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大中華世界的話題(その3)
175
:
チバQ
:2019/11/04(月) 16:14:06
◇「死なばもろとも」
勇武派の手法がデモ隊の間で一定の“戦略”と位置づけられる中で、平和派から勇武派へと「転身」を遂げる若者が後を絶たない。
最前線で破壊活動に加わる勇武派、フランシスさん(22)が10月中旬、九竜半島のデモ現場で取材に応じた。「フランシス」は英語名だ。覆面のすき間から時折のぞく目元にはまだあどけなさが残る大学生。「もともと、平和的なデモにしか参加したことがなかった」と言う。
7月1日の立法会突入に加わった勇武派は数百人程度だったとみられる。だがデモの激化に伴い、勇武派の人数は日増しに膨らんだ。フランシスさんの知人や友人も次々と最前線に行き始めた。「多くの仲間たちが逮捕されても勇気をもって恐れず最前線に行っている。私も前に出て闘わなければならないと覚悟を決めた」
暴力的な行動を敢えて取る狙いについて聞くと、フランシスさんはこう説明した。「100万人、200万人がデモをしても政府は逃亡犯条例改正案を撤回しなかった。だが勇武派の過激な行動が圧力となって政府を追い込み、逃亡犯条例改正案の撤回表明を勝ち取ることができた。平和的なデモだけでは撤回表明はなかっただろう」。政府は9月4日に改正案の撤回をようやく表明し、10月23日に立法会で撤回の手続きを終えた。
フランシスさんはとても流ちょうな英語で取材に応じた。1997年まで英国の植民地だった香港でも英語をきちんと話せる人は多くない。フランシスさんは授業をすべて英語で行う中学・高校を卒業したという。勇武派には、こうしたエリート層が一定の割合でいるとみられる。
「5大要求、なかでも民主的な選挙制度を勝ち取れるまでデモは絶対にやめない」。フランシスさんはこう強調する。だが選挙制度の変更には中国側の承認が必要だ。その点を問うとこんな答えが返ってきた。「政府側が要求に答えないなら一緒に死ぬだけ。攬炒(ランチャオ)だ」
攬炒は「死なばもろとも」という意味の広東語で、勇武派の合言葉だ。香港は今も、中国にとって極めて重要な金融センターであり、世界からの投資を受け入れる玄関口の役割を果たしている。香港の街が破壊されれば、中国経済にもダメージが及ぶ。香港という街そのものを「人質」に取った形だ。この決死の覚悟に魅了された若者が次々と勇武派に転身している。最近では低年齢化が進み、12歳を含む10代の逮捕者が相次ぐ。
デモ隊の結集を促すスローガンが次々と生まれ、終わりなく続く抗議活動。政府もデモ隊も出口が見いだせないまま、勇武派と警察の衝突は激化の一途をたどっている。
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