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本門戒壇の大御本尊様の偽作説について

1632ひきこもり:2006/07/12(水) 01:20:47
10時間唱題すれば、独歩さんも、きゃからばあさんも悩みは解けますよ。

全ては唱題と体験です。私は8歳の時に30分唱題して、信心の根本を得ま
した。また10代の時に1万遍唱題をして、大体験を得ました。

唱題こそ信心の根本です。

1633犀角独歩:2006/07/12(水) 06:30:33

ひきこもりさん

たった、それぽっちでいいんですか。
随分、少ししか唱えないんですね。
なお、誤解があるようですが、悩みなんかありません。
あるのは、あなたが拝んでいる本尊が間違っているという事実だけです。

1634きゃからばあ:2006/07/12(水) 08:45:48

ひきこもりさん、こんにちは。

あたりまえだけど唱題は量ではありません。
そして御本尊の真偽は絶対必要であり、その結果をきちんと後世に残さなければいけないと私は考えています。
大石寺にしても板御本尊が本物だと言う証明をきちんとやる義務があるはずです。
なのにやらない。だからやってもらう方法を考えているんです。

1635犀角独歩:2006/07/12(水) 09:20:08

きゃからばあさん

唱題の量のことですが、わたしは石山で「題目は一万遍でも多からず、一遍でも少なからず」と習いました。

けれど、日寛は『本尊鈔文段』に「…像法の智者大師すら尚毎日一万遍なり。何に況や末法の我等をや。一たび人身を失えば万劫にも得がたし。 一生空しく過ごして永劫侮ゆることなかれ云云」と言います。この「一万遍」とは、もちろん「天台大師、毎日行法の日記に云く『読誦し奉る一切経の総要、毎日一万遍』」のことでしょう。

智邈ですら、一日一万遍である、まして末法我等が、それ以上であらなければなるまいと日寛は言ったわけですね。また、この唱題は、学会の超特急で1時間で3000回も唱えてしまうものであるはずはなく、となれば、毎日、半日は唱題三昧ということになるのでしょう。

日蓮の修行は、およそ1日8時間だったと、どなたかが仰っていました。
SGI勤行だとか、略式だなどという不謹慎は、この修行にはないでしょうね。

ともかくも、模造を弘安2年10月12日、日蓮直筆を日法が彫った、最初仏も同木から作ったという石山のアナウンスは、800万人375億円となり、それは四半世紀を以て瓦礫と化し、それでも飽きたらず、いまだに奉安堂を再建して、斯かる行為を繰り返しています。真実は糺明されなければなりませんね。

1636ひきこもり:2006/08/04(金) 10:09:48
>>1635
独歩さん。
水の信心ですよ。それこそが真の幸福に繋がる直道だと思います。
あと体験こそ全てです。いかに教義を研究して、本尊の真偽を探究してもナンセンス
だと思います。

私には体験があります。これは大幹部もやっと納得してくれた体験です。真剣に祈祷
すると現証が出ます。出る人と出ない人もいるようですが。現証があれば創価を辞め
ることはまずありませんよ。

1637犀角独歩:2006/08/04(金) 10:44:41

ひこきもりさん

あなたに、わたしの何がわかるのですか。
わたしに経験がない、現証がない、体験がない、水の信心がないと、なぜ、あなたにわかりますか。

そのように人を決めつける、創価の体質に嫌気がさしたということです。そのようなことをして、恥じない創価の実証体験談は、気分が悪いだけです。故にやめて、本当によかったと思っています。外には、創価では体験できない清々しい世界があり、実証がありました。やめたことのない人にはわからない境地です。
狭い創価の外には果てしない天空が広がっているのです。

1638下学上達:2006/08/09(水) 03:05:54
私も学会員ですが、独歩さんの言われる通り
学会の排他的、独善的な所に不信を持ちました。

誰かさんが素晴らしい信心で大体験を積まれたかもしれませんが、
未入信の普通の人でもそんな体験をされた方は大勢いらっしゃると思います。

しかも「偽本尊」を拝んでの大体験なんて私は、したくないですね。

1639やっぱ真筆がええで・・・:2006/08/11(金) 13:36:27
>しかも「偽本尊」を拝んでの大体験
ここで言う所の「偽本尊」とは大石寺の戒壇本尊を指すのでしょうね?
まさか、大石寺の戒壇本尊並びに、分身散体のご歴代の本尊は本物で、
創価、正信、顕正の本尊は「偽本尊」に該当すると言う意見なのでしょうか?

1640真実知求者 38:2006/09/07(木) 18:06:51
,、、全く、、御最も至極にぞんじます、、。 
 小生も「真筆本尊こそ命と、、ゾッコンでした、、ヨ、、」。
しかし、、しかし、、、でしたヨ、、。  
  都合二回ほど真筆・本尊様をご拝見しました、。  一回目は「、、ヤットこさ、、日蓮様にお会い出来ました、、と言う大感動、、でした、、」、、。
 二回目は、、ドーモ、、周りの様子が、、???、、だな、、??と思いました、、。
 判ったのは、、「古代〜中世の文物を展示しているルーブルや大英博物館の一般の観覧者の視線と全く、、同じ、、でした、、」、、のです。
 その当該寺院には得体不明の力士像〜その他の木像などがワンサカ、、でした、、。
 富士門流の清楚・簡素な寺院祭壇を見てきた者には、、ガツンとした、、「、、強大な違和感と戸惑いを実感、、」、、したものですが、、、、。
 いかにすれば、、「、、日蓮様の誠の御誠心を体得、、体現、、出来る、、自分、、が、、??」、、ではないか、、と愚考しておりますが、、。 ご指導のほど、、。

1641犀角独歩:2006/09/08(金) 08:17:28

> 1640 真実知求者 38さん

わたしはまるで反対の感覚を経験しました。
石山を離れて久しいのですが、つい数ヶ月前、かつての所属寺院の本堂に入り、その本尊をしげしげと眺めました。1枚、どかんと置かれた黒光り、金ぴかに光る文字が目立つ「本尊」、須弥壇とその荘厳はたしかに他日蓮門下とさほど変わらないものの、黒光り、金ぴか文字の板だけが鎮座した様は、実に異様と映じました。

日蓮自身(たぶん、ご自身で刻まれたであろう)持仏を常に拝んで要らしたわけですから、そもそも仏像がないという奉安は、どうにも不可思議な感覚を懐きます。

ここで、わたしは自分自身をしげしげと観察したのですが、かつて、鳥居やら、仏像を忌避した自分があった、いまはかつての本尊を黒光り・金ぴかで気味が悪い、仏像の相貌を見る心安らかな気分となる、その心境の変化は何だろうか。
わたしにとって、前者は刷り込まれた感情操作であったのに対して、後者は、自分が選んだ感情であったということです。

ただ、その逆もあるわけで、どちらかが正しいという二極、唯一選択ではなく、どちらもあり・どちらもなしもまた、各人を各人の自由意志でつかみ取る者であればよい、「地獄に堕ちる」「罰が当たる」と脅されて、してきた選択から卒業するところに解があるのだと思います。

1642とんび:2006/09/09(土) 05:05:23
こんにちは。

私は、戒壇の御本尊は、いわゆる日蓮聖人の実際に遺された物ではなく、後生の
ものだろうと思います。

ただ、ある「花」を写生すれば、100人100用の絵ができます。しかし、その
描いた指し示す「花」は同じ物。また、それらをコピーしても同じ物、同じ「花」を
指し示していると思います。

 要は、本尊を信じているか、南無妙法蓮華経に背いているか・沿っているかの問題
だと思います。

1643れん:2006/09/10(日) 17:38:40
昔に書いたことのおさらいになりますが、石山所蔵の日眼師写本の心底抄の奥書に石山日有師の高弟南条日住の筆にて「当家随分の書と故上人常住御披見申され候なり」とあります。この日住が言うところの故上人とは勿論日有師です。住師の筆によれば有師は心底抄を「当家随分の書」と大変高い評価を与え重要視していたことが分かります。この心底抄には「行者既に出現し久成の定慧・広宣流布せば本門の戒壇豈に立たざらんや、仏像を安置することは本尊の図の如し」とあります、有師の当時にすでに石山に本門の戒壇に安置するという彫刻本尊なるものがあったならば、有師は心底抄の当該部分について、当然批判を加え、日住も当然それを奥書に念記するところでしょう。しかし、有師は実際のところ心底抄を批判せず、むしろ「当家随分の書」と心底抄を重要視し大変高く評価してたことを日住が書き残したことは、少なくとも石山は、日有師の当時、また日有師の逝去直後には、石山に彫刻本尊なるものは存在せず、当時の石山の事相戒壇義も心底抄のそれと同義であったことを証しています。ですから、今の石山の彫刻本尊を中心とする事相戒壇義は、石山に於いても近世以降の新義ということでしょうね。
犀角独歩さんが素朴の疑問のスレッドにおいて、蓮師が文永八年の最初の漫荼羅では「之ヲ書ス」とし、文永十一年の時点では「之ヲ図ス」となっていることを指摘されておりますが、建治二年二月・釋日与授与の漫荼羅では「佛滅後二千二百二十余年之間一閻浮提之内未曽図画大漫荼羅也」と“図画”と記されている点も、蓮師の漫荼羅を考える際には考慮に入れなければならない点かも知れません。心底抄には「本尊の“図”」とありますから、初期興門には蓮師の漫荼羅について“図”という意識も存在したことは、注意すべき点であると存じます。

1644無学無明:2006/09/10(日) 18:11:13
とんび様。
 他の欄でも投稿させて戴きましたが、事、ご本尊に関しては、貴殿は写生の御感覚のようですか?
 今ここに、日蓮祖師の原点は、何も足さず、何も引かずを視野に入れるべきかと愚考中です。 昨今のIT・通信の進展により言論の自由度は倍加しています。
 もう、力で押さえ込もう、などは疑問です。 そろそろ、アホな?庶民の成仏を応援してくださいませ、、。

1645犀角独歩:2006/09/11(月) 20:42:48

れんさん、ご賢察、まことに参考になりました。

彫刻本尊、日有造立説は、日蓮宗でも一般化していますが、当掲示板で考えてきたとおり、わたしは、この説を採ってきませんでした。その点をさらに補完していただき、学恩に感謝申し上げます。

1646れん:2006/09/12(火) 18:40:39
犀角独歩さん
過分なるお言葉を賜り恐縮です。
奉蔵於奥法寶に掲載された有師筆の漫荼羅三幅の首題の経字をみますと、蓮師御筆漫荼羅における第三期の筆法が使われていますね。下野阿聞書によると、有師は越後本成寺貫首に「御正筆をあまた御拝有るべきなり」と語っていたことを記しているので、有師は数多の“御正筆”の蓮師漫荼羅を直拝した経験があったようです。これから推定すると片岡随喜師・山中喜八師ほどの正確な分析には勿論程遠かったでしょうが、有師は自らの見た範囲で大雑把な蓮師御筆の首題の経字の変遷は認識していたのではないかと思われます。ですから有師が自らの漫荼羅にわざわざ蓮師御筆漫荼羅における第三期の経字の書体を用いていたのは注意すべき点です。
少なくとも心底抄の事相戒壇義に同意していた有師には、漫荼羅を本門戒壇の本尊とする教義は無いのですから、有師には彫刻本尊を作成する動機は無く、蓮師の経字の変遷をそれなりに認識していたと思われる有師が、脇書きの“弘安二年”と年代が相違する原本を用いた彫刻本尊を作成したということも考えにくく、以上の点から石山が彫刻本尊を作成した年代はもっと時代が下ると考えていますので、私も日蓮宗で定説化している石山彫刻本尊有師造立説には同意しておりません。
有師の造立説の初見とされるのは、重須日浄師の記録ですが、私は不勉強ゆえ、その詳しい内容をしりません。この日浄師の記録が全文公開されれば、何か参考になるものがあるかもしれませんね。

