曾有、、の大曼荼羅、、也、、」との、「真筆曼荼羅さまの右下の御約束・御宣言??」、の意味深長な文言を軽軽に無視、?、しては、エエンでしょうか、?
239
:
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講
:2007/08/30(木) 15:37:55
紙幅であれ仏像であれ、1万年もつかどうか。
たしかに戦乱・天災の時代であった当時は紙幅が携帯に一番。
波木井山円実寺ができるまで寺院というものを持たなかったわけですから。
ここは新しい解釈が必要です。
私はホログラム3D御本尊を常ずね主張しています。
文字曼荼羅や仏像を信仰の対象とするのは一種の偶像崇拝的所為で、
キリスト教やイスラム教は中世の神学論争で決着をつけ世界宗教化している。
携帯型ホログラム3D映像なら即道場となり諸仏配置の上下左右奥行東西南北
がはっきりわかる。己身本尊論でありながら己身本尊とはならないのもいい。
240
:
突然ですが
:2007/08/31(金) 20:01:41
あの…日蓮宗に問い合わせまして、
「葵講」なる団体はありません!と言われました。
しょっちゅうこの手の問い合わせがあるらしく大変迷惑している、との事です。
241
:
再挑戦者
:2007/09/01(土) 20:25:05
お名前が長いので、239さんでご免下さいませ。
早速ですが、<、ホログラム3D映像、、>、、とは、一体、どのような形態ですか?
よろしければ、何卒詳細にお聞かせ下さいませんでしょうか、? とても関心がありますので、、。
242
:
パクリですよ(大笑)
:2007/09/04(火) 12:02:35
151 名前:プリン 投稿日: 2007/06/30(土) 18:45:53
ちなみに(御議論のスジからは外れますが)…、
もし仮に大聖人が現代に御出現なされていたなら、御本尊様は「3D」のホログラフ形式になされていたかもしれないな、と思うことがあります。
創価仏法研鑽掲示板の「御本尊について」スレにありました。
243
:
秀麗富士
:2007/09/10(月) 02:17:20
ホログラム3D御本尊って何ですか?波木井さん
244
:
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講
:2007/09/12(水) 06:06:24
>>242
過去ログを探してみては?
私は1998年ごろ頃から言ってます。
245
:
再挑戦者
:2007/09/12(水) 21:30:50
ゴメン、、。
そうですか、約、十年も前からでしたか、、。
然るに、貴方の御主張がガセのネタのバカ・ネタでなければ、ナニユエ、、諸衆かたの疑問に、真摯にお応えにならぬのか、!!!
この、フンゾリ返った姿勢には、、少々以上に、ドタマに来ておるがのー、、!!!
言いすすぎならば、陳謝したいが、、。 ホログラム、、とは、、????
246
:
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講
:2007/09/13(木) 06:10:42
ホログラムを理解していないと・・・。
ホログラムについてはこちらをまず参照して理解して頂きたい。
http://www.jomon.ne.jp/~artnow/
何故に3Dホログラムかというと、現在の紙幅本尊は二次元(2D)で諸菩薩の
上下左右関係(東西南北や上下)の配置表現に無理がある。
しかし東大寺などの伽藍にあるような仏像を用いても東西南北関係はともかく
上下の配置表現が難しいし、仏像では偶像崇拝の謗りもある。
(紙幅本尊でも一種の偶像崇拝なんだが)
それに紙や木、または金属は経年劣化は避けられない。
しかしホログラムなら何万年でも何十万年でも持つ。
キリスト教やイスラム教は、本尊論に関しては教学がたいへん進んでいて、
マリア像とかキリスト像とかマホメット像をほとんど祀りません。
十字架であったりと”象徴”を祈りの対象としている。
仏教はこのあたりたいへん遅れているのです。
247
:
犀角独歩
:2007/09/17(月) 01:36:14
日興が、いずれの日蓮御筆大漫荼羅を参考にしたのかということがしばしば話題になりますが、『白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事』が存し、また、多数の大漫荼羅に日興が加筆をしていることを考えるとき、それらすべてを参考にしなかったわけはないと、わたしは思います。
また、この書写原本特定の議論では、座配、讃文、また、釈文の書き込みなどが取り沙汰されますが、わたしはなにより、不動愛染の筆法の選び方に目が行きます。すると、その相貌は、むしろ、文永初期に近いことは明白です。
日興の座配その他の定型化とは、別に、では、なぜ、日興は初期愛染不動の筆法に拘ったのかを併せ考えない原本探しは、美を尽くさないように思えます。
あと、石山蔵日禅授与漫荼羅が、真筆であるという線で話は進みがちですが、わたしは、この点については、懐疑的です。その理由は、なにより、大廣目天玉の「玉」字のヽが「天」を超えて縦一本‘礀’で書かれる本尊は、この1舗を除いてはないからです。前日の日付をもつ安92、93もこの筆法になっていないことは整合性を有しません。また、石山門下以外で、この漫荼羅の真筆説を述べる人もありません。まずは、れっきとした学術調査を経たのちに、その成果を踏まえて、この漫荼羅を真筆として扱うことが真摯な学的な態度であると、わたしは考えます。
248
:
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講
:2007/09/18(火) 10:16:02
日興の不動・愛染理解はいかばかりか。
249
:
再挑戦者
:2007/09/18(火) 22:59:24
246 波木井、、さん。
ホログラム3Dに関しましてのお答えには幻滅、、!!! 、、でゴワス、!!
要するに、、当該の物件に対する「、、イカナル保存・方法がベストか、、??」、、では無いはずでしょうか、?
極限の意見を御許し願えれば、「、今日、、明日、、の中で、例えば、静岡・浜岡原発の、東海地震による溶解事故、、??」、、などが懸念の中ではあります、。
現今は「ホウボウ厳戒が緩みパナシですか? 」。今こそ、針金宗の真骨頂こそ、、が期待されるか、、、??
