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大中華世界的話題(その3)

434チバQ:2020/04/12(日) 21:23:03
 南部ホーチミンでは、住民から陽性反応が出たことをきっかけに、建物全体が隔離されたマンションもあった。英字紙ベトナム・ニュースでは記者が新型コロナに感染したことから、多くの社員が医療施設や自宅で隔離されることになり、印刷した新聞を届けるのが不可能になった。そのため、3月末から4月15日まで紙の新聞を発行するのをやめた。

さかのぼって隔離適用
 「久しぶりに靴を履いたら、足が重たくてうまく歩けませんでしたよ」。ハノイで日本料理店を営む小林宏治郎さん(54)は2日に終わったホテルでの10日間の隔離を振り返った。

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 仕事で3月15日に東京に一時帰国し、19日にベトナムに戻ってきた。日本に滞在している間に、ベトナム政府は、新型コロナの「陰性証明書」を持っていない外国人の入国拒否を決めた。日本ではそもそも感染していないことを証明するためにPCR検査は受けられない。入国は事実上、不可能になった。

 店の経営がある小林さんは何としてもベトナムに戻ろうと、東京都内のベトナム大使館に向かった。しかし、窓口の人に「今は日本でゆっくりしなさい」と言われただけで終わり、どうすれば入国できるか分からないままだった。

 あきらめきれずに都内のクリニックで急きょ健康診断を受けた。問診を担当した医師に頼み込んで「限りなく健康」と書いてもらった診断書を自分でベトナム語に翻訳して、成田空港に向かった。航空会社のカウンターでは、他の日本人が何人も搭乗を断られていた。小林さんが診断書を差し出すと、ベトナム人の担当者が「ノーコロナ?」と何度も念を押した末に搭乗券を渡してくれた。

 ハノイの空港での入国審査は、健康状態に関する申告書や連絡先を記入するだけで終わった。日本へ行く前から念のため自主的に隔離しようと思って1週間分を予約していた市内のホテルに、無事にたどり着いた。

 ところが、4日後に突然、店のマネジャーから電話がかかってきた。保健当局の担当者から小林さんが隔離の対象になったことを知らせる電話があったという。ハノイ市が3月7日以降に入国した人を特定して、必要があれば隔離すると独自の措置を決めたためだった。症状は何もなかったが、滞在先のホテルに通知書が間もなく届き、帰国日の3月19日にさかのぼって14日間に当たる4月2日までの隔離が決まった。

 それまでは自由に外に出て知人らと会っていたが、部屋から一歩も出られないことになった。ちょうどビザの更新時期を迎えていて、当局からは「隔離終了証明書を出さない限り、ビザを更新しない」と言われた。ホテルの責任者からは「あなたが陽性だったらうちが強制閉鎖されてしまう」と責められた。

 ホテルのスタッフが午前と午後に部屋の前に運んでくる体温計で検温し、表に書き込む日々が始まった。外に出ることがなくなったため部屋の中ではバスローブだけで過ごし、隔離が決まってから慌てて買い込んだ鉄亜鈴を持ち上げたり、歩き回ったりして運動した。食事は、朝はホテルの朝食、夜は自分の店から出前を取った。

 それでも部屋から出られない日々が続くと、精神的な圧迫を感じるようになった。「5日くらい経つと世界観が変わってきた気がした」。時間があるから難しい本に挑戦しようと、電子書籍で哲学者ニーチェに関する本を読んだ。ニーチェが論じるルサンチマン(恨み)の概念を知り、日韓関係について考えたという。

 10日間の隔離を終えて自由に出歩けるようになった日の朝、放っておいたワイシャツとズボンにアイロンをかけた。食事を1日2食にしたせいか、体重は3キロ減った。


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