1647犀角独歩:2006/09/13(水) 00:27:19

れんさん、重ねてのご教示、有り難うございます。

日浄録に関しては、三学無縁さんは、その原本を見ずとして、疑義を表していました。もっともなご見解であると考えます。
日有造立説の根拠が揺らぐのに、この点を訂せない大崎の継承は、さておいて、わたしどもは前に進むことにいたしたいと存じます。

1648無学無明:2006/09/13(水) 21:25:19
 れんさん。
 そんな簡単でしょうか、、?
 当時のヤリトリを最小限でも考慮したいものです、。
 他家・他宗の本尊観察結果こそが、???、、でしょうか、、?
 即ち、自分方に無く、、他方に存在する何か、???、、が、、????
 二箇相乗、、以来持たざる僻み根性、、??と、権威の発揚、?、と言う誘惑・欲望に、、???、、
 でしょうか、、??  何かを「ヤラカス下地=素地は、、すでに存在、、??」、、かも、、??

1649れん:2006/09/14(木) 21:11:15
無学無明さん初めまして。1648
>当時のヤリトリを最小限でも考慮
当時のヤリトリとは、室町期における重須と石山・重須と西山・保田と石山との正嫡争いのことでしょうね、その程度のことは、富要を所持されている方ならば百も承知でしょうね。しかし、同時代の文献でそのヤリトリ(争い)の内容を書き残したものがほとんどなく、文明十四年の日郷門下と石山との問答を記した本乗寺日会記の「大石寺久遠寺問答事」(この問答の際、重須日浄師が石山本尊堂にて同座したことが記されている)が残っている程度でしょうね。しかし、この大石寺久遠寺問答事には彫刻本尊の議論やそれに類したことは出てきません。そのことは、この時点では石山においてまだ彫刻本尊が作成されてなかったことを示すのでしょうね。
>他家・他宗の本尊観察の結果こそが…
数多の蓮師御筆漫荼羅を見た経験があった日有なら、間違っても年代も筆法も弘安二年のものとことなる日禅授与漫荼羅を原本に彫刻本尊をつくらなかったでしょうね。日有が自筆の漫荼羅に蓮師における第三期の経字の筆法を使用していることは、日有が弘安期の蓮師漫荼羅の経字の筆法には第三期と第四期の二種類があることを大雑把ながら認識していたからでしょう。彫刻本尊が日禅授与漫荼羅を原本にしていることは、日有に存したであろう第三期と第四期の経字に対する認識が曖昧になり忘れ去られた、日有の死後、だいぶ時代がたってからの作成であるためでしょうね。
>即ち自分方に無く他方に存在する何か…
当時の富士では、重須でも石山でも西山でも心底抄眼師本奥書から探るに、戒壇の本尊は心底抄に有るとおり、仏像安置であった訳で戒壇にかかるもので他方に存在する何かを想定することは難しいでしょう。二箇相承は重須が自門の寺家の正当性を主張するために作成した偽書であり、その作成動機は石山の彫刻本尊作成動機と同様「権威の発揚という誘惑・欲望」と見るのはうがった見方でしょうか?
>何かをヤラカス下地=素地…
日有は事相事戒壇論については心底抄に依ったものの、門流の本尊を漫荼羅と蓮師御影に選定したことは、やがて、富士門を席巻する不造像不読誦義の下地の一つとなり、それから戒壇安置も仏像から漫荼羅にすり替えられることになり、石山が彫刻本尊作成をヤラカス素地になったであろうことは想像にかたくないですね。
以上ご参考まで。

1650無学無明:2006/09/15(金) 22:31:20
  横からお邪魔しましてすみませんでした。 御丁重なるコメントには無学無明のオチコボレの自分ではお返しする言言も有りません。
 また、正嫡の件ですが、当時の現場(現況)では欲望、?、、の対立も存在していたようですか、?
 サスガの厳しいガンコ、?、な日興様の神通力も寄る年波には勝てず、?、反対の意見具申する方方も出現したようでしょうか、??
 、、当該の執政者が元気な内に次の後継者を選択の重要性も含蓄、、でしょうか、? ソノ点、日達様が?が残念でなりません、、。
 しかし、、その流れを継承し、、より良い変革への息吹をと前向きな、何かを、、、感じます、。 れんさんの真摯なお心には感服しました、。 今までのご無礼を陳謝を致します所存です、。 、、早々、、。

1651れん:2006/09/16(土) 18:06:41
無学無明さん
こちらこそ、無学無明さんの鋭いご賢察に敬服しております。


これは独り言の呟きになりますが、連陽房聞書には“大石寺置文なる文章を挙げたあと「異本に云く寺と云ひ御本尊と云ひ墓所と云ひと遊ばし置きたまひ畢ぬ」とありますね。異本に云くの内容から、その異本が恐らく現在の日興跡条々事の内容にあたると思われます。ということは、日興跡条々事は日有の代には石山で偽作されていたことにはなると思います(日浄録には日有の条々事偽作の説があると見聞してますが、残念乍ら現時点で原文にあたれない由で残念です)。異本に云くの御本尊とは、日有以後の石山貫首の江戸時代の十七世日精ですら「日興身に宛て給る等は是れ万年救護御本尊の事なり、今房州妙本寺に在り」と記しているので、日有の言った御本尊とは保田妙本寺所蔵の万年救護本尊を指していると思われますね。
もっとも、当時の富士門(重須・石山・西山)での事戒壇安置は仏像というのがその所伝な訳で、保田の万年救護を戒壇本尊とする説も後世の不造像不読誦義と後世に石山が偽作した彫刻本尊に引きずられてしまった解釈ということになると愚考します。
現存の条々事の弘安二年云々から、弘安二年の蓮師御筆の存在の可能性も以前考えましたが、興師筆漫荼羅からその可能性はあるものの、犀角独歩さん等のご教示により、たとえ存在したとしても嘉暦の重須での盗難で紛失してしまい、該当する漫荼羅が現在の富士門系寺院のどこにも残ってないので、結局、嘉暦の盗難で紛失したままと理解致しました。

1652犀角独歩:2006/09/17(日) 10:27:50

れんさんほか諸賢


ちょっと、失念したので、ご教示いただきたいのです。

(1) 石山・大講堂に安置されている安第16大本尊の模刻は、いつのものでしたでしょうか。

(2) 日亨氏が石山の日禅授与と北山のそれと区別が付かないとした文書は、どこに載ったのでしたか。

以上、2点、よろしくお願い申し上げます。

1653独学徒:2006/09/17(日) 12:25:50
犀角独歩さん、

(1)は、能勢順道師の諸記録第1巻74ページの記述によれば、本山第30世日忠上人の御代に彫刻されたもののようです。

(2)の方は「富士日興上人詳伝」の613ページの記述ではないかと思われます。

1654犀角独歩:2006/09/17(日) 18:23:04

独学徒さん

有り難うございました。
重ねて恐縮ですが、(2)の該当箇所の文章をアップしていただけませんでしょうか。

1655独学徒:2006/09/17(日) 21:26:32

犀角独歩さん、

堀日亨著「富士日興上人詳伝」
第11章−直弟子および孫弟子の略伝
九、日禅上人
613頁4行目〜6行目

『禅師へご授与の御本尊については、興師のご加筆のが現存すべく、それと同形のが北山本門寺にも法道院にも存在する。予が、眼が拙いためかいずれがご真筆でありやは判断しかねる。』

以上の箇所が、(2)でいわれたところかと思いました。

1656犀角独歩:2006/09/18(月) 00:08:47

独学徒さん

有り難うございました。

1657彰往考来:2006/09/18(月) 06:20:23

>1652 犀角独歩さん

(2)についてすでに独学徒さんが回答されていますが、

堀日亨『富士日興上人詳伝』(昭和38年、創価学会)の613頁に
「禅師へのご授与の御本尊については、興師のご加筆のが現存すべく、それと同形のが北山本門寺にも法道院にも現存する。予が眼が拙いためかいずれがご真筆でありやは判断しかねる。幸いに両本尊を同坐申し上げたら判明するであろうが、その機会はなかなかあるまい。先年上総国東金にある祖書鑽仰会の片岡清助氏が大挙撮影のときに北山にて予も参列したが、同氏らの忌憚なき真偽の評言に同山の司判(檀徒惣代人等)達が憤慨していた。そのためでもあるか、同会の改称である立正安国会から出版せられた全御聖筆の中の「御本尊集目録」には北山本門寺蔵御聖筆十一幅の中にはようやく徳川神君に有縁の鉄砲曼荼羅という一幅しかのっておらず、稲盛六郎授与の分は模本であるとして、他山の御正本というのに端書に記してあり、その他の多数は取るに足らぬもので、ことに本項の禅師の御分はあるいは拙劣なる模本と見たのかもしれぬ。もっとも、これを伯耆曼荼羅と同山でいっているのは、天正度に武田家に強奪されて、後に伯耆国で発見せられて送り越されたより、しか名称するのであるが、これと法道院の御分との学術的判断は安国会主にも問い合わせもしようし、とにかく将来の楽しみに留保しておく。」
とあります。
参考までに片岡氏による北山本門寺での撮影は、昭和4年2月23日から28日の間です。
また、禅師授与漫荼羅が法道院から富士大石寺へ奉納されたのは昭和45年3月25日です。

1658犀角独歩:2006/09/18(月) 06:48:38

彰往考来さん

ご教示有り難うございます。また、種々、申し訳なき点、お詫び申し上げます。
とある方から、お預かりしている『堀帖』も所蔵してありますので、一度、お越しください。

1659無学無明:2006/09/20(水) 21:12:22
,、、1651、、れんさん、、、。
 経緯、、傾注的な思い、、希望的な思い、、など、、問題は、、一筋縄では、、??
でしょうか、?  しかし、 
年波が高い、、中・高年の我々からの願い、、??  ただヒトツ>>>「、、、人生の最後は、仏の境涯で終わりたい、、、!!!、、」」、、と確信していますが、、???  甘い、、??、、 でしょうか、、??

1660小心者:2006/09/21(木) 19:00:59
 1659さん、横からゴメン、です。
 庶民の自分は「俗に他者が言う成仏、云々、」には卒業したいです。
  こういうアマ言で誘惑・勧誘する集団には断固として「No、!」を言うべきですか。
 今でも公開されている「日蓮・真筆・本尊」をコピーして(後ろメタサは有るが)、拝み、日蓮の本誠を感得・体得・体現出来るような唱題を実践してみましょう。
  現今は定点が不明確です。 思考と錯誤の最中です。 もう、他の団体には? でしょう、? 自らが思考し試行すべきでしょうか、、。 それがダメだったらやり直しも可能でしょう。
 現実の厳しさは、株式投資と同じく「自己のそれぞれの責任で行動されたし」と言う現実を無視は不可能な時代だと実感しますが、諸賢さまの御意見・提言はいかがでしょうか ?

