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本門戒壇の大御本尊様の偽作説について

1732れん:2007/04/16(月) 14:41:13
独学徒さん
談議所の方に伝日興授与漫荼羅の画像をアップして頂き、ありがとうございます。今後の論考の参考にさせて戴きます。

1734犀角独歩:2007/07/01(日) 21:09:17

1733 名無しさん

何が「大嘘」ですか。事実でしょう。嘘だというのであれば、どんな製作過程を経ているかを立証して、記せばよいだけのことです。

1736再挑戦者:2007/07/03(火) 19:32:31
1733 名が無しさん。
 >、、、大嘘、、、・、、。
 貴方の一疑問ならば、ソコソコでしょう、。   
しかし、他者さまの言文を、気に入らない、トッチメテやろう、?、、と言う雑念が??プンプンするような感情的なご意見は、出来るだけご遠慮したいものですが、?
 小生は、雲の上の方方の言文にだまされ、一生を「棒に振った一人」です、。 コノ現実だけは「御認識下されませ、!!」、、。 トホホ、、。

1740犀角独歩:2007/07/04(水) 21:49:20

名無しさん

> 犀角独歩ちゃん

こちらの掲示板では「さん」付ということになっています。
このようなルールすら守れない貴殿の態度は既に違反しています。
改めてください。

> 各家庭ってどこ

我が家を含む一般信徒の家です。

> この写真撮影のお形木本尊、犀角独歩ちゃんHPで見せてくれないか

このような写真は、たとえが以下のサイトに載っています。まずは以下を御覧になっては如何でしょうか。
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/

また、出版物で言えば、たとえば『石山本山の研究』にも多数掲載されています。

わたしのサイトで紹介するまでもありませんが、わたしが所蔵している日達さんの印刷もアップしましょう。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/siryoshu/nittatu_honzon.html

その他、必要があれば、日顕、日寛などの印刷もアップしましょうか。これらが印刷製版の印刷物でないというのであれば何でしょうか。
貴殿は、わたしに挙証を求めながら、自身はなんら応えていませんが、何だというのでしょうか。

> 学会系の掲示板に…

どこでしょうか。具体的に提示してください。
また、そのような掲示板で取り上げたから、どうなのだというわけでしょうか。


管理人さんに申し上げます。
「ちゃん」付の投稿に関して、今回は、質問に応える必要がありますが、なんらかの注意、韓国、または削除がなされて然るべきであると思いますが、これを放置される理由は何でしょうか。

1741再挑戦者:2007/07/04(水) 21:51:21
、、名無しさん。
 どこのスレッド〜ブログにもあるような「名無しの名前」、ですが、当欄では投稿以前に、身元の確認〜責任存在の関連から、「自己紹介スレッド」がご用意されています、。 どうぞ、その手順を御遵守戴きたく存じます、。  また、、、>>、、「まるっきし盗用、、<、、」の件は、このIT時代ならば当然でしょう、!  
今までは、雲の上のワンマン独裁者、金儲け一本道の悪漢ども、その茶坊主どもには、我ら末端の下々は「ヘヘー、、」と面従腹背しか御座いませんでしたが、幸いなるかな「、言論の自由と科学文明のパソコン時代のお陰で、ドコゾのアホ〜バカ〜、」でも、今までのバカにされた!!悔しい、一念から、反撃の一撃をそこそこ発言できる喜びを実感だけは、、ビビツ、!!と感じまするしだいでゴワス。
 洗脳度の軽い方ならば、「ギョツ、ギョ」と驚いたあとは、「、、そうだった、のか、、」、と反省と疑義を抱きくでしょう、!  この現実の落差に驚愕して、その後は悪魔の洗脳から少しずつ解放に向かう出かうでしょう、!!
 あと一年後には、貴方も「反S会の猛者、??」、、でしょうか、?? トホホ、、。

1742犀角独歩:2007/07/04(水) 21:58:57

【1740の訂正】

誤)韓国
正)勧告

1743管理者:2007/07/04(水) 22:36:10

名無し さん

当掲示板のルールを守らない方は、書き込む権利はありません。即刻削除します。
ルールに従って投稿する気になったら、ハンドルネームを整えて、自己紹介してからにしてください。

ご参加の皆さん

このようなルール違反を平気で行う方にレスを返す事は、ルール違反を容認することに通じてしまいますから、応答せずに無視してくださいますよう、お願い申し上げます。

この方のレスを削除しますと、皆さんのレスの意味合いが不鮮明になりますが、なにとぞご容赦ください。よろしくお願いいたします。

1744管理者:2007/07/04(水) 22:55:50

犀角独歩さん

>「ちゃん」付の投稿・・・・または削除がなされて然るべき・・・これを放置される理由

申し訳ありませんでした。本日多忙に因り、掲示板を見ることが出来ていませんでした。昨日の段階で、「大嘘」等という表現、気がかりでしたが、その段階では、まだ、削除の対象になるとは断定できませんでしたので、様子を眺めておりました。先ほど、仕事が終わって、掲示板をチェックして初めて、ルール違反投稿を発見しました。処置が遅れて、ご迷惑をお掛けしました。誠に申し訳ありませんでした。今後、このような事が無いように心致します。御寛恕戴けますれば幸に存じます。

1745犀角独歩:2007/07/05(木) 07:08:53

管理人さん

恐れ入ります。議論者の礼儀、投稿姿勢を管理されるご努力によって、こちらの掲示板は有意義な議論がなされてきたと存じます。そのお力に感謝申し上げ、また、敬意を表します。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

1746問答迷人:2007/07/05(木) 22:22:24

それにしても、今回の、揶揄目的の投稿は、書き込んだ人品が余りにも露になっていて、極めて寒いモノを感じました。

洗脳、或いは染脳のなせる業とは言え、目を覆うばかり・・・。

呟きでした・・・。

1747犀角独歩:2007/07/07(土) 08:45:15

問答名人さん

わたしは短気ですぐに腹を立て来ましたし、何より礼儀をうるさく言ってきました。ただしかし、最近は、腹を立てているわけではなく、この貴重な掲示板で、勘案されてきたルールを遵守することは、よき議論をなされるために重要である思うばかりです。

近日、とある人が盛んにわたしの悪口を記しているという連絡を受けました。一昨年、『顕正新聞』紙上で「魑魅魍魎」との悪口を受けたときもそうでしたが、なにやら、最近は、悪口をされても、その表現が剽軽に感じるというか、何だか滑稽というか、腹が立たなくなりました。それはしかし、憐れみというより、「かつてはわたしも、そうだった。しかし、悪口している自分ほど、みっともないものはなかった」という自嘲が、そのような人々と重なり、はやく平穏な境地に至ればよいのにというエールのような気持ちが彷彿とするのです。

わたしは『法華経』に登場する菩薩の特徴は、悪口雑言にはじまる迫害を堪忍し、そして、けっして言い返さないやり返さないところに特徴があることを、随分と前に突き止めました。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/doppo_001.html

突き止めはしたものの、そのような実践は、不徳の致すところで、なかなかできなかったのです。

しかし、悪口を言われる菩薩はあっても、悪口を言う菩薩などあろうはずはありません。もとより、わたしは菩薩などとは言い難い身上ですが、この原理は、初期仏教教団から今日に至るまで、四衆僧伽の不動の鉄則であることに思い至りました。

このことを受け入れると、それまで、悪口され心を支配した怒りが霧散してしまい、ただ平穏な気持ちだけが残るのでした。たぶん、自分が信じていることを批判され怒りが生じるのも、刷り込まれた心理プログラムであったのでしょうね。

怒りの感情が沈静したものの、偽を真と謀って人心を操ることを放置するわけにはいかないという思いが、こちらで投稿を続ける動機となっています。

ここ7年間、問答さんと多くの議論をできたことは、わたしにとって人生の宝となりました。

1748問答迷人:2007/07/12(木) 22:40:04

犀角独歩さん

もう、七年も経ちましたか。独歩さんの日々の書き込みを有り難く拝しております。本当に有難うございます。

ただ、独歩さんとは、どうしても、見解の相違というか、僕の頭の中が整理出来ていないというか、意見が一致していません。僕は、信仰の中で日蓮聖人を見ようと考え、独歩さんは、悉く疑わしきを排する事によって日蓮聖人を見ようとされているのだと思います。噛み合わないの当然だと思います。

然しながら、僕は独歩さんの言動に強い関心を持っていますし、独歩さんのお考えによって、凄まじく啓発されてきたと思っています。

これは、当掲示板にご参加の諸賢のご見解に対しても強い関心を持っていますし、凄まじく啓発された事実は感謝の二字しかありません。

それでも、独歩さんに対しては、何度も直接お会いして、お話をお聞きし、掲示板でも議論を戦わせてきた経過がありますから、尚更な訳です。

今、僕は、曼荼羅正意説を潜り抜けて、妙法蓮華経正意に足を踏み込んでいます。結局、日蓮聖人の真意は「妙法蓮華経の五字」に帰命する、という南無妙法蓮華経と唱える「お題目」に尽きるのではないかと。