250
:
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講
:2007/09/19(水) 05:45:29
別に誰かに評価されたくて言っているわけではないので誤解なきように。
1998年当時、私と日蓮宗系僧侶数人が法華チャットを1か月に1回程度の
定例で開催していた。その時出てきたお話ですから。
しかしあなたは人の真意がちいっとも理解できない人のようで。
保存・方法ではなく御本尊なるものを一番正しく理解できる唯一の方法が、
3Dホログラムであって、いくら私の書いた文章が下手であっても、
所詮2D表現方法である紙幅本尊には表現に限界がある。と書いているのです。
それが何故に謗法につながるのかも皆目理解できません。
あなたの能力はかなり劣っているようです。
251
:
ラセード
:2007/09/19(水) 09:17:52
ここの名だたる方々は君を相手にはしていない。理解力が無いなどと人に揶揄するより空気を読めない君は、それ以上に理解力が人並み以上に劣っている。
252
:
再挑戦者
:2007/09/20(木) 20:36:15
250の波木井さん。
一応、レスドーモです。
私のいいたいのは「2D〜〜3D〜〜9D??」、、などご参考にはなります。
なぜ、、? 2Dの表現ならば、、限界が存在して、3D表現ならば、限界が?、氷解するのでしょうか、、?
今後の、突発的な事件(水爆・原爆投下、)の元でも、日蓮さんの根本の精神が継続、、??? 、、の為には、、、何が、???、、必要なのでしょうか、、??
例せば、もし日本が原爆で壊滅したならば、衆生の成仏にかかわる、データが世界のどこかに、片隅にでも残存さえすれば、、「法華・曼荼羅・本尊への復元が可能」、と思います、。 「原図」の「設計図がシッカリ」していさえすれば「良い」のでは、、?
と存じますが、、。
253
:
管理者
:2007/09/20(木) 20:46:09
再挑戦者さん
波木井さんは、当掲示板への書き込みが禁止され、書き込みできません。申し訳ありません。
254
:
再挑戦者
:2007/09/20(木) 20:48:33
、、ドーモ、、でした、、。
255
:
パンナコッタ
:2007/09/20(木) 22:09:22
再挑戦者さん、むしろ過去のカキコにあった"観心"と"教相"の本尊という切り口から
アプローチしていった方がややこしくはありますが、より蓮祖の本意に近づけるのではないでしょうか。
話は全然違うのですが、立正大の温泉掘削が失敗したとの記事。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saitama/news001.htm
ある意味、イタい事例なのかもしれませんが、"そこから何を学ぶか"が、
大事な事と思えますね。
256
:
犀角独歩
:2007/09/22(土) 07:43:16
パンナコッタさんが仰る「“観心”と“教相”の本尊」とは、より具体的に言えば、漫荼羅図と仏像造立のことでしょうか。となれば、わたしも賛同します。
日蓮の、四角い1枚の紙に展開した漫荼羅図は、極めて完成度の高いものでした。立体と比べて優れるとか・劣るとかいった観点は不用だと思います。
二次元でしか表し得なかったことを二次元で尽くしたということでしょう。
この点については、まだ20世紀だった頃、ワラシナ師と議論をしたことがあり、その点につき、昨年であったか、薬王寺・大埜慈誠師から問われ、ブログで答えたことがありました。
【試論】四大天玉の図示の位置について
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50543409.html
では、いっぽう、立体でということなら、なにも現在の最新技術などを使うまでもないでしょう。既に重須文献「漫荼羅の図の如し」の段階でその構想は論理的に具体化し、以降、東西の地域差・門派を問わず、それが実現されてきました。つまり、仏像の造立です。また、それは堂塔伽藍の配置でも可能ではないか、これが大本門寺構想として、日興已来、言われていたのではないかという議論は、かつて問答さんとした記憶があります。
私案ながら、やや具体的に記せば、その伽藍の中心は宝塔で、そこには題目が奉懸され、左右に釈迦多宝像、四菩薩を配し、四大天玉像を配します。高い山の上がよいでしょう。そして、その宝塔より下り、漫荼羅に記される菩薩像を祀るお堂、さらに各界を祀る、たとえば鬼子母神堂などをさらに下り配し、二つの垂迹堂に天照・八幡像を、そして、その前に日蓮御影堂を配し、山門の左右には不動・愛染像を祀る、そんな堂塔伽藍の配置が、わたしは大本門寺構想なのではないかと、その素描をもって、問答さんと議論をしたことがあったと思います。
ただ、その後、わたしの気分は、漫荼羅と仏像とは、表すところが違うと傾き、やや、この構想には醒めたものがありました。
以前にも記しましたが、この大本門寺構想では、けっして、造立できない像が一つあります。それは、「日蓮花押」という署名と判です。こればかりは、日蓮直筆の文字でなければ意味がなく、仏像化は不可能であるわけです。尤も、漫荼羅を大本門寺の堂塔伽藍の設計図とすれば、その筆写が日蓮であることを証する花押であれば、これは御影堂をもってすれば事足りることになります。
なお、過去の管見では、このような大本門寺構想を日興に遡源できると、わたしは考えていました。しかし、日蓮御筆大漫荼羅に「本門寺奉懸」を書き込んだ日興は、本門寺には漫荼羅を懸けることを意図していたことになります。この日興に加上しながら、しかし、漫荼羅を設計図の如きとする重須方の発想は、実は日興と齟齬を来している点は見逃せません。
257
:
天蓋真鏡
:2007/09/24(月) 20:28:00
