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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について
720
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2006/03/28(火) 07:19:47
719の続きです。
骨董の世界では偽物を本物と判断するより本物を偽物と判断するほうの罪が重いとされます。今回の愛染感見記と不動感見記のケースでも、蓮祖のご真筆である可能性がある(私はホンモノと思っています)わけでそれを偽作と判断するのであれば、それは慎重になされるべきです。愛染感見記と不動感見記は山中喜八氏の『御本尊集』に入集しています。これは山中氏がご真筆と判断していることを意味します。山中喜八氏の『御本尊集』は極めて厳密であり、ここに入集している御本尊についてご真蹟ではないと判断するのはなかなかできるものではありません。
では、愛染感見記と不動感見記でなぜ書き方が異なるのでしょうか。「大日」における「大」字の第三画目(左上から右下へ)がそのまま反転して「日」字と繋がっている書き方は第112〜116番本尊にもみられます。特に第112〜115番本尊は弘安4年10月の御図顕で、「随集御本尊写真によれば弘安四年十月以後の御筆蹟は急に乱れ、十二月に入って立ち直ってゐる。これは御病気の為」(『富士門徒の沿革と教義』271頁)とあるように御病気中の図顕で、松本氏は「丸型のほうが書き易いとみえて、乱筆の四鋪(引用者注:第112〜115番本尊)は皆弓形か曲がり尾」(『富士門徒の沿革と教義』219頁)と指摘しています。つまり力を入れない書き方をされているのです。このことから、愛染感見記と不動感見記ではまず、不動感見記が書かれ次に愛染感見記が書かれたのですが、愛染感見記の際には疲れが見られ力を入れない書き方をされたためと考えれば納得することはできます。
以上、種々例を挙げて説明いたしました。これらのことから私は愛染感見記と不動感見記をご真筆と考えています。愛染感見記と不動感見記は日蓮関係の学者では、山中喜八氏、稲田海素氏、宮崎英修氏、中尾堯氏、堀日亨氏などそうそうたる人たちがご真筆と判断されています。この方々は「約束事」をご理解されていたが故のご判断でしょう。筆跡鑑定や真贋を議論したいのであれば、少なくとも下記の書籍程度は勉強すべきですし、何よりもホンモノに接し(写真集だけではダメですよ。美術館の絵でもよいのでホンモノを見るべきです)自分自身の感性を高める必要があります。
<参考資料>
①松本佐一郎『富士門徒の沿革と教義』昭和54年復刻(初版:昭和43年)、大成出版社
②町田欣一・今村義正『全書 捜査・鑑識の科学 第3巻 文書・心理鑑識』昭和35年、日本評論新社
③瀬木慎一『真贋の世界』1977年、新潮社
④張珩ほか『書画鑑定のてびき』1985年、二玄社
⑤中島誠之助『鑑定の鉄人』1995年、二見書房
⑥中島誠之助『骨董の真贋』1996年、二見書房
⑦三杉隆敏『真贋ものがたり』1996年、岩波書店(岩波新書)
⑧中島誠之助『ニセモノ師たち』2001年、講談社
⑨魚住和晃『現代筆跡學序論』平成13(2001)年、文芸春秋(文春新書)
⑩大宮知信『お騒がせ贋作事件簿』2002年、草思社
⑪増田孝『書の真贋を推理する』2004年、東京堂出版
⑫佐藤進一『花押を読む』2000年、平凡社
蓮祖のご真筆の真贋を議論するのであれば、特に①と②は必読でしょう。最後に自分自身への自戒を込めて一言。ヘタな素人判断は慎むべきです。
by 彰往考来
※今週は海外出張予定のため、ご質問などにお答えするのが遅れます。ご了承ください。
721
:
鳳凰
:2006/03/28(火) 11:41:56
>彰往考来さん、
種々ご教示ありがとうございます。大変勉強になりました。
私も再度勉強をし、質問があればレスさせて頂きます。
ご多忙中にも関わらず、ご親切、かつ、ご丁寧にありがとうございました。
722
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2006/03/31(金) 07:38:19
>721鳳凰さん
無事日本へ帰ってきましたので、ご質問があればどうぞ。
彰往考来
723
:
きゃからばあ
:2006/03/31(金) 09:53:00
彰往考来さん、おかえりなさい。
そしてご無沙汰しています。
ところで、『愛染感見記』と『不動感見記』ですが、なぜ図画を必要としたのでしょうか?