1661犀角独歩:2006/10/04(水) 08:26:28

せっかくの偽作論議なので、こちらに移動しました。

石山は、当初、日興の息のかかる位置にあり、教学的影響は、日道が、日順に師事して学び、坊まで建てていたわけですから、この辺までは同じように扱えるのでしょう。ただし、漫荼羅書写に関しては、日目は日興とは違う書き方をしているわけですから、ここに師伝の関係は見られないと思えます。日目の教学が如何ばかりのものであったかはわかりませんが、むしろ、日興―日澄―日順―日道という学問系譜があり、日興―日目とは別ではないのかと、わたしは考えています。肝心の漫荼羅書写に関して、日興を継がなかった日目が正当な日興の系譜と見なすことはできないだろうと思えます。

その前提は前提として、石山における崇敬漫荼羅は日興の時代から経年して入れ替わっていく様をしっかり押さえないと、恰も「戒壇本尊」、もしくは「弘安二年本尊」と称されるものが700年来、一貫して同一物であるという詐術に惑わされることになります。

すでに問答名人さんとも十分に議論したところですが、日興授与の弘安二年本尊、すなわち、授与書に「日興上人」と記され、さらに「二千二百三十余年」と記された漫荼羅が、当初の北石共通の崇敬漫荼羅であったという推測は成り立ちます。
れんさんは確か、日興80歳の盗難事件には懐疑的なお立場であったと記憶しますが、仮に、これが事実であれば、この段階で、この漫荼羅は失したことになります。

ただし、ここで、れんさんが注意を促してお出でのように、日興門下における本尊義は、けっして漫荼羅正意ではなく、仏像造立を本懐とする顕正居士さんのお言葉を籍りれば、「設計図」としての漫荼羅図なのであって、日興の本尊義とは当初、四菩薩を副えた釈迦像であったのでしょう。つまり、当初の段階で、日興の戒壇本尊は所謂、一尊四士であったと考えられることになります。

次の段階では、日浄記は捨て置き、日有の身代彫刻となりますが、さて、これは如何なものでしょうか。
れんさんがお示しくださっているように、日有もまた仏像本懐の人であったようで、漫荼羅面から見れば、身代とは別に、先にわたしが示した石山紫宸殿と称される本尊は第82漫荼羅であり、それを模刻をしたものを重視した流れがここに生じたと思えます。もっとも、日有がこれを紫宸殿本尊、ましてや、師資伝などと称したわけもなく、落陽の評判を盗用して言い出した名称はともかくとし、重要視していたのは事実でしょう。

さて、次の段階では日主の示書の初出が挙げられることことになるのでしょう。この腰書、造立由来を記した文句は、では、どの漫荼羅を原本にした彫刻に付されたのかという点は、はっきりしません。わたしは、条々事その他のごとく、石山「真筆あり」といって影本を出さないような代物は胡散臭い真贋もはっきりとしない代物であって、まともに取り扱う資料とは言えないという立場で一貫していますから、この示書の証憑性はないに等しいと考えます。ただ、この時点で、このような書を置く、石山史捏造の資料としては興味は惹かれます。

そして、ようやく日精の御影堂建立と御影像後ろに置かれた板漫荼羅の登場となるわけです。では、この板漫荼羅が、現在のものと同一化、もしくは原形かは、御影堂の宮殿厨子高さ・幅・奥行を計測すればわかることになります。日達氏の発言にあるとおり、いまの彫刻は半丸太型であるというわけですから、この須弥壇、宮殿、厨子が作り替えられていないのであれば、その形は丸太一本がすっぽり収まる形になっていなくてはならないわけです。なにせ、あの御影は板漫荼羅と同木を材としたというわけです。つまり、板漫荼羅の半丸太の、一方の半丸太で作られたというからです。この厨子が丸太一本入る奥行きがあり、その高さが、彫刻本尊を納める高さと幅があるかどうか、作り替えられておらず、そのままで、サイズが合わなければ別のものであったということでしょう。

さらに完則、日憲が見たものの相違、そして、明治の写真へとなっていくわけです。
一尊四師仏像からはじまった戒壇院の本尊は、中途から板漫荼羅へと変遷し、さらに数代に亘り、何度も再造されていったと考えざるを得ません。

もっとも、完則、日憲が見たものは御前立本尊だという説は成り立つでしょう。ここで、まことしやかに取り沙汰される半丸太の裏側は厨子になっており、そこに小さな板漫荼羅が安置されてあり、これこそ、正真正銘の「戒壇本尊」であるという話も囁かれます。しかし、御前立本尊といい、裏に仕込まれた本尊といい、ならば、800万信徒から375億円の金を集めて建立した正本堂、そして、いまの奉安堂に「本文戒壇の大御本尊」と言って内拝させるそれは、身代物であるといっていることになります。人を食った話と言うほかありません。

1662犀角独歩:2006/10/04(水) 08:33:44

【1661の訂正】

誤)落陽
正)洛陽

誤)本文戒壇
正)本門戒壇

1663れん:2006/10/04(水) 11:51:13
私も、富士門流ことに石山における本尊の変遷に対する認識は犀角独歩さんに同感です。
日興在世の嘉暦の本尊盗難は、八通置状の記述は信頼に欠けるものの、日順血脈の記述もあり、盗難そのものは史実で、その盗難されたのは、問答さんと独歩さんが議論された漫荼羅であったろうと私も認識しております。
半丸太の裏側が厨子で、そこに本当の彫刻があるということがまことしやかに語られているとのこと、それが事実と仮定したとして、中にあるのがまた彫刻だという点で、なんか玉葱の皮みたいな話だなと思いました。

1664犀角独歩:2006/10/04(水) 13:48:54

れんさん

半丸太の裏側は厨子で、その中の板漫荼羅という風聞ですが、これは、わたしの聞いた限りでは、彫刻ではなく、板に墨書したもの…墨図というべきかもしれませんが…だというのです。

それが彫刻であれ、墨書であれ、もし、そのようなものがあれば、それを拝す方法、たとえば、須弥壇・宮殿・厨子裏側に、秘密の扉があるなどの仕掛けが伴わなければならないことになりますね。そんなことから「本当だろうか?」という疑問を、当然、わたしは懐いています。ただ、その話の出先は信頼できな人ではないのです。まあ、しかし、仰るように玉葱の皮を剥いて本体を探すような話ですね。

1665れん:2006/10/04(水) 17:23:15
犀角独歩さん
>1664
彫刻ではなく、板に墨書したもの…
ということは、もし、それが存在するならば、感じとしては柳澤師の「石山本尊の研究」に写真掲載された日元師や日英師の墨書板本尊みたいなものということになりましょうか。それが本当なら相貌など興味が涌きますね。もし、半丸太の裏が厨子であるならば、独歩さんが仰る設備が必要でしょうから、実際はどうなんだろうかとは思います。
>ただ、その話の出先は信頼できな人ではない…
独歩さんがそう仰るだけに、安易に否定出来ないですね。その墨書板本尊が存在するとして、それが何時頃成立したものか、と推測すれば、やはり、有師の死後の不造像不読誦・大漫荼羅正意の本尊観に傾倒し、戒壇本尊=大漫荼羅と認識されるにいたった時代の石山貫首により偽作されたものだろうことは想像され得るところですね。

1666名無しさん:2006/10/04(水) 19:20:18
要するに日蓮さんの真意を継いだ者が誰もいなくて、
日興でさえ「我流」の教義になっているし、
現在は曼荼羅第一と言われていたのが、本当は「木造仏の一尊四士」だったり。
結局、今は誰も「本当の御本尊」を拝めていない、と言う事になりますね。

1667犀角独歩:2006/10/04(水) 19:47:31

1666 名無しさん さん

「はじめまして」で、よろしいのでしょうか。
一尊四士本尊という仏像形式のアイディアは、これを日興義であるというのが、富士門下の上代資料です。この資料の証憑性は、ここに取り敢えず論じませんが、ともかく、そのような考えが日興に寄せてあったのは、事実でしょう。

では、日蓮その人の本尊観は、と言えば、観心本尊ということになるのでしょう。この四字成句を、どう読むのかは、門下一大論争の一つです。しかし、字面を読めば、己心に観ずる本尊であることは明らかでしょう。この点は、同書の内容から窺えます。では、その心に観じる本尊はしかし、日蓮己心に納まったままではわからないわけです。では、その形を表せば「出現仏像」ということになるわけですが、この役務を出家僧侶である日蓮自身が追うというのではなく、一方の四菩薩応現である正法護持の為政者が堂塔伽藍と仏像を建立する、この形式が、その後成句となった一尊四士であると暗に記すのが同書であると、わたしは読みます。『四菩薩造立抄』という真偽未決書がありますが、これは中山門流に仮託された対告衆を採っています。となれば、日興門流のみならず、中山方でもこのような考えはあったわけで、これは日興の影響なのか、いや、むしろ日蓮祖師の影響なのかは、考証されてしかるべき点であろうと思います。

日蓮その人は、しかしいずれにしても、終生、釈迦一体を持仏とされ、日興もまた、この仏像を崇敬していたことは動かし難い史実でもあるでしょう。しかし、その仏像を通じて、日蓮は己心の本尊を観ていたのは、本尊抄一巻から類する間違いではないと、わたしは考えます。

仰るような「本当の御本尊」を、日蓮が何と考えていたかと言えば、諄い文になりますが、観心本尊にほかならないのではないでしょうか。

1668犀角独歩:2006/10/04(水) 19:56:44

少し補足です。では、観心本尊とは言えば、以前も記しましたが「我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏也」です。

1669鳥辺野:2006/10/05(木) 16:34:39
>2272彰往考来さん
ありがとうございます。なるほど、これを見れば時代別に火災の時期と再造されたとされる時期が大体わかりますね。私が実際に石山で拝したのは五代目?でしょうか(笑)
>2273れんさん
ちなみに執事さんは「日道師は後代(日行師、日時師)によって四世に奉りあげられたものであろう。元々下之坊の人で大石寺には直接は関係の無い人物だと思われます。日郷上人とは直接対立はしてない。」とおっしゃっていました。

1670名無しさん:2006/10/05(木) 18:56:38
<1667 犀角独歩様

独歩様の本尊に対する御考察、本当に勉強になりました。
これからもよろしくお願い致します。

1671犀角独歩:2006/10/06(金) 08:34:38

名無しさん さん

こちらでは「さん」付けということになっております。
どうぞ、お気軽にお声かけください。

この本尊と仏像、あるいは、漫荼羅の関係というのは、モデルと写真の関係で説明するのが一番、わかりやすいとわたしは考えています。

モデルを撮影した写真は、モデルの写真ですが、モデルそのものではありません。しかし、そのモデルが写っている以上、モデルを大事に考える人は写真も大事に扱います。

同じように仏像は、本尊仏の像であって本尊そのものではありません。しかし、本尊を形に表したものである以上、本尊を信じる人は堂塔の思いを寄せ、大切に扱うでしょう。

しかしながら、仏像そのもの、漫荼羅そのものが本尊であるといってしまうのは、写真をモデルそのものであるといってしまう過誤に等しいというのが、執行師も示す本尊論であると、わたしは思います。

