[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
大中華世界的話題(その3)
2339
:
チバQ
:2022/12/01(木) 15:01:47
https://mainichi.jp/articles/20221130/k00/00m/030/354000c?inb=ys
したたかさと弱さ同居の江沢民氏 高度成長導くも格差拡大 汚職深刻化
深掘り 米村耕一
アジア・オセアニア
毎日新聞 2022/12/1 05:00(最終更新 12/1 05:00)
11月30日に死去した中国の江沢民・元国家主席(96)は、1989年の天安門事件の影響で中国が国際社会から孤立する中で、最高実力者だった鄧小平により抜てきされ、党トップの総書記に就任した。そこから2002年までの13年間、鄧に期待された通りに社会の安定を重視しながら、改革・開放政策を継続し、中国を高度成長に導いた。一方で、共産党の質的変化をもたらし、格差拡大や汚職の深刻化につながったとの指摘もあり、その評価は分かれている。
党トップに引き上げられた当時の党内基盤は弱く、権威不足が指摘されていた。自らも引退直前に当時を振り返り「上海から北京に来た当時、全中国の指導者となる準備はできていなかった」と語っている。しかし、鄧の後ろ盾を背景に、段階的に党・国家・軍のトップを独占し、他のライバルを圧倒した。
一方、政策決定のスタイルとしては調整型で、話し合いによって意思決定する集団指導体制を定着させた。00年に訪中した米ジャーナリストとのインタビューでは「(最高指導部の)政治局常務委員会は毎週必ず開かねばならず、民主的な雰囲気の中で行われる。共産党以外の党派のトップとも国家の重大事をよく話し合う」と明かした。
経済改革と同時に国際社会との協調も進めた。鄧が92年に「南巡講話」で一層の改革・開放推進を打ち出すと、江氏は同年10月の党大会で「社会主義市場経済体制」の確立を掲げた。…
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板