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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について

431彰往考来:2005/01/18(火) 07:19
愚鈍凡夫さん、

>426
過去に日食について色々議論されていたのですね。読んでいませんでした。(汗) そスレッドでの議論ではステラナビゲータも出てきて、この掲示板のレベルの高さを伺わせます。(再度、汗々)

>422
『古天文学の道』によれば、422の資料のうち『吾妻鏡』に日食記事の記載があるのは下記6点です。旧暦(( )内は西暦)で示します。422の資料の出典は不明ですが不正見と夜日食は除かれていますね。日本では日食がなかったのだから当然でしょう。内田正男編著『日本暦日原典〔第四版〕』(550頁)には、記録にある日食のOppolzer食表での計算結果のうち京都と鎌倉での食分が記載されていましたので併せて引用します。

 旧  暦         鎌倉での食の概食      食分(京都/鎌倉)
貞応2(1223)年9月朔  深食正見(0.81)         8/8
嘉禄3(1227)年6月朔  浅食正見(0.12)         1/1
嘉禎3(1237)年12月朔  雨天不確認、実は深食(0.82)   8/8
寛元3(1245)年7月朔  深食正見(0.85)         9/9
建長4(1252)年2月朔  深食正見(0.91)         9/9
文永2(1265)年正月朔  雨天不確認、実は半食(0.68)   7/7

422では皆既日食を5点示されていますが、『日本暦日原典〔第四版〕』で食分(京都/鎌倉)が10/10(すなわち皆既日食)とされたのは5点のうち建長元年と建治元年の2回で、貞応2年は8/8、寛元元年は9/8、建治3年は9/9となっています。
『吾妻鏡』は文永3年までなので建治の2点は記録がありません。また建長元年も『吾妻鏡』は欠けているので当然記録がないなど完璧ではありません。
日食は太陽と月の交点の近くで朔になる時に起こります。従って旧暦では必ず朔(ついたち)の日が日食のある可能性のある日となります。飛鳥時代の記録などで三月二日など朔ではない日に日食が起こっている記録がありますが、これは当時使用されていた元嘉暦が平均朔望月をつかういわゆる「平朔法」であったためで、日蓮大聖人の時代は宣明暦でした。この暦は日月の運行に遅速のあることを考慮に入れた「定朔法」と考えられ、この場合には日食は必ず朔に起こります。事実『吾妻鏡』の記録でも建長4年は2月朔に日食の記載があります。故に422で建長4年1月30日とあるのは2月朔の誤り(ユリウス暦は3月12日になります)と考えます。

<参考資料>
内田正男編著『日本暦日原典〔第四版〕』(平成4年、雄山閣出版)
岡田芳朗『暦のからくり』(1999年、はまの出版)
斉藤国治『星の古記録』(1997年第3刷、岩波新書)
斉藤国治『古天文学の道』(1990年、原書房)


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