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蓮祖及び門下の曼荼羅について
266
:
れん
:2007/10/07(日) 19:12:29
犀角独歩さん
大石寺の寺号の文献上の初見は日目師消息の“大石寺坊主事”(正本保田妙本寺蔵)の「一、伊賀房ハ武蔵房の謗法を申シ候処、彼ノ坊焼失する間、伊賀之所以とて武蔵房・伊賀房・性善共ニ追出候間、大石寺にハ人なく候」ですから、日目師在世には大石寺の寺号が存在したことは確実です。当消息が興師在世に書かれた可能性も高いと思われますので、上野の堂宇は先に記した興師筆・目師筆に見られる“西の房”とともに目師筆消息文に見える“大石寺”(おおいしのてら)と呼び言い慣われていたと推考します。
日興跡条々事については、未だ案文・正本ともに石山より公式に鮮明な写真が公開されていないので、真偽は何ともいえません。が、石山日時談“大石記”に「日代は数通の御譲状を持ちたりと云へども、既に迹門得道の上は争テか言ふに足るべけんや。其の上付法の旨は其ノ証拠をば上々の御事なり(中略)此ノ方にも上人の御筆を載せたるなり」とあり、この“此ノ方”(石山)の“上人の御筆”(つまり興師筆)とは現在の日興跡条々事をさす可能性が高いので、日時の時代には現在の正本案文または“原”日興跡条々事が成立していたことが分かります。これが、日行ないし日時の作成文書だとしても、その内容たる独自の日目師の位置付けは条々事の成立よりも先行する訳で、この日目師の位置付けがどの程度遡れるのか?興味深いものがあります。
取り敢えず、こんなところです。以上ご参考になれば幸いです。
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