生涯、日蓮聖人の真意を求め続けて行くことになるのだと思います。それが、信仰という事なのかと。

1749犀角独歩:2007/07/15(日) 08:39:29

問答さん

> 日蓮聖人の真意は「妙法蓮華経の五字」に帰命する、という南無妙法蓮華経と唱える「お題目」に尽きる

日蓮の規模に限って言えば、これはそうだと思います。わたしは、従来、言われてきた日蓮の教学整理は雑駁すぎて、その事実を示していないと考えます。

この代表格が「本尊」です。また、摂受論についてもそうですし、五重相対、三大秘法もそうでした。さらには今回、一字三礼さん、顕正居士さんのご投稿の日蓮非上行というご指摘もそうでした。

思い返せば、この典型が石山の教学であり、その本尊観であったわけです。また、創価学会でいう「生命論」もそんな珍解釈の一環であるわけです。

しかし、さらに突き詰めていけば、伝教は天台の段階ではなかった真言の影響を受けているでしょうし、妙楽の釈は章安述とは違います。また、天台は、その基礎学を華厳に置き、当時、最高の経典とされていた涅槃経をもって法華経を解釈していました。また、羅什の恣意達釈であり、梵本と齟齬を来す部分も多くあるわけです。では、その法華経といえば、西暦前後数百年にできた後世の創作なのであって、つまり、妙法蓮華経が釈尊の真説などとは、凡そ言えないわけです。

問答さんとわたしは、「見解の相違」ということより、日蓮段階で考えるのか、仏教2500年の歴史で考えるのか、どこまで虚偽創作と真正面から向かい合うのかというスタンスの違いにあるのではないでしょうか。

また、もう一点。わたしがここ7年で結論したことは、仏道とはけっして信仰ではないということでした。いわば仏教におけるバクティの導入はバカバットギータの影響によるものであり、むしろ元来の仏教集団は、信仰集団と言うより、修行集団であるということです。

わたしにとって、本尊であるとか、信仰対象であるとか、そんなものは、もはやどうでもよく、単なる構成要素分析の材に過ぎません。わたしにとって、仏道は、その本来の意義である実践修行と精進、苦の克服と平安の境地に至ることに目的があります。その意味において、日蓮は(顕正居士さんが神仏習合、神本仏迹で再構築されたという)日本化された仏教という創作世界の住人であったにせよ、その生き様を見据えはするものの、その限りであり、では、 Buddha といえ、決して超人でも、SFのように夢想された絶対者でもなく、我ら修行の祖である目覚めた者、苦を克服した者であるという範囲で考えています。

では、何ゆえ、この富士門流“信”徒の掲示板に投稿をし続けるかと言えば、そこがわたしの出仕であったこと、ここに自分なりの責任を感じるからです。もっといえば、ここほど、ひどい日蓮解釈を振り回すところはなく、また、社会的に悪弊を与えているところもないという側面からです。

ですから、「悉く疑わしきを排する」、事実にあらざること排する姿勢は崩さないわけです。また、仏道を信仰と想定していない以上、信仰から考えるという姿勢は既に卒業しています。ただし、この卒業は、題目を唱えたければ唱えるも是、念仏称名も是、観仏観相も是、また唯一絶対の神を想定して祈るも是…、是というか、真実の門に至る方途、一時の精神沈静の方途となる側面は事実あるわけですから、各人の勝手の範囲であろうと考える寛容性は有してのことです。しかし、そんな“方便”を真実であると謀って人心を操作する点については指摘を息める気はもちろんありません。ただ、厳正なる事実から見るとき、まるで子どもの遊びのように、童話を読む気分で、それを見つめる余裕が生じました。

わたしが突き止めたいこと、また告知したいことは、ただ一つ、事実だと言うことです。

しばらくまだお邪魔させていただく異なろうかと存じます。
今後とも、よろしくご指導・ご鞭撻の程、お願い申し上げます。

1750犀角独歩:2007/07/15(日) 08:45:24

【1749の訂正】

誤)「悉く疑わしきを排する」、事実にあらざること排する姿勢は崩さない正)、「悉く疑わしきを排する」というより、事実にあらざること排する姿勢は崩さない

誤)しばらくまだお邪魔させていただく異なろうかと存じます
正)しばらくまだお邪魔させていただくことになろうかと存じます

1751偶ロム偶ログ:2007/07/15(日) 13:28:04
横レス失礼いたします。
私も基本的には独歩さんの仰有るとおり、石山系宗教くらい
>ひどい日蓮解釈を振り回すところはなく、また、社会的に悪弊を与えているところもない
と考えています。
1 真蹟以外の疑書、偽書、近世写本、近世版本などを用いている
2 自山にない他山の「相伝書」を用いて「相承」の証しとしたり教義を構築している
3 弥四郎漫荼羅を論理的説明もなく「日蓮大聖人直筆の戒壇本尊」と主張している
これらを基本として数多の神話・伝説・教義が創作されてきたわけです。
石山は、自宗の宗祖の教えも、実像も見えなくして存立している「宗教」だと思うのです。
独歩さんや皆様がたが、この掲示板で行なわれている「真蹟・古写本」を用いる論議はとても大切です。
また史資料や写真などを用い、歴史、教義、などの事実を明らめる姿勢は方法論として全く正しいものだと思います。

私は全ての宗教の発生は「創作」であると考えておりますが、創作された宗教が全て「虚偽」だとは思いません。
宗教的「虚偽」とは私的には「悪意ある創作」であり、「事実の隠蔽・歪曲」ということです。
石山が、もし仮に
「弥四郎漫荼羅は後世の作であり、宗祖の理想を継ぐべく製作した」
と表明すれば、私はそういうものも「あり」というふうに考えますが、もちろん、製作に到る論拠は示してもらわなければ「あり」にはなりません。
相伝書類を含む疑書や偽書にしても「門流文書」として扱う分には、宗門史の有益な史資料といえるでしょう。

問答さんは信仰者として、独歩さんはある意味では史家として、お二人ともに真摯に各論題に向き合われていると思いますし、心から敬服しています。
これからも、お二人を含め、常連の皆様方の実りある論議に学ばせていただきたいと思っています。

感謝の意を込めて。

1752顕正居士:2007/07/15(日) 20:01:40
>>1751
偶ロム偶ログさん。まあその通りなんですが。だから誰にも相手にはされていないわけで。
誰にも相手にされていないというのは、実際、何かを主張していることにはなりませんね。
わたしは興門派を脱退、単立以後は大石寺は新興宗教になったと考えています。
新興宗教は社会学の研究対象ではあっても、文献学の研究対象ではないですね。
ただし堀上人はまともな宗派にもどしたかったんでしょうが。創価学会のにわか信者が
あんなに増えなければ、普通の宗派にもどった可能性もあり、これは残念なことです。

1753再挑戦者:2007/07/15(日) 22:49:11
1748様、、。> 、、、尽きる、、>
  ど素人のアホから一言、、。  
 それなら、ナニユエ、、アアダラ、、コウダラ、、と能書きを日蓮さんはされましたのでしょうか、、、、????
 
 庶民のバカ・アホどもには理解・困難、ユエ、そのため、One Quetion = 当て馬を!!入れたのでしょうか?
 五字だけを導入させたいならば、五字だけに絞れば、、エエジャないか!!! その周りの深みが考慮されるても、??
 この周辺の深みを、伝達する術が困難時代、、だった、、なので、、種々の意味・深長な言々だったか、??  

 現今の資料だけでの、、分析、、では稚拙が懸念でしょうか、、??? 日蓮が残した真筆の本尊集を見ますとき、それらが、「五字の妙法蓮華教」の題目よりも、意味も成さないような「軽薄」な、一件とは、、とても思えません、、、、が、、?? 
 「、墨に流して、、」、、この一文の重みをいかが、、判断、、??

1755問答迷人:2007/07/16(月) 12:15:55

再挑戦者さん

>「、墨に流して、、」、、この一文の重みをいかが、、判断、、??