そのような意味で日寛に闡明となる人即法本尊論は、この誤謬を犯しているものであり、現行、石山が彫刻本尊を「生身の日蓮大聖人」などと称するのも同様です。いわば、器物崇拝という象徴の病を、ここに見ることができます。

1672犀角独歩:2006/10/06(金) 08:35:34

【1671の訂正】

誤)堂塔の思いを寄せ
正)同等の思いを寄せ

1673名無しさん:2006/10/06(金) 18:57:30
>犀角独歩さん

仏像と御本尊の関係が大変判り易くて、理解しやすかったです。m(_ _)m
ところで、仏像という点で、気になったのですが、
石山に「日精上人」という方がおられましたよね。
この方は「造仏立儀」を唱えて昔も今も盛んにバッシングされていますが、
日蓮聖人や日興上人でさえも造仏された形跡があるのにも拘らず、
何故に日精上人だけが責められるのかが、少し疑問に思いました。

1674犀角独歩:2006/10/06(金) 20:57:24

名無しさん さん

1973のこと、まずは以下の論文をお読みになってみてください。
たぶん、こちらの常連さんは、ほぼ全員、お読みになっているものです。

執行海秀著『初期の興門教学に於ける本尊意識の展開』
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/kaishu_003.html

1675鳥辺野:2006/10/07(土) 04:16:12
本日犀角独歩さんのご本「必携 図解 大石寺彫刻本尊の鑑別」を瓔珞出版事務局さんのネット書店にて購入致しました。今から楽しみです。

1676犀角独歩:2006/10/07(土) 07:57:59

1675 鳥辺野さん

恐れ入ります。追って、ご感想、ご意見、ご叱正を賜れれば、有り難く存じます。

1677犀角独歩:2006/10/07(土) 09:27:28

>1674への自己レス

執行海秀師著『初期の興門教学に於ける本尊意識の展開』において、

「宗祖本仏論の思想の最初に現れたるものは、恐らく妙蓮寺日眼上人の康歴2年(興滅49年)の著述にかゝる『五人所破抄見聞』であろうと思はれる」

という記述がありますが、この点は、すでに当掲示板でも議論されたとおり、もっと後代のことに属するでしょう。また、この点は、執行師自身、その後、たしか、説を改めていたと記憶しますが、いまは該当論文名を失念しています。

石山における戒壇本尊論以前の本尊変遷に日蓮本尊論を挙げるべき点を落としていました。夙に有名な『化儀抄』の一節「当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし」とあります。類文を探れば、日有の門に帰し学んだという日教は『穆作抄』に「日蓮上人の御影を造立し奉るべき事御本尊に契当」というのであって、本尊・日蓮の像が御影であるとしていますから、本尊変遷に御影信仰は含められてしかるべきでした。ただし、「爰に日興が云く、御影を図する所詮は後代に知らしめん為なり。是に付け、非に付け、有りの儘に図し奉るべきなり」と『富士一跡門徒存知事』に日興の言として記されるとおり、その用途は、元来は、記録的な意味合いが強かったことが知られます。しかし、後代、日有、日教の時代には、その御影を本尊とし、破立仏像に変わるものとする変遷が見られます。

ただし、ここで注意を有するのは、本尊は、ただちにイコール本仏であるということではない点です。殊に日有は日蓮本仏論者であるというより、日蓮本尊論者であるといったほうが的確であり、さらに日教に至っては当住本仏論者、つまり、いまでいう「御法主上人猊下」が本仏であることをいわんが為の建前として日蓮本仏であり、それは代が変われば、当代に仏の位置が移動するという考えの持ち主であった点は留意されなければならないでしょう。日要の日本仏論からの大石寺日蓮本尊批判は、この点からなされたものであることが窺えます。もっと、この日要は、『申状見聞』でいう、これまた、夙に著名な一節「若し此の状奏間の人、未来於てに有らば、之れ日目が再来と可し知る」という、石山で言う「広宣流布の暁には日目上人が猊座の登る」という伝説は、この妙本寺の伝説を採ったもので、現段階で日目再誕以前と先山信者は欺かれているのは、しかし、各人の勉強不足の故と言うほかありません。この後に、この書の著者・日我は、この日要をして日目その人であると断定せんがために、この遺言伝説を挙げているからです。

石山では当住(当代)が日蓮本仏に代わる仏であるという一方、妙本寺では、日要を日目と持ち上げている様は、富士門下でまことしやかに囁かれる、会長本仏論と会長日目再誕説の下らない会員操作の口コミと同等であり、笑うに笑えぬ、日蓮本仏論の濫觴をそこに見るわけです。

やや、戒壇本尊論から横道に逸れましたが、改めて執行師の文を読むと

「大曼荼羅は、本門の本尊たる本門の教主釈尊の仏心を図顕したものに外ならないのであったのである」

とありました。わたしは、この点では、師の解釈とは見解を異にします。天下の執行師、殊に興門教学からの卒業に、単なる読書の師ではあるといっても甚大な学恩を被る師に対して、僭越ではありますが、ともかく、わたしは、以上のように考えてきませんでした。わたしは「大曼荼羅は、本門の本尊として、日蓮己心に観た久遠本仏・菩薩と印度参集の他の八界衆生を図顕したもの」ではないのかと思います。この点は皆さんのご叱正を賜れればと存じます。

1678独学徒:2006/10/07(土) 10:48:52

犀角独歩さん、こんにちは。

私はこのところ漠然ではありますが、富士門における本尊義は「現前三宝」に即した三種の本尊観があったのではないかと考えています。

所謂
仏本尊=一尊四士・・・中尊は本門教主釈尊
法本尊=大曼荼羅・・・中尊は本門の題目
僧本尊=日蓮聖人・・・中尊は末法法華行者

私は一塔両尊をはじめとする大曼荼羅の形像化は、中尊が「本門題目」であることから、多数の仏像が使われてはいるものの、その性質は「法本尊」に含められるものと考えています。
もちろん三宝本尊のほかに別勧請、或いは「稲荷」や「妙見」など、日蓮宗の歴史の中で霊験(石山・創価系でいえば体験・功徳)を発したことで、多くの信仰を集め本尊として加えられていったものもあります。

現石山では、日蓮本仏思想を基にした「住持三宝」を強く主張しているものと思います。
「住持三宝」を日蓮本仏論圏の立場から拝せば、

仏本尊=日蓮聖人
法本尊=大曼荼羅(石山の場合「本門戒壇之大御本尊」、保田の場合「万年救護大本尊」)
僧本尊=歴代法主

となり、さらに三宝はそれぞれが異なった存在ながらも、不思議一であるとするところがありますので、法主本仏などが延長線上に出てきてしまうのだと思います。

しかし、どのような曲解をしても会長本仏はありえない、それを主張するには「凡夫尊極」という中古天台思想のバックがなければ成立しないものだと思います。

1679犀角独歩:2006/10/07(土) 13:48:03

独学徒さん

三宝の本尊という整理され方は、なかなかユニークだと思いました。

時系列で言えば、仏本尊は、日蓮から日興初期の考え、次に来るのは僧本尊…、泥んだ富士方の成句を使えば「人本尊」となると思いますが、これは日有から見られながら、この段階では日蓮本尊ですね。それで、最後に来るのが‘法本尊’という日寛義でしょう。江戸時代のことですね。

富士門では、法本尊という表現に、あまり違和感を懐かないわけですが、日蓮祖文から見ていくとき、このような考えは、まったく見いだせず、もちろん、日興にもなく、日有の段階でもないであろうと思います。つまり、法本尊から漫荼羅を解読するという考えは、日蓮・日興の原意とは乖離していると思いますが、どうでしょうか。

漫荼羅を、日蓮が本尊と見なしていたかという点については、わたしは慎重です。はっきりと確認できるのは日興の段階でしょう。しかし、では、日興が漫荼羅本尊を、法本尊と見なしていたか。見なしていなかったでしょう。

「題目を書事は釈迦の智慧を顕す」というのは、至極、当を得た表現であると、わたしは思います。

中央に大きく書いてあるから、それが本尊の実体であるかと言えば、そうではないく、妙法蓮華経の五字は上行所伝の正体で、それを伝える故に中央に大きく書かれているのではないでしょうか。

ともかく、この法本尊(もっと、言えば、人即法の本尊)という日寛の発明を、あたかも日蓮義、日興義であると騙されてきたことを、自己点検して、日蓮の素意に迫ろうとした日々でした。

もう一点。

> 三宝はそれぞれが異なった存在ながらも、不思議一

これは、たぶん、『真言見聞』の「凡謗法者謗仏謗僧也 三宝一体故也」という依文を仰っているのでしょうね。「不思議一」は湛然の『法華文句記』に「本迹雖殊不思議一」というのであって、これは本門・迹門について釈することで、三宝を論じるものではないと思います。

> 「凡夫尊極」という中古天台思想

この四字成句は、日眼『五人所破抄見聞』、日教『百五十箇条』『六人立義破立抄私記』にまず見られながら、日有にその影を見ず、日寛が『六巻抄末法相応抄第四』に使いますね。日寛の使用は、たぶん、『就 注法華経御義口伝』の方便品八箇大事「即者凡夫即極諸法実相仏也」、また、廿八品一文充大事の譬喩品「直至道場」の経文を釈した語よったのであろうと思えます。果たして、日眼、日教は、何を根拠に斯様な言辞を述べたのでしょうか。日寛は、御義口伝によったのでしょうね。いずれにしても、日寛の段階で飛躍がある点は看過できません。

仰る「中古天台思想」とは、この場合、伝・伝教作とされ、日蓮があずかり知らない『秘密荘厳論』の「伝教云一念三千即自受用身自受用身者出尊形仏矣。出尊形仏者無作三身云事也云云」をもって展開されるところですね。

会長本仏論は、これらの教義的背景というより、門下教学では、まったく考えられてこなかった“日蓮再誕論”という新義(珍義?)によっている点が挙げられます。つまり、これは、日目再誕説が先行し、それが何と日蓮に転用されたという経緯があるのではないかと、わたしは思います。教学的な濫觴を探れば、日教の当住本仏論の飛躍から生じた見ることが出来るかもしれません。

「『人間革命』は現代の御書」「君にだけ教えるけれど、池田先生は、実は日蓮大聖人の生まれ変わりなんだ」という口コミ操作を、青春のまっただ中で受けたわたしは、会長本仏論の生き証人です。しかし、口コミという、現代の口伝は、実に便利で、何の証拠も残さず、その罪過の追及をまんまと逃れています。

1680犀角独歩:2006/10/07(土) 13:54:23

一つ書き落としました。法本尊という考え方は、『本尊問答抄』の「問云、末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定べきや。答云、法華経の題目を以て本尊とすべし」という一節を受けたものであろうと思います。(これは独学徒さんがということではなく、門下一般論としてです)