寺の設計図にしては大雑把でしょう。 持ち運び便利な法華経解説図・鎌倉時代版(天台密教から法華一乗へ転換する導師)では無いかと考えます。
258
:
犀角独歩
:2007/09/25(火) 19:34:29
> 天台密教から法華一乗へ転換する導師
この意味がわかりません。
もう少し記してみてください。
259
:
天蓋真鏡
:2007/09/27(木) 21:33:02
ありがとうございます。指したる挙証がある訳では無いです。妙法漫荼羅供養事か何かで成仏得道の導師なりと書いてあったのがきっかけです。比叡山が密教化して僧兵が幅を訊かす末法の世相。日蓮聖人は加持祈祷よりは法華経の心を唱えさせる漫荼羅を法華一乗に導く師に準えていたのでは無いかと想います。
260
:
犀角独歩
:2007/09/28(金) 19:52:55
レス、有り難うございます。
天蓋真鏡さんが、真剣に日蓮とその信仰を追究されていることは伝わりました。
261
:
れん
:2007/10/05(金) 09:52:47
“大本門寺”という語は、ご存じの通り、文永十一年甲戌十一月日付けの蓮祖御筆漫荼羅(身延曽存)の興師添書「因幡国冨城五郎入道日常息寂仙房申与之、但可為大本門寺重宝也」と、弘安三年太才庚辰五月八日付け沙門日華授与の蓮祖御筆漫荼羅(京都本能寺蔵、安国会御本尊集目録第九十二番)の興師添書「甲斐国蓮華寺住僧寂日房者依為日興第一弟子所申与之如件、大本門寺重寳也」の二ヶ所に見られます。
日華師の住坊は富士上野にあり、一方、寂仙坊日澄師の住坊は重須にあったことは周知の通りですが、上野に住坊のある華師と重須にに住坊のある澄師に下付された宗祖御筆漫荼羅にそれぞれ“大本門寺重宝”と興師が記入されたのは、建立当初はその寺院経営上、上野は南条家、重須は石川家の氏寺としての色彩が濃いのは致し方ないにせよ、興師には所謂本門流布の暁には上野・重須の寺域はともに上下の差別なく“大本門寺”の寺域と位置付ける意図もあったのではないかと愚考しております。
つまり具体的に言えば、日華師への授与の漫荼羅への書き込みでは大本門寺(上野)塔中の寂日坊の重宝の意味であり、日澄師への漫荼羅への書き込みは大本門寺(重須)塔中寂仙坊の重宝の意味を帯びており、それぞれの坊のある上野・重須の寺域はとも流布の暁には“大本門寺”となるのが興師の構想であったのではないかというのが私の観測です。これ以外の興師の宗祖御筆漫荼羅への“本門寺”の書き入れは特定の寺院を指すというより、“本門ノ寺”つまり、宗祖の法華本門を宗旨とする寺院の意で、むしろ被授者の有縁の寺院で重宝として格護せよとの意味だと愚考するものです。
262
:
天蓋真鏡
:2007/10/05(金) 16:54:18
れんさん、知識情報ありがとうございます。 末法が終わるまで、漫荼羅は仏像と法華経経典と共に掲げておくのでしょうか?少なくても聖人君子が出現するまでは教義の核になるのでしょうか。平和憲法を堅持する日本は漫荼羅と法華経経典が要らなくなる日が来るのでしょうか。
263
:
犀角独歩
:2007/10/06(土) 09:12:02
れんさん
「本門ノ寺」とのこと、なるほどと拝読しました。
かつて顕正居士さんが二箇相承の「富士山に本門寺の…」という読み下しは間違いで、「富士山本門寺」であるとご指摘なさったことがありました。
つまり、山号としての富士山であるということです。こうして、富士門下の山号寺号を見直すと、実在するわけでした。となれば、まず、富士山本門寺が成立し、その後、由緒伝来が紡がれる段階で二箇相承の如き文書が捏造されていったと考えると合点がいくことになります。
しかしながら、日興に、迹門の戒壇に対して、本門の戒壇という発想があったとすれば、その脈絡から、迹門の寺に対して、本門の寺という発想があることはむしろ自然ということになります。この意味でれんさんが仰ることは的を射ていると、賛同します。
では、この本門の寺が、やがて本門寺という寺号に宛てられるときがやってきたこととなるわけですが、この変遷は、日興自身の段階であったことなのか、〔是一〕
ここで「大本門寺」というとき、これは本門寺を形容する意図としての大いなる本門の寺という意味合いから、寺号としては本門寺であるけれど、その偉大さを形容したものだと見るほうが自然と感じます。大本門寺という寺号は、本迹といった教学的な発想からすると、少し不自然と感じるからです。本迹であれば、事理で、迹門寺→本門寺→事本門寺といった名称が相応しいように思えます。しかし、名称としてはあまり似つかわしくはないとは感じますが。
れんさんは、「大本門寺」は寺号であるというお考えですか。〔是二〕
もし、よろしければ、以上2点に就き、ご賢察をいただければ、有り難く存じます。
264
:
れん
:2007/10/06(土) 19:12:18
天蓋さん、宗祖は「智者とは世間の法より外に仏法を行はず。世間の治世の法を能々心へて候を智者とは申すなり」(減劫御書)とのべ、興師は原殿御返事にて「内外の才覚無くしては国も安からず法も立ち難しとこそ有りげに候」と述べていますから、ただ蓮師の教えを信じていればよいという訳ではなく、平たく言えば社会の有為な人材として成長していくことも大切と考えます。
犀角独歩さん