当然の疑問であろうと思います。これは、文永10年8月に書かれたとされている、経王殿御書の一節ですね。真蹟も時代写本も存在しない文なので、蓮祖が書かれたお手紙なのかどうか、判断が出来ませんが、該当箇所を以下に引用してみます。

「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。」

この文が真蹟かそうでないかの議論は、ひとまず置いて、文脈から意味を探ってみますと、

1.日蓮のたましいを曼荼羅に墨で書いたのが曼荼羅である。
2.だから、この曼荼羅を信じなさい。
3.そして、曼荼羅に認めた「日蓮のたましい」とは「南無妙法蓮華経」に他ならないのです。

この三点の内容が書かれていると判断出来ます。

日蓮聖人のたましいとは、「南無妙法蓮華経」=「妙法蓮華経の五字に帰命する事」なのだと言う意味合だと思います。

つまり、挙げられた「経王殿ご返事」の文の結論は、妙法蓮華経の五字に帰命することが日蓮の真意なのだということになると存じます。

「妙法蓮華経の五字への帰命」=「南無妙法蓮華経」という「日蓮のたましい」を一幅の曼荼羅に顕し、門下に授与されたのだと。やはり、この経王殿ご返事の結論も、僕的には、妙法蓮華経正意だと。

僕は、曼荼羅は、「日蓮がたましい」たる「南無妙法蓮華経」を門下に授与する為にしたためられたのだと考えています。

1756顕正居士:2007/07/16(月) 12:32:45
>>1755
問答迷人さんのご意見はつまり三秘総在の一秘は何かということですね。
どの一秘にも合することはできますが、正意は一秘総在の題目でありますね。
堅樹日寛は正意が一秘総在の本尊であるかのように唱えておりますが、奇説です。
ほとんどすべての学者が総在の一秘は題目として来たかと思います。
三秘を三学に配当すれば、戒壇(戒)、本尊(定)、題目(慧)です。
四信五品抄に初心の行者には戒定の二学を制止して慧学の一分に限ると述べてありますから。

1757問答迷人:2007/07/16(月) 12:57:33

顕正居士さん

僕の拙い主張を簡潔に纏めていただきまして、誠に有難うございます。

>堅樹日寛は正意が一秘総在の本尊であるかのように唱えておりますが、奇説です。

大石寺では、この奇説が大手を振っています。それゆえ、大変悩まされてきたわけです。

>初心の行者には戒定の二学を制止して慧学の一分に限る

あぁ、そうでした。なぜそこに気がつかなかったのか、洗脳というものは、空恐ろしいものだと今更のように思います。洗脳が残っていると、まっすぐな道が曲がって見え、曲がった道が逆にまっすぐに見えてしまいます。

1758れん:2007/07/16(月) 17:03:10
横レス失礼します。
言わずもがなですが、日蓮の規模において妙法蓮華経の題目とは「釈尊の因行果徳の二法」(観心本尊抄)が具足している五字と言うのが前提だと思います。ここに於いて謂われる釈尊は、寿量品の釈迦仏つまり久遠実成の釈尊であることもまた言わずもがなです。日蓮が門弟教育の際に図示したと推定される三法妙図から推測できるのは本門(教相)においては能説の教主(本門本尊)たる久遠実成釈尊が中心であり、本門題目は久遠実成の釈尊の所説の法門という位置付けになります。ここから推定出来るのは日蓮の言う三大秘法は教相の範疇の所談ではないかということです。観心においては久遠実成の釈尊の心法の直体としての題目が中心となるようで、日叡類集記にも「心法妙を受持する時、仏法妙衆生法妙自然に具足す」とありますが、この日叡の文は観心本尊抄の「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す、我らこの五字を受持すれは自然に彼の因果の功徳を譲り与えたまう」との日蓮の文の理解を補完するものと言えましょうか。先に犀角独歩さんをはじめとする諸賢が、仏像開眼に法華経との脈絡から、とくに独歩さんが、衆生の開眼に題目(大雑把に言えば漫荼羅?)というご意見を述べられましたが同感です。日蓮の松野殿御返事に「経文には鬼神の身に入る者は此の経を信ぜず、釈迦仏の御魂の入りかはれる人は此の経を信ずと見えて候…」等との文を見ましても、釈迦仏の御魂=心法妙と理解すれば、日蓮の規模においては衆生の開眼に題目というのは至当ではないかと思います。但し、日蓮の規模においては、衆生の開眼には衆生側の釈迦の心法の直体としての題目の“受持”という意志の伴った行為が必要というのが前提ゆえに日蓮は信を強調したのだと思います。

1759再挑戦者:2007/07/16(月) 19:06:43
、、High なレベルでの御討論の最中に、トンダ・オジャマ虫が侵入しまして、済みません、。

 タダ、 アホ小生ですが、「、、、何とか、人間らしく生き、、!!!  人間らしく、、死ぬのは、、???」、、と言う愚問に拘泥するアホには、、ナカナカ、、諦め切れまシーエン、、。
 
 用心すべきは「、、他者の成仏、??、よりも、自己のカネ儲けだけの悪漢どもの策略にだけははまりたくは御座いません、!!!」、、かと思いますが、??

1760れん:2007/07/16(月) 19:18:49
先の投稿では結論を書きませんでしたので、補完して記しますと、日蓮の意図が奈辺にあったかといえば、私の結論は問答名人さんにほぼ同意です。
但し現代諸学の日進月歩の発展により、事実が明らかになっている以上、もう神話からは卒業しようというというのが私の結論です。その観点から改めて独歩さんのように人類史・仏教史の上から俯瞰して彼らの思想を把握することは必要不可欠であると思います。また、そうした作業を経た上で改めて現代の学問の上から再評価していくことも可能であると思います。

私の個人的感覚から申し上げれば、神話をはぎ取ったところにあらわれる人間釈尊・人間日蓮の思想と行動、平たく言えば生きざまは、現代を生きる私にも、多くの示唆を与えてくれます。その点、私も大いに啓発されるところがあるので、今後も彼らの残した言葉を座右に置くであろうし、その是非は他の方の異論もあるかと思いますが、今後も彼らへの報恩の一表現として題目を唱え、漫荼羅に給仕するということもあるだろうと思うところです。

1761一字三礼:2007/07/16(月) 22:21:52

れんさん

>神話をはぎ取ったところにあらわれる人間釈尊・人間日蓮の思想と行動

正確には、‘神話’は違うと思いますが、‘仏・釈尊’から伝説的要素をはぎ取っていって、本当に歴史上の‘人間釈尊’を正しく捉えられるでしょうか。

四阿含等の北伝系の仏伝に慣れ親しんだ者にとって、南伝系の仏伝には、知らない説話がたくさん出てきます。

一つ一つの仏伝には、それぞれに違った寓話の背景と思想、意図があります。
古代の人々が、教説以外の釈尊の中に何を見て、何を期待し、何を伝えようとしたのか。
それらを歴史的・思想的な視点から正確に分析することによって、インド史の中で、インド及びアジア思想史の中での釈尊の位置付けが鮮明になるのではないでしょうか。

これらの研究を疎かにしてただ‘神話をはぎ取る’というのであれば、その行為は、単なる蛮行でしょう。
中村元さんが、‘人間・釈尊’の探求を無意味と結論付けたのも同じ理由からでした。

何十年も一緒に暮らしている親や子、伴侶であっても、なかなか理解できないものです。
ある歴史上の人物を、客観的に正確に把握できる、と考えるのは、それこそ思い込みや、妄想の類ではないでしょうか。

釈尊や日蓮、空海や親鸞たちは、その生存中から他の人々から抜きんでた尊敬と崇拝・嫉妬と悪意を持たれた人物でしょう。

後代の人々が、彼らに伝説を纏わせたのは、彼らが常人とは違うと感じたからだとおもいます。
伝説・伝承は、庶民の視点で、彼ら偉人の本質を表した部分もある、ということを考慮に入れるべきではないでしょうか。

1762犀角独歩:2007/07/16(月) 22:47:48

まとまった投稿はあとにしますが、神話をはぎ取るという点につき、れんさんが記された点と、一字三礼さんが記された点では、温度差がありますね。

ここ富士門流信徒の掲示板で、日蓮は無始無終の本仏で、本尊抄という論点からすれば、日蓮が言う観心本尊の釈尊もそうでした。これと寓話をもって語られた釈尊には開きがあります。れんさんがおっしゃる神話とは、そのような‘規模’とわたしはお見受けしました。

わたし個人として、人間釈尊の探求はまったく無意味と思っていません。
むしろ中村師のアプローチは賛同しかねます。詳しく書くのは面倒ですが、中村師がつけたような‘オチ’で仏教を整合的に解釈して落ちてしまう部分を看過する気もありません。ただ、それは寓話を紡いだ恣意を単に批判しようという意味ではありません。そこにそれなりの気持ちは、わかりはします。

ただ、わたしは、神話や、寓意を超えて、実際に生きて、老い、そして、病み、死んでいく苦しみと恐怖をしかし、受け入れ、超えていく力を与えるところに仏教はあり、それは実際の現実の日々を仰視した者でなければ価値がなく、となれば、人間釈迦牟尼仏陀を見据えなければ、何も見えないという大前提から仏教を考えています。その意味で、釈迦牟尼仏陀は偉人である必要もなく、ただ、死の恐怖を克服し、その道を示した修行者の先輩であるだけで十分です。

たぶん、経典創作者が書き残した寓意を糧としようとする一字三礼さんの善意と、そのようなもの者にあまり目を向けずに八正道・四聖諦から修行を考えるわたしの在り方の相違であろうと思えます。

れんさんのご発言は、直接、人間釈迦牟尼を見据えたご発言であったのではないでしょうか。

1763れん:2007/07/17(火) 02:37:45
一字三礼さん
犀角独歩さん

私の駄文にレス戴き大変恐縮です。
一字さん、私の意図したところは仏伝・経典に書かれた寓話・説話を無闇やたらに神話として片付けて否定するという意味ではなく、勿論一字さんのご指摘の点は十分踏まえた上で、しかしながら、人間ゴーダマ・ブッダを見据えるということでした。21世紀の日蓮を考えるならば、やはり最終的には21世紀の釈尊をも考えなければその作業は畢えられないのではとの思いがあります。
そのためには勿論、一字さんがご研究されている分野の作業も必要不可欠であることも、十分理解しているところであります。