たしかに図画等にすれば、わかりやすいのですが、それならば他の御遺文にあってもいいような気がします。
単純な疑問でスミマセンが、ご意見をお聞かせください。
724
:
ニセ本尊
:2006/04/02(日) 09:16:16
板本尊伝説【昭和】
1.1945年(昭和20年)6月17日未明、大石寺の大書院から出火、またたくまに大坊と客殿を焼き尽くし時の法主(62世日恭)は焼死した。
御隠尊猊下(61世日隆)は、戦争から板本尊を守るため、以前住職を務めていた東京の某寺院の法華講員を呼び寄せた。
当時は、アメリカ軍が富士山を目指して上陸してくるという噂も飛び交っていたこともあり、一方、東京の下町は3月の大空襲以降は、
もう目立った目標物もなく、かえって安全と思われた。終戦間際という大変な時期に、車で来いというのだ。なぜ車か?
それは重さ200kgはあろうかという板本尊を密かに運び出し、某寺院の境内に埋めて守るという計画だった。
宗務院の重役の中でも、極一部の者しか知らないこの計画は、秘密裏に実行されおよそ1年間、秘密は保たれた。
725
:
ニセ本尊
:2006/04/02(日) 09:19:12
板本尊伝説【昭和】
2.日蓮正宗では、9世日有の時代に、板本尊を大石寺から別の場所に移して守ったという伝統があり、
計画そのものは何の障害も無く実行された。
当時、創価教育学会は壊滅し、何の役にも立たず、戸田城聖にも知らされない話だった。
それから約半年後、次期法主(63世日満)が決定すると、ふたたび秘密裏に板本尊を本山に戻すことになった。
しかし、ここで思わぬ事態が勃発する。某寺院の境内に埋めて置いた板本尊(楠の半丸太)の下部が、
なんと腐ってしまって3分の1以上が脱落してしまったのだ。
昭和21年のことである。戦争のため物資が乏しい中、なんとか油紙で包んで大事に土に埋めて置いたのだが、
埋めた場所が隅田川の近くであり、水分を多く含んだ土壌だったために、わずか半年という短い期間で
腐ってしまったのだ。
726
:
ニセ本尊
:2006/04/02(日) 09:20:26
板本尊伝説【昭和】
3.上野の赤沢朝陽の社長は大変な苦労して、およそ半年の歳月を掛けて板本尊の復元を行った。
彼は一級の技術を持つ本物の佛師だった。復元に当たっては、当時法道院にあった日禅授与本尊、
および明治44年に出版された日蓮聖人という本に掲載された戒壇の大御本尊の写真が使用された。
この写真は第二次大戦中にお守りとして、多くの法華講員が所持していた。こうして昭和21年に
復元された戒壇の大御本尊は、もちろん750年前の板本尊と呼ぶことは出来ない。
727
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2006/04/02(日) 14:35:52
>723きゃからばあさん
お久しぶりです。
>『愛染感見記』と『不動感見記』ですが、なぜ図画を必要としたのでしょうか?たしかに図画等にすれば、わかりやすいのですが、それならば他の御遺文にあってもいい
かなり難しいお問い合わせですね。結論からいうと私にはよく解らないということなのですが、あえて愚論を述べるなら、絵は解りやすい反面、真実を伝え難いため多用されなかったのではないでしょうか。例えば「富士一跡門徒存知事」に
「一、聖人御影像の事
或は五人といい、或は在家といい、絵像木像に図し奉る事在在所書其の数を知らず、而(しか)し面面各各不同なり。爰(ここ)に日興が云わく、先ず影像を図する所詮は後代には知らしめんがためなり、是につけ非につけ有りのままに移す(引用者注:原文には「写す」ではなく「移す」とあります)べきなり。 (中略) 但彼の面面の図する像一も相似(せざるの中に、去ぬる正和二年日順図絵の本あり。相似の分なれど自余の像よりもすこし面影あり。而る間後輩彼此の是非を弁ぜんがために裏に不似の書付之れを置く)(高橋粛道『日興上人御述作考Ⅰ』昭和58年、仏書刊行会、206頁)とあります。大訳すれば、あちこちに日蓮聖人の画像がたくさんあるがそれぞれ同じではない。日興が言うには、そもそも画像を画くのは後世に残すためであるから、良きにつけ悪しきにつけありのままを写すべきである。たくさんある画像は全く似ていないが、其の中で日順のものは他のものよりまだ面影がある。ただ後世のものが間違うといけないので似ていないとの但し書きを裏につけておく、といった意味でしょうか。ここに画像で伝えるということの困難さが滲み出ていまして興味深いところです。
