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大中華世界的話題(その3)
1256
:
チバQ
:2021/02/26(金) 13:52:37
簡単に説明できないロヒンギャ問題
――今回、ロヒンギャがスーチーさんの拘束を喜んでいるという報道もありました。
ロヒンギャのなかには、「スーチーさんは自分たちを助けてくれなかった」と声高に非難している人もいる。でも、私が聞く限りで、スーチーさんに反感を持つロヒンギャは、それほど多くはない。バングラデシュ側の難民キャンプで、軍のクーデターに反対の意思表示をしているロヒンギャの姿も確認している。
ロヒンギャの問題は複雑で、簡単には説明できない。ロヒンギャ難民は人道問題であり、「ロヒンギャ難民を助けるべきだ」という結論に至るのは簡単だ。でも、その結論に至るまでには、難民問題を引き起こした複雑なロヒンギャの問題、ロヒンギャの問題を生み出した複雑なミャンマーの問題を順序よく、系統立てて考えなければいけない。
例えば、どうしてロヒンギャ難民の問題が40年以上も解決されなかったのか。スーチー氏はかつて公の場で「ロヒンギャ」という言葉を口にしていたが、今は止めている。それはなぜなのか、という問題を考えてみる必要もある。
さらに「ロヒンギャとは何か」と説明する人の語り口にも注意を払わなければならない。ロヒンギャたちが暮らすのは、ミャンマー本土とアラカン山脈で隔てられた西部ラカイン州北部だ。最大都市ヤンゴンから空路で1時間、簡単にラカイン州入りしても、その実態を把握することは難しい。険しいアラカン山脈を陸路で越え、「ああ、ここは本土とは違った地域なんだ」と体感することで、どうしてその地域でロヒンギャ問題が起こったのかをより深く理解し、問題の本質を伝えることが可能になると思うからだ。
私は09年から10年にかけてと12年の計3回、バングラデシュにあるロヒンギャ難民キャンプを訪れた。15年にはラカイン州内にあるロヒンギャの国内避難民キャンプを訪れた。バングラデシュでは、国連や国際NGOの支援を受けられる公式キャンプと、受けられない非公式キャンプが、わずか幅50センチのよどんだ水路を境にして分かれていた。
非公式キャンプに住むロヒンギャ難民が、公式キャンプの井戸を使おうとして、公式キャンプに立ち入ると、ロヒンギャから暴行を受けるんだ、という説明も受けた。「同じ困った難民同士なのに」と絶句した。そこには人びとの分断があった。
もしかすると、英国の植民地支配に恨みを持つミャンマー軍が主張する「規律ある民主主義」とはある意味、こうしたロヒンギャ難民問題など、暴力と不信、恐怖と分断を生み出す、人間社会の抱える解決の難しい問題を深化させてしまう体制に他ならないのかもしれない。
こうしたミャンマー国軍の実情をよく理解せず、一方的に民主主義を押しつけようとすれば、反発を買うだけで物事は解決しない可能性すらある。
――日本は何ができるでしょうか。
88年のデモを経験したミャンマー人は「日本は軍政になびき、何もしてくれなかった。今回は軍を支持しないでほしい」と言っている。日本政府は表面では、欧米と同じように軍を厳しく批判するかもしれないが、実際に問題の解決に向けた実質的な役割を果たせないかも知れない。
今回のクーデターは、民政移管後のミャンマーで、少数民族問題やロヒンギャ問題を抱えながらも、国民が「ある程度の平和」のもと、経済的に上向いた生活をしていこうとした矢先に起きた。ミャンマー国軍は、その軍の硬直した体質ゆえ、問題を抱えながらも粘り強く社会を変えていこうという意思も能力も弱かった、ということだろう。
もちろん、「意思や能力が弱い」という点は、私も含めた日本側のミャンマーに対する取り組みにも当てはまることだと思う。
朝日新聞社
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