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大中華世界的話題(その3)
822
:
チバQ
:2020/07/26(日) 19:43:40
https://news.yahoo.co.jp/articles/1145b598fd9c3ac898a7430764b83e97785ce0a7
「2つのシンガポール」の出現? 「失政なき」与党に逆風、華麗なる一族に内紛も
7/25(土) 20:00配信
産経新聞
10日に行われたシンガポールの議会選(一院制、定数93)は、長期一党支配が続いてきた人民行動党(PAP)政権に逆風が吹く形となった。新型コロナウイルス対策への不満は大きくなく、PAPに目立った失点がないにもかかわらず、「変化を求めるムード」(ロイター通信)が顕在化した形だ。建国の父、リー・クアンユー元首相が作り上げた都市国家は、岐路に立っているといえそうだ。(シンガポール 森浩)
■過去最低水準の得票率…野党は初の2桁議席
「得票率の割合は、私が期待していたほど高くはない」
選挙の大勢が判明した11日早朝、PAPを率いるリー・シェンロン首相は勝利を宣言しつつもこう結果を振り返った。大勝した結果を受けた会見だったが、会場に漂う重い雰囲気はぬぐえなかった。
選挙でPAPは83議席を獲得した一方、野党の労働者党(WP)が過去最多の10議席を得た。議席数ではPAPが野党を圧倒している。ただ、PAPの得票率は61・2%で、2015年の前回選挙と比べて約8ポイント下落。11年選挙(60・1%)に近い過去最低水準に落ち込んだ。
特にPAPにとって「最大の番狂わせ」(地元紙ストレーツ・タイムズ)だったのが、新設された北東部センカン地区の「グループ選挙区」での敗退だ。
シンガポールの選挙は、小選挙区と、各政党が4〜5人のチームで出馬し得票数の高かった政党が割り振られた議席を総取りするグループ選挙区が並立されている。グループ選挙区は実績や組織力のあるPAPに有利に作用するとされ、今回の選挙でも6割強の得票で約9割の議席を獲得する結果にもつながった。
センカン選挙区は若い住民が多い。PAPがここを落としたことは、若年層への支持が広がっていないことの象徴とされる。シェンロン氏は会見で、「シンガポールの人々はPAPに政権を担ってほしいと思っているが、特に若い有権者は議会で野党をもっと見たいと思っている」と分析した。
また、シェンロン氏の有力な後継候補とされるヘン・スイキャット副首相兼財務相も、グループ選挙区で知名度が高い女性候補を抱えたWPに苦戦した。これまで初代首相のクアンユー氏(在任1959〜90年)、ゴー・チョクトン前首相(同90〜2004年)、シェンロン氏とバトンタッチしてきたPAPの“世代交代計画”に影を落とす可能性がある。
■「エリート」が導いてきた政治
もちろん、実績があるPAPは支持も厚く政権交代には程遠い。WP側も政権担当能力がまだ備わっていないことも認めている。ただ、独立前からの歴史を持つPAPに対し、異論の萌芽(ほうが)が見えることは間違いなさそうだ。
PAPが創設されたのは1954年。シェンロン氏の実父であり、建国の父であるクアンユー氏が主導した。クアンユー氏は、華人4世として地元の名門ラッフルズ学院で英語教育を受け、第二次大戦後に英ケンブリッジ大に留学。帰国後に本格的に政治の道を歩み始めた。PAPの中心となったのが、英語教育を受けたクアンユー氏らエリート層たちだ。
59年、英国の自治州だったシンガポール選挙で圧勝。PAPはこの時以来、シンガポールの与党であり続けている。その後、シンガポールは63年にマレーシア連邦に加入する。だが、マレー人中心のマレーシアと華人が多いシンガポールは対立が深刻化し、65年に事実上連邦から追放される形で独立した。
クアンユー氏は、資源もなく国土も限られているシンガポールを、経済発展を至上とする開発主義国家として導いた。「よい政府は経済で結果を出すことを要求される」とは、プラグマティスト(実利主義者)を自称したクアンユー氏自身の言葉だ。
人口が少ないシンガポールが世界と太刀打ちするため、徹底した能力主義を採用した。PAPがそうした有能な人材を抱えて、国を牽引(けんいん)していくとし、「野党が政権交代するほど有能な人材を抱える可能性はない」(インタビュー集『リークアンユー未来への提言』)との言葉も残している。
クアンユー氏の強い信念と能力主義が政治的安定と高度経済成長を生み出し、シンガポールは1人あたり国内総生産(GDP)が日本を大きく凌ぐまでに成長した。
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