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大中華世界的話題(その3)

3052OS5:2024/04/29(月) 19:47:56
https://news.yahoo.co.jp/articles/20ee0a08a43fe0a4a1549b26bcc7e33d3053ed67
「沢山の人が死にました」脱北者が撮影した北朝鮮内部映像 飢えて倒れる人の姿も【報道特集】
4/28(日) 17:01配信
北朝鮮からの脱北者の単独インタビューです。北朝鮮はコロナを理由にほぼ4年間、国を閉ざしました。この間何があったのでしょうか。この脱北者は北朝鮮内部の貴重な映像を撮影していました。

■脱北者が撮影した北朝鮮内部映像 飢える人々の姿

行き倒れだろうか。男性がひとり倒れ込んだまま動かない。

撮影した脱北者
「近くの店の主人に彼は死んでいるのかと聞いたら、前日の午後から倒れていて触ってみたけど、まだ死んでいない。飢えて倒れているようだが、まもなく死ぬだろう、と言っていた」

これは北朝鮮南部、黄海南道(ファンヘナンドウ)で、2023年4月に撮影された。

煙草をくゆらせる、物乞いに来た男性。

撮影した脱北者
「あなたの作業班でも飢えている人は、ひとりやふたりじゃないでしょう?」

物乞いの男性
「凄く沢山いる。それでも働きに出て…。やむを得ず出てゆく人も多い。死にそうだ…」

これらの映像は、韓国に脱北した男性が北朝鮮のスマートフォンで撮影したものだ。

コロナを理由に北朝鮮が国を閉ざす中、飢える住民たちをとらえた貴重な映像だ。

■「失敗したら家族全員が処刑」命懸けの脱北

2024年3月、映像を撮影した青年にソウルで会うことが出来ました。

30代前半だというキムさんです。

インタビューには、軍や警察関係者も同席しました。警護と監視のためです。

日下部正樹キャスター
「キムさんはソウルに来てどれくらいになりますか?」

脱北者 キムさん(30代)
「2023年5月7日に入国しました」

多くの脱北者が中国やロシアなど、第三国を経由するのに対して、キムさんは海を渡って韓国に入りました。

これが脱北で使った木造船です。

妊娠中の妻と母親、弟家族の総勢9人で、韓国・延坪島(ヨンピョン島)を目指しました。キムさんは、まず脱出の詳細を語り始めました。

キムさん
「ここから出ました。ここに出てきました。ここまで」

日下部キャスター
「普段は船でこのあたりの魚を取ったりしていた?」

キムさん
「そうです。船に乗って海に出るたび、延坪島が目の前に見えるたびに、自分一人でも脱北したいという気持ちに火がつきました。

でも、あとで家族離れ離れの苦しみを抱えたくなかったんです。家族全員を連れていく方法を探しました。その方法を半年間ずっと考えていました」

キムさんが脱北を目指すようになった理由。

それは個人の自由や権利が認められない社会に、絶望したからだった。

キムさん
「こちらでは全く理解できないでしょうけれど、北朝鮮では、家を一歩出たら、すべての物事を100%疑わないと生きていけません。

何も考えずに道を歩いていると、誰かが笛を吹いて、むやみに捕まえて身体検査をして、言いがかりをつけるのです。『どうしてジーンズをはいているんだ。これは朝鮮社会主義式ではない』。『なぜ労働時間に出歩いているんだ』と。なんでも犯罪にでっちあげることができるのです」

コロナ後、政府は国民の管理をさらに強化した。

食料は専売制となり、人々は足りない米などを闇取引で買い求めた。

ある日、キムさんの家に、取り締まり機関の保安員が捜査令状を持ってやってきて、蓄えていた米を運び去ろうとしたという。

キムさん
「『私たちのお金で買った食料ですから持って行かないで。私たちのものです』と主張したら、保安員に『この土地はお前のものか?お前が吸っているこの空気も全部党のものだ』と言われました。これ以上、ここに希望はない。この土地から逃げだそうと、決心しました」


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