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大中華世界的話題(その3)
3157
:
OS5
:2024/08/13(火) 09:12:38
https://news.yahoo.co.jp/articles/a647bfce73ae5e71b8891bff97c743930a97259d
いま中国政権中枢で「造反劇」相次ぐ大異変!首相・李強が習近平に「公然当て付け・無視」!いよいよ本格化してきた「対立と確執」の全舞台裏
8/13(火) 6:04配信
現代ビジネス
引き続き重要会議で習近平無視
by Gettyimages
習近平側近であるはずの李強首相(=国務院総理)は、7月19日開催の国務院会議で公然と習近平礼讃の「二つの確立」を無視することで「公開造反」を行った(8月1日公開「中国政権中枢でついに『習近平への公開造反』!露骨な首相外しに李強がブチギレて『習近平礼賛拒否』の内幕…そして解放軍でも不満顕在化」)。実はさらに7月31日、自身主宰の国務院会議で再び「習近平無視」を演じて見せた。
【写真】中国政権中枢でついに「習近平への公開造反」!李強首相が「習近平礼賛拒否」
会議は「当面の経済情勢と下半期の経済工作に関する習近平総書記重要講話を学習する」と銘打ちしてはいた。しかしながら、人民日報で公表された会議の具体的内容においては、習近平の名前と「習近平講話」に対する言及は全くなく、習近平抜きの「党中央」が主語となっていて、「党の三中全会精神の学習・貫徹」が会議の本当のテーマとなったものである。
その前日の7月30日開催の中央政治局会議で、習近平は「当面の経済情勢と下半期の経済工作」に対して「重要指示」を行った。それを受け、「経済工作」担当の国務院は立場上、それを「学ぶ」会議を開かざるを得ない。しかし公表された会議の中身はこの「習近平指示」を全く取り上げておらず、李強の「習近平無視」はもはや確信犯的なものといえる。
被災地に行かない習近平への当てつけ
そしてその翌日の8月1日、李強はまたもや、習近平への当て付けとも思われるような行動に出た。新華社通信の報道によると、李強はその日、湖南省彬州市を訪れ、大変な水害を受けた被災区の現場を視察し、災害対策にさまざまな指示を行った。
実は以前の胡錦濤政権時代、国内で地震や水害とかの大災害が発生するたびに、国家主席か首相(=国務院総理)が災害の現場を視察し災害対策の陣頭指揮を取るのが、一種の伝統となっていた。四川大震災の時は当時の温家宝首相が現場に貼り付けて救助の指揮をとり、胡錦濤主席はその直後に災害地区入りした。
しかし習近平政権になってから、この「良き伝統」に一つの異変が起きた。習主席自身は、災害の最中やその直後の現場へは一切足を運ばないことになったのである。実際、主席になってからの11年間、彼はこのようなことを一度もしたことはない。行くのにしても、災害が発生からずいぶん時間が経って全てが収まった後のことである。
例えば2020年1月にコロナが武漢で爆発的な感染拡大となったとき、当時の李克強首相が1月27日の感染拡大の最中に武漢入りして陣頭指揮を取ったのに対し、習近平が武漢に入ったのは3月10日、武漢でのコロナがすでに抑え込まれたことで、「勝利宣言」を行うための武漢訪問だった。
災害陣頭指揮、李克強の命運
その一方、李克強は2013年3月から首相を務めた10年間、以前の胡錦濤政権の「伝統」を受け継いで頻繁に災害現場に出かけていた。そのことは李克強の人望を高めたとの同時に、習近平の「災害地無関心」とは好対照をなすことになって、当時からはそれは、李克強の習近平に対する当て付け、ささやかな反抗とも見做された。
このことも一因となって、李克強は一昨年秋の党大会では習近平よりも年下でありながら引退に追い込まれて、そして昨年の秋には不審の急死を遂げた。
李克強に取って代わって、習近平側近の李強が首相になったのは2023年3月の全人代。そして彼は首相になってからはボスの習近平に倣って、災害の現場へは基本的に行かないことにした。ボスの習近平が行かないなら、自分が行けばボスに対する当て付けになることを知っていたからであろう。
私が調べたところでは、彼が首相になってから2024年7月までの約1年半、唯一、災害地を視察したのは23年12月23日、甘粛省で震災地を訪れたこと。李強は極力にボスの習近平に遠慮して自分だけが「良い子」となるような行動を避けていることは分かる。
しかしこの8月1日、一連の会議で公然と「習近平無視」を貫いた李強が、堂々と水害地を視察して災害対策の陣頭指揮をとったのは、自分はもはや習近平に「遠慮」しなくて良いとの意思表明であろう。もちろんその行動自体は以前の李克強の場合と同様、まさに習近平主席に対する痛烈な当て付けだと理解することもできる。
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