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雑談&連絡スレッド

1boro:2003/03/18(火) 22:48
特にこれといって話題のないときは
こちらに書き込みをお願いします。
また、管理人(boro)へのご要望も
こちらにお願いします。

2390無精髭:2008/07/14(月) 16:08:59
(以下、自分で読み返してみても、どうしようもなく冗長なものだと感じますので、
ご興味の無い方はスルーなさるのが賢明かと存じます。>>2375-2379>>2383-2387
関連した繰言でございます。)

小生はこれまで、他のスレッドでも、議論について偉そうに一席ぶって参りましたが、
この度、紫煙狼氏の御書き込みを読んで、これまで小生が投稿致しておりましたものは、
全く、人と議論をする為のものではなかったという事に、遅れ馳せながら気付かされました。
小生は、いい歳して人見知りですし、どちらかと申せば非社交的ですので、元来、人と話し
合うということすら、苦手で億劫なのです(勿論、話題にもよりますが)。実生活では
口下手の上、吃り勝ちですし。人間も、好きか嫌いかと申せば......嫌いな方ですなぁ※。
そんな小生に、色々な価値観や思想や人生経験をお持ちの方々が参加し・そんな方方のご意見を
総括したり調整したりする場である議論に加わる事など出来る訳がないのです(資格も無い)。

※脇に逸れますが小生の持論に、本当に子どもを好きな人間はすなわち人間好きなのである、
というのがございます。(人間全般について、特別深い考えがある訳ではなくて、ただ、
「子どもが好きな人には悪い人はいない」という俗説だか何だかに少なからず疑問があった為、
皆様から見ればテキトーに考えて見た(小生からすればそれを徹底させた)ものに過ぎませぬが。)
「子どもが好きだ」と自慢げに(?)公言する人がおりますけれども、当てにならないです。
その人の中でその思いが、「大人が嫌い」の裏返しになっているのだとすれば、色んな意味で
危ないです。或いは、その人にとってそう公言することが己の優しさの誇示なのだ、とも捉えら
れます(人格的に、優しさを売りにした方が、何かと都合が好いという訳)。飛躍しますが、
以上申し上げたような点で、「子ども好き」なのかどうかはコミュニケーションスキルに関わる
問題とも言えるでしょうが、小生にとってそれは「人間好き」かどうかという、更に一段上(?)
の問題に思えるのです。人間の善い所も悪い所も一纏めに愛せるような人間でなければ、
「子ども」という大人から見て矛盾した(単純すぎる?)存在を愛せはしないだろうと思うのです。
「子ども」への愛は、「人間」への全幅且つ無条件の信頼の上に成り立たなければ、(無論、大人の)
何か歪んだ・一方的な理想の押し付けとその自己対象化(的行為)に堕してしまうかも
知れませんから。

「子ども」の研究につきましてはフィリップ・アリエスの『<子供>の誕生』が有名ですよね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%80%88%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%80%89%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F
柄谷行人氏の『日本近代文学の起源』には「児童の発見」という章もあり、まぁ、アリエスの
二番煎じと解するかの向きもあるでしょうが、参考にはなるでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%84%E8%B0%B7%E8%A1%8C%E4%BA%BA
上のキーワードを入れて検索すれば、関連論文も出て来ます。amazonのレビューにも色々と
書いてあります。個々人が子どもに抱く感情の多様性・それぞれの特殊性は、子どもが文化的に
どう概念として規定されているのか、そして社会でどう扱われているのかといった、諸々の
問題に対する考察と同じ俎上に載せて論じられるかどうかということは重要ですが。。。
こちらで議論されるテーマとして然るべきものかどうかは、小生には決められませんので、
ひとまず棚上げにさせて戴いた方が宜しいですね。

2391無精髭:2008/07/14(月) 16:09:29
この度のアノニウォッチャー氏の一件には、議論のルールや書き込みのマナーについて色々と
考えさせられました。それに関連して、以前、こちらの掲示板で読んで印象に残った御書き込み
がございますが、ちょっと挙げてみます。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1106722292/85-104 (ニートスレ)
↑引用がやや長すぎたかも知れません(笑)。>85におかれましては、昨今、小生の遣らかした
不始末にも関係していますので、耳が痛いです。>97のご意見も尤も至極だと思われ、個人的にも
大賛成なのですが、善く善く考えてみれば、その御批判は、確かに小生の書き込みにも当て嵌まる
のですよねぇ。

これは前にも言及させて戴いたものを含みますが、
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1047995308/1827-1839 (本スレ)
↑これも引用が長すぎたかも(笑)。本当は、これより前の書き込みも一緒に挙げて見たかった
のです。紫煙狼氏が、専ら紛議解消の為に取り持ちの役回りを演じていらっしゃるのには、
とても小生には務まらないものだと感服致します。
議論について、Ken氏のスタンスとそこから見られた紫煙狼氏への批判が語られていますね。