犀角独歩さん、私の意見をお察しいただき、また犀角独歩さんの視点からさらに整理して戴き有難うございます。
まさに犀角独歩さんがご指摘になられた通りなので、さらに私が言葉を次ぐ必要もない感じです。さらにまとまった御投稿…とのことですので、御投稿と、諸賢の皆さんの御議論からさらに学ばせて戴く所存でロム致します。

1764顕正居士:2007/07/17(火) 03:48:42
同時代の記録がない、あるいは少ない人物の像というのは結局、何を推理しても仮説、想像に過ぎない
とは、真剣に探求した人の最後の慨嘆かも知れませんね。
釈尊の記録などは残っている文書は何百年も経った編纂ばかり、文献学の手法で文書の古層を推理
するのですが、到達する結論は人様々。
釈尊と同じ頃のソクラテスはプラトンの多数の対話編がある。条件の違いが話にならない。しかし
プラトンの描写が信用できるのかというと、アリストテレスは全くデタラメと言っている(アリストテレスは
自分の先生であろうが何であろうが言葉をやわらげることはなかった)。それで結局、わからないという
プラトン学者もいる。それでも比べる記録としてクセノフォンの回想もある。
日蓮など鎌倉時代というずっと現代に近い人でおびただしい手紙が残っている。相当楽かというと全然。
日蓮自身の書いたものしか記録がない。何にも比べるものがない。
まあ、そういう史料不足による絶対的限界があろうかと思います。

1765顕正居士:2007/07/17(火) 17:59:26
親鸞にも確実な著作と多くの手紙が残っています。しかし比叡山における親鸞の身分は何だったのか。
唯一の言及は恵心尼が「堂僧」であったと書いていること。これは「堂衆」のことであろうという人もいた。
しかし堂衆に教行信証なんていう純漢文の大著がものせるのか。結局、これは常行三昧堂に勤める僧、
学生と堂衆の中間身分のようなものと決定された。その論争は実に昭和時代でありました。
日蓮の身分も分かりません。やはり何らか中間の身分であったとおもいますが。この時代の出家者は
すでに釈氏の家の子と自認し、俗の出自などを詳しく語ることはなかったのかも知れません。
そのように鎌倉時代時代のことでも実にわからないことばかりなのです。

1766一字三礼:2007/07/17(火) 18:02:31
1764
>同時代の記録がない、あるいは少ない人物の像というのは結局、何を推理しても仮説、想像に過ぎないとは、真剣に探求した人の最後の慨嘆かも知れませんね。

顕正居士さんのご意見に賛同します。

実在した釈尊に迫ろうにも‘史料不足による絶対的限界’というのが避けられない現実でしょう。

最古の仏典である阿含経のでさえ、部派により編纂された経です。

「長阿含経」 法蔵部
「中阿含経」 説一切有部
「雑阿含経」 根本説一切有部
「増壱阿含経」大衆部または法蔵部、もしくはその他の非正統系有部

四諦・八正道(ダンマパダとウダーナに八支のうちの幾つか載る)にまた、仏教の基礎と考えられる五戒(「スッタニパータ・小なる章・二なまぐさ」に戒の原型あり)でさえ、部派で整えられた経説であり、歴史的釈尊の説ではありません。

般若系経典で説くところの大乗の教説である‘空’と、阿含で説く‘四諦・八正道・十二因縁’との間にあるのは、‘程度の差’だけであって、双方共に歴史的釈尊の教説ではないのです。

一度、仏教を志したことのある者なら、釈尊の直説を知りたいと思うのは当然のことだと思います。
しかし、数多の学者が、「スッタニパータ」や「ダンマパダ」のような古文献を精査し、遺跡の発掘等の考古学的な研究をしても、見出し得なかったものが‘歴史的存在としての釈尊の説’です。

どなたでも結構です。
もしも間違いなく‘釈尊の直説’が存在するのであれば、一偈一句でも構いませんので、それを提示していただければと思います。

1767犀角独歩:2007/07/17(火) 19:07:07

一字三礼さん

少しお書きになっている方向が、れんさんや、わたしの思惑からずれていると思います。

わたしが、たとえば、「神話」と書くとき、それは超人的に想像された釈尊や、日蓮を指しています。いや、超人どころか、唯一絶対の神仏となってしまっているものを指してのことです。

しかし、結局のところ、釈尊も、日蓮も生身であった、生老病死を決して逃れることのできない我々と同じ人間だった。つまり、人間釈尊、人間日蓮というのは、このわれわれと同じ人間として、釈尊、日蓮を見ようということです。

経典から、それを知ることができるとか・できないとか、そんな話をしているわけではありません。もとより、日蓮は700年前、釈尊は2500年も前の人です。その実像など、正確に知ることができないことなど、当然のことではないでしょうか。

ただしかし、これらの人々が、いまのわたしたちと同じように悩み思惟し、苦を克服して行っただろう道程を想像するに過ぎません。しかし、「祈りとして叶わざるはなし」といった類の、唯一絶対者への信仰にしてしまうのではなく、同じ人間として、苦を克服していく精進をして行こうという形で受け取ることはできるはずです。

その時に、目標となるモデルは、超人でも、唯一絶対の神仏でもなく、Buddha 、すなわち目覚めた人であり、シュリマーナ(沙門)精進する者といった人間が人間としてできることと考え、実践するときに、人間釈尊、人間日蓮を想定して、目標とするといっているのに過ぎません。いうところの“人間”とはさほどの意味です。釈尊の直説云々とは別段の話しです。

その意味において、寓話からそれを想像することをなんら否定するわけではありません。それも参考にしながら、しかし、偶像化され、超人化され、唯一絶対の神仏に仕立て上げられた想像の産物はさておいて、等身大の人間として、釈尊、日蓮を見たいということです。

1768マターリ:2007/07/17(火) 20:25:35
源義経が衣川館で自刃したのは、1189年です。日蓮聖人が誕生したのが、
1222年ですから、義経が亡くなってからまだ、33年しか経っていません。

考えてみると、日蓮聖人は、とんでもない大昔の方です。義経の行動に
ついても、現代人から見れば、わからないことばかりです。日蓮聖人
も、義経と、それほど違わない時代の方です。

私たちは、そんな日蓮聖人が、あたかも現代を生きておられるかのよ
うに、議論しているわけですから、何ともすごいことだと思います。

政治・人の考え方・生活など、現代と全く違っている鎌倉時代のことを
想像するのは、難しいことだと思います。

私たちは、民主主義・生命尊重の、それも平和な時代に生きています。
日蓮聖人は、武家社会・生命軽視・末法思想におおわれた時代に生きま
した。

人間としての日蓮聖人を考える場合、タイムマシンで鎌倉時代にタイム
スリップするのが一番ですが、それはできません。

すると、日蓮聖人を研究する場合、自分が鎌倉時代にいると錯覚するくら
いまで、鎌倉時代そのものを、研究する必要があるのではないでしょうか?

その研究過程で、日蓮聖人の人間としての実像が、自然に浮かび上がってく
るかも知れませんね。

1769犀角独歩:2007/07/17(火) 21:25:14

マターリさん

まったく、そのとおりですよ。
ところが、そんな研究もなく、語られる日蓮、そんなものはご免こうむるということです。

1770天蓋真鏡:2007/07/18(水) 00:46:21
横レス失礼します。此こは戒壇本尊の掲示板なはずですが、私も書かせて頂きます。管理人さんと関係者各位方々が議論した結論を見易く一枚の表に纏めて示してもらうと「きっかけ」に役立つのですが如何でしょう。自分が思う所は宗教は学問であると言う事でしょうか。日蓮の言う信とは何なのか。牧口は修行団体を目指し、戸田の時代からは大勢を纏める為に信仰団体へ傾斜せざるを得なかったのか。日蓮仏法の質量は三国四師を含む漫荼羅に比例するか。信学行は仏彫像経典学漫荼羅で足りるか?自分なら日蓮日寛牧口に創価学会の研究を絞ります。其れでもチェックするだけでも大変でしょう。此この掲示板だけでは無くて良い人物人材に巡り逢いたいです。

1771偶ロム偶ログ:2007/07/30(月) 02:21:40
「摂受折伏スレ」の700からの続きです。

おそらく正信会にとっては「真偽」についての言及は禁忌なのでしょう。
日達氏の遺弟がほとんどを占める正信会は「細井日達氏当時の日蓮正宗
の教義教学」を大前提としている日蓮正宗系の外棲セクトなのですから、
日蓮正宗への復帰を考えていれば、「偽作説」を採ることはできません。
また「真作説」を採っても、「(大御)本尊の件は(御)法主の権能」
であり、論ずること自体が「謗法」と見做されかねないわけですから、
ここは「洞ヶ峠」を決め込むに如かず、といったところでしょう。
そのていどの「正信」であり、そのていどの「正宗」であると言ったら
言い過ぎでしょうか。

