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大中華世界的話題(その3)

3100OS5:2024/06/05(水) 04:58:28
https://news.yahoo.co.jp/articles/d8402329d526b271a99b3589dcf616680773bdbf
天安門事件から35年 胡耀邦氏が眠る地で考えた中国政治の振り子現象
6/1(土) 9:30配信

毎日新聞
胡耀邦氏の墓に隣接する売店にあった肖像入りの記念品=中国江西省共青城市で2024年4月15日、河津啓介撮影

 1980年代に中国共産党総書記を務めた改革派指導者、胡耀邦氏の墓がある江西省共青城市を訪ねた。89年6月4日、北京市で学生の民主化要求運動を武力で制圧した天安門事件は急死した胡氏の追悼活動が引き金になった。事件から35年の節目に胡氏をしのび、中国政治の今を読み解く糸口にしたい。そう考えた私が現地で直面したのは、執拗(しつよう)な尾行と夜通しの監視を受ける暗然とした現実だった。

【写真】深夜に記者を監視する男

 「歴代の党指導者で胡耀邦が最も人心を得た」。そう評したのは建国の父、毛沢東の秘書を務めた改革派の重鎮、李鋭氏だ。胡氏は、毛への個人崇拝が招いた文化大革命(66〜77年)で荒廃した社会を再生しようと、政治と民衆が思いを一つにした時代を象徴する人物と言える。

 胡氏は15年、一世代上の毛沢東と同じ湖南省に生まれた。10代で入党し、革命に身を投じた。文革後、実権を握った鄧小平の下で、市場経済を導入する改革・開放路線をけん引。政治改革に取り組み、言論の自由に一定の理解を示すなど社会に新しい風を呼び込んだ。

 文革などの政治闘争で打倒された人々の名誉回復に尽力した功績も大きい。習近平国家主席の父、習仲勲元副首相も窮地を救われた一人であり、仲勲氏は胡氏の理解者として改革路線を支持し続けた。

 ◇悲劇の引き金 改革派指導者の死

 ただ、胡氏の晩年は不遇だった。民主化を求める学生に理解を示したことなどから、鄧小平を含む党長老や保守派との対立が深まり、87年に総書記を解任されて失脚。89年4月15日、心臓発作のために73歳で急死した。

 学生らが胡氏を追悼しようと天安門広場に集まり、民主化要求の声が沸騰した。「動乱」と断じた鄧小平が軍の投入を決断し、6月4日の天安門事件の悲劇が起きた。

 「胡耀邦は民を救おうとした理想主義者であり、鄧小平は党を救おうとした現実主義者だった」。後年、胡氏の遺族がそう語るのを聞いたことがある。国民に深く愛されていたからこそ、一人の政治家の死が歴史的大事にまで発展したのだろう。

 その墓は共青城市の小高い丘に建てられ、周囲は自然豊かな「陵園」として整備されている。胡氏の遺志をくんだ夫人の願いでゆかりの深いこの地に埋葬された。同市は55年、100人足らずの若者が荒れ地を切り開いて誕生した。党の青年活動に長年取り組んだ胡氏は終生、この街の発展を気にかけ、「共産主義青年の都市」を意味する地名の名付け親になった。


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