直接関係ないですが、蓮祖の絵として伝えられるものに写本「三教旨帰抄」(中山法華経寺蔵)の巻末に描かれた馬の絵があります。此の絵は『図録 日蓮聖人の世界』(平成13年、日蓮聖人の世界実行委員会、47頁)に記載されています。但し、山中喜八氏は「三教旨帰抄」について「聖教殿格護の日蓮聖人御真蹟」で
「○ 三教旨■抄(■:[白*反])
一帖五七丁 縦一九・七センチ 横一六・一センチ
聖祖少年時の御筆写という伝承が存するが、これを「授決円多羅義集唐決」や「五輪九字秘釈」の親写本と照合するに、聖筆とは拝し難く、その用紙・筆風等から観察すれば、むしろ聖祖よりも古い時代に書写された本のようである。但し首尾に書入れてある絵画は後代のものと思われる」(『山中喜八選集Ⅱ 日蓮聖人真蹟の世界 下』平成5年、雄山閣出版、137頁)と指摘されていることから、この絵が蓮祖筆である可能性は低いと思われます。
728
:
きゃからばあ
:2006/04/03(月) 11:26:05
彰往考来さん、貴重なご意見ありがとうございました。
たしかこの『愛染感見記』と『不動感見記』は日興が与えられたと記憶しています。
日蓮聖人は文面の「大日如来からの相承」と図画の「愛染・不動の姿」のどちらをメインにしたかったのか興味が沸きます。
そしてまたその目的は…、と考えると複雑な気持ちにもなります。
さらに疑問がでましたら、またお尋ねしますのでよろしくお願いします。
729
:
天蓋真鏡
:2007/01/07(日) 19:38:45
「日蓮の判形が無い漫荼羅は用いては為らない」と言うのは、日蓮が書いた形式・文字数以外の漫荼羅は製作しては為らない。と考えては活けませんでしょうか。例え修行の道具である漫荼羅と言えどもです。シャカの心意、智豈頁の理論、最澄の学識を継承する本尊の雑乱を防ぐ一語に聞こえませんか。
730
:
犀角独歩
:2007/01/08(月) 10:10:43
729 天蓋真鏡さん
> 「日蓮の判形が無い漫荼羅は用いては為らない」
ではなく、「日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持ざらん者をば御用あるべからず」です。
では、この日蓮の判を持つとは、どういうことかと言えば、これはまさに漫荼羅授与をもってなしたことであろうというのが、わたしの考えです。
ですから、漫荼羅は弟子としての允可証の意味したのだろうと考えます。
731
:
天蓋真鏡
:2007/01/08(月) 13:38:36
新年早々すみません。 ●と言う事は、漫荼羅受持は日蓮の教えには必須と言う事ですよね。天台密教から法華一乗へ移行する為に描かれた図示が漫荼羅であると私は見ます(漫荼羅が法華経の理想を表現しているとは断言しません)●漫荼羅は最悪の事態(末法濁世の世)を想定して製作されたマニュアルに当りませんか。漫荼羅正意論は信心学問修行全部を見たら問題です。漫荼羅は身口意を統一する唱題に必要不可欠であるから図示されたのではありませんか。 日蓮が祈り願い唱えたのは『法華一乗』で一人ひとりが仏国土を現出する事で、自分が「生粋の法華経の行者」と表現したいのは此れだと所感します。
732
:
れん
:2007/01/24(水) 21:26:11
蓮師の開目抄に「一念三千の法門…寿量品の文底」云々とあります。石山では九世日有師は「興上は如来秘密神通之力の文底」と言い、二十六世日寛師は「我本行菩薩道」の文底と言います。
しかし、富士門祖の日興師の直弟子で重須談所の学頭にもなった三位日順師は「問云一念三千ノ法門本門寿量ノ文底ニ沈メタリト云々、然者何ノ文ヲ指耶、答云経云如来如実知見三界之相○非如非異不如三界見於三界○云々」と示します。