「アンフェアなのは誰か?」(某ドラマ・映画・小説のパクリです)
もちろん、「彼ら」です。

1772ロム:2007/08/09(木) 20:53:45
たびたびロムさせていただいております。創価学会系のホームページで知ったのですが、金原明彦という人が『日蓮と本尊伝承―大石寺戒壇板本尊の真実』という本を出すようです。アマゾンでは発売前なのに品切れでした。金原という人は創価学会の人なのでしょうか。本の題名にある真実という言葉が非常に気になります。どなたかご存知でしょうか。

1773彰往考来:2007/08/10(金) 21:42:23
>1772 金原という人は創価学会の人なのでしょうか

このようなお問い合わせは個人情報となりますので、創価学会の人であるかどうか申し上げられませんが一読する価値のある本でしょう。
私も注文中でまだ拝読していません。ひょっとしたな当該本にその件に関する記載があるかもしれませんね。

彰往考来

1774独学徒:2007/08/10(金) 22:55:13

著者はカラーで鮮明な『本門戒壇之大御本尊』の写真や、大石寺所蔵の日禅授与の御本尊の鮮明な写真を所持されていると聞き及んでいます。
彫刻のサイズは、宝筐の実寸から割り出しているようです。

********************************************************

日蓮と本尊伝承
金原 明彦 著 水声社 版
3,150円(税込)
2007年08月 発行
ISBN 978-4-89176-648-1

膨大な資料、文献を博捜、渉猟しながら、日蓮正宗大石寺に伝わる「戒壇の大御本尊」の造立をめぐるさまざまな謎の核心へと迫る。史実の検証と明解な論理のうちに、通説は排され、新たな「真実」が浮かびあがる。

********************************************************

1776ロム:2007/08/10(金) 23:16:06
>彰往考来様
>独学徒様

御回答いただきありがとうございます。
御戒壇様の御写真が掲載されていると入手した人より教えていただきました。
私のこれまでの信心が試されているように思います。
ともあれ、魔の所為かもしれませんが、真実という言葉が私の心に残ります。
明日、池袋の帰りに書店に行ってみます。
ありがとうございました。

1779題目ホスピス摂受の里:2007/08/18(土) 21:04:40
池袋の書店にはなかったな

1780ロム:2007/08/18(土) 22:52:53
>題目ホスピス摂受の里様

はじめまして。
私はジュンク堂で買えました。
御戒壇様の御写真よりも歴史検証編が私には驚きでした。
著者の方は創価学会員のようですが、御宗門攻撃というスタンスは感じられません。
こう思うことが魔の所為かもしれませんね。
でも、どうしてか感動を覚えました。

1781きしだ:2007/08/19(日) 00:09:56
新宿の紀伊国屋本店にもありましたよ。

1782偶ロム偶ログ:2007/08/20(月) 15:09:17
なかなか纏められた本ですが、独歩さんの著書から図版の転載がありましたね。
あの図版は独歩さんがレッタッチされたものだと思うのですが、出典が明記されていません。
また内容的にも独歩さんの後追いなのですが、先行業績を伏せているのには何故でしょう。
せっかくの著作も、ルール違反を批判されてはつまらないのでは。
日蓮宗現代宗教研究所が昨年出した『創価学会批判 復刻版』も著作権無視の改竄でミソを
つけてしまい、著作者である菅谷、執行、宮崎、三氏の名誉、現宗研と宗務院の名を汚す
こととなってしまいました。
いずれも些細なことなのかもしれませんが、もったいない。

1783ロム:2007/08/20(月) 21:26:22
アマゾンのレビューにも「内容は先行業績の無断借用も目立つ。」とありました。

1784きしだ:2007/08/20(月) 23:48:45
おそれいります。
>>1782の偶ロム偶ログさまのレスにある
「創価学会批判 復刻版」というのは
市販されたのでしょうか?
グーグルで検索したり、日蓮宗現代宗教研究所のページみたのですが
情報を見つけられませんでした。
よかったらどのようにしたら購入できるのか教えていただけないでしょうか。

1785犀角独歩:2007/08/21(火) 08:43:48

偶ロム偶ログさん

お気に留めていただきましたことを感謝申し上げます。


きしださん、はじめまして。

『創価学会批判 復刻版』は日蓮宗現代宗教研究所が自宗内教師を対象に発刊したものです。日蓮宗の僧籍を持つ方であれば、同研究機関に連絡をすれば送付してもらえるようになっています。

では、それ以外の方はどうなのかということになりますが、これはケースバイケースで、現宗研側の判断によるようです。以下、電話番号と、メールアドレス、HPです。なお、余談ながら、今回のわたしどもの勉強会では、この書籍はテキストとすることとなっています。

TEL:03-3751-7181
E-mail:info@genshu.gr.jp
HP:http://www.genshu.gr.jp/index.htm

1786きしだ:2007/08/21(火) 16:01:19
犀角独歩さま

ご丁寧なお返事ありがとうございました。
市販しているものではなかったのですね。
連絡してみようとおもいます。

1787犀角独歩:2007/08/22(水) 08:42:28

> 1786

こちらの掲示板は、管理人さんのご意向で「さん」付で統一とのことです。どうぞ、お気軽にお声掛けください。

なお、該当書籍、もし、入手できませんでしたら、ご一報ください。1冊ぐらいでしたら余分があります。差し上げます。

1788きしだ:2007/08/23(木) 16:07:28
>>犀角独歩さん
敬称については、取り決めを知らずに失礼いたしました。

創価学会批判についても、
大変ありがたいお言葉をありがとうございます。
入手できなかった場合には、連絡させていただきます。

1789波木井坊竜尊@日蓮宗葵講:2007/08/23(木) 16:13:37
日蓮と本尊伝承 金原 明彦 著 水声社 版

15日の未明に私の自宅郵便ポストに投函されていましたよ。
犬がワンワン鳴くので何かと思ったら、封筒にくるまれたこの本がポストに
入っていた。

内容は戒壇本尊偽作の決定打でしょう。
翌日北山に送っておきましたが、北山もばっさり切られている。

金原氏は以前沼津市明治記念館展示室に三鳥派研究の出店もしていた。
学会員さんでこれだけハイレベルでフラットな視点でものを見る人は少ない
のではないか。

1790秀麗富士:2007/08/23(木) 23:49:06
あっ!!波木井坊さんみっけ
お萬の方の寺の講頭さんだ
三鳥派の研究では有名な方なのですね、金原さんは!

1791波木井坊竜尊@日蓮宗葵講:2007/08/28(火) 10:49:41
どうもです。
愛鷹山に三鳥派の旧遺跡跡らしいものが発見された、との研究内容でした。
たしか妙観が機関紙で必死に反論していたのを覚えています。

研究熱心だったので、彼に立正安国会出版の所蔵不明の82番のコピーを
あげたことがある。(実は何幅かのコピーも)

1792加藤秋海@まだコンビしてるかな:2007/08/29(水) 14:54:30
>秀麗富士さん
金原氏の三鳥派研究は在野の研究者O氏の、長年にわたる研究の剽窃といわれています。
今回の本も著作権法違反の疑いあり、という感じです。
私が知っている日蓮宗のお坊さんたちは皆さんが、先行業績として独歩さんの著書を高く評価していますが、金原氏の本については宝篋の写真などは珍しがっていました。
「先行業績や出典・出所など記述のルール無視は論外、内容も独歩さんの後追い。研究書扱いはとてもできない」
ということでした。
批判であればなんでもいい、そんなレベルの人たちには丁度いいシロモノなのでしょう。

1793波木井坊竜尊@日蓮宗葵講:2007/08/30(木) 15:27:30
>>1792
彼を援護するわけではないが、彼は自分独自でやってましたよ。
たしかにほかの人の研究は見てはいたでしょうが。

ところであなたはこの本を読みましたか??
内容は”批判であればなんでもイイ、という内容ではありませんでしたよ。

1794犀角独歩:2007/09/03(月) 16:48:22

独学徒さん

拙書に対して、ご理解と生き証人を自称して下さることに、まず深く御礼を申し上げます。

さて、当掲示板は挙証義務を遵守し議論することによって、多才な成果を上げてきました。この在り方を定着させた管理人さんには衷心より敬意を表するものです。この筋から、少しお尋ねしたいことがあります。

> 著者はカラーで鮮明な『本門戒壇之大御本尊』の写真や、大石寺所蔵の日禅授与の御本尊の鮮明な写真を所持されていると聞き及んでいます。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015557630/1774

この根拠は何でしょうか。挙証をお願いできますか。

1795独学徒:2007/09/03(月) 22:39:51

犀角独歩さん、

>1794、でのお尋ねの件ですが、「聞き及んでいます。」と記したごとく、友人からの伝え聞きです。
その友人は、金原氏より直接教学を学んでいた方でもあり、彫刻のサイズを、宝筐の実寸から割り出していることなどを、以前からお話いただいていました。
その方から得た情報です。
宝筐のサイズ云々は、実際に「日蓮と本尊伝承」を手にしてみて、本当であったので、「カラーで鮮明な『本門戒壇之大御本尊』の写真」を持っているという話も、本当なのかなと思ったしだいです。