この底意には「妙法蓮華経とは法である」というお定まりが、存しています。
しかし、果たしてそうでしょうか。妙法蓮華経とは、妙法蓮華はたしかに法のことであると言えますが、妙法蓮華経とは経であり、経題(すなわち、題目、現代語で言えば、題名)ではないでしょうか。

妙法五字は法である、わたしは、この考え方は「はじめの一歩」で躓いていると思うのです。

1681独学徒:2006/10/07(土) 14:45:05

犀角独歩さん、

御教示ありがとう御座います。
犀角独歩さんも仰せになられていますが、「法本尊」「凡夫即極」(「凡夫尊極」は私の誤認でした。)は、御義口伝(就注法華経口伝)が大きな論拠だと思います。
いまだに創価学会が、御義口伝を重宝するのは「凡夫即極」の思想が、極めて都合が良いからだと思います。
「日蓮から日興」との口伝として創作された御義口伝に、「法=題目」の思想が盛り込まれていることから、御義口伝成立時に富士門に題目=法という考えがあったものと考えます。
『法とは諸法なり、諸法の心と云ふ事なり。諸法の心とは妙法蓮華経なり。』(全集709)
私は体系化としては日寛を待たねばならなかったものの、「法=題目」の思想は、御義口伝創作の段階で富士門内に存在したものと思いますが、この点いかがでしょうか。

御義口伝の創作が本因・百六箇の両抄と同様に、慶林坊日隆の影響あってのことと考えれば、石山有師の代からそう遠くない時期に、主に京都近郊の富士門内にそのような思想を考案した人がいたと考えられます。

1682犀角独歩:2006/10/07(土) 17:08:09

独学徒さん

1681に整理されるところ、ほぼ、賛同します。
引用される「法体者心云事也 法者諸法也 諸法之心云事也 諸法心妙法蓮華経也」はしかし、法=題目であるというのではく、諸法の“心”が五字であるという意味ですね。

まるで違う視点から述べますが、通読するに、この御義口伝を創作した人は、しかし、たぶん、あまり、漫荼羅を意識していたように思えませんが、どう思われますか。それにもかかわらず、この書が法本尊の依拠とされていくところに皮肉を観じます。

> 京都近郊の富士門内にそのような思想を考案した人

こう聞きますと、寡聞であるわたしは 日教 しか思い当たれません。

ついで、1680に自ら記したことを批正すれば、『四信五品抄』には「妙法蓮華経五字非経文 非其義 唯一部意耳 初心行者不知其心 而行之自然当意也」とあります。日蓮は妙法蓮華経の五字を経巻でもなく、その義でもない、ただ法華経全体の意なのだといいます。では、意とは何か。この前文に「汝何不勧進一念三千観門唯令唱題目許」と疑いを立て、「妙楽云 略挙経題玄収一部 又云 略挙界如具摂三千」と言います。つまり、意とは一念三千であり、唱えるところに既に、その意に当たる故に、一念三千の観法を進めないというわけです。言うところの観法とは唱題以前の止観入禅における観念観法を言うのでしょう。

観心本尊をいう日蓮が、観法を斥けるというコントラストに、天台と日蓮の相違が闡明です。

題目が本尊なのではなく、本尊の意、心が妙法蓮華経なのだということではないですか。身が本尊(仏)であれば、心(意)が妙法蓮華経であるという関係です。

1683独学徒:2006/10/07(土) 18:13:19

犀角独歩さん、

>題目が本尊なのではなく、本尊の意、心が妙法蓮華経なのだということではないですか。身が本尊(仏)であれば、心(意)が妙法蓮華経であるという関係です。

なるほど、さすがです。
本門本尊と本門題目が色心の二法にあたっていますね。
正直まいりましたといった感じです。

ちなみにこの本尊を形像化すると、釈迦像の胸中に曼荼羅を奉納する形が適当でしょうか。

先の三宝に当てはめた論拠薄弱な富士門本尊義の愚論は、現富士門における「仏本尊」の欠如を指摘しようと思ったもので、この「仏本尊」欠如の穴埋めに日蓮本仏義が採用されていったのではないかと考えていました。
日蓮本仏義は「仏本尊」を欠いてしまった富士門において、現状を正当化する上でのデマンドであったのだろうと思いました。

それにしても御義口伝の内容はよくできていますね。

1684犀角独歩:2006/10/07(土) 19:09:53

独学徒さん

愚論など言うことはありません。よくお考えになっておられると思いました。

> 本尊を形像化すると、釈迦像の胸中に曼荼羅を奉納する形

なるほど。このような形式は、もちろん、ありだと思います。
しかし、これでは絵像は、どうでしょうか。二次元ですから、不可能ということになります。ところが、日蓮は、この点をしっかりとクリアした方法を述べています。オリジナルな考えと言うより、仏教一般で行われていたことであると思います。その記述は『木絵二像開眼之事』にあります。この点は、以前、問答さんと議論した点です。

「仏滅後は木画の二像あり。是三十一相にして梵音声かけたり。故非仏。又心法かけたり。生身の仏と木画の二像を対するに天地雲泥也。」

では、どうするのか。「三十一相の仏の前に法華経を置たてまつれば必純円の仏」というのが、日蓮の開眼義であったのではないでしょうか。

ここでは、心法が法華経典となっています。それをさらに端的に進めれば、妙法蓮華経の五字と発展していったのでしょうね。

> 富士門本尊義の愚論は、現富士門における「仏本尊」の欠如

まったく、仰るとおりで、先に紹介した執行師の慧眼も、この点を指摘したものでした。

> 御義口伝の内容はよくできていますね

そうですね。けれど、かつて顕正居士さんがご指摘くださり、また、彰往考来さんもご紹介くださったように、山中師の研究で、就注法華経御義口伝、すなわち、『注法華経』に就いての御義口伝であるはずなのに、この書の作者は、『注法華経』を見ていないことが判明しています。また、弘安元年の日付を謳っていながら、六老の所望によってなどと記すなど、偽書捏造にしては、“アナ”が目立ちます。摂受の優那陀日輝、折伏の田中智学ともに、重視したこともあり、殊に戦後の創価学会定番書の一つですが、日寛の『六巻抄』同様、よく出来上がった虚構というのが、わたしの懐く感想です。この書を偽撰という見解を確定づけた執行師には、改めて敬意を表します。

1685独学徒:2006/10/07(土) 20:08:23

犀角独歩さん、

>愚論など言うことはありません。よくお考えになっておられると思いました。

こうかなと思うことは沢山あるのですが、裏の取れないことが多く犀角独歩さんはじめ、こちらの常連さんのご投稿を拝すたびに経験の差というものを感じずにはいられません。

しかし資料の収集ばかりではただのゴミの山と一緒ですので、皆さんのようになにか理論だてた見解を持ちたいと念願しています。
今後も初歩的な指摘を飛ばしてしまうような投稿があろうかと思いますが、どうぞお付き合いとご教授の程、お願い申し上げます。

>、『注法華経』に就いての御義口伝であるはずなのに、この書の作者は、『注法華経』を見ていない・・・よく出来上がった虚構というのが、わたしの懐く感想です。

そうですね。
一部の信仰圏にとっては、飛びつきたくなるような内容が盛り込まれていると思い、「よくできていますね」と皮肉をいってみました。
北山や要法寺の経本にも、御義口伝の文言が引用されており、御義口伝の富士門にあたえた影響は大きいと感じ、また残念にも思いました。

1686独学徒:2006/10/12(木) 22:36:37

今日は「本門戒壇之大御本尊」が、建立されたと伝わる日でした。

すみません、つぶやきにもかかわらず、こちらのスレッドに書かせていただきました。

1687犀角独歩:2006/10/13(金) 07:37:28

所謂「本門戒壇の大御本尊」が何故、10月12日に造立されたのか。
それは日蓮の生誕が、釈尊入滅の前日に定められたことと関連するように思えますね。

それにしても、「…造立件の如し、願い主・弥四郎国重、法華講衆等、敬白す、弘安二年十月十二日」と記してあれば、願い主が造立したことを敬って白(もう)したということですから、漫荼羅図示の日付でもなければ、日蓮の言葉ではないことも当然のわけです。こんな日本語の基本的な誤謬から、さらに『聖人御難事』の記述と結びつけられたうえで伝説が捏造されていくのは、むしろ、滑稽とさえ映じます。

ちなみに、この文は頭に「右」が付いたり・付かなかったりと、歴史推移で変遷が見られます。板の腰の部分に書かれた文章であるにもかかわらず、「右」というのは、さて、なぜでしょうか。

1688鳥辺野:2006/10/18(水) 17:39:14
本日、犀角独歩さんのご本「必携 図解 大石寺彫刻本尊の鑑別」を読ませていただきました。まず読み終えた今の気持ち・・・まさに目から鱗、と同時に胸のすく思いです。特に興味を持てた部分は93頁のそれぞれの時代に諸師が参詣した際に記録した曼荼羅の座配図、日禅授与本尊、日昇師書写本尊それぞれの諸尊を記載したデータです。つまり彫刻本尊は見るたびに違っている、昔(といっても室町時代頃?)から存在はしていたけれど同一のものではなく、複数存在したのだという事が一目でわかります。また全体の感想として・・・彫刻本尊に関して事情を全く知らない人でも図解など大変わかり易く非常に「やわらか」な印象を受けました。以上僭越ながら私の感想を述べさせていただきました。ありがとうございました。拝

1689犀角独歩:2006/10/19(木) 07:46:45

1688 鳥辺野さん

ご高覧、また、ご感想、有り難うございます。
図形で解けば、所謂「本門戒壇の大御本尊」と言われる彫刻が、日禅授与漫荼羅を原本とし、臨模・作為されたものであることは一目瞭然であった点をご理解いただけたかと存じます。また、ご興味の趣、再造という点についても、同様かと存じます。

1690独学徒:2006/10/20(金) 21:47:37

犀角独歩さん、御参加の皆さん、今晩は。

自己レスになりますが、

仏本尊=一尊四士
法本尊=大曼荼羅

というのは、日蓮宗新聞社発行の日蓮宗勧学院監修『宗義大綱読本』の92ページにでていました。

先の投稿では、まるで私のオリジナルな発想のような投稿になってしまいましたが、こちらも既に出尽くした議論であったようです。

これは偶然にも、本日聴講に出かけた第59回日蓮宗教学研究発表大会にて、ある発表者の方の話の中で出てきました。

日蓮宗勧学院監修『宗義大綱読本』は、買うだけ買ってほとんど読んでいませんでした。
一寸反省しました。

1691犀角独歩:2006/10/20(金) 23:18:32

独学徒さん、こんばんは。

法本尊について『日蓮宗事典』では「日蓮宗で本尊の本質を「法」、即ち法界・教法とする説。一大秘法の題目に本尊義を求め、その題目を説く仏を本尊とする「人(仏)本尊」と対す。この本尊の表現形式は聖人の大曼荼羅を正意とする」となっていますね。日蓮の意図から乖離した説明であるというほかありません。