ご質問の件ですが、たしかに“本門の寺”が後世の重須において寺号“本門寺”に宛てられたわけですが、特定の寺号としての“本門寺”は興師の段階には遡れないと考えます。興師は石山在住の日目を指して「西坊主」(西坊主御返事)と呼び、日目自身も自筆の消息に「にしの房日目」(与民部殿書)と自署しているところから、興・目両師の在世当時の大石寺は「西の房」と呼びならわされていた可能性が高いですね。重須の場合は興師が自ら“おもす大坊”(小三郎殿御返事)と自署し、開目抄要文の奥書では「正和六年二月二十六日於御影堂」龍三問答記の奥書では「正和五年閏十月二十日駿河國富士上方重須談所ニシテ以再治本書写了 白蓮七十一才」とありますが、重須在住時代の確実な興師自筆文書を精査しても、残念ながら重須の堂宇の特に寺号としての“本門寺”は無い訳です。ですので、私はこの“本門の寺”が本門寺という寺号に宛てられる時がやってきた時期は興師自身の段階ではないと考えます。重須文献でも、日興在世における成立(とされる文献)には上野や重須の特定の寺の寺号としての“本門寺”は見えませんが暦応五年の「表白文」には“本門寺学頭日順”と見えますから、南北朝時代初期、上野・重須それぞれが独自に寺院経営をし始めるその胎動期には特に重須は寺号“本門寺”を名乗り始めたのではと愚考します〈是一答〉
次に、“大本門寺”が寺号か否かですが、以上のことから興師の時点で本門寺の寺号を用いた確実な例が存在しないので、私の愚考では寺号ではなく、流布の暁に上野重須の寺域に建立すべき堂宇全体の総称という感じで、むしろ概念的な意味合いが強いものと推測します〈是二答〉
以上、ご参考になれば幸いです。
265
:
犀角独歩
:2007/10/07(日) 08:51:00
れんさん
ご教示有り難うございます。
恐縮ながら、もう一点、質問させてください。
日興・日目在世当時、大石寺は「にしの房」と呼び慣わされていたとするとき、『日興跡条々事』の「大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し、修理を加へ勤行を致して広宣流布を待つべきなり」という“大石寺”の成句は、どうでしょうか。真偽の問題も含めて、ご回答をいただければ有り難く存じます。
266
:
れん
:2007/10/07(日) 19:12:29
犀角独歩さん
大石寺の寺号の文献上の初見は日目師消息の“大石寺坊主事”(正本保田妙本寺蔵)の「一、伊賀房ハ武蔵房の謗法を申シ候処、彼ノ坊焼失する間、伊賀之所以とて武蔵房・伊賀房・性善共ニ追出候間、大石寺にハ人なく候」ですから、日目師在世には大石寺の寺号が存在したことは確実です。当消息が興師在世に書かれた可能性も高いと思われますので、上野の堂宇は先に記した興師筆・目師筆に見られる“西の房”とともに目師筆消息文に見える“大石寺”(おおいしのてら)と呼び言い慣われていたと推考します。
日興跡条々事については、未だ案文・正本ともに石山より公式に鮮明な写真が公開されていないので、真偽は何ともいえません。が、石山日時談“大石記”に「日代は数通の御譲状を持ちたりと云へども、既に迹門得道の上は争テか言ふに足るべけんや。其の上付法の旨は其ノ証拠をば上々の御事なり(中略)此ノ方にも上人の御筆を載せたるなり」とあり、この“此ノ方”(石山)の“上人の御筆”(つまり興師筆)とは現在の日興跡条々事をさす可能性が高いので、日時の時代には現在の正本案文または“原”日興跡条々事が成立していたことが分かります。これが、日行ないし日時の作成文書だとしても、その内容たる独自の日目師の位置付けは条々事の成立よりも先行する訳で、この日目師の位置付けがどの程度遡れるのか?興味深いものがあります。
取り敢えず、こんなところです。以上ご参考になれば幸いです。
267
:
犀角独歩
:2007/10/08(月) 21:51:45
れんさん、ご教示、有り難うございました。
大変に参考になりました。
268
:
しゅんかん
:2007/10/09(火) 13:40:35
石山に於いて、出征兵士へ石山云う処の本門戒壇の大御本尊の御守が在ったと
云うレスを拝見した様に記憶しておりますが
重須では鉄砲曼荼羅で在ったようです。
駿河國富士郡北山村
危難除鉄砲本尊御守
大本山 本門寺
富士山本門寺靈寶
鐵砲漫陀羅略縁記
日蓮聖人眞跡
此ノ鐵砲漫陀羅ハ徳川家康公武田勝頼ヲ征セントシ路駿河ヲ經北山邑ニ舘ス、時ニ本門寺住職日出公ニ竭ス、日出
歳八十八公其高齢ニシテ日出ノ佳字ナルヲ嘉ス以テ必勝ノ兆ナリトシ護身ノ守ヲ請フ日出乃チ漫陀羅ヲ呈ス
公之ヲ馬前ニ建ツ彈丸日蓮ノ花押中心ニ的中(本紙ニ顯然)シ以テ危難を逃ル、ヲ得タリ
實ニ天正十年三月廿八日ナリ仝年五月十日凱旋ノ砌リ公曰ク今般不思議ノ靈驗アッテ危難ヲ逃ル
是レ身代リナリト依テ永ク祈念アルベクトテ當寺に返附ス其報謝ハ所望スヘキノ命アリ依テ日出請フニ甞テ
武田ノ暴徒の爲メニ奪取セラレシ日蓮聖人眞筆百八十五品ノ穿鑿及用水ヲ請願ス公家臣ニ命シテ日蓮聖人眞跡
八十点取戻シ貳里餘ノ新堀ヲ開鑿シテ水路四十二石永代免除セラル今之ヲ本門寺堀ト稱シ數村此ノ水ヲ以テ
飲料及水田ニ供ス爾来名テ鐵砲漫陀羅ト尊稱ス 今般『日支事變ニ際シ皇軍出征将士武運長久』ノ祈念ヲナシ
并ニ軍人護身ノ御守トシテ此漫陀羅ヲ(三十六分ノ一)縮寫シ諸士ニ頒與スルモノナリ日蓮曰ク我カ魂を黒ニソメ
流シテ書テ候ソ信シサセ給ヘ佛ノ御意ハ法華經也日蓮カ魂ハ南妙法蓮華經ニ過キタルハナシ云々經文ニ曰ク
勇猛精進無有懈倦ト昔時外征ノ猛将加藤清正常ニ七字ノ名号ヲ唱フ曰ク我モ無事ナリ陣中モ亦無事ナリト諸士
復タ奮進シテ危難ヲ避クルコト疑ナキナリ 謹言
大日本帝國 静岡縣富士郡北山村
昭和十二年八月 大本山 富士山本門寺根源
(御本體謹寫) 本門寺根源印
269
:
犀角独歩
:2007/10/09(火) 21:52:14
しゅんかんさん
268は、何に書かれた文章でしょうか。出典を挙げていただけませんでしょうか。
270
:
しゅんかん
:2007/10/10(水) 10:17:04
独歩さん
お久しぶりです。
御守(危難除鉄砲本尊御守)そのものです。
駿河國富士郡北山村
危難除鉄砲本尊御守
大本山 本門寺
※追記、朱による鶴丸印
上記は御守の包み紙です。
富士山本門寺靈寶〜(御本體謹寫) 本門寺根源印までは鉄砲本尊御守の裏書き文です。
御守本尊は四つ折りされておりまして写し部寸法は、幅6.8Cm×丈14.5Cmです。
裏書き本文「(三十六分ノ一)縮寫シ」には当て嵌まっていません?