また、日目師の直弟子の日郷師の高弟日叡師が郷師よりの相伝法門を記録したその著、類集記に「御書ニ一念三千法門ハ寿量品ノ文底ニ沈タリト云々。経云。或説己身或説他身○乃至如来。如実知見三界之相。無有生死若退若出。亦無在世及滅度後(ママ)。非実非虚非如非異。不如三界見於三界。如斯之事。如来明見無有錯謬云ヘリ」と、広略の差はありますが三位日順師と同じ箇所を挙げます。
してみると、初期の日興門流における寿量品の文底”の“文”とは日順師・日叡師が挙げられた箇所であり、両師の師弟関係からすると、それが本来の興・目両師の義であった可能性もあります。となると、石山有師・寛師の挙げられた“文”は後付けの義である可能性はほぼ100%でしょうね。
又、私が挙げた日順・日叡両師の開目抄の引用文ではいずれも身延曽存の御真蹟と同じく「文底ニ沈メタリ」であり、これが初期日興門流における開目抄の当該部分の伝承であり、逆説的に見ると、文底秘沈の成句は初期興門には存在しなかった証になります。故に文底秘沈の成句もまた、石山の後付け教学であり、秘の字は室町以後の石山の私加であると言うのが事実であると愚考します。
733
:
犀角独歩
:2007/01/25(木) 08:00:12
732のれんさんのご賢察は明解であり、参考になりました。
賛同します。
734
:
再挑戦者
:2007/02/01(木) 20:38:43
横からゴメンします、、。
「、、むむっ、、」、、と 、、グサリ と 響きました次第です、、。
いわゆる、モンテイ 文底 という のは、どちらにとっても好都合な一件、、のようですが、、。
我々にとては、決して、悪用だけは、、ゴメンしたいです、、ネ、、。
735
:
獄在佛傾
:2007/03/06(火) 19:45:56
、、、まったく、です。
余計な、、手出し、ながら、、、どうも、、日蓮さんは、今、の、、今、、の時代、にこそ、、生誕して、、欲しかった、、ナ、、!!
鎌倉時代では、、早、過ぎた、!!!、、、ネネ、、!!
今の、、IT 時代こそ、日蓮の時代、、??? でしょう、、!!!
今後に、、ご期待、、?? しましょうか、、?! 。
736
:
パンナコッタ
:2007/04/27(金) 23:25:24
大白蓮華5月号の、名誉会長名義の巻頭言に
"日蓮大聖人の御一代の化導は「立正安国論」に始まり「立正安国論」に終わる"
とありますがその後、
"それは、立正安国論に認められた「国」の文字の大半に 「クニ」ーつまり「□」に「民」が入った文字が
用いられていることである。「民衆」こそが根本であり眼目なのだ"
と、またこのネタを引っ張り出していますね。
確かに、文永六年の中山本に頻出する"国"の字72の内、実に56(77.78%)が、くにがまえに民です。
しかし、本國寺蔵の広本ではめっきり少なくなりますし(7/93 7.5%)、玉澤蔵日興写本はすべて
"國"ですし、果たしてそのような意図した意味があるのでしょうか。
国 國 □民 計
中山本 12 4 56 72 (日通書写二十四紙・1含む)
本國寺本 47 39 7 93
両書において、同じ文で同じ字を使っている物は、
□民6 国7 國0
□民の6つの内訳は
金光明経に云く其の国土に於いて
既に捨離し已りなば其の国当に
所謂人衆疾疫の難・他国侵逼の難
一切の国主星
国滅び人滅せば仏を誰か崇むべき
又云く 如来昔国王と為りて
あまり意味合いにおいては、民衆を意図したとは言えない文面ばかりですね。
737
:
パンナコッタ
:2007/04/27(金) 23:26:22
続き
確かに中山本で言う限りにおいては大半であると言えましょうが、"始まりから終わりまで"と
豪語しているのですから、正しい認識とは言えないでしょう。
更に、"蓮祖は時代が下ったら、民衆を疎かにした"という意味合いも出てきてしまいます。
尤も、広本の存在自体信者は知らないですし(御書全集の存知の事・建治の広本の記述はありますが)
この限りにおいては"まちがった事"ではない故に、活用し続けるのでしょうね。
