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大中華世界的話題(その3)

3101OS5:2024/06/05(水) 04:58:41
 ◇墓参後の執拗な尾行と夜通しの監視

 命日である4月15日の朝、記者が現地を訪ねると、新緑に覆われた美しい景色の中で、制服や私服の警官たちが厳重な警戒態勢を敷いているのがひときわ目を引いた。

 管理事務所の職員によると、遺族らが墓前で追悼式を開いているため、一般人の立ち入りを一時禁止しているという。「しばらく待てば入れる」と言われ、周囲に目をやると、墓参に訪れた人々が列をなしていた。胡氏を慕う人が今なお多いことを実感した。

 結局、入園できたのは昼過ぎだった。事前に外国人は受付で名前やパスポート番号の登録を求められ、園内では職員らが張り付いて離れなかった。胡氏の肖像が刻まれた墓石の周囲には「写真撮影は禁止」との標識があった。

 「陵園」を離れた後、尾行されていることに気付いた。市内を散策したり、食事したりする間、公安関係者とみられる男たちから車や徒歩で絶えずつけ回された。声をかけても、身分や目的を明かそうとはしなかった。

 宿泊したホテルでは部屋の出入りまで監視された。深夜に、ドアののぞき穴から外の様子をうかがうと、向かいの部屋のドアが開いていて、そこで男が不寝番をしていた。

 「胡耀邦」という存在の複雑さを思い知らされた異様な体験だった。

 共産党は、胡氏の功績を否定してはいない。生誕100年にあたる2015年には、習氏自ら記念座談会を開き、「一生を党と人民に捧げた」と称賛した。有力な党指導者に限られる公式の言行録も出版されている。

 政争に敗れて失脚した胡氏を再評価する背景には、国民に根強いその人気を「党の輝かしい歴史」に取り込み、一党支配体制の安定に役立てようとする意図がうかがえる。

 一方、胡氏を公式にたたえながら、外国人記者の墓参を極度に警戒する矛盾は、天安門事件との関連だけでなく、胡氏が目指した国家像そのものに理由があるように思う。

 ◇逆行する「改革」の行方は

 「党は民衆に上から指図する権力組織ではない」。そう主張した胡氏は政治生命をかけて個人や党への過度な権力集中を防ごうとした。

 文革の反省から党幹部の定年制導入を推し進め、82年の憲法改正では国家主席の任期が「2期10年」に制限された。党からの分権を主張し、行政や経済、司法、言論の独立性を高めようとした。

 対照的に習氏は「一切を党が指導する」という毛沢東の言葉を用い、自らを頂点とする党への集権を目指した。歴史を逆行するように国家主席の任期制限を撤廃し、最高指導者の終身制に道を開いた。

 両者は共に政治体制の「改革」を掲げながら、その方向は正反対に見える。

 中国政治は時代に応じて「放(自由化)」と「収(引き締め)」の間を振り子のように揺れ動くと言われてきた。

 胡氏の死と天安門事件から35年を経て、巨大国家は右肩上がりの時代が終わる重大な転機にある。7月に開かれる党の重要会議「第20期中央委員会第3回総会(3中全会)」はまさに今後の「改革」のあり方が焦点となる。

 過去を振り返ると、78年の3中全会で改革・開放路線の導入という歴史的決断が下された。経済の停滞で強権体制のゆがみが表面化する今、政治の振り子がどう揺れ動くのかに目をこらしたい。【中国総局長・河津啓介】


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