(御本尊集、幅46.4Cm×91.7Cm)
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/016.html
又、御本尊集より全体的に暗いです
表装の一文字部が写っておりますが亀甲に三つ葉葵紋らしき物が僅か見て
取れるます(現物を拝見した事がございませんから三つ葉葵は私の先入観に
拠るものかもしれません)
271
:
犀角独歩
:2007/10/10(水) 18:22:18
しゅんかんさん
有り難うございます。
参考になりました。
たぶん、コピペ・ミスだと思いますが、鉄砲漫荼羅は、以下です。
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/033.html
石山の彫刻本尊は小笠原慈聞氏が、これをなしたという話がありますが、三学無縁さんに拠れば、その現物に当たれず、ガサネタではないかということでした。
いっぽう、ご指摘の御守は、現物があるわけですか。なかなかすごいお話だと思いました。参考になりました。御礼申し上げます。
272
:
偶ロム偶ログ
:2007/10/10(水) 23:23:38
>独歩さん
ガサネタではなくガセネタです。
ガセネタは、信憑性の無いお騒がせネタ。
ガサネタ、これは、ごく一部で使われていますが、十羽一絡げのどうでもいいようなネタ。
273
:
しゅんかん
:2007/10/11(木) 01:33:25
独歩さん
ご指摘ありがとうございますコピペ・ミス致しました。
そうですか、どちらのレスを拝見したのか失念いたしましたがガセネタの可能性が
ある理由ですか。
>ご指摘の御守は、現物があるわけですか。
〇はい、私の手元にございます。
>なかなかすごいお話だと思いました。
〇宝の持ち腐れですね、裏書文は私もこちらの掲示板を拝見させていただき独歩さん
はじめ諸賢方々から御教示いただき知るところですが、私には字面のみしか読み取れ
ないのが現状です。
こちらのスレッドとは関係がございませんが「顕正会の実態を検証する」
の750〜757は私の知るところではございません。
274
:
ふうてん
:2007/10/23(火) 15:52:34
臨滅度時の本尊について教えてください。
この御本尊は弘安三年三月建立と聞いています。
立正安国会の御本尊集にも、そのようになっています。
ただ下のページを見ますと十月となっています。
http://www.houonsha.co.jp/jiyu/11/374.html
どっちが正しいのでしょうか。よろしくお願いします。
275
:
れん
:2007/10/23(火) 16:17:09
ふうてんさん
臨滅度時の御本尊についてですが、ご紹介のHPの年記は誤りで、立正安国会の方の年記が正確なものです。立正大学の中尾先生の著書によると、本紙の裏には日朗上人の花押があるとのことで、当御本尊は日朗上人に授与されたもので、その大きさから、相当の大きさの堂宇に安置されることを想定して御図顕されたものと推考されます。取り急ぎご参考まで。
276
:
ふうてん
:2007/10/23(火) 19:51:13
れんさん どうもです。
そうですか、立正安国会の方が正しいのですね。
>当御本尊は日朗上人に授与されたもので
これは知りませんでした。なんか、十枚綴りで作成されているようですね。
五尺三寸三分となってました。人間の背丈くらいの大きさですね。スゴイ。
どうも、早急なお返事ありがとうございました。
277
:
犀角独歩
:2007/10/24(水) 07:45:58
れんさん
中尾堯師の監修で、妙本寺が発刊した『妙本寺文書』には仰るように「日朗菩薩之御筆ニテ御日号花押有之」とあるようですね。しかし、たとえば『白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事』から考えると、日興が加筆し仮に花押をなしたところで、その授与者を決めるのは、やはり本人の授与書ですね。
その意味で、いくら裏に「日朗花押」とあっても、授与者が日朗ということにはならないと思いますが、如何ですか。むしろ、なにがしかの経緯で日朗の所有になり、署名書き判をなしたと考えるほうが至当ではないでしょうか。
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/siryoshu/mandara81uragaki.jpg
(直接、ジャンプしません。アドレバーにコピペしてください)
278
:
犀角独歩
:2007/10/24(水) 07:49:42
【277の補】
本人の授与書>日蓮の授与書き
279
:
れん
:2007/10/24(水) 17:39:21
中尾氏が蓮師の漫荼羅について書いた本(書名失念)ではそのように解説してましたので、何ら検討することなく、臨滅度時の裏に日朗花押とあることをもって、朗師授与と即断してしまいました。
としますと、安国会目録第17番の通称朗師加判の御本尊も臨滅度時と同様のことが言えそうですね。
御批正有難うございました。
280
:
犀角独歩
:2007/10/25(木) 03:34:37
れんさん
安17ですか。『御本尊集目録』に「加判ノ本尊安置ノ所ヲ本意ノ寺ト定候也」(P26)という日朗の『報曽谷殿書』の一文が現存するわけですね。
日付の応長元年は1311年、日蓮遷化からちょうど30年目に当たる年ですね。一如日重が『見聞愚案記』に「朗師ノ御筆ニテチイサク御判ヲ遊バシテ永仁元年十一月廿七日トアリ」(同)という永仁元年は1293年、遷化12年ということは、数えでいえば十三回忌に当たるということでしょうか。この年号はいまは見られないとのことですが、年忌をもってしたとすれば、証憑性を感じます。また、日朗の人柄も偲ばれる話ということになります。
仮にこの記述を信頼することにします。曽谷教信といえば、日蓮大壇越ですし、本弟子日朗がその人物に送った書状であれば、日朗の加判は門下において何ら批判されることではなかったと想像できますか。となれば首題直下の署名花押の原形といえることができることになるでしょうか。しかし仰るとおり、この漫荼羅が日朗授与であるという証拠はありませんね。意味するところは別にあると思えます。
日朗自身が漫荼羅は書いているわけで、それとは別に日蓮御筆大漫荼羅に署名花押をなしたうえ、その安置寺院を「本意ノ寺」とするということは、漫荼羅の用途がここで聖筆をもってすること、自ら書してすることの二様であったのを物語っているように思えます。本意寺とは、日興でいえば「奉懸本門寺」「重宝」といったところでしょうか。
興味が尽きないところです。
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/017.html
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/_geo_contents_/nenkihyo.html
http://www.mitene.or.jp/~hokkekou/hujinennpyou/hujinennpyou2.htm
281
:
ふうてん
:2007/10/25(木) 08:47:43
臨滅度時本尊に記載の鬼子母神は鬼子神になってるようですが、
これは私の見間違えですか?それとも、鬼子神は鬼子母神の略なんでしょうか。
つまらん質問ですみません。
282
:
犀角独歩
:2007/10/25(木) 09:37:43
ふうてんさん
はじめまして、でしたか。
ご投稿のとおりで、中尾師は「御祖師様の書き間違え」と講義で聞いた覚えがあります。実際のところはどうでしょうかね。
283
:
ふうてん
:2007/10/25(木) 11:16:26
犀角独歩さん、お返事ありがとうございます。
なんと書き間違えですか。
こういう誤筆本尊って他にもあるのでしょうか?
お弟子さんも指摘しなかったのかな(^_^;)
あとから母の字を書き加えるってこともしないのですかね。
いや、これは冗談です。
ところで臨滅度時本尊は正宗では真跡と認めているのでしょうか?
なんか、この本尊に関しては物語的なものが多くて。
284
:
犀角独歩
:2007/10/25(木) 19:48:46
ふうてんさん
> こういう誤筆本尊って他にもあるのでしょうか?