ですので、私が直接金原氏に会って、「カラーで鮮明な『本門戒壇之大御本尊』の写真」を確認したわけではありませんので、真偽不明で実否不詳の伝え聞きとご理解いただければと存じます。

もし、このような挙証不能な話を投稿することが、この掲示板の趣旨に反するということであれば、これを反省し、以後当掲示板への投稿は自粛しようと思います。

1796管理者:2007/09/03(月) 23:35:35

独学徒さん

>このような挙証不能な話を投稿することが、この掲示板の趣旨に反する

そんなことは有りません。伝聞事項として書き込まれることは、何ら掲示板の趣旨に反するものではありません。

掲示板ルールに反するのは、挙証不能な話を、恰も、事実であるがごとくに喧伝し、話し合いを重んじないことです。

これからもご参加のほど、宜しくお願い申し上げます。

1797犀角独歩:2007/09/04(火) 06:05:56

独学徒さん

ご解答有り難うございます。

「カラーで鮮明な『本門戒壇之大御本尊』の写真」は「真偽不明で実否不詳の伝え聞き」である点、了解しました。

かつて、組織の所属していたとき、まことしやかな口コミがまず流され、やがて組織と指導者に都合のいい話の根拠とされて騙され続けてきました。こんな操作には二度と引っかかりたくなく、また、人が騙されるのを看過もしたくないという思いがあります。

なお、管理人さんも触れてお出でですが、わたしは投稿自粛を促しているわけではありません。

伝聞情報は伝聞情報、事実証拠事実証拠で、厳として区別して扱わないと混乱するので、確認させていただいたまでのことです。

引き続き、ご投稿を期待します。

1798独学徒:2007/09/04(火) 19:11:35

管理者さん、
ご理解を戴きありがとう御座います。

犀角独歩さん、私の伝え聞きは、学会組織とはなんら関係ありません。
学会組織は、あくまでも彫刻云々はタブーの世界で、大幹部といえども口にすらしません。
ほんの一部の私的グループの、更に一部の人達の間での事です。
その一握りの方々と、どういうわけか縁があり、複数の友人・知人がいます。
組織や指導者とは別の世界で伝え聞いたことです。
恐らく学会組織は、金原氏の著作は完全に無視を決め込み、彫刻のことには今後も曖昧な態度でごまかしを続けるものと思われます。

1799犀角独歩:2007/09/04(火) 20:08:13

独学徒さん

仰るとおりでしょう。
今回の合宿でも、現役学会員の方は「創価学会は今後とも戒壇本尊について論じることはない。過去を振り返ることはしない」と言っていました。つまり、肯定もしなければ否定もしないということでしょう。

わたしがいちばん懸念するのは、このような創価学会の在り方は、偽本尊における集金と動員について、何ら、責任を負わないと言うことです。しかし、これは、「偽漫荼羅であっても、偽本尊ではない、本尊としての価値はあるから、創価学会に過去の責任を追及するものではない」といった論調に転がってしまえば、けっきょくのところ、創価学会の無責任体質と、結果的に何ら変わることがないということです。

両者とも、180度逆の立場でありながら、同じく創価学会の責任追及をしないのであれば、意味するところは少しも変わらない、しかし、このようなことでは、絶対に世間も、また、いままで、さんざん「邪宗」呼ばわりをされてきた‘被害者’も納得することはない、わたしはこの点を、特に強調したいのです。

この点において、独学徒さんは、どのようなお考えなのか、昨今のご投稿からかいま見えないというのが、正直な感想です。

1800独学徒:2007/09/04(火) 20:47:32

犀角独歩さん、ご指摘の通りですが、私はかねてより特定の団体や指導者を批判するような投稿は避けてきました。
日蓮の精神からは外れた姿そのものですが、正直トラブルに巻き込まれたくありません。職場や家族が大事で、宗教に関することはあくまで二の次で、『趣味』の域を出ません。
もし将来、子供達も独立し、入道するようなことがあれば、自分の気持ちをそのまま言葉に表したいとも思いますが、現状はあくまで『趣味』の段階ですので、変なトラブルに巻き込まれて、家族に危害が及んだり、仕事がやりづらくなるようなことが起こっては、それこそつまらないことだと思います。
したがって今後も、特定団体もしくは個人、特定の指導者を批判するようなことは避けたいと思っています。
今は時間と小遣いの許す範囲で、書籍を買ったり、寺院に出向いて写真を撮らせていただいたりして、十分楽しんでいるところです。

1801犀角独歩:2007/09/05(水) 06:35:22

独学徒さん

われわれがなしていることが「つまらないこと」で、あなたの趣味が「楽しみ」の範囲であるというご見解はわかりました。

しかし、あなたの保身とは裏腹に、既に、特定宗教団体とのトラブルに巻き込まれるところまで、踏み行っていますよ。

1802偶ロム偶ログ:2007/09/05(水) 13:05:39
私などはこの問題に長年巻き込まれてしまっています。
ずいぶんと昔の話になりますが、若気の至りで疑問を口にし、同様の疑問を持つ人たちと語らいました。
戒壇論・本仏論・師弟論・血脈論などでしたが、そのときは本尊論までは私を含め皆気がついてはいませんでした。
疑問を語り合っただけでしたが、それは組織から直ちに「批判」と受け止められ、語り合うこと即「反逆行為」と見做されたのです。
その後、数ヶ月にわたって夜には自宅の前に地元組織の人たちが自動車で、張り込みのようなことをしていたものです。
これはもっとも初期段階のことですが、このような組織の動きに対して、若かった私は反発し、批判を強めていったものです。
それは自己防衛のつもりでしたが、「攻撃は最大の防御」というかんじにエスカレートすることにもなりました。
そうする中で他にもいた批判者たちと知りあうことになり、さらに批判を強めたのですが、批判者たちにも違和感を覚え。距離を置くようになりました。
正直に申し上げて、嵐の渦中にいたときにはこちらも熱くなっていたので気がつかなかったのですが、家族や友人や知人にはさまざまなかたちで心配・迷惑・負担をかけてしまっていたのです。
批判者たちと距離を置いて數年たって、自分にとっては気掛かりな問題として戒壇・血脈・本尊の三つに集約してきました。
さらに數年たち、それらも要するに「嘘・虚偽の歴史」の問題というふうに自分なりに整理しました。
発端から現在まで約三十五年、問答迷人さんがこの富士門流信徒の掲示板をつくって下さった約七年前までは、同じ問題を考える人もほとんどいませんでした。
こちらの掲示板ができる前、三年ほどネットで単発的に問題提起もしていましたが、しょせんは単発で終わっていました。
富士門流信徒の掲示板は、議論の場であると同時に交通整理の場でもあります。
私自身はすでに嵐のまっただ中からは避難していますが、それでも当時の後遺症はまだまだ生活に残っています。
さらに避難してはいても、完全に無関係ということにもなっていません。

独学徒さんの立場やお考えはこれまでのままで良いと思いますし、保身だともおもいません。さらにさまざまな教えをいただきたいと願っています。
また独歩さんの立場やお考えもこれまでのままで良いと思います。
ただ、お二人の違いは、実生活で渦中にいるかいないか、それによる危機意識とか問題意識のありよう、なのだと推察します。
カミングアウトをするかしないか、それはこの掲示板では重要なことではないと思います。
正宗や学会に関するさまざまな問題を、広く深く、これだけの期間にわたって議論し続けてきた掲示板は他にはないのではないでしょうか。
こちらの掲示板が他の掲示板の書き込みや、会員・信徒などにある種の影響を及ぼしていることも事実だと思います。
それぞれの所属や立場の違いは問題としない、問題とされるのは、掲示板のルールと議論・書き込みのルールだけです。

独歩さん、落ち着いてくださいね。
独学徒さんは、けっして、

>われわれがなしていることが「つまらないこと」で、あなたの趣味が「楽しみ」の範囲であるというご見解

を述べてはおられません。
ただ、ご自身にとって

>変なトラブルに巻き込まれて、家族に危害が及んだり、仕事がやりづらくなるようなことが起こっては、それこそつまらない

と、家庭を持つものとして当然の思いを正直に述べられたのです。
しかもそれは、曖昧にしてもなんら不都合ではなかったとも思います。
私は独学徒さんの発言に誠実さを感じました。
また、さまざまな問題を考えたり皆さんと議論することは、私自身の楽しみでもあります。
私は私なりにその楽しい論議や諸説を踏まえて、会員さんや信徒さん、僧侶や幹部に接して、さらに相互理解を深めていきたいと努めています。
私は創価学会という組織が大嫌いですが、それなりに評価もしています。
日蓮正宗については、存在してはならない、とすら思っています。
上の二行は私の考えではありますが、それを他人に押し付けるつもりもありませんし、声高に主張する氣もりません。

独歩さん、強い口調になったり、切り口上になるのは悪い癖ですよ(苦笑)。
すごく嫌な言い方をすると、「まるで学会か正宗みたい」と思われてしまいかねません。
ただでさえ怖い顏をしているんですから、もう少しソフトにね。
辛子入りシュークリームという手もあります。