蓮祖をダシに使った、巧妙な信者の操り方の一片と云うところですね。
738
:
犀角独歩
:2007/04/28(土) 02:04:29
パンナコッタさんのご見識に、わたしも賛成します。
第一、『立正安国論』という日蓮自ら示した書名の‘くに’の字は「国」になっています。
もし、民衆を意図したものであるというのであれば題名にこそ[囗@民](国構えに民)の字を使ったのではないでしょうか。単なる思いこみから、文全体の意味を決めてかかっているのにすぎないと言えるでしょうね。
739
:
パンナコッタ
:2007/04/28(土) 12:13:24
独歩さんのご指摘のとおり、タイトルは紛れもなく"国"ですね。
興味のある方は、以下をどうぞ。
http://www.hokekyoji.com/index-new2.htm
http://www.artmemory.co.jp/honkokuji/original/picture/008.html
740
:
大縫 薫
:2007/04/29(日) 19:47:20
http://page8.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h51668345
御直筆の断片なのでしょうか?
741
:
独学徒
:2007/04/30(月) 00:28:39
大縫さん、こんばんは。
>740
『日蓮・花押』が胡散臭いですね。
御書システムで検索すると、最終行の「南無妙法蓮華経」と「二月十一日」の両方に該当する遺文は無いようです。
742
:
しゅんかん
:2007/04/30(月) 11:37:25
慶長16年(1611)
日量とは誤りで、京都本満寺の一如日重でしょうか。
743
:
独学徒
:2007/04/30(月) 11:57:15
しゅんかんさん、
>742
花押の形からして、一如日重で間違いないと思います。
744
:
大縫 薫
:2007/04/30(月) 17:09:21
後世の模写としか思えないのですが?
745
:
しゅんかん
:2007/04/30(月) 21:29:33
独学徒さん、ありがとうございます。
746
:
犀角独歩
:2007/06/17(日) 10:12:35
諸賢
北山から、二箇相承、三秘抄の真筆が出たという噂を聞きましたが、実否をご承知でしたら、ご教示ください。
747
:
れん
:2007/06/17(日) 10:26:08
犀角独歩さん
北山から二箇相承と三秘抄の真筆が出た…
15日の小松先生の御遺文講義に出ましたが、そのような話題は出ませんでしたので、その実否は存じ上げません。私はむしろ、一字さんからご教示戴いた「中尾先生が立正安国論広本は弟子による写本」という発表があったという話の方がむしろ驚きです。北山の方に関しては、両抄の発見は事実であっても、案外花押ついた写本の可能性もあり、真筆云々は早計で勇み足である場合もあるのではないでしょうか。花押有りでも、偽作されたものの“原本”の可能性もありますから、注意するにこしたことはないと存じます。
748
:
犀角独歩
:2007/06/17(日) 11:41:20
れんさん
早速のご教示有り難うございます。
小松師の勉強会ならば、上杉師も当然ご参加であったのでしょうね。
そうですか、お話が出ませんでしたか。
もちろん、わたしは、この三書に真筆などあるはずもないと思っていますが、このような噂を訊くと、どんな次第なのかという興味は頭をもたげます。
また、何かご見聞の由ございましたら、お伝えいただければ有り難く存じます。
中尾師の広本への見解は、以下のものですね。
資料として、だいぶ前からHPに置いてあります。
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/nakao_001.html
言われるところはわからないでもないのですが、しかし、ご承知の如く、『富士一跡門徒存知事』には以下のようにあります。
「一、立正安国論一巻。