まあ、これを誤筆といってよいかどうかはわかりませんが、わたしはこの点、余り意識しないできました。れんさんや、パンナコッタさんのほうが、よほど、お詳しいかと存じます。
なお、れんさんが挙げられた安17の備考に「四大士の位次が通例と異なる」(P25)と記し、さらに安26を挙げ「右方を『無辺行菩薩、上行菩薩』と次第したまい、全く通例と逆になっているが、妄りに凡慮を以て聖筆を忖度することは慎むべきであろう」(P26)と記しています。余談ながら、この大漫荼羅は日興『白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事』に載ります。
> …臨滅度時本尊は正宗では真跡と認めているのでしょうか?
特にこの本尊を批判した文書はなかったように思います。ただし、この「臨滅度時」という点については、もちろん、異論は立てていたと思います。
わたしもこの点は、こちらの掲示板のどこかで記したと思います。
池上で、いよいよ最後を迎えんとするとき、身延に取りに行かせたといった物語ですね。この点から、少なくともいくつかの矛盾が浮かびます。
漫荼羅本尊が正意であるという考えからするなら、日蓮が身延を出発するとき、肝心の本尊を持たないで出たということなります。また、波木井日円から馬を借り、その馬上で既に日蓮は二度と身延に戻れないことを悟っていたという物語りながら、ならば、何故、その時点で臨滅度時と定めた本尊を持参していかなかったのかという疑問も生じます。
こうした点を、創価学会だったか、石山だったかが、どこかに書いていたかもしれません。自分で考えたこと思ってきたのですが、どうも記憶が曖昧です。いずれにしても、臨滅度時は、創作物語であろうと考えます。ただし、だからといって、この本尊の価値が下がるということではありません。
> なんか、この本尊に関しては物語的なものが多くて。
特に近代、取り沙汰された話から出来上がっていったことも多くあるわけですね。宗定本尊などというわけですが、そもそも「日蓮宗」という呼称自体、近代はじめられたわけです。尤もこの点も、たしかこちらでは記しましたが、この「日蓮宗」という熟語は、日眼、日順に係る文書で既に見られました。また、日寛、日量でも、その使用が見られました。案外言い出しは富士門下かも知れません。
まあ、立派な本尊ですから、これを重視するのはわかります。
余談ながら、先に独歩の会の夏季合宿で島田裕巳師に話してもらいましたが、日蓮への興味が固まったのは大日蓮展でこの本尊を見てからだと仰っていました。わたしもこの本尊は印象的です。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51065460.html
http://www.nittsu.co.jp/supp/2003zenhan/nichiren/nichiren_1.htm
285
:
ふうてん
:2007/10/26(金) 11:30:19
犀角独歩さんへ
> なお、れんさんが挙げられた安 17 の備考に「四大士の位次が通例と異なる」
確認しました。たしかに逆になってますね。ところで、鬼子神などというのは、
よく御書に妙法華経とか略して書かれてあるのと同義なのかなと思った次第です。
> 池上で、いよいよ最後を迎えんとするとき、身延に取りに行かせたといった物語ですね
そうなんですか。すこし笑っちゃいました。失礼。
> 妄りに凡慮を以て聖筆を忖度することは慎むべきであろう
そうですね。私もこれ以上の詮索は慎みたいと思います。
286
:
パンナコッタ
:2007/10/26(金) 16:21:56
ふうてんさん、初めまして。
自分は詳しくはないのですが、"蓮祖聖人の覚知した世界観"という事であり
略したのか書き損じなのかは正直不明で、"その様な勧請"として
700年以上経っているのが現実ですね。
守護国家論や開目抄等にみられる"妙法華経"のニュアンスに、近いのかもしれませんね。
(ただ、法師品や見宝塔品等の経文引用は、そのまま)
また誤筆ではないのですが、四隅の四天玉勧請を方角的に捉えれば、
よっぽど奇妙ですね。(これに関しては独歩さんの秀逸な考察がブログにありました)
No,38・39・40のような例もありますから二天勧請が基本で、音写表記が方角、
通常表記が世界観 などと考えられもしますが、よく解らないのが実情ですね。
287
:
犀角独歩
:2007/10/26(金) 17:18:06
ふうてんさん
> 詮索は慎みたい
いえ、わたしが山中師の一言を引いたのは、日蓮を仏菩薩であるから間違いなどないと妄断妄信したり、また、「どうせ、人間だから間違いもある」といった短絡的な決め付けをせず、詳しく考証をし、事実を明らかにしていくことが大切であるという意味です。その意味で真摯な探求であれば大いにけっこうであろうかと存じます。
パンナコッタさん
いつもご高覧有り難く存じます。
ご紹介ついでに宣伝させていただきます。
【試論】四大天玉の図示の位置について
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50543409.html
288
:
ふうてん
:2007/10/27(土) 10:58:48
パンナコッタさん どうもです。
>また誤筆ではないのですが、四隅の四天玉勧請を方角的に捉えれば、
犀角独歩さんのページ読ませていただきました。なるほど、二次元に三次元を現出させるべく
大聖人が知恵をだされている模様がよくわかりました。<(_ _)>
289
:
約6年ぶりの投稿
:2007/11/02(金) 23:49:12
すいません。昔過ぎて、自分のハンドルネームも忘れてしいました。
>臨滅度時・・・「鬼子神」の間違い
これは、中尾さんが臨滅度時の真筆を前に語っていた場所に偶然居合わせましたので、
中尾さんが言っていたことは明確に覚えています。
「これはですね〜、日蓮さんも間違えることがあるということでしょうね。
その証拠が、南無妙法蓮華経の蓮の字のしんにょう部分です。
このしんにょうは『ピョン』と跳ね上がっているでしょう。
これはですね、全ての十界を書き終えて、仕上げの題目を書き始め、
蓮の字に差し掛かった時に、「鬼子神」が目に飛び込んできて、
『しまったあ!!!母の字を抜かしてしまったあああ!!』と言って、
思わず筆が跳ね上がってしまったんですよ」
と言っていました。しっかりと覚えていますよ。
あの臨滅度時の蓮の字のしんにょう部分には、妙本寺の伝説がありまして、
戦国時代、上杉家と佐竹一族の戦争に巻き込まれた妙本寺は大火災に遭って、
時の住職「日カン」(字を忘れました)が、
「臨滅度時の御本尊だけは守らなければ!!」と、山の上にある井戸に
隠したところ、たちまちのうちに大蛇が空高く舞い上がり雨雲を作って
大雨を降らし、大火災を消したという伝説で、「よかったよかった」と
臨滅度時本尊を取り出してみたら、しんにょうが「蛇の形」に変わって
いたという伝説です。