ところで、議論における公平無私な進行役・意見調整をする仲立ちとは趣を異とする、もう一つの
役回りも考えられます。Ken氏ご指摘の「悪魔の代弁者(Devil's advocate)」がそれです。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1047791805/1746 (死刑スレ)
意地悪く(?)申せば、それこそ議論の進行役・仲介役に付随する、もう一つの必然的な側面
なのかも知れません。つまりある特定の論者には、審判者としての役割が備わってしまうものでは
ないでしょうか。ある論者が唱えた所の説が、皆からの支持を集め、議論において主流的な考え
として受け入れられたとしたら、今後その論者は、自説だけでなく自らも議論の中心にあることを
自覚しなければならないでしょう。人から同意を得、人の考えや議論の流れを変えるような影響力を
持ったということは、議論という場とそこに集う人間に対して、何らかの責任を持つということに
なりはしませんでしょうか。優れた論客であればある程、その責任の重さは嵩んで来るかと思われます※。
紫煙狼氏やKen氏が、時折見られる問題発言に対してすぐさまレスをお付けになったり、議論という
聖域(大袈裟?)に土足で闖入して来るような無礼者に目を光らせていらっしゃったりするのは、多分、
ご常連であるということの他に、こちらの掲示板での自らの発言力の大きさ―――責任の重さを
感じていらっしゃるからこそお取りになる行動なのでしょう。凄いことだと思います。
特に紫煙狼氏は、その点にかなり配慮されていらっしゃるご様子ですね。氏がお感じになる
プレッシャーはご自身からすれば苦痛でもございましょうが、それも皆様からの御支持があってのこと
です、無下に無限回廊BBSにおけるコテハン「紫煙狼」を放棄する訳にも行かないでしょう。
かと言ってご当人の意思とは無縁に(ご当人にはどうしようもない程に)そのコテハンの御威光は
日増しに(レス毎に)強まっているのですから、議論において或る役割に縛られてしまう、使用する
コテハンに他の人のHNよりも重い責任が伴ってしまうのは避けられないでしょう。
もう一度繰り返させて戴きますが、凄いことです。

※アノニウォッチャー氏や奈々氏等が特に理由もなく突っかかって来たのには、おそらく以上申し上げたような
背景があるからではないですかね(つまり彼等はその背景を、常連コテハンによる専横と捉えてしまい、
議論における必然的役割と捉えられなかったということです。まぁ、そう受け取られても仕方の無い背景を
伴ってしまうのが議論という行為なのかも知れませんけれど)。これが真実だとすれば、紫煙狼氏や
他のコテハンの方への誹謗中傷・罵詈雑言といった一連の経緯も然もありなんと、小生の中では勝手に
納得が出来ます(その一連の行為の是非はともかくとして)。
紫煙狼氏が「文責」と仰ったところを、以上のように解釈させて戴きました。

「紫煙狼」氏にとって、周囲による過度の期待は不本意でもございましょうが、
どうか甘んじて受けて戴きたい(笑)。期待する周囲と申しましたが、小生もその一人です(笑)。
死刑制スレで最初にご発言なされたのが2004年の10月27日とございますから、もう彼是4年弱に
なるのでしょうか、今更後には引けないでしょう(笑)。
どうでも宜しい余談ですが、その日は小生の出生日です。
・・・笑いすぎましたね(反省)。

2392無精髭:2008/07/14(月) 16:10:01
最後にもう一つ、
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1047995308/2023-2049 (本スレ)
まぁ、これも上に書いたことがそのまま当て嵌まりますね。>>2033におかれましては、
死刑制スレにて触れさせて戴きました。>>2041も同様の趣旨の御書き込みです。
しかし、議論とは何かと考える上で重要なのは、>>2045の御書き込みでございます。
紫煙狼氏の>>2386にございます、

>もちろん、世界で一番頭が良くて、コンピュータより正確な論理演算が可能で、
>(中略)超人ならいざ知らず、たかだか市井の一凡人が自分の
>考えに絶対の自信を持って主張するなんぞオコガマシイにも程がありますよ。

これに関わって来るのではないでしょうか。超人と仰らずとも、あらゆる物事に精通したディレッタント、
一つの物事を極めたような専門家にも、自ら進んで他人と議論する必要などないのです。申すまでもなく、
彼等には、己の関心事について自分よりも無知な人間から教わる必要などない程、知識と能力があるの
ですから。仮に彼等に議論をする目的があるとすれば、己の教えを無知な人間に広めることで己の考え
の値打ちを上げるような思想宣伝の為、更にその宣伝によって無知な集団が己の信者に変わることから
得られる直接的乃至間接的な利益獲得の為でしょう。この場合、無知な私たちの側からすれば、知らず
知らずの内に知の権力関係に呑み込まれていると言って良いかも知れません。得てして、専門家や
知識人(死語)との会話では、市井の人はただ黙って話を聞くしかないという態度を迫られるものですから。
ただ、まぁ彼等の仕事は議論することではなく研究ですので、そもそも万人に対して開かれたものではなく、
ある特定の分野の中でだけ切磋琢磨して、決して外に出る気はないのですから、そもそも彼等と話し合い
たいと思うことが高望みに違いありません※。
但し、頭脳労働から知識や適性能力などを捨象して、思索という点だけを取り出して申せば、外側から
その優劣をはかるのは、またまた誰かの思索なのだという点で、客観的指標も何もないものと捉えます。
そこには、思想における貴賎も優劣もありません。
ですから、議論の本質にはテーマに関する素人・玄人の別など無く、自由に参加し得る契機が本性として
含まれていると思うのです。

※紫煙狼氏の仰ったことも引っくるめて、上記のような人間はいない―――と申すか、あり得ないというのが
小生の身勝手な信念なのですがね。でも近頃の小生は、思索(だけ)の専門家ってあり得るのかなぁ、
あったら好いなぁ、と思っておる訳でございますが。そういう人が実在する・し得るのなら、
(可能性としての)議論も面白いし、大変に有意義だと思われます。


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