本尊を人・法や、仏・法に区分して立てることは、奇妙なことだと思います。

何度も議論されてきましたが、日蓮の本尊観は、観心本尊で己心に仏を観る一念三千の成就(仏界が欠けては三千種にならない)からでしょう。では、天台の教学において十界は十法界というのであって、十界一々を法と界し観るわけです。つまり、法本尊と言えるものがあるとすれば、それは一念三千という心法なのであって、それは衆生と仏の心に具わるところです。故に日蓮は、これを「珠」とまで言い、その珠を裏(つつ)む故に妙法蓮華経の五字の尊厳と、その付属を言うわけでしょう。つまり、一念三千“法”界が覚知されればこそ、己の未来の成仏も約されるからです。このような関係に日蓮の本尊と法は構成されています。仏(身)と心(法)をそれぞれ本尊と呼ぶことは、まことにナンセンスというほかありません。つまり、同事典の記述は、心から身体が出来たのだから、心こそ本尊であるという唯心説的な色合いを示したもので、日蓮の教学とは異なっていると、わたしは思います。つまり、日蓮滅後の教学解釈を日蓮教学と見なす過ちを犯しているものであると思う次第です。

以上の意味から、わたしは先の独学徒さんのご投稿にレスした次第です。

1692独学徒:2006/10/20(金) 23:57:24

犀角独歩さん、返レスありがとう御座います。

日蓮宗勧学院監修『宗義大綱読本』では、

仏本尊=一尊四士=能証の表現
法本尊=大曼荼羅=所証の表現

としていまして、この二つの本尊は「能証」と「所証」という表現の違いであって、本質は同じであるとしています。
つまり日蓮の思想がどうあれ、現日蓮宗では、仏像も大曼荼羅も、どちらも「本尊」であるという見解が観取されました。

1693犀角独歩:2006/10/21(土) 06:57:25

独学徒さん

仰るところが、当然のこととして言わんとすることであろうと思います。
しかし、いったい、法本尊というのは何でしょうか。そんなものを日蓮は想定していなかったでしょう。三つの法門では本尊・題目・戒壇と鼎立しています。

わたしは、この法本尊という言葉を聞くと、法身大日如来(本尊)という真言義が彷彿とします。

一体、いつ頃から、法本尊などと言われるようになったのでしょうか。

1694独学徒:2006/10/21(土) 08:11:24

犀角独歩さん、お早う御座います。

>一体、いつ頃から、法本尊などと言われるようになったのでしょうか。

本当ですね。
具体的な文書は存じ上げませんが、やはり「仏像」か「曼荼羅」かという論議の末、未決着の状態で現在のような考えで定着しているのではないでしょうか。
そこには「仏像」か「曼荼羅」か、という議論の二分のみがあって、「観心本尊」という蓮祖の疎意・三つ目の選択肢には気づかなかったのではないでしょうか。

正直私も犀角独歩さんから指摘されるまで、頭の中は「仏像」か「曼荼羅」か、はたまた「御影」かぐらいしかありませんでした。
本来このスレッドは、彫刻本尊について議論する場でありますが、本尊についてもっと視野を広げて考えて生きたいと思いました。

1695犀角独歩:2006/10/22(日) 10:45:28

独学徒さん

以下に移動しました。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/586

1696犀角独歩:2006/10/22(日) 13:03:58

わたしのブログに、それもまったく関係のないところに以下のような投稿がありました。自分の意見を述べるときに、人を貶さなければ、何も書けない非人道性を気の毒に思います。このような嘆かわしい点は、同情することとして、以下、全くの誤解を、わたしの主張も読まず、一文を取って記すものですが、このような見当違いにも、いちおう、レスをつけておきます。


> 武田
>  いきなり失礼ですが、あなたアホですね。

この書き出しです。

>  日禅授与の御本尊と所謂「本門戒壇大御本尊」の筆跡が同一人物のものである可能性は高いと思いますが、それがどうして、
「日禅授与本尊を元に本門戒壇大御本尊は作られた」
ということの証拠になるんですか?
「本門戒壇大御本尊を書いた人物がその後日禅授与本尊を書いた」
という事実経過も十分ありえます。
 これだけでは、どちらが先に書かれたものかわかりませんから。

ところがこれは、違います。「戒壇の本尊」は書かれたものではなく、彫られたものです。まず、この点で事実誤認をしています。
その日付は弘安2年10月12日とされますが、そのデザインの特徴は弘安3年5月前後のものですから、「戒壇の本尊」は、その時期の漫荼羅をモデルにしていることが知られます。

筆法の変遷に関しては、『御本尊集』をよく眺めれば、直ちに了解されるでしょう。また、わたしのページでもこの点は、既に記してあります。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/itamandarasingi.html

では、どちらが先かと言うことになりますが、日禅授与漫荼羅に、その特徴は、書き込まれた日付と合致しています。(‘經’字の筆法の特徴から言えば、4月と見るほうが適切ですが)一方、「戒壇の本尊」は日付と特徴が合致しません。この点からして、この本尊の信頼性は著しく低いものとなります。

「戒壇の本尊」は弘安2年10月12日という日付を記しながら、実際は弘安3年5月頃の漫荼羅の特徴を有する、つまり、その弘安3年5月に原本を得ない限り、その後の彫刻は出来ないことになります。故に、「戒壇の本尊」が日禅授与漫荼羅より、先に造立された可能性はないことになります。

> 日禅授与本尊が間違いなく日蓮大聖人の御真筆であるならば、あなたが立証した筆跡の同一性は、逆に、本門戒壇大御本尊が大聖人の御真筆であることを示す証拠にも成りうるのです。

これは、わたしの記したことを少しも読んでいないか、あるいは、理解する能力がない故の難癖です。
まず第一に、わたしは、首題四大天玉の大部は日禅授与漫荼羅を原本とし臨模したと記しましたが、愛染はまったく他筆であると指摘したのです。故に作為であると記したのです。

仮に日禅授与漫荼羅が真筆であったとしても、愛染その他の部分は他筆を使ったパッチワークであると記した点を武田さんなる人物は知らないようです。
となれば、この方が言う立論は成り立ちません。

さらに日禅授与漫荼羅は、所蔵する石山、そして、北山以外の関係者で、この‘二つ’の漫荼羅が真筆御筆であるとする鑑定はありません。
日禅授与漫荼羅が真筆でなければ、武田さんの論法で言えば、「戒壇の本尊」の原本が仮に日禅授与漫荼羅と別にあったとしても、偽物ということになります。

なお、わたしは、原本鑑別を行う際に『御本尊集』に載る漫荼羅を、その文字を相似比較をし、どれとも合致しないことを確認したうえで、日禅授与漫荼羅を相似比較を行いその結果、両者が一致することを突き止めたのです。これは日禅授与漫荼羅が本物であれば、「戒壇の本尊」も本物という比較ではなく、現存の複数の漫荼羅と「戒壇の本尊」を比較することを目的としたものですから、まったく的はずれな難癖であるわけです。

批判し、人を「アホ」呼ばわりなど論外のこと、最低限、しっかりと相手の主張を読み、失笑を買い、むしろ自分の愚かさを晒すようなことはしないことです。以上

1697ひきこもり:2006/10/28(土) 02:03:28
独歩さん。私は戒壇の御本尊に祈って、全てが叶いました。1日唱題1万編ですね。

1699犀角独歩:2006/10/28(土) 10:41:47
わたしは問いかけられれば、答えることを旨としていますが、あなたの問いかけは当スレッドの趣旨とはまったく無関係です。しかし、敢えて、一言記せば、願いが叶ったのは叶う程度のことであったからでしょう。たとえば、不死を願えば叶いますか。叶わないでしょう。

「戒壇の本尊」が単なる模造品でも願い・願わないという演劇の道具にはなります。この模造品が置かれる富士から程近い地にあったオウム真理教のサティアン、そこにあったシヴァ大神の像は、暴いてみれば発泡スチロールで造られた安普請のものでした。しかし、ばれるまでの間のはったりの役に立ちましたし、ここの信者の信仰の糧とも見なされていましたよ。

天台法華から日蓮法華、通じて、菩薩の誓いを立てた人々の誓願は、そんな容易い誓いではありませんでした。四弘誓願です。

衆生無辺誓願度
煩悩無数誓願談
法門無人誓願智
仏道無上誓願成

何一つかなえられない永遠の菩薩の誓いです。それでも不休不息の精進で、道を求める人はこの誓願のために歩みます。もっとも創価学会、顕正会を含む石山には、こんな高尚な願いは、絶えてないのでしょう。

1日1万遍の唱題を模造の彫刻にかける願とは、その質実が違うということです。しかし、あなたの、四弘誓願に比せば小さな簡単に叶った願いも、やがて、菩薩道へと花開くことを信じることといたしましょう。

1700独学徒:2006/10/29(日) 23:18:47

横レスにて失礼致します。

>1日唱題1万編ですね。

会をあげての指導性ではないにしても、創価学会の地域の現場ではよく耳にしました。
「1日1万遍」や「100万遍の唱題」など、大きな願をかけるときに地域の幹部に相談などしたときには、よくこの手の指導がなされたものと思います。

しかしこの「1日1万遍」や「100万遍の唱題」こそ、真言密教の「虚空蔵求聞持法」の「マントラ(真言)」を「題目」に変え、本尊を「虚空蔵菩薩」から「大漫荼羅」に変えはしたものの、性質的には同じような気がしてなりません。
「虚空蔵求聞持法」は日蓮自身が「日本第一の知者」となる願をかけ実践したといわれますが、真言密教の修法であることにはかわりません。
「虚空蔵求聞持法」は100日間の間に100万遍のマントラを唱えていくことが主な修行法ですが、その間の食べ物の制限や細かい環境設定などがあるところは、創価学会などで行われるところの「100万遍唱題」とは違ったところでしょうか。
1日1万遍のマントラを100日間唱え続け、100万遍のマントラを唱える。この辺はなんか似ているような気がします。
創価学会の地域幹部が、そこまで考えて指導しているとは到底思えませんけども。

ほとんどつぶやきのような横レスになりました、失礼しました。

1701犀角独歩:2006/11/04(土) 08:38:03

【1699の訂正】

読み直したら、なんともはや、大事なところで誤打をしていました。

誤)煩悩無数誓願談
正)煩悩無数誓願断

1702みかん:2006/11/19(日) 07:26:48
百万遍で思い出しましたが、京都大のある京都・百万遍は、なんで百万遍なのかとおもったら、知恩寺の山号が、大本山百萬遍知恩寺なんですね。

浄土宗寺院ですが、多念義なんでしょうね。一念義ではなく。

1703しゅんかん:2006/11/25(土) 13:03:03
皆さん今日は、こちら大阪はここ数日間でめっきり
冬らしくなりました。これからもっと寒くなると思われます
風などをひかれませんように。

この板の前半部分で保田の万年救護本尊には日蓮直筆で
「万年に救護」と書かれているとありますが。どなたも否定されて
いないようですし万年救護本尊=保田妙本寺のようですね。

讃文には
 「大覚世尊御入滅後 経歴二千二百二十余年雖爾月漢日三ヶ国之間
未有之大本尊 或知不 弘之或不知之我慈父以仏智隠留之為末代残之後
五百歳之時上行菩薩出現於 世始弘」
ですよね「万年に救護」の文字は裏書きなのですか?

