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大中華世界的話題(その3)

3053OS5:2024/04/29(月) 19:48:17
何日も脱北を決行する機会をうかがった。

選んだのは波が高く、月明りがわずかにある曇りの日。台風が近づいていて、警備艇が撤収する可能性が高い。

しかし、それは賭けでもあった。

警備兵に見つかったときに備え、刃渡り50センチの刀を用意。

粉唐辛子と砂を詰めた卵をそれぞれ持って船に乗り込んだ。

万が一のときには、それを投げつけ、目くらましに使う計画だった。

キムさん
「失敗したら家族全員が処刑されるから。藁をも掴む思いでした。神様が見捨てるなら、死ぬだけだと覚悟しました」

海に出て約2時間。

キムさん
「境界線を超えたときには、ほっとしたと同時に、どっと疲れを感じました。ただ、ただ、嬉しかったです」

■食料不足深刻化で…急増する凶悪犯罪

海を挟んで北朝鮮に接する江華島(カンファ島)。

海岸線には延々と鉄条網が続きます。

日下部キャスター
「北朝鮮を一望できる展望台に来ています。対岸に広がっているのは、キムさん一家が住んでいた黄海南道です」

望遠レンズを使うと対岸の様子がうかがえます。

農作業に従事する人。自転車で移動する人。監視塔らしき建物もあります。

コロナ以降、扉を閉ざした北朝鮮内部で一体何が起きていたのでしょうか。

2020年1月以来、北朝鮮はコロナ感染対策を理由に、厳格な出入国制限を行い、人と物の行き来が止まった。

韓国に渡る脱北者の数にも明確に表れている。

韓国統一省によると、多い時には年に2000人を超えたが、この4年間で激減している。

徹底的な統制によって北朝鮮は、「苦難の行軍」と呼ばれる1990年代の大飢饉以来の食料不足に陥っていたのだ。

脱北者 キムさん(30代)
「苦難の行軍の時期より厳しかったです。その時でも、穀倉地帯の黄海南道では、飢え死にしませんでした。

しかし、コロナの間は毎日のように、町内の誰々の父親が死んだ、誰々の子供が死んだらしい。そんな話が聞かれるほど沢山の人が死にました」

食料不足が深刻化するとともに、凶悪犯罪が急増したと言う。

キムさん
「生きてゆくために凶悪犯罪が増えました。殺人や強盗が日常茶飯事でした。公開処刑も沢山ありました」


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