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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について

438愚鈍凡夫:2005/01/18(火) 11:24

>>431:に彰往考来さんが紹介下さった日蝕について、参考までに「吾妻鑑」と照合してみます。

ユリウス暦-------------------グレゴリオ暦-----旧 暦
1223(貞応2)年9月26日--------10月3日--------9月1日
1227(嘉禄3)年7月15日--7月22日--------6月1日
1237(嘉禎3)年12月19日--------12月26日--------12月1日
1245(寛元3)年7月25日---------8月1日--------7月1日
1252(建長4)年3月11日---------3月18日--------2月1日
1265(文永2)年1月19日---------1月26日--------1月1日

吾妻鑑の記述

貞応2年9月1日 庚子 今暁甚雨、日中に及び晴天
未の二刻日蝕、正現す。三分蝕と。

嘉禄3年6月1日 戊申 霽
日蝕正現す(四分)。

嘉禎3年12月1日 戊寅 雨降る
日蝕正現せず。昨日天晴、夜半以後陰雲、丑寅の刻より雨降る。蝕時分に愛染金剛如法佛(五指量)を造立せらる。主計の頭これを奉行す。

寛元3年7月1日 癸巳 天霽
日蝕現ず。

建長4年2月1日 乙卯 天晴
巳の一点日三分正現す。

文永2年1月1日 辛未
日蝕なり。然れども去る夜より雨降り、蝕見えず。仍って御所を裹むに及ばず。椀飯(左典厩御沙汰)を行わる。但し御簾を垂れ出御無し(土御門大納言催すに依って、構え参らるると雖も、用意ばかりなり)。御劔役人は越後の守實時、御調度は越前の前司時廣、御行騰沓は秋田城の介泰盛。
一の御馬 陸奥の十郎忠時 工藤次郎左衛門の尉
二の御馬 越後の四郎顕時 武藤三郎兵衛の尉
三の御馬 城六郎兵衛の尉顕盛 同九郎長景
四の御馬 筑前四郎左衛門の尉行佐 同五郎左衛門の尉行重
五の御馬 相模の七郎宗頼 工藤三郎左衛門の尉

「吾妻鏡目次」
http://www.asahi-net.or.jp/~hd1t-situ/azuma.html


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