此に両本有り、一本は文応元年の御作、是最明寺殿と要を取って法光寺殿へ奏上の本なり。一本は弘安年中身延山に於て先本に文言を添へたまふ、而して別の旨趣無し、只建治の広本と云ふ。」
ここでいう「広本」がイコール現存の弘安建治交本であるかどうかは、もちろん、研究の余地はあるのでしょうが、少なくとも門徒存知事が成立した頃には、既に同論2本が存在していたことは間違いないことになります。
この点を中尾師は、まるで論究されていない点で、わたしは不満があります。
『平成新修日蓮聖人遺文集』にも載る「広本」を、わたしは真蹟であるという研究を支持します。改めてみると、この遺文集に中尾師は携わっていなかったのに、少なからず驚きました。
749
:
犀角独歩
:2007/06/17(日) 14:38:41
読み直したら、れんさんがご紹介くださった中尾師の話は、わたしがアップしているものの、発展系だったんですね。
これは具体的には何という論文でしょうか。重ねてご教示いただけませんでしょうか。
750
:
れん
:2007/06/17(日) 16:22:16
犀角独歩さん
小松先生の御遺文講義は、現在「観心本尊抄」ですので、講義も其の後の質問会での議論も結構目から鱗ということが多いです。
存知事における“広本”がズバリ現存の本圀寺本を指すのか、犀角独歩さんの仰るとおり研究の余地があると思います。もしかしたら、本弟子六人クラスにはテキストとして蓮師より広本と同内容の安国論が授与され、他師授与の分は戦乱等で失われたが朗師授与の分が偶々本圀寺に伝わったなんてこともあると存じます。真蹟集成に載る写真を見る限り、蓮師の御筆として疑義は感じませんが、もし蓮師の御筆でない場合は、彼の京都にある三沢抄の真蹟模写本の如き性質のものかもしれないとは思います。
この広本の件は一字三礼さんから戴いたメールから知りました次第です。一字さんによりますと「立正安国論をいかに読むか」の最終日の最後に中尾先生から発表があったそうです。
三秘抄も二箇相承もある種の同根的なものを感じるので、作成された場所を考えれば、妙師以降の重須であろうと思います。重須建師本の二箇相承も花押がありますから、もし、発見されたという噂が事実ならば、発見されたのは偽作された三書の作成された原初本かその第二転あたりではないかと考えている次第です。取り急ぎですが、ご参考までに。
751
:
犀角独歩
:2007/06/17(日) 16:30:36
れんさん
重ねてご教示、有り難うございました。
広本に関しては、ちょっとした新展開というところでしょうか。
最近は山籠もりで、都心に出ることも少なくその手の情報収集と、」とんと疎くなりました。何か情報がございましたら、ぜひご教授ください。
752
:
一字三礼
:2007/06/17(日) 17:45:53
犀角独歩さん
ご無沙汰しております。
「立正安国論」(広本)の件で、お騒がせしてしまいました。
東京都西部強化センター主催、「『立正安国論』をいかに読むか」という連続講座(全三回)がありました。
私は母を伴い、第二回目と最終日の講義を聴講させていただきました。
しかし、三回目の講座は、午前10時30分から午後6時30分までの長丁場だったものですから、母の疲労を考えて途中で退出してしまったのです。
その最終日の最後の講師が中尾先生で、その講義で「(広本)書写説」の最新バージョンが発表されたそうです。
私は宗学にも疎いので、その「(広本)書写説」とはどのようなものか、を博識のれんさまにご教示願ったしだいです。
そういった訳でして、私には詳しいことはわかりません。でも、連続講座の主催者の方にお願いして、中尾先生のレジュメなり資料なりがあればいただくことも可能かと存じます。
もしも何らかのものが手に入った時には、独歩さんにご連絡いたします。
753
:
犀角独歩
:2007/06/17(日) 18:52:48
一字三礼さん
たいへんにご無沙汰いたしております。
ご教示感謝申し上げます。
756
:
a
:2016/08/22(月) 09:59:11
.
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