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大中華世界的話題(その3)

2144チバQ:2022/07/28(木) 19:32:47
■蒋経国の「孫」がアピールポイント

 2022年1月22日、蔡英文総統は、台北市内の蒋経国の公邸「七海寓所」を文化施設として再整備した「経国七海文化園区」の開幕式に出席した。演説で、日増しに厳しくなる中国からの政治的軍事的圧力に対し、故人がかつて発言したとされる「中華民国は反共の堡塁(ほうるい)」を引用し、台湾防衛を称えた。この発言に国民党支持者らの間で、「蒋経国まで民進党に取られてはならない」とする声が相次いだのだった。蒋介石のひ孫であるよりも、蒋経国の孫であることが、今の台湾の世論にとってポイントになっていると言える。

 蒋経国は、1910年4月27日、蒋介石の長男として中国浙江省で生まれた。翌年には辛亥革命が発生。この時代に生きた中国の知識人らと同じように、儒教思想に代表される伝統的な教育と、西洋の現代的な教育の両方に触れた。

 1925年の15歳の頃、革命や共産主義に心酔、また国民党が中国共産党(以下、共産党)と第一国共合作が行われた時期に、ソ連のモスクワ中山大学に留学する。当時は父に絶縁状をたたきつけるほど、親子関係が冷え切っていたが、1936年に起きた西安事件を境に帰国。その後、徐々に関係を修復し、国民党内で実力を付け、ついには父の片腕のような存在となり、1978から88年の死去まで中華民国総統を務めた。

 実績を見ると、総統在任中に台湾におけるインフラ整備や経済発展を進め、後継者に李登輝元総統を抜擢するなど、父とは違って台湾重視のスタンスを取ったように映る。しかし一方で、ソ連に長く滞在した経験を生かし、特務機関のトップとして辣腕を振るうなど、「白色テロ」(国民党支配の台湾で、反体制派に行った政治的弾圧)に代表される民主派勢力の弾圧を進めた。今日まで台湾社会が抱える傷跡を作った人物として批判する人も多い。

 また、台湾重視の姿勢を打ち出した背景には、自身や政権が中国に戻れないことが確実であったことがある。また、軍事的にも経済的にも、そして国際政治の面でもアメリカに強く依存し、中国との戦争を望まないアメリカ政府の意向で、しぶしぶ台湾に根を下ろすことになったからとする意見がある。

 他方、蒋経国も父と同様、恋多き男だったと言われている。夫人はファイナ・イパーチエヴナ・ヴァフレヴァ氏(中国語名は蒋方良)だが、他にモスクワ中山大学時代に知り合った実力者である馮玉祥氏の娘・馮弗能氏、元秘書で謎の死を遂げた章亜若氏、京劇界のレジェンド・梅蘭芳氏に師事し、自身も国宝級の役者だった顧正秋氏がいたとされる。

 子どもはファイナ氏との間に蒋孝文氏、蒋孝武氏、蒋孝勇氏の3男と蒋孝章氏の1女、それに章氏との間に章孝厳氏(後に蒋姓に改名)、章孝慈氏の2男がいる。近年、蔣介石のイケメンひ孫ともてはやされているのは、蒋孝勇の子である実業家の蒋友柏氏であり、蔣万安氏は蒋孝厳氏の子である。両者は蒋家の血を引いているものの、考え方が異なっており、蒋万安氏の選挙戦にも影響を及ぼすと考えられている。


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