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誹謗中傷って、何?
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最近、よくインターネットでの誹謗中傷ちうことがクローズアップ
されておるが・・・
誹謗中傷って、何?(笑)
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>>1411
毎日いろいろなことが変わってきていますよ。
それはなだらかな変化であって、いついつのどの段階で激変した、ということではありません。
1年前、2年前、3年前、4年前の自分と比べて、例えば自分と違う考え方をする人をどのようにあしらうかなどについて、ずいぶん変化したと思っています。
内面的な問題でもありますから、第三者には気づかれにくいかもしれませんし、自分自身が変化を自覚できるのも変化が始まってしばらく経過し、変化する前野自分と比較して初めて気づくことではありますけれども。
例えば、私がこのような回りくどい(と思われがちな)説明の仕方をしていたのは前と変わらないと思いますが、以前のイカフライさんは耳を塞いでその先を聞こうとはされなかったでしょう?
また、私は昔も今も「辛抱強く」を目標としているつもりなんですけれども、3年、4年前に比べたら辛抱強くもなり、また「思考の転換」は以前より早くなったと感じます。
あるAを主張しているときに、Bを主張して譲らない人が現れた場合、Bの人がB’に移行するまで、辛抱強くこちらもA' A'' A'''と、別の選択肢を上げていくということができるようになったのも、「自分ではない誰か」と思考上対面しているからだろうとも思います。
その中にあって「構成要素のひとつである自分に個を感じる」という感じ方ももちろんありましょう。
が、同時に「構成要素の個々の存在が協力ないしは妥協しあわないと、【全体】の進展もありえないのだ」というように私は感じています。
繰り返されてきたテーマとして「世界平和」などがあるかと思いますが、「世界」という全体を進展させたいのなら、個々が全体のための妥協や協力をする必要もありましょう。
個であると同時に、全体の一部でもあるわけで、実に我々は構造の一部でありながら全体をも体現しているのだな、と思わされます。
例えばごく小さな対人関係の改善方法は、(もちろん複雑な要素は増えましょうけれども)大きな対人関係である国対国の対立関係の改善方法にも役立てられるだろうと期待します。
であるが故に、「国対国の対立改善方法」を、もっとミニマムな(全体の一部)に適用できないのはおかしいのではないかと繰り返し訴えてきているわけで、この主張そのものには変化は今のところありません。
が、いつか、この私の問いについて「これはこうこうで、こうすればこの対立概念は解決できる公式があるよ、これは小は幼稚園児の兄弟喧嘩から大は大国同士、内戦状態の解決にまで援用できるよ」という魔法の公式を示せる方が現れることを祈って、日々新たな出会いを楽しみにしているのです。
そうした出会いを期待する場としても、ネットの議論というものは有益だと思っています。
ネットが利益を生まなくなるのは、私がそうした答え、問いを求めるのを「止めたとき」だと思っています。
だから、ときどき本業が忙しくなったり、疲れてしまったときはネットから距離を置きますし、また別の疑問や質問が生まれてきたとき、そこに誰かがいれば現れるということを繰り返してきました。
そしてそれは今後も変わらないでしょうね。
そういうことを繰り返しながらも、それでも少しずつ自分は変わってきているということを、3年、5年後に実感できたら、それはそれで収穫だと思います。
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少々ロマンチックな話をしますならば、例えば「恋に落ちる」というの、そのときその瞬間に自覚できるかと言いますと、これは無理なんです。
いつまでが興味で、いつまでが好意で、それがどの段階で恋に落ちるのか。
言うなれば、それはある一点を通り過ぎてしまった後に、後々振り返ることでしか確認できません。今が正にその瞬間である、と自覚して感じていくことは不可能です。
これになぞらえて言うなら、自分が変化しているかどうかはやはり通り過ぎた後に振り返ることで、それよりさらに以前の自分と比較することでしか把握することは出来ないでしょう。
だから我々は、進むことと同じくらいに「ときどき立ち止まって周囲を見回し、自分の歩いてきた道を振り返って、もと来た道を見通してみる」ということが必要なのだと思いますよ。
これが何らかの答えになっていれば幸いです。