1704アキラ:2006/11/25(土) 14:42:30
どんな本なのですか?詳細がわかる人、教えて下さい。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4846003167/sr=11-1/qid=1164431819/ref=sr_11_1/503-5965839-3713530

1705犀角独歩:2006/12/02(土) 07:34:16

昨日、三学無縁さんのご訪問を受け、『仏敵創価学会の跋扈を許すな』(八須日忍編著/辻説法会発行、昭和36年10月23日)を見るに、彫刻本尊の座配図が載っていました。

「(板本尊座配図)黒漆地 曼荼羅凹刻り金粉塗り、下段現当二世云々年月は凹刻りなし」「縦四尺五寸(144センチ)横二尺一寸五分(65センチ)厚サ二寸二分(6.5センチ)」

文字の配りに、やや相違がありますが、『板本尊偽作の研究』に載る座配図と、ほぼ全同でした。

1706犀角独歩:2007/01/26(金) 13:40:19

折空さん

拙書をお読みいただいているかどうか、存じ上げませんが、わたしの鑑別の基礎になっていることは相似ということです。それぞれの文字が似ているかどうかということも考慮していますが、それより重要なことは全体の像のなかで各文字の比率に重点があります。

『必携/図解 大石寺彫刻本尊の鑑別』
http://cart02.lolipop.jp/LA11156772/?mode=ITEM2&p_id=PR00100227012


実際に文字を臨模してみますと、文字の形を意識ながら、筆写の能力が拙いために不似という事態が、儘生じます。ところが、案外、文字の縦横の大きさというのは外れないものです。そんなことから、二つのサンプルが相似形にあるかどうか、これがわたしの鑑別の基礎を為しています。

その結果、中央首題7文字の縦横の比率が、「本門戒壇の大御本尊」(彫刻本尊)と日禅授与漫荼羅で、ほぼ一致しているという点を突き止めたわけです。
この点は四大天玉にも、ほぼ通じます。

今回、話題になっている大廣目天玉については、特に「大」字の筆法が異なっているという指摘は、彰往考来さんから既にいただいております。もちろん、この点は仰るとおりです。
しかし、それぞれの文字の比率は、かなり近いというのが、わたしの観察です。

図は中央に彫刻本尊、左に第83第漫荼羅、右に日禅授与漫荼羅の大廣目天玉を縦の長さを揃え、配置しました。それぞれの文字の始まり、もしくは特に目に付く位置に線を引き、三つのサンプルを比較しています。

文字の筆法は、日禅授与漫荼羅と彫刻本尊と確かに異なっています。しかし、ほぼ、文字の比率が同じになっていることがわかります。
一方、第83大漫荼羅は、特に今回ご呈示いただいた「天玉」の比率が他二つより高いことが窺えます。

第83にもご指摘のように「玉」字の最後が縦棒になっているように見えます。ただ、これは他の二つと筆法上のコンセプトが違っているのではないかと、わたしは考えます。

日禅授与漫荼羅と彫刻本尊の場合、この縦1棒は「天」字‘二’画の下の‘一’の位置から「玉」字‘三’画真ん中の‘一’をやや過ぎた辺りで止めている点で共通しています。対して、第83大漫荼羅では、「天」「玉」の間で短く書かれている違いがあります。

大廣目天玉の長さの比率で占める「天玉」の大きさ、縦1棒の位置と長さという点で日禅授与に近いように見えます。
ただし、文字の筆法は、ご指摘のとおり、日禅授与漫荼羅により、第83大漫荼羅のほうが似ていると思います。また、共通点を挙げれば、第83大漫荼羅と彫刻本尊では署名の、日蓮の「蓮」字最終画のしんにょうが、大廣目天玉の「天」字‘二’画下の‘一’に連携されている点で共通しています。

そのような点からも、折空さんのお考えは傾聴に値する要素を有しています。
さらにご呈示をいただければ、有り難く存じます。

図については、独学徒さんの冨士教学研究会談義所の以下の図をご参考ください。

http://ip1.imgbbs.jp/read3/fujikyougaku/4/4/36.html

1707犀角独歩:2007/01/26(金) 13:43:16

説明を書き忘れました。


1706は、独学徒さんの冨士教学研究会談義所の議論の続きです。
向こうでは、300字以上の投稿ができないため、こちらにいたしました。
一方、こちらでは画像の投稿ができないために向こうにいたしました。

1708独学徒:2007/02/06(火) 19:29:05

犀角独歩さんの御著作も発刊より二年が過ぎ、いたるところで話題になっているようですね。

ラキさんご紹介のHP以外にも、以下のところでこの問題をクローズアップしていました。

http://otarunounga.hp.infoseek.co.jp/Gohonzon-mondai.htm

しかし一部信徒からはこのような反論はあるものの、当の宗門及び学僧らからは反論と思しきものは聞きませんね。
宗門側の機関紙などでは何か反論のような動きはあったのでしょうか。

1709犀角独歩:2007/02/06(火) 20:22:15

独学徒さん

情報、有り難うございます。
それにしても、法華講を自称する人間というのは、よくこれだけ、汚い言葉を使えるものだと感心しました。これだけでも、この宗教は社会一般に受け容れられることはなかったことがよくわかります。

細井さんの言を引けば「既に公明なる求道心から出発したものではなく、全くの感情的な悪意によるものであるからである。かかる悪言は修羅界の徒の致すところであって、真摯なる仏教者の口にすべからざるところであるからである」

しかし、なかなかがんばっているので、楽しく読ませてもらいました。
ただ、興奮しすぎて、わたしの鑑別に関しての、基本的な部分すら、ちゃんと理解していませんよね。

なにより、いくつか勘違いがあります。

ネットでは問答さんがアップされたパンフレットのネットでアップされた写真からそれを割り出したドキュメントを記すために、その写真を使いましたが、皆さん、ご承知のように、書籍のほうでは、然るべきルートが入手した日禅授与漫荼羅の写真を使用しています。この件は、日教研の発表で大石寺の坊さんも質問して確認していったことでした。彫刻の写真も、ネットではネットでアップしたものを使ったということです。まず、この点も理解していません。

大石寺公式見解だと大上段に構え、「日淳上人」の文章だと記す文が、『悪書「板本尊偽作論」を粉砕す』の文章であること。これは日蓮正宗布教会編・代表細井精道として出版されたものです。どうやら、この事実を知らないようです。これが日淳さんの文章だと、いつ石山が公式発表したのでしょうか(笑)

さらに、細井さんが、なんら証拠も挙げず、あっても不思議ではないといった文章を相も変わらず、金科玉条のように扱っていること。この点は既にブログに書いたとおりです。

1710犀角独歩:2007/02/06(火) 20:22:38

― 1709からつづく ―

弥四郎国重は神四郎と断定、日蓮日興共同制作、さらに妙海寺漫荼羅は臨写といった、いまでは、ひたすら忘れ去れるのを待って、再販をしなかった本を引っ張り出されて、石山の法が戦々恐々となっている様を、この自称信者さんはわかっていないわけです。

浅井甚兵衛さんが印刷者になっている本の内容が拙かったことは、石山がいちばん承知しているでしょう。ですから、石山としては、この本を取り上げないで50年来たのに、それを全文アップしてくれるそうです。わたしのほうとしては、願ったり叶ったりです。

この本の発行は昭和31年9月30日、著作権の50年期限にはまだ半年以上あります。そんなことから、わたしも全文をアップするわけにはいかずきたのですが、それを載せてくれるというのであれば、大いに大歓迎です。

細井さんのこの文を読んで御説のとおりと思うのは、本尊のイロハも知らない、本尊集すら見たことのない人ぐらいのものでしょう。早くやって欲しいですよね。これは心待ちです。浮き浮きします。

ただ、ここで実際に書いている人は、石山とどんな関係があるんでしょうか。
まさか、石山は小樽問答と同様、自分はほおかむりして逃げ回り、トカゲのしっぽとしていつでも切り捨てられる人間を使ってやっているのでしょうか。

早瀬さんというのは、そんな人間だとは思えませんよね。
それが石山のやり口かどうか、これは見物ですね。

しかし、実際の資料を、敢えて品質を落としてアップしてあるネット画像で、これだけ食いついて、宣伝までしてくれるのは、有り難いですよね。
ちゃんと、サイトを紹介してくれているわけですから、口は悪いが、なかなか親切です(笑)

正式に発表する前に、これだけ、憶測を述べておいてもらえると、こちらも楽になります。

石山が、敢えて、わたしのことを取り上げないのは、取り上げれば、かえって宣伝をしてしまうことになることを十分に理解しているからでしょう。
それにもかかわらず、信者を名乗る人が、その石山の気も知らず、宣伝してくれるわけですから、これはいくら的はずれな批判であるといっても「宣伝、有藤ございます」と御礼を申し述べなければいけませんよね。

1711犀角独歩:2007/02/06(火) 20:26:03

間違えました。何度言ってもいい言葉なので、訂正します。

誤)「宣伝、有藤ございます」ではなく
正)「宣伝、有り難うございます」でした。

1712独学徒:2007/02/06(火) 21:51:45

犀角独歩さん、申し訳御座いません。紹介しておきながら私は最後まで読んでいません。
かのHP管理者が、たとえどんな高い知識を持っていようとも、あれでは読む気もうせてしまいます。
犀角独歩さんが、安永教授の「板本尊偽作論」の口汚さを指摘されているように、読もうとするものを遠ざけてしまいますね。
基本的には図形鑑別の結果については、口汚い暴論も、親切で長文の論考も意味を成さないと思っています。唯一の反論は図形を持って示すことだと思います。
つまり、犀角独歩さんの御所論への反論は、大石寺が「本門戒壇ノ大御本尊」の画像と、大石寺所蔵の「日禅授与曼荼羅」の画像とを、鮮明な写真として公開し、図形鑑別の結果、誰の眼にも明らかに別物であることを証する以外に無いと思っています。
それ以外には、いかに文字を書き並べようとも所詮は言い訳でしかないと思っています。

それにしても創価学会を在家集団として罵る石山ですが、宗旨の根幹についての疑難に対して、反論を述べているのが信徒の方であって、宗門・僧侶の手による反論が聞こえてこないのはいかがなものかと思っています。

1713犀角独歩:2007/02/06(火) 22:24:50

独学徒さん

先のラキのご紹介といい、今回のご紹介といい、通じて、その口汚さから、安永氏の顰蹙を買った愚を繰り返しているというご指摘はまことに以てそのとおりですね。

また、仰るとおり、わたしは図形を以て問うたわけですから、図形を以て応えればよいわけです。この責務を果たせるのはしかし、石山しかないでしょう。つまり、それ以外の人間がとやかく言ったところでお呼びでないということです。

しかし、わたしは違います。わたしの名を書き、わたしのサイトを紹介してくれるのであれば大歓迎です。そのあと、それを紹介した人の言を信じるのか、わたしが示した図形を見て考えるかは、閲覧者の知性・感性によります。

こうして、批判であれ、賛同であれ、宣伝をしてくれ、多くの方の目に触れていくことは大いに歓迎です。批判ももちろん、歓迎です。口汚い言葉も滑稽で面白いと思っています(笑)

