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大中華世界的話題(その3)
1518
:
チバQ
:2021/06/25(金) 07:33:01
https://news.yahoo.co.jp/articles/c21b0e95f116608581a4abe8fdfe3c8135a9fa2b
気さくな人柄だったが… アキノ前大統領に欠けていたもの
6/24(木) 22:31配信
毎日新聞
フィリピン・マニラのニノイ・アキノ国際空港に到着し、歓迎を受けられる上皇ご夫妻(当時は天皇、皇后両陛下)。右手前はアキノ氏=2016年1月26日午後3時(代表撮影)
気さくで人間らしい大統領だった。マニラ市内のレストランの外で、小さな灰皿を手にしてたばこを吸うアキノ氏を見かけたことがある。店内が禁煙とはいえ、大統領ともなればセキュリティーの問題もあるので、大目に見てもらえると思っていた。たばこを手に持つ私と目が合うと「喫煙者の肩身は狭いね」とでも言うように、肩をすくめてニコッと笑って店の中に戻って行った。
「特別扱いは許されない」。レストランのオーナーが店内での喫煙を勧めても、アキノ氏はやんわりと申し出を断り、外でたばこをくゆらせたという。
私がマニラ支局長だった2010年5月、アキノ氏は大統領選に勝利した。父はマルコス独裁政権に立ち向かい1983年に凶弾に倒れたベニグノ・アキノ元上院議員。母は86年に「ピープルパワー革命」で大統領に就任し、民主化を実現したコラソン・アキノ元大統領。政治エリート一家の生まれだ。
アキノ氏は98年に下院議員として政界入りしたが、政治の舞台でリーダーシップを取るような姿勢は見られなかった。アキノ氏の運命を変えたのは、大統領選の前年に母コラソン氏が死去したことだ。当時のアロヨ大統領には汚職のうわさが絶えず、国民からそっぽを向かれていた。コラソン氏の死をきっかけに反アロヨ勢力が結集。当時、上院議員だったアキノ氏を大統領候補に担ぎあげた。国民の期待も高かった。
アキノ氏が大統領候補に祭り上げられることを固辞していたことは、広く知られていた。
当選を祝う屋外での集会で、主賓のアキノ氏は、ステージ下の客席で親戚の子供と楽しげに話をしていた。その場にいた地元メディアの記者の目には、祝意を伝えようと集まった政治家ら有力者と言葉を交わすのを拒んでいるように見えたという。「最後の抵抗だったのかもしれない」。この記者はそう付け加えた。
国政運営は、マルコス政権を倒した当時、民主化運動を主導した知識人らを側近に置き、頼り切っていた。華々しい外交の舞台も苦手だったようで、当時ある外交官は「各国首脳が互いにあいさつを交わしている部屋で、アキノ氏だけがぽつんと一人たたずみ、壁に掛けてあった絵を眺めていた」と話した。
また、大統領府のスタッフの一人は当時、アキノ氏が携帯ゲームに熱中し、終わるまで来客を待たせることもあったと明かした。それでもこのスタッフは「偉そうに振る舞うことがなく、分け隔てなく接してくれる」と、アキノ氏を信奉していた。
任期中最大の問題は、南シナ海のほぼ全域を自国の領海と主張する中国との関係だった。中国は、実効支配する島の周辺の岩礁を埋め立て、基地の拡張を進めていた。アキノ氏は11年9月、日本メディアとの記者会見で「ボクシングをしても勝ち目はない」と、中国との国力の差に言及。中国との対話による平和的解決の必要性を熱っぽく語った。好感は持てたが、理想論が先走り、手練手管が必要とされる外交交渉では非現実的のようにも思えた。
フィリピンの力を見透かしたかのように、中国は埋め立てや基地の拡張を進めた。業を煮やしたアキノ政権は、13年に国連海洋法条約に違反するとして常設仲裁裁判所(オランダ・ハーグ)に提訴。仲裁裁判所はアキノ氏退任後の16年7月に中国の主張を退けたが、中国は判決の受け入れを拒否。中国の権益の拡大を阻止できないままでいる。
在フィリピン日本大使館で専門調査員を務めたこともある公立小松大学の木場紗綾准教授は「今のフィリピン経済が好調を維持しているのも、アキノ政権時代のインフラ投資などの成果が表れているからだ」と、アキノ氏の功績を指摘する。一方で「人が良いのは伝わっていたが、リーダーシップが見えなかった。その結果、アキノ氏とは正反対の強烈な個性を持つドゥテルテ大統領が16年の選挙で国民に支持されたのではないか」と話す。【元マニラ支局長・矢野純一】
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