1803アスラン:2007/09/05(水) 17:18:05
独学徒さんのお気持ちは家庭を持つ者としてよく分かります。やはりお子様などには影響あるような行動は慎むべきです。ただ…創価学会はいつまでもそのような方をに放置してくれるのでしょうか?その辺が余計なお世話ですが気がかりです。

1804犀角独歩:2007/09/05(水) 18:01:53

偶ロム偶ログさん

ご忠告、真摯に受け止めます。ただし、わたしが言っていることと、ややズレがありますから、その点は記しておきます。

先にも記したとおり、独学徒さんは、板本尊問題の一つのスピーカーになっている事実がある以上、今さら、「趣味」だなんだと言い出したところで手遅れであるということです。この現実を受け止めるべきだということですよ。

わたしが言い方に問題があるか、では、実際に創価学会を含む大石寺圏から被害を被ったという認識をしている人々が、わたし犀角独歩、独学徒さん、偶ロム偶ログさん三様の意見を聞いて、どの言葉にいちばん納得するでしょうか。

嘘偽りの本尊を本物であると謀って社会全般の顰蹙を買ってきた団体に所属していた人が、その責任を追及するわけでもなく、被害者の声に耳を傾けるわけでもなく、「私は趣味、被害に遭うなんてつまらない」と言えば、被害を被った人ならば怒るのではないでしょうか。

そんな被害者の声を聞いてきた一人として、今回の独学徒さんの発言を聞き捨てならなかったということです。

直前にアスランさん(はじめまして)という方が記していますが、このような態度は、創価学会が果たして放置するのか、被害者が「仰るとおり」と納得するのかといえば、決してしないでしょう。
する人がいれば、火の粉がかぶることを人に押しつけて、安全圏で勝手気ままな評論をやっているような連中だけではないでしょうかね。

なお、わたしの強言は、別段、学会、石山とは関係ありません。それらより、強烈でしょうよ、きっと。
敢えて、写本を挙げて畢わりとします。

「日蓮御房は師匠にてはおはせども余にこは(剛)し。我等はやはらかに法華経を弘べしと云んは、螢火が日月をわらひ、蟻塚が華山を下し、井江が河海をあなづり、烏鵲が鸞鳳をわらふなるべし、わらふなるべし。南無妙法蓮華経。」

「誠に我身貧にして布施すべき宝なくば我身命を捨て、仏法を得べき便あらば身命を捨てて仏法を学すべし。とても此身は徒に山野の土と成べし。惜みても何かせん。惜むとも惜みとぐべからず。人久しといえども百年には過ず。其間の事は但一睡の夢ぞかし。受がたき人身を得て、適出家せる者も、仏法を学し謗法の者を責ずして、徒らに遊戯雑談のみして明し暮さん者は、法師の皮を著たる畜生也。法師の名を借て世を渡り身を養といへども、法師となる義は一もなし。法師と云名字をぬすめる盗人也。恥べし、恐べし。迹門には我不愛身命但惜無上道ととき、本門には不自惜身命ととき、涅槃経には身軽法重死身弘法と見えたり。本迹両門涅槃経共に身命を捨て法を弘むべしと見えたり。此等の禁を背く重罪は目には見えざれども、積りて地獄に堕る事、譬ば寒熱の姿形もなく、眼には見えざれども、冬は寒来て草木人畜をせめ、夏は熱来て人畜を熱悩せしむるが如くなるべし。」

1805アスラン:2007/09/05(水) 20:11:27
私は学会で幹部を十年以上務めました。

現在は脱会いたしました。

もし独学徒さん、当時、私が貴方のような会員が居ましたら「クズおたく」と称し、即刻ありとらゆる手段を使い吊し上げ、笑い者にし、裏切り者扱いで見せしめて来ました。
最後にようやく泣きを入れたならば池田先生への忠誠心を念書に書かせ血判を作ります。
私は脱会し、未だに家族と別居いたしております。

家族にも多大な損害を与え、顔も会わせられません。
そのような事がつい最近私自身あったため独学徒さんの言葉が他人事には思えません。

けして趣味の域を越える事無きようくれぐれもご自愛い下さい。

1806独学徒:2007/09/05(水) 20:58:52
偶ロム偶ログさん、アスランさん、ご理解を戴きありがとう御座います。

犀角独歩さん、申し訳ありませんが、今の私には被害者の感情よりも家族が大事です。
少なくとも、子供達が成人するまでは、監護義務もあるわけです。
正義感よりも自身に課せられた監護義務を重んじたいと思います。
この点は、いくら意見を交わしても合意はありえないでしょう。
日蓮がなんといおうと、日興がなんといおうと、この気持ちは変わりません。

それから、偶ロム偶ログさんがフォローして下さいましたが、私は犀角独歩さん達の活動を、つまらないことなどといった覚えはありません。
このような誤解に基づくご発言は、こちらも気分を害します。

1807犀角独歩:2007/09/05(水) 21:05:01

独学徒さん

あなたが気分は害するかどうかは別として、ご自身の発言のなかで相手の気分を害する要素がなかったかどうかはお考えにならないのでしょうか。

わたしは、人のおもりやご機嫌を取ることをしないので悪しからず。

なお、あなたとか属に追撃の手を緩めないのは、わたしではありません。あなたはたぶん、自分と家族のみの守り方を間違っていますよ

1808犀角独歩:2007/09/05(水) 21:06:36

それと、もう一つ。家族が大事なら、こんな所に書き込みなどしないで、さっさと隠居して人目に触れないようにすることです。
そして、静かに忘れ去られるのを待つことです。
それがいちばんでしょう。

1809犀角独歩:2007/09/05(水) 21:21:39

「趣味」の範囲を超えなければ、相手が追撃の手を緩めない?
そんな組織ではありません。裏切り者は、自殺に追い込め、気が狂うまで追い込め、でしょう。

白旗を立てて、「どうも、すみません、ごめんなさい。正しいのは組織でした」と言ったとしても、追撃の手を緩めることはないでしょう。


これで最後ですが、独学徒さん。あなたは「被害者の感情」と記していますが、ここがずれています。あなた自身が、会のメンバーとして、活動した“加害者”としての側面、これはもちろん、わたしも同様ですが、この点を、問題にしています。

わたしにとっても日蓮も日興も基準ではありません。かつて、メンバーとして、戒壇本尊絶対、大石寺絶対、御法主上人猊下絶対、池田先生絶対を主張して、内外を被害を及ぼした自分の加害の側面から贖罪を考えるという話をしています。

そうは言っても家族を大切にすることはけっこうなことです。
わたしも皆も、早くあなたが忘れ去られ、ご家族を安穏な生活を送られることをお祈りいたすことといたします。

しかし、そんなあなたを「無責任な人間である」と思っているわたしがいることは、どこかで記憶しておいてください。

1810独学徒:2007/09/05(水) 21:23:08

犀角度歩さん、はっきりいいますが多きなお世話です。
貴方のアドバイスは不要です。
相手の気分を考えないのは、貴方も同じだと思います。

1811問答迷人:2007/09/05(水) 21:27:18

独学徒さん

こんにちは

僕は、岐阜市に住んでいますが、創価学会を脱会するときも、この掲示板を非活動学会員のチョンガーさんの勧めと支援によって立て上げた時も、そして、法華講から自然消滅した時も、家族に対して、何らかの嫌がらせや攻撃を受けたことが有りません。今も、仕事を通して、創価学会の人たちとお付き合いがありますし、話が信仰に及んだときには、歯に絹を着せず、はっきりと間違いを指摘しています。創価学会の離脱僧もそんな学会員の紹介で我が家に来られ、数時間に亘って激論を交わしました。しかし、何らの嫌がらせや攻撃を受けたことが有りません。これはどうしたことでしょうか。

恐らく、創価学会組織の中に居て、誤りを指摘した場合には、そのような嵐が吹き荒れるのでしょうが、僕のように、組織から離れた人間は、攻撃するにも値しないからなんでしょうね。

華族を大切に思われるなら、兎に角、組織を離れてしまうことではないかと愚案いたします。何か参考になりますれば幸いです。

1812問答迷人:2007/09/05(水) 21:29:08

訂正です。

歯に絹→歯に衣
華族→家族

1813犀角独歩:2007/09/05(水) 21:35:45

独学徒さん

大きなお世話もこちらも一緒。
家族が大事なら、こんなところに自分をさらないことです。
わたし自身があなたを攻撃する可能性だってあるからですよ。
わたしはあなたに別段、アドバイスなどしていません。
気分を考える云々を等と言うことも書いていません。
ただ、書いていることは加害者としての責任だけです。無責任な人間と組織に責任を追及することで、わたしの主張は一貫しています。

1814アスラン:2007/09/05(水) 21:58:20
管理人様
この独歩氏が独学徒氏に対する発言は看過出来るのでしょうか?
独歩氏のな口上はないでしょう。
謝罪に値すると思われます。

1815犀角独歩:2007/09/05(水) 22:06:06

アスランさん

わたしが謝罪に値するというのは、いったい、どのような部分を指すのでしょうか。具体的に示していただけますか。

1816独学徒:2007/09/05(水) 22:09:01

問答迷人さん、お話を戴きありがとう御座います。
結局、私が原因で掲示板の雰囲気を悪くしてしまいました。
本当に申し訳御座いませんでした。

1817管理者:2007/09/05(水) 22:12:11

アスランさん

この独歩氏が独学徒氏に対する発言は看過出来るのでしょうか?