それにしても、騒ぎ立てられなければ、大して責められることのない、たとえば御肉牙、そして、彫刻本尊、さらに日興持仏堂本尊も、どんどん、批判者が騒ぎ立てて、反論して名前を挙げることに墓穴を掘るという様相を、宣伝効果として、むしろ期待していたことですが、大いに愉快です。

彼のいう個人攻撃など、いった本人が自らの甚句・品格を下げて失笑を買うだけですから、わたしからすれば何ら痛痒もありません。むしろ、宣伝効果で、御礼を述べたい気分です。

1714しゅんかん:2007/02/08(木) 09:00:50
独歩さん、おはようございます。
日法上人の御影さま(説法像)(読経像)や何体現存しているのか等を
調べていましたら興味を引くHPに出会いました。
独歩さんはすでにご存知かもしれませんが、こちらにアップされてます
日法師作、板曼荼羅の主題が石山の板曼荼羅の主題ととても似ている様に
見えます。
すでに、論じられているのかもしれませんが?・・・
http://www.fujigoko.tv/furusato/bunka/act08.html

1715犀角独歩:2007/02/08(木) 10:01:21

しゅんかんさん、おはようございます。
ご紹介の板曼荼羅については、過去に何度か話題になっています。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015575530/1554
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015557630/403

いろいろな意味で興味深いものがあります。
中央首題の下に「日蓮大聖人」とありますね。
「大聖人」は石山の専売特許みたいにいわれてきましたが、日興、日目本尊では「日蓮聖人」でした。

「彫刻阿闍梨」と言われた日法の作としては、随分と素朴な印象を受けます。

1716しゅんかん:2007/02/08(木) 17:37:58
独歩さん、早速の御教示ありがとうございます。

南に光明点がないように見え、華の字がカタカナのタで、経の筆運びもそっくりですし。
日禅授与漫荼羅で顕著に見受けられます左に傾いてもいますので、
何か関連があるのかな?と思いまして。
勉強になりました。

1717犀角独歩:2007/02/08(木) 19:16:58

しゅんかんさん

左に傾いているのは、何も日禅授与漫荼羅の特徴というわけではありませんよ。日蓮の漫荼羅は、だいたい傾いています。御本尊集で確認してみてください。

http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/001.html

独学徒さんの掲示板をお借りして、信行寺板本尊に第82漫荼羅を重ねた図をアップしました。[1]

http://ip1.imgbbs.jp/read3/fujikyougaku/9/9/

見てください。左に傾いています。

ついでに重ねたのは、板本尊というのは、元の漫荼羅を“忠実に彫った”ものだという固定観念が、判断を曇らせている様を、屡々散見するからです。

明確に第82漫荼羅を彫ったと公言するものでも、写真を重ねれば、こんなにずれているんですよ。これが現実です。

写真ではわかりづらいですが、「蓮」字しんにょうなど、筆を流している傾きも形も違います。

完全に重ならないから、模刻とは言えないなん思うのは、机上の空論であるわけです。

それと日禅授与漫荼羅が傾いているというアナウンスに騙されないでください。それを見てもらうために、わたしの所蔵するカラー版とは別の写真を載せます。たぶん、これがパンフレットの元になった写真だろうと思います。というわけで重ねたうえで中央にラインを引きました。[2]

第82漫荼羅より、傾きが弱いことがわかりますでしょう。

ついでに、しゅんかんさんが目を付けられたので、いちおう、日法板本尊に、彫刻本尊を重ねました。思いの外ほか、これは相似していました。ちょっと、驚きです。

もっと、よく写った日法板曼荼羅写真が欲しいですね。[3]

1718しゅんかん:2007/02/09(金) 00:23:24
独歩さん、重ねての御教示有難うございます。

石山の板曼荼羅は独歩さんが既に論評証明されておられますので、
私が最初に感じたのは日法板曼荼羅も石山のそれと同様なのかなと。
以下の様な事を申し上げるのは誠に僭越ですが、思ったところを記させていただきます。

両曼荼羅の相違点と思われる箇所が見受けられました。
(アップ映像を行ったり来たりしてですが)
日法板曼荼羅は経の旁の独歩さん流に申せばツ状の下の字が数字の2の様で、
石山板曼荼羅はアルファベットのZの様に見えます。

①首題に傾きの有るのはそうですね。
②南に光明点が見受けられない。
③首題が裾広がり(これも他に見受けられますが)
④首題全体がなんとなく似ている(筆法が)
以上四点の共通が見受けられたしだいでした。

弘安期以降で南に光明点が僅かしか存在しないが、この二点に於いて共通して
いるのも解せませんね。
何れにしましても私の推察出来るのはこのあたりまでです。
私には独歩さんの様に知識もございませんし、映像を二枚重ね合わせての比較対照
する様なテクニックなども持合せておりません。
もう少しましな映像がないか探してみます。

余談
板曼荼羅に於いて何故傾いているのでしょう。
板に直接記し、それを彫ったのなら理解出来るのですが、
紙幅曼荼羅を板の上に置き彫ったとしますと、(人情として)首題を垂直にして
板の上にませんかね?(つまり紙幅曼荼羅を少し右に傾ける)
傾きまで蓮祖に忠実としているのですか?
傾いたままだとあてつけの様な感もしますが。
蓮祖はそんな心が狭くはないですね。

1719犀角独歩:2007/02/09(金) 09:49:14

しゅんかんさん

独学徒さんの談義所に図を追加しておきました。
ご参照ください。
http://ip1.imgbbs.jp/read3/fujikyougaku/9/9/

「南」字‘冂’画の光明点については、どうでしょうか。
何かうっすら確認できそうなできなさそうな。
「華」字中段の広がりが石山のより、かなり狭く小さいですね。
ただ、たしかに全体の比率、傾きなど、似ています。

もちろん、おわかりのことと思いますが、日法板曼荼羅は首題下に「日蓮大聖人」と記されていますから、書写の彫刻です。では、何を原本にしたのかということになります。
日蓮門下の本尊集が手元にありません。確認できません。

> 板曼荼羅に於いて何故傾いているのでしょうか

この点を疑問に思われるのは、ちょっと、わたしにはわかりません。
日蓮の筆法というか、書き癖というか、もしくは、何らかの意図か。
そのように紙幅に図示されれば、そうするのではないでしょうか。
むしろ、傾いて書かれたものを、彫る段階で修正するほうが聖筆をけがすことになりませんか。

1720独学徒:2007/02/09(金) 22:19:03

犀角独歩さん、談議所のご利用ありがとう御座います。
このところ多忙な日々を過ごしており、ご返信も出来ず恐縮です。
今後とも、ご利用の程、宜しくお願い申し上げます。

1721しゅんかん:2007/02/09(金) 23:47:08
独歩さん、ありがとうございます。

>「南」字‘冂’画の光明点については、どうでしょうか。
〇そうなんです、鮮明ではないので断定はしかねますね。
>「華」字中段の広がりが石山のより、かなり狭く小さいですね。
〇ええ、それとなんとなく読み取れますのは草冠の(廾)の右側の光明点の上側にしんにょうの
丸い円が見受けられます(円の中を光明点が横切るのではなく)が、この様な物は御本尊集
では見当りませんでした。

どうも、石山のそれとは違いますね。全体的に似ていて此処まで似ているのは稀ではないですか。
(日法作と自称しておりますのも気になりますね)
独歩さんがお薦めスレッド562に於いてレスされましたが、アロエさんの考察でしたらどれ程の
確率なるのでしょうかね、興味があります。
いづれにしましても奥が深いですね、勉強になりました。

1722犀角独歩:2007/02/10(土) 06:43:40

独学徒さん、恐縮です。利用させいただいております。

しゅんかんさん、日法板曼荼羅と、石山彫刻は、なんらのつながりがあるかもしれませんね。

1723しゅんかん:2007/02/10(土) 21:38:44
独歩さん

日法板曼荼羅を寺宝としています長徳山妙本寺の言ではないですが、
日法板曼荼羅は日法の自筆のようです。
妙本寺の在ります、富士河口湖町勝山(第三セクターと思われます)HP
に於いて確認が出来ました。

以下に文面をを見て取れます。

日蓮上人の直弟子、日法上人の自筆の「板まんだら」が保存されている。
        http://www.katuyama.info/kanko/sengen.html

1261(弘長元)年の建立。日蓮上人の直弟子、日法上人の自筆の「板まんだら」が保存されている。
        http://www.fujigoko.or.jp/i/katsuyama_shiki.html

1724しゅんかん:2007/02/10(土) 21:42:18
1723訂正

誤−自筆のようです。
正−自筆と公言しています。

1725独学徒:2007/02/11(日) 19:41:22

犀角独歩さん、ブログの方拝見しました。

日陽筆「祖師伝付録」(影印)の、「日本第一の板御本尊」の部分を談議所の方に投稿しました。
ご参考までに、ご確認下さいませ。

私は日陽の言う「日本第一の板御本尊」とは、所謂「本門戒壇ノ大御本尊」ではなく、「紫宸殿大曼荼羅」のことではないかと思います。

1726犀角独歩:2007/02/12(月) 17:41:30

独学徒さん

ご教示有り難うございます。
訂正いたしました。また、ご批正をお願いいたします。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50886190.html

1727独学徒:2007/02/12(月) 21:34:06

犀角独歩さん、ブログの方拝見しました。
おとり入れ下さり恐縮です。
談議所の機能が、少しでもお役に立ち光栄です。

1728:2007/02/14(水) 00:40:52
独学徒師から、この文献に関して、重大なご指摘を頂戴した。

いつのまにか「師」になられたんだ

1729犀角独歩:2007/02/14(水) 05:58:14

まあ、この手のことに答える必要もないのですが、わたしは、自分のブログで書くうえで、敬称には自分なりのルールを設けています。

ご教示を受けたうえで、大石寺日蓮・日興本尊の偽作を明確に論じられている方には、敬意を表して「師」と呼びます。
これは、わたしが設けたルールですから、人にとやかく言われる筋合いはありません。

なお、こちらは管理者さんのご意向で「さん」ということなので、それにしたがっています。

1730れん:2007/04/15(日) 16:57:06
先日、「妙宗先哲本尊鑑」を見ましたが、弘安五年八月十三日付けの日興授与漫荼羅の愛染明王の梵字の形に彫刻(石山戒壇本尊)のそれが似ているような気がします。この日興授与漫荼羅の原本は明治八年の身延山の大火で消失したので、直接日興授与漫荼羅に取材したとも思われませんが、妙宗先哲本尊鑑に掲載された日興授与漫荼羅写本から取材した可能性は有るのではないかと思いました。また、彫刻の不自然な不動・愛染の起筆も、身延曽存・沙門日春授与漫荼羅が、感じがよく似ているので、現彫刻は、基本としては日禅授与漫荼羅を定本としつつも、こういった他山所蔵分の漫荼羅の写本集に取材して、彫刻の不動・愛染の梵字の形が作られたのではと愚考いたしました。

1731独学徒:2007/04/15(日) 22:02:04

れんさん、談議所の方に伝日興授与の大曼荼羅を投稿しました。
補完資料として活用下さいませ。


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