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大中華世界的話題(その3)

995チバQ:2020/11/09(月) 10:20:53
https://news.yahoo.co.jp/articles/ed0308a90c3846db41384ab3008e8ad9bfbbdb4f
「結婚式は延期」帰国もできず…タイとミャンマー、コロナで続く分断
11/9(月) 10:01配信




3月末から閉鎖が続くタイ・メソトの国境ゲート。奥はミャンマー・ミャワディ=10月7日
 国境をはさみ、女性は「ミャンマーに帰りたい」と涙ぐみ、男性は「タイに戻りたい」と嘆いた-。周辺4カ国と陸上で国境を接するタイ。ミャンマーと隣接する北西部ターク県メソトは近年、人やモノの往来が増え急速に発展していた。だが新型コロナウイルスの感染拡大によって一変。10月上旬に訪れた国境の街は、その共存共栄の関係が分断されていた。

【写真】タイへの不法入国を図り拘束されたミャンマー人

 鉄条網の向こう側はミャンマー・ミャワディ。草むらに男性が見えた。思わず手を振ると、ゆっくりこちらに歩いてくる。記者の背後では重装備の国境警備隊が目を光らせていた。

 高低差はあるが、男性との距離は3メートル程度。日本のプロ野球「阪神タイガース」の帽子をかぶっている。話しかけるとタイ語ができた。名前はアモル、23歳。

 ミャワディの実家から毎日、メソトに出稼ぎに通っていた。仕事はメソトに来るミャンマー人の身分証明書チェックや市場の手伝い。だが3月下旬、タイの感染拡大に伴い、国境往来が一部の貨物を除いて原則禁止された。メソトでの職を失った。ミャワディで建築工事の仕事を始めたが、不定期で収入は激減した。

 その後タイでは感染が落ち着き、8月ごろ国境往来再開の準備に入ったが、今度はミャンマーで9月から感染が急増したため再開は立ち消えになった。タイの累計感染者は約3700人で横ばいが続く一方、ミャンマーでは10月以降、毎日千人前後の感染者が確認され続け、累計約5万人を超えている。

 アモルさんはマスクを着けていなかった。「ウイルスは怖いけど、こっちではマスクはあまり売っていないし、買う金もない。とにかく早く、またメソトに入って仕事がしたい」

 日が落ちて薄暗くなる中、さらに記者に近づいてきた。「朝から何も食べていない。50バーツ(約170円)でいいからくれないか」。記者が後ろを振り返ると、国境警備隊はこちらから目をそらした。

   ■     ■ 

 アモルさんのように、日常的に国境を越えメソトで働いていたが、国境閉鎖の前に帰国したミャンマー人は数万人いたとされる。

帰国できず、結婚式も延期に 通信アプリで父母と話すたびに号泣
 メソトは、ベトナム-ラオス-タイ-ミャンマーを横断する約1500キロの幹線道路「東西回廊」の重要拠点。ホテルや商業施設、飲食店の開発が近年盛んで、工場進出が相次ぐ。メソト空港も拡張や路線拡充を計画。タイ側は安く豊富なミャンマーの労働力を活用し、ミャンマー人にとってもメソトは自国で得られにくい収入と夢をつかむ場所だった。

 国境ゲートそばにある創業60年の名物食堂。国境を流れるモエイ川で採れる魚料理が人気だ。ミャワディ出身の女性店員マリさん(20)も、夢の実現が近づいていた。

 15歳からバスとモエイ川の瀬渡し船でメソトに通い、まず市場で働き始めた。タイ語を独学で覚え、次に今の食堂で働いて約2年。調理手伝いをしていた1歳上の同郷男性と恋に落ちた。4月30日に結婚式を挙げるためミャワディの寺とレストランを予約し、青いドレスもそろえた。近い将来、2人でミャワディにカフェを開業する計画だった。

 3月下旬、閉鎖が発表された目の前の国境ゲートに、感染を恐れ帰国を求めるミャンマー人たちが殺到した。自分も父母がいる実家に戻ることを考えたが、2カ月前から食堂で住み込みを始めたメソトに残ることを決めた。「仕事があるし、婚約者もいる。すぐに国境は再開すると思った」

 その後一度も帰国できず、結婚式も延期に。毎日、通信アプリで父母と話すたびに泣いてしまう。「今はミャンマーの方が感染が深刻なのに、父母は『ちゃんと食べている? 外には出ないで』と心配してくれる。早く帰って、2人を抱きしめたい」


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