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大中華世界的話題(その3)

2828OS5:2023/12/13(水) 09:00:19
https://news.yahoo.co.jp/articles/0acb7f79923edd3a85cbd072a0b9c77b8670ff50

クーデターが未遂含め19回、政治と近いタイ国王…かつての「対抗勢力」タクシン氏と距離縮める
12/13(水) 5:05配信


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読売新聞オンライン
 [New門]は、旬のニュースを記者が解き明かすコーナーです。今回のテーマは「王制と選挙」。

 親日国タイで5月に行われた下院選で第1党になった「前進党」が政権を樹立できず、第2党を中心とする連立内閣が9月に発足した。前進党が王室改革を訴えたことに軍を中心とする王室擁護派が反発した。タイ国王とは、どんな存在か。

クーデター 黙認でお墨付きも
 タイでは1932年の立憲革命で絶対王制が廃止され、立憲君主制に移行した。とはいえ、同じ立憲君主制の英国と比べて国王はずっと政治に近い。「王式民主主義」とも言われる。

 タイでは立憲革命以降、軍のクーデターが未遂も含めて19回起きた。軍の統帥権を持つ国王が、黙認することで政変にお墨付きを与えたケースがあるとの指摘がある。

 46年に即位したプミポン前国王は軍部と市民の政治対立が激化した際、仲裁に動いたこともあった。92年5月に軍がデモ隊に発砲した「暗黒の5月」事件の際も、首相とデモ隊指導者を自らの前にひざまずかせて和解を諭した。「政治が行き詰まったら国王が解決する」との考えが国民に浸透した。

 タイ憲法は、日本の明治憲法の影響を受けたと言われる。2017年憲法には「国王は、崇敬され神聖な地位にあり、何人も侵すことはできない」(第6条)とある。国王の政治的権限に関する条文には「憲法に適用すべき規定がない場合、国王を元首とする民主主義政体におけるタイ国の統治慣行に従って当該事案に対応する」(第5条)といった曖昧な記述がある。

 筑波大の外山文子准教授(タイ政治)は「明確でないことが逆に国王に無限の力を与えている。国民が、王や王を護衛する軍など既得権益層に刃向かう言動を自粛することにつながっている」と解説する。

共産化を阻止
 王権を強化することで冷戦期、近隣国に広がった共産化の波を食い止めることに成功したとの見方がある。しかし、度重なるクーデターは民主主義の軽視にほかならない。

 01年以降、農村の支持を得て総選挙で圧勝したタクシン・シナワット元首相が権勢を振るった。「憲法を超越した権力を持った人物が混乱を引き起こしている」と発言するなどし、国王に対抗する勢力とみなされた。軍は06年と14年にタクシン派政権をクーデターで倒した。

 約5年の軍政後も軍主導政権が続いた。20年に反軍政を掲げた前進党の前身「新未来党」が憲法裁判所により解党されると、学生らは抗議デモで、政権が擁護する王室の制度改革を訴えた。プミポン前国王が16年に死去し、ワチラロンコン国王が即位してから国王の権限は憲法改正などにより強化され、陸軍の先鋭部隊が国王直属になった。

王室改革頓挫 タクシン氏の転向
 今年5月の下院選では、前進党が王室改革を掲げ、王室のあり方に疑問をもつ若者の支持を得て第1党に躍進した。同党は王室への侮辱を罰する刑法の「不敬罪」の量刑(最高15年の禁錮刑)軽減を公約に掲げた。

 しかし、ピター党首(当時)は軍の影響力が強い上院議員らの支持を得られず政権樹立が頓挫した。代わりに王室の対抗勢力とみなされていたタクシン元首相派の「タイ貢献党」のセター・タウィシン首相が首班となった。既得権益層がタクシン氏と手を組み、前進党の政権奪取を阻んだとみられている。民意が反映されず、前進党支持者からは不満の声も多く聞かれる。

(写真:読売新聞)

 汚職などで有罪判決を受け国外に逃亡していたタクシン氏は8月22日に帰国するなり、バンコクの空港にしつらえられた国王夫妻の肖像の前にひざまずいた。国王はその後、恩赦でタクシン氏の刑期を8年から1年に短縮した。タクシン氏と王室との距離が縮まったことを印象づけた。


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