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大中華世界的話題(その3)

2755OS5:2023/10/29(日) 00:22:20
https://www.yomiuri.co.jp/world/20231028-OYT1T50041/?ref=yahoo
「世渡り下手」の党エリート、「習近平氏一強」に翻弄され冷遇の最後…李克強氏死去
2023/10/28 10:08

 【北京=比嘉清太】中国の 李克強リークォーチャン 前首相は、かつて 習近平シージンピン 国家主席と共産党最高指導者の後継を競ったエリートだった。しかし、その党キャリアの後半は、改革開放政策推進の原動力でもあった党の集団指導から習氏一強への転換に 翻弄ほんろう され、退任からわずか7か月後に急死するという結末となった。

心臓発作で李克強前首相死去「全力の救命措置も効果がなかった」…一時は習氏と並ぶ最高指導者候補
中国「ブレーキ機能」失う
北京で中国共産党大会の閉幕式に臨む李克強首相(右は習近平総書記)(肩書は当時)(2022年10月22日)=片岡航希撮影
 李氏は26日、上海のプールで遊泳中に心臓発作を起こしたとの情報が伝えられている。真偽は不明だが、引退後も周到な警護下にあるという元党指導者が病院に緊急搬送されて亡くなったとすれば極めて異例だ。


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 李氏の退任自体、意外感を伴っていた。昨秋の党大会後、首相退任に先立ち党指導部から引退した当時、李氏は67歳で、従来の「68歳定年」慣例に基づけば残留も可能だった。国営メディアは「一部の指導者は自発的に身を引くことを表明した」と伝えた。引退した李氏や 汪洋ワンヤン 前人民政治協商会議主席らを指すとみられる。ただ「李氏は健康上の理由で辞任したようだが、内心は嫌気が差したのだろう。習氏も強いて慰留しなかったはずだ」との見方を示す党関係者もいた。

 今年8月には、李氏が観光地の甘粛省敦煌を訪れた際に観光客に笑顔で手を振っているとされる動画がSNSで広く共有された。引退した党指導者が国民の前に姿を見せるのは異例で、健在ぶりを誇示したものとみられる。

 李氏は、 胡錦濤フージンタオ 前国家主席の政治基盤だった「共産主義青年団」(共青団)の押しも押されもしないエースだった。抜群の記憶力や堪能な英語力で知られ、後継者レースでは、胡氏の意中の人とみられていた。

 しかし秀才肌の李氏は、党内での世渡りは不得手だったようだ。党幹部によると、次世代指導者候補に名を連ねた際、ライバルの習氏が当時の党指導者や長老へのあいさつ回りに余念がなかったのに対し、李氏は「腰が重かった」。これが、 江沢民ジアンズォーミン 元国家主席ら長老らの不興を買い、習氏との評価が逆転したという。
 李氏は、常に習氏の「警戒対象だった」(党関係者)とされる。習氏は2012年からの1期目で、経済政策などを李氏が率いる国務院(中央政府)の頭越しに決める党の作業グループを次々と設立。集団指導体制の下、首相が総書記に劣らぬ存在感だった過去の政権と様変わりし、習政権を「習―李体制」と評する声は早々と消えた。

心臓発作で李克強前首相死去「全力の救命措置も効果がなかった」…一時は習氏と並ぶ最高指導者候補
 経済博士号を持つ李氏は、市場主導の構造改革を主張し「リコノミクス」(李克強経済学)と呼ばれたが、民営企業への統制を強めた習氏主導の政策にかき消された。20年5月の全国人民代表大会(全人代=国会)での首相内外記者会見では、習氏が貧困対策の成果をアピールする中、「月収1000元(約2万円)の人が6億人いる」という実態をあえて明らかにした。

 だが、それもせめてもの自己主張にすぎなかったのだろう。毎年の全人代で、汗だくになって政府活動報告を読み上げる姿は、習氏の威風の下で事務方を務める印象を増幅させた。

 党内では、党指導者は引退後も現役政権へのご意見番を務めるのが慣例となってきた。李氏の急死は、政権内にわずかに残っていた「ブレーキ機能」がほぼ失われたことを象徴する。

 李氏と同世代の旧友は「本来はかなり開明的な考えの持ち主だが、習氏に抑えつけられ、何もできなかった」と嘆き、こう言い切った。「我々は改革開放の受益者だが、もはやその時代は終わった」


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