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リアルでもネットでもそうですが、「相手が目の前にいなければ存在感を感じられない」のだとしたら、世界中の人間が一堂に会さない限り、世界平和は望めないと思いますよ。
そこまでではないけれども、目の前に肉体を伴って現れなくても、「自分ではない誰かの声」を感じることができる、というのがツールとしてのネットが、20世紀最大の発明であることの証明だと思うのですが。
20世紀の発明と言えば、「飛行機」「自動車」「電話」「ネット」なのだそうです。
これらの共通点は何かと言いますと、「コミュニケーションに必要な距離と時間を飛躍的に小さくする」ということなんですね。
飛行機、自動車は移動に掛かる時間を短縮することで、直面して行うコミュニケーションに必要な所要時間を縮めています。
電話の前に「郵便(手紙)」というコミュニケーション手段があり、「コミュニケーションには肉体はなくてもいい」ということを我々は潜在的経験的に知っていたわけですけれども、手紙はコミュニケーションの時間短縮にはならなかったわけです。
ところが、電話の登場によって、「飛行機・自動車以上の時間短縮ができ、なおかつ肉体が伴わなくてもコミュニケーションは可能だ」ということを我々は知ることになります。
飛行機、自動車、電話までのコミュニケーションは「1対1」でのコミュニケーションを前提にしています。
これまたそれ以前から我々は「新聞」やまたはその発展形としての「ラジオ・テレビ」という一方向の告知手段を持っていましたが、これは「双方向のコミュニケーション手段」ではありませんでした。
ネットは、肉体を伴わず、しかも1対多の双方向コミュニケーション手段であるわけです。
これまでのところ、人間が求めてきた「コミュニケーション手段の最先端」でもあるわけですね。
より素早くコミュニケーションが取るためには、より短い時間で会いに行けばよく、最速の手段は電話・ネットであり、一対多のコミュニケーション手段を、大きなコストを掛けずに誰でも自由に獲得できるのがネットでもあるわけです。
このネットという【手段】を得た我々は、当初、これを「好き勝手に発言できるツール」として受け入れました。
我々、という言い方をしましたが、私は今年あたりでネット歴がそろそろ18〜9年くらいになるんですが、誰でも最初のうちはそういう使い方しかできないんですよ。
ネットというのは、「特大の拡声器」であることは確かですから。
ツールを手に入れた直後は自分の声だけが大きくなり、大きくなったから誰でも聞いてくれるような錯覚に陥ってしまいます。
ネットというツールを手に入れて間もない人ほど、この錯覚からは逃れられず、またネットを「そういうもの」だと思いこんでしまいます。
「手に入れて間もない」と言いましたが、人の話に耳を傾ける経験を積めない人は、その「間もない」状態が不幸にもずっと続くことになります。
自分の言いたいことを言い散らかすだけで、人の話をまるで聞かない。
その結果、自分の話も聞いてもらえなくなるわけで、「ネットは言い合うだけで誰も自分の話を聞いてくれない」ということになってしまいます。
そうではないのだと思います。
ネットを使い始めて8〜9年目あたりでインターネットの普及が加速していったんですけれども、そうなってからはむしろ「聞くこと」に大きな意義を感じるようになりました。
「正しい知識」というのは、世の中にはないんですよ。
知識が正しいかどうかではなく、「説得力を持っているかどうか」「第三者が検証したときに同じ結果が得られるかどうか」「それを他のケースに援用できるか」という。このあたりが重要なんですね。
そういうことができる知識、公式が「正しい」という評価を得られるのであって、そうした検証を経ずに「正しい知識」を、それこそ最初から正答を見るような形で得ることはできません。まず、疑わなければなりません。
言うこと、聞くこと、疑うこと、検証すること、こういうことを繰り返すのが、「議長」や「決議」が存在しないネットでの議論に、自分が介在することの最大の意義でありまた収穫を得られる機会でもあると思っています。
うろちいさんの招きに応じてここにきてから、私は一貫して「教えを請うている」と申し上げております。
受けた教えを全面的に鵜呑みにすることはありませんし、そういう盲信を避けるためにも「あらゆる側面から検証する」ことが必要でありまして、そのあたりが「執念深くてしつこくて慇懃無礼」に見えるのだろうな、と自戒はしておりますよ(笑)
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>>1412-1413
うーん、なんつうのかね。
>例えば、私がこのような回りくどい(と思われがちな)説明の仕方をしていたのは前と変わらないと思いますが、以前のイカフライさんは耳を塞いでその先を聞こうとはされなかったでしょう?