ですので、臨滅度時本尊は、別名「蛇形本尊」と言われているのでした。
こんなおとぎ話はどちらでもいいのですが、中尾さんの説明もどうかと思いました次第です。
>日朗と書いてある
あれは日蓮の字ではないと思います。
勝手な推測ですが、字が違います。
290
:
犀角独歩
:2007/11/04(日) 10:17:20
> 289
この語り口には記憶があります。たぶん、わたしもこの講義を聴いています。ご紹介の内容については触れていませんが、以下であったと思います。
中尾堯師『日蓮聖人「大曼荼羅本尊」について』 聴講
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/25499393.html
>> 日朗と書いてある
> あれは日蓮の字ではない
それは、先に挙げた資料に
「日朗菩薩之御筆ニテ御日号花押有之」
とあり、日朗の字であるとしています。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1114674169/277
291
:
ふうてん
:2007/11/04(日) 18:39:12
約6年ぶりの投稿さん
> これはですね、全ての十界を書き終えて、仕上げの題目を書き始め、
なるほど、本尊というのは先に題目を書くのかと思ってましたが、最後ですか。
知りませんでした。
292
:
ふうてん
:2007/11/04(日) 19:02:55
犀角独歩さん
> わたしがもっとも驚いたのは、蓮師の筆法の特徴を為す、文字の「髭」、も
> しくは「光明点」と称される画を長く伸ばし書いた部分は、あとから書き足
> したものであるという指摘だった。「南無妙法蓮華経」の文字は、長く伸ば
> された画まで、一挙に書かれたものであると思い込んでいたが、さにあらず、
> いったん、書き終えたあとで、書き足したものであるというのだ。
私も驚きです。マジですか。X線なんかで見るとよく分かるのですかね。
今度、じっくりと拝してみます。
293
:
犀角独歩
:2007/11/04(日) 23:04:27
ふうてんさん
髭の書き足しは、鮮明な御筆大漫荼羅の写真があれば、確認できますよ。
もう一点、わたしがびっくりしたのは、ボロン字花押の段階で顕著なことですが、かなり何回も書き足したり、なぞったりしていますよ。これは、たぶん、書き順を消すためなのか、あるいは形を整えるためなのか、わかりませんが、日蓮の漫荼羅の書き様は、実に自由闊達です。
以下は、そんな論攷のいったんです。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50864173.html
294
:
ふうてん
:2007/11/05(月) 10:53:02
犀角独歩さん
> 髭の書き足しは、鮮明な御筆大漫荼羅の写真があれば、確認できますよ。
さきほど確認しました。たしかに言われてよく見ると書き足したあとが見られますね。
> もう一点、わたしがびっくりしたのは、ボロン字花押の段階で顕著なことですが、
やはり花押はボロン字ですか。「妙」をくずしたものだとか「鑁」をくずしたものだとか、
色んな説がありましたけど。
あと、これも光明点でしょうか。日蓮の「日」文字と、題目の「法」文字にかかる点が、
2点の場合と1点の場合がありますね。大聖人の場合は時代とともに変遷するのは
分かるのですが、石山歴代猊下の場合にも、2点、1点、無点とあり、どういう決まりで
書写しているのかが分からないのですよ。
まさか気分次第ということはないと思うのですが。(^_^;)
この場合、蓮の字の辶の点はカウントしていません。
かにか情報をおもちでしょうか。
295
:
犀角独歩
:2007/11/05(月) 17:21:47
ふうてんさん
> やはり花押はボロン字ですか
この点、わたしもけっこう疑って、しつこく食い下がったのですが、いまのところ、後期は、まあ、ボロン字だろうと、“いまのところは”書いています。ただし、前期は「摩尼」であると考えています。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50832258.html
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50833446.html
石山住職の本尊に関しては、大縫さん、独学徒さん、れんさんほか諸賢のご教示を寧ろ、わたしもお聞きしたいと思います。
296
:
パンナコッタ
:2007/11/05(月) 20:48:36
横レス、失礼します。
墨の濃淡が、わりあい解りやすい本圀寺のの画像を再掲。
http://butuzou.com/honkokuji/original/picture/007.html
http://butuzou.com/honkokuji/original/picture/005.html
辶の``は、蓮祖の特徴の一つなのですが、どうなんでしょう。
参考として、本尊三度相伝
「日蓮の蓮のそばに点を打つ事則有想無想の二点なり、是れは字点を表するなり云云」
御本尊七箇相承
「日蓮の蓮の字に点を一つ打ち給ふ事は天目が点が一つ過ぎ候なりと申しつる間・亦た一点を
打ち給ひて後の玉ひけるは・予が法門に墨子を一つ申し出す可きものなり、
さてこそ天目とはつけたれと云云」
なんてのがありますね。
池上のNo.102が、千部会の時に公開されると思いますので、
実際に間近でご覧になった方が良いのではないでしょうか。
蛇足ですが常連さん達、見学オフの時みんな拝んじゃっていましたよ。
そのくらい、圧倒的な迫力がありました。
297
:
ふうてん
:2007/11/08(木) 18:24:03
バンナコッタさん
> 墨の濃淡が、わりあい解りやすい本圀寺のの画像を再掲。
鮮明ですね。かなり保存状態がいいみたいですね。
ところで、石山歴代で、法の字に2点打ってる猊下はご存じですか?
下の蓮の字の辶をいれると3点となります。
よろしくお願いします。
298
:
パンナコッタ
:2007/11/09(金) 13:23:25
ふうてんさん、いくつか独学徒さんの談義所にあったような(定かではありませんが)。
http://ip1.imgbbs.jp/read3/fujikyougaku/index.html
やはり大縫さん、れんさん、独学徒さん などの諸賢の書き込みを待った方が良いみたいですね。
299
:
ふうてん
:2007/11/10(土) 18:43:03
パンナコッタさん
> いくつか独学徒さんの談義所にあったような(定かではありませんが)。
そちらをあたってみます。ありがとうございます。
300
:
ふうてん
:2007/11/10(土) 18:45:12
日目上人の御本尊について教えてください。
http://kissho.xii.jp/1/src/1jyou19256.jpg
上記の御本尊の書写年月日が、うまく読み取れません。
元○三年十月十三日?