激しい応酬では有りますが、個人攻撃には当たらないので、掲示板のルールに抵触するとまではいえないと思いますが、如何でしょうか。ご意見をお聞かせください。

1818アスラン:2007/09/05(水) 22:13:14
管理人様の判断を仰ぎます。

1819犀角独歩:2007/09/05(水) 22:17:27

弁明を記しましょう。

独学徒さんは

1800「『趣味』の段階ですので、変なトラブルに巻き込まれて、家族に危害が及んだり、仕事がやりづらくなるようなことが起こっては、それこそつまらないことだと思います。
『趣味』の段階ですので、変なトラブルに巻き込まれて、家族に危害が及んだり、仕事がやりづらくなるようなことが起こっては、それこそつまらないことだと思います」

この「つまらないこと」が、わたしを指しているという趣旨で書いたというのが1801のわたしのレスです。

それに対して、偶ロム偶ログさんは、これは独学徒さんご自身のことを書いたことであると1802に記しました。

しかし、本当にそうでしょうか。
「変なトラブルに巻き込まれて、家族に危害が及んだり、仕事がやりづらくなる」ことは、実際にわたしに起きた現実です。このような現実を抱える人間に対して、このような事実を「つまらない」ことと記すことは、それはわたしと、わたしのに起きた現実をつまらないことといっていることになりませんか。

わたしが1801に記したことは、そのような意味です。
もちろん、わたしは謝罪する意思はありません。
むしろ、以上のように、自分に当て嵌めながら、結果的にわたしの在り方を「つまらないこと」と文脈的に意味するような文章に対して、抗議を申し入れたいのはこちらのほうです。

以上の点を管理人さんにおかせられましては、ご考慮いただき、ご決済をいただければ幸甚です。

1820独学徒:2007/09/05(水) 22:30:41

>1819
犀角独歩さんの身に、過去何があったかなど、私が知るわけもないでしょう。
1800の私の投稿は、偶ロム偶ログさんの仰る通り、私自身のことを書いた内容です。
誤解もここまでくると、被害妄想とも取れます。
こっちが迷惑です。

1821問答迷人:2007/09/05(水) 22:33:10

独学徒さん

呟きです。

この前、ずっと話をしていた支部婦人部長が役職を降りて、副支部婦人部長になりました。旦那さんを説得して、支部長を辞めさせて、今はお二人で、静かに勤行・唱題に励みながら、今まで20年に亘って積み残してきた家庭のこと、子供さんたちの軌道修正に励んで折られます。ご長男は、お気の毒に引きこもり青年です。20歳を過ぎていますが、働くことも無く、ネットの仮想空間を彷徨っている有様です。
今からでも遅くない、この子供達の為の軌道修正の為に頑張るんだ、と決意しておられます。学会活動最優先の日々の中で、子供さんたちが犠牲にされてきたのだと思います。

活動に溺れて来た人たちが、一人でも、その事実に気付いて、立ち直ってほしいと願うのみです。

僕自身も、学生部の役職を最優先にして、大学卒業を棒に振ってしまった人間です。そして、僕の担当していた組織の中で、同じく大学を棒に振ってしまった複数の人間が居ます。この人たちは、僕の活動を見習ってしまったのかもしれません。慙愧に耐えないです。

活動を最優先にして、良いことは何も起こりませんね。一部の特権者が本部職員として、学会エリートの道を歩みましたが、途中から、新聞紙上から名前が消えてしまいました。今はどうしているのだろうか、と案じてしまいます。

1822潭溺:2007/09/05(水) 22:34:41
横レス失礼。

犀角独歩さんは心構えが「趣味」の段階で、
「変なトラブルに巻き込まれて、
家族に危害が及んだり、仕事がやりづらくなる」
ようなことになったのですか?
そうではないでしょう。

そこのところの前提条件がそもそも違う以上、
独学徒さんの言う「つまらないこと」は
犀角独歩さんには当てはまらないのではないかと
私には思えます。

1823犀角独歩:2007/09/05(水) 22:36:31

尚、今回の一連の遣り取りは、1794に、創価学会の責任につき、わたしが独学徒さんへ問うた一件から出発しています。
近視眼的に1800からの判断をしないでいただきたく存じます。

はたして、何故、独学徒さんにおかせられては、創価学会の責任追及の段になると、それまで、写真出所や、書籍紹介に饒舌であったのが、一転して「趣味」「つまらないこと」と変転し、創価学会の責任問題という論旨を敢えて外す方向になってしまったのか、わたしには極めて不可解に感じるものです。

出所不明の写真には饒舌、一点、創価学会の責任問題では解答回避、このような態度を、わたしは「無責任」と記したのです。

1824犀角独歩:2007/09/05(水) 22:39:30

独学徒さんとわたしの遣り取りなのに、何だか突然、色々な人が登場しますね。これはどういうわけでしょうか。

なお、独学徒さん、「被害妄想」というのは精神病を指す用語です。人権侵害に当たりますよ

1825アスラン:2007/09/05(水) 22:40:45
独歩氏
そうでしたか。貴殿にもそのような現実が起こっていたとは、私もロム歴が短かった為に存じ上げませんでした。
申し訳ありませんでした。
確かに趣味の域であったなら、家族が大切ならば、目立つ行動はやはりいつか大切な家族へ危害が及びます。
私は過去、現役会員の反創価のホームページを潰して、またその会員を突き止め即退会させた事があります。現在の学会はこういったインターネットに関してはかなり力を入れ始めました。独学徒氏も、そう言ったリスクを負ってほしくはありません。どうか今後の生活を鑑みるならば、自制をお勧め致します。

1826管理者:2007/09/05(水) 22:46:22

犀角独歩さん
独学徒さん

>以上の点を管理人さんにおかせられましては、ご考慮いただき、ご決済をいただければ幸甚です。

>誤解もここまでくると、被害妄想とも取れます。

それぞれのお立場、拝察申し上げます。お二方の、当掲示板に対する貢献度は、それぞれお立場は違っても、忽せに出来ないものがあります。

掲示板ルールに抵触するかどうかについては、既に抵触するとまでは言えないと判断させていただきました。この件に付きましては、この程度にて、立場、考え方の違いを超えて、鉾を収めて戴きたい、というのが管理者の思いでございます。
どうか、管理者に免じまして、お収めいただきますようお願い申し上げます。

1827犀角独歩:2007/09/05(水) 22:49:02

アスランさん

合意点が見つけられたことを有り難く存じます。

貴殿の身に起こったことは、わたしの過去の経験と重なるところもあります。ご承知かどうか存じ上げませんが、一昨年のこと、わたしは顕正会から実名を挙げられたうえ、『顕正新聞』紙上で「元学会員」「魑魅魍魎」と口を極めて誹謗の限りを尽くされました。
また、その後の日曜勤行でも、度重なる悪口雑言の限りを尽くされました。創価学会を脱会したのは、もはや17年前のことになりますが、当時、『聖教新聞』地方版ながら、地元幹部が紙上座談会に登場し、わたしをして、「けがらわしい」と詰った文章が掲載されたこともあります。その他、電話、手紙、訪問はその数を覚えきれないほどです。そのような経緯で家族は、不安な日々と数カ年に送りました。

今後とも、どうか、ご指導・ご鞭撻をお願い申し上げます。

1828独学徒:2007/09/05(水) 22:50:09

犀角独歩さん、
>「被害妄想」というのは精神病を指す用語
違うと思います。被害妄想とは症状の一つであって、精神病を指した言葉ではありません。
被害妄想=精神病と結びつけるほうが、人権侵害でしょう。
創価学会の責任問題など、過去に自身の掲示板でも記したことで、いまさら「無責任」呼ばわりされる筋合いはありません。
金原氏の著作に掲載された画像は、私にとって価値的であった、ただそれだけです。
その感想に文句を付けられる筋合いもありません。

1829犀角独歩:2007/09/05(水) 22:51:11

管理者さん

わたしは、こちらの場をお借りしている身上です。
管理指導を遵守します。
1826をご決済を受け止めて、これまでといたします。
お騒がせいたしました。

1830犀角独歩:2007/09/05(水) 22:55:05

独学徒さん

被害妄想、精神病については、以下の検索をご参考に。
個人の見解ではなく一般通念から、物事は判断されます。

http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GFRC_jaJP206JP206&q=%e7%b2%be%e7%a5%9e%e7%97%85%e3%80%80%e8%a2%ab%e5%ae%b3%e5%a6%84%e6%83%b3

また、写真について、文句を付けたことはありません。その信憑性を問うたのみです。

以上です。

1831独学徒:2007/09/05(水) 22:56:15

管理者さん、
私も管理指導に従いたいと思います。
ご迷惑おかけしました。


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