いや、私は最初から随分辛抱強く聞いてますよ。
それが、アホだった、無駄だったのかな、つーこと感じてるんですよ、今更。
あ、これ、別にヤスツさんへの個人攻撃じゃないっすよ。
ネットそのものを否定する気はないんです。
例えば、ネットが無ければ出会えなかった人、知りえなかった世界ってのはあります。
それによって、前向きになれた部分も大いにあります。
ただ、それは「ネットというツール」の有用性であって「ネットで議論する事」の有用性ではないんですよね。
ネットの議論って、結局は「自分の考えの正しさ」を他人に認めさせる、以上の何があるんだろう、と。
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>>1414
>リアルでもネットでもそうですが、「相手が目の前にいなければ存在感を感じられない」のだとしたら、世界中の人間が一堂に会さない限り、世界平和は望めないと思いますよ。
じゃあね、聞きますが、ネットで議論を重ねる事によって、戦争を机上の空論と唱えている人間が(ネット右翼でも軍事オタクでもいいです)、その場に行って人を殺す実感を持てるようになるのでしょうか?
いや、極論ですが。
確かに、私たちがいかに戦争を語っても「机上の空論」に過ぎませんし、じゃあ、戦場カメラマンや傭兵になって戦場行けよってのも、現実的ではない話です。
でもね、相手の人としての存在感を感じられるかどうか、ってこれは、やはり大きい事だと思うんですよ。
ネットの議論ってね、所詮、無責任なんですよね。
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ヤスツさんにしてもね、耳を傾けている、と言いながら、結局、ここに来た時と比べて、主張はなにも変わっていないのでしょう?
反戦主義者がバカだ、と(いや、これ極端な言い方ですが)思うのなら、じゃあ、あなたは今の反戦運動に変わるどんは方法が望ましいか?を、見つけられたのでしょうか?
世界は変わらない、って言うのは、そういうことなんです。
蚊帳の外で批判するのは簡単なんですよ。
でも、それに変わるなにを見つけられるのか?ってことなんだよね。
良い例か、悪い例かわからんけど、例えば、今のマンガはつまらん、どういうとこがつまらんとか、どういう体質がだめだ、ってのは、簡単なんだよな。
ちょっとマンガ読んでるヤツなら、誰でもいえる。
でも、じゃあ、面白いマンガ作ってみろ、てーと、作れるやつ、何人おるか?
絵がかけない、とかいう技術的な問題は、いいよ。
自分が描けないならば、描ける人を探す。
描き手の個性を伸ばしつつ、自分の望む、といっても、独りよがりじゃなく、多くの読者が面白いと思える方向にその描き手を伸ばす。
これが出来る人が、有能な編集者と呼ばれるな。
出版社に勤務していないなら、同人誌作っても良いよ。
結局、ネット議論ってのはさ、無責任な読者の立場で、あたかも編集長気取りで、独りよがりを言ったあげく、自己満足に浸る以上の何があるんだろうね。
私もね、負けず嫌いなところあるし、ここのサイトで引いたら、「ああ、所詮、反戦主義者なんて」みたいに思われるのはシャクだ、ってのもあったし、うろちいさん(お会いした事はないけれど)と、ライコスの時からずっと一緒だったし、まあ、いろいろな想いがあるサイトだから、結構しつこくいたけれど。
なんか、最近、サイド6だけでよいような気がしてきた。
てか、議論だけじゃ、なにも始まらないんだよな。
議論を通じてなにかをやるため、だった筈なんだけど、結局、議論が目的になる。
で、議論の目的って何よ?
つーと、結局、おのおのが「自分の正しさ」を証明したがっている以外に何があるんだろ?
それって、下品な言葉ですけれど。
(そういう表現が嫌いは人は、以下の行、読まないでください)
セックスではなく相互オナニー鑑賞会、ではないですか?
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