正確な年月日をご存じの方、よろしくお願いします。
あと、授与者も分かりましたらお願いします。
301
:
れん
:2007/11/10(土) 18:47:14
一応、奉蔵於奥法寶にて確認しました。
開山興師は、首題の蓮の点は二個ですが、最晩年は省略されている印象があります。日蓮の蓮の点はほぼ一貫して二個です。三祖目師の御本尊は正中三年卯月日の御筆は首題と日蓮の蓮字の点は一個。正慶二年二月彼岸の御筆は首題の蓮字は一点、日蓮の蓮字は二点。元弘三年十月十三日の御筆は首題の蓮字・日蓮の蓮字はともに二点でした。道・行二師も首題・日蓮の蓮字ともに二点。時師は至徳四年七月のものは首題の蓮字は二点、日蓮の蓮字は三点。応永九年以降のものは首題・日蓮の蓮字はともに三点です。影師は首題・日蓮の蓮字はともに二点、日有も二点です。
このように俯瞰してみますと、案外、石山上代においても、時の住持により違いがあり、蓮の点について、厳格な伝承みたいなものはなかったようですね。
302
:
ふうてん
:2007/11/10(土) 19:02:47
すみません、うまく表示されませんね。
http://kissho.xii.jp/1/
上記の掲示板の 1jyou19256.jpg です。
よろしくお願いします。
303
:
れん
:2007/11/11(日) 20:55:24
ふうてんさん、はじめまして。
お尋ねの目師御筆御本尊についてですが、御提示の脇書の年月日から元弘三年(1333)十月十三日「日目弟子大学民部阿闍梨日盛授之」の漫荼羅と思います。
取り急ぎですが、ご参考まで。
304
:
ふうてん
:2007/11/12(月) 10:16:49
れんさん はじめまして。
色々調べてくださりありがとうございます。
おや、3点のもあるんですね。
> このように俯瞰してみますと、案外、石山上代においても、時の住持により
> 違いがあり、蓮の点について、厳格な伝承みたいなものはなかったようですね。
取り決めのようなものがあるのかと推察していたのですが、どうも猊下の自在
のようですね。
> お尋ねの目師御筆御本尊についてですが、御提示の脇書の年月日から元弘三
> 年(1333)十月十三日「日目弟子大学民部阿闍梨日盛授之」の漫荼羅と
> 思います。
こちらも情報ありがとうございました。<(_ _)>
305
:
鳥辺野
:2008/01/08(火) 19:07:17
本日、久々に京都要法寺へ行ってまいりました。
しゅんかんさん
お久しぶりです。
以前(どのスレッドか忘れてしまいましたが、)本堂の御影尊像後方の板曼荼羅について、本日お寺の方にお聞きしました。板曼荼羅は日興師の曼荼羅を板にしたものとのことでした。また客殿の板曼荼羅も別の日興師の曼荼羅とのことです。尚ベースになった曼荼羅の書写年月日は調べないとわからないとのことでした。以上ご返事が遅くなってしまい申し訳ありません。
306
:
しゅんかん
:2008/01/11(金) 17:35:19
鳥辺野さん
お久しぶりです。
覚えていて下さったんですね、有難う御座います。
そうですか、要山に於ける興師への想いが窺えますね。
>以前(どのスレッドか忘れてしまいましたが、)
〇身延相承書と池上相承書について、のNo173で御座いました。
私は昨年は6月の上旬と12月の上旬に訪れました。
6月には、お名前は存じ上げておりませんが、何時もお聞きする御僧侶さんに「御歴代墓?・・・」
とお訊ねした処、実報寺とお教え戴き行って参りましたが、鳥辺野さんのHNの由来地だったんですね。
自由に近くまで参られないのが残念でした。
12月は時間の余裕が無くじ寺務所へ顔出しが出来ませんでしたが鳥辺野さんの参拝とは
約1月ほど間が在りますね、鐘楼工事は進んでいた事でしょうね。
完成は4月でしたか?私の場合、全く何も無く基礎を掘っておられました(寂しい)
完成が楽しみですね(^^)
307
:
鳥辺野
:2008/01/11(金) 21:57:50
しゅんかんさん
お久しぶりです。
>身延相承書と池上相承書について、のNo173で御座いました。
そうでしたか・・。見つけられませんでした。申し訳ありませんでした。
鐘楼ですが、三月末日竣工予定で、お披露目の法要は、五月八日とのことです。
私も瓦一枚寄進してまいりました。
308
:
しゅんかん
:2008/01/12(土) 00:41:36
鳥辺野さん
5月8日は木曜日ですね(残念)
>私も瓦一枚寄進してまいりました。
〇あっ!されましたか、それは良かったですね。
総門側に白テントを張り寄進者の芳名を記された瓦を拝見しました。
以前、末寺に於いて修復を募る振込票を戴いてましたが出さずじまいでした、
本山でそれを見て自ら名を書き込めるのかも、と思い懐をさぐったのですが
恥ずかしいことに余り持ち合わせていず引き上げたしだいです。
309
:
鳥辺野
:2008/01/12(土) 01:43:27
しゅんかんさん
>5月8日は木曜日ですね(残念)
この日は日尊師の開山会の日ですので、これにあわせるそうなんです。日祝なら沢山の人が訪れるかもしれませんね。
310
:
彰往考来
:2008/04/15(火) 13:31:16
掛け軸売れない男性を恐喝未遂 4人逮捕<4/14 13:00>
10億円で掛け軸を販売するよう持ちかけ、販売できなかった男性から現金を脅し取ろうとしたとして、警視庁は元暴力団組員の男ら4人を逮捕した。
恐喝未遂の疑いで逮捕されたのは、元暴力団組員・芳賀初美容疑者(60)ら4人。調べによると、芳賀容疑者らは去年10月、会社役員の男性に仏教の世界を表現した「曼陀羅(まんだら)」の写真を見せ、「これは日蓮が描いた本物だ。10億円で売りたい」などと、購入者を見つけるよう依頼した。しかし、男性が見つけられなかったため、「ぶっ殺すぞ。わびろ。300万円払え」などと、現金を脅し取ろうとした疑いが持たれている。
調べに対し、芳賀容疑者らは「曼陀羅に手を出さなければ良かった」などと話している。
http://www.news24.jp/107235.html
http://news.tbs.co.jp/20080414/newseye/print3827930.html
311
:
天蓋真鏡
:2008/05/14(水) 22:13:55
蓮祖・大小様々な漫荼羅・法華一乗道場結界、門下・日蓮教学の共通認識項
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